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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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「さよなら妖精」「真実の10メートル手前」(米澤穂信)

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 「王とサーカス」の主人公・太刀洗万智が、米澤穂信氏の小説の中に初めて登場したのが「さよなら妖精」という作品なのだという。何となく興味が湧いたので、行きつけの書店の文庫本の棚から探し出し、買ってきて読んでみた。2004年に単行本として出版され、2006年に文庫本になったものらしい。
 米澤穂信氏のデビューは2001年だから、「さよなら妖精」はかなり初期の作品ということになる。最初は角川スニーカー文庫といったいわゆるライトノベル系の作家として世に出たらしく、この作品も4人の高校生とユーゴスラヴィアから来た少女・マーヤとの交流を描いた、青春ミステリとでも呼ぶべき(ライトノベル系の)作品になっている(出版社は東京創元社に移り、ミステリ・フロンティアというレーベルから出されたようだ)。

 わたしは決して熱心なミステリファンというわけではないから、以下は付け焼き刃的なにわか知識に過ぎないのだが、ミステリの中には死体の転がらない(殺人を扱わない)作品の系譜というものがあって、日々の暮らしに転がる小さな謎にスポットを当て、そこに意外な真相を読み取ることで成立するミステリというのがあるらしい。この作風を「日常の謎」派と呼ぶらしいが、「さよなら妖精」はそういう作品系列でデビューした米澤穂信氏の初期の代表作となったもののようだ。
 このところ3冠達成と話題になった3つのミステリ・ベストテンのうち、このミステリーがすごい!ベストテン(2005年)では20位、3つには含まれないが4つ目?のベストテンとも言うべき本格ミステリ・ベストテンでも22位と、圏外ながら米澤氏としては初めてランクインしたのがこの作品だったようだ。その後、2年連続3冠達成まで上り詰めることになる米澤穂信の、文字通り出発点となった作品と言ってもいいのかもしれない。

 この作品は「おれ」という一人称で書かれている。その語り手は守屋路行という高校3年生で、語り手だから一応主人公という位置付けになっているが、その相手役として主人公とほぼ同等の重さで登場してくるのが太刀洗万智ということになっている。この時点では米澤穂信は、太刀洗万智という登場人物を後年再登場させて新たな物語を作ることなど考えてもいなかったと思われるが、書いた後である種愛着の残るキャラクターだったのだろうというのは、何となく想像できるような気がした。
 ライトノベルというものをこれまで全く知らないのだから、それが一般的にどの様な登場人物を登場させ、どのような物語を展開させるのか判らないままに勝手な印象を述べるのだが、この作品の落ち着きのある話の進め方や記述の仕方というのは、米澤穂信という作者に固有の美点と考えてよかったのだろうか。太刀洗万智の一見判りにくいように見える個性的なキャラクター設定も、他にはあまり見ることのできないようなものなのではないかと想像した。

 今回は作品の内容にあまり踏み込んで書くつもりはないのだが、マーヤが民族対立と各民族の独立を賭けた内戦が勃発していたユーゴスラヴィアに帰った後、6つあった共和国のうち戦火の激しかった地域に帰ったのか、それとも比較的平穏な地域に帰ったのか、住所を明らかにしなかった彼女の安否を思いながら推理するところが本作最後の「謎」となるのだが、答はマーヤの兄から太刀洗万智の許に届いていた手紙によって守屋路行に明かされることになる。
 ライト(軽い)ではない現実が一気に流れ込んでくる結末は、その背景をきちんと書き込みながらも、日本のライトな日常生活の続きの中で位置づけられるしかない。この結末ではもう一つ、太刀洗万智によって守屋路行に投げつけられる短いセリフも印象的である。ずっと素っ気ない無関心とも見える態度で守屋とマーヤに接してきた彼女は、マーヤの運命に衝撃を受ける守屋に「でも守屋君、あなたちょっと、わたしを冷たく見積もりすぎじゃないの!」と叫ぶのである。

 これは太刀洗万智の、彼女なり精一杯の「告白」ではなかったか。それにしても、これはかなり予想外の展開だった。それなりの伏線は張られていたし、この展開に違和感のようなものは全く感じなかったけれど、最後の最後に彼女にこういうセリフを吐かせることで、太刀洗万智というキャラクターを一気に魅力溢れる忘れ難いイメージとして定着させたのだと思う。古臭い言い方かもしれないが、Boy-meets-Girl、仲良しの高校生の男子と女子に、そういう要素が絡まないことの方がおかしかったと言うべきなのだろう。
 爽やかで品のある「日常の謎」ミステリとしてしっかり完結していながら、この作品は崩壊するユーゴスラヴィアという国家の悲劇をきちんと描き出し、その犠牲となったマーヤというヒロインを最後に浮かび上がらせ、さらにその上に、太刀洗万智というもう一人のヒロインの「恋」をも鮮やかに浮かび上がらせて見せたのである。そのいずれもが、浮かび上がらせ方としてははなはだ控え目な感じであったことが、この何事もこれでもかと言い過ぎる時代、わたしには非常に好感が持てるという気がしたのである。

