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9月11日(火)
武漢で連泊したのは「マルコポーロ」(武漢馬哥孛羅酒店)という、香港に拠点を置くチェーンの五つ星ホテルだったらしい。 この日は武漢市内をバスで2カ所見学する。最初に向かうのは黄鶴楼である。9時にロビーに集合して出発した。 天気は晴れ。「中国3大ボイラー」の一つと言われる武漢だから、かなり暑くなることを覚悟しなければならない。 武漢市は、長江の支流である漢江が長江に合流するところにできた町で、人口は1000万人を超えているらしい。ホテルで貰った地図でいま確認しているのだが、武漢は2つの川を境に漢口・漢陽・武昌の3エリアに分かれていて、ホテルは漢口にあり、バスは漢江を越えて漢陽に入った後、さらに長江を越えて武昌にある黄鶴楼に向かったようだ。地図で見ると近いように見えるが、混んでいるところもあったりしてけっこう時間がかかった。 車窓から。 次に長江を越える。 中国に来てから、至るところでスローガンが書かれた看板や横断幕を見て来た。こんなところにまで!と思うようなものもあって、これには最後まで慣れることができなかった。簡体字とはいえ、漢字の意味が何となく判ってしまうのも良くなかったと思う。 バスを降りたのは10時ごろだったと思う。 こちらが黄鶴楼公園の入場券売場(だと思う)。 移動してカートを降りたら、いきなり黄鶴楼が見えた。 伝説というのは次のようなものである。辛という人が営む酒屋に貧しい身なりの老人が現れ、酒を飲ませてほしいと言った。辛は嫌な顔もせず飲ませてやった。それが半年ほど続いたのち、老人は金がないので溜まった酒代は払えないと言い、代わりに蜜柑の皮で壁に黄色い鶴の絵を描いて去って行った。やがて、その鶴が客の手拍子に合わせて舞い出すというのが判り、評判となって酒屋は大繁盛し、辛は大金持ちになった。十年ののち、老人が再び店に現れ、笛を吹くと壁の黃鶴が抜け出して、老人はその背に乗って白雲の彼方に飛び去った。老人は仙人だったのである。その後、辛はこの地に楼閣を建て、黄鶴楼と名づけたという。 実際の黄鶴楼は呉の時代に物見櫓として建てられたものだったようだが、その後は破壊と再建が繰り返され、現在のものは1985年に再建されたものだという。 で、その黄鶴楼だが、前庭のスペースがそんなに広くなく、人影が途切れることもないので、なかなか思うような写真は撮れなかった。 黄鶴楼の中に入る。 5階からの眺め。 次はもう少し左を見たところ。 周囲の欄干に沿って回っている時、下の線路を流線型の列車が通過して行った。 このあとは順に階段を下りて行った。楼の内部には階ごとにいろいろな展示があったのだが、4階には何かよく判らない大きな絵が掛かっていた。 4階からの眺め。 武漢長江大橋の方に回って行くと、ちょうど貨物列車がやって来るところだった。 階段を下りる(ちょうど人が途切れたので撮ってみた)。 「黃鶴樓送孟浩然之廣陵(こうかくろうにてもうこうねんのこうりょうにゆくをおくる)」 「故人西辭黃鶴樓/烟花三月下揚州/孤帆遠影碧空盡/惟見長江天際流」。 現代仮名遣い・平仮名の書き下し文、「こじんにしのかたこうかくろうをじし/えんかさんがつようしゅうにくだる/こはんのえんえいへきくうにつき/ただみるちょうこうのてんさいにながるるを」。 これは、しみじみといい詩だなあと思うのである。 2階には岳陽楼の時と同じく、いろいろな時代の黄鶴楼の姿がミニチュアで展示されていた。 1階に下りた。1階にはショップなどもあって、 またカートで元のところに戻り、外に出てバスに乗ったのは11時40分ぐらいだったと思う。 バスでちょっとだけ移動して昼食場所に向かった。バスはやや離れたところに停まったので、少し歩いた。 何かいろいろな穀物のようなものを売っていた小父さん。 昼食を終えて外に出たのは午後1時過ぎ。再びバスに乗って午後の見学地に向かう。午後は黄鶴楼と同じ武昌エリアにある湖北省博物館である。 橋を渡った。 到着。この写真の撮影時刻は午後1時39分。 見学したのは、春秋戦国時代の楚の遺跡の一つ、曾侯乙墓(そうこういつぼ)という墓から出土したものの展示だったらしい。入口。 大きなものもある。 次は驚いた。「編鐘(へんしょう)」という古代の楽器で、 鐘は全部で65点あり、完全なかたちで見つかったのは初めてだったらしい。発掘された後、何回か実際に演奏されたようだが、中国にはこの時代から「七音音階」(よく判らないが)が存在していたことが証明されたのだという。 いろいろな楽器も見つかったようだ。 大変充実した展示だったと思う。旧石器時代の部屋などもあったようだから、時間があればもっといろいろ見たかったが仕方がない。館内案内のような簡単なパンフレットがないか徐さんに聞いてもらったら、いまは紙に印刷したそういうものは時代遅れになっているようで、スマホにQRコードを読み込むと、音声ガイド付きの案内が出てくるような仕掛けが出来ているということだった。 外に出て、バスに乗った時には午後3時半を過ぎていた。 帰る途中にまた長江を渡ったが、朝とは反対側だったので別の橋が見えた。 この日はまだ続きがあるのだが、一旦ここで区切ることにする。
by krmtdir90
| 2018-09-30 12:12
| 海外の旅
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