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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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ウズベキスタンの旅⑤ブハラ散歩1(2016.4.17~18)

 午後3時過ぎにブハラの町に着いて、ホテルに入る前に一カ所だけ見学が設定されていた。
 古びた民家などの間を抜けて行くと狭い駐車場があり、バスを降りると地方都市などでたまに見かける感じのささやかな遊園地だった。
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 エッと思ったが、この間を抜けて行くと、木立の向こうにイスマイール・サーマーニ廟が建っていた。
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 892年から943年にかけて建造された、中央アジアに現存する最古のイスラム建築であるらしい。
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 地中に埋もれていたためにモンゴルなどによる破壊を免れ、1925年に発掘されたものだという。これまでサマルカンドで見てきた建築と異なり、タイルの豪華な装飾もなく、大きさも大したものではない。しかし、煉瓦の積み方を工夫することで、見事な模様を浮かび上がらせているのが素晴らしい。
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 まず、周囲を見て回る。これは左の側面である。
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 入口は右側面にあり、ガイドの先導で中に入った。
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 9世紀にブハラを占領していたサーマーン朝の王族(イスマイール・サーマーニの一族)の霊廟であるらしい。

 実は、このイスマイール・サーマーニ廟を始めとして、建物内部の写真撮影には料金がかかるところが多かった。ここが入口で、右にいる係員の女性がそうした料金の徴収などを行っていた。
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 支払いをすると小さな紙切れをくれるのだが、ずっと見張られているわけでもないから、払わなくても大丈夫のような気がしたが、こんな遠い国の史跡に来て写真を撮るのだから、せこいことは考えず全部きちんと払いました。
 どこで貰ったのがどれだったか判らなくなってしまったが、これがその証明書(紙切れ)。
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 だいたいが5000スムだったと思う。

 ここでウズベキスタンの通貨について触れておく。こちらではスムというのが通貨単位なのだが、日本円とは桁が大きくずれている感じで、1000スムが約40円ということだった。撮影料の5000スムは約200円ということになる。
 これが広く流通している1000スム紙幣(表裏)。
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 もっと少額の紙幣やコインなどもあるらしかったが、そうした小さな単位が必要になることはほとんどないようだった。
 ウズベキスタン国内では円とスムの両替は不可能で、成田で円をドルに替えて持って行き、ドルからスムに両替するかたちになっていた。いずれにしてもスムに両替して貰うと、この1000スム紙幣がどっさり手渡されるのにはまいった(どっさりでもすぐになくなってしまうのだが)。

 見学を終えて、ホテルに向かうバスの窓から。
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 バスが一時停車したら、
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 この右手の店先にいたおじさんがこちらに向かってナンを見せながら何か言っていた。
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 確かにサマルカンドのナンとは違うなと思った。

 ブハラでの宿、ホテル・アジア・ブハラ。
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 午後8時半ごろ、ホテルの前に煙草を吸いに出たら、上弦より少し太った月と木星が並んで光っていた。ホテルの前は(ちゃんとした)広い道路で、向かいのこの建物は小さなモスクのようだった。
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 この時はきれいに晴れていたのだが、夜半から明け方にかけてまた雨が降った。

 ホテルでは2晩続けて停電があった。事前情報で、電力事情が悪いから停電があるかもしれないと聞いていたので、念のためと思って小さな懐中電灯を持って行ったのだが、本当に役に立つとは思わなかった(停電はかなり長い時間続いた。しかも2晩!)。
 水事情にも触れておく。こちらでは水道の水は飲用には適しないということだった。毎日、ミネラルウオーターのペットボトルが1本ずつ配られた。
 シャワーのお湯も、利用が集中するとダメになるようで、ぬるいお湯がちょろちょろという感じになってしまった。試しに早朝にやってみたら、今度は熱いお湯がふんだんに出て、バスタブに湯を張って思う存分ゆったりすることができた。

 翌朝(18日)になると、また天気は回復していた。8:00にロビーに集合して、ブハラ旧市街の見学に出発した。ホテルは旧市街の真ん中にあるようだ。
 最初はバスでアルク城に向かった。少し手前でバスを降り、歩いて行くと、ボラハウズ・モスクというのがあった。アルク城に君臨した歴代ブハラ・ハン(ブハラ王)専用のモスクで、1712年に建てられたものだという。
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 手前には低いものだがミナレットが建っていた。
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 サマルカンドの項では特に触れなかったが、こういう塔のことをミナレットと呼ぶ。
 前にはハウズと呼ばれる池もあった。
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 ボラハウズ・モスクと道路を隔てて向かいに、歴代ブハラ・ハンの居城であったアルク城が建っている。
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 両側に城壁が続いているのだが、あとで右手の方に歩いて行くので、城壁の様子はその時に。
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 さて、われわれは8時半ごろにアルク城に着いたのだが、城門の詰め所のようなところに行くと、何やら訳あってこの日は9時まで入場制限がかかっていて入場できないと言う。
 何とかならないかと係の人と話すわれわれのガイドのバティールさん。
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 結局、指示は曲げられないと9時まで表で待たされた。
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 待たされたけれど、入ってみると中にはあまり面白いものはなかった。外観の大きさに比べて、中は狭い範囲しか案内されなかったような気がして、帰ってから調べてみると、見えなかったところに破壊されたままの広い部分があるということらしかった。城そのものは7世紀には存在していたらしいが、外敵による破壊と修復を繰り返し、最後は1920年にソ連軍に破壊されてしまったようだ。