 米澤穂信氏は「王とサーカス」のあとがきで、「王とサーカス」は「さよなら妖精」と同じ太刀洗万智という人物が登場しているが、「内容的には連続していません。『さよなら妖精』をお読み頂いていなくても問題はありません」と断っている。それはその通りで、わたしも「さよなら妖精」を後から読んだが全く「問題」は感じなかった。しかし、読み終わってから「王とサーカス」を見返してみると、なるほどなと思わされる「関連」が幾つか埋め込まれていた。
 「王とサーカス」の本編が始まる前に、「マリヤ・ヨヴァノヴィチの思い出に」という献辞が記されていた。マリヤ・ヨヴァノヴィチは「さよなら妖精」のマーヤの本名である。また、本編の中でライターとして「なぜ伝えるのか」という問いに「誰かのためじゃない。わたしが、知りたいからだ」という結論に到達する太刀洗万智が、次々に「知りたい」ことを列挙する最後に(米澤穂信は)こう記すのである。

 わたしの大切なユーゴスラヴィア人の友人は、なぜ死ななければならなかったのか?
 なぜ、誰も彼女を助けることができなかったのか?
 わたしが、知りたい。知らずにはいられない。だからわたしはここにいる。目の前の死に怯えながら、危険を見極めて留まろうとしている。なぜ訊くのかと自らに問えば、答えはエゴイズムに行き着いてしまうのだ。知りたいという衝動がわたしを突き動かし、わたしに問いを発させている。それが覗き屋根性だというのなら違うとは言えない。どう罵られても、やはり知りたい。知らねばならないとさえ思っている。

 「王とサーカス」の太刀洗万智は、「さよなら妖精」の太刀洗万智と確かにつながっている。そう確認できるように書かれている。みずからのアイデンティティーに関わる問いの前で、それと必死に向き合おうとする太刀洗万智の原点に、ユーゴスラヴィア人の友人・マーヤの死と、そしてもう一つ「でも守屋君、あなたちょっと、わたしを冷たく見積もりすぎじゃないの!」という叫びがあったような気がするのである。
 恐らく、それが彼女の誠実さの原点である。太刀洗万智を再登場させることで、米澤穂信は「日常の謎」ミステリのサイドストーリーとして、太刀洗万智の「成長物語」とでも言うべき魅力的なストーリーラインを獲得したのだと思った。

 「真実の10メートル手前」は、まだ発刊されたばかりの単行本である。奥付は2015年12月25日となっている。米澤穂信氏は「王とサーカス」以前に太刀洗万智を主人公とした短編を幾つか書いていたようで、本書にはそうした6編が収録されている。1編は書き下ろしだが、他の5編は様々な異なる経緯を経て生み出された作品であるらしく、最も古いものが2007年、最も新しいものが表題作の2015年となっている。
 表題作は太刀洗万智が新聞記者だった時代を扱っており、あとがきによればこれは「王とサーカス」の冒頭に、プロローグのように置かれる予定で書き始められたものだったらしい。
 それはともかく、6編を読み終わっての最初の感想は、太刀洗万智の「成長物語」はまだ始まったばかりで、これからも米澤穂信氏のライフワーク的なシリーズとなっていくのではないかという気がした。大学時代の太刀洗万智についてはまだ何も語られていないし、なぜ新聞記者になったのか、なぜ新聞記者をやめてフリーのライターになったのかといった、重要なタイムエポックに関わるミステリがこれから書かれるのではないかという期待を抱かせられるのである。

 この6編の中の一作、「ナイフを失われた思い出の中に」は後味の悪い殺人事件を扱っているが(後味のいい殺人事件なんてないか)、これはヨヴァノヴィチという外国人の一人称で語られる(もちろん日本語で書かれているが)物語になっている。「さよなら妖精」に登場したユーゴスラヴィア人・マーヤの死を太刀洗万智に伝える手紙を書いたマーヤの兄である。
 ミステリとしてのストーリーは後味の悪いものだったが、一方に「さよなら妖精」に結びつくこうした設定を配したことによって、この物語はマーヤや守屋路行から始まった太刀洗万智の紆余曲折を経た人生を想起させ、そこから「成長」した現在の太刀洗万智の姿を鮮やかに描き出す、後味のいい物語になることが出来ていたと思う。

 また「さよなら妖精」の文庫本に戻るが、創元推理文庫というのは日本人作家の作品であっても、扉の裏に英訳されたタイトルが付されているのが特徴になっている。手近にある黒川博行の「キャッツアイころがった」なら「THE CAT''S-EYE ROLLED」といったふうに。
 ところが、この「さよなら妖精」の英訳タイトルは「THE SEVENTH HOPE」となっていて、他とは明らかに趣の異なるかたちになっていた。「7つ目の希望」とでも訳せばいいのだろうか。6つの異なる民族・異なる文化を持つ共和国による連邦国家であったユーゴスラヴィアが、それぞれの独立を求めて内戦に突入していく中で、お互いの違いを止揚した全く新しい「7つ目」を夢見ていたマーヤの思いを表したタイトルである。

 わたしが高校生だった頃、ユーゴスラヴィアという国は確かに存在していたと思う。だが、それがいまはなくなって、6つの異なる独立国家になっていることはよく認識してはいなかった。
 何と言えばいいのだろう、米澤穂信というミステリ作家の書くものは、ミステリの枠を超えて、いろいろなことを考えさせてくれる面白い側面を持っていると思った(数日前のニュースでは、残念ながら「王とサーカス」は直木賞候補にはなれなかったようだが)。
by krmtdir90 | 2015-12-22 22:11 | 本と映画 | Comments(0)
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