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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「早春」

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 この映画は1970年製作のイギリス映画(西ドイツと合作)である。日本公開は1972年だったが、その後、なぜか上映機会もなくソフト化もされなかったので、まったく見ることが叶わない伝説の映画になってしまっていたようだ。最近ようやくデジタルリマスター版が作られ、今年、45年ぶりの再公開が実現したということだったらしい。
 わたしは初公開時の72年にこれを見ているのだが、強烈な印象を受けた記憶だけは残っているものの、今回の再見で、ストーリーの細部などはほとんど忘れてしまっていたことが判った。だが、シーンとして鮮明に甦ってくるところもあって、これは時が経過してもまったく色褪せることがない、(青春映画と括ってしまうことには抵抗があるが)いま見ても非常に新鮮で瑞々しい傑作であることが理解された。

 監督のイエジー・スコリモフスキは1938年生まれの(今年で80歳だ)ポーランド人で、映画監督となった後は社会主義国ポーランドを離れ、主にイギリスに拠点を移して映画製作を行うようになっていたようだ。同様の軌跡をたどった先人に「反撥」(1965年・イギリス映画)のロマン・ポランスキー監督がいるが、彼の処女作「水の中のナイフ」(1962年・ポーランド映画)で、スコリモフスキは共同脚本に名を連ねていたのである。
 わたしにとっては、これらポランスキーの先行映画、特にイギリスに渡って最初に撮った「反撥」の何とも言いようのない不穏な空気が強く印象に残っていて、この「早春」を観た時にも、それに通じる不穏な気配を感じ取っていたのだと思う。もちろんこの2作には何のつながりもないのだが、ストーリー全体を支配する張りつめた緊迫感や、観客の生理に直接訴えてくるような画面作りの様々な技法とかが、どことはなしに似ているような感じがしたのである。
 当時、ポーランドを始めとする東欧諸国に関しての情報は極端に少なかったから、これらの映画の背景に、わたしは舞台となったロンドンよりも、ポーランドという国に感じる何となく暗いイメージを受け取ってしまったのかもしれない。同じ感じは、先日見たポーランド映画「ゆれる人魚」(2015年)にも通じるものがあったように思う。この映画が、1980年代の(社会主義下の)ポーランドを描いていたからだろうか。

 ただ、「反撥」は内容的にも暗いベクトルを持った映画だったが、「ゆれる人魚」やこの「早春」は決して暗いだけという映画ではなかった。むしろ、暗い方向に向かおうとする要素と、奇妙な明るさに向かおうとする要素とが混在している印象があって、題材としてはコメディ的に処理されるような要素も含まれているのに、それが簡明な明るさには向かわずに、複雑な湿り気を帯びた暗い塊に変質しているような感じがしたのである。
 「早春」は一言で言えば、15歳の(童貞の)少年マイク(ジョン・モルダー=ブラウン)が、奔放な(蓮っ葉なと言った方がいいか)年上の女性スーザン(ジェーン・アッシャー)に一方的な恋心を抱き、その思いが急激に制御不能になっていき、最後には思いがけない悲劇を招いてしまうという映画である。制御不能になるという点では「反撥」のキャロル(カトリーヌ・ドヌーブ)や「ゆれる人魚」の人魚姉妹と共通しているのだが、「早春」のストーリーはそれらと比べるとずっと普遍性があり、マイクが陥る制御不能は、性を目前にした思春期の少年に特有な熱と危うさを反映したものとして、心理的には非常に共感できるものになっているのである。
 そういう意味で、イエジー・スコリモフスキはきわめて正統的な映画を撮ろうとしているのであって、ポランスキーやアグニェシュカ・スモチンスカ(「ゆれる人魚」)に感じられる異常さとは明らかに一線を画しているのだった。「早春」は、思春期の初恋の何とも切ない心理を、少年の側に寄り添って描いた映画と言っていいのだが、誰もこんなふうにそれを描いた監督はいなかったということである。これは確かに、ただ一本で屹立している凄い映画だったのだ。

