18→81


主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新の記事
天津小湊温泉(2019.1...
at 2019-01-18 17:18
映画「共犯者たち」
at 2019-01-17 23:59
映画「彼の見つめる先に」
at 2019-01-14 20:24
月と金星
at 2019-01-02 17:28
手術と禁煙
at 2018-12-29 16:36
映画「ガンジスに還る」
at 2018-12-28 20:44
高校演劇2018・関東大会栃..
at 2018-12-27 18:03
映画「マイ・サンシャイン」
at 2018-12-21 17:32
伊東温泉(2018.12.1..
at 2018-12-20 23:59
映画「僕の帰る場所」
at 2018-12-17 18:06
最新のコメント
記事ランキング

映画「恐怖の報酬」1977年オリジナル完全版

e0320083_175215.jpg
 この映画は1977年のアメリカ映画で、翌78年には日本でも公開されている。ただし、この時アメリカ以外の国で公開されたのは、監督に無断で約30分もカットされた92分の短縮版というものだった。
 どうしてそんなことになってしまったのか。事情はいろいろあったようだが、ウィリアム・フリードキン監督と言えば当時、「フレンチ・コネクション」(71年)や「エクソシスト」(73年)で世界的成功を収めていた大ヒットメーカーで、その次回作ということで大きな期待が集まり、2大メジャーのユニバーサルとパラマウントが破格の共同出資を行い、2年以上の製作期間をかけて完成したのがこの映画だったようだ。ところが、公開してみると批評もあまり芳しいものではなく、興行的にはちょうど公開中だった「スター・ウォーズ」に完敗という結果に終わってしまい、撮影中から製作費用や期間の度重なる超過で監督と衝突が続いていた会社側は、急激に世界配給への意欲を失い、大幅カットという監督無視の暴挙に出てしまったということらしい。
 そんなわけで、78年の日本公開がどんな感じで行われたのか、わたしは当時この映画を見ているはずなのだが、まったく記憶にはなく記憶が甦ってくることもなかった。たぶんこの間の経過から、配給側がほとんどやる気のないかたちで公開され、あまりまともな評価も行われないまま終了してしまったのではないかと推測する。
 今回公開された映画は「オリジナル完全版」と銘打ってある通り、77年にアメリカで公開されたオリジナル版を、監督自身が4Kでデジタルリマスター化して再公開まで持って行ったものである。日本では、初めてスクリーンで見ることが可能となったノーカットの121分だったのである。フリードキン監督は今年83歳になったようだが、彼はみずからが「最高傑作」だったと言う不幸な自信作を、驚異的な執念で40年ぶりに手中に取り戻したということなのだ。

 今回この完全版を見て、この121分にまったく無駄なところがないことに驚きを感じた。フリードキン監督はもともとドキュメンタリー的でキレのいい作りをする人だと思っていたが、この映画の語り口のテンポの良さ、展開のスピード感は観客の生理にズバッと切り込んで来る感じがした。シチュエーションの提示の仕方が的確で、余計な説明なしに、その魅力的なシチュエーションが否応なしに登場人物を動かしていくのである。その圧倒的な迫力にぐんぐん引き込まれた。。
 これを30分もカットしてしまう無謀さは想像を超えているが、恐らく4人の人物設定などがバッサリ切られてしまったのだろうと推測された。4人がなぜこんな南米の地獄のような僻地に流れてきたのかとか、なぜ危険を冒して命がけのニトログリセリンの輸送を請け負うのかといった、彼らが抱えていた背景や思いなどが完全に無視されてしまったのではないかと思われた。
 今回ネットなどを見ていたら、短縮版では、最後に一人だけ生き残ったドミンゲスが成功報酬を受け取るシーンがエンディングになっていて、彼もまたこのあと死んでしまうことが暗示されている完全版の皮肉な終わり方とは真逆の、とりあえずめでたしという訳の判らぬ終わり方になっていたらしい。これはいくら何でもひどすぎる改変で、どうやら短縮版にはニトログリセリンの物理的恐怖が辛うじて残っているだけで、あとは何も残っていなかったのかもしれない。
 この映画の核心は、運命に導かれるように死の淵に引き込まれていく4人の悪夢のような軌跡だったはずである。恐らく、この映画の何とも言いようのない暗い熱狂のようなものは、それぞれがたどって来た過去と密接に結びついていて、彼らが極限まで追い詰められていたからこそ生まれてきたものなのだろう。有無を言わせぬかたちで次々に襲ってくる危機の連続にも、それを死と紙一重のところで切り抜けていく眩暈のするような力業といったものも、それを生み出す彼らのリアルな思いに裏付けられていたから納得できたのだと思う。
 この4人は過去において、決して表通りを胸張って歩けるようなことをして生きてきたわけではない。だが、彼らが善人ではなかったにしても、この映画の中に共感できない人間として登場してきていたわけではなかった。だから一緒になって手に汗握ることができたのであり、最後に現れる突然の死が、たとえ彼らには必然の運命であったとしても、ある種の空しい了解を呼び覚ますことになったのだと思う。うーん、やっぱり死んじゃうのかという感じである。

