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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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中国の旅④閬中~大足石刻~重慶~長江1(2018.9.6)

9月6日(木)

 天気予報は雨だったようだが、起きてみたら雲は垂れ込めているものの降ってはいなかった。
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 この日は、朝、閬中を発って、途中、大足(だいそく)という町に寄って世界遺産の石刻を見学し、重慶に戻って、夜、長江下りのクルーズ船に乗船することになっていた。大半がバス移動なので雨は気にしていなかったが、石刻の見学中に少しぱらついた程度で、終日曇り空の一日だった。
 かなり長距離の行程になるので、ロビー集合は7時40分と設定されていた。スーツケースも7時までに部屋の外に出さなければならなかったから、けっこう忙しかった。

 バスは7時50分ごろホテルを出発した。
 しばらく閬中の市街地を走ったのち、
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 高速道路に乗って、南南西約300キロに位置する大足に向かう。
 1回目の休憩。
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 2回目の休憩。
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 日本のサービスエリアと比べると、どこもずいぶん閑散としている感じだった。高速道路そのものも車は少なかった。
 大足東インターで高速を下りる。
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 撮影時刻は12:23である。

 少し走って、
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 大足市内のホテルのレストランで昼食になった。
 食後、ホテルの前でバスを待ちながら一服。
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 間もなく午後1時半である。

 バスで10分ほど走って大足石刻(だいそくせっこく)に着いた。石刻は市内の何カ所かに分散しているようだが、われわれはその中から宝頂山石刻というのを見学する。
 バスを降りたところからかなり距離があるようで、
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 ゲートのある入口まででもけっこう歩かなければならなかった。
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 中に入ってからも、まだかなり歩かなければならないようだったが、
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 そこはわれわれのような高齢者のために、右手の所に例の大型カートが用意されていて、脇の専用道路を走って一気に石刻の近くまで行けるようになっていた。
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 お世話になりました。
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 降りたところにもう一度ゲートがあった。
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 ちょうどこのあたりで、折悪しく弱い雨が降り出してしまった。傘を出すかどうか迷う感じだったが、一応傘を差して中に入った(ただ、この雨は強まることはなく、15分ぐらいでほとんど止んでしまったのでよかった)。
 ゲートを入って、この石のアーチをくぐると、
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 すぐ先から石刻が始まっていた。
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 大足石刻というのは、唐代末期から宋代にかけて彫られた磨崖石刻像で、後から付け加えられたものも含めて約5万体が大足の各所に残されているようだ。宝頂山石刻はその代表的なもので、仏教像を中心として、儒教・道教の像なども混ざっているらしい。ここでは、ここ専属の説明員(中国語)が付き、ガイドの李さんを経由してわれわれに伝えられるかたちになった。要所要所で丁寧に説明してくれていたが、もちろん覚えていられるわけもないのだから、とにかく撮ってきた写真を順に並べていくことにする。
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 ↑この下の部分は作成途中で放置されたもののようだ。
 大きな崖の面ごとにひとまとまりのストーリーを作っていたようだが、部分部分に散りばめられた挿話は、もう何がどれやらまったく判らなくなってしまっている。
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 前にせり出している像も、後から石を付け加えたのではなく、すべて元の岩から彫り出したものなのである。
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 ↓この石刻の前のあたりはちょっとした広場のようになっていて、
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 右手に巨大な釈迦涅槃像が刻まれていた。
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 全長は31メートルもあるということで、とても一枚の写真には収められなかった。
 向かいにはこういう建物があって、
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 中には金箔を施された千手観音像があった。
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 説明によれば、全部で1007本の手が出ているという。建物の外に出て、横から像を見ることができるようになっていた。
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 この手の指の一つ一つを見て心底驚いてしまった。これがすべて磨崖によって岩から浮き出させたものだというのは、ちょっと信じ難い気がした。
 次は華厳三聖仏像というもので、
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 左の像は手のひらに石塔を載せているのだが、
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 この石塔だけで重さが500キログラムもあるのだという。これだけの重さを支えたまま、800年も倒れないで残ってきたのは驚異と言うしかない気がした。
 次は六道輪廻図というものらしい。
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 このあとも石刻は続いていたが、見どころはほぼ終わっていたのか、進むペースも速くなり説明も簡単になっていった。
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 この最後のものなどは、後世になってから付け加えられたもののように思われた。

 実は向かいの崖にも石刻が並んでいたようだが、そちらには行かなかった。
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 全部見ていたらとても時間が足りなくなってしまうだろうし、ここまでで十分見せてもらったと思った。
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 出口は入口とは別の所になっていた。
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 このあと、帰りのカート乗り場まで歩いた。位置的には石刻の崖の上になるようで、さっきの石刻が下の方に見えていた。
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 門があり、
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 土産物などを売る露店が並び、
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 その向こうに乗り場があった。
 カートは最初とは違うルートを走って、最初の乗り場とは違うところに着いた。外の駐車場まではまた少し歩くようだったが、午後4時半ごろ、バスはわれわれを乗せて大足石刻を後にした。

