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監督・脚本の大森立嗣を始め、主要なスタッフ・キャストが誰も茶道を知らなかったというところが良かったのではないか。原作者の森下典子も最初は何も判らず習い始めたわけで、この、みんながゼロからスタートした(その視点をずっと失わなかった)ことが作品を面白くしていたのではないかと思う。原作は読んでいないから何とも言えないが、少なくとも映画では、未知なる茶道への好奇心といったものがずっと持続されていたのが良かったのだと思った。主人公・典子を黒木華、茶道の武田先生を樹木希林が演じていたのも良かった。 典子がお茶を習い始めたのは20歳の時で、それも自分から積極的に通い始めたわけではなかった。母に勧められても乗り気になれない彼女は、同い年の従姉妹・美智子(多部未華子)に一緒にやろうと誘われて、何となく付いて行っただけだったのだ。始まりというのは案外そんなものなのかもしれない。きっかけを作った美智子は途中で止めてしまったが、彼女の方は途中何度も足が遠のくことはあっても、結局40歳半ばになるまで続いてしまったのだ。続いたということはたぶん彼女に合っていたということで、これだけ続くと最初は見えなかった様々なことが見えてきたり、お茶の面白さを感じる時も出てきたりするようになる。 真面目だけれど融通が利かない、不器用でなかなか思い通りの人生を掴めない、でも彼女には案外一途で粘り強いところがあったのかもしれない。こういう単純ではない、はっきりしない性格の役をやらせると黒木華はホントに上手い。いつの間にか茶道が彼女の支えになっているというような、年齢とともに変化していく様をしっかり見せていたと思う。 武田茶道教室は、古風な日本家屋の8畳ほどの部屋で行われ、映画はその稽古の様子を逐一細かく写し取っていく。限定された室内で、なおかつ繰り返しが基本となるような稽古風景というのは、映像的には扱いがかなり難しい題材ではなかったかと思われる。だが、この映画はまったく単調さを感じさせないばかりか、むしろ面白くて目が離せなくなってしまうことが驚きだった。 ガラス戸越しに見える庭先の様子、掛け軸などの室内の設えの変化、また身につける衣装の違いといったものが、季節の移ろいや、その時々の人物の気持ちなど、実に多くのことを語っているのだった。最初は戸惑うばかりだった茶道の「かたち」も、それが次第に身についてくることで生まれる微妙な変化など、こんなにいろんな見どころが発見されるものだとは思わなかった。 茶道への「導き役」となる武田先生の存在感が、この映画をしっかり支えていたと思う。最初の方で彼女が言う、「意味なんて判らなくていいの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」と言う言葉が、非常に印象深かった。 樹木希林はこの映画が最後の作品になってしまったが、お茶をやったことがないのにいかにもお茶の先生という、その「らしさ」をちゃんと醸し出して見せたところはさすがだと思った。黒木・多部という若い2人を向こうに回して、彼らと交わす絶妙なやり取りや、さり気ない表情や間などから生まれる微妙なユーモアといったもの、彼女が作り出すこの温かい雰囲気は素晴らしかった。 20数年の間に、典子の上には様々なことが起こっていくのだが、そのほとんどは映画では直接的に描かれることはなく、すべてが週に一度の稽古の中に溶かし込まれていく。彼女の家族のことや美智子との日常も点描されているが、それらはあくまでお茶の稽古の背景なのであって、そちらが前面に来て詳しく描かれることはなかった。大学を出てから、典子は就職に失敗し、出版社でアルバイトをしながら茶道を続けるのだが、対照的な性格だった美智子は商社に就職したのち、結婚を機に仕事も茶道もスッパリ止めてしまう。 一方の典子は、恋愛をするが失恋に終わってしまったことが短く示されている。だが、映画の中にこの経緯はまったく描かれることはなく、彼女が号泣するショットだけですべてが表現されてしまう。この時の相手は姿さえ見せず、その後もう一度新しい恋人ができた時にも、後ろ姿がチラリと映し出されるだけで終わってしまう。これをこの映画の潔さと言うべきか、こういうことはこの映画にとっては深入り不要のエピソードに過ぎないということなのだろう。 大好きだった父親が急死した時はそういうわけにはいかなかったようで、この経過はかなり丁寧に描写されている。だが、その中でこの映画がフォーカスするのは、彼女が父親に対して感じた後悔の思いである。直前に会うチャンスがあったのに、なぜ会わなかったのか。茶道教室の縁先で、喪服の典子を武田先生が優しく慰めるシーンは素晴らしい。この映画がピックアップするのは、やはり茶道によって照らし出される2人の心情なのである。ここは2人の抑えた演技が光る、実にしみじみとしたいいシーンだったと思う。 だが一方で、ちょっと違和感を感じた点についても書いておく。この父親の死を描く一連のシーンの中で、彼女の心象風景のような感じで挿入されていた、海辺でずぶ濡れになりながら亡き父に呼び掛けるシーンはいただけなかった。そんなことをする必要はまったくなかったのではないか。まるで余分で逆効果なだけに終わっていたと思う。 この映画には、余計な小細工は一切不要だったのではないか。ただお茶を習い、飽きずに習い続け、いつかお茶と自分が一つになっている、それだけのシンプル極まりない設定から、驚くべき豊かな世界が浮かび上がるのである。それは、どこまで行っても不十分で、どこまでやっても満足に行き着くことはない、それでもお茶を続けてきて良かったなという思いである。 武田先生が確か、「毎年同じことができる幸せ」というようなことを言っていたと思うが、何ということもない繰り返しの中にある「幸せ」というものを、静かに語っていて印象に残った。すでに死期の迫っていた樹木希林が、こういうセリフをサラリと言ってのけていたことも記憶しておきたい。彼女は最後に、素晴らしい芝居をして人生を閉じたのだなと思った。 (立川シネマシティ1、11月5日)
by krmtdir90
| 2018-11-07 17:12
| 本と映画
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