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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「凪待ち」

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 こちらは競輪にのめり込んで身を持ち崩す男のストーリーだった。ダメな男だが、そういう男の内側にある思いに寄り添い浮かび上がらせようとした映画である。主人公・郁夫を演じるのが元SMAPの香取慎吾、監督が「孤狼の血」「止められるか、俺たちを」の白石和彌だった。
 白石和彌だから、人気の香取慎吾でもまったく新しい一面を見せてくれるのではないかという期待があった。果たして、彼は素晴らしい存在感を示して郁夫というどうしようもない男を演じ切ったと思う。白石和彌がそれを引き出したと言っていいのだろう。

 競輪にのめり込んで毎日を遊び暮らしていた郁夫は、恋人・亜弓(西田尚美)に言われてギャンブルから足を洗う約束をし、彼女が故郷の石巻に帰るのについて行くことにする。亜弓には別れた夫との間にできた高校生の娘・美波(恒松祐里)がいるが、反抗期の彼女は郁夫とは何となくウマが合うように見える。石巻の実家にはガンの宣告を受けた漁師の父親・勝美(吉澤健)がいて、近所の小野寺という男(リリー・フランキー)が何かと世話を焼いてくれている。
 亜弓はこちらで念願だった美容院を開業し、郁夫も昔のスキルを生かして小さな印刷会社で働き始める。映画は無為な生活に慣れてしまったダメ男の郁夫が、ここでまともな生活に戻ることができるのかという問いの下でストーリーを展開していく。もちろんそんな簡単なことでないのは誰でも判るのだが、映画が用意していたのは想像以上の悲運と絶望だった。
 郁夫が職場の同僚に連れられて、場末のスナックを根城にした競輪のノミ屋に足を踏み入れてしまうのは案の定と言うところだったかもしれない。だが、美波の夜遊びがきっかけとなって激しい口論になってしまった亜弓が、郁夫と別れたあとで何者かに殺害されてしまうという展開はかなり唐突だったように思う。

 フライヤーには「誰が殺したのか?なぜ殺したのか?」と惹句が付されているが、主人公の人生を大きく狂わせることになる殺人事件について、この映画は犯人捜しの謎解き的なところにはあまり興味を示していないように思われた。郁夫や美波が受けた衝撃や後悔の大きさなどは丁寧に拾い上げていたが、犯人・小野寺が逮捕されるところはきわめて唐突だったし、その動機についてはほとんど説明されていなかったように思う。亜弓に対する屈折した思いがあったのかもしれないと、うっすらと(非常にうっすらと)匂わせるだけで終わりになってしまうのである。
 この映画にとって、恐らく問題は郁夫の感じた絶望の大きさの方であり、自棄になった郁夫はノミ屋で乱暴な賭けを繰り返し、負けて借金を重ねてどうにもならないところに追い詰められてしまう。亜弓の父親の勝美が船を売って金を作り、借金を返してやり直せと大金を渡してくれるのだが、彼は再びノミ屋に行ってその金をすっかりつぎ込んでしまうのである。救いの手が差し伸べられても、結局自分の気持ちを抑えられなくなってしまうところは「カスリコ」の吾一とまったく同じなのだが、こちらは恋人の死が引き金になっている点で、当人の心情的なところにはかなり同情すべき点があったのかもしれない。
 このあと、こちらの映画では最後のところにややうまく行き過ぎる展開が用意されていて、その先のことは判らないが、後に残った郁夫・美波・勝美の上に微かな希望の気配が漂うようなエンディングになっていた。甘いと言えば甘いのだが、落ちるところまで落ちた男に対して、白石和彌監督は今回はささやかな「救い」の気配を描きたかったのかもしれない。相変わらず過酷極まりないドラマを作っているので、そういう気分になることも時にはあるのかもしれないと思った。わたしはこの映画のそこのところに好感を持った。

 香取慎吾は熱演だったと思う。熱演というのもいろいろあると思うが、いかにも演じているというところを限りなく後退させて、あくまでその人間としてそこに存在して見せたと言ったらいいだろうか。スター的な要素をきっぱり捨てて、無精髭をはやして、恐らくノーメイクで、終始薄汚れた身なりで不器用に動き回り、自分を持て余している感じをよく出していたと思う。彼は思いがけず大柄なのに驚いたが、そのあたりを白石監督もうまく生かしていたと思う。
 ノミ屋の上部組織である暴力団に捕まったところに、かつてここの組長と関わりがあったらしい勝美が話をつけに来るシーン、何のつながりもなかった郁夫のことを勝美は「俺の倅だ」と言って助け出すのである。組事務所から帰る道すがら、美波と勝美に挟まれて、ひときわ大きな体躯の郁夫が泣きながら歩くシーンはグッと来た。やるじゃないか香取慎吾、と思った。
 香取慎吾42歳、彼がこれまでやってきたことなど何も知らないのだが、この映画は彼が役者としての大きな階段を上った一作として記憶されるだろうと思った。
(TOHOシネマズ南大沢、7月1日)
# by krmtdir90 | 2019-07-06 21:51 | 本と映画 | Comments(0)

