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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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中国の旅③江元・剣門関(2018.9.5)

9月5日(水)

 起きたら雨が降っていた。しかも、けっこうしっかりした降り方である。
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 この日は、バスで160キロほど北方にある江元(こうげん)という町に行き、剣門関(けんもんかん)や蜀の桟道(さんどう)というのを見学することになっていた。バス移動が主になるとはいえ、山中の見学に傘が必要というのは少々辛い気がした。だが、10日間のツアーでは期間中に雨の日が交じるのは仕方がないことだし、昨日のような終日徒歩の散策の時に降られるより良かった(暑さには参ったけれど)と考えるべきだろう。

 9時にロビーに集合して出発した。
 雨は降り続いていた。バスの窓ガラスにも雨滴がついて視界を遮っている。
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 高速道路を走るうちに、途中小止みになる時もあったが、
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 トイレ休憩を取ったサービスエリアでは、また傘が必要だった。
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 今回の旅では、現地ガイドは3人がリレーするかたちになっていたが、最初から長江の船に乗るまでを担当した李(リ)さんという人が素晴らしい人で、日本語は上手いし話も面白いので、長いバス移動でも飽きることがなかった(ずっとしゃべり続けていたわけではないが)。
 中国の大学を出た後、日本の天理大学に留学したということで、朝夕新聞配達をしながら勉強したのだという。関西に住んだので、関西人的な笑いのセンスが身についていたのかもしれない。天理大学を選んだのも、天理教がお金をたくさん持っていて、学費がケタ外れに安かったからだとか、中国は社会主義の国だけれども、貧富の差が極端に広がっていて、医療や福祉のことを考えると、日本の方がずっと社会主義なんじゃないかといった話は、なるほどなと印象に残った。

 江元が近付いてきたころ、高速道路の先の方で事故があったらしく、下りる予定のインターチェンジが大渋滞になっているという情報を(スマホで)キャッチして、一つ手前のインターで下りる判断をしたのも李さんだったようだ。すでに手前のインターも混み始めていたが、何とか一般道に出て事なきを得た。
 バスは次第に山道に入って行く。
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 激しい雨が降ったらしく、平行する川の水が茶色く濁っている。

 やはり時間的にはかなりロスしたようで、剣門関に近い昼食のレストランに着いた時には午後1時を回っていた。
 雨は降り続いていて、レストランの前もけっこうな水たまりになっていたりして、店の外観などを撮影することは出来なかった。
 次の写真は、食後に煙草を吸いに出た中庭のようなところで撮ったもの。
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 ↑一旦屋根のないところを通っていくと、向こうが正面入口になっている。
 ↓この奥まったところが食事をした個室になっていた。
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 昼食を終えて外に出る時、入口の軒下から写した周辺の街並み(撮影時刻は14:05だった)。
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 すぐ前にバスが停まっているが、この距離でも傘が必要な感じだった。このあたりは、剣門関に来た観光客に向けた店が集まっているところだったらしい。

 バスでほんの少しだけ移動して下車した。傘を差して歩き始める。
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 こちらが剣門関の入口。
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 入るとすぐの所に石造りの門があり、
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 その先に林間の道が続いていた。道は石畳で整備されており、ほぼ平坦だったので、雨で滑りやすくなっていたものの、それほど歩きにくいものではなかった。ただし、依然として傘は必要な感じで(しかも折りたたみ傘だったので)、途中で写真を撮るのは非常に困難だった。
 道の脇には茶色く濁った流れがあったが、
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 ガイドによれば、ここは普段は水がちょろちょろ流れているだけの目立たない川原だということだった。また、反対側の高い崖からは、普段は存在しないらしい滝が飛沫を上げて落下していて、こんなのが見られるとは驚いたと言っていた。
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 ここでちょっと、この剣門関について整理しておきたいと思う。現地でいろいろ説明はあったが、三国志に興味がなく、例によって事前学習をして行ったわけでもないので、すべて帰って来てからの付け焼き刃である。
 魏・呉・蜀の三国が鼎立した三国時代には、このあたり(剣閣)は蜀の都・成都への途上にある要衝の地であったようだ。北方の魏が蜀を攻めた時、別ルートで入った魏軍が成都を落城させるまでこの剣門関は持ちこたえ、最後まで落ちることがなかったということらしい。両側から高い岩山が迫り、攻め落とすのがきわめて難しい地形だったようだ。これ以来1700年の歴史の中で、ここは100回以上も争いの場所となったが、難攻不落で一度も落ちなかったと伝えられているらしい。
 明治時代の日本の唱歌「箱根八里」に歌われた「一夫(いっぷ)関(かん)に当たるや万夫(ばんぷ)も開くなし」(一人の兵が関所の守りにつくや、一万の軍勢が攻めても開くことはできない)というのはこの剣門関のことを指しており、道の途中に置かれた説明看板の一つにも「一夫当関、万夫莫開」の文字が記されていた。
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 さて、途中には当時の武器などを再現したものが置かれたりしていたが、あまり興味がなかったし、雨も降っていたのでほとんど写真に撮っていない。
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 ↓ここは「姜維(きょうい)神像現景点」という場所で、奥に見えている岩山が、剣門関を守り抜いた蜀の武将・姜維の横顔に見えると言われているところらしい。
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 そう言われても、どこがどうなっているのかさっぱり判らず(雨も降っていたし)、まあ、見立てなんてだいたいそんなものなんだよね。
 横の川に石の橋が架かっている。
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 これを渡った先に、再建された蜀の桟道というのがあり、帰り道にちょっと立ち寄ることになる。
 反対側の崖の中には「第一関(だと思う)」と刻まれた小さな石碑が埋もれていた。
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 崖を見上げる。
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 崖を見上げているのは、雨が小降りになってきたからである。
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 観光を意識して設置されたと思われるレリーフ。
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 橋を渡る。
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 これも最近設置されたらしい像。
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 姜維率いる蜀軍ということらしい。
 向こう岸に何やら建物が見えている。説明があったかもしれないが、覚えていない。
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 そして、こちらに見えてきたのが目的地・剣門関の剣閣という楼閣。
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 こちらが蜀の初代皇帝・劉備元徳の像である(ひどいピンボケだ)。
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 もう一度橋を渡って行くと、
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 荒涼とした風景の中に剣閣が建っていた。
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 実に幸運なことに、この時雨はかなり小降りになっていて、傘がないとまだ濡れる感じはあるものの、わたしは撥水性のあるウインドブレーカーを着ていたので、面倒だから思い切って傘は閉じてしまった。レンズに雨滴がついているのはそのせいである。

