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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「私はあなたのニグロではない」

映画「私はあなたのニグロではない」_e0320083_22101266.jpg
 強烈なタイトルである。「ニグロ(Negro)」とか「ニガー(Nigger)」はアメリカにおいては明瞭な差別用語であり、こうしたタイトルなどに不用意に使える言葉ではない。ニューヨーク市では「ニガー」という言葉の使用を禁止する条例まで制定されているというのだ。だが、ここにはこの映画の製作者たちの明確な主張が込められているということなのだろう。
 このタイトルは原題(I AM NOT YOUR NEGRO)をそのまま訳したものなのだが、その意味するところは「私はあなた好みの(あなたが望むような・あなたが必要とするような)ニグロではない」ということのようだ。この映画は、アメリカにおける黒人差別の歴史と現況について、黒人への偏見は実は巧妙に(強制的に)作られたものであって、無知や先入観が様々な差別のかたちを取って現れてきている構造を的確に解き明かしている。

 ドキュメンタリーとしてのこの映画は、作家ジェームズ・ボールドウィン(1924~87年)が1979年に書こうとして、30ページ書いたところで中断した「Remember this House」という未完の原稿に基づいているらしい。題材となっているのは彼の3人の友人、いずれも暗殺された公民権運動家、メドガー・エヴァース(1925~63年)、マルコムX(1925~65年)、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929~68年)のことである。
 映画は、様々な映像によってこの3人の生き方を追うとともに、ボールドウィンが残した本やエッセイ、インタビュー、講演などの映像と言葉を再構成し、ボールドウィンの主張と行動の跡を真正面から描き出そうとしている。ボールドウィンの鋭い洞察力と、現実に対するどこまでも熱く激しい姿勢は、死後30年を経た現在でも観る者に強く響いてくる力を持っている。
 監督・脚本のラウル・ペック(1953年生まれ、ハイチ出身)は、このボールドウィンの考え方に全面的に共鳴し、それを映画によって描き出そうという明確な姿勢を貫いている。そのため、この映画が訴えかけてくるものは終始明快で、その怒りは痛烈で衝撃的なものになっている。黒人差別の問題をどう考えるかという点で、これほどはっきりした立場で語られたものはなかったのではないか。ボールドウィンその人を映し出した映像はどこまでも熱く、彼の言葉を再構成したナレーション(サミュエル・L・ジャクソン)の口調はどこまでも静かである。
 ラウル・ペックが2016年という時点でこの映画を撮ったのは、2期8年続いたバラク・オバマ時代に対する揺り戻しとして、ドナルド・トランプへの支持が全米に拡大していたことと無関係ではないだろう。映画が振り返るのは30~50年前のアメリカだが、時々挟み込まれる現在の映像にボールドウィンが残した言葉が重なり合う時、アメリカは(その本質的な差別構造において)少しも変わっていないということが見事に炙り出されてくるのだ。そして、映画はあくまでアメリカのことを扱っていながら、その根底にあるものはいまや世界中に拡散していることにも気付かされるのである。

 この映画の上映時間は93分という短いものだったが、その内容は非常に多岐にわたり盛り沢山なものがあった。その間ずっと、ボールドウィン自身の語りとその言葉に基づくナレーションはほとんど途切れることがなく、字幕を追いながらそこにある情報のすべてを読み取ることは、実はなかなか難しいことだったと正直に白状するしかない。そういう意味で、プログラムの末尾に(極端に小さい活字だったが)採録シナリオが完全に掲載されていたのは有り難かった。
 それを読み直してみると、ラウル・ペックはこの映画を非常に論理的に、一つ一つ段階を踏んで組み立てていることが判る。その緻密さが、全体を俯瞰するよそよそしい客観に向かわなかったことが素晴らしいと思う。彼は、ジェームズ・ボールドウィンという一人の黒人の中にあったものを表に出すためにだけ、この93分間を使って見せている。映画は3人の名高い公民権運動家の姿を描きながら、彼らをボールドウィンはどう見ていたか、その死をどう受け止めていったのかを明らかにすることに集中している。それらの死を通過することで作り上げられていった、ボールドウィンの感じ方・考え方の核心に入って行こうとしている。