 重慶まではまだ200キロ近くあると言っていたが、バスは高速道路を休憩なしで走り切った。かなり時間が押していたのだろう。
 高速を降りて、市街地が始まってからもかなり走った。
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 重慶は人口3000万人の大都市だという。このあと、市の中心部にある高層ビルの展望台から、町の眺めを楽しむことになっていたが、そこに入って行く橋の上で渋滞に捕まってしまった。なかなか前に進まない。
 ↓この下のイルミネーションがインスタ映えするスポットになっているようで、若者がひっきりなしに橋の途中まで出て来て、思い思いにスマホを構えていた。
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 バスを降りたのは午後6時40分過ぎだったと思う。
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 目指すビルはこれらしい。
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 これはWFC(重慶環球金融中心)という複合ビルで、73階がSKYVIEWという展望台になっているのだった。外から一旦地下に降りると、
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 そこに直通エレベーターの乗り場があり、高速で一気に73階まで連れて行ってくれた。
 で、これが急激に変貌したという重慶の町の眺望。
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 ↑ここが嘉陵江と長江の合流点だが、どちらがそれなのかは聞いたはずだが覚えていない。撮影時刻は19:02、すでにネオンがまたたき始めているが、かろうじて絶景が見渡せるギリギリの時間に間に合ったということだろう。
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 どこかに以前の重慶の写真が掲示されていたが、近年の経済発展はめざましいものがあり、都市の姿も日々変化を遂げているということのようだ。
 けっこう時間に急かされる感じで下に降りると、いま上って来たビルもイルミネーションに彩られていた。
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 このあと、徒歩で近くのビルの6階にあるレストランに行き、やや慌ただしい夕食になった。クルーズ船の予定があるから、あまりのんびりはしていられないのである。
 食事を終えて外に出ると午後8時を過ぎていた。繁華な通りを歩いてバスの駐車場へ。
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 ↑これは人民解放記念碑というもので、このあたりを解放碑広場と言うらしい。

 バスは夜の市内を走り、ようやく長江沿いの船着き場に着いた。写真はバスを降りる時に撮ったこの一枚しかない(撮影時刻は20:42)。
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 左にクルーズ船が停泊しているが、われわれの乗るチャイナゴッデス1号はこの向こう側にいて、手前の船を通り抜けるかたちでの乗船になった。

 今回の長江クルーズでは、旅行社がこの比較的大きなクルーズ船を借り切っていて、3泊4日の船旅を組み込んだ様々なコースを募集していた。違ったところを回ってきたグループや、このあと違うコースに行くグループなど、全部で12グループ144人がこの日この船に集結して、この期間だけ一緒に長江の旅を楽しむことになっていたのである。われわれのグループは終わりの方の乗船だったようだが、どのグループもけっこう予定より遅れていたということだった。
 船は5階建てで、さらにその上にサンデッキなどがあった。フロントは2階にあり、客室は2~5階に並んでいた。われわれの部屋は4階の4003号室だった。
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 ベランダからの眺め。
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 サンデッキにも行ってみた。
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 9時半から5階の多目的室(乗客全員が入れる催しもの場)で、インフォメーションと避難経路の確認などが行われたが、途中で船が出航したので、早々にお開きとなった。
 再びサンデッキに上がったが、混雑していたので、まだみんな気付いていないらしい穴場の後部デッキに行って、しばらく遠ざかる重慶の町を眺めていた。
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 この最後の写真の撮影時刻がちょうど午後10時だった。
# by krmtdir90 | 2018-09-19 22:24 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅③江元・剣門関(2018.9.5)

9月5日(水)

 起きたら雨が降っていた。しかも、けっこうしっかりした降り方である。
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 この日は、バスで160キロほど北方にある江元(こうげん)という町に行き、剣門関(けんもんかん)や蜀の桟道(さんどう)というのを見学することになっていた。バス移動が主になるとはいえ、山中の見学に傘が必要というのは少々辛い気がした。だが、10日間のツアーでは期間中に雨の日が交じるのは仕方がないことだし、昨日のような終日徒歩の散策の時に降られるより良かった(暑さには参ったけれど)と考えるべきだろう。

 9時にロビーに集合して出発した。
 雨は降り続いていた。バスの窓ガラスにも雨滴がついて視界を遮っている。
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 高速道路を走るうちに、途中小止みになる時もあったが、
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 トイレ休憩を取ったサービスエリアでは、また傘が必要だった。
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 今回の旅では、現地ガイドは3人がリレーするかたちになっていたが、最初から長江の船に乗るまでを担当した李(リ)さんという人が素晴らしい人で、日本語は上手いし話も面白いので、長いバス移動でも飽きることがなかった(ずっとしゃべり続けていたわけではないが)。
 中国の大学を出た後、日本の天理大学に留学したということで、朝夕新聞配達をしながら勉強したのだという。関西に住んだので、関西人的な笑いのセンスが身についていたのかもしれない。天理大学を選んだのも、天理教がお金をたくさん持っていて、学費がケタ外れに安かったからだとか、中国は社会主義の国だけれども、貧富の差が極端に広がっていて、医療や福祉のことを考えると、日本の方がずっと社会主義なんじゃないかといった話は、なるほどなと印象に残った。

