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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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南インドの旅①往路、コチン(2019.7.7~8)

 去年、一度インド旅行のツアーに申し込んだことがあった。
 ところが、希望した出発日は人数が集まらず中止になってしまい、その連絡が一ヶ月前ぐらいにあった時、日にちが近い他の出発日に移ってもらえないかと言われたが、すでに予定などがあってあきらめるしかなかった。

 その時は、インドには縁がなかったのかもしれないと思い、タージマハルなどへの熱が急速に冷めていくのを感じた。だが、時間が経つうちに、すでにガイドブック(地球の歩き方)も購入してあったし、無駄にするのも何となく癪だなという気分が生まれてきた。
 中止されたツアーは、デリー・ジャイプール・アグラといった最も代表的なところを回るコースだったが、もう一度インド行きを考えるのであれば、何となく同じようなコースを申し込むのは芸がないような気がした。このあたりの心理はよく判らない。

 とにかく、そんな時に送られてきたパンフレットの一つにたまたまミーナークシ寺院の塔門の写真が載っていたのである。一言で言えば、この写真にすっかり目を奪われてしまったということなのだ。タージマハルの写真ならこれまでいやと言うほど見ているが、この初めて見る不思議な建造物は何なのだ?と思った。コースを見ても、何やら知らない地名や寺院の名前が並んでいるばかりで、これもインドには違いないようだが、とにかくまったく未知の世界ばかりを回るというのが急に面白そうに思えてきたのである。

 というわけで、ほとんど何の予備知識もなく南インドを旅行してきた。ツアーのタイトルは「インドの原風景、圧巻のヒンドゥー建築とコモリン岬の旅・9日間」というものだったが、基本的に夏というのはインドでは避けた方がいいとされるオフシーズンになるようで、費用も比較的安く設定されているようだった。また、前半に訪ねた西海岸は、7月はちょうど雨季に当たることを申し込んだ後で知ったが、暑さも覚悟の上だったし、まあ、なるようになるだろう、ということで出発当日を迎えたのである。

7月7日(日)

 家を出る時には雨が降っていた。スーツケースは事前に送ってあったので身軽だったが、最寄り駅まで傘を差して行かなければならないのはちょっと憂鬱だった。いつものように、日暮里から京成スカイライナーで成田に向かった。
 成田第2ターミナル集合は午前9時15分だった。飛行機は11:15発、エアインディアAI307便デリー行き。
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 このエアインディアの飛行機はまったくいただけなかった。今まで乗った飛行機の中で一番悪かったと思う。①モニター映画のラインナップがひどかった。日本映画は「万引き家族」一本のみ。外国映画で日本語字幕がついているもの(或いは日本語吹替になっているもの)は一本もなかった。②イヤホンジャックの穴の接触が悪かったらしく、音がまったく聞こえなかった(これは往路だけではなく、信じ難いことだが復路でも同じだった)。③機内食が信じ難いほどひどかった(これは人によって評価が違うと思うが、わたしの口にはまったく合わなかった。妻も同感だと言っていた)。
 機内でマイナス3時間30分の時差修正を行い、日程表では17:00、実際には30分ほど早く、デリー国際空港に到着した(日程表上の所要時間は9時間15分)。
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 ここで、同じくエアインディアの国内線に乗り継いだ。
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 AI048便コチン行きは、日程表では18:05発となっていたが、実際の出発は40分ぐらい遅れた。
 今度は窓際の席だったので(窓ガラスは相当汚れていたが)写真がある。
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 しばらくは雲海が見えていたが、
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 やがて夜になり、窓外は闇の中に沈んだ。

 所要時間は3時間05分、21:10着となっていたが、実際には21:45ぐらいの到着になった。入国審査などはこちら、コチンの空港で行われた。ここは国際空港だったのだ。
 こんな看板を見つけた。
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 調べてみたら、コチン国際空港は空港内の電力をすべて太陽光発電で賄っている世界初の空港ということだった。
 午後10時を過ぎているので、空港内に人影は少なかった。
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 暑さは覚悟していたが、外に出てみると、蒸し暑いけれどそれほどの暑さでもないなと思った。
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 晴れているらしく、空には上弦間近の月が浮かんでいた。
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 ↑この写真の撮影時刻は午後10時24分。このあとバスでホテルに向かい、部屋に落ち着いたのは11時過ぎだったと思う。

7月8日(月)

