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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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2018年 05月 11日 ( 1 )

映画「悲情城市」

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 去年、いわゆる台湾ニューシネマの作品を少し追いかけることになり、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の映画も「冬冬(トントン)の夏休み」(1984年)と「恋恋風塵」(1987年)の2本を観ることができた。この「悲情城市」(1989年)は、非常に興味があったのだが観る機会に恵まれなかった作品である。
 新宿K's cinemaで「台湾巨匠傑作選」という特集上映をやっていて、その中に「悲情城市」がラインナップされていることを知って出掛けてきた。かなり時間の余裕を見て行ったのだが、ロビーにはすでにかなりの人が待っていて、購入したチケットの整理番号は54番となっていた。その後も訪れる人は続き、開場前に84席はすべて売り切れてしまったようだ。
 そんなわけで、完全な満席での鑑賞というのは(たぶん)初めてだったが、わたしとしては好みの前寄りC列の座席が確保できたので良かった。それと、この回は終映後にトークショーが設定されていて(行ってから知ったのだが)、字幕翻訳家の田村志津枝さんという方のお話しが聞けたのも良かった。この映画の背景や、台湾で公開された時の反響などについて、非常に興味深いお話しを聞くことができた。たいへん参考になったと思う。
 あと、上映が始まって驚いたのは、これが昔のアナログフィルムによる上映だったことである。調べてみるとすでにDVDも発売されていて、デジタルリマスター版が製作されているはずだから、どうしてこういう上映方式になったのか、そのあたりの経緯はよく判らない。30年近く前のフィルムが使われたようで、特に継ぎ目のあたりではキズなどの損傷も目立ち、何より色彩がかなり劣化してしまっていたのが(仕方がないとはいえ)残念なことだった。

 この映画は、日本による長い台湾統治が終わりを告げる1945年8月15日から始まり、蒋介石が大陸での国共内戦に敗れ、国民党政府が台湾に渡って台北を首都とした1949年12月まで、4年あまりの台湾社会を描いている。日本の統治から解放されたのだから良かったではないかなどと、日本人の一人としてきわめて浅薄な知識しか持っていなかったことを恥じなければならない。
 「台湾光復」と呼ばれた日本降伏以降、大陸から入って来て政治的実権を握った外省人と、日本統治を経験した本省人との間で対立が激化し、1947年に台北で起こった二・二八事件という大規模な衝突を契機に、外省人の本省人に対する徹底的な弾圧が常態化して、多くの犠牲者を出すことになった。1949年以降は国民党政府の一党独裁が強まり、1987年まで40年近く続くことになる戒厳令の下で言論の自由が制限されて、知識人や左翼分子を弾圧する白色テロの恐怖政治が続けられた。
 この映画が作られた1989年は、その戒厳令が解かれてまだ2年経過したに過ぎず、それでもようやく見えてきた民主化への動きの中で、それまでタブーとされて来た二・二八事件を初めて描いた台湾映画ということになったようだ。先の田村志津枝さんのお話しによれば、この映画が公開されて台湾全土で爆発的な大ヒットとなったのは、長く続いた戒厳令下の厳しい生活を経験した人々に、複雑な共感とも言うべきものとともに受け入れられたということだろうという。もちろん、当時はこんな生やさしいものではなかったという批判も一部にはあったと彼女は付け加えていた。
 この映画は、戒厳令下ではとうてい作ることのできなかった映画だが、その間に「冬冬の夏休み」とか「恋恋風塵」といったある意味私小説的な小品を撮りながら、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督が時代情勢の変化を睨みつつ、着々と準備を重ねていたことが素晴らしいと思った。この映画を発表した時、彼は42歳で、この映画に力を得たと思われる盟友・エドワード・ヤン(楊徳昌)が、1950年代末から60年にかけての戒厳令下を背景とした「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を発表したのは1991年、44歳の時のことだった。

