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サドウィズ監督は1952年生まれだから、映画で設定した1969年には17歳だったことになる。彼がこの年にサリンジャーに会ったのだとすれば、1919年生まれのサリンジャーはちょうど50歳だったはずである。映画に登場するサリンジャーはクリス・クーパーという役者が演じているが、主人公ジェイミー(アレックス・ウルフ)に対するサリンジャーの発言などには、サドウィズ監督自身の実体験が投影されているということなのだろう。 J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」が世に出たのは1951年である。だが、その後この小説が巻き起こした様々な社会的騒動によって、サリンジャーは平穏な生活が送れなくなったとして、執筆も止め社会の表舞台から姿を消し、ニューハンプシャーの田舎に隠遁して孤立した生活を送るようになってしまった。結婚して2児をもうけたが、その妻と離婚したのが1967年で、映画が描く1969年はちょうどそういう時期に当たっている。 当時、「ライ麦畑…」の熱狂的ファンはそれこそ世界中にいたのであって、ジェイミーのように所在不明のサリンジャーを探して、会いに行くファンが後を絶たなかったというのは事実だったようだ。日本で野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」が出たのは1964年12月だったが、わたしが持っている単行本(白水社・新しい世界の文学シリーズ20)は1966年1月の第三版となっている。ここを見ると、わたしがそれを読んだのは18歳の時だったことになるが、わたしが文字通り初めて夢中になった小説として、忘れられない印象を残したものだった。 世界中の若者に支持された小説なので、これまでも映画化の企画などが次々に持ち込まれたようだが、サリンジャーはそれら一切を許可しなかった。そればかりか、ペーパーバック化に際して表紙に描かれたホールデン・コールフィールドのイラストも削除させる徹底ぶりだったという。そのあたりについての彼の考えは、この映画の中でもサリンジャーの発言としてしっかり描かれている。視覚化や映像化というのは、どんなに原作に忠実と言ったところで「解釈」になってしまうのであって、それは小説の読者が頭の中で自由にホールデンのイメージを作る妨げになると言うのである。自分は小説を書いたのであって、それがすべてなのだと彼は繰り返している。 この映画は「ライ麦畑でつかまえて」の映画化ではないが、「ライ麦畑でつかまえて」に限りなく近づこうとした映画化である。ホールデン・コールフィールドは登場しないが、彼の存在が映画のあちこちに感じられるようになっている。この映画は小説をなぞるようなことはしないが、小説へのこの上ないオマージュに満たされている。映画化がダメでも、こういうやり方があったのだ。 この映画のジェイミーは、あのホールデンほど過激ではないが、ホールデンの言動に全面的に共感しているという意味で、ホールデン的なものを内部に抱えた若者である。当時、そういう若者が世界中至るところにいたということなのだ。ジェイミーは自身の感動をかたちにすべく、「ライ麦畑でつかまえて」を脚本化して、みずからがホールデンを演じて上演することを思いつく。その実現のためには作者の承諾が必要であり、彼は手を尽くしてサリンジャーの居所を探し出そうとし始めるのである。 ジェイミーは、ペンシルベニアにあるクランプトン高校という全寮制の男子校で、演劇部に所属しているサエない高校生である。こうした学校ではみんなの花形になれるのは運動部員であって、演劇部というような軟弱なところでパッとしない日々を送っているジェイミーは、みんなに見下され格好の標的にされてしまうのである。 ある日、ジェイミーがサリンジャー宛てに書いた手紙がフットボール部員に盗まれ、学校生活への不満や批判を書いたことがみんなに知られて、深夜、部屋に花火を投げ込まれて襲撃される事件が起こる。もともと学校に馴染めなかった彼は、これが限界だと寮を飛び出し、サリンジャーを探す旅に出ることを実行に移すのである。 「ライ麦畑…」のホールデン・コールフィールドも、事情は違うものの、同じペンシルベニアのペンシーという高校を飛び出していた。学校生活のインチキさに強く反撥している点で、彼らはとてもよく似ているのである。だが、ジェイミーの旅がホールデンのそれと異なっていたのは、彼には素敵な同伴者が現れたことである。 