 江元が近付いてきたころ、高速道路の先の方で事故があったらしく、下りる予定のインターチェンジが大渋滞になっているという情報を(スマホで)キャッチして、一つ手前のインターで下りる判断をしたのも李さんだったようだ。すでに手前のインターも混み始めていたが、何とか一般道に出て事なきを得た。
 バスは次第に山道に入って行く。
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 激しい雨が降ったらしく、平行する川の水が茶色く濁っている。

 やはり時間的にはかなりロスしたようで、剣門関に近い昼食のレストランに着いた時には午後1時を回っていた。
 雨は降り続いていて、レストランの前もけっこうな水たまりになっていたりして、店の外観などを撮影することは出来なかった。
 次の写真は、食後に煙草を吸いに出た中庭のようなところで撮ったもの。
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 ↑一旦屋根のないところを通っていくと、向こうが正面入口になっている。
 ↓この奥まったところが食事をした個室になっていた。
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 昼食を終えて外に出る時、入口の軒下から写した周辺の街並み(撮影時刻は14:05だった)。
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 すぐ前にバスが停まっているが、この距離でも傘が必要な感じだった。このあたりは、剣門関に来た観光客に向けた店が集まっているところだったらしい。

 バスでほんの少しだけ移動して下車した。傘を差して歩き始める。
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 こちらが剣門関の入口。
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 入るとすぐの所に石造りの門があり、
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 その先に林間の道が続いていた。道は石畳で整備されており、ほぼ平坦だったので、雨で滑りやすくなっていたものの、それほど歩きにくいものではなかった。ただし、依然として傘は必要な感じで(しかも折りたたみ傘だったので)、途中で写真を撮るのは非常に困難だった。
 道の脇には茶色く濁った流れがあったが、
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 ガイドによれば、ここは普段は水がちょろちょろ流れているだけの目立たない川原だということだった。また、反対側の高い崖からは、普段は存在しないらしい滝が飛沫を上げて落下していて、こんなのが見られるとは驚いたと言っていた。
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 ここでちょっと、この剣門関について整理しておきたいと思う。現地でいろいろ説明はあったが、三国志に興味がなく、例によって事前学習をして行ったわけでもないので、すべて帰って来てからの付け焼き刃である。
 魏・呉・蜀の三国が鼎立した三国時代には、このあたり(剣閣)は蜀の都・成都への途上にある要衝の地であったようだ。北方の魏が蜀を攻めた時、別ルートで入った魏軍が成都を落城させるまでこの剣門関は持ちこたえ、最後まで落ちることがなかったということらしい。両側から高い岩山が迫り、攻め落とすのがきわめて難しい地形だったようだ。これ以来1700年の歴史の中で、ここは100回以上も争いの場所となったが、難攻不落で一度も落ちなかったと伝えられているらしい。
 明治時代の日本の唱歌「箱根八里」に歌われた「一夫(いっぷ)関(かん)に当たるや万夫(ばんぷ)も開くなし」(一人の兵が関所の守りにつくや、一万の軍勢が攻めても開くことはできない)というのはこの剣門関のことを指しており、道の途中に置かれた説明看板の一つにも「一夫当関、万夫莫開」の文字が記されていた。
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 さて、途中には当時の武器などを再現したものが置かれたりしていたが、あまり興味がなかったし、雨も降っていたのでほとんど写真に撮っていない。
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 ↓ここは「姜維(きょうい)神像現景点」という場所で、奥に見えている岩山が、剣門関を守り抜いた蜀の武将・姜維の横顔に見えると言われているところらしい。
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 そう言われても、どこがどうなっているのかさっぱり判らず(雨も降っていたし)、まあ、見立てなんてだいたいそんなものなんだよね。
 横の川に石の橋が架かっている。
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 これを渡った先に、再建された蜀の桟道というのがあり、帰り道にちょっと立ち寄ることになる。
 反対側の崖の中には「第一関(だと思う)」と刻まれた小さな石碑が埋もれていた。
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 崖を見上げる。
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 崖を見上げているのは、雨が小降りになってきたからである。
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 観光を意識して設置されたと思われるレリーフ。
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 橋を渡る。
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 これも最近設置されたらしい像。
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 姜維率いる蜀軍ということらしい。
 向こう岸に何やら建物が見えている。説明があったかもしれないが、覚えていない。
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 そして、こちらに見えてきたのが目的地・剣門関の剣閣という楼閣。
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 こちらが蜀の初代皇帝・劉備元徳の像である(ひどいピンボケだ)。
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 もう一度橋を渡って行くと、
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 荒涼とした風景の中に剣閣が建っていた。
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 実に幸運なことに、この時雨はかなり小降りになっていて、傘がないとまだ濡れる感じはあるものの、わたしは撥水性のあるウインドブレーカーを着ていたので、面倒だから思い切って傘は閉じてしまった。レンズに雨滴がついているのはそのせいである。

 ここのスケールの大きさをカメラで切り取るのはほとんど無理である。両側から高い断崖が迫っていて、ちょうど高層ビルのビル風と同じことなのだろう、ここに来てかなりの強風が剣閣の方から吹いて来るのである。
 われわれはガイドに促されて石段を上がり、強風に煽られながら剣閣の向こう側に出た。
 視界が一気に開け、目の前がかなりの急坂で谷底に落ち込んでいた。
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 いまでこそ石段が整備されているが、
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 昔はこんなものはなかっただろうし、こちらから攻め上ることはまず不可能な地形であるのが納得された。凄いところに関を構えたものである。
 さっきの川は見えていなかったが、たぶんこのあたりで幾重もの滝となって落下しているのだろう。
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 断崖の中腹に、再現された見張り台が張り付いていた。
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 どうやってここに行くんだ?と考えると、考えるだけで足が竦む気がした。

