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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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2018年 09月 30日 ( 1 )

中国の旅⑩武漢・黄鶴楼・湖北省博物館(2018.9.11)

9月11日(火)

 武漢で連泊したのは「マルコポーロ」(武漢馬哥孛羅酒店)という、香港に拠点を置くチェーンの五つ星ホテルだったらしい。
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 34階建てのツインタワーが客室になっていて(両側がそれ)、われわれの部屋は7階だったが、窓から斜めに長江の流れを見ることができた。もっとランクの高い部屋もあったのだろうが、ツアー客が入る部屋としては最高ランクと言ってもよく、十分な広さもあって旅の締めくくりとしてはとても良かった。

 この日は武漢市内をバスで2カ所見学する。最初に向かうのは黄鶴楼である。9時にロビーに集合して出発した。
 天気は晴れ。「中国3大ボイラー」の一つと言われる武漢だから、かなり暑くなることを覚悟しなければならない。

 武漢市は、長江の支流である漢江が長江に合流するところにできた町で、人口は1000万人を超えているらしい。ホテルで貰った地図でいま確認しているのだが、武漢は2つの川を境に漢口・漢陽・武昌の3エリアに分かれていて、ホテルは漢口にあり、バスは漢江を越えて漢陽に入った後、さらに長江を越えて武昌にある黄鶴楼に向かったようだ。地図で見ると近いように見えるが、混んでいるところもあったりしてけっこう時間がかかった。
 車窓から。
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 最新の高層マンションに住める人ばかりではなく、どんどん拡大しているという貧富の差を感じさせられるアパートもあるのだ。
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 まず漢江を渡る。
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 向こうに見えているのは亀山電視塔(テレビタワー)というものだったようだ。
 次に長江を越える。
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 橋は武漢長江大橋という鉄道道路併用橋だった。下部に鉄道線路が通っていたようだ。

 中国に来てから、至るところでスローガンが書かれた看板や横断幕を見て来た。こんなところにまで!と思うようなものもあって、これには最後まで慣れることができなかった。簡体字とはいえ、漢字の意味が何となく判ってしまうのも良くなかったと思う。
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 「国家富強、民族振興、人民幸福」といった文字が見える。中国の人たちはこういうのをどう感じているのだろう。旅行者としては辟易とするばかりだったが、中にいると感じなくなってしまうのだろうか。何とも押しつけがましいし、何より美しくないと思った。

 バスを降りたのは10時ごろだったと思う。
 こちらが黄鶴楼公園の入場券売場(だと思う)。
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 一人っ子と母親。
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 この石段を登るようだ。
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 途中で振り返る(この右手から入って来た)。
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 上の建物にゲートがあって、
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 入ってから、また石段を登った。石段の上がカート乗り場になっていてホッとした。

 移動してカートを降りたら、いきなり黄鶴楼が見えた。
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 あたりは観光客でけっこう混み合っている。しかし、われわれはすぐそちらに行くのではなく、反対側の道の脇にあるこの詩碑の前で説明を受けた。
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 崔顥(さいこう)の「黃鶴樓(こうかくろう)」という詩で、黄鶴楼にまつわる伝説に触れたものである。「昔人已乘黃鶴去/此地空餘黃鶴樓/黃鶴一去不復返/白雲千載空悠悠/晴川歴歴漢陽樹/芳草萋萋鸚鵡洲/日暮郷關何處是/煙波江上使人愁」。現代仮名遣いの平仮名で書き下すと、次のようになる。「せきじんすでにこうかくにじょうじてさり/このちむなしくあますこうかくろう/こうかくひとたびさってまたかえらず/はくうんせんざいむなしくゆうゆう/せいせんれきれきたりかんようのじゅ/ほうそうせいせいたりおうむしゅう/にちぼきょうかんいずれのところかこれなる/えんぱこうじょうひとをしてうれえしむ」。
 伝説というのは次のようなものである。辛という人が営む酒屋に貧しい身なりの老人が現れ、酒を飲ませてほしいと言った。辛は嫌な顔もせず飲ませてやった。それが半年ほど続いたのち、老人は金がないので溜まった酒代は払えないと言い、代わりに蜜柑の皮で壁に黄色い鶴の絵を描いて去って行った。やがて、その鶴が客の手拍子に合わせて舞い出すというのが判り、評判となって酒屋は大繁盛し、辛は大金持ちになった。十年ののち、老人が再び店に現れ、笛を吹くと壁の黃鶴が抜け出して、老人はその背に乗って白雲の彼方に飛び去った。老人は仙人だったのである。その後、辛はこの地に楼閣を建て、黄鶴楼と名づけたという。

