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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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「星の王子さま」(サン=テグジュペリ作、内藤濯訳)

「星の王子さま」(サン=テグジュペリ作、内藤濯訳)_e0320083_1665640.jpg
 新座柳瀬の智くんが、贈り物だと言って内藤濯訳の「星の王子さま」を送ってくれた。一昨日の記事を読んだあとで、すぐにamazon に注文してくれたらしい。わたしはこういうのを利用したことがなかったので、なるほど便利な世の中になっているのだなと感じた。智くん、ありがとう。
 1943年の米国オリジナル版を元にしたもので、サイズは古い岩波少年文庫と同じだと思うが、本文は横書きになっていて、挿絵の色調などもオリジナルのものを忠実に再現しているらしい。コンパクトだが、非常に美しい本である。

 読みかけだった本を中断して、早速昨夜のうちに読んでみた。内藤濯の訳というのは非常に印象的な言葉遣いが多く、当然のことながら、わたしの「星の王子さま」のイメージは内藤濯の言葉を通して形作られたものであるのを確認した。
 そのあとで、「誰が星の王子さまを殺したのか」の安冨歩氏の解釈と付き合わせてみた。安冨氏は自らの論を展開するにあたり、自分はフランス語があまり判らないという前提に立って、原文をかなり大胆に意訳しているところもあると言われる内藤濯の訳を採用せず、原文を可能な限り忠実に訳しているらしい加藤晴久という人の訳文を使用しているのである。
 その違いは、次のような歴然としたものになっている。バラの花が王子さまに、寒いから覆いガラスをかけてほしいと頼む場面である。少し長いが書き写してみる。

【内藤濯訳】
 「夕方になったら、覆いガラスをかけてくださいね。ここ、とても寒いわ。星のあり場がわるいんですわね。だけど、あたくしのもといた国では……」
 花は、こういいかけて口をつぐみました。もといたといっても、花が、いたのではなく、種が、いたのでした。ですから、ほかの世界のことなんか、知っているはずがありません。思わず、こんな、すぐばれそうなウソをいいかけたのが恥ずかしくなって、花は、王子さまをごまかそうと、二、三度せきをしました。
 「ついたては、どうなすったの?……」
 「とりにいきかけたら、きみが、なんとかいったものだから」
 すると花は、むりにせきをして、王子さまを、すまない気もちにさせました。
 そんなしうちをされて、ほんきで花を愛してはいたのですが、すぐに花の心をうたがうようになりました。花がなんでもなくいったことを、まじめにうけて、王子さまは、なさけなくなりました。

【加藤晴久訳】
 「暗くなったら、私に球形のガラスの覆いを掛けてちょうだい。あなたのところはなんて寒いんでしょう。設備が悪いわね。私がここに来るまでいたところは……」
 しかし、彼女は黙りこくった。彼女は、種の形で来た。他の世界のことなど、知っているはずがなかった。こんなにも間抜けな嘘をついた現場をおさえられるという恥辱に、彼女は二、三度、咳払いをした。悪いのは王子のほうだと思わせるためだった。
 「衝立はどうなりました?」
 「取りに行こうとしていたのだけれど、あなたが私に話しかけていたものだから」
 すると彼女はもう一度、咳き込んでみせて、いずれにせよ王子に自責の念を負わせようとした。
 かくして小さな王子は、彼の愛による善意にもかかわらず、すぐに彼女を疑うようになった。彼は大したことのない言葉を真面目に受け取って、とても不幸になった。

 二つを比較すると、バラの花の印象が全く異なるものになってしまっているのに驚きを感じる。内藤訳で「星の王子さま」を読んだ者には、バラの花というのはわがままで厄介な存在だけれど、そのせいで王子さまが自らの住み慣れた星を逃げ出すことになったほどとは思えないのである。
 テグジュペリは飛行士に「渡り鳥たちが、ほかの星に移り住むのを見た王子さまは、いいおりだと思って、ふるさとの星をあとにしたのだとぼくは思います。(内藤訳)」と言わせているが、いくら読んでも、王子さまがなぜ旅立つ気持ちになったのかというのは、もう一つはっきりしない感じがしていたのである。バラの花によるモラル・ハラスメントという解釈は、その割り切れない感覚にとにかく一つの解答を与えてくれるものではあった。

