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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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「石川啄木論」(中村稔)

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 著者の中村稔氏について、わたしはほとんど何も知らない。学生だったころ「現代詩手帳」を毎月購読していたから、恐らくそこでこの人の書いたものに触れたことはあったと思う。だが、特に注意を払わなければならない詩人と思っていなかったし、申し訳ないが印象に残っていることも皆無なのである。
 だから、書店でこの本に手が伸びたのも著者の名前からではない。(別にそんなにファンというわけではないけれど)やはり石川啄木だったからだと思う。

 本書は500ページを超える大著で、大きく2つのパートに分かれている。「生涯と思想」と題された第1部は、ページの7割を占め、啄木の日記や書簡を引用しながら彼の生きた軌跡を明らかにしている。第2部は、残り3割を使って啄木の作品を論じているが、「詩・短歌・小説・『ローマ字日記』」と題されている通り、短歌ばかり注目されがちな啄木をもう少しトータルなかたちで評価しようという姿勢が窺える。なお、評論については第1部の中で取り上げられていて、彼の生涯における思想的変遷という視点で考えようとしているようだ。
 中村稔氏はあとがきで触れている通り「研究者」ではないから、書名は「石川啄木論」となっているが、「論」と言うには論理より感性が勝った記述になっているような気がして、そこがわたしには逆に面白かった。中村氏自身が詩人であったことが反映しているのだろうが、ここには氏の感覚的判断が、好悪も含めてきわめて率直に述べられていると思う。いわばその遠慮のなさが、わたしにはけっこう多くの部分で共感できるように思われた。

 日記や書簡(それと評論)に関して言えば、どの部分を切り取ってつなぎ合わせるかというところに著者の観点が表れるのであって、それは好みというものと紙一重なのだと思った。どうしても昨年読んだドナルド・キーン氏の評伝「石川啄木」を思い出してしまうのだが、キーン氏のリスペクトを前提とした引用と比べると、中村氏の引用は何だか容赦がないなという感想があって、それは氏に啄木へのリスペクトがないということではなく、それはそれで氏の率直さが表れたものとしてわたしには非常に面白かったのである。
 第2部の詩や小説については(あまりちゃんと読んでいないから)わたしは何も言えないが、短歌の評価に関しては、きわめて直感的な中村氏の見方に首肯するところが多かった。氏は「一握の砂」について、「青春期の甘く切ない思い、抑えがたい望郷、戻ることのない過去への回想の感情を感傷的にうたった歌人である」という「通俗的な見方」を認めつつも、「啄木がわが国の短歌にきりひらいた世界はこうした世界よりはるかにひろく、啄木の真の魅力はこうした作品(*註)にあるのではない」と述べている。この考察は非常に納得できるものだったと思う。
*註 こうした作品として引用されているのは次の4首(改行は/で示す)。
 東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる
 砂山の砂に腹這ひ/初恋の/いたみを遠くおもひ出づる日
 いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ
 やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに
 付け加えておけば、この最後の「泣けとごとくに」は「言わなくてもよかったのではないか」とする中村氏の感想は鋭いと思った。

 啄木の短歌をどのように読んだのかという中村氏の見方をここにたどり直すことはしないが、その着眼点の一つ一つが非常に新鮮で説得力があったことは確かである。たとえば啄木の叙景歌の中から次の3首を挙げて、
 空知川雪に埋れて/鳥も見えず/岸辺の林に人ひとりゐき
 さらさらと氷の屑が/波に鳴る/磯の月夜のゆきかへりかな
 そことなく/蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて/夕となりぬ
啄木の叙景は「たとえば、アララギの写生による作品とは本質的にまるで違う」とした上で、いずれにおいても「人間がじつは叙景の中核にいる」ことを指摘して、「『一握の砂』は、人間をうたって心に迫る作が非常に多い」と述べている。その通りだと思う。
 北海道時代を歌った「忘れがたき人人」の章から中村氏が佳作として抜き出している作品(8首)は、わたしが好きな歌とほとんど共通していた。ついつい書き写したくなる誘惑に抗することができない。えい、書き写してしまえ。
 函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花
 こころざし得ぬ人人の/あつまりて酒のむ場所が/我が家(いへ)なりしかな
 かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ
 子を負ひて/雪の吹き入る停車場に/われ見送りし妻の眉かな
 みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな
 うたふごと駅の名呼びし/柔和なる/若き駅夫の眼をも忘れず
 さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき
 よりそひて/深夜の雪の中に立つ/女の右手(めて)のあたたかさかな