クランプトンの演劇部が合同で公演を行っていた女子校があり、そこでやはりあまりパッとしない演劇部員だったディーディー(ステファニア・オーウェン)という女の子である。 彼女はジェイミーの眼中にはまったくなかった女子だったが、彼女の方はなぜかジェイミーのことを気にしていたようで、お互いにあの「ライ麦畑…」の大ファンであることが判ってからは、彼の脚本による上演計画の熱心な支持者になってしまうのである。寮を出た彼が「サリンジャーを探しに行く」と彼女に告げに行ったのは、自分の決意を確認して彼女と別れるためだったと思われるが、彼に好意を抱き始めていたディーディーは車で彼を追いかけ、何と「サリンジャーの家まで乗せて行く」と告げるのである。 この時点でジェイミーは、サリンジャーがニューハンプシャーのある町に住んでいるらしいという情報は得ていたが、住所を特定できていたわけではない。ヒッチハイクで行くと言う彼の無謀さを前にして、ディーディーは彼を見放すことができなかったということなのだろう。それにしても、高校生が普通に車を運転して学校に通っているというのは、さすがアメリカだなとちょっと驚いたのは事実である。ともあれ、ディーディーの思いがけない出現は、ジェイミーにとってこの上ない救いの手だったはずである。 このディーディーという女の子がすごくいい。それほど美人というのではないけれど、こんなに気立てのいい娘はなかなかいないだろうと思われた。ここがたぶん、サドウィズ監督が実体験ではないとしている15%の部分のような気がするが、とにかく、サリンジャーを探す旅はこうして、ジェイミーとディーディーの2人が心を通わせていく旅、という性格を持つことになったのである。 この、何とも初々しくぎこちない2人の様子が好ましい。ディーディーはそれなりに覚悟を決めてきたようで、彼女なりに控え目な誘いをかけたりしているが、ジェイミーの方がガチガチに緊張して、それをうまく受け止められないところが微笑ましい。最近の、何でも手軽にセックスと結びつけてしまうような風潮と、完全に一線を画して見せた展開が印象的である。この場合も、ディーディーの優しさが際立っているのである。 2人は何とかサリンジャーの家にたどり着き、本人と言葉を交わすことに成功する。実際のサリンジャーは私生活などを完全に秘密にしていたから、写真などもまったく出回っておらず、クリス・クーパーのサリンジャーが本人と似ていたかどうかは判断のしようがない。だが、その発言はサドウィズ監督の実体験に即しているのだから、彼がジェイミーの計画をきっぱり禁止するのは、それ以外にはあり得ない結末と言っていいはずである。 だが、この映画はこれでは終わらない。ディーディーに説得されて学校に戻ったジェイミーが、結局作者の許可を得ないまま「ライ麦畑…」の劇を上演してしまい(ホールデン役やフィービー役は他の部員に譲り、彼は脚本・演出として全体を統括したらしく、ディーディーと仲良く並んで客席で見ていた)、それを見た寮の生徒や運動部員たちが、ジェイミーの存在を認めるようになったことが描かれている。あのサリンジャーと会って来たことが周囲を納得させ、彼自身をも大きく成長させたということだったのかもしれない。 映画はさらに、この上演脚本を携えてもう一度サリンジャーに会いに行く2人を描いているが、これはいくら何でも蛇足だったのではないだろうか。2人が再訪する意図が、わたしには不明と言わざるを得ない気がした。 この映画は、それ自体が「ライ麦畑でつかまえて」という小説に対する一つの解釈になっていると思う。だが、さらにその上に、原作と原作者への熱烈なラブレターとも言えるものになっているのである。こうなると、映画をどこで終わらせるかという見極めは非常に難しいものになり、スパッと切ってしまうような終わり方はできなくなってしまったということなのかもしれない。 最も自然なエンディングは、サリンジャーのところから戻った2人が、クランプトン高校の門前で固く抱き合い、決意を新たにしたジェイミーが、ディーディーを残して門の中に入って行く、たぶんあのシーンしかなかったような気がするのだが、サドウィズ監督はそれでは全然言い足りないと感じてしまったのだろう。思いが強過ぎるというのは、なかなか難しいものなのだと思う。 (新宿武蔵野館、10月31日)
by krmtdir90
| 2018-11-02 13:51
| 本と映画
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