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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「海は燃えている」

映画「海は燃えている」_e0320083_121699.jpg
 「イタリア最南端の小さな島」という副題がついている。島の名前はランペドゥーサ島、人口約5500人の小さな島を舞台としたドキュメンタリーである。
 この島は北アフリカに最も近いイタリア領であることから、地中海を渡ってヨーロッパを目指す難民たちの目的地になっている。冒頭に「この20年間に40万人の難民がこの島に上陸した。途中で命を落とした難民は1万5千人と推定される」という字幕が出る。映画はこの難民たちの問題を扱っている。だが、問題に対するアプローチの仕方は、ありふれたドキュメンタリーの枠に収まらないようなきわめてユニークなものである。この小さな島に起こっている日常の小さな出来事に着目することが、総体として外の世界の様々な問題を想起させることにつながっている。難民問題に関する一面的な決めつけや単純化などから最も遠いところで、この映画が積み重ねる島の人々の映像は見る者の想像力を呼び覚まし、実に多くのことを訴えかけてくるように思われた。

 映画は島のレーダーサイトの夜の情景を映しながら、難民を乗せた船の救援要請を受ける緊迫した音声をオーバーラップさせたり、救助艇による実際の救援の様子や難民の上陸手続きなど(ボディーチェックや顔写真撮影など)を映していくのだが、それら難民の現況を浮かび上がらせるシーンはこの映画の一部分に過ぎない。この映画は難民を捉えるのと同じくらい、或いはそれ以上の時間をかけて島の人々の生活を追っていくのである。
 映画が最初に映し出すのは、この島に生まれ育ったサムエレという12歳の少年の姿である。彼は海岸沿いの丈の低い松の木に登ってその枝を切り取っているが、それを握り手にしてゴムのパチンコを自作するシーンが少し後に出てくる。さらにサムエレの友人の少年や、漁師をしているサムエレのおじさん、サムエレの祖母といった人たちも登場し、サムエレとの小さなエピソードが点描されていく。島のローカルラジオでDJをする男や、キッチンに立つマリアおばさんなど、映画は全体でかなりの割合を割いて、難民たちとは直接結びつかない島の人々の姿を描いていくのである。

 これら島の人々の生活と難民の悲劇とはほとんど交わることがない。かつては接触の場面もあったらしいが、現在では救援や上陸手続きはすべて現場の船上で行われ、上陸後はすぐにバスで島内の難民センターに収容されてしまうようになったらしい。それでも大人たちは難民がこの島に来ていることを知っているが、サムエレや友人の少年がどこまでこの事実を知っているのかは明らかではない。難民の悲惨な状況を捉えるだけでなく、一見それと無関係に見える島の人々を描くことが、映画にとって必要なことだと制作者たちは考えているようである。
 普通のドキュメンタリーだと、対象となるものを撮影している制作者側の存在がもっと観客に意識されるものだが、この映画では監督のジャンフランコ・ロージの存在感はまったく消えていて、まるで劇映画のワンシーンと錯覚されるような撮り方をしている部分もある。監督が前面に出ることなく、カメラが島の人々を淡々と見詰めていくうちに、アフリカや中東から命懸けでやって来た難民一人一人にも、同じような生活の日々があったはずだという思いが生じてくるのである。

 サムエレと友人の少年は、自作のパチンコで鳥を狙ったりサボテンを打ち抜いて遊んでいる。おじさんのイカ釣り船に同乗して、船酔いして吐いたりする。祖母が料理したイカのトマトソースパスタをおじさんと3人で食べながら、桟橋に行って揺れに慣れることが大事だとアドバイスされたりする。マリアおばさんはラジオのDJに電話をかけ、曲のリクエストをしたりする。ラジカセから流れるニュースで、難民船の遭難があり多くの子どもや女性が犠牲になったことを聞き、料理中の彼女が「ひどい話」と呟いたのは映画が始まって間もなくだったと思う。
 こういう島の人々の中で、ピエトロ・バルトロ医師だけが難民の現実と直接の接点を持っている。彼はこの島で唯一の医師なので、救助された難民の妊婦を診察しながら、もう大丈夫だと励ましている一方で、サムエレの左眼が弱視であることを見つけ、治療法について指示を与えたりもしている。そうした彼の生活を映す中で、一カ所だけ、直接カメラに向かって(そこにいる監督に向かって)語りかけているシーンがある。この映画においてここだけが監督の存在が見えているところで、この医師との出会いがこの監督にとって非常に大きな意味を持っていたことが窺えるのである。

