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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
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映画「マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白」

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 北朝鮮と中国の国境地帯がどのような感じになっているのか、実際のところ何一つ知らないのだ。だが、脱北者はとにかく何らかのかたちでこの国境を越えるしかなく、一旦中国に入った上で各自でその先の目的地を目指すことになるようだ。脱北者は当然パスポートも身分証明書も持っていないから、ここから先の脱出を現実的・具体的なものにするために、様々な手配や手助けをしてくれる「脱北ブローカー」という存在が必要になってくるのだろう。
 この映画は、中国側で脱北ブローカーをしているマダムB(べー)という北朝鮮出身の中年女性を主人公にしたドキュメンタリーである。最初のあたりで彼女の仕事ぶりが映されるのだが、彼女のやっていることは当然非合法だから、カメラを回すのにもいろいろ制約があったようで、この部分は不明瞭で断片的な映像が続くばかりで非常に判りにくかった。しかし、この映画は彼女の仕事に密着して、その知られざる真実を暴き出すというようなことに力点を置いているわけではなく、数奇な運命に翻弄されたとしか言いようのないマダムBという女性の生き方を、可能な限り画面に写し取ろうと試みたものなのである。それは驚くべきものと言うしかない。

 現実にそういうかたちの脱北があり得るのかどうかよく判らないのだが、北朝鮮に夫と2人の息子がいる彼女は、十年前に一年間だけ出稼ぎするつもりで国境を越えたのだという。ところが、中国側に入ったところで脱北ブローカーに(仕事があると)騙され、貧しい農村へ嫁として売り飛ばされてしまったらしい。彼女はそこで、逃げるより中国人の夫と義父母との生活を受け入れ、北朝鮮と中国の両方の家族を養うために脱北ブローカーになったのだと言う。
 彼女の中国人の家族との生活が映し出されるが、よく判らないながらこの家族が彼女を中心に回っていることは確かに見て取れる。彼女は図太く逞しく、携帯電話で指示を出して人を仕切り、オートバイに乗ってブローカーの仕事に出かけて行く。彼女は脱北した女性をカラオケ店に送り込んで売春させたり、北から入って来た麻薬を売り捌いたりしたことがあるという。身分を隠すしかない脱北者にとって、生きていくためにはそういうことに手を染めるしかなかったのだと言う。
 彼女が売られた中国の家は、最初は北朝鮮での生活よりもっと貧しい生活だったようだが、いまは彼女の稼ぎによってそれなりのかたちになっているように見える。北朝鮮に家族がありながら、彼女がここで生活し続ける理由はよく判らない。彼女と中国人の夫との口喧嘩の様子なども写されるが、食事の場面や家族との些細なやり取りなどから感じ取れるのは、彼女がここでの生活に馴染んでそれなりの充足を得ているように見えるということである。

 彼女は北朝鮮に残した家族とも連絡を取っており、息子たちの将来を案じて数年前に彼らを韓国に脱北させたようだ。だが、韓国での生活が安定しない息子たちを心配して、みずからも韓国に向かうことを決意する。中国の家族は彼女を理解して送り出してくれるのだが、義父母との別れ、夫との別れなどがあったあと、中国籍を持たない彼女は新たな脱北者と同じように、中国大陸を縦断してラオスからタイのバンコクに向かう過酷なルートをたどることになる。
 監督はこの旅に同行して撮影を続けたようだ。だが、脱北者はバンコクに着くとタイ警察の保護下に置かれるが、韓国籍の監督は不法入国で逮捕されることになってしまったらしい。映画は上映時間72分と短いものなのだが、そこに記録された様々なカットを撮るために(カットとしてはごく短いカットだったりするのだが)、膨大な時間と危険が冒されたことが窺われるのである。
 この映画はナレーションや字幕などで状況を説明することをしないから、判りにくい場面なども多々見受けられるのだが、観客としては片時も目を離せない感じで、その場面の背後にある様々なことを想像しないではいられなかった。監督は韓国籍のユン・ジェホという人で、今年37歳という若手だが、フランスで学びドキュメンタリーの方面で注目されている新人らしい。この映画は2016年製作の韓国・フランス合作映画となっている。

 このあと映画は、10カ月の間を置いて、韓国・ソウルの街で北朝鮮の家族と生活する彼女の様子を映し出す。少ないカットしかないからよく判らないが、家の中での彼らの様子を見ると、北朝鮮の夫や大きくなった息子たちと彼女はあまり心が通い合っているようには見えない。彼女はこちらで、店舗などに設置された浄水器を清掃して回る仕事に就いたようで、その仕事の様子なども映されるのだが、脱北ブローカーとしてエネルギッシュに動き回っていたかつての彼女の面影はすっかり消えてしまったようで、妙に生気のない彼女の姿に驚かされるのである。家族はこちらで、北のスパイではないかという嫌疑をかけられたりしたらしく、韓国という国は脱北者にとって決して住みやすい場所ではないらしいことが見て取れる。
 映画の筋のようなものをたどり始めて後悔したのだが、マダムBという女性のたどった人生はあまりにもいろいろなことが詰め込まれていて、とても整理して並べることなどできないものだと痛感した。監督のユン・ジェホは、彼女を始めその周辺の人々に対しても、よくこんなに心を開いてくれるまで寄り添ったものだと驚きを感じるのだが、それでもこの現実の前では何も言えずに立ち尽くすしかなかったということが見えてしまうのである。編集の中で、恐らくとてつもない量の映像が除外されていったのだろうと感じられた。

