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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「カーキ色の記憶」

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 シリアに関するドキュメンタリー映画が立て続けに上映されているので、いままで行ったことのなかったアップリンク渋谷に連続して通うことになった。ここはスクリーンが3つあるようだが、それぞれ58席、45席、41席という小規模な客席で、雰囲気はあのユジク阿佐ヶ谷に似ていると思った。この映画はいちばん小さな41席のスクリーン3での上映だった。
 「ラッカは静かに虐殺されている」と「ラジオ・コバニ」はIS(イスラム国)との戦いを扱っていたが、この映画はISの絡まないシリアを取り上げていた。シリアという国がわたしの興味の対象になったのはISが勢力を広げたからであって、それまではこの国のことなど何一つ知りはしなかったのだ。だから、今回の映画についてはよく判らないところも多く、衝撃的な映像といったものもほとんどないから、正直に言うと少し眠くなってしまったことも事実である。

 この映画は1980年代以降、様々な理由で国外に去るしかなかった4人のシリア人を取り上げ、彼らに対して行ったインタビューを元に構成されている。監督・脚本・編集のアルフォーズ・タンジュール(1975年生まれ)もシリア人で、シリアやレバノンなどで精力的にドキュメンタリーを撮っている人らしい。
 映画の背景となるシリア現代史は、とうてい一筋縄ではいかない複雑な様相を呈しているが、政治的には父子2代にわたるアサド政権(1971~2000年:ハーフィズ・アル=アサド、2000年~現在:バッシャール・アル=アサド)と、これに対する反政府勢力の衝突というのが基本的構図になっているようだ。長期にわたる独裁政権だが、政権側にも様々な変遷があり、反政府側にも様々な勢力の消長などがあって、そこにクルド人勢力や周辺諸国の思惑が絡んでいて、とても簡単に理解できるようなものではないのである。

 映画が取り上げた4人はいずれも反政府側にあったのは確かだが、その立場やシリアを出るにあたっての経緯などはそれぞれのものがあって、それを理解するのは非常に困難なことだった。プログラムは売っていなかったので、インターネットの公式サイトから4人のことを簡単に整理しておく。最も年長と思われるイブラヒーム・サミュエルは短編小説家で現在はヨルダンのアンマン在住、ハーリド・ハーニーは画家でフランスのパリ在住、女性のアマーセル・ヤーギーはタンジュール監督の母方の叔母でフィンランド在住、最も若いシャーディー・アブー・ファハルは映画監督でフランス亡命後もシリアに潜入して撮影を続けているようだ。
 彼らはみんなアサド政権を批判する運動などに関係し、当局に追われて収監されたり逃亡生活などを余儀なくされた後に亡命したようだが、彼らが経験したアサド政権下での抑圧された生活を、軍服の色であるカーキ色に象徴される記憶として語っているのである。インタビューは当然彼らの亡命先で行われているが、彼らがいま生活している異国の風景は、彼らの複雑な心の内を反映したように、どことなくよそよそしく冷え冷えしているように感じられた。

 それらの映像とともに、彼らが後にするしかなかったシリア国内の様々な情景が、たとえば爆撃などですっかり破壊された建物の連なりとか、駅頭に集まる行き場を失った人々の姿などがモンタージュされている。また、さらに、彼らの思いに繋がるような比喩的なイメージなども次々と挿入され、4人が交互に語る言葉の中身と響き合うような関係になっている。チラシにある軍服姿の少年はそのイメージの一つだが、これは明らかに演出され作られた意図的な映像である。映像的には非常に計算されたもので、一方では、抵抗や自由を象徴すると思われる赤い風船なども映し出されているのである。
 率直に言うと、こうしたドキュメンタリー部分を補完するようなイメージの追加については、映画の芸術性を高めているのかもしれないが、個人的にはあまり共感できるものではないと思った。趣旨は判るのだが、シリアからはるか離れたところにいるわたしのような観客にとっては、こうした処理が、そこに描かれているものとの距離を遠ざけてしまっていたような気がした。こうしたすべてが、シリアの過去と現在、そして未来とをつないでいるということなのだろうが、気分的には妙に醒めた冷静さが強調されているように思えて、ドキュメンタリー映画としての熱量を下げる方向に働いてしまっているように思われたのである。

 つい数日前の新聞に、シリア政府軍が首都ダマスカス南部からIS勢力を駆逐し、首都とその近郊を完全に支配下に置いたというニュースが出ていた。首都でさえ、そんな状況だったのだ。一方で、シリアの内戦状態はいまも続いていて、インターネットで見ることができるシリア国内の勢力分布図では、政府軍が掌握している地域は国土のやっと半分程度の範囲に過ぎないのだった。しかも、各勢力の支配地域は刻々と移り変わっていてまったく安定することがない。
 こうした中で、シリアの現況をドキュメンタリーがどう捉えるかは、それこそ様々なやり方があるということなのだろう。たまたま異なる姿の3本の映画に接することができたが、今後もなるべく注意してチェックしていきたいと思った。
(アップリンク渋谷、5月18日)
by krmtdir90 | 2018-05-23 23:59 | 本と映画 | Comments(0)
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