 マイクは15歳で学校を中退し、ロンドン市内にある公衆浴場の接客係として働き始めるという設定になっている。スーザンはそこで出会った先輩接客係なのだが、ここには接客係は彼ら2人の他にはいないように見える。そもそも公衆浴場というのが初めて見るもので、日本の銭湯などとはまったく違った施設なのは見ているうちに判ってくるが、そういうところに雇用されることは人々にどんなふうに見られ、マイクやスーザンたち当人にとっては、どんな意識で受け止められているものなのかが気になった。決して明朗な仕事とは思えなかったからである。
 また、15歳と言えばまだ義務教育の途中ではないかと思われるが(こういう時点で中退するのはかなり重大なことに違いない)、マイクがどういう事情で学校を辞めたのかも気になった(映画はそのあたりのことをまったく描いていない)。数日後に、彼の両親が客として浴場を訪れるシーンがあるが、お互いごく普通の会話を交わして、その中に彼がマザコンではないかというような雰囲気を漂わせるのも不思議な気がした。マザコンの気配を引き摺っていてもかまわないが、中退という事実がこの家族にはまったく影を落としていないように見えたのが理解できなかったのである。
 そういえば、この映画は自転車で通勤するマイクの姿は何度も映し出すが、彼らの家庭やそこでの生活の様子、彼のこれまでの人間関係などについてはまったく描こうとしていないことに気付くのである。スーザンの私生活は、婚約者がいるにもかかわらず他の男と関係を持っていることなど、かなり踏み込んで描いているのだから、マイクのプライベートがまったく見えて来ないのは、明らかにスコリモフスキ監督の意図的な作戦と言っていいはずである。

 マイクが中退した時の体育教師(担任?)も登場し、この浴場の常連らしい彼とマイクが、妙に馴れ馴れしい会話を交わすのも不思議である。この教師は、浴場のプールに女生徒たちを引率して来て、自信たっぷりにセクハラ気味の指導を展開したりするのだが、やがてこの男が、家庭がありながらスーザンと不倫関係にあることも明らかになって、マイクはそれを妨害しようとして動き回ることになる。妨害と言っても、それは笑いたくなるくらい馬鹿げたおせっかいなのだが、この映画はそれを笑ったりすることはなく、むしろ彼の泣きたいような必死さに共感しようとしているように見えたのである。
 マイクはスーザンに婚約者がいることも気に入らないのであり、それら大人の男たちを向こうに回して、何とかスーザンの気を引きたい(独占したい)という気持ちを募らせていく。筋の通った説明などはとてもできない、どう見ても支離滅裂で滑稽な横恋慕に過ぎないのだが、この映画は彼のそうした不器用な行動の一つ一つを、突き放すのではなくむしろ寄り添うような視線で拾い上げていくのである。見る側としては、すでにはるか昔のことになってしまっているが、このほろ苦く思い通りにならない感じというのは、多かれ少なかれ誰しもが通ったことのある迷路だったと思い出させられるのである。
 この映画の素晴らしいところは、そういうことを説明的に示すのではなく、有無を言わせぬかたちで、こちらの感性に直接訴えてくるような描き方をしていることである。つまり、スーザンやその相手の男たちは、常にマイクの視線と感情に差し違えられるように存在しているのであって、スコリモフスキ監督はマイクの側のそうした事情だけをこの映画に定着させようとしている。マイクのプライベートが捨象されているのはそのためであり、この映画の中でマイクは、ただスーザンの前で制御不能になってしまう精神性においてのみ存在させられているということなのである。

 この映画は月曜日の朝に始まり、週末の日曜日から次の月曜日の早朝まで、ちょうど一週間の出来事を描いている。週の半ばから、マイクは終業後のスーザンを尾行するようになるのだが、それは気付かれないようについて行くというのではなく、むしろ自分の存在を彼女に気付かせて、彼女と男たちの行動を邪魔しようとするものである。
 スーザンの相手は一日置きになっているようで、木曜日は婚約者と映画へ、金曜日は体育教師と車で、土曜日は婚約者とナイトクラブへ、日曜日はまた体育教師と、といった具合なのである。スーザンは婚約者とは気持ちがすれ違うことが多く、体育教師とは逆にきわめて親密に、直截なセックスを求め合う関係になっているように見える。15歳のマイクがこうした大人たちの事情をどこまでイメージできているのかは定かでないが、彼が囚われる胸騒ぎは切実なものである。
 マイクの妨害は様々なかたちを取るが、その一つ一つが何とも向こう見ずで危なっかしく、彼の切ない一途さを表していて胸に響く。木曜日には、映画館で婚約者と並んだスーザンの真後ろに席を占め、前の2人にちょっかいを出して騒ぎを起こしたりする。その一部始終の中で、スーザンの思わせぶりな対応がまた彼の心にいっそう火を点けてしまう。だが、彼の行動そのものはいかにも子どもじみていて笑ってしまうようなものなのが悲しい(ついでながら、ここで上映されている成人映画が、性教育映画を謳ったいかにも時代物といった感じのモノクロ映画で、45年前はこんなものだったかと笑いたくなってしまった)。
 翌日の晩の体育教師の車に対しては、マイクは自転車をぶつけて進路を妨害するのだが、教師が怒って車を降りた時、替わって運転席に座ったスーザンが、車を容赦なく自転車にぶつけて壊してしまう。この時のスーザンはマイクのしつこさをはっきり拒絶していて、これからセックスに向かう彼女にとってマイクはただ厄介なだけの邪魔者に過ぎないことを表している。それがまた彼の気持ちをかき乱し、いっそう彼女に向かわせていくことになっているのである。

