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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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「居酒屋の戦後史」(橋本健二)

「居酒屋の戦後史」(橋本健二)_e0320083_18243251.jpg
 著者の橋本健二という人は、社会階層論・階級論といったことを専門とする社会学者のようだ。酒を愛し居酒屋を愛し、すでに「居酒屋ほろ酔い考現学」(2008年)という著書もあるようだが、わたしはこれを読んでいない。
 本書は昨年(2015年)12月に出たばかりの本で、書店の店頭で、戦後の居酒屋の変遷をたどった軽い読み物だろうと思って購入してきた。読んでみたところ、確かにそういう一面はあるものの、もう少しきちんとした観点を持った「戦後史」についての考察の本だった。著者の専門分野を反映して、酒と居酒屋という視点から戦後日本社会の歩みを振り返り、その階級社会・格差社会との関連について論じようとしていた。軽い読み物という基本線は保ちながら、一方に著者としての真面目な社会学的視点を設定しているので、読んでいていろいろ教えられるところも多かった。

 「居酒屋の‥」と題されながら、本書ではもう少し広範な視点から、どんな酒が、どんな場所で、どんな人たちに、どんなふうに飲まれていたのかといったことを、時を追って具体的にたどろうとしている。戦争末期の1945年初頭あたりに始まり、敗戦と戦後のヤミ市、そして復興期から高度成長期へと、酒と居酒屋をめぐって語られるあれやこれやは、実に多岐にわたり、非常に面白く興味深いものだった。
 戦後間もないあたりでは、密造酒カストリとはどういう酒で、どんな形で人びとに飲まれていたのかを紹介したところ。瓶からグラスに注ぐ時、受け皿にまでこぼすのが特徴だったという「アサヒグラフ」(1947年の号)の記事に注目し、「こうしたやり方はすでに昭和初期からあったようだが、ヤミ市時代に意地汚い飲んべえたち相手に広まったのだろう」と述べている。この「昭和初期」の根拠としているのが井伏鱒二のエッセイだったりと、著者の多方面への目配りが窺えるものになっている(なお、酒を受け皿に溢れさせるこうした供し方は、いまもあちこちの居酒屋で行われているが、品がないし、わたしとしては即刻やめるべき風習だと主張しておきたい)。

 なぜ豚を焼いても「やきとり」なのかを問題にした項では、結局その由来に決定的な答えは得られないものの、戦後のヤミ市が「やきとり屋」というものを、酒(カストリ)とやきとりを結びつけた居酒屋の一形態として、広く大衆に受け入れられる形に定着させたとして、「やきとり屋はおそらく、戦後日本でもっとも成功した飲食店のビジネスモデルのひとつだろう」と述べるあたりも面白い。戦後の一時期、「やきとりキャバレー」なるものがあったというのも驚きだった。
 こうした戦中から戦後のありさまを、「文士と酒」という視点で紹介した章が間に挟み込まれていて、これもなかなか興味深かった。取り上げられている「文士」は、高見順、山田風太郎、古川ロッパ、徳川夢声、坂口安吾、そして内田百閒の6名である。いずれ劣らぬ酒豪揃いで、入手困難だった酒を求めて彼らが右往左往するさまを鮮やかに描き出していて、何とも楽しかった。
 こうした記述の間に、「戦争に反対しなければならない理由はいくつもあるが、酒飲みにはさらに、強力な理由が加わるといっていい。なぜなら、戦争とは酒が自由に飲めなくなることだからである」といった一節がさりげなく加えられていたりするのも、この著者の面目躍如といった感じがした。

 戦後復興期から高度成長期にかかるあたりでは、経済格差の問題が様々なところに顔を出すようになってくる。
 復興期、清酒の生産回復は遅れた。原料となる米が流通を厳しく統制され、最優先で食用に回されてしまったためである。酒米の不足を補うため合成酒などが幅をきかせ、醸造用アルコールに頼って質の低下を招いていた。代わって人びとの間に急速に普及したのがビールだったという。戦前は高級品だったビールが、戦後の酒不足の中、配給品として全国の家庭に広まったようである。
 高級品だったウイスキーは、戦後にサントリーが発売したトリスによって大衆の中に浸透していった。ハイボールという飲み方が普及したのもこれからである。そこから、最も庶民的な酒であった焼酎のハイボール、酎ハイが誕生したというあたりも興味深い。

 人びとの経済格差によって飲む酒が異なるというのは、たぶん昔も今も多かれ少なかれそういうことがあったのだろうが、著者によれば1974年というのが、日本の経済格差が近現代史を通じて最も小さくなった時期だったという。いわゆる「一億総中流」と言われた時代だが、所得階層別の酒類消費額というグラフでそのあたりを確認するのは、この本の誠実で興味深いところである。様々な酒が人びとに広く飲まれるようになり、著者は「高度成長は、日本の酒文化を大きく変えた」と述べている。
 そうした一方で著者は、「豊かな階級の人びとが、自分たちの豊かさと趣味の良さを誇示するために、高級品を消費する」「みせびらかしのための消費(衒示的消費)」というものが存在していたことを紹介している。自動車ならば、「富裕層はベンツ、その少し下になるとクラウンやセドリック、管理職クラスはコロナやブルーバード、普通のサラリーマンはカローラやサニー、といった具合」である。ウイスキーで言えば、ジョニ黒・ジョニ赤に代表されるスコッチウイスキーを頂点に、国産の(サントリーなら)オールド→角→ホワイト→レッド→トリスといった序列が、人びとの生活感の中に存在していたと述べている。
 就職したばかりだったわたしの記憶の中に、確かにそういう感覚があったことを思い出して、何とも複雑で懐かしい気分になった。