 ナレーションや字幕を入れれば生かせたかもしれない映像を、たぶんこの監督は潔く捨てたのだと思う。それは、この女性の生き方は言葉で簡単に説明できるものではないからである。72分はマダムBという女性の、ほんの断片に過ぎないのだと思う。だが、それはとんでもなく重い断片だった。
 映画の終わりは、カラオケ店で一人マイクを持って歌うマダムBの姿である。歌詞は覚えていないが、とにかく女の幸せについて歌ったものだったと思う。彼女は中国を出る時に、韓国でパスポートを取得したら中国に帰って、中国の夫と正式に結婚するつもりだったとどこかで語っていた。だが、そうはならないまま画面はぷつんと途切れてしまう。
 彼女のその後はプログラムに載った監督のインタビューで明らかにされているが、現在はソウルの郊外でバーを経営し、それぞれの家族に仕送りを続けながらも、どちらの家族とも一緒になる道は選ばなかったのだという。彼女なりの筋を通しているということなのかもしれないが、こんな波乱に満ちた人生を見せられては、簡単にそれを論評することなどできるものではないと思った。
(渋谷イメージフォーラム、6月22日)
# by krmtdir90 | 2017-06-23 21:24 | 本と映画 | Comments(0)

コピスみよし2017第16回高校演劇フェスティバル(2017.6.18)

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 今年もたくさんのお客さまにおいでいただき、大成功のうちに幕を閉じることができた。わたしは前日(17日)のリハーサルから、本番当日の6校の舞台まですべてを観させていただいたので、とりあえず簡単な感想を書いておくことにする。いつものことだが、感じたことを遠慮しないで率直に書かせてもらうので了解していただきたい。

坂戸高校「修学旅行」
 坂戸高校はこのところずっと連続してコピスに出演しているが、この間にはっきりした部のカラーが出来上がった感じがあって、今回も見事な仕上がりを見せてくれたと思う。前にも書いたかもしれないが、わたしはこの手のハイテンションな舞台作りは実は苦手なのだが、坂戸に限っては「こういうのもありだよなァ」と不思議と納得させられてしまうのである。坂戸は「ここまでやるか」という、やり過ぎになるギリギリ一歩手前のあたりまでキャラクターを立たせて演じるのだが、それが個々のバラバラ感につながってしまうのではなく、互いに響き合って全員で活気溢れる舞台を成立させてしまうのである。これは簡単にできることではない。
 今回、朝一番という難しい上演だったにもかかわらず、朝から満席になった客席をぐいと掴んだまま、ゆるむことなく最後まで引きずり回して?くれたのは素晴らしかった。こんなふうに反応があると客席にいても楽しいし、やっている側も楽しかったのではないかと思う。コピスのフェスティバルが標榜する「お客さまに楽しんでいただく舞台」を、一本目から実現してくれていたと思う。主役の5人はもちろん、それ以外の脇役もしっかり造形できていて、スタッフも含めて全員の力が結集した好舞台になったのではないだろうか。坂戸の舞台によって、畑澤聖悟のこの台本はやはり素晴らしい台本だと再認識させられた。

朝霞高校「酔・待・草」
 竹内銃一郎の傑作台本だが、自分たちとしてこれをどう上演するのかという読み込みが不足していたように感じた。マリヴォーと違って著作権フリーの作品ではないのだから、時間の関係でカットするのは仕方がないとしても、勝手に現代に移したりセリフを変えたりすることは避けなければならない。少しはまずいと思ったのか、プログラムに顧問(たぶん)が言い訳のような「解題」を書いていたが、こんなものを書くくらいなら判りにくいセリフに註をつければいいだけの話しで、そのくせ台本の展開に重要な意味を持つ「全国こども電話相談室」については一言も触れていないのは片手落ちではないだろうか。ケータイやスマホの普及した時代にこの番組が成立するとは思えないし、実際2008年にこの番組は終了しているのである。電話がどこか別の世界とつながっているというワクワクする感覚は、ケータイのような日常化したかたちでは表現できないものだと思う。サンダンスがかける課長への電話口で、仲間がいろんな物真似をして彼をおちょくるというようなことも、ケータイの時代にはもうリアリティが生まれないような気がした。もう一点指摘しておけば、原作で「静かな湖畔」が歌われるのは、「もう起きちゃいかがと郭公が鳴く」という歌詞が、女が眠るように倒れている場の状況と響き合っているとは考えなかったのだろうか。いずれにせよ、台本に対するリスペクトを忘れた改変からは何も生まれないことに気付かなければならないと思う。
 台本の話しばかりになってしまったが、キャストの作り方も方向性が定まっておらず、妙な戯画化を施した部分がまったく客席に届いていなかったことも反省しなければならないと思う。

筑波大坂戸高校と助っ人たち「階段パフォーマンス」
 昼休みのお楽しみとしてすっかり定着した「階段」を、今年も次につないでくれたみんなに感謝である。今年は観客もいままでで一番多かったのではなかろうか。前日のリハではノリが悪くて少し心配したが、本番ではみんな表情豊かに楽しく踊ってくれたのでホッとした。セリフの部分で、もう少し観客の反応を見てから喋れたらもっと良かったのに(もったいないことをした)と思った。来年は舞台の方に出演校として戻って来られたらいいね。

新座柳瀬高校「Love & Chance!」
 「全国」に向けた新キャストの最初の舞台ということで、期待もあったが心配もあった。でも、いまの時点でこれだけ出来ていれば、おおむね上出来の部類に入るのではなかろうか。顧問のMさんとはいろいろ話したが、とにかくまだ一ヶ月以上あるのだから、これから変われる余地はいっぱいあると考えるべきだろう。
 入れ替わったキャストは、現段階ではとてもがんばっていると感じた。特に1年生で抜擢されたリゼットとルイーズは、表情も豊かだし伸び伸びやれている感じで良かったのではなかろうか。リゼットはセリフや動きも多く、物語を転がす重要な役回りだから大変だと思うけれど、自然に出てくる感情の流れを大切にして、これからも思い切ってやってほしいと思った。シルヴィアには2年生が入ったが、2年生ということで少し責任の重さを感じ過ぎているのかもしれない。「感情を大切にして、思い切って」というところで、やや自分を押さえて「形」に逃げてしまっているところが感じられた。この役の華やかさは「形」だけでは生まれない。気持ちの部分をもっと素直に出せるようになればずっと良くなると思うので、何とかきっかけが掴めるようにがんばってほしいと思った。
 一方で、役が替わらなかったキャストもマンネリに陥らず、新鮮な気持ちでやれているようなので安心した。7月20日の壮行公演、期待しています。 

