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扉を開くと、本文の前にいきなり見開きの「道東・北方領土地図」というのが載っている。国後島・択捉島を始め北方4島が全部含まれた広域図の右下には、根室半島の拡大図と根室市街地のさらに詳しい拡大図も付いている。物語の舞台になるのが北海道最東端に位置する根室の町なのである。時代背景は昭和35年から41年にかけて、したがって広域図には、(この小説には何の関係もないが)この時点ではまだ廃線になっていない標津線や相生線の線路なども記入されている。 国後・択捉・歯舞・色丹の4島は、1945(昭和20)年8月8日に対日宣戦布告をした旧ソ連によって、8月28日から9月5日の間に占領されたものである。にわか勉強ではこのあたりの経過についてはよく判らない点も多いのだが、とにかく当時4島に居住していた約17000人余りの島民は様々なかたちで島を逃れ、根室を始めとする道東などに移り住むことになったようだ。物語の始まりは、それから15年が経過した根室の町である。 桜木紫乃としては珍しく(と言っていいと思う)、時代背景や社会背景といったものがしっかり書き込まれた小説である。根室は戦争末期、7月14日の空襲で市街地の大半を焼失する壊滅的被害を受けたようだが、そこから立ち直り水産業を中心とした町として復興していた。当時の根室には元島民だったという人間もたくさん住んでいたし、天気ならば海峡の向こうには敗戦によってソ連領となってしまった島影が見えていて、海峡に引かれた見えない国境線が、漁業民や町の人びとの生活のあり方に様々な影響を落としているのである。 そうした背景をきちんと押さえた上で、今回桜木紫乃は珍しく(と言っていいと思う)、日の陰った片隅にひっそり生きるような登場人物ではなく、町の中核にあって町そのものを左右するような力のある登場人物たちを描き出すのである。主人公は、根室で古くから水産会社を営む地元有力者の家に生まれた3姉妹であり、その次女・珠生(たまき)の波乱に満ちた人生を中心に据えながら、男と女、様々な登場人物たちの数奇なドラマを展開させるのである。 ちょっと離れているうちに、桜木紫乃は確実に一つ新しいステージに進み出たような気がした。物語の語り手として、どんどん脂がのってきたのではないかと思った。特有の研ぎ澄まされた文体で描き出される人間模様は、これまでになくスケールアップされた印象があり、表現の凝縮された鋭さにはさらに磨きがかかった感じがあった。語りの緩急・強弱のつけ方なども、約300ページというのは一応長編と言っていいと思うが、「ラブレス」の時などと比べるとずっと安定感があったと思う。 とにかく、じっくり楽しませてもらった感じである。主人公・珠生をめぐる人間関係が、例によって一筋縄では行かない屈折した展開を見せるのだが、脇役だったはずの三女・早苗を始め、長女・智鶴や喜楽楼の女将・龍子といった女性陣がどんどん鮮明になってくる過程は、さすが桜木紫乃という感じで面白かった。今回は男性陣もくっきりと造形されていて、珠生の相手・ヤクザ稼業でのし上がる相羽重之、その腹心の木村、使い走りの保田、さらに成り上がりの水産会社社長・三浦といったところも、それぞれの役どころを丁寧に書き込まれていると思った。 ただ、女性陣がそれぞれの底知れぬ闇を抱えながらどんどん変化していくのに対し、男性陣は設定された役回りからほとんど外れることがなく、女性が自由自在に動き回っているのに、男性は約束された性格付けや動き方からなかなか逸脱できない不自由さを感じた。智鶴が嫁いだ相手・大旗などはずっとつまらないステロタイプのままで、こういう長編になってくると、桜木紫乃の得手不得手(男性女性の描き方の得意不得意)がどうしても見えてきてしまうような気がした。桜木紫乃は女性を描く小説家なのである。 女性陣の中で相羽の愛人・スミだけが、この物語の中では一人だけよく判らない描き方になっていて、物語の展開のカギになる存在なのだが、どうもそちらの役割が優先されてしまった感じで、人物造形に若干手抜きがあったような気もした。 いずれにせよ、主人公・珠生の「成長」物語として見れば、彼女が「階段」を上がるごとに描かれる鮮やかな場面が実に印象的(爽快と言ってもいい)で、そのたびに「うおーっ、やってくれるじゃないの」というような、物語につきあう快感を十分堪能させてもらった。そういう場面はたくさんあるが、例えば、珠生が初めて煙草を吸い、自分専用のライターを購入するシーンとか、また、相羽とスミの殺害現場(あれ、ネタバレかな)で、制止する警官に向かって「『相羽組』の相羽珠生だ」と啖呵を切るところ、など。 ところで、この終わり近くの殺人事件については、この物語はその経過に明確な決着をつけていない。それが明らかになったところで、珠生が置かれてしまった位置というか、ラストシーンで珠生が進む道には何ら変化は生じないのだということだろう。このある種突き抜けた終わり方に、桜木紫乃の小説家としての潔さというようなものを見る気がした。ミステリー的な謎解きではなく、興味があるのはこの女が最後に立った立ち位置なのだということ。これが桜木紫乃なのだと思った。 安易に考えると、これは映画化にぴったりの物語のようにも思えるが、これはたぶん違う。絶対に、ストーリーをなぞるだけのつまらない映画にしかならないから、やめたほうがいいと思った。それと、謎解きを含んだ続編が書けそうな気もしたが、これもやはりやめておいた方がいい気がした。 あと、「霧」と書いて「ウラル」というのは何なのか、調べてみたが判らなかった。どなたかご存じでしたら教えてください。
by krmtdir90
| 2015-11-13 21:23
| 本
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