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今回の旅はコストパフォーマンス重視のツアーである。飛行機もエコノミークラスで頑張ることになるが、まだまだいろいろなところに行きたい気分があるので、一回の旅にそんなにお金はかけられないという気持ちになっている。
タイトルは「ポーランド航空往復直行便利用・決定版ポーランド8日間」というものだったが、トラピックスとしてはすでに7000人以上が参加している人気のコースだったようだ。コストを抑えるため食事やホテルなどはもう一つというところもあったが、全体としてはなかなか充実した見学が組まれていて、完成度の高いコースになっていたのではないかと思った。 ツアーの成否は添乗員の善し悪しで決まる面があると思うが、今回われわれを担当したWという女性は、このコースを熟知した非常に有能な添乗員だったようで、いろんなことを的確に、押しつけがましくない言葉で語ってくれるので、大変楽しく気持ちのいい旅ができたと思う。 期間中、信じ難いような快晴が連続したこともあって、ポーランドという国の印象が予想以上に明るいものになったように思う。 4月17日(水) 成田集合は午前8時15分だったが、飛行機が個人チェックイン方式になっているので、座席を並び席とか通路側とか希望する場合は、なるべく早く手続きを済ませるようにとの事前注意があった。席が離れるのは不安なので、当日は最寄り駅を4時56分の電車でスタートし、7時5分に成田に到着した。7時半ぐらいには手続きを済ませ、とりあえずはホッとすることができたのだった。 ここで、思いがけない人に声をかけられた。わたしがまだ現役だった頃、演劇の関係で知り合うことになり、地区を同じくすることはなかったが、それなりに親密なつき合いをさせてもらっていたTさん夫妻だった。彼ももちろん退職していて、今回は別の会社のツアーだったが、同じ飛行機を使ってポーランドを含むバルト三国の方に行くということだった。 同じ日に同じ飛行機で同じ方面の海外旅行に行くとは、ちょっと信じ難い偶然だと思ったが、待合所でひとしきり懐かしく話しをすることができて良かった。 往路の飛行機はポーランド航空・LO80便で、成田発は10時15分となっていたが、折り返す機体の到着が遅れたため、それでなくても長い待ち時間の上さらに1時間以上も待たされて、成田を離陸したのは午前11時30分ぐらいになってからだった。 機内でマイナス7時間の時差修正を行い、ワルシャワ・ショパン空港に到着したのは、予定では14時30分(所要時間11時間15分)、実際には40分遅れの15時10分ごろだったと思う。 入国手続きを済ませて外に出たら16時を過ぎていた(これが快晴の始まりである)。 長い飛行でけっこう疲れているのだが、このコースはホテル直行ではなく、市内見学のスケジュールがしっかり組み込まれていた。 バスの車窓から。 トラムが走っていた。 高架道路の下を抜けて行く。 市内の駐車場に着いてバスを降りたのが午後5時ごろだった。 これから世界文化遺産になっているワルシャワ歴史地区を見学するが、この地区は建物などに歴史的価値があるわけではないようだ。街並みは第二次世界大戦でほぼ完全に破壊されてしまったが、これを市民の「不屈の熱意」によって忠実に甦らせたことが評価されたということらしい。これは世界遺産としては、きわめて例外的なものなのだという。 この通りがクラクフ郊外通り。 次は聖十字架教会。 ショパンは1849年10月、パリで亡くなった。39歳だった。遺言により、彼の心臓は摘出され、アルコール漬けされてワルシャワに戻り、聖十字架教会の柱の一つに埋め込まれた。 次はポーランド科学アカデミー(外観のみ)。 科学アカデミーの前から(向かいの歩道で)通りを戻った。聖十字架教会からチャプスキ宮殿と来て、その斜め向かいにワルシャワ大学がある(↓チャプスキ宮殿側の歩道からさっき撮ったもの)。 先に進むと、大学の隣にヴィジトキ教会というのがあった。 教会の外にあった像。 空港でワルシャワ担当の(都市ごとにガイドは入れ替わった)現地ガイドと合流して、彼女(日本語を話すポーランド人)の先導で見て回っているのだが、時間の関係もあるのだろう、どうしても先を急いで進んで行ってしまうので、追い切れない部分も出て来てしまう。 クラクフ郊外通りの歩道には、黒い石造りのベンチがあちこちに置かれていて、スイッチを入れるとショパンのピアノ曲が流れるようになっていたが、この写真を撮り忘れている。 次は、ワルシャワで最も歴史があるという最高級ホテル「ブリストル」。 官邸前の歩道には、2010年4月の大統領機墜落を追悼するロウソクのモニュメントが並べられていた。 大統領官邸のすぐ隣に教会があったが、 次は聖アンナ教会。 視線を左に移していくと、 さて、このあとは旧市街の中を少し歩きながら、夕食のレストランに徒歩で向かうことになる。 ↓これは洗礼者ヨハネ大聖堂。 早々に広場を抜けて行く。 旧市街を出て少し行ったところに看板が出ていた。 以下は帰りがけに。 壁にショパンの絵が描かれた一画があり、 ホテルに到着したのは午後8時過ぎだった。時差の関係で一日が31時間になっているから、そのまま寝てしまいたいところだったが、そうもいかない事情があることが判った。 添乗員の話では、今度の日曜日がイースター(復活祭)に当たっていて、期間中の土・日・月はほとんどの商店などが休業になってしまうのだという。今回のツアーはこの三日間に完全にぶつかっていて、これから行く先々でお土産を見つけていくのはきわめて難しいということらしい。明日のホテルはやや不便な場所なので、今晩隣接のショッピングセンター(スーパーマーケット)を覗いておくのがいいのではないかということだった。 そう言われてしまっては、やはり行かないわけにはいかない。 これがショッピングセンターの1階。 外の通りに出て。 上の写真で、ショッピングセンター入口は右側、
by krmtdir90
| 2019-04-26 22:59
| 海外の旅
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