 調べてみると、剣門関にこのような立派な楼閣が建てられたのは明代のことで、現在の剣閣は2008年5月の四川大地震で倒壊したのを復元したものなのだという。
 さて、帰る頃になって雨はほとんど止んだ。まだ少し顔に当たる感じはあるが、ずっと降り続くことを思うとラッキーと言うべきだと思った。みんな傘をたたんで帰る。
 剣閣と見張り台。
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 橋の上から剣閣と見張り台(まだ見えている)。
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 橋の上で記念写真も撮ってもらうことができた。

 帰る途中で先ほどの石橋を渡り、蜀の桟道に立ち寄った。
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 もちろん昔の桟道が残っているわけはないから、これは史実に従って最近整備されたものである。見て判る通り、これは下から支えているのではなく、岩肌に木材をハーケンのように打ち込み、それに板を渡して作った道なのである。ここは入口の所だからすぐ下に地面があるが、この先はどんどん絶壁を登って行って、かなり高いところを通って先の方まで行けるようになっているらしい。
 計画では、これをかなりちゃんと体験してみることになっていたらしい。このブログの熱心な読者なら判ってもらえると思うが、高所恐怖症のわたしとしてはとうてい受け入れることのできないプランだったのである。だが、何という幸運だろう、少し歩いてみたガイドと添乗員が、板がかなり濡れていて滑りやすくなっており、危険なので先に行くのは中止すると判断してくれたのである。何と適切な判断だろう。そういうわけで、ずっと降り続いた雨のおかげで(残念ながら!)蜀の桟道の見学は終わりになったのである。
 桟道の入口の所に埋め込まれていた石板。
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 「天下」の下に何とあったのかは不明。
 帰り道、雨が止んでいたので、さっきの一時的にできた滝を近くまで行って見て来た。
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 滝壺のような凹みがないから、確かに普段は存在しない滝なのだろう。

 駐車場に帰り着き、バスが出発したのは午後4時ごろだったと思う。
 高速道路の途中で立ち寄ったパーキングエリア。
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 服務区がサービスエリアで、パーキングエリアは停車区と言うようだ。
 猫がいた。
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 帰着が予定よりかなり遅くなってしまったので、計画では一旦ホテルに戻ることになっていたが、バスはそのまま夕食のレストランに直行してくれた。
 レストランは昨夜行った店のすぐ隣だったが、こちらでは2階の個室に通され、明らかに格上の店だったことが判った。閬中最後の夜だから、旅行社もそういう並べ方をしたのだろう。
 なお、この旅行社(ワールド航空サービス)のツアーでは、ツアー期間中に誕生日を迎えるお客がいると、適当な日にバースデーケーキを用意してみんなで祝うという風習?があった。今回はたまたま妻が該当していて、この晩がその披露の日に設定されていた。写真などもあるのだが、恥ずかしいからここには掲載しない。
 次の写真は終わってから外に出て写したものである。
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 カメラのデジタル記録だと、撮影時刻は20:23だった。
 この日は汗をほとんどかかずに一日を終えることができた。 
# by krmtdir90 | 2018-09-18 21:40 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅②閬中古城(2018.9.4)

9月4日(火)

 閬中(ロウチュウ)の朝。
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 快晴である。朝食のあと、正面玄関の外で一服してから、ちょっと嘉陵江(かりょうこう)のほとりに行ってみることにした。時刻は午前7時50分である。
 川べりの遊歩道を地元の人がけっこう散歩している。
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 泳いでいる人もいる。
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 ホテルの前の道をバイクが走っている。
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 ほとんどのバイクがビニールの日除けをつけている。
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 誰もヘルメットをしていないが、そのあたりはかまわないのだろうか。
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 エンジンの音が聞こえないので、あとでガイドに聞いてみたら、これらはみんな電動バイクなのだという。最近、急速に普及しているらしい。

 この日は徒歩で閬中古城を見学する。
 9時にロビーに集合して出発した。
 外に出ると、すでに気温はかなり上がっていて、予報では最高気温33度ということだったようだが、昼頃には少なくとも37~8度にはなっていたのではなかろうか。湿度があるので、少し歩いただけで汗が噴き出してくる。
 ホテルの前の嘉陵江沿いの道を右に少し行くと、古城に入って行く西門というのがあった(完全な逆光だ)。
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 門の脇の日陰で、地元の人が何やら踊っている。
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 門を入ると、少し先で車はシャットアウトになっていた。
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 この横の木陰で、古城の地図を見ながらガイドの説明を聞いた。こちらからだと西門は順光になるので一枚。
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 この門はごく最近作られたもののようだ。

