18→81 |
by natsu 最新の記事
最新のコメント
記事ランキング
|
ユージン・スミスという報道写真家がいたことも知らなかったし、彼の写真集「MINAMATA」というのも見たことがなかった。ジョニー・デップについては一応知っていたが、57歳になった彼がみずからユージン・スミスに扮し、この写真集の映画化をプロデュースしたというニュースも、少し興味は覚えたが、それほど観なければという気持ちが強くあったわけではなかった。ただ、いま改めてこういう映画を作らなければならないという発想は、残念ながら現代の日本人からはなかなか生まれて来ないものであって、そこに強いこだわりを持ち続けたジョニー・デップの感性(思想と言ってもいい)に興味を覚えたところがあったのだと思う。
観た後で良かったなと思ったのは、こうした問題を扱うと、日本人の視点はどうしても被害者とその家族の側に過度に寄り過ぎる傾向があると思うが、この映画では、視点が常に対象との距離を意識しているように感じられたのが新鮮だった点である。外国人(ジョニー・デップや監督・脚本のアンドリュー・レヴィタス)の感性が、異国・日本をどう捉えようとしているのかというのが、映画の様々な場面で思いがけずクローズアップされてしまったように感じた。それはユージン・スミスが水俣で写真を撮ろうとした時に感じていたはずのことなのだが、同時にジョニー・デップやアンドリュー・レヴィタスが水俣を映画にしようとした時に感じていたことが、重なり合うように浮かび上がってしまうように思えたのである。それは、不自由さの自覚とでも言うべきものだったのではないか。 こういうことを考えたのは、観ている間中ずっと、どう言えばいいのだろう、登場人物の関係の作り方や言動といったものに、何となく納得し難い居心地の悪さのようなものを感じてしまったからである。ユージン・スミスと「LIFE」編集長ボブとの関係などはスッと理解できたのだが、彼と行動を共にするアイリーンとの関係になるとよく判らなかったし、何より問題だったのは、彼と水俣の住民たちとがどんなふうに関係を築いていったのか(距離を詰めていったのか)が、あまり描けていないような気がしたのである。 描けていないと言ってしまっては言い過ぎなのかもしれない。だが、少なくとも最初の段階では住民一人一人が感じていたはずの、文化や感性の異なる外国人に対する違和感のようなもの(排他性と言ってもいい)が、通り一遍の描写でスルーされてしまったように感じたのである。確かに、彼が水俣の現実を世界に発信してくれる人だということは信じたいと思っていたかもしれないが、それだけでユージン・スミスという外部の人間を受け入れることにはならないはずである。両者の間には当初かなりの距離があったと思われるが、それを埋めるのは簡単なことではないし、そこが大きな見どころにならなければ説得力は生まれてこないだろう。そのような具体的な出来事が拾い上げられているとは思えなかったのである。 結果的に強固な信頼関係が醸成されたのは事実だとしても、その過程をこの映画は個々の人間関係としてほとんど描写していないのではないか。日本人のキャストはそれぞれがんばってはいたが、その心理的側面を丁寧に演出することが欠けていたような気がした。この映画はアメリカ映画だが、日本との合作にはなっていない。キャストは一応揃えたが、スタッフに日本人がまったく関わっていなかったことが影響したのではないかと思った。製作意図は評価できるとしても、肝心の日本人のキャラがうわべだけの操り人形のように見えてしまって、ただ与えられた役割を埋めていただけと言ってしまったら言い過ぎだろうか。 やっぱり辛口になってしまったな。 (MOVIX昭島、10月11日)
by krmtdir90
| 2021-10-12 22:14
| 本と映画
|
Comments(1)
Commented
by
kurihara1954 at 2021-10-15 22:04
今の若い人たちに 水俣のことを問いただしても 知らないの一点張り
やはり時代が違います 私と貴方とでも 歳の差は歴然ですね わたしは1960年代に熊本に立ち寄り八代や水俣などを見ています 海というよりもどぶ川でしたね においもすごかった 当時の日本は焼け野原の何もないところから 工場を作り日本再建に取り組んでいましたが その付けが回ったということですね 当時は四大公害. 日本の高度経済成長期には、重化学工業化のために産業公害が拡大し、 四大公害事件(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)が発生したことも知られています 関西でも今の中国の様にスモッグ公害が起きていました 昼間なのに前が見えないほど このミナマタの映画は夏休みに水俣市へ行った時に見ましたが 町の反応はイマイチ 何故今更 というのが 今の気持ちでしょうね 30数年かけて 公害の街から観光の街へと変えてきたところなのに 何故 蒸し返す という 今の若者も 生まれてくる人も一般人で 俗にいう 水俣2世とか3世ではないという 昔を知っている人たちから見れば 複雑に気持ちになりますね 当時国鉄で 東京からだと丸1日かかり(夜行で20数時間あまり)そして 熊本で乗り換え八代で乗り換えて水俣へ まだ新幹線も高速もなかった時代です福岡にまだ炭鉱があった時代 熊本から北の有明海と 熊本から南の八代海とでは 景色が全く違っていました 今のきれいな海からは 想像もつかないでしょうね 映画は創作です 事実を見るのなら当時のドキュメンタリーを見るべし 妻のアイリーンさんは今も京都で公害撲滅の運動を続けています
0
|
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 08月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 画像一覧
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
外部リンク
ファン
ブログジャンル
|
ファン申請 |
||