映画「カスリコ」

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 昭和40年代の高知を舞台にした映画である。名高い料理人だった岡田吾一(石橋保)は賭博にのめり込んで破滅し、店を手放し妻子を故郷に帰して一人途方に暮れていた。そこにヤクザの荒木五郎(宅麻伸)が現れて、吾一に「カスリコ」の仕事を紹介するというのが発端である。
 カスリコというのは、賭場で客の世話や使い走りをして祝儀を恵んでもらうという、賭場のシステムの最下層で雑用などに使われていた人間のことらしい。賭場のテラ銭のことをカスリと言うようだが、そこから僅かな上前を期待して動き回ることから「物乞いと一緒」と見られたりすることもあったようだ。かつてみずからが羽振りをきかせて出入りした賭場で、そういう卑屈な日々を送ることになってしまった男の人生を、この映画は追いかけていくことになる。
 映画の中で、ヤクザの荒木と吾一の関係については何も触れられていないが、荒木は様々な場面で吾一の再起を親身になって後押しする。荒木は任侠の世界で筋を通してきたような昔気質のヤクザだが、堅気の吾一との接点は、恐らく彼の作る料理に惚れ込んでいたということだったのではなかろうか。一旦はすべてを失ってしまった吾一に力を貸すのは、彼に料理人として再起して欲しいという思いからだったように思えた。吾一も荒木の期待に応えるべく頑張って、ようやく光明が見えてきたところで運命が暗転するというのがストーリーである。

 「月刊シナリオ」のコンクールで入選した脚本だったようだが(脚本:國吉卓爾)、ストーリーの展開としては特に目新しいところがあるわけではない。だが、映画としては賭場で行われる「手本引き」の様子が克明に写し取られていて、そこに流れるドラマチックな緊迫感はなかなかの見ものになっていたと思う。東映のヤクザ映画(例えば「緋牡丹博徒」シリーズ)などで「手本引き」にはこれまで幾度となくお目にかかって来たが、その勝負の経過をこんなふうに詳細に見せてくれることはなかったのではないか。
 ここがこの映画の最大の見せどころになっていたと思う。アクションなどまったくない映画なのに、賭場で行われる「手本引き」の一部始終が、非常にスリリングな空気を醸し出していて面白かった。購入したプログラムにもルールなどが丁寧に解説してあって良かった。
 終盤、ほとんど足を洗うことに成功したかに見えた吾一が、成り行きとはいえ、最後に因縁の胴師・源三(高橋長英)との大勝負に引き寄せられていってしまうのは悲しかった。ある程度勝ったところで切り上げるということができない、やっているうちに憑かれたようにのめり込んでいってしまう、恐らく我を忘れているわけではなく、深みにはまっていく自分を冷静に認識しているもう一人の自分もいるように思える、そのどうにも止めようがない孤独な熱狂をよく捉えていたと思う。所詮は歯止めの効かない馬鹿な男ということになるのだが、どん底から這い上がろうとしていた時の彼の努力に嘘はなかったはずだし、それでも盆の前に座るとつい本気になってしまうところはどうにも変わらなかったということなのだろう。

 今どき珍しいモノクロ映画だった。それが題材とマッチしていて良かったと思う。だが、映画全体としてはやや説明的になり過ぎるところがあり、賭場のシーンは興味深く見られたが、その他の部分では描写の仕方がやや凡庸でキレが欠けていたようにも感じた。監督の高瀬將嗣は長年殺陣師としてやって来た人のようだが、最近は監督の方にも進出しているということのようだ。今年62歳、監督の力としてはそれほど見るべきものを持っているようには思えなかった。
(渋谷ユーロスペース、6月25日)
# by krmtdir90 | 2019-07-05 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