 コチンは西のアラビア海に面した古くからの港湾都市で、この時期は雨季になるようだが、この日の天気は悪くはなさそうだった。
 われわれが泊まったホテル、トライデント・コチンの正面玄関。
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 ホテルの前の道路。
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 ホテル入口の門。
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 われわれのバス。
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 今回は全行程をこのバスで回った。ボルボのバスだったが、こちらで見かける乗り合いバスのみすぼらしさとの大きな格差を、インドの人たちはどんなふうに感じていたのだろうか。
 なお、バスの運転手と助手の青年、そして現地ガイドの男性も全行程代わることはなかった。

 初日の長時間移動の疲労を考慮したのか、出発はゆっくりめの午前9時30分だった。
 コチンはけっこう大都市だったようだが、われわれはその歴史に関わる部分を中心に回ったので、あまり発展した都会という印象はなかった。海から続く湖などが複雑に入り組んでいて、その周囲に様々な特徴を持った市街地が形成されているようだった。
 ホテルはウィリンドン島というところにあったようで、大きな橋を渡って、最初にマッタンチェリー地区というところに行ったようだ(帰ってから位置関係などを確認している)。
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 町の風景。
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 バスを待つ人々。
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 こちらのバスは窓ガラスがない。
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 もちろん冷房なども付いていないということだ。
 庶民の足、オート三輪のタクシー。
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 これは至るところで見かけた。座席は一応2人乗りのようだが、4、5人が鈴なりになって走っているのもあった。地球の歩き方にはオートリクシャーと載っていたが、こちらの人は略してオートと呼んでいるようだ。

 最初に行ったのがマッタンチェリー宮殿(ダッチ・パレス)。
 道路に面した小さな駐車場でバスを降り、この門をくぐると、
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 何かパッとしない2階建ての建物があった。
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 ポルトガルがこのあたりを支配していた1555年、コチンの藩主のために建てられたものらしいが、宮殿と呼ぶには少々地味な感じがする。
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 オランダ支配下となった1663年からオランダ総督邸として使われたので、以後ダッチ・パレスと呼ばれるようになったらしい。
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 木陰で一通り説明を受けてから、この奥の階段を上って、
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 中に入った。
 中は博物館になっていて、壁の絵画などが見どころになっていたようだが、そういうところは撮影禁止になっていたので、あまり見るべき写真がない。冷房はなく、周囲の窓を開いてあったが、
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 やはり、暑くてあまり集中できなかった。
 ゾウの背に貴人が乗る時使う玉座(右下に絵が示されている)。
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 貴人が乗る駕籠。
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 入口の石段。
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 外に出て、裏手の方に回った。
 けっこう広いスペースがあり、池があって魚が泳いでいた。
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 そちらから見て、右手の塀の向こう側に見えたこの建物、
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 パラデシ・シナゴーグというものらしい。このあと、徒歩でそちらの見学に向かうという。
 最初の門の方に戻りながら、マッタンチェリー宮殿(ダッチ・パレス)を異なる角度から2枚。
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 門を出て、道路の向かい側。
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 この奥は水上で各所を結んでいるボートの発着所になっているようだ。
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 パラデシ・シナゴーグに向かうには、この前の道を右にたどって、大きく回り込まなければならないらしい。
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 その道すがら。
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 シナゴーグというのはユダヤ教の礼拝などを行う集会所のことだが、コチンのこのあたりには昔から多くのユダヤ人が住み着き、香辛料の貿易などに従事して大規模なユダヤ人街を形成していたらしい。しかし、1947年のインド独立、1948年のイスラエル建国に伴い、大部分のユダヤ人が「故郷」に帰ることを選択し、現在もこの周辺に残っているユダヤ教徒はわずか5人になってしまったのだという。
 道の奥にパラデシ・シナゴーグが見えている。
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 建物の前で現地ガイドの説明を聞く。
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 現在では、親類縁者などが集まって教徒が10人を超えた時だけ、このシナゴーグで礼拝が行われているらしい。
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 ここが入口。
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 靴を脱いで中に入る。中は撮影禁止だったと思うが、間違って?シャッターを切ってしまったので、せっかくだから載せておく。
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 来た道を戻る時、香辛料の専門店に立ち寄った。
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 いろんなスパイスが売られていたようだが、袋に入った粒胡椒の黒と白を購入した。
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 このあと、最初の駐車場に戻って、短い距離だがバスに乗って、海寄りのフォート・コーチン地区に移動した。ヴァスコ・ダ・ガマゆかりの聖フランシス教会を訪ねるのである。