 安冨氏の本によって、「星の王子さま」という作品に感じていた判りにくさの原因の多くが、内藤濯の訳文によるものだというのが明らかにされたように思った。
 例の「飼いならす」に関する王子さまとキツネの会話の中にも、そういうことが見られるのである。

【内藤濯訳】
 「なんだか、話がわかりかけたようだね」と、王子さまがいいました。「花が一つあってね……。その花が、ぼくになついていたようだけど……」

【加藤晴久訳】
 「わかり始めてきた」と小さな王子は言った。「一輪の花があってね……ぼくが思うに、彼女はぼくを飼いならした……」

 とりわけ、この部分における訳文の違いは重大ではないだろうか。「なついていた」と「飼いならした」では、意味するところは全然違ってしまう。バラの花が王子さまを困らせた様々な行為が「なついていた」からなのだとなってしまったら、バラの花は王子さまに甘えている可愛い存在ということになってしまうではないか。

 また、ここと関連してきわめて重要な次の部分。

【内藤濯訳】
 「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」
 「ぼくが、ぼくのバラの花を、とてもたいせつに思ってるのは……」と、王子さまは、忘れないようにいいました。
 「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね……」と、キツネはいいました。
 「ぼくは、あのバラの花との約束をまもらなけりゃいけない……」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。

【加藤晴久訳】
 「きみのバラのためにきみが無駄にした時間のゆえに、きみのバラはそんなにも大切なんだ」
 「ぼくのバラにぼくが無駄にした時間のゆえに……」。小さな王子は、忘れないように繰り返した。
 「人々はこの真理を忘れてしまった」とキツネは言った。「しかしきみは忘れてはいけない。きみが飼いならしたものに対しては、きみは永遠に責任を負うことになる。きみは、きみのバラに責任がある……」
 「ぼくは、ぼくのバラに責任がある……」。小さな王子は、忘れないように繰り返した。

 この部分は、加藤訳で読むと原作そのものが持っている問題点、つまり「バラの花が王子さまを飼いならした」とされていたのが、ここでは「王子さまがバラの花を飼いならした」と変わってしまっていることが明らかになっているのだが、内藤訳では「バラの花は王子さまになついていた」→「王子さまはバラの花のめんどうをみた」ということになってしまい、両者の間は何の問題もない良好な関係のように見えてしまうのである。
 実際にはどちらも「飼いならした」という同じ単語が使われていて、それがいつの間にか「誰が誰を」の部分が逆転してしまっているのである。安冨氏の解釈によると、途中に「関係をとり結ぶ(加藤訳)」(内藤訳では「仲よくなる」)という双方向的な概念が挟み込まれることによって、キツネによるすり替えが行われたということになり、この説明はよく判るのである(しかし、当のテグジュペリ自身がこの点をどう考えていたのかは判らないままなのだが)。
 だが、この点はひとまず置いておく。

 訳の問題としてわたしが責任が重いと思うのは、加藤訳で「無駄にした時間」とされているところが、内藤訳では「ひまつぶし」という価値判断のはっきりしない言葉に置き換えられている点、さらに王子さまが「忘れないように」繰り返した言葉が、両者の訳では全く異なった訳し方になっている点である。
 王子さまが繰り返した部分は、キツネの言葉のどの部分が王子さまに響いているのかという問題なのだから、勝手に入れ替えていいものではないはずである。加藤氏が原文に忠実に訳しているのだとすると、王子さまは自分がバラの花のために時間を無駄にしてしまったということを受け止めているのである。それなのに内藤訳では、王子さまはバラの花をとてもたいせつに思っていることが強調されることになっている。