 中村氏はまた、啄木が「狂気とすれすれのところにいたのではないか」と指摘して、そういう歌を書き抜いている。ここからは3首のみ書き写しておく。
 目の前の菓子皿などを/かりかりと噛みてみたくなりぬ/もどかしきかな
 どんよりと/くもれる空を見てゐしに/人を殺したくなりにけるかな
 死にたくてならぬ時あり/はばかりに人目を避けて/怖き顔する
 また、啄木にとって「家庭は墓場であった」というような歌を抜き出し、さらに妻節子に対する屈折した思いを歌った歌を抜き出している。その最後に次の2首を並べ、
 女あり/わがいひつけに背かじと心を砕く/見ればかなしも
 わが妻のむかしの願ひ/音楽のことにかかりき/今はうたはず
「これらの歌にみられる妻節子のいたましさには」「胸を突かれる思いがする」と述べたあとで、「こうした魅力に比べると、
 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ
のような歌は何とも軽薄なものだという感じが私にはつよい」と断じているところはその通りで、鋭いなと感心した。
 さらに、
 かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川
 石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなしみ/消ゆる時なし
 ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな
といった有名な望郷の歌に対して、「感興を覚えない」と一刀両断に切り捨てているところも痛快である。最初に書き写した4首などとともに、国語の教科書に出てくるたびに、こんなものちっとも面白くないと感じていたわたしとしては、よくぞ言ってくれたとスッキリする思いだった(啄木の歌の佳作は、やはり北海道時代に集中しているとわたしは感じている)。

 中村氏の見方をたどり直すことはしないなどと言いながら、ついいろいろと書いてしまった。まだ触れたいことはあるが、以下は省略とする。ただ、啄木の死後に出版された「悲しき玩具」について、「『悲しき玩具』には明らかに啄木の詩心の衰弱が認められると考える。何よりも、声調が弱い」と率直に指摘している点に共感を覚えた。
 なかなかこんなふうに率直に断じることはできない思う。作品に対する見方だけでなく、啄木の生涯と思想に対してもこの率直さが貫かれているので、そういう意味では一貫性があって説得力がある本だったと思う。
# by krmtdir90 | 2017-08-19 20:33 | 本と映画 | Comments(0)

映画「チャルカ~未来を紡ぐ糸車~」

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 高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のゴミ」を扱ったドキュメンタリー映画だというので観に行ってきた。だが、これはちょっと期待外れだったと言うほかない。
 一言で言うと、焦点が絞れていないのである。映画として何がやりたかったのか、どういう視点でこの問題を取り上げようとしたのかがはっきりしない。

 映画のタイトルになった「チャルカ」とはインドで綿花を紡ぐ時に用いた糸車のことらしいが、この映画は冒頭で、ガンジーが自国で生産した綿花をイギリスに輸出するのではなく、それを紡いだ糸で自分たちのための布を作ろうと提唱した史実を紹介する。そのあとで、北海道豊富町で酪農を営みながら自給自足生活を実践する家族などを紹介しながら、何やら人間の生き方についての見え透いた啓蒙的メッセージを紛れ込ませようとするのである。
 わたしはこの家族を批判するつもりはないし、この地に足のついた生活は素晴らしいものだと思う。だが、それを放射性廃棄物の問題と関連させようとするこの映画の姿勢が安易だと言いたいのである。この島田恵という女性監督は、放射性廃棄物の問題の周辺を歩き回りながら少しも論理的に考えようとしておらず、「自分の足で立って生きることが大切なのよね」といった、きわめて安直で情緒的なメッセージに問題を矮小化してしまったように思えた。
 映画は、北海道幌延町と岐阜県瑞浪市にある日本原子力研究開発機構の2つの「地下研究施設」や、フィンランドやフランスにおける「最終処分場」を訪ねているが、それぞれにおいていま何が問題なのかを少しも突き詰めていないし、非常に表面的で曖昧な訪問で終わりになってしまうのである。
 ナレーションを用いていながら、それが「ぬるい」ことがこの映画の最大の欠点だったように思う。最後に流れるテーマソングも「ずれている」感じがした。総じて、観客を見くびっているような気がして仕方がなかった。