 城内のモスク。
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 ハンの謁見の間。玉座の置かれたところ。
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 この空間は中庭のようになっていて、玉座正面の入口の前にはこんな壁が立っている。
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 謁見が終了した者は、ハンに背を向けることなくそのまま後ずさりして、この壁にぶつかったら横にずれて退出したものらしい。
 ここは家畜を飼っていた場所だと言っていた気がするが、記憶がはっきりしない。
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 城壁から外を見下ろす。
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 こちらは城門の右手にある広場で、レギスタン広場と言うらしい。レギスタン広場はサマルカンドにもあったが、レギスタンというのは「砂地」という意味のようだ。

 アルク城を出て、レギスタン広場を横切り、右手の城壁を回り込んで歩いて行った。
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 城壁が途切れた先で交差点を渡り、
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 両側がバザールのようになった道を歩いて行くと、
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 広場のようなところに出た。向かい合わせに立派な建物が建っているのだが、それを一つのフレームに収めることはできない。

 で、まず左の方から。ミル・アラブ・メドレセ。1536年建造。
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 ここはソ連時代にも活動が認められていた数少ない神学校の一つらしい。
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 アーチの両側に2つの青いドームを持っている。
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 広場右側は、カラーン・ミナレット(1127年建造)とカラーン・モスク(1514年建造)。
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 わたしはこのカラーン・ミナレットが興味深かった。
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 基底部の直径は9メートル、高さは46メートルあるという。
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 煉瓦の積み方を変えることで様々な模様を浮かび上がらせている。
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 ミナレットというのは本来、信者にお祈りを呼びかけるための建物だったようだが、砂漠から来る旅人にとっては重要な道しるべともなっていたらしい。また、18~9世紀には死刑台としても使われ、袋詰めした囚人をこの上から投げ落としたというから恐ろしい。

 ミナレットの方から見たカラーン・モスクの入口。
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 ミナレットに気を取られていて、モスク入口を正面から撮ったものがないことに気付いたが後の祭りである。
 ガイドの先導でモスクの中に入った。
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 中庭はかなり広く、周囲を奥行きのある回廊で囲まれている。 
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 正面の礼拝所の奥に青いドームが見えている。
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 ドームの頂きには三日月形の美しい飾りが付いている。
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 このドームは、モスクの中にいる限り全体の姿を見ることはできないようだ(前の広場では全然見えない)。だが、写真を整理していて、さっきこちらに来る時に渡った交差点の写真に、裏側からだが全体がしっかり写っていることを発見した。ドームは外から見えることに意味があったのかもしれない。

 礼拝所の中に入った。
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 今回の旅でだんだん判ってきたが、この正面の凹みはメッカの方角を向いていて、右側に置かれた階段は導師が座る説経壇というもののようだ。
 周囲の回廊の中にも入ってみた。
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 礼拝所を出たところからモスク入口の方を見る。
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 向かいのミル・アラブ・メドレセの青いドームが見えている。カラーン・ミナレットも見える。

 カラーン・モスクを出たところで、お爺さんが何かを売っていた。
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 ツアーのみんなで取り囲んでしまったのだが、ナンを焼く前の生地に模様をつける道具らしい。大小様々なものがあったが、一番小さいのを何となく買ってしまった。
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 何スムだったか記憶にないが、安かったと思う(比較するものがないのだから、ホントは高いか安いか判らないのだけれど)。お爺さんは93歳だということだった。

 ここでの見学はこれで終わりだが、広場への入口の道の向かいにあったこのお店。
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 建物の上に桟敷のようなものが載っているが、夕方に再びここを訪れてティータイムを催すという計画(参加自由)になっていた。ここからの眺めはその時に。

 さて、ブハラの見どころはけっこう一カ所に固まっていて、このあともずっと歩いてホテルに帰れる近さなのだという。
 少し行くと、前方に奇妙な建物が現れた。道路の交差点を丸屋根で覆った、タキと呼ばれるバザールである。
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 ここが交差する道の中心で、
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 四方に出入口がついている。
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 いろいろなお店が並んでいて、これはスザニという刺繍入りの布などを売る店。
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 こちらはミニチュアの楽器の店。ちゃんと演奏できるものであることを一生懸命証明している。
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 これは女性陣は、あとで絶対に来たいと思っているのだろう。
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 タキを抜けたところで、再び歴史的建造物が2つ、向かい合わせに建っていた。。
 これがウルグベク・メドレセ(1418年建造、1585年修復。中央アジア最古の神学校)。
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 ウルグベク・メドレセはサマルカンドにもあったが、こちらはかなり規模が小さいようだ。しかし、こうしてその名を冠した建物が各地にあるということは、ウルグベクという人物が当時それだけ大きな仕事をしたということを意味しているのだろう。
 こちらはアブドゥールアジス・ハン・メドレセ
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 左の塔の上に大きな鳥の巣があった。
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 コウノトリの巣だという。コウノトリはこちらでは幸運の鳥とされていて、ブハラの象徴の鳥となっているようだ。

 左にウルグベク・メドレセ、右にアブドゥールアジス・ハン・メドレセがある通りの先の方。
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 こちらへは行かなかったが、何となく迷い込んでみたくなるような通りではないだろうか。
by krmtdir90 | 2016-04-28 22:29 | 海外の旅 | Comments(0)
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