 バスを降りて少し歩いた。
 これは私立学校らしい。
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 インドは貧富の差が激しく、公立学校は貧しく、富裕層の子供はみんなこうしたきれいな私立学校に通っているらしい。
 広い公園があり、巨木が何本も枝を伸ばして日陰を作っていた。
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 これは↓あとで昼食に立ち寄るコーダー・ハウスという建物。
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 イギリス統治時代の1808年に建てられたもので、現在はホテルとレストランになっているらしい。
 フォート・コーチン地区というのはアラビア海に面した半島の先端部分で、ポルトガル・オランダ・イギリスと続いた植民地時代の面影を色濃く残しているところのようだ。
 どことなくお洒落な街路が目につく。
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 そうした街路の一つに入って行った。
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 この角の建物。
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 ヴァスコ・ハウスと言い、ポルトガル時代の16世紀初頭に建てられたもので、真偽のほどは判らないが、一時期ヴァスコ・ダ・ガマが住んだと言われている建物らしい。
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 現在はカフェになっているようだ。

 この角を右に折れたところに聖フランシス教会があった。
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 1503年にポルトガル人が建てた教会で、インドに建てられた教会としては最古のものであるらしかった。
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 大航海時代、南アフリカの喜望峰を経由する東回りのインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマは、1524年にこの地で亡くなったのだという。その際、彼が埋葬された教会がここなのである。遺体はその後ポルトガルに戻されたようだが、当時の墓石がそのまま残されているらしい。 
 入口で靴を脱いで入る。
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 当初はカトリック教会だったが、オランダ時代にプロテスタント教会となったため、祭壇などは非常に質素なものである。
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 ヴァスコ・ダ・ガマの墓石は、 祭壇に向かって右側の壁際にあった。
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 ヴァスコ・ダ・ガマの名前は昔世界史で習った記憶があるが、その功績はウィキペディアなどを読んでみてもよく判らないし、この墓石も率直に言ってどうということもないという感想しか湧いてこなかった。

 さて、この後はさらに徒歩で海岸の方に出て行った。チャーニーズ・フィッシング・ネットというものを見に行くという。
 アラビア海である。
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 海岸に沿ってコンクリートを打った細い道が通っていて、何かよく判らないモニュメントのようなものが立っていた。
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 道に沿って露店などが出ているが、先に進んで行くと見えてきた。
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 チャイニーズ・フィッシング・ネットというのは、マカオのポルトガル人によって伝えられたコチン独特の漁法で、網を海中に沈め、しばらくしてからロープで引き上げるというものらしい。
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 ここはそれを体験させてくれるところらしく、積極的なメンバーの幾人かが台に上がってロープを引いたが、水深が浅いらしく魚はまったくかかっていなかった。
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 しかし、取れた魚を売っている露店などもあって、
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 少し行くと、幾つも並んだネットの中に実際に海中から網を引き上げているところがあった。
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 見ていると、こちらはそれなりに魚が捕れているようだった(最後はたも網で魚を集めている)。
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 以上でコチン市内の見学は終了した。間もなく午後1時である。
 先ほどのコーダー・ハウスのレストランで昼食になった。
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 たくさん汗をかいたので、ビールが旨かった。
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 こちらのビールは、ほとんどがカワセミが描かれたKINGFISHERという銘柄だったが、可もなく不可もない感じのビールなので良かった。ただし、アルコール度数は6%の他に4%台と8%台の3種類があるようで、注文時にはどれが出てくるか判らないというのが、ちょっと困った。
 料理はシーフードのグリルで、これは非常に美味しかった(写真はピンボケですね)。
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 2時過ぎに昼食を終え、広い通りまで少し歩いてバスを待った。さっきの私立学校は放課になったようで、生徒たちがスクールバスに乗り込んだりしていた。
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 公園の巨木はレインツリー(ネムノキ)だったようだ。
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 このあとは1時間50分ほどのバス移動だったが、車窓の写真はない。よく覚えていないが、昼ビールを飲んだ後だったので眠かったのかもしれない。

 午後4時過ぎ、アレッピーという町のホテルに入った。コチンの南方、ケーララ州の海岸線に続くこのあたりは、バックウオーターと言われる水郷地帯で、部屋の窓からかなり広々とした水面が見えた。
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 アレッピーのホテル、ラマダ・アレッピーの外観。
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 撮影時刻は午後6時47分だった。
by krmtdir90 | 2019-07-27 21:38 | 海外の旅 | Comments(2)
Commented by yassall at 2019-07-28 15:59
いよいよ始まりましたね。続きを楽しみにしています。
Commented by krmtdir90 at 2019-07-29 20:58
最近(歳を取ったからだと思いますが)長い時間集中して何かをすることが出来なくなりました。旅行記のスタートもずいぶん遅くなってしまったし、この続きもたぶん間延びした掲載になってしまいそうです。どうか気長にお待ちくださるようお願いします。natsu
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