 こういう映画に対してあまり踏み込んでも仕方がない気がするが、この問題の本質は10万年という時間に対してどう責任を取っていくのかということに尽きるのではないかと思っている。わたしはどうしても、畑澤聖悟氏の(と言うより、東京農大第三高校の上演した)「翔べ!原子力ロボむつ」の強烈なメッセージを思い出してしまう。10万年というのは、ほとんど「永遠」を相手に責任を語らなければならないということなのである。
 放射性廃棄物の「処分場」というような言い方をするが、どうしたところで「処分」などできないものを生み出してしまったということが問題とならなければおかしいのではないか。広辞苑によれば、「処分」とは「基準に照らして処理すること。事柄に決まりをつけること」とあって、処分が行われればその問題は「処理された、決まりがついた」とされてしまうのである。まるで解決されるようなニュアンスで語られているのではないか。
 だが、これは誤魔化しである。この廃棄物の放射能は10万年経たなければ安全なレベルにならないのだから、地下深く埋めようがどうしようが、放射性廃棄物に対する責任は10万年は消えることがないということなのである。現代の人間がそういうものを作り出してしまった、そしていまも無責任に作り続けているということが問題なのである。

 放射性廃棄物はどこまでいっても、それを作ってしまった人間の責任の下に「保管」し続けるしかない。これが、いまわれわれの前にある「問題」なのではないか。
 たとえば、現在世界基準となっている地層処分というやり方が(処分ではなく保管なのだと考えた時に)、どこにも強固な岩盤の存在しない地震大国日本で本当に可能なのかどうか。このことは確かに映画の中でも触れられているが、それは触れられているというだけで、きちんとした問題提起にはなっていないように思われた。少なくともこの映画は、それに対する明確な視点を示してはいないと思った。
 日本では、地層処分ではとうてい10万年の責任を引き受けることはできないのである。この自明の理を出発点としなければ何も始まらない。今年の7月に経産省が「最終処分場の候補地となりうる地域を示した科学的特性マップ」なるものを発表したが、こうした馬鹿げた動きに対して明確に対峙できる映画でなければ存在意義はないといっていいのではないか。
 映画の中には、使い方一つで生きてくる発言や映像がたくさんあったと思う。非常に残念な気がした。こうした問題に取り組もうとする映画人であるならば、もう少ししっかりした姿勢で編集してもらわなければ仕方がないと思った。
(新宿 K's cinema、8月18日)
# by krmtdir90 | 2017-08-18 18:48 | 本と映画 | Comments(0)

歌舞伎見物「野田版・桜の森の満開の下」(2017.8.16)

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 8月の納涼歌舞伎は恒例の3部構成で、第3部(夜の部)が「野田版・桜の森の満開の下」だというので、これは観たいと思って妻に同道して行って来た。
 わたしは「贋作・桜の森の満開の下」を観ていないから、今回の舞台がどんなふうに進化しているのかは判らない。だが、歌舞伎の演目となって歌舞伎座で上演されても、これはいわゆる歌舞伎の枠からは大きく外れた、野田秀樹の舞台そのものに違いないと思った(野田自身が台本を手直しし、演出もしている)。もちろん、歌舞伎の歴史というものが常に時代の新しいものを取り入れ発展してきたことは理解しているが、それにしても、これはまたあまりに思い切った挑戦だと感心した。
 そして、それは恐らく素晴らしいことなのだ。50年後、100年後に、これが未来の歌舞伎座で当たり前に上演される演目になっているとしたら、こんな愉快なことはないと思った。

 確かに、野田秀樹に特有なセリフの面白さとかテンポなどは、歌舞伎となったことでかなり削がれてしまったところはあっただろうと思う(実に思い切って野田風にやってはいたが)。しかし、ラストの耳男と夜長姫の絡みの美しさなどは、歌舞伎だからこそできる見事なシーンになっていたと思うし、いまこういうかたちで野田秀樹の舞台が甦る意義は大きなものがあると感じた。
 この戯曲を歌舞伎として上演するという話は、野田秀樹と親交のあった故中村勘三郎との間で相当早い段階から出ていたものらしい。それがいま、子どもの勘九郎(耳男)・七之助(夜長姫)を軸に実現したというのも素晴らしいことである。勘九郎はやや野田のセリフについて行けてないところがあるような気もしたが、七之助の夜長姫は終始見事だったと思った。女役だからこそ作れる微妙なニュアンスというものがあったように思う。
 ついでに付け加えておけば、市川染五郎のオオアマはやや線が細いように感じた。猿弥のマナコは雰囲気は合っているのだが、如何せんセリフのスピードが自分のものになっておらず、がなり立てるばかりで言葉としてほとんど聞き取れなかったのが残念だった。