 さて、わたしはどうしてもこの「悲情城市」を「牯嶺街少年殺人事件」と比べてしまうのだが、映画としては「牯嶺街」の方が圧倒的に共感度が高いと感じたのである。それは、それぞれの映画に登場してくる多数の人物に対する共感度の差だったと言っていい。人物の多彩さとそれに対する目配りの確かさは、「悲情城市」は「牯嶺街」にやや及ばないように感じた。
 それは恐らく、「悲情城市」が戒厳令が終わってまだ間もない時に、最初に台湾現代史の暗部を取り上げようとしたという、映画製作の歴史的意義を考えた結果として避け難いものだったのかもしれないと思う。その時代を生きた人々にどう共感されるかというところで、この映画はまず何よりも台湾(の人々)のための映画であることが必要だったのだ。
 「牯嶺街」にとって「悲情城市」という先行作品の存在は非常に大きなものがあったと思うし、2作の間にある2年という時間差は、想像以上に大きなものだったのだろうと思う。「牯嶺街」が、歴史に翻弄され押し潰されていく大人たちの前に、圧倒的な少年たちの瑞々しい群像を置くことができたのはたぶんそのせいである。
 しかし、そうは言っても、それはやはりエドワード・ヤンとホウ・シャオシェンという2人の映画監督の、人間を見る目の差(視点の置き方の差)ということが影響しているようにも感じられる。比較すれば、どうしてもエドワード・ヤンの方が深く根源的であると言わなければならない。ホウ・シャオシェンの作り方がつまらないと言うつもりはないのだけれど、「悲情城市」に出てくる人物たちというのは、その切り取り方や並べ方において、やはり少し図式的で俗ではないかと感じてしまうのである。これは、「牯嶺街」は3回も見直したのに、「悲情城市」はまだ1回しか見ていないということも関係しているかもしれない。

 「悲情城市」が描くのは、台湾北部の町(基隆市)で代々船問屋を営む林家の人々と、その周囲にいた人々がたどった運命である。林家の当主・75歳の阿祿の4人の息子たち、次男は日本軍に徴用され南洋で行方不明となっていて登場しないが、長男・文雄、三男・文良、四男・文清にスポットが当てられている。この周囲にはさらに多くの人物が配されており、その関係や動きなどが錯綜してやや判りにくいと感じるところがあり、また、三男・文良については戦争帰りの狂気と正気の間を行き来するところがもう一つ判然としなかった。
 これは、「牯嶺街」と同様、この映画もあまり説明的な描き方をしていないということがあって、1回だけの鑑賞では全部を追いかけるのが難しかったということかもしれない。だが、両者を比較して言えば、ホウ・シャオシェンの方が人物の外面的なものに寄った捉え方をしている感じがあって、そのぶん主要人物の運命を突き放して見ているような印象があったと言っていいように思う。ホウ・シャオシェンは人間の運命を翻弄する時代(歴史)状況の方に興味が向いていて、エドワード・ヤンは時代背景の前面で生きる人間そのものにより強い視線を注いでいるように思われた。
 ホウ・シャオシェンが四男・文清の生き方に力点を置いているのは明らかだが、恋人・寛美の兄で親友でもある寛榮を反体制(反国民党)の活動家になっていく一途な青年として登場させ、文清をその影響を受ける純情な青年と設定したところに、台湾現代史を描くに当たってのこの映画の立ち位置が鮮明に表れているのではないかと思った。文清は映画の終盤で寛美と結婚し、男の子が生まれて未来への光を感じさせる展開となるが、結局は国民党軍に逮捕されてその後の消息は不明となったまま映画は終わるのである。それより前に、三男・文良もスパイ容疑で軍に逮捕されており、一家を支えた長男・文雄は、一方で悪事に絡んでいだ文良のトラブルに巻き込まれて射殺されてしまう。最後には、林家には老当主・阿祿と女性と子どもたちだけが残されるのである。

 「牯嶺街」の236分には及ばないが、この映画も上映時間159分という大作であり、細部に触れ始めるとキリがないことになってしまう。この映画には非常に心に残る場面がたくさんあったのだが、描かれたエピソードの多くが、ああこの時代にはこんなことがあったのかという、戒厳令下では触れることが許されなかった多くの歴史的事実を表に出したという意味で、貴重な記録の集積になっている面があったということなのだろう。二・二八事件についても、この映画は直接その現場に入って描いているわけではないが、寛榮と文清が事件の起こった台北に行ったことで、彼らが受けたであろう影響についてはきちんと描いているのである。
 日本の降伏を伝える玉音放送が、台湾のラジオからも流れていたオープニングの場面は印象的だった。ここから、その後の一時の開放感が、外省人と国民党の流入によって次第に暗転していく空気感を、この映画は実に丁寧にすくい上げていると思った。それぞれのエピソードの背後にあるものを、その微妙なニュアンスというものを、日本人の自分がどこまで感じることができたかは判らない。だが、知らなかった歴史を知ることによって、日本人もそれを理解することは可能なのだと信じたい。半世紀に及んだ日本統治の結果として、このように混乱した辛い期間を台湾に生じさせてしまったことは事実だからである。
(新宿K's cinema、5月9日)
by krmtdir90 | 2018-05-11 22:01 | 本と映画 | Comments(0)


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