 医師はパソコンのモニター画面を指さしながら、彼が関わってきた難民の現実について静かに語るのである。その言葉の断片がプログラムに採録されている。
 画面には鈴なりの難民を乗せた黒々とした小さな船が映っている。「この船には840人乗っていた」「船の外は一等で値段は1500ドル、中段が二等船室で1000ドル、下の船倉にはとにかくいっぱいいるはずだ、三等船室で800ドル」。船倉には詰め込めるだけ詰め込んでいるから、その劣悪な環境で命を落とす人も出るらしい。判っていてもそこに未来を賭けるしかない人々がたくさんいるのだ。「船から降りろと言うと次から次へと降りてくる。終わりがない」「こうした人々を救うのはすべての人間の務めだ」。
 ピエトロ・バルトロ医師はこの島で通常の医療活動を行う傍ら、20年にわたって難民船救助の現場に立ち会ってきたのだという。生存者の中の病人や怪我人に対処し、途中で落命したすべての遺体に死亡診断を下してきたという。その活動を通して彼の中に確固たるものとなった最後の言葉は重い。この最後の言葉に監督が共感していることが判る。膨れ上がる難民の流入に対して、ヨーロッパ諸国に様々な対応の差が生じているが、その状況の困難を認識した上で、それでもなおこの問題の原点とも言うべき言葉に全面的に共感しているジャンフランコ・ロージという監督がここにいる。

 映画は難民センターの内部の様子も映し出す。嘆き悲しむ女性のアップを重ねていく一方で、憑かれたように逃避行の苦難を訴え続ける男の姿を注視する。「爆撃を受けて大勢死んだ」「サハラに逃げて大勢死んだ」「殺され犯された」。無数の死をくぐり抜けて、ようやくこの人たちはここにたどり着いたのだということを映し出す。
 夜のセンターの狭い中庭で、自然にできた国別のチームでサッカー対抗戦に興じる男たちがいる。応援の掛け声が彼らの祖国を明らかにする。リビア、ソマリア、スーダン、シリア、エリトリア…。地図を開いて確認しなければ、わたしはどこにそれらの国があるのかも正確には知らないのだ。それらの国々でどんなことが起こっているのかも知らない。しかし、彼らはもうそこに帰ることはできない。彼らはその国を捨てるしかなかったのだ。なけなしの800ドルを払い、死も覚悟して船に乗り、難民として見知らぬ土地で生きる選択しかなかったのだ。
 映画の終わり近くになって、海上での難民船からの救援の一部始終が克明に記録されている。最後に残った40体の遺体収容の様子まで、カメラは凝視を止めることなくすべてを見届ける。

 この後で、映画は再び島に生きる人々の日常を幾つか映し出していく。中で、サムエレの祖母が静かに流れるラジオの音楽を聴きながら、ベッドを丁寧にメイキングしていく様子が印象的である。毎日繰り返している何でもない作業のはずだが、彼女は最後に枕元のテーブルに置かれた小さな額縁を取り上げてキスをするのである。この時の彼女の祈りの言葉が、この映画で発せられる最後の言葉となる。「良い一日と、少しの健康をお授けください」。
 DJの男は相変わらず音楽をかけ続けている。サムエレは桟橋にいて、腕を銃に見立てて何かを撃つ真似を繰り返す。映画の始まりから少し成長したようにも見える彼は、いろいろな現実を少しずつ見るようになっていくのだろう。ランペドゥーサ島から遥か離れたところで、難民問題からも遥か遠い日本という国でこの映画に出会い、わたしも少しずつ見るようにならなければと、重い宿題が残されたような気がした。説明抜きで、凝視する長いカットの積み重ねが印象的な映画だった。
(渋谷Bunkamuraル・シネマ、2月13日)
by krmtdir90 | 2017-02-14 12:17 | 本と映画 | Comments(0)
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