 作品としての中身に踏み込んだ感想は書けそうにない。改めて野田の戯曲を読んでみたい気もするが、現役の頃ずっと縁がないまま来てしまったのだから、今さら読んでも仕方がないかとも思ってしまうのである。坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」は読み直してみたが、なるほどこれをこんなふうに膨らませたのかと、野田の才能の凄さを感じたのは確かである。
 いまはインターネット経由で初演時の「贋作・桜の森」の映像を観ることも可能なようだが、それもまあいいかと思っている。当時リアルタイムで触れることができなかったという事実は変えられないのだから。
# by krmtdir90 | 2017-08-17 18:30 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

映画「ローサは密告された」

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 2016年製作のフィリピン映画である。現在のドゥテルテ大統領が政権を樹立したのは2016年6月だったというから、この映画に現政権の過激な麻薬撲滅政策はまだ反映していない。ドゥテルテ政権誕生後であれば、映画のローサとネストールの夫婦や彼らに麻薬を卸していたジョマールは警察によって命を奪われていたかもしれない。だが、彼らの運命が彼らの手の内にはないという事実は、この映画においてもまったく変わることはない。

 この映画が描き出すのは、東南アジアで最大と言われるマニラのスラム街に生きるローサとその家族の過酷な物語である。貧困が街全体を覆っていて、そこに住む人々の生活をどうにもならないまでに蝕んでいる。ローサの家族はスラム街の片隅で小さな雑貨店(ローサ・サリサリストア)をやっているのだが、それはスーパーマーケットで安くまとめ買いしてきた商品を小分けにして、可能な限り小さな単位で売り捌くことで小さな儲けを出そうという商売である。割高になっても、そうした小さな買い物しかできない貧困層が街にはたくさんいるのだ。
 もちろん、そんな商売で家族の暮らしが成り立つわけもなく、この店では当然のことのように麻薬(覚醒剤)の密売も行っている。密売には違いないが、近隣の人々はローサの店がそういうものを扱っていることをみんな知っているし、底なしの貧困の中では、人々は多かれ少なかれ何らかの法に触れる行為を行わなければ生きていけないこともお互いに判っているのである。

 ブリランテ・メンドーサ監督はこの映画で、何の前置きもなくいきなりそうした現実の真っ只中に観客を放り出す。映画は一切の説明抜きでローサという中年女をクローズアップし、マニラのスラム街の中で生きる彼女に密着し、手持ちカメラを駆使してドキュメンタリーのように彼女の後を追うのである。カメラの動きとともに、観客は猥雑で喧噪に満ちたスラム街の最下層の生活を目の当たりにしていくことになる。急なスコールが街路を濡らし、湿気と熱気がべったりと肌にまとわりつくようなこの生理的な感覚は強烈である。
 そんな中を野太い声で人々と言葉を交わし、家族を指図して動き回るローサという女性の存在感は圧倒的である。そのドンと肝っ玉の据わった感じは、こうでなければここで生き抜いていくことはできないのだろうと納得される。商売ものの覚醒剤に手を出し、だらけた日々を送る夫ネストールを叱りつけ、夫婦でクスリを小分けする作業を無言でこなしていく。そこには情緒や感情や自己批評の理性などは微塵も見られない。カメラはそうした彼らの行動を淡々と写し取っていく。

