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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「彼の見つめる先に」

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 いわゆる「ハイスクールもの」に分類される一本だが、その切り口というか描き方というか、様々な面において他に見られないユニークさを発揮した映画だったと思う。それはたぶん、一言で言うと「ナチュラル」ということになると思うのだが、ここに描かれる高校生活の一コマ一コマが、個性的であることを少しも主張しようとせず、これが普通なんだと自然に周囲を納得させてしまうように展開していることの素晴らしさである。長らく高校演劇の世界に身を置いてきた者からすると、演劇であれ映画であれ、特別な個性を売りに出す作品は嫌と言うほど見せられてきたが、彼らの現実をこんなふうに、特別なことなんかどこにもないのだという視点で見詰めようとした作品は、きわめて少なかったような気がしているのである。
 監督・脚本のダニエル・ヒベイロは1982年生まれの30代半ばだというが、登場人物にどう寄り添っていくのかというところで、まったく肩肘を張っていないところが非常に好感が持てる点だと思った。彼自身がLGBTであることを公言しているというのを後で知ったが、いまやそういうことは何ら特別なことではなく、取り立てて意識されなければならない事柄でもないのだと言われているような気がした。こんなふうに「ナチュラル」に描かれた恋や友情にとって、そこにLGBTが絡んでいるとしても、それはさして大きな問題ではないということなのである。

 主人公のレオ(ジュレルメ・ロボ)は生まれつき目が見えないという設定なのだが、彼が通っているのは盲学校ではなく普通のハイスクールの普通の教室である。視覚障害者が健常者と一緒に普通高校の授業を受けることが可能なのかどうか、日本などの制度や実態がいまどうなっているのかは申し訳ないがよく判らない。この映画の舞台はブラジルのサンパウロで(2014年のブラジル映画なのだ)、描かれているのは主に富裕層の子どもが通う私立高校のようだから、学校と保護者の了解の下でそうしたことが行われることもあるということなのかもしれない。
 彼は音声を頼りに点字タイプライターでノートを作っているが、隣席に座った幼なじみの少女ジョヴァンナ(テス・アモリン)が折に触れて手助けしてくれているようだ。教室には彼らのことをからかったりする連中もいるが、それは取り立てて問題にすることでもない日常生活の一部に過ぎない。それより大きいのは、彼らの間で幼少期からずっと続いてきたらしい関係、つまり障害のあるレオを健常者のジョヴァンナがボランティア的に手助けするという関係が、お互いの成長とともに微妙に変化している気配が感じ取れることである。つまり、クラスメートの間でキスの経験の有無などが重要な話題になるような年頃になって、少なくともジョヴァンナの方はレオを異性として意識するようになっているということである。それなのに、レオの方にはそういう気分がまったく見られないばかりか、彼女の気持ちの変化にも気付いていないように見えるのだ。
 普通に考えれば、映画はこのジョヴァンナの気持ちがこのあとどうなっていくのか、そこのところが展開の核心になるのだろうと想像されるところである。ところが。

 ある日、彼らの教室にガブリエル(ファビオ・アウディ)という転校生がやって来て、彼がレオとジョヴァンナの間に入り込んでくることになる。具体的には、これまでジョヴァンナのものだった手助けの役割をガブリエルが肩代わりするようになり、男同士がどんどん親密になっていくにつれて彼女が弾き出される結果になってしまうのである。どうやらガブリエルにはもともとそういう性向があったようだが、レオの方は彼との交流を通じて自分の中に隠れていたゲイ(G)的傾向に目覚めていくことになるのである。こうした経緯を、この映画は実に自然な繊細さで写し取っていく。
 映画は彼ら3人の関係がどう変化したのかを丁寧にたどっていくが、それは確かにちょっと(かなり?)変わった展開には違いなかったが、基本的にその気持ちの流れはすべて自然な推移として意識されていて、まったく当然のようにすべてが肯定的に描かれているのである。ガブリエルに対する自分の気持ち(恋心)を明確に意識したレオが、同様に他に代えがたいと意識している(親友の)ジョヴァンナにそのことを告白するシーンがあったが、そこで明らかになったこと、つまり愛し合っているのが同性同士であって、そのことを一番最初に理解して欲しい相手(親友)が異性だったということが、ここでは倒錯ではなく一つの自然なかたちとして受け入れられているのである。
 敢えて解釈をするなら、レオにとってジョヴァンナはみずからに欠けているものをいつも埋めてくれる存在であり、意識の上では常に自分の一部のように感じられていたということなのかもしれない。彼女は恋愛対象とはならないが、いなくなることなど考えられない存在だったのである。

 レオの告白に対して、その時は恐らくかなりのショックがあったと思われるジョヴァンナが、いつの間にか笑顔で、仲良く手を繋いだレオとガブリエルと一緒にいるラストシーンの不思議な感覚を何と言えばいいのだろう。たぶん、彼らはお互いにお互いのことを大切だと感じ合っているのだから、一緒にいるのが当たり前だし、それがナチュラルってものなんじゃないかと、この映画は軽やかな口調で言い放っているのである。だが、あえて正直に言わせてもらうが、わたしのような古い人間からすると、これはやはり驚くべきことと言うしかないように思う。
 一般的にラテンアメリカは男性優位の傾向が強い社会で、LGBTに対する差別意識や抵抗感などもけっこう根強いものがあると認識されているが、そうしたものを一気に飛び越えてしまうようなこの映画の自由さはどうだろう。身体的障害があることやLGBTであることは確かに大きな困難には違いないが、それは子どもが成長して大人になっていく過程で必ずぶつかる、様々な困難の中の一つのかたちに過ぎないのかもしれないと、この映画は開き直って見せているようなところがあるのである。いろいろあるけどね、こういうのもあるんだよ、たぶん。けっこう大変だけどね。というような感じだろうか。
 その清々しい?気分に、何だか完全にやられてしまったようなのだ。
(アップリンク渋谷、1月7日)
by krmtdir90 | 2019-01-14 20:24 | 本と映画 | Comments(0)
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