 また、加藤訳が「ぼくのバラに責任がある」としているところを、内藤訳が「あのバラの花との約束をまもらなけりゃいけない」と訳している点もである。前に「星の王子さま」を読んだ時に、王子さまとバラの花の間に何か約束があっただろうかと考えてしまった。相手に対して責任があると感じることと、責任があるというのは相手との間に約束があることになるのだというのは、全く異なった考え方ではないだろうか。
 責任の重さを受け止めている状態と、約束を守らなければならないと感じている状態は明らかに違うし、この訳し方で、王子さまは大切な約束を守るという(正しい)方向に踏み出していくのだと読者を誘導してしまったとしたら、罪は大きいのではないだろうか。誰に言わせても、約束は違えてはならないものだからである。

 責任を果たすという言い方があるが、飼いならしたペットに対して(わが家にもネコがいるが)飼い主として責任を果たすというのは判るが、飼われたペットが飼い主に対して責任を果たすというようなことはよく判らない。また、関係を結んだ、仲よくなった相手に責任を果たすというのも、言葉の使い方としてどうも据わりが良くないような気がする。いすれにしても、それは約束を守るというのとは異なる心の動きだと思うのである。
 王子さまの中には、最後のあたりで何らかの後悔のようなものがあると思えて仕方がないのだが、それが何なのかは依然として判らないままなのである。王子さまは飼いならしたキツネに対しても、仲よくなった飛行士に対しても、その責任を果たしているようには見えないし、仮に彼らに対する責任というようなものを感じていたとしても、それはバラの花に対する責任より重要なものではなかったということなのだろう。

 バラの花に対して王子さまが持っていた感情というのは、わたしはこれまで、そばにいるとわがままで勝手な花だったけれど、本来「はかない」存在だったということに自分が気づくことができなかったという、後悔とか自責の念というような感情ではないかと漠然と思っていた。モラル・ハラスメントという視点によってずいぶん明らかになったところはあるが、判然としないところも依然として残っているような気がする。
 結局のところ、加藤晴久氏の訳で全文を読んだわけではないし、もちろんフランス語の原文ですべてを見たわけでもないのだから、必ずしも原文に忠実とは言えない内藤濯氏の訳本に頼るしかない以上、よく読み取れないところが残ってしまうのは仕方がないことなのかもしれない。しかし、そういう事態であるにも関わらず、「星の王子さま」という作品がこれほどの人気を勝ち得ているのは、何とも不思議な状況という気がするのである。

 改まって「星の王子さま」論を書くわけではないので、中途半端な感想文だが今回はこんなところで。おわり。
by krmtdir90 | 2014-11-05 16:20 | | Comments(2)
Commented by at 2014-11-06 01:20 x
脚色ものを上演した時は、ご覧頂いた方が原作を気にかけてくれるととても嬉しいので、ついつい部屋を片づけるきっかけを奪ってしまいました(^^;;
さて、秋の芝居の台本を作る時に、実は加藤晴久注釈の『自分で訳す星の王子さま』という本をかなり参考にしました。内藤訳を中心に定訳を探りながら、直訳があまりにニュアンスが違うところは直訳から科白を起こしたところが多々ありました。なので、ウチの王子さまは『僕は、僕のバラに責任がある』でした。
近年出た翻訳を読み比べても、かなり翻訳に違いがあるので、専門家でもニュアンスの解釈がいろいろあるのだと思います。まぁ、それを言い出すとタイトルもそもそも『星の王子さま』ではないですからねぇ(^^;;
難しいところです・・・
Commented by natsu at 2014-11-06 22:16 x
きみのブログの前の方を見返したら、執筆前に加藤晴久氏の本もちゃんとチェックしていたことが書いてあった。さすが!
でも「星の王子さま」といえば我が国では内藤濯訳が圧倒的に浸透しているから、基本的にはそれを生かさないわけにいかないだろうし、書くのけっこう苦労したんだろうね。
わたしは通りすがりの野次馬に過ぎないから、いろいろ知っても、一度内藤訳で刻み込まれたイメージは簡単には払拭できないと思いました。長い時間をおいて読み返してみても、結局は内藤訳の言葉で何もかも覚えているんだよね。
今回の読書で内藤訳からだけでは判らないいろいろなことがわかったけれど、内藤濯の果たした功績というのは揺らぐものではないとも思いました。タイトルを「星の王子さま」としたのも絶対によかったし、ね。

部屋の片づけは、うー・・・。
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