朝霞西高校「ある日、ぼくらは夢の中で出会う」
 正直、ちょっと眠くなってしまった。原因は幾つかあるが、わたしの側のことを別にすれば、キャストのテンポが単調で変化に乏しかったことが大きかったと思う。この台本の要求しているテンポは違っていると思うが、春に観た時「これもありかもしれない」と思ったのだから、この点についてはその前提で今回も観ていた。だが、唯一女子が演じたカトウを始め、全体としてセリフに勢いがつけられなかったことが大きかったのではないかと感じた。勢いというか力というか、とにかくやり取りが総じて元気がない印象があって、セリフが客席まで届いてこないような気がした。カトウが遠慮していてはこの芝居は転がって行かないし、もっとみんなが前に出ようとする姿勢を見せないと、客席を引っ張っていくことはできないだろうと感じた。みんないいものを持っているのに、それが出し切れていないのは残念な気がした。
 あと、照明が暗かったのも残念だった。リハの時から感じていたのだが、長方形に切ったエリア明かりが、アイディアはいいのだが如何せん暗くて立体感に乏しく、キャストを見せるという意味では成功していなかったように感じられた。

星野高校「リトルセブンの冒険」
 この手のファンタジーは星野好みの台本なのかもしれないが、料理の仕方をよほどしっかり考えてから取り組まないと、ただセリフとスジをなぞっただけで終わりになってしまうと思った。ストーリーの展開が早いのだから、逆に一つ一つのシーンがもっと強い印象を残すように作られていなければならなかったのではないか。たくさんいる登場人物のうち、ミラード公爵やクリスタニア女王などはそれなりに強烈なキャラクターを作っていたが、レッドローズや、何よりもリトルセブンの面々がまったく作り切れておらず、その他の面々も含めて、シーンを成立させるセリフのやり取りがちっとも面白くならないのである。たぶんアクが強すぎると感じるくらいでないと、この舞台は面白くならないような気がした。そういうものが星野に本当に合っていたのかどうか。
 どのシーンを例にしてもいいのだが、たとえば最初にレッドが逃げて来て、追っ手の2人に捕まってしまい、サンが2人に酒を勧めるところ。一つ一つのセリフや仕草にどんな意図や思惑があるのかが意識できていないし、すべてがそういうもののぶつかり合いとしてやり取りされなければ、それぞれのキャラクターは出てこないし、そうしたことをもっと強烈に発散しないと、結局何も表現されないまま通り過ぎてしまうことになってしまう。シーンを構成する全員が一丸となってそのシーンを演じてくれないと、ストーリーは痩せ細るばかりなのである。エピソードの積み重ねがあまり客席のワクワク感につながっていなかったように感じられたことを、ぜひ考えてみてほしいと思った。

東京農大第三高校「翔べ!原子力ロボむつ」
 この舞台を観るのは4回目になるが、緊張感のある非常にいい舞台に仕上がっていたと思う。おかしな言い方になるが、部員全員がこの台本を演じることに使命感と自信を持っていることが感じられた。この一体感は素晴らしいものである。以前からずっとがんばっていたが、昨年の「もしイタ」から農大三高は明らかに変わったのだと思う。それは上演以外の場面でも、廊下やロビーで見かける彼らの姿からも感じられるような気がした。
 「もしイタ」の時もそうだったが、回を重ねるたびにドラマの部分が充実してきているのは大したものだと思った。今回もサツキ・ミナヅキの2人が力尽きるところを、これまで見事に重なっていた2人のセリフを微妙にずらして表現したところなど、細かいところへの配慮や作り込みが感じられて感心した。カズキも今回が一番いい出来だったのではなかろうか。
 物語の前提となる放射性廃棄物に関する情報を観客に届けるところも、きちんと意識して丁寧にセリフを言っていることが感じられて良かった。台本に書かれた重いテーマは、この舞台を通じてしっかり観客に伝えられたのではないだろうか。「それにしても、いったいどうするんだ十万年も」と、みんなが考えないではいられない舞台になっていたと思う。
# by krmtdir90 | 2017-06-21 21:09 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(4)

映画「冬冬(トントン)の夏休み」

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 ユジク阿佐ヶ谷でやっていた台湾映画特集の最終日、いろいろ用事などがあってきつかったのだが、せっかく台湾映画に興味を持ったのだし、ここで観ておかないと次のチャンスがあるかどうか判らないので、ちょっと無理して出かけて行った。
 製作されたのは1984年、日本初公開は1990年だったようだが、2016年にデジタルリマスター版が「恋恋風塵」とともにリバイバル公開されたらしい。デジタル技術によって復元された、製作時のみずみずしい色彩に触れられるのは素晴らしいことだ。
 ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督のこの2作を観ると、傑作と言われる「非情城市」が観られないのが残念でならないが、それは現時点では仕方がないことである(いまはDVDで観ることを考えればいいのかもしれないが、映画はスクリーンで観たいというこだわりは捨てたくないし、DVDに興味の範囲を広げることには躊躇もある)。したがって、あくまでわたしが知っているホウ・シャオシェンの範囲内で感想を述べたいと思う。

