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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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中国の旅⑨岳陽楼~赤壁~武漢(2018.9.10)

9月10日(月)

 岳陽の朝。6時半から朝食が可能だったので、サッと出掛けてサッと食べて、食後の一服をしにホテルの前に出た。天気は曇りだったが、比較的明るい曇り空で、雨の心配はなさそうだ。
 ホテルの前の道をオート三輪が走って行く。
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 オート三輪の姿はあちこちで見かけた。電動バイクの普及などがある一方で、こうした古い乗り物も利用され続けているようだった。
 鉄道の岳陽駅。
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 駅ということが判っていれば見に行ったと思うが、岳陽は一泊だけだったし、宿泊中は知らなかったのである。
 ホテル外観。
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 短い滞在だったが、部屋も広く、使いやすいホテルだったと思う。

 8時15分にロビーに集合して、バスで岳陽楼に向かった。
 町の様子。
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 バスは20分ほど走って、岳陽楼の駐車場に入った。
 駐車場を挟んで、反対側にちょっと行ってみたい感じの小路があった。
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 岳陽楼の入口はこちら。
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 入ったところに小さな噴水と池があり、「五朝楼観」という石碑とともに、五つの時代の岳楊楼の姿がミニチュアで作られていた。
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 岳陽楼が最初に建設されたのは後漢末期だった(洞庭湖で呉の水軍を訓練する際の閲兵台として作られた)ようだが、その後幾度となく戦乱などに翻弄され、その度に新たな姿で建て替えられてきたらしい。行きと帰りに一応五つを撮ってきたので並べてみる(プレートに時代が記載されていた)。
 宋代。
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 唐代。
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 時代不明(プレートを撮り損ねた)。
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 明代。
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 元代。
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 時代によってまるで違うではないかと思ってしまうが、前代の姿に復元するという発想はそもそもなかったということだろう。現在の岳陽楼は清代に再建されたもののようだが、この五つのどれにも似ていないことがこのあと判るのである。

 歩いて行くと、何やら回廊のような建物があり、
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 その先の壁に詩を刻んだ石板が埋め込まれていた。
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 毛沢東の揮毫なので読み取りにくいのだが、これは杜甫の律詩「登岳陽樓(がくようろうにのぼる)」だと説明された。言われてみると、飛び飛びにだが判読できる文字もある。
 「昔聞洞庭水/今上岳陽樓/呉楚東南圻/乾坤日夜浮/親朋無一字/老病有孤舟/戎馬關山北/憑軒涕泗流」。また、すべて現代仮名遣いの平仮名で書き下しておく。「むかしきくどうていのみず/いまのぼるがくようろう/ごそとうなんにさけ/けんこんにちやうかぶ/しんぽういちじなく/ろうびょうこしゅうあり/じゅうばかんざんのきた/けんによりてていしながる」。

 また歩いて行く。
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 このカラフルな傘は、向こうにいる小父さんが土産物として売っているらしい。
 この門をくぐると、
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 左手に洞庭湖が見えているのだが、
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 曇り空の下では、どうももう一つパッとしない感じだった。
 周囲に幾つか建物があり、
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 中央に現在の(清の時代に作られた)岳陽楼が建っていた。
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 やや角度を変えて。
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 この大きく反り返った屋根のかたちは、清代の建築の大きな特徴になっているらしい。

 楼の中に入った。正面に岳楊楼の概略が書かれた(たぶん)ボードが立っていた。
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 階段を上って最上階へ(3層だからたいしたことはない)。
 ここに毛沢東揮毫の「登岳陽楼」が掲げられていた。
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 どうやらこちらが本物で、さっき見たのはレプリカだったようだ。
 ほら、見てごらん。
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 楼上からの洞庭湖の眺め。
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 曇っていたからぼやけた印象になってしまったのかもしれないが、ここからの眺めを「呉楚東南圻/乾坤日夜浮」(呉の国と楚の国はこの湖で東と南に隔てられていて/水面には天地宇宙の万物が日夜を分かたず姿を映している)と詠んだ杜甫の感性は、少し大袈裟なのではないかと感じてしまうのである。けっこう何度も取り上げた詩だったが、この詩の良さをわたしはあまり理解できない気分があったように思う。

 楼から下りて、今度は楼の左手に回り込んで行った。↓これは岳陽楼の左側面である。
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 この門はさっきくぐったものとは別の門だったと思う。
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 この先に小喬(しょうきょう)の墓というのがあった。
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 これは三国志関連の旧跡で、わたしは興味がないから知らなかったが、小喬は呉の武将・周瑜(しゅうゆ)の妻で、絶世の美女と言われた女性だったらしい。赤壁の戦いを描いた「レッドクリフ」という映画があったようだが、その中にも主要なヒロインとして登場していたようだ。まあ、わたしは映画も見ていないし、まったくどうでもいいことだったのです(だいたい、昔のお墓がこんなふうに残っているわけないじゃないか)。

 さて、楼の裏手にトイレがあり、早く済ませて裏側を写真に収めに行ったら、
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 ここは表の地面より一段低くなっているようで、楼の下に向こう側に抜ける通路があるのを見つけた。
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 で、先に出て来ていた幾人かと行ってみることにした。
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 そのまま階段を下りれば洞庭湖の岸辺に通じているようだった(行かなかったけれど)。さっき楼上からの眺めを写した写真で、記念写真を撮っているカメラマンの後ろが手前に切れ込んでいたが、この下に通じていたらしい。
 何となく満足した気分になって戻った。
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 出口(入口に同じ)に向かう途中で、洞庭湖をもう一枚。
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 五朝楼観のところで写真を撮っていた親子。
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 親子連れの姿をあちこちで見かけたが、中国ではずっと一人っ子政策が続いたから、子どもは常に一人しかいないのだった。どの子もとても大切にされている感じで、でも二人三人を引き連れた姿がまったく見られないのはやはり変な感じがした。