 さて、中に進んでいくと、左手にちょっと目立つ建物があった。
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 これ、中学校だという。
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 何かものものしいスローガンのようなものが掛かっていて、意味はよく判らないが「習近平新時代中国特色社会主義思想」といった文字が読み取れる。
 右手の門にはいろんなプレートが貼られていて、
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 「四川省閬中中学」の上に「中国共産党閬中中学校/規律検査委員会」というようなものがあったりして、うーんといった感じである。
 門が開いていたので、ちょっと中の校舎を写させて貰いました。
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 中学校の塀(左)に沿って進んで行くと、
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 その先にまた目立つ建物が見えた。
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 ここは張飛廟である。
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 「漢桓侯祠」とあるが、「祠」は先人を祀るやしろ(廟)の意で、桓侯(かんこう)というのが張飛の諡(おくりな・貴人の死後に贈られる名)であるらしい。
 実は、張飛廟というのはこのあと向かう長江のほとりにもあって、5日目にそちらを見学することになっているので、ここでは中に入らなかった。

 張飛廟を過ぎるあたりから古い街並みが始まっていた。
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 様々な商店が並んでいるが、どの家も黒っぽい屋根瓦が印象的で、奥に人々の暮らしが見え隠れしていた。ある程度は観光客を意識しているようだが、地元の人のための店も多く、生活感のある家々が並んでいると思った。

 しばらく行くと、古城の中心をなす中天楼が見えてきた。
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 こちらからだと完全な逆光である。
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 楼の下は四つ辻になっていて、
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 右折した左側に付属の建物があり、そこから楼に登れるようになっていた(もちろん有料である)。
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 こちらからだと光の具合が良く、きれいな写真が撮れる。
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 で、狭い急な階段を上って、楼上からの眺めである。
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 奥に現在の閬中市街が見えている。
 古城の部分は重量感のある瓦の連なりが見事である。
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 洗濯物が干してある。
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 下の道路を、張飛の仮装行列が歩いて行った。
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 ここにも洗濯物が。
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 こちらでは屋根瓦の修理だろうか。
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 道に面したところは店舗になっているが、その奥には普通の暮らしが営まれているのである。
 2階に下りた。ここにはこんな像が置かれていた。誰なのか聞いたと思うが、例によってメモなど取っていないから判らないのである。
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 2階からの眺め。
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 下に下りて、狭い中庭のようなところから。
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 以上で中天楼の見学は終わり。外に出て、中天楼の下の四つ辻に立って上を見上げると、楼の底部に方角を示す円盤が埋め込まれていた。
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 再び古城の中を歩いて行く。
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 家と家の間の狭い路地。
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 路地の奥に暮らしの気配が感じられる。
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 晴れたのはいいが、日差しは強く、湿度も高いので、日なたは耐えがたい暑さである。
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 この建物は資料館か何かだったようだ(入らなかった)。
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 木陰に地元の人たちが集まっている。これから何か踊りでもするのだろうか。
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 この左手が小さな公園のようになっていた。
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 公園の向かいに貢院という建物があった。
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 ここは、明・清時代まで続いた科挙(官吏登用試験)の試験場で、当時の様子が人形などを使って再現されているのである。
 入ってすぐのところに資料などを展示した部屋があって、そこでガイドの説明を聞いたあと、次の建物に向かう。
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 入口にそれらしい衣装をつけた人がいるが、専属のガイド(説明員)か何かだろうか。
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 これは人形。試験官だろう。
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 これが答案用紙の実物。
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 試験はすべて論述式で、科目ごとの制限時間はなく、3日間缶詰めになってすべての答案を作成したらしい。
 敷地はけっこう広く、いろいろな建物がある中を奥に進んで行く。
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 それぞれの建物に様々な資料が展示してあったが、これはその中の一つ。
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 細かくて判読しにくいかもしれないが、清代の四川省あたりにおける出身地別科挙合格者(挙人と言うらしい)の数である。閬中が54人と飛び抜けて多く、優秀な人材を輩出した当時の中心都市であったことがうかがえる。
 弓矢の試験などもあったらしい。
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 これが一番奥の建物で、いまは付設のショップのようになっていた。
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 ここから左手に回り込んで行くと、号舎と呼ばれた実際の試験場が再現されていた。
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 受験生は、この三方を囲まれた独房のようなところに閉じ込められたらしい。答案作成の合間に食事や睡眠を取ることは自由だが、常に監督官が巡回し、3日間外に出ることは一切許されなかったようだ。人形がその様子を再現していた。
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 右は答案作成中、左は机の板を下に移して休憩中ということのようだ。

 貢院の見学を終えて、このあとは昼食である。古城内のレストランに徒歩で向かうことになっていたが、とにかく暑いし、比較的高齢者の多いメンバーだったので、添乗員が気を利かせて、古城内限定で走っているシャトルバス?(大型のカートのようなもの)をチャーターしてくれた。
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 これは有り難かった。
 で、これがレストランの入口。
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 何か由緒ある建物の中を抜けて行く感じで、レストランそのものはかなり奥まったところにあった。
 あまりに暑かったので、昼ビールにしてしまいました。ビールの缶にも張飛の図柄が。
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 食後。屋外の喫煙席。
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 喫煙席からの眺め。
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 入口からずいぶん奥に入って来たので、こちらは観光客などの来ない裏通りのようだった。地元の人が普通に使うレストランとしての入口はこちらの方らしかった。
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 このあと、さっきのシャトルバスをこの前の通りまで呼んで、西門の手前まで送ってもらうように手配してあった。本来は歩く予定だったようだが、この暑さではどうにもならない。この臨機応変の処置は添乗員として大ヒットだったと思う。
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 西門を出てからは歩くしかなかったが、暑さの盛りだったからだろう、他に歩いている人影はまったく見えなかった。
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 ↑このお店、カラオケ屋さんである。KTVというのがカラオケのことらしい。
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 ホテルに戻ったのは午後1時半ぐらいだった。