 映画はこのあと、いきなりやって来た警察に、夫婦が禁止薬物の不法所持で逮捕連行されてしまうことで次の局面を迎える。彼らが連れて行かれた警察の取り調べの様子が、これまた想像を絶する無軌道ぶりで際立っているのである。フィリピン社会の貧困や麻薬の蔓延といったことは聞いたことがあり、また警察機構の腐敗と無法も相当根が深いと聞いてはいても、こうして実際に眼前に描き出されてみると、それはまったく信じ難い様相なのである。
 ローサの店に踏み込んで来た時から、彼らはまるでヤクザか何かのように見えて、令状もなければ冷静な捜索を行う気もまったく見られないのである。警察署で取り調べのために連れて行かれた部屋でも、彼らはとても警察官とは思えない態度と対応に終始し、20万(ペソ、換算すると40万円強と思われる)出せば見逃してやるなどと、早々に恐喝まがいの取り引きを持ちかけたりするのである。もちろんローサたち夫婦にそんな大金を用意する力がないことは判っていて、今度は夫婦に薬物を卸していた売人を教えろと強要するのである。

 結局、夫婦は売人のジョマールを売ることになる。細かい経過は省略するが、捕まえたジョマールが持っていた10万と、彼を引き取りにやって来た妻から5万をせしめた警官たちは、まだ5万不足なのだと、夫婦を心配して来た子どもたちに告げるのである。要するに警察官たちは、捜査や逮捕によって私腹を肥やすことしか考えておらず、押収した薬物なども恐らく横流しして金に換えているのである。ローサたちが逮捕されたのも、近所に住む兄弟が警察に見逃してもらうのと引き換えに彼らを売ったのだということが、あとになって明らかになったりする。
 このスラム街には、ローサたちを密告することで助かった者がおり、ローサたちも売人を密告することで助かるしかないのである。さらに5万を要求されれば、子どもたちは両親のために必死で金策に走り回るしかないのだ。その様子が次々に映し出されていくが、こうした貧困の中にあって金を集める手段はそんなにあるわけではない。しかし、彼らの行動を通じて、苦境に際してもこうした世界では家族の絆だけは非常に強いものがあるのだということが理解されるのである。

 一方で、警察官の腐敗も見方を変えれば、彼らもまたそうしなければ生活が成り立たない貧困に喘いでいるということが想像されるのである。つまり、この国では一握りの富裕層を除けば、すべてが負のスパイラルともいうべき袋小路に陥っているのであって、その絶望的な状況をこの映画は非常に鮮明に描き出しているのである。
 最後に4千ペソの不足分が残り、そのために夫と子どもたちを取調室に(人質として)残し、ローサ自身が金策に街に出て行くことになる。知り合いの質屋で娘のスマホを何とか4千で引き取ってもらい、その上さらに小銭を貸してもらえないかと切り出すやり取りの切実さが何とも言えない。最初彼女は5千出してほしいと言ってみるのだが、もちろん手にしたスマホにそんな価値があるとは彼女自身も思っていない。しかし、この4千と引き換えに自由の身になったところで、その後には彼らの手許にこの小銭しか残るものはないのである。

 そして、それにもかかわらず彼女は、この小銭をはたいて帰り道の屋台で肉団子(キキアムというものらしい)の串を買い食いしてしまうのである。このシーンは何とも言えず悲しく切ない。4つの団子を一つ一つ頬張り咀嚼する彼女の姿を、カメラはずっと凝視するのである。彼女の汗にまみれた顔に、うっすらと涙が伝ったように見えたのは錯覚だっただろうか。彼女が見るとはなしに見ている街路の先では、屋台の店仕舞いをしている見知らぬ家族の姿がある。夫婦と幼い子ども2人。ローサはその様子をぼんやり見ながら肉団子を食べている。これがラストシーンである。
 彼らは明日からどうするのだろう。どう生活していくのだろう。どんな過酷な状況に追い込まれても、時間が来れば人間は腹も空くのである。映画はその先を映そうとはせず、ぷつりと途切れてしまう。ローサとその家族がこのあとどうなるのかを映画は描こうとはしない。簡単に描けるものではないのだ。だが、カンヌ国際映画祭で主演女優賞を取ったジャクリン・ホセ(ローサ)の、それでも進んで行くしかないという諦観を含んだような表情は、何とも言いようのない余韻を後に残したと思う。凄い映画だった。
(渋谷イメージフォーラム、8月12日)
# by krmtdir90 | 2017-08-13 22:10 | 本と映画 | Comments(0)

仙台(全国大会)への旅(2017.8.1~3)

 仙台に行くのは全国大会に出る新座柳瀬の応援のためだが、今回もまたその前に小さな鉄道旅をリンクさせることにした。青春18きっぷを利用することも考えたが、もう往復を普通列車にするのは少々きついかなと考えた。