 最後に、駐車場の反対側にあった小路を一枚。
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 さっきはまだ店があまり開いていなかったが、今度はなかなかいい感じになっていた。
 駐車場を出たのは10時25分ぐらいだった。

 このあとバスは、午後の見学場所である赤壁古戦場に向かう。
 始め岳陽の市中を走っていたが、
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 やがて町の外に出て、高速なども使いながら走った。途中、風力発電の風車を見かけた。
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 帰ってから調べてみると、中国の電源別発電比率は2017年のデータで、火力69.7%、原子力3.9%に対し、自然エネルギーは26.5%となっていた。その内訳は、水力18.6%、風力4.8%、太陽光1.8%、バイオ1.2%となっていて、中でも近年は風力発電の伸びが顕著のようだった。火力・原子力から自然エネルギーへの転換が強力に推し進められているらしい。

 赤壁古戦場に着いたのは12時35分ごろだった。入口に近いレストランでまず昼食となった。
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 食事を終えて入口に向かう。
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 レストランの外装もそうだったが、この入口の雰囲気にも若干の違和感を覚えて、添乗員に「中には何があるの?」と聞いてみた。すると、「テーマパークですよ」という答えがサラリと返ってきて(正直な人だ)、「う~ん」という気分になった。まあ、仕方がない。

 かなり広い敷地にいろいろなものが作られていたが、われわれは入ってすぐのこの前から、
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 例のカートを使って主なところを移動したので助かった。
 最初に行ったのはここ。
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 資料館みたいなものだったが、当時の遺物が残っているわけもなく、中には人形やパネルを使って赤壁の戦いのことが展示されていただけだった。いろいろ説明はされたが、興味のない授業を聞かされる生徒の気持ちといったところか。

 ここを出たあと、次は(確か)徒歩でここに行った。
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 一応、ここがメインの場所である。この石段を下りるらしい。
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 下りたところは長江に面したテラス状の場所で、
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 ありました、「赤壁」の赤い文字。
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 ここで赤壁の戦いが行われたというのだが、要するにこれだけである。三国志などを読んで、戦いの詳細を熟知している人ならそれなりの感慨もあるのかもしれないが、わたしはそういう人ではない。だが、せっかく来たのだから、この文字を背景に記念写真を撮ったりした。でも、それで終わりである。石段は下りるよりも上る方が辛かった。 

 次にこの建物に行った。
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 ここにもけっこうな石段があって、
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 下から見上げた写真の方がいいのだが、途中に妻が立っているので使えない。
 入口の文字は、上が「拝風臺(台)」、下が「武侯宮」である。
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 「武侯」というのは諸葛孔明の諡(おくりな)で、建物の奥に諸葛孔明が祀られていた。
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 ここはお線香を上げてお参りできるようになっているらしく、右の方にいた小父さんから添乗員がお線香を買ってくれたので、順番にお参りをしてきた。なお、一枚目の写真で、手前に並んだ3つの像は、殷の時代の王で、左から禹、堯、舜の三人だったようだ。
 あと「拝風臺」の意味だが、赤壁の戦いにおいて、長江に浮かんだ曹操の船団を火攻めにするために、諸葛孔明がここで(有利な)南風が吹くのを祈願したということらしい。もちろん当時の建物が残っているわけもないから、これは後世になって記念のために建てられた建物と思われる。

 石段の前からカートで最初の場所に戻った。以上で赤壁の見学は終了である。
 外に出てバスに乗ったのは午後3時50分ごろだったと思う。今晩の宿泊地・武漢まではまだ160キロほどあるという。この日も予定よりかなり遅い到着になりそうだ。

 前回のモロッコ旅行と今回の旅行とを比べて(比べても仕方がないのだけれど)、決定的な違いはバスの車窓だったと思う。モロッコは面白過ぎたのかもしれないが、中国の車窓風景は総じて平凡で驚きに欠けていた気がする。写真の枚数も少なく、まあ何枚か載せておくが、帰って来て見直してみてもあまり甦ってくるものがない。
 高速の途中でトイレ休憩を取ったサービスエリア(5時16分撮影だった)。
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 このあたりはだいたい平坦な土地で、長江の流れから取り残されたような湖が散在しているようだった。そのうちの一つだろうか。
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 右寄りの看板に「梓山湖」の文字が見える。
 開発の波から取り残されたような街並み。
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 何となく埃っぽい感じがしていたが、少し先で大規模な道路工事が行われていて、バスはもうもうたる砂塵の中を通り抜けた。
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 狭い通りを通った時、バスが一時停止したので撮ってみたが、すでに夕暮れ時なので(6時31分撮影)、歩いている母子はブレてしまった。
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 すでに武漢のエリアに入っているようだ。
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 夕暮れ迫る長江。
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 6時39分撮影なので、みんなブレてしまった中でなんとか見られる一枚である。
 市街地に入って行く(6時50分撮影)。
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 レストランの近くでバスを降りたのは7時10分ごろだったか。
 そして、食後に外に出て撮ったこの写真が8時36分(けっこう時間がかかったが、この日は料理が出てくるのがゆっくりだったのである)。
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 レストランはこのビルの何階かにあった。
 あたりはかなり繁華な通りである。
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 再びバスに乗って、ホテルに着いたのは午後9時18分だった。
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 フロントで手続きをしている、
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 白いポロシャツの男性が添乗員、左にいる黒っぽい服の女性がガイドの徐さんである。宜昌で入れ替わって帰りの空港まで同行した彼女は、なかなか気さくでハキハキした人だったので良かった。
by krmtdir90 | 2018-09-28 19:00 | 海外の旅 | Comments(0)
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