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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「顔たち、ところどころ」

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 アニエス・ヴァルダは1928年生まれだから、現在は90歳、この映画の撮影時には87歳だったと公式サイトに記されている。画面に登場する彼女はとてもチャーミングで、なんて素敵な年の取り方をしたんだろうと嬉しい気分にさせてくれる。それは、彼女の好奇心がいささかも衰えを見せていないことが関係している。
 JRというアーティストのことはまったく知らなかったが、54歳も年下の彼と出会って、一緒に旅をしながら映画を撮ったら面白いだろうと発想してしまうことがまず若々しいし、実際にそれをやってしまうことも驚きというしかない。アニエスの提案を受け、彼女とコンビを組んだJRという青年も魅力的で、彼を同行者に選んだアニエスの慧眼はさすがだと思った。
 JRはいろんな場所で人々の写真を撮り、それをモノクロの巨大サイズに引き延ばして、町中の壁面などに貼っていくというストリートアート(フォトグラファーと言うらしい)を行っている。アニエスはJRと会って意気投合し、後部に写真スタジオを載せたJRのトラックに乗って、フランスの田舎町を回って行くことにする。彼らはその先々で現地の人々と交流し、様々な壁面に人々の顔のアップや全身像を貼り付けて行くのである。
 この映画は、その奇妙な旅の一部始終を、アニエスとJRの共同作業が人々の間に不思議な高揚を作り出すさまを、みずから記録するかたちで追いかけたドキュメンタリーなのである。

 JRのやっているストリートアートというのがまず面白い。奇抜だし、大きなインパクトを持っている。被写体に選ぶのはすべて市井の名もない人々で、彼らに対するリスペクトがこのアートの底流になっていることが判る。撮影し、プリントし、貼り付ける。その巨大なモノクロ写真の前で、被写体となった人々が見せる満足そうな(誇らしげな)表情が印象的である。このアートは、人々の存在を丸ごと肯定するものなのだ。郵便配達夫、元炭鉱作業員、住民のいなくなった炭鉱住宅に一人住み続ける老婦人、工場労働者たち、800ヘクタールを一人で耕作している農夫、角を切らずに山羊を飼育する女性、ル・アーブルの港湾労働者とその妻たち、等々。
 庶民の生活の中にある様々な感情や思いが、JRのアートとそれを見詰めるアニエスの視線を通して見えてくる。彼らは次々に場所を移って行くから、見えてくるものは巨大な写真とともに置き去りにされ、映画の中に積み重なっていく。それはとても豊かな体験である。
 アニエスとJRはそれぞれアイディアを出し合い、会話を重ねながらこの映画を作っている。だから、彼ら自身が実に率直にこの映画と対峙していることが判ってくる。素直な目で、ありのままに対象を見ていることが判るのである。彼らのあり方そのものが、映画の中に次々に開示されてくると言ってもいい。

 アニエスの視力が日に日に落ちてきていることや、それを気遣いながらその事実も映画に取り込もうとするJRのことも描かれている。アニエスは、この旅での多くの人々との出会いのことを、JRの写真によって記憶に定着させようとしていたのかもしれない。
 彼ら2人が何気なく見せる表情や仕草などが、2人の友情の深まりを感じさせて楽しい。JRはアニエスを、100歳になった彼の祖母のところに連れて行く。何ということもない会話が交わされるだけだが、そこに作り出された温かい雰囲気が印象的だった。
 映画の最後は、アニエスがJRを、彼女の長年の友人であるジャン=リュック・ゴダールに会わせようと、スイスのローザンヌまで訪ねて行く一部始終だった。だが、これは予想外の悲しい結果になってしまう。ゴダールが謎めいたメッセージを残して、約束をすっぽかしてしまったからである。
 傷つき失望するアニエスを、JRが「ゴダールはこの映画の脚本に意外な展開を書き足してくれたんだ」というようなことを言って慰める。JRが好青年であるのが伝わってくる言葉だが、彼はさらに、これまで一度も外したことがないサングラスを取って、素顔を初めてアニエスに見せてくれるのである。「優しいのね、よく見えないけど」という彼女の言葉も印象的だった(実際、彼女の視力はかなり減退していて、ぼんやりとしか見えていなかったらしい)。

 フランス・ヌーヴェルヴァーグの作家たちはすでにほとんどが鬼籍に入ってしまい、現在も存命なのはアニエス・ヴァルダとジャン=リュック・ゴダールぐらいしかいなくなってしまったようだ。この2人の顔合わせが実現していたら面白かったとは思うが、アニエスの奔放とゴダールの偏屈が際立つこの映画の結末も、2人の「いま」をよく表していたと言えるのかもしれない。
 この映画のことを最初に聞いた時、どこが面白いのか理解できず敬遠していたのだが、これは理解じゃなくて感じる映画だった。時代の変遷とともにけっこう変節した作家も多かった中で、アニエス・ヴァルダは最初から最後(まだ最後かどうかは判らないが)まで、正真正銘、ヌーヴェルヴァーグそのものだったんだなと感じさせてくれる映画だった。彼女の映画は「幸福(しあわせ)」(1965年)が記憶にあるぐらいだが、この「顔たち…」は新たな傑作として記憶されるのではないか。こんな予想外の面白さを見せてくれた映画、久し振りという感じだった。
(MOVIX昭島、10月25日)
by krmtdir90 | 2018-10-27 15:26 | 本と映画 | Comments(0)
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