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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「君が君で君だ」

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 期待外れが2本続いてしまった。監督が松居大悟だというので見に行ったのだが、これまでに見た2作と比べるとあまり面白くなかった。
 どうしてそういうことになったのか。「私たちのハァハァ」(2015年)の脚本は舘そらみ・松居大悟となっていて、一応共同脚本というかたちだが、主に書いたのは舘そらみの方だった。「アズミ・ハルコは行方不明」(2016年)には山内マリコの原作があり、脚本は瀬戸山美咲となっていて松居大悟は絡んでいない。対する今回の映画は、原作・脚本:松居大悟とあって、完全に彼のオリジナル脚本だったようだ。恐らくこのことが面白くなかった原因ではないかと思っている。
 設定に説得力がないというのはかなり決定的なことだと思う。だが、映画というのはそれですべての可能性が閉ざされてしまうというものでもないだろう。問題は、その設定で何をしたかったのかがよく判らないというところだと思う。どんな突飛な設定であっても、それを動かしていくうちに思いがけないものが見えてくるということもないわけではない。だが、この映画にそういうものは見えてこなかった。どう考えても通俗的としか言えないような終盤の展開は、「ちょっと、これではダメだろう」と言うしかないような気がした。
 この設定を面白がっているのは松居大悟だけであって、この展開に説得力ありと納得しているのも松居大悟だけだったように思う。

 要約すると、「愛する女性が憧れる人になりきり、自分の名前すら捨て去って、10年間にわたり彼女を見守り続けた3人の男たちの愛の行方」というのだが、「見守る」と言えば聞こえはいいが、要するにこれはストーカー行為であって、そういうことを描いてはいけないと言うつもりはないが、この極端な描き方には乗って行けないような気がした。
 3人が「なりきる」のが尾崎豊、ブラッド・ピット、坂本龍馬というのだが、この「なりきり」がどういう具体性を持っているのかがはっきりしないから、「自分の名前を捨てる」と言われてもどういうことを指しているのか判らないのである。また、定職に就いていないように見える3人がどんな生活をしているのかも不明で、それを「10年間」続けたという実態はまったく見えてこなかったように思う。
 現実にそんなことあるわけないじゃないかという設定を敢えてしているのは判るから、その方向から説得力がないと言っているわけではない。問題はなぜそういう設定が必要だったのか、きわめて非現実的なその設定でしか浮かび上がらないものがあると考えたのだとすると、それが何なのか見えないから説得力がないと言っているのである。男たちの「純情」というようなものに触手を伸ばしているように感じられるが、それこそ「馬鹿言ってんじゃないよ」ということではないか。
 まあ、これを面白いと言う人もいるかもしれないから、とにかくわたしとしてはダメだったということで今回は終わりにしておくことにする。
(新宿バルト9、7月10日)
by krmtdir90 | 2018-07-12 20:05 | 本と映画 | Comments(0)
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