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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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「原発棄民」(日野行介)

「原発棄民」(日野行介)_e0320083_1027674.jpg
 映画「大地を受け継ぐ」を観たあと、現在の福島のことを書いた本が読みたいと思っていたら、行きつけの書店で、出たばかりのこの本が目についたので購入した。「フクシマ5年後の真実」という副題がついている。
 この本は、原発避難者の現状を生活基盤となる住宅問題を主な切り口として報告したものである。著者は毎日新聞の記者で、特別報道グループというものの一員として原発事故の問題を追及し続けてきたらしい。毎日新聞はわが家の購読紙で、こうした企画記事をよく掲載していると思っているが、そうしたものをこんなふうに一つにまとめてくれると、全体像が掴めてよく理解できると思った。

 まず最初に、年間被曝線量というものをどう考えるかという問題があるようだ。
 事故前のわが国はこの被曝限度を、年間1ミリシーベルト以下としてきた(この値には、自然界から受けるとされる年間2.4ミリシーベルトは含まれない)。これは国際放射線防護委員会(ICRP)が発表している一般人の限度値に基づくもので、ほぼ世界基準となっているものである(ICRPは併せて、放射線作業従事者は任意の5年間の年平均で20ミリシーベルト、ただしどの年も50ミリシーベルトを超えないものとしている。当然のことながら、従事者は成人であって子どもではない。言うまでもなく妊婦でもない)。
 福島の事故後、わが国は緊急時の避難指示基準として、被曝限度を年間20ミリシーベルトに引き上げる決定をした。その時のことは覚えているが、子どもたちもいるのにそんなに引き上げて大丈夫なのかと思った記憶がある。もちろん当時の状況を考えれば、ある程度基準を引き上げるのは仕方がないと思ったが、その後5年が経つ現在に至るまで、この20ミリシーベルトという値は1ミリシーベルトに戻されていないのである(確か事故直後、同時に福島の原発作業員については限度値を250ミリシーベルトに引き上げたが、これはその後50ミリシーベルトにまで戻されたようだ。ただ、現場の線量管理の杜撰さがたびたびニュースになっていたと思う)。

 問題なのは、1ミリシーベルトという値が存在したことを、いつの間にか忘れてしまっている(あるいは故意に忘れようとしている)ように見えることである。そもそも緊急措置であったはずの20ミリシーベルトがそのまま維持され、いまではそれがあたかも「安全基準」であるかのようになって、様々な「復興施策」の基準値になってしまっている点である。つい先日のことで記憶にも新しいが、丸川何とかという環境大臣が「1ミリシーベルトには何の根拠もない、反放射能の人たちがワーワー騒いでいるだけ」などと、信じられない低劣な発言をしたことが思い出される。。
 国や自治体にとって、原発避難者というのは20ミリシーベルトによって線引きされ、避難指示を受けた人々を指している。しかし、事故が起こる前の元々の被曝限度は1ミリシーベルトだったわけだから、仮に20ミリシーベルト以下であっても、子どものことなどを考えて不安だから避難するという人が出たのは当然のことだったと思う。だが件の大臣は、こうしたいわゆる自主避難者が(ワーワー騒いで)いるから復興が進まないのだと言いたかったのではないか。自公政権に戻ってからの政府は、折に触れて「復興の加速化」を打ち出しており、ここに来て、2017年3月末までに避難指示をすべて解除し、原発避難を終わらせる政策を打ち出している。

 指示による強制避難者にとってさえ唐突で一方的な「加速化」が、避難者個々の状況を少しも勘案しないかたちで進められようとしている。そこではさらに、20ミリシーベルトを納得しない自主避難者を「自分勝手で特別な人たち」であるかのように扱い、復興を妨げている邪魔者なのだという風潮が作り出されようとしていると、著者は指摘している。
 事故から5年が経とうとしているいま、確かに事故に直接関係がなかった(被曝線量や避難の問題と)大半の国民の意識の中で、福島の記憶が薄れていってしまうのは仕方がないことかもしれない。いま大半の地域で、年間被曝線量は1ミリシーベルト以下なのであり、そういう人々は時の経過とともに、20ミリシーベルトだって大丈夫なんじゃないかと思い始めている。そういうふうに言いくるめてしまう風潮が、あちこちで確実に作り出されているように思われる。何と言っても、自分が生活しているのは1ミリシーベルト以下の地域なのである。国が安全だと言っているのだから、ちょっとぐらい値が高いから嫌だなどとワガママを言わずに、そろそろ納得して終わりにした方がいいのではないか、というふうになってしまっていないだろうか。

 実際、低線量被曝が身体に及ぼす影響については、科学は明瞭な因果関係を描き出せてはいない。仮にガンを発病することがあったとしても、福島の事故との関連性が特定されることはほとんど期待できないだろう。だからといって、20ミリシーベルトという基準を受け入れられない人を誰が非難できるのだろう。避難者が納得できない「収束」などというのはあり得ないはずではないか。
 様々な意味で「納得できない」避難者がたくさんいることを、この本は各方面から取材して紹介している。そして、そうした避難者の心情や切実な要求に応えようとしない国や自治体の実態も、様々なかたちで描き出している。
 驚くべきことだが、いまに至るまで、避難者の数がどこでも正確に把握されていないこともこの本は指摘している。正確な人数がどこにも存在しない、そのことを誰もおかしいと思わない「復興計画」なのである。数の把握というのは実態の把握であり、避難者一人一人の存在を視野に収めることを意味している。それを行おうとしてこなかった国や自治体というのは、いったいどこを見て「復興」を考えてきたのだろうか。損害賠償とか生活保障とか、数の把握はそういう面倒なことと密接につながっているから、金の問題や責任の所在と関わってしまうようなことは、なるべく曖昧にしてはっきりしない部分を残した方が得策と考えていたのではないか。

 そしていま、避難指示解除による強制避難者の強制帰還が始められようとしている。避難指示がなくなれば、国や自治体にとっての避難者はいなくなるということである。残るのは、納得できないと言ってごねている自主避難者だけということになる。これまで国や自治体は、様々不十分な点はあったとしても、自主避難者に対しても住宅支援など一定の生活支援策を取ってきてはいた。当然のことである。しかし、それをもうやめるのだと、1年後に一方的に打ち切るのだということを決定したのである。
 国(いまの自公政権)は、とにかく早く「福島」を終わりにしたいのだ。「避難」している人間はいないという「かたち」を作りたいと考えているのだ。それが自分たちの「復興政策」の成果なのだと誇りたいのだろう。概数10万としか把握されることのない避難者の、その一人一人の思いは置き去りにされてしまうということなのだ。これがいま福島で進められている「復興」のかたちなのだとしたら、そんなものはおかしいという声をもっと大きなものにしなければならないと感じる。

 子どもたちの将来に、20ミリシーベルトという被曝限度を残すことはできない。1ミリシーベルトというのが、この国では(そして、世界の多くの国々で)ずっと続いてきた「根拠ある値」だったことを忘れてはならない。時の政権がいかに空疎な「安全神話」を撒き散らそうとも、被曝限度1ミリシーベルトが回復するまでは、福島の避難は終わらないし、終わらせることはできないのではないだろうか。
 被曝線量の問題というのは、たぶん人道上の問題と言うべきなのではないか。そう考えて政治が行われなければおかしいと思うのである。。
by krmtdir90 | 2016-02-28 10:27 | | Comments(2)
Commented by nakamura-en at 2016-02-29 10:35
同意します。
Commented by natsu at 2016-02-29 21:42 x
ありがとうございます。
このことは譲れないと思っています。
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