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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ルイ14世の死」

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 「何だよ、この映画は」というのが、見始めた時の一番率直な感想だったかもしれない。しかし、決して退屈な映画ではなかった。むしろ意外なほど惹き付けられ、最後までまじまじと見とれてしまったというのが本当のところだと思う。非常に面白かったと言っても間違いではない。たぶん普通に考えればかなりかったるい映画なのだが、こういう映画が面白かったというのは不思議と言うほかない。アルベルト・セラというのはスペイン出身の監督(1975年生まれ)のようだが、この人は鬼才と呼んでもいいのではないか。
 かのヴェルサイユ宮殿を建造し、「太陽王」と呼ばれたルイ14世の、死の床にある数週間を描いた映画である。ルイ14世を演じたのは、あのジャン=ピエール・レオなのだ。「大人は判ってくれない」の彼も、この映画の撮影時(2016年)には72歳になっていたようだ。恐らく一世一代の名演と言っていいと思うが、それを的確に写し取ったアルベルト・セラ監督の演出(画面作り)も見事だった。こんな映画があるのだという驚きは大きかった。

 映画として、動きがあるのは最初の10分ほどに過ぎない。ルイ14世はすでに自分だけでは動けなくなっていて、動きと言っても、車椅子に乗せられたり誰かに支えられたりして僅かな距離を移動しているだけなのだ。冒頭に屋外のシーンが僅かにあるが、以後はずっと屋内、それもほぼ彼の寝室とその周りだけに限られている。ジャン=ピエール・レオは、最初の内こそベッドで座位を取ることもあるが、その後はほとんどベッドに横たわったまま動けなくなってしまうのである。
 侍医や召使いなど、様々な人間が恐る恐るその周囲を動き回っているのだが、カメラは極端なアップを多用しながら、ルイ14世とその周囲の人物たちを捉えていく。もちろんすべてはルイ14世を中心に動いているのだから、カメラはそのジャン=ピエール・レオのわずかな動きや表情の変化などを見逃さない。
 基本的にリアリズムが貫かれた映画だから、室内の明かりは蝋燭の火であって、画面は終始かなり薄暗い状態である。人物のアップと薄暗い照明がこの映画の基本的なトーンになっていて、そこのところがスッと納得できないと、この映画はかなり受け入れ難いものになってしまうだろう。衣裳や調度などは丁寧に時代を再現しているが、すべてが仄暗い光の中にあることでその存在を際立たせている。わたしはこの感じが心地良かった。

 時間の経過とともに、ああ、実際にこういう感じだったのだろうなと納得された。
 ルイ14世はすでに自分の死期が近いことに気付いており、そういう場合でも王としてどう振る舞うべきかということと、断続的に襲ってくる身体的な苦痛との間で引き裂かれている。映画はドラマチックな要素を徹底して排除しながら、こうして徐々に死に向かって衰弱していくルイ14世の姿を、まるで生き物の死でも観察するかのように冷徹に記録していくのである。王としての矜恃に必死でしがみつこうとしながら、どんどん思い通りにならなくなっていく過程を、ジャン=ピエール・レオはきわめて克明に演じていた。それは演じるというより、文字通り生きていると言った方がしっくりするように思われた。
 召使いに水を要求し、思いと異なるグラスだったと苛立ちを露わにしたり、食欲がほとんど失われているのに、繰り返し勧められて仕方なく申し訳程度に口にしたりする、ビスケットをワインに浸し、ほんの少し口に入れて咀嚼するところなどを、カメラはじっと見詰め続けるのである。そうなのだ。死を目前にしているからこそ、そこで生きていることが観察対象となりうる。アルベルト・セラ監督がここで描こうとしたのは、ルイ14世という生き物の姿なのだ。

 当然のことながら、死の瞬間はあっけないほど簡明だった。余計な装飾的表現は一切ない。侍医が王の胸に耳を寄せた後、短く「逝かれました」と言う。従者が「記録します」と言う。それだけである。音楽も、どんなドラマチックな表現もない。ルイ14世であろうと誰であろうと、生き物の死は単に生の時間が途切れるだけのことなのだ。周囲の人々の反応がわずかに映されるが、大袈裟な嘆きなどはどこにも見えないのである。これがアルベルト・セラ監督のやり方なのだ。
 直後に、解剖された王の身体から内臓が取り出されるシーンが映し出されたのには驚いた。こけ威しのグロテスクさはなかったが、王の病気(壊疽であったとされている)が想像以上に進行していたことと、それに対する治療方針に甘さがあったことが、解剖にあたった侍医たちの口から語られている。ほとんど壊死してしまっていた王の足を、切断するとは誰も言い出せなかったことが窺える。最後に彼らが「次はしっかり診よう」と呟くところで映画は終わるのである。

 「何だよ、この映画は」という感想は、エンドロールに移った時にも再びあったと思う。だが、それは「凄い映画を見た」という思いと表裏をなしていた。死は人間が生き物である以上、誰にでもやってくるものだが、ルイ14世という歴史上に名を残す人物に拠りながら、死そのものの現実をこんなふうに丹念に、また淡々と描いて見せたことに衝撃を受けた。アルベルト・セラとジャン=ピエール・レオの名は、この映画とともに記憶に刻まれた。
(渋谷イメージフォーラム、5月29日)
by krmtdir90 | 2018-05-31 10:52 | 本と映画 | Comments(0)
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