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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ゲッベルスと私」

映画「ゲッベルスと私」_e0320083_21495930.jpg
 オーストリアのウィーンに拠点を置くブラックボックス・フィルム&メディアプロダクションというドキュメンタリー専門のプロダクションが製作した映画らしい。最初に映画の基本情報を転記しておく。2016年・オーストリア映画、原題「A GERMAN LIFE」、上映時間113分、ドイツ語、モノクロ・ハイビジョン、画面サイズ16:9。監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー(4名による共同監督)。

 映画は、ナチス政権下のドイツで、ヒトラーの右腕と言われた国民啓蒙宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの下、1942~45年の3年間、大臣官房秘書室に勤務したブルンヒルデ・ポムゼルという女性のインタビューを構成したものである。彼女はベルリン陥落とともにソ連軍に拘束され、5年間の収容所生活ののちドイツに戻ったが、当時のジャーナリズムにセンセーショナルな取り上げられ方をしたため、以後マスコミの取材などには一切応じないようにしていたらしい。
 この映画が作られたということは、製作者たちの説得を彼女が受け入れたということになるが、映画の撮影が行われた2013年には彼女は何と103歳になっていたのだという。インタビューは1回につき1時間と区切って行われ、合計30時間分の記録が残されたということらしい。ナチスの中枢で働いていた人物がいまも生きていたというだけで驚きだが、この人物のインタビューが記録されたことはまさに奇跡的だったと言っていいのだろう。彼女は映画完成からほどなく、2017年1月に106歳で亡くなっている。

 完成した映画では、インタビュアーの質問などはすべてカットされていた。ナレーションや音楽などもまったく付け加えられないかたちで、彼女が語った言葉だけが(もちろん取捨選択は行われているが)残されることになった。一つ一つ言葉を選んで語る彼女の映像(年齢を考えると非常にしっかりしたものである)は、様々な角度から捉えられた顔の表情のアップだけで構成され、異様に深く刻まれた爬虫類を思わせるような顔の皺が繰り返し強調されている。
 その上で、この映画は映画にしか出来ない一つの表現を付け加えている。大戦当時の様子を映し出す様々なアーカイヴ映像を、インタビューの間に挟み込むという編集を行ったのである。映像はプロパガンダなど一定の意図の下で製作されたものだが、その旨を字幕で明らかにし、すべてオリジナルなまま挿入して、彼女の言葉とのズレを浮かび上がらせるような効果を持たせている。ポムゼルに対するインタビュー映像と合わせて、映画製作者たちはすべてを可能な限り手を加えないかたちで提示し、その総体から何が見えてくるかを確かめようとしているように感じた。

 ポムゼルは嘘はついていないかもしれないが、たぶん彼女の言葉がすべて真実であるとも言えないに違いない。ナチによるユダヤ人「虐殺」を「信じられないかもしれないが」知らなかったという彼女の言葉を、そのまま受け入れることは難しいと思う。ユダヤ人「迫害」ならどうだったのか。彼女の友人だったユダヤ人女性エヴァ・レーヴェンタールの消息についてはどうだったのか。ゲッベルスの下で多くの文書をタイプしていた彼女が、何も知らなかったというのはどうしても無理があるような気がする。戦後の70年を生き抜く中で、彼女の記憶は取捨選択されるしかなかっただろうし、不都合な真実が記憶から消された可能性は大きいに違いない。
 だが、その矛盾をほじくり返して彼女を非難することは誰にも出来ない。それは意味のないことである。彼女は、ドイツ国民全体には罪があるけれど、自分には罪はないのだと必死で自分を納得させて長い戦後を生きてきたからである。それしか彼女の生きる道はなかったし、多くの平凡なドイツ人にとってもそれ以外の選択肢はなかったのだと思う。

 この映画は何かを告発しようとする映画ではない。彼女の言葉に嘘はなくとも、その内容が恐らく真実とは微妙にズレている事実を浮かび上がらせることが、この映画の意図したことだったように思う。たぶんそれは自然なことなのであって、それを前提としてもなお、彼女の言葉には現代社会の様々な状況に対してストレートに響いてくる多くの示唆を含んでいるということなのである。
 彼女が政治には無関心で、ただ上司に信頼され一生懸命働いて満足していただけなのだというのは本当だろう。だがその中で、見ようとすればたぶん見えたもの、あるいは見えていたのに目を背けて見ようとしなかったものもあったということなのだろう。しかし、あの体制の下で、そこから逃げることは絶対に出来なかったという彼女に反論することはできない。彼女があの時代を後悔していることは確かだが、そこで必死に上昇しようと生きたことを否定することはできないのである。

 何も余計なことを付け加えず、思いがけずインタビューできた機会をしっかり見詰めようとした映画である。製作者たちの色をまったく付けなかったことで、見る側がいろいろなことを考えてしまう映画だった。岩波ホールの客席はだいたい高齢者が多いが、今回はいつも以上にそれを感じた。若い人や政治家が見るべき映画だと感じたが、かなりかったるい印象があるから難しいのだろうなァ。
(岩波ホール、7月17日)
by krmtdir90 | 2018-07-18 21:50 | 本と映画 | Comments(0)
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