 映画は小学校の卒業式シーンから始まる。はきはきと答辞を読む女の子のアップはあるが、主人公の冬冬(トントン)がアップになることはない。距離を取って映し出された子どもたちの中にたぶんいたはずだが、そこを強調していないのだから、このシーンは主人公を紹介する意味合いは持っていない。それよりも、6月に卒業式が行われて学年が区切られる台湾において、これは夏休みの始まりを意味していることが大きかったのだろう。
 夏休みは毎年やって来るが、小学校を卒業した子どもにとっては、初めて経験する「宙ぶらりんの」特別な夏休みである。9月から中学生になることは決まっているが、それは実感としてはまだまったく感じられるものではないだろう。だが、小学校を終えたということは、疑いもない単純明快な子どもの範疇からははみ出してしまったことを意味していて、これまであまり意識したことがなかった様々な事柄が、不意に彼の「子ども」的なものを揺さぶるのである。
 冬冬(トントン)自身がそういうことを認識していたとは思えないが、ホウ・シャオシェンはそれを明確に意識し、周囲にいる大人の存在を初めて(よく判らないままに)感じ取り始めた少年の姿を、この映画の中にリアルに描き出そうとしている。

 描き出すというのは若干語弊があるかもしれない。彼は意図的な強調や説明的な整理はしていないし、そこには一定の距離を置いて眺めた事実だけが置かれていくのである。ノスタルジーというのがこの映画を端的に示すキーワードのように思えるが、ホウ・シャオシェンがそういう方向に傾いていたかというと、決してそんなことはないように思われる。
 彼は情緒に流れる表現を注意深く避けているし、子ども時代を懐かしさで染め上げようとしているわけでもない。冬冬(トントン)の意識がそんなことを受け止めていたわけではないかもしれないが、彼の中で「子ども」の終わりが始まっている、あるいは「大人」の始まりが忍び込もうとしている、そういう事実をホウ・シャオシェンが見詰めようとしているのは確かなことだと思う。したがって、ここには何かを感じ始めている冬冬(トントン)が確かにいるが、それがどういうものなのかは彼の中で定かになってはいないのである。
 この映画に何とも言えない懐かしい雰囲気が漂っているのは、それはあくまで結果であって、ホウ・シャオシェンはそういうものを売りに出そうとはしていないと思う。

 卒業式で「仰げば尊し」が歌われたことに驚いた。ラストシーンで「赤とんぼ」のメロディーが流れたのにも驚いた。半世紀に及ぶ日本統治の痕跡がこんなふうに残っているのかと、認識を新たにした。冬冬(トントン)たちが夏休みを過ごす祖父の家は、(「牯嶺街」を観ていたから驚きはしなかったが)統治時代に日本の軍属が住んでいたと思われる家屋だし、台北駅で偶然出会った同級生との会話で、夏休みに東京ディズニーランドに行く友だちもいるらしいことが出てきていた。TDLの開園は1983年だから、映画製作時(84年)にはきわめてホットな話題だったはずである。
 経緯はどうであれ、日本の過去と現在に対する人々の意識が、韓国などとはまったく異なることに驚きを感じるのである。「湾生回家」を観た時にも感じたことだが、台湾の人々にわだかまりはないのだろうかと不思議な気がする。少なくともこの映画の中で、ホウ・シャオシェンはそうしたことをまったく意識していないように見える。それは嬉しいことだし、映画の世界にスッと入り込めて親近感を覚えてしまうのは、そういうことも関係しているだろうと思う。
 「恋恋風塵」同様、この映画でも鉄道がたくさん出てきて楽しかった。ホウ・シャオシェンはマニアとは違うかもしれないが、たぶん鉄道が好きなのだなと確信した。台湾の鉄道は多くが日本の統治時代に建設されたもので、線路は日本と同じ狭軌だし、駅の佇まいなどにもどことなく惹かれるものがあるように思う。

 小学校を卒業した冬冬(トントン)はまだ幼い妹の婷婷(ティンティン)と2人、夏休みを田舎の祖父の家で過ごすことになる。母親が病気で入院し、父親が看病で付き添わなければならなくなったためである。初めて両親と離れ、祖父母の許に預けられて過ごすひと夏の出来事を、映画はこの2人(特に冬冬トントン)に即しながら淡々と写し取っていく。夏のきらきらした田園風景が美しい。そこには「よそ者」も簡単に受け入れてしまう素朴な子どもたちの世界があり、対照的に何やら複雑な大人たちの事情も少しずつ見え隠れしている。
 ここに組み込まれているエピソードはどれも非常に印象的なもので、どうということもないと言ってしまえばどうということもないものなのだが、その一つ一つが「ああ、こういうことがあったよな」と感じさせるようなリアリティと普遍性を持っているのが素晴らしいと思った。そして、どれも過剰な描き方をしていないことがこの映画の美点であって、それが結果的にとても豊かなものをそこに表現していると感じた。
 こういう、控え目でありながら多くのことを語っているという映画表現のあり方は、(エドワード・ヤンにも共通した)台湾ニューウェーブの大きな特徴だったのかもしれない。「草原の河」のソンタルジャ監督なども、あのヤンチェン・ラモの描き方でこの映画の影響を受けていたような気がするのである(事実は判らないが)。

 観る者それぞれの子ども時代の記憶と、不思議に響き合うような要素がこの映画の中にはいっぱい散りばめられている。個々の事実やシチュエーションは異なっていても(異なっているのが当然だ)、その時の感覚や気分といったものが鮮やかに呼び覚まされてしまうように映し出されていく。そういう微妙なものが表現されていることに、驚きとともにこの監督の特筆すべき才能を感じるのである。一つだけ書いておけば、寒子(ハンズ)と呼ばれる知恵遅れ(と思われる)の娘など、ああ、子どものころには近所にこういう感じの人がいたなと、誰もが思い当たる節があるのではなかろうか。
 また、子どもを描きながら、子どもの目に映る大人を正確に点描することは簡単なことではない。祖父母や叔父に関するエピソードなどは、そこに大人の様々なストーリーが存在することを、この映画ではごく自然に感じさせてくれるのである。婷婷(ティンティン)はまだ判らないかもしれないが、冬冬(トントン)はこのひと夏で目にした様々なことによって、確実に成長の階段を上がっているのである。それが、少しも特別な描き方をされることがないところがいい。

