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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」

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 フレデリック・ワイズマン監督は1930年生まれの88歳(ジャン=リュック・ゴダールと同い年だ)、アメリカで精力的にドキュメンタリー映画を撮り続けてきた人だが、その作品の大半は日本では公開されることがなかったようだ。この映画は彼の40本目のドキュメンタリーで、彼の中では主流をなすアメリカ社会を捉えた作品としては、初めて日本で劇場公開されるものなのだという。2015年、85歳の時に発表された、上映時間189分の大作である。
 3時間超えのドキュメンタリーってどうなのよと思ったが、正直、途中でフッと気持ちが途切れてしまうこともなかったわけではないが、おおむね面白く見続けることができたと思う。あの「観察映画」の想田和弘監督は、このワイズマン監督から多大な影響を受けたのだろうと想像された。ワイズマン監督の映画は多くの場合、事前調査や準備をほとんど行わず、ワイズマン+カメラマン+監督助手の3人ですべての撮影を行い、ナレーションや字幕、効果音楽などを用いないで編集するところも、想田和弘監督の行き方にそのまま通じていたのだろうと思われた。

 ジャクソンハイツというのはニューヨークのクイーンズ区の一画を指しているようで、映画はこの町で生きているあらゆる人々の姿を画面に留めようとしている。ここには世界中からやって来た移民とその子孫が暮らしていて、167もの言語が話され、様々なマイノリティも集まって来て、多様な生活文化の集合体を形成しているようだ。ワイズマン監督はこのジャクソンハイツのあらゆる場所、あらゆる人々にカメラを向け、そこに見えてくるものを「観察」し「記録」していくのである。
 撮影は基本的に長回しが中心になっていて、多くの場合、そのシーンで何が出てくるかは事前に想定されていないようだった。ワイズマン監督はプレスの中で「通りの出来事、商売(衣料品店、コインランドリー、ベーカリー、レストラン、スーパーマーケット)、宗教施設(モスク、寺院、教会)を歩いて回ることで、合計120時間のシーンとショットを集めた」と述べている。だが、ここに列挙されているのはほんの一部分に過ぎず、彼はもっと貪欲に様々な場所を歩き回り、なかなか見ることのできない思いがけない場面を集めているのである。
 ここに住む人々は、その多様さを保持したまま、それぞれの場所に固有のコミュニティを作っている。3時間でもそれを網羅できるとはとても思えないが、彼はそうした中から実に興味深いコミュニティを紹介してくれている。たくさんありすぎて、もう全部は思い出せないが、幾つかを思い出せる範囲で書き留めておきたい。

 「クイーンズプライド」というLGBTのパレード。ニューヨークでは6月はプライド月間とされていて、地区ごとにこうしたパレードが行われているらしい。ここにはゲイのコミュニティがあるようで、彼らのミーティング会場にカメラが入って、その発言の様子などが紹介されている。この会場となっているのがジャクソンハイツのシナゴーグで、本来はユダヤ教の集会所として建てられた施設だったが、いまは人種や宗教を超えて、様々なマイノリティの集会場所として活用されているらしい。一人のユダヤ人女性が、その理由を「ユダヤ人が迫害された時、人種や国籍に関係なく命がけで助けてくれた人がいたから」と語るシーンも収められている。
 「メイク・ザ・ロード・ニューヨーク」というNPOの活動。これは、永住権のあるなしにかかわらず、あらゆる移民、あらゆる人種、あらゆるジェンダーの人々をサポートするNPOであって、その幾つかの活動の様子が捉えられている。たとえば、最近国境を越えたばかりの人々が、各自の体験を紹介し合うミーティング。また、タクシー運転手になろうとする移民に、具体的なノウハウを教える講習会。また、こんなシーンもあった。永住権取得の面接に行くらしい移民に、スタッフが「なぜアメリカ人になりたいのか聞かれたら、何と答える?」と質問する。望ましい答えは、民主主義の国に住みたい、信教の自由がある国に住みたい、投票権がある国に住みたい、などだった。
 移民の個人情報が警察に流れていることに抗議し、情報が正当に扱われるよう市役所と市長に認めさせた若者が出てくる。ジャクソンハイツを含む選挙区から選出された、ダニエル・ドロムというニューヨーク市議会議員も出てくる。ムスリムのハラール用の肉を販売する店の奥で、鶏を殺して肉にしていく作業が行われているところが写されたりする。ムスリムの小学校で、男女分かれて授業を受ける子どもたちの様子も写されている。音楽があり、ダンスがあり、タトゥーがあり、老人のとりとめのない会話がある。警官に嫌がらせをされたトランスジェンダーの男が、スマホでその警官を撮影しておく「コップ・ウォッチ」という抵抗方法があると説明されている。長時間労働に対して正当な賃金が支払われていないことを訴えている男もいる。通りすがりの女性に「死が迫っている父親のために祈ってほしい」と頼まれ、すぐに集まって手を繋ぎ祈りを捧げる女たちがいる。

 これらのシーンは相互に関連付けられているわけではないが、映画の中に一つ一つ積み重なっていくことで、この町で長い間に育まれてきた多様性と、それをお互いに認め合うことが、どんなに貴重で素晴らしいものなのかが浮かび上がってくるのである。ジャクソンハイツには比較的富裕な白人層が住む地域もあるようだが、多数を占めるヒスパニック系やアジア系の住民たちとはうまく住み分けが行われていて、それぞれ関わり合うことがないようにすることで、町の多様性はいまのところは保たれているようだ。
 だが、近年はジャクソンハイツにも再開発の波が押し寄せていて、この多様なコミュニティが危機に瀕している実態もこの映画は捉えている。マンハッタンにも近く、ニューヨークの中でも地の利に恵まれていることから、従来の町の空気に沿わない新住民が流入し始め、古くからの住民には徐々に住みにくい町になっているということらしい。再開発はBIDというNPOによって進められているが、これに伴う大企業の参入や家賃の高騰などで、長いあいだ細々と続いてきた零細商店などが営業を続けられなくなるケースが出ているのだという。こうした人々の側に立ち、再開発反対を組織している若者たちの動きも映画は紹介している。
 排他的風潮が高まるばかりの現代に、ワイズマン監督がいまジャクソンハイツを撮らなければならないと考えた理由は明らかなような気がする。ワイズマン監督の視点は一貫して弱者やマイノリティの側にあり、そのブレない立ち位置から見えてくるのは、アメリカがもともと移民の国であり、その素晴らしさは多様性を認めてみんなが共存してきたことにあるのだという事実である。その貴重なアイデンティティーが失われていいのだろうかと、この映画は静かに訴えているように思えた。
(渋谷イメージフォーラム、11月1日)
by krmtdir90 | 2018-11-04 13:26 | 本と映画 | Comments(0)
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