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製作されたのは1984年、日本初公開は1990年だったようだが、2016年にデジタルリマスター版が「恋恋風塵」とともにリバイバル公開されたらしい。デジタル技術によって復元された、製作時のみずみずしい色彩に触れられるのは素晴らしいことだ。 ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督のこの2作を観ると、傑作と言われる「非情城市」が観られないのが残念でならないが、それは現時点では仕方がないことである(いまはDVDで観ることを考えればいいのかもしれないが、映画はスクリーンで観たいというこだわりは捨てたくないし、DVDに興味の範囲を広げることには躊躇もある)。したがって、あくまでわたしが知っているホウ・シャオシェンの範囲内で感想を述べたいと思う。 映画は小学校の卒業式シーンから始まる。はきはきと答辞を読む女の子のアップはあるが、主人公の冬冬(トントン)がアップになることはない。距離を取って映し出された子どもたちの中にたぶんいたはずだが、そこを強調していないのだから、このシーンは主人公を紹介する意味合いは持っていない。それよりも、6月に卒業式が行われて学年が区切られる台湾において、これは夏休みの始まりを意味していることが大きかったのだろう。 夏休みは毎年やって来るが、小学校を卒業した子どもにとっては、初めて経験する「宙ぶらりんの」特別な夏休みである。9月から中学生になることは決まっているが、それは実感としてはまだまったく感じられるものではないだろう。だが、小学校を終えたということは、疑いもない単純明快な子どもの範疇からははみ出してしまったことを意味していて、これまであまり意識したことがなかった様々な事柄が、不意に彼の「子ども」的なものを揺さぶるのである。 冬冬(トントン)自身がそういうことを認識していたとは思えないが、ホウ・シャオシェンはそれを明確に意識し、周囲にいる大人の存在を初めて(よく判らないままに)感じ取り始めた少年の姿を、この映画の中にリアルに描き出そうとしている。 描き出すというのは若干語弊があるかもしれない。彼は意図的な強調や説明的な整理はしていないし、そこには一定の距離を置いて眺めた事実だけが置かれていくのである。ノスタルジーというのがこの映画を端的に示すキーワードのように思えるが、ホウ・シャオシェンがそういう方向に傾いていたかというと、決してそんなことはないように思われる。 彼は情緒に流れる表現を注意深く避けているし、子ども時代を懐かしさで染め上げようとしているわけでもない。冬冬(トントン)の意識がそんなことを受け止めていたわけではないかもしれないが、彼の中で「子ども」の終わりが始まっている、あるいは「大人」の始まりが忍び込もうとしている、そういう事実をホウ・シャオシェンが見詰めようとしているのは確かなことだと思う。したがって、ここには何かを感じ始めている冬冬(トントン)が確かにいるが、それがどういうものなのかは彼の中で定かになってはいないのである。 この映画に何とも言えない懐かしい雰囲気が漂っているのは、それはあくまで結果であって、ホウ・シャオシェンはそういうものを売りに出そうとはしていないと思う。 卒業式で「仰げば尊し」が歌われたことに驚いた。ラストシーンで「赤とんぼ」のメロディーが流れたのにも驚いた。半世紀に及ぶ日本統治の痕跡がこんなふうに残っているのかと、認識を新たにした。冬冬(トントン)たちが夏休みを過ごす祖父の家は、(「牯嶺街」を観ていたから驚きはしなかったが)統治時代に日本の軍属が住んでいたと思われる家屋だし、台北駅で偶然出会った同級生との会話で、夏休みに東京ディズニーランドに行く友だちもいるらしいことが出てきていた。TDLの開園は1983年だから、映画製作時(84年)にはきわめてホットな話題だったはずである。 経緯はどうであれ、日本の過去と現在に対する人々の意識が、韓国などとはまったく異なることに驚きを感じるのである。「湾生回家」を観た時にも感じたことだが、台湾の人々にわだかまりはないのだろうかと不思議な気がする。少なくともこの映画の中で、ホウ・シャオシェンはそうしたことをまったく意識していないように見える。