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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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「石川啄木」(ドナルド・キーン)

「石川啄木」(ドナルド・キーン)_e0320083_22512863.jpg
 ドナルド・キーン氏が東日本大震災と福島原発事故のあと、2011年9月に日本国籍を取得し日本に永住することにしたというニュースは驚きだったが、これは一日本人として嬉しいことだったしありがたいことだと思った。そのキーン氏が93歳にして執筆したのがこの石川啄木の評伝である。
 訳者名が併記されているから原文は英語で書かれたもののようだが、非常にわかりやすく読みやすい文章で、啄木の生涯を見事に浮かび上がらせていた。これまで日本文学を隅々まで研究し尽くしてきたキーン氏が、93歳になって取り組んだのが26歳で夭折した石川啄木であったことに大きな興味を覚えた。

 高校でずっと国語を教えてきたから(恥ずかしながら)、当然のこと石川啄木についてはある程度知っているつもりでいた。だが、キーン氏が描き出してくれた啄木像は、わたしの中途半端な啄木理解が恥ずかしくなるくらい、この上なく鮮明で生き生きしたものだった。
 よくありがちな啄木評価(讃美)のフィルターを通したものではなく、これほど生身の石川啄木を浮かび上がらせてくれた評伝はないのではないかと思った。啄木は天才には違いなかったが、人間としては様々な弱点やマイナス面を併せ持ち、矛盾に満ちた思い通りにならない生涯を送ったことが明らかにされている。しかしながら、それは啄木に対する誠実なリスペクトに裏打ちされており、安易な解釈や評価で判った気になる前に、あくまでも一人の人間についての「事実」に寄り添おうとする姿勢から行われた追跡作業なのである。

 キーン氏が太平洋戦争に通訳として従軍し、死んだ日本兵が残した手帳の日記を読んで衝撃を受け、そこから日本文学に連綿と続いてきた日記文学の伝統に分け入っていったというのはよく知られたエピソードである。この書においてキーン氏は、啄木の残した様々な「日記」に着目し、それを緻密に読み込むことによって(日記で足りない部分は周囲の人間が残した資料や手紙などを使って)事実はどうだったのかということのみを執拗に追跡している。
 推測は推測に過ぎないのであり、キーン氏の姿勢というのは、判らないことや矛盾しているところはそのまま提示して余計な解釈は挟まないようにしていると思われた。結果的に、なぜそんなふうになるのか理解し難い面などもそのまま提示されることになり、それは啄木という人間に対する興味の深まりとなって読者に示されることになった。だから、読んでいてとにかく面白かった。人間・石川啄木がありありと見えてくる気がした。

 啄木の日記について、キーン氏は次のように述べている。

 詩歌ほど読者には馴染みがないが、日記は啄木の最も注目すべき作品である。多くが回想でなく日々書かれた本物の日記であるため、片々たる記述もあるが、文学的興味を感じさせないページは一つもない。啄木は、そこで裸のままの自分を見せている。読者に馬鹿げていると思わせたり、嘆かわしいと思わせたりするような行動もためらうことなく記録しているが、啄木は日記を自分以外の読者のために書いたのではなかった。また啄木は誰かに告白しようとしたわけでもなくて、その日その日の感情の動きや経験を自分のために記録したのだった。

 啄木は、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ。日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「自伝」として使ったのだった。啄木が日記で我々に示したのは、極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある一人の人間の肖像である。啄木は、「最初の現代日本人」と呼ばれるにふさわしい。

 研究者でもない限り作家の日記に目を通すことはかなり難儀なことだし、わたしはそこまで踏み込むほどの啄木ファンというわけでもなかった。だから、キーン氏のこの作業は実に有意義で感謝すべき成果だと思った。伝記的事項としては一応は知っている様々なシーンについて、啄木自身が残した日記の言葉を通すことで、その場の状況や啄木の思いなどが鮮やかに浮かび上がってきて、事実に対する興味が増すばかりだった。
 初めて上京して与謝野晶子や与謝野鉄幹と会うシーン、彼らに対する感想やその後の評価の変遷など。また、堀合節子との結婚の経緯や、渋民尋常高等小学校での代用教員時代、教員として感じた様々な感想。そして、函館・札幌・小樽・釧路と北海道を次々と移り住んだ(啄木を代表する多くの短歌が詠まれた)時代の細々としたこと。啄木にとって、この最初の函館での生活が、市の3分の2を焼失する函館の大火によって中断せざるを得なかったことは大きな不運だったと思う。だが、そのために北海道時代の素晴らしい短歌の数々が残されたのだから、思い通りにならないことも含めてすべてが啄木の人生の事実として残ったのだと思う。

 啄木という人は、短歌については何の努力もなしにすらすらといくらでも作ることができたのだという。しかし、詩歌では収入がほとんど期待できないこともあって、本人は(金になる)小説を書きたいと考えていたことが繰り返し出てくることも興味深い。実際、啄木は何度も小説に挑戦しているが、きちんとした構想を持って持続的に執筆しなければならないようなことは、彼は全く不得意だったことをキーン氏は率直に指摘している。ほんの数枚だけで放棄された原稿などがけっこう残っているらしい。短歌だけは別だったが、才能は万能だったわけではないのである。
 当時文壇で活躍していた作家についての啄木の批評も面白い。「近刊の小説類も大抵読んだ。夏目漱石、島崎藤村二氏だけ、学殖ある新作家だから注目に値する。アトは皆駄目。夏目氏は驚くべき文才を持って居る。しかし『偉大』がない。島崎氏も充分望みがある。『破戒』は確かに群を抜いて居る。しかし天才ではない」という日記の記述は初めて知った。啄木は自分が書くであろう小説について、偉大な文才と天才を発揮できると信じていたのかもしれない。