8月1日(火)女川再訪
 東京駅10:04発のはやぶさ51号はこまちとの併結運転だった。
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 11:39、仙台駅着。これは東口の方。
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 どんよりとした曇り空で、細かい雨滴が少し顔に当たるようだ。
 この日の午後は女川を再訪してみようと思っている。前回女川に来たのは2015年春のことで、不通になっていた石巻線の女川・浦宿間が開通した直後だった。駅は新しくなり駅前広場も整備されていたが、その先の港との間にはまだ何もなく、土地整備事業(かさ上げ工事)が続いていた。

 今回は仙石線で石巻に向かうつもりなのだが、この仙石線の仙台駅ホームというのが非常に判りにくいかたちになっている。仙石線の線路は仙台駅の他の線路とはつながっておらず、それらの地下を横切るかたちで始発のあおば通駅に通じている。仙石線の仙台駅ホームは東口のかなり離れた地下に作られているのである。
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 ホームに出てみると、12:22発の石巻行きの前に、12:07発で途中駅の多賀城行きというのがあるようだ。で、それに乗車。
 多賀城まで行くと乗り換えホームが替わるというアナウンスに釣られて、一つ手前の中野栄駅で下車してしまった。
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 どうせあちこち歩き回るのだから多賀城まで行っても同じだったのだが、まあ、釣られてしまったのだから仕方がない。
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 橋上の改札口に行って外に出ようとしたら、自動改札の機械に拒絶されてしまった。どうしてだか判らないが、無人駅であってはどうしようもない。まあ、外に出ても特別どうという駅ではなさそうなのであきらめた。
 で、上からの眺め。
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 12:41、石巻行きの電車がやって来た。
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 仙石線は電化されており、使用されている車輌は205系電車である。電車は4輌編成で、座席はロングシートだった。
 東塩釜駅までは複線、その先は単線となり、高城町駅で交換待ち停車があった。
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 前回来た時には高城町・陸前小野間はまだ復旧しておらず、代行輸送のバスに乗った。仙石線が全線開通したのは2015年5月30日だったようだ。

 石巻が近付いてくると想定外のことが起こった。駅に着くたびに地元の乗客が乗って来て、車内はどんどん混雑していったのである。浴衣姿の若者なども混じって、みんなお祭りに繰り出す風情なのである。
 で、13:47、石巻駅着。
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 小さな駅が時ならぬ大混雑である。右側のサイボーグたちも驚いているようだ。
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 看板などを見ると、7月31日・8月1日の2日間、この石巻で第94回川開き祭りというのが行われ、この日のフィナーレには花火も打ち上げられることになっていた。とんでもない?時にぶつかってしまったのである。
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 改札口周辺には、臨時に駆り出されたと思われる駅員が十人以上対応に当たっている。下車客の混雑が一段落したところで、わたしもちょっと外に出てみることにする。
 駅前もたくさんの人で、時間の余裕はあったが、街の方を見に行く気力は湧いてこなかった。
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 14:21発の石巻線・女川行きも混雑していたが、座ることはできた。この先は非電化単線なので、車輌はキハ110形、セミクロスシートの2輌編成だった。
 途中駅でお祭り帰りの地元客は徐々に降りて行き、14:46、女川駅に着いた。
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 外に出る。2年前には何もなかったところに街ができている。
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 駅舎も一応撮影して、
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 早速、街の方に行ってみる。
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 ところが、ここでまた想定外の事態にぶつかることになった。ここで何か美味しいものを食べようと昼食を我慢して来たのだが、観光案内所で聞くと、このあたりのお店はみんな2時ぐらいで店じまいをしてしまうのだという。めぼしいところを回ってみたが、定休日の店もあったりして、狙っていたマグロの刺身にはありつけないことになってしまった。
 街はこの道路のところで終わっていて、この先はまだ整備事業が継続中だった。
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 結局昼食はどうしたかというと、
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 何とかオープンしていたこのお店で、
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 女川ハイボールというのと、
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 魚介のスパゲッティを食べることになってしまった。
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 美味しかったけれど、まさか女川まで来てスパゲッティを食べるとは思わなかった。