 午後は一応自由行動となっていたが、暑さが厳しいのでしばらく休憩して、午後3時から添乗員が希望者を別ルートで中天楼まで連れて行ってくれるという。
 一時間ほど部屋で昼寝して、せっかくだから行ってみることにした。

 その時間になっても暑さは相変わらずだったが、空は雲が広がっていて、日差しがなくなったぶん楽になったような気がした。
 ホテルの前の道を今度は左の方へ、嘉陵江の遊歩道伝いに歩いた。先に方に、川の中に少し張り出した展望スペースのようなところがあって、そこからの眺め。
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 ここから古城の中に入った。
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 入ってすぐのところにお酢を売っている店があった。
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 お酢はこのあたりの特産らしく、店先のこの臼のようなものからお酢が流れ出ていた。
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 店の人が出てきて試飲をさせてくれたので、みんなで何となく中を物色するかたちになり、妻は料理用の黒酢の小瓶を5本ほど買い込んでいたようだ。
 この足裏のマークは、お酢を使った足のマッサージをしてくれる店だという。
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 こちらの清真牛肉というのは、張飛牛肉と同様の製品の別銘柄らしい。
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 立派な屋根瓦である。
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 このあと中天楼に着いて、人通りも少なかったので、さっきは撮れなかった記念写真などを撮ってもらった。
 猫。
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 屋根の上の龍。
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 ちょっとホイアンの旧市街(ベトナム)を思い出した。
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 足のマッサージ店が集中している。
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 次は、古城内の建物を生かした小さなホテル(宿屋)らしい。
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 「今日有房」というのは「空室あります」という意味だろう。
 次もホテルだが、
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 この建物は何やら重要な建物だったらしく、横の方に仰々しい石碑が立っていた(簡体字が交じっているので意味は判らない)。
 こちらは中の様子がわからないが、小学校らしい。
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 さらに行くと立派な城門があった。
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 南門楼とある。この先にも古城のような家並みは続いていたが、もしかすると後からそれらしく付け加えられた所だったのかもしれない。
 また、猫。
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 犬もけっこう見かけたが、犬はあまり写真に撮る気がしない。
 4時半過ぎにホテルに戻った。

 このあとは、午後6時にロビーに集合して外に夕食を食べに行った。レストランは午後の散歩で古城に入って行った入口の手前にあった。
 食後は、希望者でまた中天楼まで散歩をするという。もちろんついて行ったが、ライトアップされた夜の風情もなかなか良かった。
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 ただし、中天楼のライトアップだけはいただけなかった。
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 ここには一応緑色を載せたが、この他に赤・青・ピンクといった原色が数秒ごとに切り替わっていて、きれいだと言う人もいたようだが(人それぞれだ)、わたしには信じられない悪趣味としか思えなかった。まったく何を考えてこんなことをしているのか、想像を絶する気がした。
 まあ、それはそれとして、家並みの雰囲気はとても良かった。暑さもかなり和らいでいる感じで、地元の人たちも外に出て、思い思いのかたちで涼んでいるようだった。
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 帰り道、嘉陵江の遊歩道にもたくさん人が出ていて、集団で踊ったり太極拳をしている人たちもいた。暑い日には、昼間は家の中にいて出歩かず、朝と夕べに外に出るようにしているということなのだろう。
 午後8時20分ごろ、ホテルに帰った。
# by krmtdir90 | 2018-09-17 17:40 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅①往路・重慶~閬中(2018.9.3)

 今回の旅は中国である。海外旅行に興味を持った以上、近くの国だから一度は行っておきたいと思っていたところ、面白そうなツアー案内が来たので、急遽申し込みをした。タイトルは「四川屈指の古城閬中(ロウチュウ)と秋の長江三峡の旅」というもので、マイナー好みのわたしの嗜好にも合っている気がした。中国で古城とか古鎮(こちん)と言うと、歴史のある古い家並みが残っている町や村ということで、閬中(ロウチュウ)は日本ではあまり知られていないが、かの国では「中国4大古城」の一つに数えられているということらしい。ツアーはまずこの閬中古城を訪問する。

9月3日(月)

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 成田集合が午前8時だったので、八王子駅5:55発の成田エクスプレスで行くことにして、切符を取った。ところが、集合場所の成田第3ターミナルというのは、空港第2ビル駅からかなり離れたところにあって、シャトルバスを使って移動しなければならないことが後になって判った。行ってみたら、バスで空港の外れのようなところに連れて行かれ、そこには急ごしらえのプレハブのような建物が建っていた。

 結局、集合時間には10分ほど遅れてしまった。
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 目的地・重慶への直行便は、春秋航空日本というLCC(格安航空会社)のみが運航しているので、今回はこれを利用するのである。第3ターミナルは、ターミナルとしてはコンパクトな作りだったから、中をあちこち歩かされることがないのは良かった。手続きを終えて搭乗口に行くと、待っていたバスでかなり離れた飛行機のところまで運ばれ、タラップを使っての搭乗になった。

