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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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2018年 04月 06日 ( 1 )

映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

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 日々のニュースに接していると、日本はこの先どうなってしまうのかと暗澹たる気持ちになることばかり続いている。そういうことに触れ始めると、恐らく際限がなくなってしまうだろうと思って触れないでいる。ブログは自分の楽しみとしてやっているのだから、基本的に政治問題や社会問題に踏み込むことは避けてきたのである。だが、この映画の感想を述べるに当たって、その内容があまりに現代日本の状況への警鐘になっていることに驚き、同時に日本とのあまりの違いに愕然とさせられたことに触れないわけにはいかない。

 映画はまだベトナム戦争が続いていた1971年、ニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズという機密文書(いわゆるマクナマラ文書)をスクープし、時のニクソン政権から有無を言わせぬ圧力がかかる中、ワシントン・ポストが第2弾のスクープを打って世論の流れを変えていくさまを描いている。
 映画の中で、ワシントン・ポストの発行人(社主)であるキャサリン・グラハムが、死んだ夫の言葉として言う「新聞記事は歴史書の最初の草稿だ」という言葉が強く印象に残った。そうなのだ。国家の様々なところで作られる文書とその言葉は、後世に書かれるべき「歴史書」の最も基礎的な資料となるものなのである。国家が権力そのものである以上、国民の側にある新聞などの(同時代の)不断の監視下に置かれなければならないというのは当然のことなのだ。
 現に進行中のベトナム戦争に関する機密文書であっても、それが国民に知らされていなかった戦況の泥沼化を伝え、1965年時点ですでにこの戦争には勝てないという見通しを記していたものである以上は、考えられるあらゆる圧力や不利益を乗り越えて、国民の前に明らかにされなければならないということなのだ。そのことが、この映画にはきわめてストレートなかたちで描かれている。

 われわれの目の前にある日本の現実はどうなのか。国会で行われた不適切発言が、本人からの申告で簡単に取り消され、議事録から次々に消されている(二本線による抹消ではなく、まったく削除して発言そのものがなかったことにされている)という事実。また、森友問題の財務省文書が、政府に不都合な部分を改竄されていたり、自衛隊のイラク派遣に関する日報が、国会の論戦で政府に不都合だからと隠蔽されていた事実など。これらに関して、文書は廃棄されたとか存在しないといった言い方がまかり通り、逃げ口上として通用してしまう現実もある。
 また、刑事訴追の可能性があるからと言って、真実を語らないことが許されてしまう現実もあったではないか。刑事訴追があるかどうかはまったく別の問題であり、真実を語ると宣誓した以上は、いかなることがあろうとその通りにしなければおかしいのではないか。真実を報道することで逮捕される可能性や、会社の存続そのものが危機に瀕する可能性がある中で、敢然と記事掲載に踏み切るこの映画の展開との、あまりに大きな落差に絶望的な気分に襲われる。映画に描かれたのは、すべてアメリカで実際にあった出来事なのである。
 スティーブン・スピルバーグ監督はこの脚本(リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー)を読んだ時、「今すぐこの映画を作らなければならないと思った」と述べているらしい。彼の中には、トランプという無茶苦茶な大統領の下でアメリカはこれからどうなってしまうのかという思いがあったのだと思う。だが、それはそのまま、日本の無茶苦茶な現状に辟易としているわれわれの思いと見事に重なり合うものだったのである。そういう意味で、この映画は、われわれ日本の観客に対してもきわめて今日的な問題提起となっていたように思う。

 映画では、スクープのあと、政権側が国家機密を盾に記事の掲載を差し止める命令を出すが、最高裁はこの差し止めを無効とする判断を下すのである。日本では恐らくこうはいかないだろう。この判決理由の抜粋がプログラムに載っているが、日本など足許にも及ばない民主主義の成熟を感じさせるものになっていると思った。彼我の違いに悲しくなってしまうのだが、少し書き抜いておきたい。
 報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない。報道機関に対する政府の検閲は撤廃されており、それゆえ報道機関が政府を批判する権利は永久に存続するものである。報道の自由が守られているため、政府の機密事項を保有し公開することは可能である。制限を受けない自由な報道のみが、政府の偽りを効果的に暴くことができる。そして、報道の自由の義務を負う者は、政府の国民に対する欺きによって多くの若者が遠い外国へと派遣され、病気や戦闘で命を落とすという悲劇を避けるために責務を全うすべきである。

 映画の感想も書いておく。
 26歳で撮った「激突!」で監督デビューしたスピルバーグも、今年で71歳になったらしい。依然として第一線のヒットメーカーとして活躍しているのは大したものだし、その多彩な作品がことごとく第一級の娯楽作品になっていることに驚きを感じる。この映画も、きわめてセンセーショナルな題材を扱いながら、その題材のみに頼ることなく、ワシントン・ポストの発行人キャサリン・グラハムと編集主幹ベン・ブラッドリーに着目して、その揺れ動く心情を繊細に描写し、骨太な人間ドラマを構成しているところは見事と言うしかない。
 特にキャサリンを演じたメリル・ストリープは、若い頃は何となく病的な印象があって好きではなかったが、老境に達して(68歳になったらしい)実にきめ細かい演技を披露していて素晴らしかった。記事掲載の最終判断を下すシーンでの躊躇と黙考の演技は、彼女だから出せたリアリティがあったと思う。編集主幹ブラッドリーを演じたトム・ハンクスもいい年輪を重ねていて、この役を単純な正義感で染め上げなかったところはさすがだと思った。
 当時の新聞社の上層部は、政権中枢にある様々な人物と交流を持っていたようで、キャサリン・グラハムが、ペンタゴン・ペーパーズを作成させた当時の国防長官ロバート・マクナマラときわめて深い友人関係にあったことは知らなかった。文書の中身を暴露する記事の掲載に際して、キャサリンが事前にマクナマラを訪問するシーンは興味深かった。マクナマラを演じたブルース・グリーンウッドという役者も巧みで、このシーンの緊迫した空気も忘れ難いものだった。
(立川シネマシティ1、3月5日)
by krmtdir90 | 2018-04-06 16:47 | 本と映画 | Comments(0)


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