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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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「もうすぐ絶滅するという煙草について」(キノブックス編集部)

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 新宿の紀伊國屋書店で見つけて、ちょっと複雑な気分で購入してきた。2階の目立つところに平積みになっていたのは、さすが紀伊國屋書店だと思った。わが町の書店などではまず出会うことのできない本である。
 42人の作家さんたち(何となく「さん」をつけたくなる)が煙草について書いた文章(うち、俳句1、詩1、漫画2を含む)を集めたもので、中には堀口大學のような非喫煙者の文章も混じっているが、おおむね喫煙者か、かつて喫煙者だったことのある人の文章である。42人の名前は帯に載っているので再録しないが、一つの傾向に偏ることなく、多方面にわたってバランスの取れた選考をしていて、うまい並べ方をしているなとニヤニヤしながら楽しく読了することができた。

 10月1日から煙草が値上げされるというので、前日に近所のコンビニに行って1カートンを確保した。わたしはいま3日に1箱のペースだから、まだ5箱目に入ったところで、まだ4箱残っているが、それも近日中になくなってしまうだろう。煙草の税負担率は6割超だと言うし、1箱450円(30円値上がりする)になったのを買う前に、そろそろ潮時かなという思いも心の片隅にはある。だが、いまある4箱を無駄にするのも惜しいような気がして、なかなか難しい局面に立たされている気分なのである。
 この本は全体が3章に分かれていて、1章は喫煙という行為を様々な角度から(ほぼ擁護的に)書いた文章、2章は近年顕著な嫌煙など煙草の規制に関して述べた文章、3章は禁煙についての実践的な文章が並ぶようになっていた。もちろん正面切って論じたり主張したりといったものは一つもないが、多くが何らかの屈折を感じさせる文章なので、煙草というのは吸い続けるにしても止めてしまうにしても、なかなか複雑でスッキリしないものを内包しているのが判るのである。何よりも、書名につけられた「もうすぐ絶滅するという」という修飾句は尋常ではない。

 煙草については前に一度書いたことがあるが、わたしが煙草を吸い始めたのは20歳を過ぎてからで、本書で別役実が書いていたような「劇的要素」はまったくなかった。1日1箱に近いペースで15年以上吸い続けたのち禁煙したが、これも大した動機があったわけではない。10年あまり禁煙したあとでまた吸い始めたのにも、特段の「劇的動機」はなかったと言っていい。だがそれ以来もう20年以上、わたしはほぼ2~3日に1箱のペースで吸い続けてきたことになる。
 何とも締まりがないと言えば締まりがないのだが、これまで生きてきた半分以上の期間を煙草と付き合ってきたのである。これだけ長いあいだ続いてきた関係をもう一度絶つというのは、別役言うところの「裏切り」以外の何ものでもないという気がして躊躇してしまう。
 最近も医者に「絶対に止めなさい」と言われる事情があって、医者に言われて止めるなど愚の骨頂と反撥を感じたところなのだ。健康のためとか何とか、そういう不純な動機で止めることはわたしの矜恃が許さない。「劇的」ではあり得ないが、わたしがもし「転ぶ」としたら、「何となくやっちゃった」というゲーム感覚以外は考えられないだろうと思っている。

 本書の中でなぎら健壱が書いているが、昔は都内の駅のホームでも平気で煙草が吸えた。もちろん混雑していれば吸わなかったが、空いていれば一応風向きは気にしながら吸っていた。吸い殻は、毎日駅員さんが掃除するんだろうなと少し罪悪感を感じながら線路に捨てたりした。クロスシートの窓側や手摺りには灰皿が付いていたし、灰皿のないロングシートでも(わたしは吸わなかったが)吸っている人をけっこう見かけた。
 映画館は(禁煙の文字はあったが)喫煙者の天国だった。さすがに都心のロードショウではほとんどいなかったが、2番館3番館(こういう言い方もなくなってしまったが)、それにオールナイト(これもなくなってしまった)などでは吸い放題で、場内がスモークを焚いたような状況になっていた。後部の映写窓からの光がはっきり見えるというのが普通のことだったのである。
 富岡多恵子(いまどうしているのだろう?)が教師をしていた頃、喫煙で捕まった生徒を煙草を吸いながら説教したとどこかに書いていたと思うが、職員室も会議室も平気で煙草が吸えた時代が(決していいことではなかったが)確かにあったのだ。

 近年の喫煙者に対するヒステリックな規制には違和感を覚えるが、非喫煙者に対してずっと迷惑をかけ続けてきたことを思うと、JTのコマーシャルではないが、「人のことを思う」というのは喫煙者として最低限のモラルだと思っている。
 外国旅行に行くようになって、喫煙に対するそれぞれの国の対応の違いなども興味深く、ホテルやレストランなどで、煙草というものを媒介としたお国柄の違いを考えるのも面白いことだった。国内を鉄道旅行している時は、駅と喫煙場所の関係を見るのが非常に面白かった。都内や近郊の駅はほぼ完全禁煙になってしまったが、地方のローカル線などでは様々なかたちでまだ灰皿が残っていて、そういう「ゆるさ」はこれからも残したいものだと思っている。
 映画を見に都心に出ることが増えたが、新宿や渋谷でどこに喫煙場所があるかはだいたい覚えてしまった。公認の場所ではないが、店先に灰皿のある非公認の場所があることも知った。要するに、これからは「棲み分け」が出来ればいいのであって、喫煙者に対してあまり目くじらを立てるのは生産的なことではないと思っている。

 なんか、ほとんど本と関係のない話になってしまったが、敢えて大上段の言い方をすれば、煙草は(お酒も)文化であり、非生産的なものであるゆえに愛すべきものだと思っている。わたしはその効能や御利益を語るつもりはないし、だから鬼の首を取ったように害毒だとか迷惑だとか言ってほしくはないのである。わたしは煙草もお酒もやらない人を(残念だとは思うが)見下したり非難したりするつもりはない。けれども、煙草やお酒を毛嫌いする人は非文化的な分からず屋だと思っている。阿呆だと言いたいところだが、それならお前も阿呆だと言われてしまいそうで、それに返す言葉も思い浮かばないのでやめておく。
by krmtdir90 | 2018-10-17 22:07 | 本と映画 | Comments(0)
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