 母親が手術後に重体に陥ったという知らせが届いた時も、心配と不安でどうしようもない兄妹の姿を決して大仰に捉えようとはしていなかった。2人の中にはこの夏の間中、母親の病気のことが重くのしかかっていたはずだが、それを敢えて感じさせるようなことはしていないのである。翌朝、一命を取り留めたという連絡が来たことも、描き方としては実にさらっと通り過ぎてしまう。このあたりのさりげなさは、逆にいろいろなことを観る者に想像させる結果になっていると思った。
 夏休みの終わりに父親が車で2人を迎えにきて、ここで描かれる別れのシーンも淡々としていて好感が持てた。車が走り去るところに「赤とんぼ」のメロディーがかぶさるのだが、日本の楽曲がこんなふうに自然に使われてしまうことが不思議な気がした。観る者にノスタルジーを感じさせる大きな理由になっていると思った。
 「台北ストーリー」にホウ・シャオシェンが出ていたが、この映画で冬冬(トントン)の父親役をやったのがエドワード・ヤンだったようだ。台湾ニューウェーブの一体感を示す出来事だと思う。
(ユジク阿佐ヶ谷、6月16日)
# by krmtdir90 | 2017-06-20 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅③予讃線、松山路面電車(2017.6.12~13)

 6月12日(月)続き
 予讃線・松山駅に着いたのは12:53である。
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 このあと、高松駅21:26発のサンライズ瀬戸に間に合うように普通列車で行くとすると、松山駅15:02発の観音寺行きに乗車しなければならない。したがって、松山での自由時間は2時間ちょっとということになる。この時間の間に何ができるか。
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 まず、とりあえずは昼食を取らなければならない。何か目当てがあるわけではないから、時間節約のために駅の建物の一部であるこのお店に入って、
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 スパゲッティーナポリタンとコーヒーのセットを食べた。食後に外に出てから撮ったこの写真の撮影時刻が13:34。もう残り1時間半を切っている。
 松山駅外観。
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 この反対側に伊予鉄道の路面電車の乗り場があった。
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 結局、そんなに時間があるわけではないから、残りの時間でこの路面電車に乗ろうと考えた。

 実は、わたしは1994(平成6)年にこの松山に来たことがある。一度だけ出ることができた演劇の全国大会がここで開催されたのである。本大会は8月だったが、4月の抽選会の時に松山城や道後温泉など、めぼしいところはすでに行ったことがあって、記憶はすっかり薄れているが、今回特に行きたいところも思いつかなかったのである。

 乗り場へは横断歩道で行くことはできず、地下道を通って行くようになっていた。乗り場の方から見た松山駅全景。
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 右手に見えるホームが降車専用になっていて、
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 ほどなく、この車輌がこちらのホームに入って来た。
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 13:39発、道後温泉行きである。環状線など幾つかの路線があるようだが、最初にこれが来たのだからこれでいい。
 帰ってから調べてみると、この車輌はモハ2100形(2106)というこの路面電車では一番新しい車輌だった。2つのドアに挟まれた中央部分が低床式の座席になっていて、両運転台とその後部が床高になっている。この高床部の右側に2人分の座席がついていて、ここが前方の展望を楽しむには最適の「かぶりつき」席となっている。当然そこを確保。
 これがその「かぶりつき」からの眺め。
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 すぐ左側に運転手さんがいるが、こちらからは見えないようになっている。もう少しズームをかければ、手前の障害物は写り込まない。
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 正面の茂みは松山城のある城山公園のもので、公園内にあるNHK松山放送局のテレビ塔が見えている。確かこの並びに全国大会の会場になった松山市民会館があるはずである。
 しばらく行くと、城山の上に建つ松山城の姿も見ることができる。
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 降車口の上部に掲示された路線図。
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 左下のJR松山駅前と右上の道後温泉を往復したのである。なお、掲示にある通り、乗車料金は全線一律160円だった。

 さて、「かぶりつき」に座ったのはもちろん景色を眺めるためではない。行き違う路面電車を撮影するためである。現在、運行されている車輌には3つの形があるようだが、以下、形別にまとめて掲載することにする(復路で撮影したものもある)。
 まず、いまわたしが乗っているモハ2100形。2002~07年に導入された低床式の車輌で、現在10輌が保有されている。
 2101。
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 2107(復路撮影)。
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 2110(復路撮影)。
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 次はモハ2000形。この形は5輌が在籍し、1978年の京都市電の廃止に伴い京都市交通局から譲渡されたもの。1979年から運用を開始している。
 2002。
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 2004(復路撮影)。
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 3つ目がモハ50形。現在23輌が保有されているが、大きく前期形と後期形に分けられるようだ。まず前期形。1951~57年に製造されたもの。
 54。
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 59。
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 後期形。1960~65年に製造されたもの。
 77。
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 76(復路撮影)。
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 70(復路撮影)。
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 終点・道後温泉駅に入って行く。
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 前の電車がまだホームにいるので、少し待った。ここは左が降車ホーム、右が乗車ホームになっているようだ。
 帰ってから伊予鉄のホームページで時刻表を調べてみると、この電車の道後温泉着は14:04となっていて、ほぼ定時の運行が行われたようだ。JR松山駅前と道後温泉間は25分かかることになり、ここではちょっと周囲の写真を撮るだけで、ゆっくりしている時間はない。
 まず前方の構内踏切を渡りながら、
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 先の方には次の発車の2104が待機している。
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 これがわたしの乗って来た2106。来年は愛媛で国体が行われるようだ。
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 外に出る。
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 ここには風格のある駅舎が建っているらしいのだが、何か工事が行われているらしく、残念ながら全体が工事用シートで覆われてしまっていた。
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 駅前の様子。
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 車輌待機場所。
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 シートに覆われた建物内部のホームへの入口。
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 14:10発、JR松山駅前行き。
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 来た時と同じ車輌だった。また「かぶりつき」を確保した。同じ運転手さんだったら嫌だなと思っていたが、違っていたのでホッとした。
 帰りはちょっと大胆な気分になっていて、そ知らぬふりをしながら車内の様子を一枚。
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 わたしの座っている席と点対称の位置にある高床の座席には、サラリーマンらしい若い男性が座っている。