 この映画には、1953年にアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督によって製作されたフランス映画の先行作があり、そのリメイクとして製作された作品だった。そのため、当初からこのクルーゾー版との比較で論じられてしまうことになり、特に短縮版になってからは、クルーゾー版には到底及ばないという評価が定着する結果となってしまったようだ。わたしはクルーゾー版を見ていないから比較することはできないが、この映画はこの映画として、変な言い方だが立派に独り立ちしていると言っていいように思った。
 クルーゾー版がどうであったにせよ、この映画では、この映画の登場人物たちがしっかりした説得力で存在していたと思う。ロイ・シャイダーがやったドミンゲス役は、クルーゾー版ではマリオという役でイヴ・モンタンが演じていたようだ。ちょっと見てみたい気もするが、見たからと言って両者を比較することには何の意味もないだろう。
 ストーリーの大枠はクルーゾー版と同じように展開したようだが、クライマックスの吊り橋のシーンなどはこちら独自のものだったようだし、ここに充溢していた幻惑的な狂気と絶望感、そして目も眩むような迫真の恐怖感は、他と比較することを空しくするような臨場感を持っていたと思う。わたしが高所恐怖症だったこともあるが、この映画の手に汗握る感覚はまったく尋常なものではなかったと思う。
(立川シネマシティ2、12月5日)
by krmtdir90 | 2018-12-08 23:59 | 本と映画 | Comments(3)
Commented by Mh at 2018-12-11 22:47 x
小学生くらいの時テレビで放送されたのを観た記憶があります。確か○曜ロードショーみたいなので、二週に分けて放送された筈です。あれはオリジナル版だったのかなあ。
Commented by krmtdir90 at 2018-12-12 18:52
1977年のフリードキン版はテレビ放映されていますが、その時は92分の短縮版しか日本には入っていなかったので、二週に分けて放送というのは考えにくいような気がします。
ウィキペディアを調べてみると、1953年のクルーゾー版の方がいろんなテレビ局で何度も放映されていて、そのうち日本テレビの水曜ロードショーが二回に分けて放送していたようです。
クルーゾー版は131分と148分の二つのヴァージョンがあったようで、どちらが放送されたのかは判りませんが、昔のテレビ放映枠を考えると大幅カットか二回に分けるかという選択になったのではないかと思われます。
なお、フリードキン版はカラーですがクルーゾー版はモノクロだったので、記憶がどちらだったかで判断できると思います。
natsu
Commented by Mh at 2018-12-12 22:35 x
そうでしたか。カラーだったのと後半の予告があったのは間違いないので、夕方60分とかの別の放送枠だったのかも知れませんね。
<< 映画「台北暮色」 中国の小さな旅④上海・復路(2... >>


カテゴリ
以前の記事
画像一覧
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
メモ帳
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
ブログジャンル