 ここのスケールの大きさをカメラで切り取るのはほとんど無理である。両側から高い断崖が迫っていて、ちょうど高層ビルのビル風と同じことなのだろう、ここに来てかなりの強風が剣閣の方から吹いて来るのである。
 われわれはガイドに促されて石段を上がり、強風に煽られながら剣閣の向こう側に出た。
 視界が一気に開け、目の前がかなりの急坂で谷底に落ち込んでいた。
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 いまでこそ石段が整備されているが、
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 昔はこんなものはなかっただろうし、こちらから攻め上ることはまず不可能な地形であるのが納得された。凄いところに関を構えたものである。
 さっきの川は見えていなかったが、たぶんこのあたりで幾重もの滝となって落下しているのだろう。
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 断崖の中腹に、再現された見張り台が張り付いていた。
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 どうやってここに行くんだ?と考えると、考えるだけで足が竦む気がした。

 調べてみると、剣門関にこのような立派な楼閣が建てられたのは明代のことで、現在の剣閣は2008年5月の四川大地震で倒壊したのを復元したものなのだという。
 さて、帰る頃になって雨はほとんど止んだ。まだ少し顔に当たる感じはあるが、ずっと降り続くことを思うとラッキーと言うべきだと思った。みんな傘をたたんで帰る。
 剣閣と見張り台。
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 橋の上から剣閣と見張り台(まだ見えている)。
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 橋の上で記念写真も撮ってもらうことができた。

 帰る途中で先ほどの石橋を渡り、蜀の桟道に立ち寄った。
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 もちろん昔の桟道が残っているわけはないから、これは史実に従って最近整備されたものである。見て判る通り、これは下から支えているのではなく、岩肌に木材をハーケンのように打ち込み、それに板を渡して作った道なのである。ここは入口の所だからすぐ下に地面があるが、この先はどんどん絶壁を登って行って、かなり高いところを通って先の方まで行けるようになっているらしい。
 計画では、これをかなりちゃんと体験してみることになっていたらしい。このブログの熱心な読者なら判ってもらえると思うが、高所恐怖症のわたしとしてはとうてい受け入れることのできないプランだったのである。だが、何という幸運だろう、少し歩いてみたガイドと添乗員が、板がかなり濡れていて滑りやすくなっており、危険なので先に行くのは中止すると判断してくれたのである。何と適切な判断だろう。そういうわけで、ずっと降り続いた雨のおかげで(残念ながら!)蜀の桟道の見学は終わりになったのである。
 桟道の入口の所に埋め込まれていた石板。
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 「天下」の下に何とあったのかは不明。
 帰り道、雨が止んでいたので、さっきの一時的にできた滝を近くまで行って見て来た。
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 滝壺のような凹みがないから、確かに普段は存在しない滝なのだろう。

 駐車場に帰り着き、バスが出発したのは午後4時ごろだったと思う。
 高速道路の途中で立ち寄ったパーキングエリア。
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 服務区がサービスエリアで、パーキングエリアは停車区と言うようだ。
 猫がいた。
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 帰着が予定よりかなり遅くなってしまったので、計画では一旦ホテルに戻ることになっていたが、バスはそのまま夕食のレストランに直行してくれた。
 レストランは昨夜行った店のすぐ隣だったが、こちらでは2階の個室に通され、明らかに格上の店だったことが判った。閬中最後の夜だから、旅行社もそういう並べ方をしたのだろう。
 なお、この旅行社(ワールド航空サービス)のツアーでは、ツアー期間中に誕生日を迎えるお客がいると、適当な日にバースデーケーキを用意してみんなで祝うという風習?があった。今回はたまたま妻が該当していて、この晩がその披露の日に設定されていた。写真などもあるのだが、恥ずかしいからここには掲載しない。
 次の写真は終わってから外に出て写したものである。
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 カメラのデジタル記録だと、撮影時刻は20:23だった。
 この日は汗をほとんどかかずに一日を終えることができた。 
by krmtdir90 | 2018-09-18 21:40 | 海外の旅 | Comments(0)
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