 映画のほとんど冒頭に置かれたエピソードは印象的である。1948年にアメリカを去り、パリやヨーロッパに住んで執筆活動をしていたボールドウィンが、1957年にアメリカに戻らなければと決意するきっかけとなった出来事である。それは、当時まだ黒人と白人が明確に区別されていたアメリカ南部シャーロットのハイスクールに、黒人として初めて入学することになったドロシー・カウンツという少女の写真を見たことだった。大勢の白人生徒に取り囲まれ、罵声や嘲笑を一身に浴びながら登校する彼女の姿に衝撃を受け、黒人問題をパリで議論している場合ではないと感じたというのだ。以後、ボールドウィンはアメリカで公民権運動に積極的に関わるようになっていく。
 一方で、映画の終わり近くになってから、彼は10年もの間アメリカを離れて執筆していた理由についても率直に告白している。行き先はどこでもよかった。そこはアメリカにいるより安全だったからだ。アメリカでは常に警戒が必要で、命の危険に怯えながら執筆することはできなかったからだと述べている。それは決して被害妄想などではなく、当時の黒人は常に理不尽な暴力の恐怖に晒されていたのだ、と。だからこそ、彼は15歳の少女の写真を無視できなかったのだ。「私は憤怒した。憎しみと同情に駆られ、また恥ずかしくなった。誰かが彼女に付き添うべきだった」と。
 映画はボールドウィンが帰郷したところから始まるのだが、その始めのあたりで、ナレーションは彼の子ども時代のことから語り始める。7歳の時、家族に連れて行ってもらった映画「暗黒街に踊る」(1931年)を見て、ジョーン・クロフォードの踊りに熱中したこと。そして、「ジョーン・クロフォードは白人だと分かっていた」と語っている。また、「その頃、若い白人女性のミラー先生に出会った」。彼女は「私に本を与え、本や世界について話してくれた。ナチスドイツについてもだ。普通10歳児に見せない芝居や映画にも連れて行ってくれた。そんな先生に子供の頃出会ったため、白人を嫌いになれなかった。殺してやりたいと思う奴は何人もいたが、白人が差別主義なのは、肌が白いせいではないと感じた」という。

 この映画には、主にハリウッドで作られた多くのアメリカ映画の断片が挿入されている。最初に置かれているのは「暗黒街に踊る」だが、さすがにこんな昔の映画はわたしは見ていない。だが、ここに映し出される踊り子たちはすべて白人女性で、そこに黒人女性の姿はないのである。そして、この後セレクトされ並べられる映画(テレビ番組やコマーシャルなども)は、どれもアメリカにおける「あるべき白人と黒人」の姿を、繰り返しアメリカ人の中に刷り込む役割を果たしてきたものなのである。
 「駅馬車」(1939年)の映像とともに、ナレーションは語り出す。「英雄といえば白人だった。自分の住む国の現状と、その現状を反映している映画のせいで、私は英雄を憎み恐れた。『自分には復讐する権利がある』と彼らは思っていたからだ。私には分かっていた。我が同胞は我が敵だと。黒人が刃向かわないように、これらの映画を作ったのか。虐殺を英雄の伝説に仕立てた」と。どこかの討論会で発言するボールドウィンがこれを引き継ぐ。「引用できる事例は多々あります。レイプ事件や殺人事件、流血を伴う弾圧行為も日常茶飯事なのです」。そして、「アメリカに生まれた黒人を例に取ります。生まれた時は何の知識もない。だから周りの棒や石、顔が白ければ、鏡を見ていないから、自分も白いと思い込む。しかし5~7歳で現実を知り、衝撃を受ける。『先住民を殺すゲイリー・クーパーを応援したが』『あの先住民は自分だ』。そして自分の国の真の姿に気づくのです。自分が愛するこの国には、黒人が羽ばたく場所はないと知るのです」。

