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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ラ・ラ・ランド」

映画「ラ・ラ・ランド」_e0320083_1431372.jpg
 本格的なミュージカル映画というのは近年では珍しいのではなかろうか。20年ほど映画から離れていたからその間のことは判らないが、この映画の予告編を何回か見ているうちに、わたしの中ではロバート・ワイズ(「ウェストサイド物語」)やジャック・ドゥミー(「シェルブールの雨傘」)から始まるミュージカル映画の系譜に、この映画が連なるのではないかという予感がしたのである。

 ミュージカル映画一般ということで言えば、わたしにはこの形態に対する大きな違和感というものがいつもあったと思う。上記2作が世に出る前は、登場人物が突然歌い出したり踊り出したりすることが説得力を持ち得ているものは少なかったと思っている。ストーリーはひとまず置いて、歌と踊りの素晴らしさを見せることに徹するのであれば、「雨に唄えば」の楽しさなどは了解できるものだと思っているが、わたしの中では映画というものは基本的にリアルなものであって、リアリティというものに対する全面的な傾倒と信頼があったのだと思う。特撮映画などであろうとも、映画というのは常にリアルな方向に向かわなければならないという思い込みがあったと言ってもいい。
 無論、登場人物が歌ったり踊ったりすることをすべて拒絶している訳ではない。歌いたくなったり踊りたくなったりする気分はあると思うし、映画がそれをリアルな描写の延長として描くことがあってもいいと思っている。だが、その移行には説得力がなければならないし、見ている者をスッと引き込んでくれるものでなければならないということである。
 「シェルブールの雨傘」には踊りがないから、これをミュージカル映画と呼んでいいのかどうかは判らないが、セリフのすべてが歌になっているという不自然さを、これほど違和感を感じさせないリアリズムで描き切ってしまったところに、同じ監督の「ロシュフォールの恋人たち」とはまったく異なる共感を覚えたのだと思う。ロバート・ワイズで言えば「サウンド・オブ・ミュージック」も素晴らしかったが、ストーリーと歌や踊りの結びつきがもう一つ自然でなかったような印象があって、「ウェストサイド物語」の自然なリアルには到底及ばないように思われたのである。
 ミュージカルを名乗る以上は、その中で登場人物が歌ったり踊ったりするのは必然的な約束事になっている。だが、約束事だからそれが入るのは当然なのだと考えられてしまったら、少なくともわたしには興醒めと言うほかないのである。映画が映し出すリアルの延長上に、歌や踊りのワクワク感が自然に続いてほしいというのがわたしの希望である。

 では「ラ・ラ・ランド」はどうだったのか。アカデミー作品賞は逃したものの、この映画は各方面で圧倒的な支持を得ているようなので、率直な感想が書きにくいということがあるように思う。わたしは十分に楽しんで見たのだが、あとで考えると問題点も多い映画だったという気がするのである。ミュージカル的な部分はさして違和感なく受け入れることができたので、それはストーリーの弱さといった点に集約的に表れていたように思う。ミュージカルという味付けに幻惑されてしまうところがあるのだが、ここに展開されるドラマはあまり説得力のあるものではなかったと思う。
 それは、売れないジャズ・ピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)と女優志望のミア(エマ・ストーン)のラブストーリーなのだが、そこに2人それぞれの夢の実現に向けての、思い通りにならない経緯がオーバーラップするというのがドラマの骨子になっている。ジャズや映画や演劇にかつて興味を持っていた者からすると、これは非常に面白い人物設定だし共感できるストーリー展開だったと思う。だが、その設定や展開における細部のリアリティという点で、この映画は決定的な弱さを持っていたように思うのである。一言で言えば、この2人の外側をなぞるばかりで、内面を描けていなかったということになるのではないか。
 まず、2人の出会い方に無理があると感じた。渋滞した高速道路で、ぼんやりしていたミアの車を脇から乱暴に追い越したのがセブの車だったわけだが、この一瞬でお互いの顔が鮮明な記憶として残るものだろうか。次に、外に洩れてくるピアノの音色に誘われて、ミアが足を踏み入れた店でピアノを弾いていたのがセブだったということになるのだが、そもそも僅かに聞こえる音楽に引き寄せられて、まったく知らない夜のレストランに女一人で入って行くことがあり得るのだろうか。しかも、店内の薄暗い照明の下で2人は同時にお互いをあの時の相手と認識するのである。偶然の出会いというのがラブストーリーの定番であるとしても、だからこそ、こんな嘘くさい思いつきの設定では納得できないと言わざるを得ないのではないか。
 このあとも2人には偶然の出会いが重なって起こり、最初最悪の出会いから始まった2人の間に次第に恋が芽生えてくることになるのだが、当初の反撥が次第に相手への興味に変化していく過程を、この映画はまったく描けていないように思われた。そういう展開なのだと理解は出来るけれど、当の2人の心の変化についてはこの映画は少しも触れてはいないのである。だから、観客としてはそういう展開になったと了解はするけれども、どうして2人が惹かれ始めていったのかという肝心な点はよく判らないまま取り残されてしまうのである。