映画「アンノウン・ソルジャー/英雄なき戦場」

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 フィンランドという国が第二次世界大戦の時どうしていたかというようなことはまったく知識がなかった。それはまあ仕方がないことかもしれないが、当時を描いたこの戦争映画が、フィンランド国内では観客動員100万人超の(総人口は550万人ぐらいというから、とにかく凄い数字であるのは確かだ)大ヒットとなったらしい。フィンランドの国民にとって、この時の戦争は忘れることの出来ない歴史的一大事だったということなのだろう。

 この戦争はフィンランド東部のロシアとの国境線に関するもので、1939~40年に旧ソ連との間で争われた「冬戦争」の結果として、フィンランドは1918年の独立以来ずっと領土としてきたカレリア地方(国土の約10分の1)を失うことになってしまったようだ。その後も反撃の機会を待っていたフィンランドは、1941年にナチスドイツがソ連に電撃的に侵攻したのと呼応して、一気に国境を越えてカレリア地方を奪還することに成功する。だが、1942年になると態勢を立て直したソ連軍の反撃に遭って戦況は膠着状態となり、43年になってドイツ軍の敗走が始まるとフィンランド軍も前線からの撤退を余儀なくされ、その後ドイツの敗北が日ごとに確実となる中で、44年9月、フィンランド軍が当初の国境線まで退くことでソ連との戦闘を終結させたようだ。
 この1941~44年の戦争は、フィンランドとしてはナチスドイツと同盟関係を結んでいたわけではないことが強調され、一定の協力関係は作ったものの、あくまで「冬戦争」の続きとして独自にソ連と戦ったものだという位置付けがなされてきたらしい。そのため、フィンランドは第二次世界大戦に参戦したわけではないとして、特に「継続戦争」という名で呼ばれるようになっているのだという。

 映画はこの「継続戦争」の始まりから終わりまでをたどっていくのだが、大きな特徴になっているのは、一貫してこの戦争を前線にいた兵士たちの視点から描こうとしたことだった。地図上で時折戦況の変化などが示されたりはするが、画面に描かれていく戦闘が戦争全体の中でどんな意味を持っていたのかといったことは説明されないし、戦争を遂行した軍の上層部やそれに関する政治の動きなども一切描かれることはないのである。
 この映画では、文字通り戦場となった現場の動きだけが追いかけられていて、そのピリピリした現場感覚だけが次々に積み上げられていくことになった。兵士たちにとっては戦いの大義などははるか遠いところにあり、訳も判らないうちにたくさんの兵士たちが死んでいく状況がこれでもかと描き出されていく。最後のあたりに何台かソ連軍の戦車が出てきたが、その戦いは基本的には互いに銃を撃ち合って殺し合う白兵戦の連続で、CGなどはまったく無縁の表現で、最前線に身を置く兵士たち一人一人の恐怖がきわめてリアルなものとして映し出されていくのである。

 全体は戦場における群像劇というかたちになっていて、一応の主人公と幾人かの脇役が設定されてはいるが、戦いの中では彼らは無名の駒となって生死の境で動き回るしかないのである。生死を分けるものはまったくの偶然と言うしかなく、スポットライトが当てられた者たちも最後にはみんな死んでしまって、故郷に残してきた家族の許に帰還する夢が実現することはない。こうして、結果的に多大な犠牲を払った後に残ったのが現在の国境線なのである。
 ただ、この戦争とその後の東西冷戦の狭間にあって、フィンランドは他国の占領を一度も受けることなく、多くの東欧諸国のように共産主義の洗礼を受けることも免れて、絶妙の立ち位置でその独立を維持することになったということのようだ。調べてみると、このあたりのフィンランドの動きはなかなか面白いのだが、ここではあまり深入りしない方がいいだろう。
 いずれにしても、戦争映画としては非常にユニークな視点を貫いていて、若干盛り上がりに欠けるところはあるものの、そこがまた一般の戦争映画とは異なるリアリティが感じられて、わたしには非常に興味深く面白い映画だったと思う。

 2017年、フィンランド映画。監督・脚本:アク・ロウヒミエス、主演(ロッカ役):エーロ・アホ。カラー映画だったが、限りなくモノクロに近い絵作りが印象に残った(撮影:ミカ・オラスマー)。フィンランド人の名前というのは変わっていて、われわれには馴染みがなく面白い。そういえば、あのアキ・カウリスマキもフィンランド人だったな。
(新宿武蔵野館、6月24日)
# by krmtdir90 | 2019-07-04 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