 シナリオの言葉を書き抜き始めると際限がなくなってしまうだろう。ボールドウィンは簡潔な言葉で、問題の本質をズバズバ突いてくる。気付かないまま曖昧にされてきたことを、容赦なく暴き出していく。93分の体験だけでは不確かだったところも、シナリオを読むと驚くような鮮明さで甦ってきた。それは、映像と響き合うボールドウィンの言葉の力強さだ。それらはきわめて論理的に一つの真実に向かって収斂していく。白人は「ニガー」を必要とした。白人が「ニガー」を作り出したのだということである。
 引用された映画はほとんど知らないものだったが、知っているものも幾つかあった。「手錠のままの脱獄」(1958年)と「招かれざる客」(1967年)のシドニー・ポワチエのことは判った。
 「手錠のままの脱獄」ついて、ボールドウィンは映画の前提が受け入れられないと述べている。黒人と白人の憎しみの源について、大きな誤解があるからだという。「黒人の憎しみの源は怒りだ。自分や子供たちの邪魔をされない限り白人を憎んだりしない。白人の憎しみの源は恐怖だ。何の実体もない。自分の心が生み出した幻影に怯えているのだ」というのは、その通りだと思った。また、シドニー・ポワチエが列車から飛び降りた時、リベラルな白人は安堵し喜んだ。白人は憎まれていない、間違いを犯したが、嫌われることはしていないと彼らは思ったのだという。黒人の反応はまったく違った。白人を安心させるために列車を降りた彼を許せなかったというのは納得した。
 「招かれざる客」が黒人に特に嫌われていたというのも理解できた。シドニー・ポワチエが白人に都合良く使われていたというのは、その通りだったと思う。シドニー・ポワチエや一見リベラルな監督の嘘くささは当時わたしも感じていたもので、ボールドウィンのように直裁にに断じてくれると、モヤモヤしていた思いが一気に晴れるような気がした。もちろん、当事者であった黒人のボールドウィンにとっては、わたしなどには想像もできないくらい許し難いことであったに違いないのだが。

 この後に並べられた「夜の大捜査線」(1967年)だけは、かなり好意的な評価を受けていた。シドニー・ポワチエとロッド・スタイガーが駅頭で別れるラストシーンについて、ボールドウィンは「ここで描かれた一種の『キス』は愛の証しではない。性的欲望でもない。和解の象徴だ。それも難しくなってきているが…」と述べている。もし和解ができるのであれば、ボールドウィンは誰よりも真っ先にそれを願っていたのかもしれない。だが彼は、最後まで安易な妥協に逃げ込むことを許さなかったのだ。
 映画の終わり近く、ナレーションはアメリカの現在についてこんなふうに断じている。「アメリカ人は以前より幸せでも善人でもない。なのに、その現実を誰も認めない。少年犯罪が後を絶たない現状は、修正可能な計算ミスだと信じようとしている。無差別で残虐な事件が各都市で起きているが、一握りの異常者の犯行と思っている。燃える情熱や主義主張のない国民が増えているのは、協調性が高いからだと受け止めている」。ボールドウィンは1987年に死んでいるのだから、これらの言葉は少なくとも30年以上前に記された言葉なのだ。
 映画の最後に引用されていたのは、まったく思いがけない「昼下がりの情事」(1957年)だった。ナレーションはこんなふうに述べる。「(現在のアメリカで最大の問題は)盲目で臆病なアメリカ人が、人生はバラ色というフリをしていることだ。危険なほど長い間、この国には2つの層が存在していた。ゲイリー・クーパーとドリス・デイ(「ブロードウェイの子守歌」1951年、日本未公開)が象徴する層が一つ。グロテスクなほど清らかなイメージだ。もう一つは、不可欠なのに目立たず否定されてきた層だ。例えるならレイ・チャールズの歌声に象徴される」。その上で、彼はこう述べている。「向き合っても変わらないこともある。だが、向き合わずに変えることはできない」。

 結局、わたしはシナリオの言葉を次々に書き抜いてしまっている。そうしないではいられないのだから、いいではないか。そうすることで、この映画の言葉とその視点を記憶しておきたいのだ。それは映画を一回見ただけでは記憶できないものだが、映画を見たからこそシナリオのそれらの言葉がこちらに訴えかけてくるのだと思う。
 映画の最後に、アップになったボールドウィンがわれわれに語った言葉を書き抜いておきたい。
 「私は悲観主義ではない。生きてますから。悲観主義で生きていける世の中ではない。生き抜けると思うのは楽観主義だからです。しかし…、この国の黒人は…。黒人の未来は国の未来同様、明るいか、または暗いかだ。すべてはアメリカ国民次第です。議員ではなく国民次第なのです。ずっと敵対してきた相手と向き合い、抱き合えるかどうかが問題です。白人は自分自身に問わねばならない。なぜ『ニガー』が必要だったのか。私をニガーだと思う人は、ニガーが必要な人だ。白人は、自分の胸に聞いてほしい。黒人にとっては北部も南部も同じです。『去勢』の方法は確かに違いますが、去勢される点は同じだ。それは事実です。私はニガーではない。白人がニガーを生み出したのです。何のために?」。そして、映画は彼の次の言葉で暗転する。「それを問えれば未来はあります」。
(アップリンク渋谷、5月25日)
by krmtdir90 | 2018-05-28 22:10 | 本と映画 | Comments(0)
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