 春秋航空日本IJ1021便は10:00に成田を飛び立った。
 LCCなので機内は狭く、座席はエコノミーのみ、前後左右の間隔も普通のエコノミーより狭いように感じられた(窓際は本当に壁に押しつけられているように見えた)。ツアー客は事前に通路側に集められていたようで、景色は見えなかったが、少しだけ余裕がある感じで救われた。ただし、モニター画面などもついていないから、往路の飛行時間5時間15分というのは、わたしには耐えられる限界のような気がした。
 機内食などのサービスもなく、ちょうどお昼時にかかるので、旅行社が機内販売から一括購入するかたちで、簡素な牛丼弁当のようなものが配られた。食べるしかないから食べたが、率直に言って非常に不味かった。因みに、メニューで食事と呼べるものは、これとカップヌードルの2種類しか用意されていないらしく、帰路の夕食はカップヌードル(シーフードだった)になった。まあ、それでもカップヌードルはカップヌードルなわけで、狭苦しい飛行機の中でそれを食べるというのも、それはそれでなかなか珍しい体験ではあった。

 機内でマイナス1時間の時差修正を行い、飛行機は14:15に重慶の飛行場(重慶江北国際空港)に到着した。
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 セキュリティチェックはやはり厳しい感じだったが、混雑していたわけではないのでそんなに待たされることはなかった。↓この右手がスーツケースの受取所。
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 現地ガイドと合流して外に出る(この間の空港の写真がない!)。外には24人乗りの中型のバスが待っていた(↓この左に後部が写っている)。
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 10人+2人(添乗員・ガイド)のこぢんまりしたツアーなので、バスはすぐに発車した。空港の外観などはうまく写せるチャンスがなかった。
 天気は曇り。気温と湿度がかなり高く、事前の予想とはずいぶん違う感じだった。

 大きな通りに出た(ガラスの映り込みを計算する余裕がなかった)。
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 重慶市内を経由して、これから北方にある四川省・閬中(ロウチュウ)という町に向かうのである。天気は曇りなのだが、時折薄日が差すかと思うと、不穏な黒い雲がかかっているところもあって、間もなく激しい雨が降り出した。
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 こちらも異常気象で高温の日が続き、午後になると積乱雲が発達して、非常に変わりやすい天気になっているということらしかった。猛烈などしゃ降りで、あっという間に道路は冠水してしまい、バスは大きな水しぶきを上げながら走った。
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 少し時間がズレていたら、飛行機が着陸できなかったのではないかとガイドが言っていた。そのくらい凄い降り方だった。だが、もちろんにわか雨だから、重慶の市街地を抜けるあたりでは次第に小降りになり、
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 高速道路に乗ってしばらく行くと、雨は上がった。
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 このあと天気はめまぐるしく入れ替わった。青空が覗くかと思うと、一転、黒い雲に覆われて雨が窓をたたいたりした。

 重慶と閬中とは300キロほど離れているというが、主に高速道路を使った移動だったので、車窓の風景はあまり面白いものではなかった(窓ガラスが雨滴で曇ってしまうことも多かったし)。途中幾つかの市街地を通り過ぎたが、どこも急速に整備されたと思われる高層マンションの林立が見られた。中国は日々発展しているのである。
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 途中、一回目のトイレ休憩を取ったサービスエリア(武胜服務区と言うらしい)。
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 武胜というのが地名のようだが、簡体字が使われているとよく判らない。
 こちらがトイレ。
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 われわれのバス。
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 こちらの車は左ハンドル、右側通行である。
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 結構大きな町を通過した。南充市と言うらしい。
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 2回目のトイレ休憩。西充服務区とある。
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 付設のガソリンスタンド。
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 ゴミ箱と一体になった灰皿。
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 夕陽。
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 間もなく午後7時である。中国では国内で時差を作っていないから、北京を基準にすると、西方のこのあたりでは、感覚的にはさらにマイナス1時間という感じになるような気がした。

 閬中インターチェンジで高速を降りた。
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 「張飛牛肉」という大きな広告看板が掛かっているが、これはビーフジャーキーのようなこのあたりの名産品のようだった。閬中は「三国志」で有名な蜀の将軍・張飛の最期の地なのである(現地に行ってから知った)。