映画「陽のあたる町」

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 途中で眠気を抑えるのに苦労したことを(眠ってしまったわけではないが)、最初に言っておきたいと思う。決してつまらなかったわけではないが、映画の中に入り込むのにかなり苦労したということだったのである。

 ジョージア西部のチアトゥラという町の現在を描いたドキュメンタリー映画である(2017年、ジョージア・アメリカ・カタール・オランダ合作)。ラティ・オネリ監督はジョージアの首都トビリシの出身で、この映画が長編第一作だったようだ。
 眠くなってしまった大きな原因は、わたしがジョージアという国のこともチアトゥラという町のことも、何一つ知らなかったということがあったと思う。説明的な要素を省いてしまうのは、ジョージアの人々にとっては自明のことだからある意味正しいことかもしれない。だが、部外者からするとその点のハードルがきわめて高かったということなのである。
 日本公開にあたって、配給側もそのあたりを危惧したようで、フライヤーなどにはジョージアの地図と「ジョージアのチアトゥラとは?」という文章が掲載されていた。それを書き抜いておく。

 チアトゥラの町は、1879年にジョージアの詩人アカキ・ツェレテリや貴族によって創設された。20世紀初頭には世界で消費される50%のマンガンを産出し、産業の中心地へと変貌した。やがてソヴィエト連邦が構成されると、チアトゥラの町は理想郷、そして未来都市の象徴として巨額の投資が行われた。劇場、大学、コンサートホール、スタジアム、公園が建設され、同時に世界初かつ最大のケーブルカー交通網が整備された。しかし、ソヴィエト連邦の解体、そしてマンガンが枯渇すると経済も衰退の一途をたどり、人口は激減、1989年にはおよそ3万人が暮らしていたが、2008年の人口は1万9千人ほどまで落ち込んでいる。

 マンガン鉱についても詳しいことは何も知らないのだが、世界の消費量の半分を産出していたというのはかなり凄いことだろうし、チアトゥラという町がかつて「陽のあたる」輝かしい過去を持っていたことが、映画の前提として非常に重要なことなのは判ると思う。だが、題名に反して、この町の情景や人々の姿が明るい太陽の光の下で描かれることは皆無で、映画は終始、暗い曇天と夜の闇に包まれた町の現在を記録していくのである。
 もちろん前提を知らなくても、かつての繁栄がいまは失われ、廃墟ばかりが目立つようになってしまった寂れた町で、いまを何とか生きている人々の姿を描いていることは理解できると思う。だが、前提が判らなければ、その人々のことはぼんやりとしか理解できないし、それをただ淡々と映していくだけのこの映画について行くことは、正直かなりシンドイことだったように思う。

 全編を通して説明的なショットはきわめて少なく(ほとんどないと言ってもいい)、見る側の想像力に期待すると言えば聞こえはいいが、やはりもう少し明瞭な描き方はなかったのかと言いたくなってしまう。住民たちの中から幾人かがピックアップされていたと思うが、彼らが置かれた状況とか内なる思いとかが、この描き方ではかなり判りにくかったというのが正直なところである。
 廃墟そのものを淡々と映し出した「人類遺産」(2016年、ニコラウス・ゲイハルター監督)という映画があったが、あれは人間の姿を画面から意識的に排除することで、かつてそこにあった人々の営みを逆に強烈に浮かび上がらせていたと思う。だが、本作の場合はやはり廃墟はあくまで背景であって、いまそこで生きている人々の「現在」にスポットを当てているのだから、彼らの抱えた様々な事情や感情をもう少し浮かび上がらせてほしかったと思った。
(渋谷イメージフォーラム、6月18日)
# by krmtdir90 | 2019-06-22 12:12 | 本と映画 | Comments(0)

コピスみよし2019・第18回高校演劇フェスティバル(2019.6.16)

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 15日(土)のリハーサルと16日(日)の本番をすべて見させていただいた。リハーサルの日は本降りの雨になってしまったが、リハーサルそのものは各校とも非常に順調に推移し、特別触れておかなければならないことは何もなかった。本番の日は天気も回復し、昨年やや落ち込んでしまった観客数もしっかり伸びていたようで良かった。
 その後、例年通りに感想文を書き始めたのだが、最近は感想というものがなかなかうまくまとめられない感じがあって、だらだらと日にちばかりが過ぎてしまった。ただ、今年はかなり厳しめな感想になりそうなところもあるので、ここへの掲載は見合わせて、次のまとめの実行委員会で関係方面に配布するかたちを取らせてもらうことにする。
# by krmtdir90 | 2019-06-21 23:59 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)


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