 駅に戻って、駅舎の展望台に上がってみた。
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 とにかく外見的には復興は進んでいるように見える。実態としてはいろんな問題があるのだろうが、一度は何もなくなってしまったことを思えば、この新しい街並みがこれからも発展していってほしいと願わずにはいられなかった。
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 ということで、
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 16:25発の石巻線・小牛田行きが入って来た。
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 途中の海の景色を一枚。
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 晴れてないと海の写真はダメだね。

 16:51、石巻駅着。16:54発の仙台行きに乗り継ぐ。石巻駅は相変わらずすごい混雑で、3分で乗り継ぐのはけっこう忙しかった。
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 帰りは新しくできた仙石東北ラインを使うので、車輌はディーゼルハイブリッドHB-E210系というものである。4輌編成で車内はセミクロスシートだった。
 仙石東北ラインというのは、東北本線・松島駅と仙石線・高城町駅の間に非電化単線の接続線を新設し、快速運転を行って速達性を向上させたもので、仙石線が復旧したした2015年5月30日から運用が開始されたものである。
 仙台駅に着いたのは17:49だった。

 この日の宿は東口にあって、行ってみたら東横インのような安いビジネスホテルにも総文祭関係の高校生の姿が見られた。この影響で、今回は一日目と二日目で同じ宿を押さえることができなかったのである。
 夜は、フロントで紹介されたこの店で、牛タンなどを食べながら晩酌をした。
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 珍しかったので頼んでみた焼きホヤ。
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 こういう食べ方があるとは思わなかった(それにしても5つは多い。3つで十分だと思った)。
 飲んでいたら、カウンターの後ろのイス席に顧問に連れられた高校生たちがやって来て、夕食を食べ始めたので何となく落ち着かなかった。確かに、ビジネスホテルでは夕食は食べられないからなあ。

8月2日(水)全国大会2日目
 朝の仙台駅西口。
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 在来線の改札口は2階にあって、東西自由連絡通路は西口ではそのままペデストリアンデッキにつながっている。全国大会の会場へは地下鉄南北線というので終点まで行かなければならないのだが、この地下鉄の入口がどこにあるのかよく判らない。仙台駅という駅自体が妙に広がった感じがあって、それが地下道まで何層にも重なっているので、結局最後までよく判らなかった。
 何とかたどりついた地下鉄は途中から地上に出て、終点の泉中央駅に着くまで16分ほどかかった。料金は300円だった。
 泉中央駅改札口を出て振り返って、
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 駅の出口は地上に普通に開いていて、
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 この前にバスやタクシーが停まっている。
 ところが、会場最寄りの北3出口に向かう通路は、この右奥でそのまままた地下道になっているらしく、これがえらく遠かった。
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 ようやく外に出ると、会場の仙台銀行ホール・イズミティ21は確かに目の前だった。
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 15分ほど行列に並んだ。
 で、開演前のホール内の様子。
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 この日は5校の上演があり、そのすべてを観劇した。
 この日上演されたのは次の5校。
 沖縄県立向陽高校「HANABI」
 岡山・明誠学院高校「警備員林安男の夏」
 福島県立相馬農業高校飯舘校「-サテライト仮想劇-いつか、その日に、」
 兵庫県立東播磨高校「アルプススタンドのはしの方」
 岐阜県立加納高校「彼の子、朝を知る。」

 最後の上演が終わったのが17:10。このあと、同じく仙台に来ているSさん・Tさんと仙台駅西口で落ち合って、牛タンの店でしばらく飲んで話した。何だか盛り上がってしまい、ちょっと飲み過ぎてしまった。

8月3日(木)全国大会3日目
 で、この日は朝のうち頭痛がして少々辛かった。
 この日も15分ほど行列に並んでから中に入った。この日上演されたのは次の2校。
 北海道北見緑陵高校「学校でなにやってんの」
 埼玉県立新座柳瀬高校「Love & Chance!」

 わたしは偶然一緒になったTさん夫妻と並んで観ていたのだが、柳瀬の上演は見事なものだったと思う。これだけ大きなホール、これだけ大きな舞台にもかかわらず、芝居としての繊細さを失うことなく、いつも通りの元気と丁寧さでしっかりやり切っていたと思う。最初のうち若干重いかなと思った客席も、すぐに芝居の中に引き込んで、あとは最後まで一気呵成に走り切った印象だった。
 客席にいて、観客がどんどん夢中になっていくのが感じられて素晴らしかった。終演時の観客のどよめきも想定通りのもので、共感の拍手も長い間鳴り止まなかった。全国大会の客席でこの瞬間に立ち会えたことを、新座柳瀬のみんなに感謝しなければと思った。