 さて、復路では有名な坊ちゃん列車とすれ違った。
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 軽便鉄道時代に伊予鉄で使用された蒸気機関車をディーゼル機関車に改造したもので、うしろに2輌の客車を牽いている。
 それと、松山駅前に近い大手町駅前電停を出たところで、踏切の通過待ち停車があった。
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 伊予鉄道では市内線と呼ばれる路面電車のほかに、郊外電車と呼ばれる普通の電車路線を運行している。この高浜線というのがここで路面電車の軌道とクロスしているのである。上りと下り、2本の電車の通過を待った。
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 JR松山駅前に戻って来た。
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 右折して、降車ホームに入って行く。
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 時刻表では14:34着。数分遅れたようだった。
 これで松山での自由時間は終了した。復路の運転手は若い人で、運行中の諸確認をきちんと(小さな)声を出してやっていたので、路面電車の運行時に運転手がどういう確認をしているのか判って面白かった。路面電車専用の信号機の所在なども、その都度確認できて良かった。路面電車を満喫できたと思う。 

 松山駅前にあった正岡子規の句碑。
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 「春や昔、十五万石の城下哉」。病を得てからの1895(明治28)年の作らしい。

 松山駅は2面3線の駅である(構内には車輌基地が置かれているので、側線がたくさん走っている)。跨線橋を渡った島式ホームの2番線に、15:02発の普通列車・観音寺行きが入線している。
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 JR四国の7000形という電車である。伊予市駅からこちら、高松までは電化区間である。
 内部はロングシートとボックスシートが点対称に配置されたセミクロスシート。
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 2輌編成なのでまだ車内はガラガラである。それでも2輌ということは、恐らくこのあと下校する高校生の利用が想定されているのだろう。終着の観音寺まで、約3時間半の道のりである。

 発車して間もなく、3つ目の堀江駅で思いがけず廃貨車利用の駅舎にぶつかったが、停車位置が悪くうまく撮れなかった。
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 けっこう海に近いところに出たりする。
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 大浦駅で追い抜かれ停車があった。
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 走り去ったのは松山発・特急しおかぜ24号・岡山行き。2014(平成16)年に登場した、8600系というJR四国最新の特急型電車である。
 大浦駅、15:45発車。

 このあとしばらくは写真がない。今治駅で10分の停車時間があり、その間に大量の高校生が乗り込んできたのである。予讃線もこのあたりに来ると、四国でも最も開けた地域を縫っていくことになり、多くの高校生が鉄道を利用して通学しているようだ。16:28に今治駅を出たあと、16:40の伊予桜井、16:51の壬生川(にゅうがわ)と、新たな高校生が乗車してきて、もちろん下車していく生徒もいるが、車内はおおむね高校生に占領された状態が続いた。わたしのボックスにも礼儀知らずの男子高校生が入って来て、しばらく我慢の時間が続くことになった。
 17:07着の伊予西条駅で多くの高校生が降りて行ったが、
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 まだ乗車する者もおり、さらにここで後ろ1輌が切り離されてしまったので、車内の混雑はあまり緩和はされなかった。17:10、伊予西条駅発車。
 17:23、新居浜駅でも下車と乗車があったが、このあと次第に高校生の姿は減って行った。17:49、県境に近い伊予三島駅に着くころには、車内はすっかり空いて元の静けさを取り戻した。ここで行き違いや追い抜かれのために、19分の停車時間があるという。気分転換にゆっくり外に出て来た。
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 跨線橋の下のホーム上に喫煙スペースがあったので、煙草を一本吸った。18:08、伊予三島駅発車。
 次の川之江駅(18:13)で愛媛県(伊予)の駅は最後になった。高校生は基本的に県境を越えることはないのである。高校生は地方のローカル線にとって大切なお客さまだから、その姿が見えるというのは嬉しいことには違いないが、あまりたくさんいるとどうしても態度が大きくなって、一般客には迷惑なところもあるなと思った。

 香川県(讃岐)に入って最初の駅、箕浦駅で交換待ち停車があった。ここがまた廃貨車利用の駅舎で、こんどはしっかり撮影することができた。
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 道路を一本隔てて、すぐ向こうは海(瀬戸内海)である。ただ、停車時間は短かったから外に出たりはしなかった。行き違ったのは普通列車・伊予西条行き。
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 18:20、箕浦駅発車。
 18:30、観音寺駅到着。乗り継ぎ時間が12分あるので、外に出て来た。
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 18:42発、高松行き普通列車。
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 2輌編成だが、後ろ1輌は回送扱いで閉鎖されている。いよいよ先が見えてきた。

 19:00を回ったあたり、詫間駅と海岸寺駅の間で列車は海にぐっと近づいた。瀬戸内海の夕暮れである。
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 このあとあたりは急速に暗くなっていった。19:22発の多度津駅で、閉鎖されていた後ろ1輌が開放された。予讃線はここまでがずっと単線、ここから先ようやく複線になるのである。
 19:51、少し遅れたが列車は高松駅に到着した。
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 これで予讃線と内子線を(伊予灘線の部分を残して)普通列車で乗り通したことになる。あと四国で乗っていないのは、その伊予灘線と予土線だけになった。

