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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」

映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」_e0320083_1485891.jpg
 フランスで大ヒットした「社会派ドラマ」だという(監督、ステファヌ・ブリゼ)。ヴァンサン・ランドンという俳優が演じるティエリー・トグルドーという51歳の男が主人公。工作機械の操作員をしていた彼が会社からリストラされてすでに1年半が経過したが、依然として次の就職口が見つからず失業状態が続いているという設定である。ハローワークに通い、研修を受けて資格を取ったり、何度も面接を受けたりしたようだが、そう簡単に実を結ぶものではない。フランスの失業率は近年、ずっと10%近くで高止まりしているらしい。
 映画は、このティエリー・トグルドーの「憂鬱」な日々をドキュメンタリーのように写し取っていく。その映画としてのスタイル、映像表現の仕方はきわめて特徴的なものである。

 まず、画面サイズがシネマスコープだった。題材的にはスタンダードかビスタサイズではないかと思っていたが、そうではなかった。この横長の画面で、その撮影はほとんどがワンシーンワンカットの長回しで行われていた。
 ワンシーンがワンカットというのは、いまの映画としてはきわめて意図的に行われたものと考えるべきだろう。しかも、その大半がバストショットなど人物のみを切り取っていて、時々左右にパンしたりすることはあるものの、カメラを引いてその場面全体を示すことはほとんどないのである。いわゆる説明的なカットの排除も、この映画の大きな特徴になっている。

 映画の冒頭は、いきなり係員に何か文句を言っているらしいティエリーの姿を映し出す。そこがハローワークであることは話の内容からすぐに判るのだが、最初にその建物を写したり、部屋の様子を説明的に写したりすることはないのである。カメラが少しパンして係員の方に向くこともあるが、おおむねティエリーの姿が中心に写され、あまり表情のない彼の(喋る様子や相手の言葉を聞く)表情をずっと見詰め続けるのである。
 そうすると観客は、そのやり取りから彼の置かれた状況について基本情報を得ると同時に、彼がこれまで何度も何度も足を運んだこの場所でどんな思いに苛まれていたのかということについて、自然に想像を巡らさずにはいられなくなるのである。

 また、ティエリーには妻と知的障害があるらしい高校生の息子がいるが、これも説明的な(家の外観を写したり部屋の様子を捉えたりするような)ショットは一切なしで、3人が食事をするシーンがいきなり始まるのである。3人は食卓を囲んでいるが、このシーンではティエリーは左端にほとんど見切れていて、息子の左肩越しに妻の正面が捉えられているという、不思議なアングルのワンカットでシーンが作られていく。
 息子が障害者であるというのはティエリーにとって一つの負担ではあるのかもしれないが、そうした事実を越えて、家族は彼の「憂鬱」の救いでありささやかな憩いであることが、ワンカットの長回しのうちに次第に見えてくることになる。ティエリーは見切れた位置から、妻と息子をそういうふうに見ていることが判ってくるのである。

 その他のシーンを含めて、どのシーンでもティエリーの思いが判るだけの時間を、シーンの尺が保証してくれている。どのワンシーンも十分すぎるほど長めに取られているから、観客の想像力はティエリーの思いを十分に考えることができるのである。
 だから、映画の始まりから中盤にかけて、シーンの数はそんなに多くはない。むしろ非常に少ないシーン数(しかし尺としては非常に長いワンシーンの積み重ね)で、ティエリーの置かれた状況と彼の思いを鮮やかに浮かび上がらせて見せるのである。

 これまで、解雇された仲間たちと会社を相手取った裁判について準備してきたようだが、長期に渡る闘争で気力の続かなくなったティエリーが、仲間を抜けたいと表明するカフェでのやり取りのワンシーン。また、再就職のためのセミナーのようなものに参加して、自らの模擬面接の映像に対して他の参加者や講師から厳しい批評を受ける、心が折れそうになりつつも必死に我慢しながら聞き続ける彼の姿を捉えたワンシーンなど。
 一回見ただけでは全部のシーンを振り返ることはできないが、基本的に表情もさして豊かではなく言葉も少ないティエリーの内面が、長回しのワンカットにこだわることで実に鮮明に映し出されていく。これは、この映画の選んだ手法の勝利と言っていいのではないだろうか。
 こうした方法で浮かび上がってくるのは、拡大する格差社会の中で、ティエリーは失業という最悪の事態に直面して心理的に追い込まれているという事実である。それは決して大仰な身振りで表現されているのではない。むしろきわめて淡々と、しかしわれわれにも身近な日常的リアリティを持って表現されているのである。