 石川啄木の生き方というのは一面で、自信過剰で社会性の欠如した、金銭にルーズで浪費癖があり、傲岸不遜で自己中心的といった、様々な言葉で否定的に語られることもあるようだ。事実としてそう断ずることも可能なあれこれの行動や発言について、キーン氏は一方向からの決めつけを決してしようとはしない。啄木が残した(断片的で、時に相互に矛盾するような)記述から、そう言われても仕方がない事実を淡々と跡付けてみせるだけである。
 早くから啄木の天才を見抜き、一貫して様々な(特に金銭的な)援助を惜しまなかった友人たち(金田一京助、宮崎郁雨ら)の姿も丁寧に描き出されている。啄木の妻・節子と宮崎郁雨とのいわゆる「不愉快な事件」についても、キーン氏は安易な決めつけは注意して避けながら、しかし二人の関係の可能性は否定することなく、そのことで啄木が受けた決定的なダメージについてだけは、事実としてきちんと明らかにしている。判らないことは判らないままなのだけれど、啄木がどう感じどう動いたのかということについては、可能な限り突き詰めようとしているのである。

 キーン氏の書く文章というのは、(元々がアメリカ人で、原文が英語で書かれていることも関係しているかもしれないが)一文が比較的短いかたちで積み上げられていく。そのため主旨が常に明快で追いかけやすいと思った。もちろん、氏の文章に対する姿勢が表れているのだと思うが、読んでいて全く引っ掛かりがなく、信頼できる文章だという印象があった。石川啄木に対して氏が考えていることが曖昧では、こうはいかないだろうと思った。
 実は去年、感想文は書かなかったが、ドナルド・キーン、河路由佳共著による「わたしの日本語修行」を読んだ時、この人は何と率直で好奇心に満ちた人だろうと感心したことを思い出した。
 評伝「石川啄木」には啄木の短歌が幾つも引用されているが、そのすべてにキーン氏による英語訳が付けられている。その中にわたしの最も好きな歌の一つがあった。

 函館の青柳町こそかなしけれ
 友の恋歌
 矢ぐるまの花
 How I miss Green Willow Street in Hakodate!
 The love-letters of my friends,
 The blue of cornflowers.

 この「矢ぐるまの花」の英訳に「blue」とあるのが気になって調べてみた。ヤグルマソウ(矢車草)は白っぽい小さな花をたくさん付ける草花だが、実は一時期ヤグルマソウと呼ばれていたことがあるヤグルマギク(矢車菊)というのがあって、これは鮮やかな青紫色の花を付けるらしい。「cornflowers」はこのヤグルマギクの英語名で、キーン氏は訳す際に恐らく、青柳町は「Green Willow」と訳すしかないことから、その青い色の連想をこの部分に残したのだと思った。
 数年前(このブログを始める少し前)の鉄道旅の折、青柳町界隈を歩いて啄木旧居跡を訪ねたり、立待岬の啄木一族の墓に行ったりしたことが思い出される。そういえば盛岡に行った時にも、啄木新婚の(新郎が式に姿を見せなかった)家というのを訪ねたっけ。ファンではないにしても、石川啄木はけっこう興味がある対象だったのである。

 みぞれ降る
 石狩の野の汽車に読みし
 ツルゲエネフの物語かな

 この歌は、失意の中、最果ての釧路に向かう鉄道旅のことを詠んだ20首ほどの中にある一首である。当時の蒸気機関車が札幌と釧路をいったい何時間かけて結んでいたのか、残念ながら簡単に調べる術は見つからない。
 青森の高校生時代、常に文庫本の石川啄木歌集を携行していたという寺山修司の初期の短歌に、次の一首があることを発見して熱中したのはもう何十年も昔のことである。若き日の寺山修司の、石川啄木に対する明らかなオマージュの一首だと思う。

 吊されて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲエネフをはじめて読みき

 何だかずいぶん脱線してしまったが、ドナルド・キーン氏の「石川啄木」を読み終わる最後の1ページになって、不覚にもわたしは目頭が熱くなってしまって困った。この種の本を読んで涙がこぼれるなどというのは考えられないことだし、初めての体験だった。不謹慎な言い方かもしれないが、この最後のところが、93歳になったキーン氏から日本の若い世代に向けた「遺言」のように感じられたのかもしれない。長くなるが、これはぜひ書き抜いておきたいと思う。

 日本で最も人気があり愛された詩人だった三十年前に比べて、今や啄木はあまり読まれていない。こうした変化が起こったのは、多くの若い日本人が学校で「古典」として教えられる文学に興味を失ったからだった。テレビなどの簡単に楽しめる娯楽が、本に取って代わった。日本人は昔から読書家として知られていたが、今や本はその特権を剥奪されつつある。多くの若い男女が本を読むのは、入学試験で必要となった時だけである。
 啄木の絶大な人気が復活する機会があるとしたら、それは人間が変化を求める時である。地下鉄の中でゲームの数々にふける退屈で無意味な行為は、いつしか偉大な音楽の豊かさや啄木の詩歌の人間性へと人々を駆り立てるようになるだろう。啄木の詩歌を読んで理解するのは、ヒップホップ・ソングの歌詞を理解するよりも努力が必要である。しかし、ファスト・フードから得られる喜びには限度があるし、食欲はいとも簡単に満たされてしまう。啄木の詩歌は時に難解だが、啄木の歌、啄木の批評、そして啄木の日記を読むことは、単なる暇つぶしとは違う。これらの作品が我々の前に描き出して見せるのは一人の非凡な人物で、時に破廉恥ではあっても常に我々を夢中にさせ、ついには我々にとって忘れ難い人物となる。

by krmtdir90 | 2016-04-05 22:51 | | Comments(0)
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