 さて、夜の高松駅。
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 一旦、外に出て来た。
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 駅ビルの2階の「手打ちうどん杵屋」という店で夕食にした。店員の女の子が今晩のお薦めだというので、冷やしちくわ天とろ玉うどん730円というのを食べた。
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 最後に讃岐うどんが食べられて満足した。駅前広場の喫煙スペースで一服してから、駅ビル1階の土産物売場で買い物、さらにセブンイレブンで明日朝のサンドウィッチや水などを購入してから、改札を入った。駅員さんに聞いたら、サンライズは30分前に入線するという。
 で、確かに30分前にやって来たサンライズ瀬戸。
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 写真を撮ろうとしたら、あっという間にヘッドライトが消えてしまった。不満だが仕方がない。
 帰りは14号車24番なので、またしても先頭車輌である。ホームの一番先まで歩いて行かなければならない。しかし、30分前なので時間はたっぷりある。
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 一旦車内に入り、荷物を置いてホームに出る。ホーム先端部には喫煙スペースがあるので、ここで最後の一服(喫煙車輌は染み付いた臭いが嫌なので、今回は往きも帰りも禁煙車両を取っている)。
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 一番外側の9番線ホームに停車中のサンライズ瀬戸。
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 ヘッドライトが点くのはたぶん発車間際だろうから、待っているのも馬鹿らしいので、これはフラッシュを焚いて撮影。
 14号車。2階のスクリーンの開いている窓がわたしの部屋である。
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 部屋に入って、寝酒のウイスキーを飲み始めたあたりでサンライズは高松駅を発車した。夜の瀬戸大橋を渡り、岡山駅で「出雲」との連結が行われ、結局大阪あたりまで何となく眠れなかった。

 6月13日(火)
 富士山は今回も見えなかった。富士・沼津間で撮影したこの日のサンライズ。
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 東京駅、7:08着。
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# by krmtdir90 | 2017-06-19 22:57 | 鉄道の旅 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅②予讃線・内子線、内子座(2017.6.12)

 6月12日(月)
 前の晩はけっこう早く寝たのだが、やはり寝台夜行の疲れがあったのか、朝は6時ぐらいまで寝てしまった。でも、爽快に起きて朝風呂にもちゃんとはいることができた。
 ホテルの窓から、朝の宇和島城天守閣(アップ)。
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 天気予報は四国全域で晴れマークが中心になっていて、暑くなりそうだがとりあえずはホッとする。きょうは宇和島から高松まで、普通列車を乗り継いで予讃線と内子線をたどって行くつもりである。帰りのサンライズは21:26発なので、時間はたっぷりある。

 宇和島駅改札口。
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 宇和島は終着駅なので、頭端式の櫛形ホームである。2面3線の単式ホーム1番線に停車しているのは、8:40発の特急・宇和海8号・松山行き。向かいの島式ホーム2番線に停車しているのが、わたしの乗る8:45発の普通列車・松山行きである。
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 この車輌はキハ54形だが、北海道で見かけるキハ54形とは外装・内装ともに大きく異なっている。こちらはドアがバス部品転用の折り戸になっているほか、窓サッシなども簡単な構造になっていて、内部はロングシートでトイレが付いていない(トイレがないことは放送で繰り返し強調されていた)。
 3番線ホームに当駅終着の単行が入って来た。
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 この車輌はキハ32形だった。54形と比較すると車体がかなり短い。九州で見たキハ31形と並んで、究極のローカル線向け気動車という感じである。なお、この32形はJR四国にだけ残っている車輌のようだ。
 ホームの先端の方に喫煙スペースがあったので、まだ発車まで間があるので一本吸った。
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 さて、キハ54の車内はこんな感じ。
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 わたしはこの最前部右手の、進行方向が一番よく見える座席を確保した。

 1番線の宇和海8号が先に発車し、8:45、わたしの乗ったキハ54も発車した。
 車内はすいていたのだが、一つ目の停車駅・北宇和島で一人の老婦人が乗車してきて、わたしのすぐ横の席に座った。ワンマン運転だから、普通は後ろから乗車して前から下車するのだが、この人はホームのかなり前寄りで待っていたので、運転手が前扉から乗車させてあげたのである。すいているのだからもう少し離れて座ればいいのにと思っていたら、悪い予感通りこの方がわたしに話し掛けてきたのである。
 わたしは話し掛けやすい雰囲気があるのだろうか。最初は無愛想に答えていたのだが、途中から諦めてお相手することにした。要するに、普段鉄道を利用したことがまったくなく、この日は初めての病院を訪ねて下宇和駅まで行かなければならないのだが、不安でたまらないということらしい。料金表示の駅名を見ると、下宇和は4つ目の駅のようだから、そのくらいならお話ししてもいいかなと思ったのである。
 まあ、けっこう楽しくお話しさせていただいたと思う。と言っても、話していたのはほとんどこの方の方で、わたしはもっぱら聞き役だった。ご家庭の様子などが主だったが、話しはあちこち飛躍した。こちら出身の方だが、30過ぎまで大阪で生活したそうで、そう言えばどことなく「大阪のおばちゃん」という雰囲気があるなと思った。

 「おばちゃん」が下車して行った下宇和駅というのは、畑などが見えるけっこう田舎の無人駅で、チラッと見せてくれた書き付けには確かにこの駅名が書かれていたが、ホントにここで大丈夫なのかと心配になった。ここは2面2線の交換可能駅になっていて、車内放送で2本の行き違いがあるというので外に出てみた。老婦人は踏切を渡った反対側のホームにいた女性に話し掛けていたから、病院への行き方は教えて貰ったのだろう。まあ、いろんなことがあるものだ。
 この左寄りに写っている赤い服に帽子を被った女性である。
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 行き違いになった特急・宇和海5号・宇和島行き、アンパンマン列車。
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 同じく行き違いになった普通列車・宇和島行き(なぜか3輌編成)。
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 下宇和駅、9:19発車。

 八幡浜駅でまた交換待ち停車があった。時間があったので外に出て来た。
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 行き違ったのは特急・宇和海7号・宇和島行き。
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 八幡浜駅、9:54発車。

 宇和島を出てから、このあたりはずっと非電化単線なのだが、比較的海に近いルートをたどっているのにトンネルが多い。讃岐平野などを除けば、四国は基本的に山の多い地形で、海沿いに山が迫り出したようなところも多いようだった。