 浴場は土曜日は早仕舞いになるようだが、この日の浴場では、スーザンが仲の悪い会計係の女に嫌がらせをするシーンはあるが、マイクとの関わりは描かれていない。代わりに、マイクの元ガールフレンドが彼の控え室に突然現れ、これまで拒絶していたセックスをしてもいいと匂わせたりする。また、給料を持って来た会計係の女が、彼をあからさまに誘惑するようなシーンも描かれている。いずれもマイクの心を動かすことにはならないが、こうしたことが、彼の中でスーザンへの思いを募らせ、どうにもならない焦燥感と苛立ちをいっそう高めるように作用しているのである。
 この日は婚約者と婚約指輪を選んだ後、食事をしてナイトクラブに行くと言っていたスーザンを追って、彼は当然のようにそのナイトクラブに出没し、隠れながら2人が出てくるのを待つのである。東洋人がやっている屋台でホットドッグを繰り返し注文し、ぱくつきながらただ待つしかない彼に、嫉妬以外の何らかの成算が見えているわけではまったくない。
 翌日、粉雪が舞う日曜日の昼間に、体育教師が生徒のマラソン競技に立ち会っていて、それが終わるのを待っている愛人然としたスーザンの姿を見て、突然マイクが教師の制止を振り切って生徒に交じって走り出すのには驚かされる。もちろん彼の行動に意味などはない。彼の思いは行き先を失ったまま、どこへ向かうのか自分でも判らないまま暴走するしかないのである。
 土曜日から日曜日にかけて起こったことは、ここに細かく書いても仕方がないことだろう。ここで起こったことは、すべてマイクが後先考えずに起こしてしまったことなのである。マイクの中のどうにも止められなくなってしまった不穏な心理状態を、映画はたぶん、成り行きとしてそうなることは仕方がなかったというふうに描いている。スーザンの殺害も、殺意などはまったく意識されないところで、まるで想定外の間違いだったように起こってしまうのである。だが、それは間違いなく彼が起こしてしまったことであり、その瞬間にすべては取り返しのつかないこととして、彼の中に最も残酷なかたちで刻印されることになるのである。

 土曜日の晩に、マイクがナイトクラブの外で2人を待ちながら、近隣のストリップ劇場の入口にスーザンそっくりの等身大の立て看板を見つけ、それを盗んでしまってからの一部始終は印象的である(見事な語り口と言っていい)。婚約者と別れたスーザンを彼は地下鉄の中まで追って行き問い詰めるが、彼女は迷惑がるばかりで、それが自分であるかどうかははっきり答えない。彼女は完全に怒っているが、彼は自分の思いに突き動かされるばかりでそれが判らず、周囲の乗客の冷たい視線も目に入らないくらい興奮している。
 結局、疑いは晴れないまま、この後マイクは(家には帰らず)公衆浴場に向かい、無人のプールに看板を投げ込むと、全裸になって水に飛び込み(おずおずと、というふうにわたしは感じた)看板に抱きついていく。一緒に水中に入ったカメラは、青白い光の中でその看板が一瞬スーザンの身体と入れ替わるところを捉える。切なくも美しい、記憶に残る名シーンである。
 ほぼ同様の水中ショットが、ラストシーンでもう一度繰り返される。だが、その時水中にあるのは看板ではなく本物のスーザンの身体である。マイクはスーザンを抱きながら水中を漂うが、彼女の後頭部から流れ出す血がブールの水を徐々に赤く染め上げていくのである。映画の冒頭とこのラストには、キャット・スティーヴンスの歌う「今夜ぼくは死ぬかもしれない」というフレーズが大音量で重ねられている。冒頭(タイトルバック)のそれも衝撃的だったが、ラストのそれはストーリーの悲劇性を高めて圧倒的なものがあった。
 日曜日の午後から夜にかけて、水の抜かれたプールの底でマイクとスーザンが展開した経緯についてはまだ触れていないのだが、もうそれでいいだろうと思う。鑑賞してからすでに日にちが経ち過ぎているし、感想文としても長くなり過ぎている。だが、こうしてこの映画と向き合っていると、これは確かに記憶に残る凄い傑作なのだという思いがどんどん強くなっている。
(ユジク阿佐ヶ谷、5月4日) 
by krmtdir90 | 2018-06-09 11:39 | 本と映画 | Comments(0)
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