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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「人間機械」

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 最近、世界中から興味深いドキュメンタリー映画が次々に届けられるのは、映画製作がデジタルに切り替わったことと無関係ではないだろう。フィルムだった時代と比べて撮影がどのくらい容易になったのか知らないが、このところのドキュメンタリー映画は明らかに進化しているのが判り、積極的に見に行こうという気持ちを起こさせてくれる。デジタル方式で上映が容易になったことも大きく、公開される機会も増えているということなのだろう。

 この映画が描くのはインド北西部、グジャラート州にある巨大な繊維工場の労働現場である。そこが信じ難いほど劣悪な労働環境であることを、カメラは容赦なく、しかしある意味端正とも言えるようなカメラワークで次々と映し出していく。近年のドキュメンタリー映画が、安易な方向付けやナレーションなどを極力排除し、映し出される映像そのものに語らせるという方を向き始めているのはいいことだと思う。この映画ではその映像とともに、機械が出す圧倒的な騒音の単調な繰り返しがほぼ途切れることなく捉えられていて、そのことが実に多くのことを語っているように思われた。
 終盤近く、すべての音が途切れて無音のイメージショットに切り替わった時の衝撃は大きかった。ああ、この強烈な音の中で働いていたのだなと実感された。だが、工場で作られたカラフルな布地を労働者たちが思い思いに身にまとい、無言でカメラを見詰めるこのシーンは何を意味していたのか。女性が全く出てこないこの映画の中で、この労働で作られているのが女性たちに消費される布地なのだということを改めて認識させたかったのだろうか。
 実際、美しい布地の出来上がりに接しているだけでは、この過酷な労働現場の有様はとうてい想像できないだろう。こうした実態をほとんど知らなかったのだが、機械化された繊維工場ということから何となく連想される小綺麗で清潔なイメージは、完全に裏切られてしまうことになる。薄暗い迷宮を思わせる工場内をカメラは縦横に移動しながら、巨大な機械の傍らで単調な作業に従事する労働者の姿を克明に捉えていく。そこでは、布地の大きな塊や染料の容器を運んだりする、けっこうな重労働も含まれていることが見て取れる。

 男たちの汗にまみれた貧しいシャツと黒ずんだ皮膚の色、疲れ切って何を見ているのか判然としない視線と暗い表情というようなものを、カメラはかなり長回しのショットを多用しながら凝視していく。中には、まだ子どもと言った方がいいような若者の姿も混じっている。機械から延々と吐き出される布地を手の先に受けながら、何度も居眠りしてしまいそうになる少年の姿、また、積み上げられた布地の上や脇で、たぶんしばしの休息を取ろうとするうちに、死んだように眠り込んでしまった男たちの姿なども捉えられている。彼らはみな無表情で、全身が限界まで疲れ切っていることが明らかに見て取れる。その姿から生気をを感じ取ることはきわめて難しいのである。
 この映画では、布地が作られていく工程などはまったく興味の対象になっていない。ここで働く者たちもそんなことは意識していないし、自分がどんな生産ラインのどんな工程を担っているのかも判っていないのだろう。彼らは毎日、延々と続く単調な作業の繰り返しに耐えているだけなのであり、何を感じ何を考えながらここにいるのかまったく覗うことができないのである。
 時折挟み込まれる短いインタビューによって、彼らが極端に安い賃金で一日12時間も働かされ、労働組合も作れないでいるといった事情が次第に明らかになっていく。だが、この映画はそうしたことを告発する方向に進もうとはしていない。ただ、想像を絶する劣悪な環境下で働く彼らの姿を淡々と積み重ねていくだけである。あえて告発の姿勢を示さなくても、そのことは映画の中に有無を言わせぬかたちで記録されているのであり、こうして映画が公開されることで大きな意味を持つことが信じられているのだと思う。

 プログラムの解説によると、急激な経済成長を遂げたインドにあって、ほとんど規制の掛からない急速な工業化が進められた結果、こうした前近代的で非人道的な労働現場が多数放置され、貧富による格差と社会的な分断が拡大し続けているのだという。こうした工場で働く人々の多くは出稼ぎ労働者で、彼らは年間10ヶ月ほど就労し、1、2ヶ月だけ故郷に帰るというパターンで働いているらしい。8時間を超える労働に超勤手当が付くことはなく、法定の最低賃金以下で働くことが長期間当然とされてきた現実があるようだ。
 監督のラーフル・ジャインによると、グジャラート州のこの地域には1300ほどの工場が集まっていて、撮影された工場はその中でも一番いいと言われている工場なのだという。わざわざ劣悪な環境を強調したわけではないのだ。
 インタビューの監督の言葉の中に印象的だったものがあるので、書き抜いておきたい。「労働者に対してこの映画で何が出来るか」という問いに答えたものである。「この映画は、労働者階級のために作られた映画ではないです。彼らは映画を観る余裕さえないですからね。我々、中流・上流階級の人たちが、余裕のある人たちが考えて、それに従って行動を起こして行く、そのための映画だと思います」。

 非常に印象に残るシーンがたくさんある映画だったが、その背後に見えている容易には動かしがたい現実に暗然たる思いにさせられる。この現実に対して、何らかの感想を述べることが簡単にはできない映画だった。中国の縫製工場での出稼ぎ労働を描いた「苦い銭」を思い出したが、ドキュメンタリーとしてはこちらの方がシンプルなぶん、一つ一つのショットが多くのことを含んでいるような気がした。だが、どちらもドキュメンタリー映画の役割といったものを正面から受け止め果たそうとしている、記憶されるべきドキュメンタリー映画に違いないと思った。
(渋谷ユーロスペース、7月26日)
by krmtdir90 | 2018-07-28 18:05 | 本と映画 | Comments(0)
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