 実際の黄鶴楼は呉の時代に物見櫓として建てられたものだったようだが、その後は破壊と再建が繰り返され、現在のものは1985年に再建されたものだという。
 で、その黄鶴楼だが、前庭のスペースがそんなに広くなく、人影が途切れることもないので、なかなか思うような写真は撮れなかった。
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 楼の正面には鐘楼?のようなものがあったが、
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 こちらには行かなかった。

 黄鶴楼の中に入る。
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 1階には大きなタイル画?が架かっていて、仙人が鶴に乗って飛び去るシーンが描かれていた。
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 実は黄鶴楼には、この右手に高齢者の利用を想定したエレベーターが一基設置されていて、われわれのツアーはこれで5階まで行き(直通運転なのだ)、下りはまたエレベーターで戻る者と、階段で各階を見ながら戻る者とに分かれる計画になっていた。われわれはもちろん階段を選んだが、行動が自由になるのは大変良かった。
 5階からの眺め。
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 黄鶴楼は蛇山という高台にあるから、要するにここは武漢市街を一望できる展望台なのだった。とりわけ素晴らしかったのがこちらの眺め。
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 長江と、先ほど渡って来た武漢長江大橋が見えている。橋の上段だった道路が左側に出て、下段の鉄道線路が右に来ているのが判る。間に見えているオレンジ色の屋根は西門で、こちらは駐車スペースなどがないから、われわれは反対側の観光客用に整備された入口から入って来たのである。
 次はもう少し左を見たところ。
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 さっき大橋の上から見えた隣の赤い橋が見えている。
 周囲の欄干に沿って回っている時、下の線路を流線型の列車が通過して行った。
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 あわててシャッターを切ったのだが、原板を拡大してみると、車体に「CRH」と「和諧号」の文字が(「諧」は簡体字だったが)読み取れた。中国の高速鉄道である。これ、写せたの、すごく奇跡的だったんじゃないか!

 このあとは順に階段を下りて行った。楼の内部には階ごとにいろいろな展示があったのだが、4階には何かよく判らない大きな絵が掛かっていた。
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 この階で、さっき入口のところで写真を撮らせてもらった母子とまた出会った。
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 急に抱き上げられたので、男の子は驚いてしまったようだ。
 4階からの眺め。
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 ↑これは最初に黄鶴楼を見上げた場所である。石段の上の奇妙な鐘楼?(調べたら千年吉祥鐘と言うらしい)も見えている。その向こう、頂上らしきところにある建物は白雲閣と言うようだ。あと、左がカートを降りたところで、木の陰にカートが止まっているのも見える。
 武漢長江大橋の方に回って行くと、ちょうど貨物列車がやって来るところだった。
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 かなり望遠で撮ったので、列車が陰に入ったところでレンズを戻すとこんな感じ。
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 西門と、その手前の公園である。このあと、右側に列車が顔を出すのを追って、
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 列車が走り去るのを見届けた。原板を拡大すると、先頭の電気機関車の側面にも「和諧」の文字が読み取れた。調べてみると、「和諧」は調和・ハーモニーの意で、高速鉄道の名前になっているという記事はあるが、貨物を牽引する機関車についての記述は見つけられなかった。

 階段を下りる(ちょうど人が途切れたので撮ってみた)。
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 3階には黄鶴楼に関する文学作品などの資料が展示されていた。漢詩のコーナーもあって、さっきの崔顥(さいこう)の詩もあったが、李白のこの詩も紹介されていた。
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 黄鶴楼と言われてわたしがすぐに思い出すのはやはりこちらの方で、今回の旅ではこの感じを少しでも確かめられたらという気分も少しだけあったのである。
 「黃鶴樓送孟浩然之廣陵(こうかくろうにてもうこうねんのこうりょうにゆくをおくる)」
 「故人西辭黃鶴樓/烟花三月下揚州/孤帆遠影碧空盡/惟見長江天際流」。
 現代仮名遣い・平仮名の書き下し文、「こじんにしのかたこうかくろうをじし/えんかさんがつようしゅうにくだる/こはんのえんえいへきくうにつき/ただみるちょうこうのてんさいにながるるを」。
 これは、しみじみといい詩だなあと思うのである。