 映画の中盤を過ぎたあたりで、ティエリーはようやくスーパーマーケットの監視員という職を得るのだが、採用に至る過程などは一切省略して、映画はいきなり監視員になったティエリーの姿にシーンを繋いでしまう。ネクタイを締めスーツ姿で売り場を巡回したり、監視カメラをチェックして万引きを発見したりする仕事である。
 彼がこの仕事をどう感じているのかはしばらく判らない。ティエリーは無表情な男だし、口数も極端に少なく、新しい同僚とすぐに打ち解けるような男ではないからである。しかし、ようやく職を得たことによって家族にはホッとした雰囲気が流れたことを、妻とダンスを踊るところに障害のある息子が割り込んでくる微笑ましいワンシーンで表現する。
 ただ、息子については、成績が下がって進路希望の実現が難しくなったという話し合いを、担任を交えてする学校のシーンが挟み込まれたりして、すべてが順調というわけにはいかないようだ。

 映画の終盤近くになると、淡々と進んできたティエリー・トグルドーの物語は徐々にざわつき始める。監視員の仕事の様子が克明に映し出され、特に万引き犯を裏の小部屋で問い詰めるシーンが2例ほど連続する。ティエリーが問い詰めるわけではないが、そこに同席することで自分の立ち位置が確認されることは、けっこう負担になっている感じが読み取れるのである。
 肉を盗んだ老人は、買い取るお金がないことから警察に通報されることになる。無一文の社会的弱者であっても、事情を斟酌して許すという選択肢はない。勤続20年のレジ係が割引クーポンを不正に集めていたということが発覚し、この小部屋で店長から解雇を言い渡される場面にも、ティエリーは同席することになる。この女性が数日後、店内で自殺するのである。
 映画としては、会議室のようなところに従業員が集められ、本社から来た人事担当から彼女の自殺はこちらとは無関係であるという話を聞かされるシーンが置かれ、それを聞くティエリーの固い表情が映し出されるのである。

 続く葬儀のシーンの長回しが捉えるティエリーの「憂鬱」な表情は、彼の中に大きな疑問が生まれていることを感じさせる。会社という大きなシステムの中では、小さな不正(会社にとっての不都合)であっても容赦なく切り捨てていく現実がある。そして、好むと好まざるとに関わらず、その手先のようになって動かざるを得ない自分とは何なのか。
 しばらくして再びレジ係の女性が連れて来られ、自分のポイントカードをスキャンさせてお客のポイントを横取りしていた事実が発覚する。上司に報告すると同僚が出て行ったあと、残されたティエリーにレジ係の女性が小さく「あなたでも上司に報告する?」と聞くのである。
 一瞬の間があった後、ティエリーは無言で小部屋を出て行く。ロッカールームで私服に着替える。外に出て自分の車に乗り、社員用駐車場を出て行く。ここで映画は唐突に終わる。

 ティエリー・トグルドーはこの先どうなるのだろうか。職務を放棄したことは確かなのだから、レジ係の女性がどうなるかは別にしても(万引き犯ではないから、逃げられてしまうことはない)、厳しく問い詰められるのは確かなことである。彼はこの仕事を辞めてしまうのだろうか。再びあの苦しい失業状態に逆戻りするのだろうか。
 巨大なシステムの中のちっぽけな歯車が、人間的な矜恃を守ることは簡単なことではない。無責任な感想なら、彼には後のことなど考えず、会社を辞めてそれを守って欲しいと言えるけれど、そんな単純な問題ではないことも明らかなのである。ティエリーが消えても、すぐに別の誰かがその仕事を引き継ぐことになるからである。
 重い問いを残す映画だった。
by krmtdir90 | 2016-09-21 14:09 | 本と映画 | Comments(0)
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