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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「彼らの原発」

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 福井県おおい町は、2006年に大飯町と名田庄村が合併して生まれた町だという。人口は最新の(2018年4月)データで8100人ほど、若狭湾に突き出した半島の先に関西電力大飯原子力発電所が建っている。住民は原発に複雑な思いを抱えながら、何とかこれと折り合いをつけながら生活してきた。この映画は、2011年3月の福島第一原発の事故のあと、国内で最初に(2012年7月)再稼働した大飯原発の地元に入り、2014年3月の町長選挙を挟んで、そこに暮らす人々の日常生活とその内面に迫ろうとしたドキュメンタリーである(製作・監督・撮影・編集:川口勉)。その意図は、かなり実現されていたと言っていいのではないか。

 原発を受け入れた自治体には、国から莫大な交付金が注ぎ込まれることになり、この町も懸案だった道路整備を始めとして、様々なかたちで豊かな生活を手に入れてきた。原発がなければ、この町はとっくの昔に過疎で消滅の危機に瀕していたかもしれないのである。だが、そのことは十分認めた上で、フクシマ後の現在ではもはや原発の安全神話は完全に崩壊しているのであり、原発で潤ってきた町のあり方にも疑問を感じないわけにはいかなくなっているようだ。
 町民それぞれの心の中には、いままで原発の恩恵によって生きてきたという後ろめたさが少なからずあり、そうである以上、大手を振って反原発に与することは難しいという気持ちになってしまうようだ。それでも、その危険性はもはやみんなの共通認識になっているから、正直なところ、こんなものは無ければそれに越したことはないという思いに駆られることもあるようだ。彼らはいま、脱原発に舵を切るのが恐らく正しい方向なのだと判ってはいるが、だからといって、長年にわたって町が積み重ねてきた生活のあり方を変えることにはやはり抵抗があるということなのだろう。彼らの中には激しいせめぎ合いがあるのであり、そこから彼らの正直な思いにどこまで迫れるのかというのが、この映画の大きなテーマになっているということなのである。

 「彼らの原発」という題名は、何か非常に違和感のある奇妙な題名だと感じた。普通は原発にこんな言い方はしないのであって、どの原発であっても、原発の問題は「われわれ全体」つまり「日本国民全体」と結びつかなければおかしいはずである。原発との関わりを「彼ら」だけに限定してしまうこの題名には、いったいどんな意図が込められていたのだろうか。
 この映画で「彼ら」というのは、「おおい町の住民」を指しているのは明らかだが、それは彼らが原発立地自治体の住民だからである。それは、彼らを特別視しようとすることではなく、この「彼ら」とその他の「我ら」が結びつかなくては、何も始まらないというメッセージなのかもしれない。我らが「我らの原発」を問うことなく、ただ突き放した「彼らの原発」だけを問うているとすれば、それはまったく片手落ちであり犯罪的でさえあるということになるだろう。映画はとりあえず「彼らの原発」を追うけれど、それを少なくとも「我らの原発」というところに引きつけて考えることが、当面何よりも要請されていることなのである。

 おおい町の住民の思いが、誘致から立地に至る曲折した過去の経緯を背景に、複雑に屈折していくしかないことを前にした時、「我ら」が「彼ら」を離れて、単純な「脱原発」を叫んでもそれは何の意味もないということなのである。
 映画はこの町で、実に多様な人々の姿を捉えているが、そういう分け隔てをしない地道な取り組みが、前へ進むための第一歩であることは明らかな気がした。
(新宿K's cinema、10月24日)
by krmtdir90 | 2018-10-26 10:08 | 本と映画 | Comments(0)
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