 恋人同士になった2人が、それぞれの夢と現実とのギャップから、結局別々の道を歩むことになる過程はそれなりの説得力を持って描けていたと思う。もちろん、2人はこの先遠く離れてもずっと相手のことを愛し続けると約束するのだが、それがラブストーリーの定石だとしてもそんな簡単なことではないと思えて、はてこの映画はどんなエンディングを用意するのだろうかと、不安と同時に期待したのも確かなことである。
 で、この映画の終わり方を見た時、「シェルブールの雨傘」のことがすぐに思い浮かんだ。思い浮かんだから悪いと言っているのではない。やはりこの終わり方しかないだろうと納得されたし、見ている間は胸にジンと来たのも事実である。だが、これも後になって考えてみると、「シェルブールの雨傘」には2人を隔てる音信不通の決定的な障害が存在していたのに対し、この映画では物理的距離は離れたとしても音信が途絶えていたわけではないはずだし、この終わり方に至る過程で、2人の間にいろいろなやり取りが可能だったはずだと思わないではいられないのである。映画は5年の歳月を一気に省略して、2人があたかもお互いのその後をまったく知らないままに、偶然5年ぶりに再会したように描いているけれども、そのことが説得力を持っているとはどうしても言えないように思うのである。
 そして、さらにこの最後のところで、ミアの結婚の事実を初めて知ったらしいセブがピアノを弾くシーンに重ねて、2人の間にあり得たかもしれないもう一つの(現実にはあり得なかった)時系列を並べてみせるというのは、果たして何を表現していたのだろうか。見ている時はその夢のような映像の飛躍に目を眩まされてしまうのだが、これはミアの側からのイメージなのかセブの側からのイメージなのかも曖昧だし、省略された5年間に触れていない以上、2人にとって決定的だった期間は無視されたままなのである。2人の間に実際にあった過去の出来事が、悔恨とともに走馬燈のように甦るのであれば納得はできる。だが、あり得たかもしれないイメージの羅列は、どう考えても未練の裏返しにしかなり得ないのではないだろうか。それではラブストーリーの終わり方として筋違いだし、最後の別れの余韻に不純物を残してしまったことになるような気がした。

 ミュージカル映画という側面については十分に堪能できたと思う。衣裳を始めとした色彩設計の素晴らしさ、画面構成やその仕掛けの斬新さなど、現代的なミュージカル映画として見るべき点がたくさんあったと思う。そういうところでは、この監督(デイミアン・チャゼル)は見事な才能とテクニックを発揮していたのではないか。
 個人的には、冒頭の高速道路のダンスは(アイディアは面白いが)それほどのものとは思えなかったが、ハリウッドのパーティに出掛けるミアたち4人の女の子のダンスは素晴らしかったし、遠くの町の灯りが瞬き始める夕暮れの公園でセブとミアの2人が踊るタップダンスも良かった。ただし、この段階で2人の気持ちがどの程度接近していたのかが(上に書いた通り)描けていなかったので、ダンスシーンに流れる情感という点で鮮明さに欠けていたのは減点だと思った。
 グリフィス天文台のプラネタリウムで、2人の身体が星空に舞い上がるファンタジックなダンスシーンなどはあまり感動しなかったが、フリートークを要求されたオーディションの席で、ミアがおばの思い出について語り始めるのが歌になっていくシーンはとても良かった。繰り返される「どうか乾杯を、夢追い人に」というフレーズにグッと来てしまった。

 いずれにせよ、見どころの多い映画だったのは確かであって、観客を夢中にさせる要素がいっぱい詰まった映画だったことは認めるしかない。主役の2人はとても感じが良かったし、楽しく幸福な気分で見ることができたのだから、それで良しと終わりにしてもよかったのだが、ついごちゃごちゃと書いてしまうことになった。見て損をしたとは毛頭思っていないことを最後に断っておく。
(立川シネマシティ2、3月6日)
by krmtdir90 | 2017-03-07 14:03 | 本と映画 | Comments(0)
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