 終演後はロビーで幾人かの知り合いと話したりしたあと、顧問のMさんが出て来ないかと少し待っていたが、たぶん忙しくて来られないのだろうと思って会場を後にした。
 今回の旅の最後の写真は仙台市地下鉄の車輌である。
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 南北線で運用されているのは1000系という電車のようだ。

 このあとは仙台駅に戻り、エスパル仙台のレストラン街で蕎麦を食べた。新幹線までけっこう時間があったが、駅の周囲をぶらぶらしたり、新幹線の改札に近い珈琲専門店でコーヒーを飲んだりして時間を潰した、
 帰りの新幹線は仙台駅15:57発のはやぶさ58号で、東京駅着は17:32だった。

審査結果について
 中央線の電車の中で顧問のMさんから「ダメでした」というメールを受け取った。ほどなく事務局長のMさんも、上位4校の名前を送ってくれた。
 国立劇場出場権を得た4校は次の通りである(優秀校は上演順)。
 最優秀:兵庫県立東播磨高校「アルプススタンドのはしの方」
 優秀:埼玉県立秩父農工科学高校「流星ピリオド」
 優秀:茨城県立日立第一高校「白紙提出」
 優秀:沖縄県立向陽高校「HANABI」

 結果については、わたしは1日目の5校を観ていないのだから、何となく違和感は感じるけれどそれ以上のことは言いようがない。同じ埼玉から秩父農工科学が昨年の芸術総合に続いて国立に出場するのは素晴らしいことだが、一方でほぼ完璧な完成度を見せた新座柳瀬のラブコメディは、やはり認めてはもらえなかったのかと残念な気持ちが湧いてくるのである。審査講評でどんなことが述べられていたのかは判らないが、高校演劇の間口を精一杯広げ、多様な舞台成果が幅広く評価されるまでの道のりはまだまだ遠いのかもしれない。
 いわゆる高校演劇ということで見ても、わたしが見た7校の中では、「HANABI」を残すのであれば「-サテライト仮想劇-いつか、その日に、」の方ををぜひ残してほしかったし、「アルプススタンドのはしの方」が4本の中に入るのは理解するが、それだったら個人的には「学校でなにやってんの」も残ってくるような気がした。

 まあ、この種の違和感というかあれやこれやは、こうしたコンクールの審査結果に対してはそれこそ観客の数だけ出て来るのが当然なので、あまり書き過ぎるのは考えた方がいいかもしれないが、わたしとしては、福島にただ一校だけ残ったというサテライト校・福島県立相馬農業高校飯舘校の諸君の切実な思いを、この東北で開催された全国大会から国立に届けてやりたいという観客の願いを、審査員たちが閉ざしてしまったことだけは許すことができないのである。
 一方また、いわゆる高校演劇ではない「演劇」を作ろうとした高校生たちを、客席の高校生たちはスッと受け入れているのに、「高校生らしさ」に縛られた審査員が(ああ、講評を聞いていないのだから、これは言い過ぎかもしれないな)認めようとしないのは困ったことだと感じるのである。
 実は昨日から、顧問Mさんのブログから入ることができるツィッターをいろいろチェックしているのだが、1日目の上演の中では徳島市立高校の「どうしても縦の蝶々結び」というのが(高校の事務室を舞台にしているが)同様の「演劇」を目指した舞台だったようで、これを高く評価する意見がたくさん出ているのを読むと、これを観逃したことが残念至極なのである。

 それにしても、数十年ぶりに触れた全国大会の雰囲気は実に楽しいものだった。いろいろな思いはあるにしても、選ばれた4校にはオメデトウを言いたいし、選ばれなかった8校にも(観てない学校もあるが)アリガトウと伝えたい。8校もそうだが、それ以外にも2000校に及ぶ「選ばれなかった学校」があるというのは素晴らしいことである。みんな、アリガトウ。
# by krmtdir90 | 2017-08-05 18:07 | 鉄道の旅 | Comments(0)


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