それは嬉しいことだし、映画の世界にスッと入り込めて親近感を覚えてしまうのは、そういうことも関係しているだろうと思う。 「恋恋風塵」同様、この映画でも鉄道がたくさん出てきて楽しかった。ホウ・シャオシェンはマニアとは違うかもしれないが、たぶん鉄道が好きなのだなと確信した。台湾の鉄道は多くが日本の統治時代に建設されたもので、線路は日本と同じ狭軌だし、駅の佇まいなどにもどことなく惹かれるものがあるように思う。 小学校を卒業した冬冬(トントン)はまだ幼い妹の婷婷(ティンティン)と2人、夏休みを田舎の祖父の家で過ごすことになる。母親が病気で入院し、父親が看病で付き添わなければならなくなったためである。初めて両親と離れ、祖父母の許に預けられて過ごすひと夏の出来事を、映画はこの2人(特に冬冬トントン)に即しながら淡々と写し取っていく。夏のきらきらした田園風景が美しい。そこには「よそ者」も簡単に受け入れてしまう素朴な子どもたちの世界があり、対照的に何やら複雑な大人たちの事情も少しずつ見え隠れしている。 ここに組み込まれているエピソードはどれも非常に印象的なもので、どうということもないと言ってしまえばどうということもないものなのだが、その一つ一つが「ああ、こういうことがあったよな」と感じさせるようなリアリティと普遍性を持っているのが素晴らしいと思った。そして、どれも過剰な描き方をしていないことがこの映画の美点であって、それが結果的にとても豊かなものをそこに表現していると感じた。 こういう、控え目でありながら多くのことを語っているという映画表現のあり方は、(エドワード・ヤンにも共通した)台湾ニューウェーブの大きな特徴だったのかもしれない。「草原の河」のソンタルジャ監督なども、あのヤンチェン・ラモの描き方でこの映画の影響を受けていたような気がするのである(事実は判らないが)。 観る者それぞれの子ども時代の記憶と、不思議に響き合うような要素がこの映画の中にはいっぱい散りばめられている。個々の事実やシチュエーションは異なっていても(異なっているのが当然だ)、その時の感覚や気分といったものが鮮やかに呼び覚まされてしまうように映し出されていく。そういう微妙なものが表現されていることに、驚きとともにこの監督の特筆すべき才能を感じるのである。一つだけ書いておけば、寒子(ハンズ)と呼ばれる知恵遅れ(と思われる)の娘など、ああ、子どものころには近所にこういう感じの人がいたなと、誰もが思い当たる節があるのではなかろうか。 また、子どもを描きながら、子どもの目に映る大人を正確に点描することは簡単なことではない。祖父母や叔父に関するエピソードなどは、そこに大人の様々なストーリーが存在することを、この映画ではごく自然に感じさせてくれるのである。婷婷(ティンティン)はまだ判らないかもしれないが、冬冬(トントン)はこのひと夏で目にした様々なことによって、確実に成長の階段を上がっているのである。それが、少しも特別な描き方をされることがないところがいい。 母親が手術後に重体に陥ったという知らせが届いた時も、心配と不安でどうしようもない兄妹の姿を決して大仰に捉えようとはしていなかった。2人の中にはこの夏の間中、母親の病気のことが重くのしかかっていたはずだが、それを敢えて感じさせるようなことはしていないのである。翌朝、一命を取り留めたという連絡が来たことも、描き方としては実にさらっと通り過ぎてしまう。このあたりのさりげなさは、逆にいろいろなことを観る者に想像させる結果になっていると思った。 夏休みの終わりに父親が車で2人を迎えにきて、ここで描かれる別れのシーンも淡々としていて好感が持てた。車が走り去るところに「赤とんぼ」のメロディーがかぶさるのだが、日本の楽曲がこんなふうに自然に使われてしまうことが不思議な気がした。観る者にノスタルジーを感じさせる大きな理由になっていると思った。 「台北ストーリー」にホウ・シャオシェンが出ていたが、この映画で冬冬(トントン)の父親役をやったのがエドワード・ヤンだったようだ。台湾ニューウェーブの一体感を示す出来事だと思う。 (ユジク阿佐ヶ谷、6月16日)
by krmtdir90
| 2017-06-20 23:59
| 本と映画
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