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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「冒険者たち」

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 渋谷のBunkamuraル・シネマで「アラン・ドロンに魅せられて」という特集上映をやっていて、その中に「冒険者たち」がラインナップされていることに気付いたのは前夜のことだった。過去に観た映画の中で、こういう機会にぶつかったら何があっても観に行かなければと思うような映画はそんなにあるわけではない。この年になっては、もうほとんどないと言った方がいいかもしれない。でも、「冒険者たち」は何としても観たかった。
 監督:ロベール・アンリコ、出演:アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス。名前がスラスラと出てくる。フランソワ・ド・ルーベのテーマ音楽も鮮やかに脳裏に鳴り始める。これは、いまでもそういう映画なのだ。
 1967年製作のフランス映画(日本公開も同じ年)である。プログラムも探せばどこかにあるはずだが、今回はそれはもうどうでもいい。若い頃、映画館やテレビで何回か観ているはずだが、とにかく今回は何十年ぶりかのスクリーンでの再会だった。デジタル化が行われたことによって、公開当時のまま甦ったものを観ることができるというのは素晴らしいことである。

 当時、何がわたしをそんなに夢中にさせたのか。60年代から70年代にかけてのアラン・ドロンの映画はほとんど観ているが、わたしは特に彼のファンだったわけでもないし、彼に「魅せられて」いたわけでもない。この映画で言えば、わたしの視線の先にはまずジョアンナ・シムカスがいて、次にリノ・ヴァンチュラ、そしてアラン・ドロンがいるという順序だったと思う。とにかく、冒頭のテーマ音楽とジョアンナ・シムカスで、完全に映画の中に引き込まれてしまった。
 一言で言ってしまえば、この男2人と女1人が作り出す夢のような関係に惹きつけられたのだと思う。不思議なことに、このパターンの映画は当時相次いでわたしの前に現れていて、観た順序は覚えていないが、「突然炎のごとく」(62年・フランス・監督:フランソワ・トリュフォー)と「明日に向かって撃て!」(69年・アメリカ・監督:ジョージ・ロイ・ヒル)が、同様の男2人に女1人の美しい関係を描いていた。もちろんそれはそれぞれに異なった関係を描いていたのだし、その終わり方も三者三様のかたちになっていた。だが、わたしにはこういう関係が成立すること自体が新鮮だったし、そこで作られる微妙なバランスというのが不思議な気がしたのだと思う。
 いずれもわたしの中では重要な映画であるが、この中でひときわ愛着を感じさせるのが「冒険者たち」だったのである。それはたぶん、彼ら3人が背負っているものが、それぞれの夢と挫折として判りやすく描かれていたことが大きいのではないかと思う。

 新型レーシングエンジンの開発に一人で取り組んで失敗する中年の自動車技師ローラン(リノ・ヴァンチュラ)、凱旋門を軽飛行機でくぐり抜ける試みに失敗しライセンスを剥奪されてしまう若いパイロットのマヌー(アラン・ドロン)、この、いつも冒険しないではいられない2人の男同士の関係がまず何と言っても面白い。ひょんなことからこの2人と関係が出来るレティシア(ジョアンナ・シムカス)は、自動車の廃材などを使う駆け出しの前衛彫刻家で、貯金をはたいて開いた個展が新聞などで酷評され行き詰まってしまう。
 この3人の経緯を監督のロベール・アンリコは、実に快調なテンポで手際良く描き出していく。映画としてはここまでが第一段階なのだが、語り口として少しも深刻にならず、彼らの挫折と傷心を軽快と言ってもいいリズムで描いてしまったところが鮮やかなのだ。
 第二段階では、マヌーが聞いてきた一攫千金の宝探しに3人が突き進んでいき、そこで悲劇が起こってしまう。数年前、コンゴ動乱から脱出しようとした富豪の飛行機が墜落し、莫大な財宝を積んだままコンゴの海底に沈んでいるというのだ。コンゴに飛び沖合いに船を出し、潜水服に身を包んだ2人の男が海中を探索し、船上ではレティシアが食事の支度をしたりする。この宝探しのシーンは、宝探しだからといって欲に目が眩んだような切迫した感じはまったくなく、船の上で無邪気に戯れる3人の楽しげなカットが軽やかなテーマ音楽とともに重ねられていく。3人の関係の最も幸福な時間である。だが、その時間は瞬く間に過ぎていく。

 古い映画だからネタバレとかを考慮する必要はないと思うが、実は今回再見して、レティシアの死がこんなに早かったかと意外な気がした。と言うか、第三段階にあたる後日談の部分がこんなに長かったのかと驚いたのである。それは単なる後日談などではなく、レティシアを失ったことによっていっそう鮮明に、2人の男がどんなに彼女を大切に思っていたかが見えてくる展開なのである。ロベール・アンリコはこの映画で、何よりそこのところを描きたかったのではないかと思った。2人にとっては、悔やんでも悔やみきれない悲しく切ない展開。レティシアは実に印象的なヒロインには違いないが、ストーリー的には途中で失われなければならない存在として登場してきていたのである。
 2人の男がレティシアの遺体に潜水服を着せ、海の底に沈めるシーンの切なさはいつまでも残り続ける。第三段階で過ぎていく時間は、レティシアの快活な生を愛惜する時間である。
 死の直前の船上で、レティシアが2人の男をどう感じているかが端的なシーンで描かれていた。海底の財宝を手に入れたら、海上に浮かぶ廃墟の島を買い取って自分だけのアトリエにするのだと語るレティシアに対し、マヌーは一人だけでは寂しいだろう(一緒に住もう)と言い寄るのだが、彼女は「いつでも2人を歓迎するわ」と言って、やんわりと拒絶するのである。一方で、ローランと2人だけになった時には突然、「あなたと暮らすことにする」と告げてローランを驚かせるのである。いずれのシーンでも、男たちの反応が出る前にカットは切り替わってしまうのだが、この先の3人の関係について、レティシアははっきりと選んでいたことが判るのである。

 だが、レティシアは死んでしまい、残された男2人にとってレティシアはそれぞれの絶対的な存在となり思い出となる。一方、海底の財宝を狙っていた別の男たちの暗躍が第二段階の後半から始まり、第三段階後半には海上の廃墟島を舞台とした銃撃戦にまで発展する。映画としては実に目まぐるしい展開なのだが、娯楽映画としてまったく息をつかせぬ急転回は画面から目が離せない。この最後に、今度はマヌーが撃たれて絶命することになるのだが、ラストのローランとのやり取りがいかにもこの2人らしくてぐっと来てしまうのである。
 息を引き取ろうとするマヌーに向かって、ローランは「彼女はおまえと暮らすつもりだと言っていた」と告げる。それに対しマヌーは、ニヤリと笑って「この嘘つきめ」と告げて息絶えるのである。リノ・ヴァンチュラとアラン・ドロン、2人の見せる不器用な男同士の心遣いが泣かせる。ホントにいいコンビだったんだなと納得させられる。
 この映画の、結局マヌー一人だけが生き残るという結末はこの上なくアンハッピーな結末である。だが、映画を観終わった印象は不思議とハッピーな気分に包まれていたと思う。主人公たちの死で終わる映画が、逆に彼らの生きていた時間を美しく甦らせ、いつまでも記憶させてしまうということがあるのだ。二度と取り戻すことはできないけれど、物語は記憶の中に鮮やかに残り続けるのである。名作の名作たる所以だろう。
(渋谷Bunkamuraル・シネマ、7月7日)
by krmtdir90 | 2017-07-08 14:43 | 本と映画 | Comments(0)
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