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もちろん時代の移り変わりには並走してきているものの、わたしが切れていた間に映画そのものがずいぶん変化したことに対して、なるほどこんなふうになっているのかと驚いたり確かめたりしてからでないと、簡単に感想を述べることはできない感じがしてしまうのである。橋口亮輔の「恋人たち」がそういう映画だったが、この岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」もそうした映画の一本だと思った。 上映時間180分という長尺だが、それを長いと感じることはなかった。一つ一つのシーンが実に丁寧に作られているので、それぞれのシーンが描いているものは非常に鮮明にこちらに伝わってきたと思う。 だが、大きなストーリーの流れということになると、その展開の意外性というか、おいおいそんなふうに展開しちゃうんですかという驚きがずっとついて回ったような気がする。この種の思いがけない感じというのは(「恋人たち」でも感じたことだが)、最近の映画では特有のものなのかもしれない。不条理と言っては大袈裟すぎるかもしれないが、実際ごくありふれた日常の中でも、一瞬先には何が起こるか判らない現代というものを反映しているのだろうと思った。 人間関係のあり方といったものが以前とは全く変わってしまっているし、それを前提として組み立てられているストーリーだから、そういうことをきちんとそれとして受け止めなければ中に入り込むことはできないだろう。実は、わたしはSNSというものを使ったことのない人間なのだが、それでもここに出てくる人物の心性が理解できないということではなかった。SNSで彼氏(彼女)を手に入れてしまうこととか、その相手と結婚までしてしまうというようなことも、いまの時代では現実にあるのだろうなと感じさせられた。 もっともこれはほんの入口にすぎず、一見便利になったようで実は人間関係が希薄になるばかりの現代を反映して、様々な人物が登場し様々に絡み合って見せるのだけれど、その背後に抱え込んでいるもの(不安とか桎梏とか)がほんのちょっと見えてしまっただけで、それぞれの孤独がじわりと浮かび上がってくるのである。 他の作品を見ているわけではないから、あまり断定的な言い方は避けなければならないが、岩井俊二という監督は実に美しい映画(画面)を作る人である。 たとえばこの映画は、現代の人間が持つ様々な嘘や仮面、功利性といったものに触れていると思うのだが、それらをことさら強調したり批判的に見たりすることはない。特に自分を出すこともなく、何となく流されていくだけの主人公・七海(黒木華)を、一切の批評(批判)抜きでただ美しく(可愛く)撮っていくのである。もう一人の主人公・真白(Cocco)や、狂言回し的な相手役・安室(綾野剛)の描き方も基本的には同じである。 そうなるとここでは、この人物たちやストーリー展開が本来持っているかもしれない否定的側面は見事に捨象されてしまっている。要所要所でそういう描き方が行われているから、一面リアリティを持って厳しく描写されている部分があっても、全体的にはファンタジーのような、大人の童話的肌触り(目くらましと言っては身も蓋もないが)が生まれているのである。 この映画は、外の世界に積極的に出て行くことのできなかった、SNSでしか人間関係を作れなかった皆川七海という(ぼんやりした)主人公が、いろいろな出来事に(最初は受け身的に)翻弄された挙げ句、SNSと対極にあるような、生身で生きている里中真白という女性の生き方を通過することで、一つ突き抜けた自立的な立ち位置を手に入れる物語である。ラストシーンでアパートのベランダに立つ七海の表情は、明らかにそれまでと違う吹っ切れた表情を見せている。 安室行舛という男は、善も悪も清も濁も、すべてを呑み込んだ狂言回しとして主人公の背中を押す役割を果たす。この胡散臭い、誠意の見せかけが素晴らしい。この彼に、映画の終わり近くになって素晴らしい見せ場(裸の宴会)を用意したところ、そして、その気になればどうにでもできた七海との間に、何も起こさず去って行かせたのがこの監督の優しさ(品位)なのかもしれない。 映画を見なかった20年ほどの間に、監督はもちろんだが、ずいぶんたくさんの優れた役者が出てきたようだ。「幕が上がる」で素晴らしいと思った黒木華の主演映画ということで見に行ったのだが、何と言えばいいのだろう、少々美しく(可愛く)撮られすぎたかなというのが率直な感想だった。しかし、くっきりしたところのない普通さがポイントになる難しい役だったが、自然にそういう雰囲気を自分のものにしていたのは大したものだった。真白との絡みのクライマックスで、初めて意志的に彼女を選び取るシーンも、十分納得できる自然さを見せてくれていたと思う。 同時に、この映画では綾野剛とCoccoという2人の芝居も特筆されるべきだろう。特に綾野の安室という役は、たぶん終始綿密な計算が必要だった役のはずだが、軽やかと言ってもいい自然さで映画の中を駆け抜けた感じがした。 年を取ってしまった人間にとって、現代そのものを描いた映画に向き合うのは難しいところもあるが、見方を変えれば、映画館の暗闇に復帰するだけでそれができてしまうのは(その道が開けてくるのは)素晴らしいことである。今回は渋谷のユーロスペースで見たのだが、わたしのような客層が他に見えなかったのがちょっと気になるところではあった。
by krmtdir90
| 2016-04-07 20:48
| 本と映画
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