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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「彷徨える河」

映画「彷徨える河」_e0320083_18424495.jpg
 初めて見るコロンビア映画(ベネズエラ、アルゼンチンとの合作)である。コロンビア史上初めてアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされたことが、チラシなどに大きく謳われている。イメージフォーラムはいい映画館だが、宮益坂を上らなければならないのがこの歳になると少々辛い。

 20世紀の前半、アマゾンの奥地に足を踏み入れた2人の西洋人学者がいたのだという。一人はドイツ人民俗学者のテオドール・コッホ=グリュンベルク(1872~1924)、もう一人はアメリカ人植物学者のリチャード・エヴァンス・シュルテス(1915~2001)。この映画は、2人が残した日記などを元に構想されたオリジナル脚本によって作られたものだという。実際にあったことも各所に反映されているようだが、基本的には脚本・監督のシーロ・ゲーラによって創作された、作られたストーリーであり作られた映像の映画である。
 最初のうちドキュメンタリーのような印象があるのは、たぶんモノクロ映画だったことが大きいだろうと思うが、画面はワイドスクリーンが採用されていて、見ているうちに映像の作り方すべてに意図的な演出が加わっていることがわかってくる。俗な観客の興味としては、秘境であるアマゾン奥地の風景には様々な色彩を見たかった気がするが、それを承知であえてモノクロ映像にしたところに、この監督の強烈な戦略と意図が感じられる。色彩的な美しさはこの映画には邪魔なものであり、モノクロであることから浮かび上がり強調される映画の核心があるということなのだろう。

 グリュンベルクがアマゾンに足跡を印したのは1903年から断続的に1924年まで、シュテルスが訪れたのは1941年から8年間ほどだったようだ。実際に2人がアマゾンに入った時期は重なっていないが、グリュンベルクにあたるテオ(ヤン・ベイヴート)とシュテルスにあたるエヴァン(ブリオン・デイビス)は、映画においてもほぼその時代を生きて互いに重なり合うことはない。しかし、この映画では異なる時代にこの2人に同行したシャーマンを同一人物と設定し、2人の西洋人学者のそれぞれの旅に随行する様子を交錯させながら、西洋人の侵入によって先住民の豊かな生活文化が踏みにじられてしまう現実を点描していくのである。
 見ているうちに、この先住民シャーマンのカラマカテ(若い時代:ニルビオ・トーレス、クベオ族出身/老いた時代:アントニオ・ボリバル・サルバドール、オカイナ族出身)が実はこの映画の主人公であり、彼の視点がこの映画を展開させていく鍵になっていることが判ってくる。様々に眼前する物事に対して、西洋文明の感じ方や考え方に染まった捉え方ではなく、先住民の捉え方で見ると世界はどんなふうに見えているのかというような、この映画は外界と隔絶したアマゾンの奥地に確かに存在していた、われわれとはまったく異なる感じ方や考え方に則した世界を描き出している。こういうものが、こんなふうなリアリティで描き出されたことはこれまでになかったのではないか。

 映画にはロードムービーというジャンルが存在するが、その言い方に倣えば、この映画はリバームービーとでも称すべきスタイルを持っていると思う。小さな手漕ぎのカヌーがアマゾン奥地の川面を行く。一つのカヌーにはテオと若き日のカラマカテ、そして現地人ガイドの3人が乗っている。もう一つのカヌーにはエヴァンと年老いたカラマカテの2人である。2つのカヌーは別々の時代の川面にいるのだが、映画はこれをあたかも同時進行であるかのように交互に(もちろんシークエンス単位ではあるが)映し出していく。多くの場合、彼らのカヌーは川を遡上していたようだが、時折川岸に上がってそこにいる先住民などと接触したりする姿が描かれる。
 これらのエピソードはその場所その場所で独立したエピソードであり、川を上って行くカヌーがこうしたエピソードを串刺しにしていくかたちになっている。どの出来事も、どうしてそんなふうになっているのかを見る者に考えさせずにはおかないようなものだが、川面を行くカヌーという串の部分に戻っていくことが繰り返されると、この映画はある種の単調さに耐えることを見る者に要求しているような気がした。考えてみると、彼らは毎日のように大きな出来事に出会っていたはずはないし、カヌーで支流などをしらみ潰しにしながら、何もない単調なジャングルの中を何日も何日も進み続けていたのではあるまいか。

 異なる時間の中を行く2艘のカヌーは、異なる西洋人学者の感性と時間を乗せているが、同行するカラマカテの内部ではその感性と時間は繋がっている。後のカヌーによる旅において、老いたカラマカテは自分の記憶がほとんど薄れてしまったと繰り返し嘆いているが、これは恐らく長い時の隔たりの中で起こった様々な出来事が、このアマゾン奥地に確かに存在した先住民の記憶を急速に消していることを表しているのではないだろうか。先住民の感性と時間を、ことごとく蹂躙し奪い去った者たちがいたということではないか。2艘のカヌー、特に後の時代を行くカヌーが見ていくものは、その惨状の痕跡とも言うべきものである。
 付け焼き刃的な知識で恐縮だが、20世紀初頭にこの地にゴムの木の群生が発見されて以降、生ゴムの収穫で一攫千金を企図した山師たちがアマゾン奥地に入り込み、そこに住む「原始的な」先住民に対して破壊や虐殺の限りを繰り返したこと、また一方で、「原始的な」異教徒制圧とキリスト教布教のために、善意の皮を被った西洋的正義を振りかざした宣教師たちがやって来て、先住民の生活や文化をためらいもなく押しつぶしたことなど、映画を見たあとで調べてみると、西洋文明の一方的な都合や思い込みによって、ここに存在したかけがえのない先住民の豊かな世界が根こそぎ奪われてしまったことが見えてくるのである。

 2艘のカヌーは数十年の時を隔てて、しかし一人の先住民の生き残りであるカラマカテの視線を通すことで、このアマゾン奥地に失われていったものを鮮明に感じさせることに成功している。映画の大半で時間はゆったりと静かに流れているが、視点を少し移してみれば、逆巻く急流のように激しく流れることがあったことが傷跡として確かに残っているのである。。
 イントロダクションに紹介されたローリング・ストーン誌(米)のコメントで、ヴェルナー・ヘルツォーク(「フィツカラルド」「アギーレ/神の怒り」)やフランシス・フォード・コッポラ(「地獄の黙示録」)が比較の対象になっていたが、あれらが描いた(もうほとんど忘れてしまっているのだが)アマゾンや密林や狂気といったものは、外部からの西洋的文明の視点によって捉えられた世界だったことになる。この「彷徨える河」は、まったく逆の視点からそれらを見るとどんなふうに見えるのかを、確かに初めて映画に描いて見せてくれたのだと思う。最後のあたりで先住民の象徴的動物であるジャガーや大蛇のイメージが急に挿入されたり、謎の植物ヤクルナによる幻覚が突然カラー画面になったりするところは、何と言うか、ちょっと描き方が混乱?した印象はあったが、とにかく終始静かに張り詰めた緊迫感が漂い、見ている間中いろいろなことを感じさせてくれた映画だった。
by krmtdir90 | 2016-11-08 18:43 | 本と映画 | Comments(0)
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