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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」_e0320083_1653117.jpg
 昔「マンチェスターとリバプール」というイギリス発の歌が流行ったことがあった。単純なメロディーがいまも頭に残っている。その記憶からこの映画もイギリス映画だろうと思っていたら違った。意外にもアメリカ映画だったのだが、らしからぬ地味な作りと映像の感じは、何となくイギリス映画のような雰囲気を持っていたと思う。
 アメリカにもマンチェスターという都市があって、それはボストンの北西80キロに位置するニューハンプシャー州最大の都市であるらしい。だが、この映画の舞台になったのはこのマンチェスターではない。ボストンの北東40キロの海沿いに、人口5000人ほどのもう一つのマンチェスターという町があって(こちらはマサチューセッツ州)、名前の混同を避けるために1989年に町の名前を「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と改めたのだという。だから、この映画のタイトルは「海辺のマンチェスター」ではなく、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という町の名前そのものを表していたのである。ここはボストン富裕層の別荘地として発展した町らしいが、もちろんここに住んでいる普通の住民たちの町でもある。

 映画はまず、ボストン郊外のアパートに雇われて「便利屋」のようなことをしている一人の男の日常を映し出す。どことなく投げ遣りな雰囲気を漂わせ、一目見ただけで何か問題を抱えていることが想像される、無愛想で暗い目をした男である。これが主人公のリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)で、ある日、彼の携帯にマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄が倒れたという連絡が入って来る。急いで病院に駆けつけると、兄のジョー(カイル・チャンドラー)は少し前に亡くなったところで、彼は兄の息子のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)に父親である兄の死を伝えたりしなければならなくなる。
 ストーリー自体が暗いので重苦しい場面ばかりが続いていくのだが、その中に彼らの過去と思われるエピソードが時々フラッシュバックされるようになる。映画としてのこの構造は非常に効果的なものになっていて、それによって、リーとジョーがそれぞれこの町でたどった人生が徐々に浮かび上がってくるようになっている。

 脚本・監督のケネス・ロナーガンは劇作家として活躍している人のようで、映画監督としては2002年と2011年に2本の映画を撮ったあと、この映画が3本目の監督作品になるのだという。日本で劇場公開されるのはこれが最初で、非常に特徴的な画面作りをする人だという印象を受けた。最近観たばかりだからちょっとエドワード・ヤンを思い出してしまったのだが、長回しのシーンがけっこう多く、細かいカット割りなどはしないで、やや離れた位置から人物のやり取りや動きをじっと凝視する感じである。彼らが何を感じ何を考えているかは明確に指示されることはなく、多くのものが観客の想像力に委ねられている。
 フラッシュバックされるエピソードには、リーとジョーがまだ小さいパトリックを連れて船で釣りに出た時のものがあるのだが、帰宅したリーには幼い女の子2人と生まれたばかりの長男、そして愛する妻との幸せな家庭があることが描かれていた。別のエピソードでは、ジョーが難しい心臓の病気で余命5~10年と医師から宣告される場面もあって、この時リーや父親とともに同席した妻とジョーはすでに離婚しているらしいことが示されていた。リーが高校生のパトリック(リーから見れば甥にあたる)と一緒に、葬儀の準備などをしなければならないのはこのためである。

 リーはパトリックを伴って弁護士のもとへジョーの遺言を聞きに行く。ここで、死を覚悟していた兄がパトリックの後見人としてリーを指名していたことを知るのだが、そのための費用などもすべて準備されているので、弁護士はリーにこの町に戻ってパトリックと住んでほしいと告げるのである。
 驚き困惑するリー。この男にはやはり、何か言いようのない問題があることを感じさせる。このあと、やや長いフラッシュバックによって、リーがこの町で経験した想像を絶する過酷な現実が明らかにされる。ネタバレになるので注意してほしいのだが、ある夜、彼が犯した小さな過失(暖炉にスクリーンをしないまま外出してしまった)によって家が火事になり、3人の子どもたちを焼死させてしまったのである。警察の調べのあと、彼は衝動的に警官の銃を奪って自殺を図ろうとするが阻止される。妻のランディ(ミシェル・ウィリアムズ)は助かったが、これがきっかけとなって2人は離婚、リーはこの町を離れボストンでたった一人、固い殻に閉じ籠もるような孤独な毎日を送ることになったのである。パトリックの面倒を見てほしいという兄の遺言はリーの心を揺さぶるが、彼の悲劇的な過去は容易に乗り越えられるようなものではなかった。

 火事のあと、彼の過失は罪に問われることはなかったが、それが彼の罪の意識を余計に肥大させ、彼を苦しめ続けているということなのだろう。後見人になったからといって、罪の記憶と結びつくこの町に住むことはどうしても考えられないリーは、何とか方策はないものかとパトリックにあれこれ働き掛けるのだが、現実的ではっきりした意志を持っている彼との間で、妥協点はなかなか見つからないのである。充実した現在の学校生活などを変えたくないパトリックと、過去の苦しみからどうしても逃れられない(したがってこの町には帰れない)リー。この2人のすれ違う思いを、この映画は丁寧にたどっていく。
 凡百の安直な映画なら、パトリックとの様々な経緯ののちに、リーは何とか過去を乗り越えてこの町に戻るラストシーンを用意するのかもしれない。だが、この映画ではそうはならない。リーの心情を痛いほど理解しながらも、「ここで一緒に住もう」と何とかリーを翻意させようとするパトリックに向かって、この映画は「どうしても乗り越えられないんだ。ここは辛すぎるんだ」というリーの悲痛な告白を映し出すのである。リーの再生は観客みんなが望んでいることだが、それができないまま、それでも生きていくしかないというエンディングは納得するしかないものである。

 リーの元妻ランディとの再会シーンも切ない。ジョーの葬儀の折、彼女は新しい夫とともに身重の姿で現れるのだが、悲劇から立ち直り、もう一度生き直すことを選択した彼女を見ても、リーは何も感じていないような曖昧な表情を見せるだけである。しばらく経って、彼は街なかで乳母車を押すランディと偶然遭遇するのだが、この時はリーへの思いが溢れた彼女が必死で赦しを乞うのを遮り、「俺は何とも思っていない。幸せになれ」と告げて立ち去るのである。このあと、バーで酒に酔ったリーは客と喧嘩になり、友人ジョージ(C・J・ウィルソン)の家で傷の手当てを受けながら涙を流す。
 この映画は安易な希望は描かない。だが、絶望がこの先もずっと続くのだというふうにも描いていない。リーはパトリックを友人であるジョージの家に託すこととし、みずからは再びボストンで生活する道を選択する。この結論に至る過程で、リーとパトリックの間にはささやかだが確かなつながりが生まれていることを、映画はきわめて控え目なかたちだが映し出している。春になるまで待たされたジョーの埋葬からの帰り道、歩きながら2人が交わす何ということもない会話がいい。ボストンで予備の部屋が付いたアパートを探しているというリーに、「何のために?」とパトリックが尋ねる。リーは「お前が遊びに来る」とボソッと答えるのである。

 直後のラストシーンは、ジョーの残した船に乗って、マンチェスター・バイ・ザ・シーの海で釣りをするリーとパトリックの遠景である。カメラは彼らの表情に寄ったりすることはないが、リーの中でほんの小さな部分だが溶け始めているのかもしれないと感じさせられるのである。実にさりげなく、淡々とした終わり方が素晴らしい。映画そのものの寡黙さが、実に多くのことを語っていると感じた。こういう映画、好きである。
(立川シネマシティ1、5月15日)
by krmtdir90 | 2017-05-17 16:53 | 本と映画 | Comments(0)
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