 伊予大洲駅に入って行く。
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 ここでまた交換待ち停車。交換したのは普通列車・八幡浜行きだが、すでに入線していたので停車時間は長くなかった。
 ホームの駅名表示。
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 右の行き先の方が2つに分かれているが、ここで予讃線と内子線が分岐しているのである。ホームに路線図が掲示してあった。
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 左側の空色のルートが元々の予讃線で、この伊予大洲から右側上方の内子までが行き止まりの内子線だったのである。1986(昭和61)年に向井原・内子間をつないで、松山方面から直接内子に行けるルートを作り、黄色表示の短絡線が完成してからは、特急などは基本的にこちらを通って時間短縮を実現したということらしい。普通列車はこの両ルートをほぼ交互に運行しているらしいが、いま乗っている列車はこの内子経由の線路を行くのである。
 伊予大洲駅、10:18発車。
 間もなく線路は2つのルートに分岐して行く。
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 左が伊予長浜経由・愛ある伊予灘線で、右がこの列車が行く内子経由の短絡線である。

 内子駅に入って行く。2面3線の高架駅である。
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 10:34着。途中下車する。
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 時刻表によれば、この列車はここで25分停車することになっている。そのため、下車した時にはたいてい写すことにしている発車して行く列車の姿はない。
 エレベーターはあるがエスカレーターは設置されていない。長い階段を下りて、改札口を出る。
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 左手に路線図と発車時刻表があった。
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 見ての通り、わたしが乗って来た普通列車は10:59発なのである。そして、時刻表を埋めるのはほとんどが赤色の特急列車で、次の松山行き普通列車は12:05発である。したがって、ここで約1時間半の自由時間が取れることになる。
 出口のところに「まち歩きマップ」が置いてあったので、かねてから興味のあった重要文化財・内子座に行って来ることにした。
 その前に、内子駅・駅舎外観。
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 左手に旅里庵という観光案内所があったが、行きには寄らなかった。
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 駅前に、
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 C12形蒸気機関車が静態保存されていた。
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 内子線に最後まで走っていた蒸気機関車のようだ。

 さて、駅前の信号のところで「マップ」を見ていたら、散歩中と覚しき男性が「どちらへ?」と声を掛けてくれた。「内子座」と言うと、「マップ」には載っていない最短ルートの行き方を丁寧に教えてくれた。言われた通りの細道をたどると、6、7分で「内子座楽屋」という表示のある建物の角に出た(右手から来た)。
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 角を折れて、写真の左に入って行くと、
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 内子座の正面に出た。
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 ところが、この前庭部分が非常に狭く、すぐ前に民家が建っているため、どこから狙っても建物全体を収めることが出来ないのだ。
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 いろいろやってみたが諦めた。
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 こちらが受付と入口である。
 入場料は大人400円。
 わたしが着いた時、20人ぐらいの団体が出て行ったところで、残っていた2人連れも間もなく出て行ったので、わたしがいる間はずっと貸し切り状態で見て回ることができたのはラッキーだった。
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 内子座は1916(大正5)年に作られた芝居小屋で、老朽化による取り壊しの危機を町民の熱意で乗り越え、1985(昭和60)年に修理復元が完成、1995(平成7)年の改修整備を経て現在に至っているのだという。いまは年間60日ほど、文楽などの公演で活用されているらしい。
 一応の見学順路があって、花道から舞台に向かって入って行く。
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 花道脇に、検閲のあった時代に警察官が座った検察台というのが残っていた。
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 花道途中に切られた「すっぽん」と呼ばれるせり。
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 舞台に上がる。
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 回り舞台とせりがあるのが判る。右手の格子状のところが義太夫席。
 舞台上手から下手を見る。
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 下手の右手隅に奈落への階段がある。奈落はずっと未整備の状態が続いていたらしいが、きちんとしたかたちに整備されたのは1995年の改修時で、中はまだ新しい感じがした。
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 花道に出て行く横に奈落からの出口(まあ、どちらが入口出口ということはなかったはずですが)があって、今度はさらに階段を上がって2階席へ。
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 両サイドの時代がかった広告が楽しい。
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 再び1階に下りて、こんどは桟敷席に座ってみる。
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 桟敷の指定記号が「いろはにほへと」と「一二三四五」の組み合わせであることが判る。
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 神棚があるはずだと探したが、中にはなく(見つけることができなかった)、外に小さな社が作られていた。
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 なかなか風格のある木造の芝居小屋で、見ることができてよかった。きちんとした補修改修がなされているのもよかったと思う。
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 帰路は、ほんの少し遠回りになるが「まち歩きマップ」のルートを通って帰った。
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 この先の方に古い街並み(重要伝統的建造物群保存地区)があるようだったが、そちらに行って来る時間はない。残念ながら今回はそういう旅ではないのだ。
 帰路の途中にあった金比羅灯籠(常夜灯)。説明板に1831(天保2)年建立とあった。
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 同じく途中にあった小さな神社。栄恵比寿神社と言うらしい。
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 20分ほど余して内子駅に戻って来た。駅前に灰皿があったので一本吸ってから、早めに高架のホームに上がった。さっきは単式の3番線ホームだったが、今度は島式の2番線ホームのようだ。ホームからの眺め。
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 内子座や古い街並みは左手の方で、見えないか探したが見つからなかった。
 11:51、1番線に特急・宇和海11号・宇和島行きがやって来て、15人ほどの乗客を降ろして出て行った。
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 わたしの乗る12:05発・松山行き普通列車がやって来た。キハ54形の単行だ。
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 伊予市駅で特急・宇和海13号・宇和島行きと行き違い。
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 終点・松山駅に入って行く。
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 12:53着。
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 ここで2時間あまりの自由時間を取ってある。
# by krmtdir90 | 2017-06-16 23:19 | 鉄道の旅 | Comments(0)


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