 2階には岳陽楼の時と同じく、いろいろな時代の黄鶴楼の姿がミニチュアで展示されていた。
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 これは現代の姿で、西門の方から見たところ。
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 以下、清代。
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 明代。
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 元代。
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 宋代。
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 唐代。
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 やはり、各時代でまったく姿を変えていることが判る。李白が登楼した唐代のものは2層だが、周囲の建物に比べて層そのものが高く作られているようで、詩のような景色は十分に見ることができたと考えられる。

 1階に下りた。1階にはショップなどもあって、
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 黄鶴楼は、建物としてはもはや昔とはまったく関係がない、記念の観光施設になってしまっているようだった。だからエレベーターも付いていたのだし、昔の建物が残っていない以上、こうしたあり方も仕方がないことなのだろうと思った。
 またカートで元のところに戻り、外に出てバスに乗ったのは11時40分ぐらいだったと思う。

 バスでちょっとだけ移動して昼食場所に向かった。バスはやや離れたところに停まったので、少し歩いた。
 何かいろいろな穀物のようなものを売っていた小父さん。
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 こちらでは月餅などを売っている。
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 レストランはここ。
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 撮影時刻は11時55分だった。

 昼食を終えて外に出たのは午後1時過ぎ。再びバスに乗って午後の見学地に向かう。午後は黄鶴楼と同じ武昌エリアにある湖北省博物館である。
 橋を渡った。
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 見えているのは川ではない。武漢の地図を見て驚いたのは、市内のあちこちに大小とり混ぜた多くの湖が散らばっていることだった。恐らく長江の流域が変遷したのと関係しているのだろうが、これもそうした湖の一つだったと思われる(それにしてもこの横断幕、美観を損ねているとは思わないのだろうか)。

 到着。この写真の撮影時刻は午後1時39分。
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 なんか博物館とは思えない偉容である。
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 中に入ると、これも博物館とは思えない吹き抜けの広々としたロビー。
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 帰ってから確認してみると、この湖北省博物館には旧石器時代から近現代に至る文化財約20万点が収蔵されており、広い館内にはテーマ別の様々な展示室があったようだ。もちろん限られた時間で全部を回ることはできないから、専属の説明員(中国語)とともに最も見どころとされる部屋だけを見学した。説明員の言葉をガイドの徐さんが翻訳してくれるかたちだったが、あまりちゃんと聞いていたわけではないので、やはり帰ってから調べて書かなければならない。

 見学したのは、春秋戦国時代の楚の遺跡の一つ、曾侯乙墓(そうこういつぼ)という墓から出土したものの展示だったらしい。入口。
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 写真はたくさん撮ってきたが、解説などはできないので、印象的と感じたものを以下に並べてみる(どれも青銅器である)。
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 これらは礼器と総称され、食器であるとともに祭器という側面も持っていたようだ。
 大きなものもある。
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 これらは酒器(甕)として使われたものらしい。
 次は驚いた。「編鐘(へんしょう)」という古代の楽器で、
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 木の棒で叩いて音を出すものだったらしい。
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 立てかけてある棒と一段目の上に置かれている棒がそれである。
 鐘は全部で65点あり、完全なかたちで見つかったのは初めてだったらしい。発掘された後、何回か実際に演奏されたようだが、中国にはこの時代から「七音音階」(よく判らないが)が存在していたことが証明されたのだという。
 いろいろな楽器も見つかったようだ。
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 鎧(馬に着せる鎧もあったのだ)。
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 以下は陶磁器と思われる。
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 小物。
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 大変充実した展示だったと思う。旧石器時代の部屋などもあったようだから、時間があればもっといろいろ見たかったが仕方がない。館内案内のような簡単なパンフレットがないか徐さんに聞いてもらったら、いまは紙に印刷したそういうものは時代遅れになっているようで、スマホにQRコードを読み込むと、音声ガイド付きの案内が出てくるような仕掛けが出来ているということだった。

 外に出て、バスに乗った時には午後3時半を過ぎていた。
 帰る途中にまた長江を渡ったが、朝とは反対側だったので別の橋が見えた。
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 ホテルに戻ったのは午後4時ごろだった。

 この日はまだ続きがあるのだが、一旦ここで区切ることにする。
by krmtdir90 | 2018-09-30 12:12 | 海外の旅 | Comments(0)


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