 本書ではその後、いわゆるチェーン居酒屋の台頭、地酒ブームと日本酒の復活、名酒居酒屋の誕生といった流れをたどった後、酒と居酒屋の現在の状況がどうなっているかを俯瞰的に考えている。終章のタイトルは「格差拡大と『酒格差社会』」となっている。現状はきわめて危機的な状況が生まれていると著者は主張している。懐かしい写真などが配されていたここまでと違って、この章では様々なグラフや表などを駆使して、著者は真正面から「格差大国・貧困大国」となってしまった日本の現況を問題にしているのである。
 この章に至って一気にギアが入った感じで、その語り口もきわめて熱いものに変化している。様々な問題が指摘されているが、酒税法を問題にするその舌鋒はとりわけ鋭い。「現代の日本の酒税法は、富裕層に有利に働き、貧困層から中間層に不利に働くという、逆進的な性格を持っている」という指摘。また、「日本のビールにかけられている酒税の税率は、国際的にみると異常といっていいほど高い。主要欧米諸国の10倍前後にも達しており、比較的高い英国と比べても約2倍である。このことが、ビール市場、いや酒市場全体を歪めている」、このため「ビール風アルコール飲料のような、本来は不要のはずの商品が成立している」ことの矛盾。

 この終章を読んで、わたしはこの本の感想文をこのブログに載せなければならないと思った。わたしは酒飲みとしてはささやかな酒飲みにすぎないが、酒を愛する点では人後に落ちないと自負しているからである。
 終章の終わりあたりから、少し長くなるが、著者の危機感に共感する部分を書き抜いて終わりにしたいと思う。

 近年の日本では、格差拡大によって中流層の分解が進み、人々は酒に親しむことのできる階級とできない階級へと隔てられつつある。日常的に良質の酒を飲むことのできる人とできない人。居酒屋へ行くことのできる人とできない人。そんな分断線が、人々の間に引かれるようになっている。

 格差拡大は、酒を相対的に豊かな一部の人々のみのものに貶め、酒消費を減退させ、酒造業界と居酒屋業界を困難に陥れる。
 酒文化は、長い歴史のなかで形成され、守られてきた。しかし酒文化は、最終的なところでは酒の飲み手に支えられている。酒の飲み手が減少すれば、衰退は避けられない。(略)若い男性が酒を飲まなくなったことの影響は大きい。
 酒は嗜好品だといったが、他の嗜好品と違うのは、さまざまな社会的機能を持っていることである。酒は人々に安らぎを与える。人と人のつながりを作り出す。人々の集う場に彩りを与える。食文化を支え、豊かにする。酒文化が失われれば、こうした社会的機能も失われる。酒文化の危機は、社会の危機でもある。

 何を大袈裟なと、言いたい奴は言わせておけ。生活に余裕のない、ギスギスした社会が目前に来ているではないか。著者の次の「提案」は、この上なく真剣で切実な提案だと思う。この提案を裏付けるために、著者は戦後の「酒」と「居酒屋」が、人々にとってどんなに大切なものであったかをたどってきたのだと思う。

 ここで私は、酒を楽しむことは人権の一部だと考えることを提案したい。人権の一部だというのは、日本国憲法第25条の表現を用いれば、「健康的で文化的な最低限度の生活」に含まれるということである。すべての人に保障されるべき生活水準の範囲内に、酒が含まれるということである。
 すべての人に保障されるべき生活水準からこぼれ落ちることを、貧困という。だとすると、酒が人権の一部だというのは何を意味するか。飲みたい酒を飲むことのできない状態は貧困であり、貧困の定義のうちに含まれるということである。
「誰でも酒を楽しむことのできる社会を」
 これは、また豊かな酒文化を守り育て、安定した社会を維持するための要求であるとともに、人権保障の要求である。

 格差は、政治的な争点である。格差拡大によって利益を得る人々と、生活困難に陥る人々の間、格差が拡大してもいいと考える人々と、そう考えない人々の間で、繰り広げられる政治闘争の争点である。酒好きであるならば、この闘争に参加する資格がある。いや、酒を本当に愛するなら、参加する義務があるといっていい。

 酒と居酒屋についてあれこれ語った本の最後が、こんなに熱い言葉で閉じられるとは思ってもみなかった。酒飲み必読の書ではないだろうか。
by krmtdir90 | 2016-01-11 18:25 | | Comments(0)
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