 午後7時40分ごろ、ようやく宿泊するホテルに到着した。
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 錦元張飛国際酒店という。
 前の道路を隔てて長江の支流である嘉陵江(かりょうこう)という川が流れ、川沿いに遊歩道が整備されていた。
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 この日はそのままホテル内のレストランに直行した。
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 ホテルのロビーに並んでいた奇妙な置物。
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 何か動物のようだが、何なのか聞かなかったので判らない。表情などは全部異なっているようだった。
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 この日は基本的に移動ばかりで、写真も少ないので、ちょっと地図を使って簡単に今回のコースを確認しておきたい。
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 青い下線を付けたところが関係する都市である。まず左方にある重慶に飛行機で入り、北方の閬中まで移動した。ここで3連泊し、明日(2日目)は閬中市内の見学、明後日(3日目)はさらに北方の江元まで往復する。4日目は閬中を後にして大足(だいそく)を経由し、重慶に戻って長江下りのクルーズ船に乗船する。この晩から船中に3泊して長江を下り(地図では右方に移動する)、途中何カ所かの上陸観光をして、6日目の夜に三峡ダムに至る(地図にダムの表示はないが、中央やや右寄りにある宜昌の西方となる)。7日目の朝、下船してダムを見学したのち、宜昌を経由して岳陽まで行って1泊。8日目は長江沿いを見学しつつ武漢に移動し、ここで連泊。9日目は武漢市内の見学。10日目の午後、武漢から直行便で帰国、となっている。
 中国には「3大火鍋(ひなべ)」と言われる気温が高くなる都市があって、重慶・武漢・南京がそれだったことを現地に行ってから知った。今回のツアーは、ほぼこの高温地帯をずっと移動していたことになる。雨が降って比較的しのぎやすい日もあったが、少しでも晴れると気温がぐんぐん上がり、たくさん水を飲み、たくさん汗をかくことになった。
# by krmtdir90 | 2018-09-16 15:25 | 海外の旅 | Comments(0)

映画「1987、ある闘いの真実」

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 2017年製作の韓国映画(監督:チャン・ジュナン)である。
 韓国で1987年の「闘い」と言えば、当時強圧的な軍事独裁政権を握っていたチョン・ドゥファン(全斗煥)大統領を退陣に追い込んだ広範な民主化闘争を指している。この映画は、現代韓国の大きな転換点となったこの出来事を、事実とフィクションとを巧みに組み合わせながら、文字通り真正面から描こうとしたものである。
 30年前のことだから、この出来事を体験した人もまだたくさん生きている一方で、このことを知らない世代も確実に増えてきていることから、これだけは何としても伝えていかなければならないという製作者たちの熱い思いが溢れている映画だった。上映時間は129分、終始この有無を言わせぬ熱量に圧倒されるばかりだった。
 わたしはひねくれ者だから、多くの場合、こういう熱さにはちょっと引いてしまう傾向があるのだが、この映画に限っては製作者たちの姿勢に全面的な共感を覚えるしかなかった。こういう映画が作られ、人々がこれを支持する韓国という国に対して、嫉妬と羨望の思いを抱く感じがあった。様々な理不尽がまかり通っているにもかかわらず、もはやこういうふうになることはまったく考えられなくなってしまった日本という国が無性に悲しかった。

 きっかけは、ソウル大学の一人の学生が警察の取り調べ中に死亡したことだった。当時の韓国では、敵である北朝鮮から国を守るという大義名分の下、反政府的な動向に対して厳しい弾圧が加えられていたのである。言論・報道の自由、集会・結社の自由などが奪われ、共産主義(スパイ)の疑いをかけられた市民に対する拷問なども日常的に横行していた。学生の死は当初は闇に葬られようとするが、疑問を抱いた一人の検事の抵抗から、のちに拷問死であったことが明らかになっていく。当局は暴力行為は一切なく単なる心臓麻痺と発表して誤魔化そうとするが、隠蔽された事実は徐々に表に出されて、真相究明を求める人々の動きが各所で顕在化していくことになる。映画はこの経過を軸に様々な人物を登場させ、複数のストーリーが絡み合うスリリングな群像劇として展開していく。
 こうした構図の群像劇では、登場人物の善悪は最初からかなり区別されているから、一人一人の人物像は類型的になったり表層的なところで終わってしまう場合も多い。ところが、この映画は表情のアップを多用しながら、それぞれが抱えた内面の葛藤をしっかり捉えようとしているように見えた。安易に流れやすい悪役側も含めて、人物造形がきちんと行われていることが感じられたのである。
 一例を挙げれば、この映画では悪役の筆頭として、逮捕者への容赦ない拷問などを指揮するパク所長は脱北者で、子どものころ家族を眼前で虐殺された経験から、共産主義撲滅に手段を選ばぬ執念を燃やすようになったと設定されている。これを演じたキム・ユンソクの存在感が素晴らしく、冷酷な外面だけでない屈折した内面をも感じさせて見事だった。

 映画としては歴史の暗部に切り込む重い題材を扱っているが、全体的には実に豊かな娯楽映画になっているところも見事だった。後半、人々の怒りに火がつき、学生を中心とした抗議デモなどが広がっていく中で、延世大学の学生が催涙弾の直撃を受けて死亡したのは実際にあったことだったようだ。映画はこの学生イ・ハニョル(カン・ドンウォン)も群像の中に登場させ、彼の闘争に対する躊躇などもきちんと描き出した上で、彼に淡い恋心を抱く女子学生ヨニ(キム・テリ)を設定して、娯楽映画としては必須のラブストーリーまでしっかり組み込んでみせるのである。
 ヨニの叔父ハンは刑務所の看守をしているが、陰で民主化運動の組織に属し、連絡員のような役割をしているという設定も効果的だった。ハンは顔が割れているから、ヨニは頼まれて何度か実際の連絡任務を代行したりしていたが、彼女自身は音楽やファッションにしか興味がない典型的な今どきの女子大生というところが巧い。そんな彼女もイ・ハニョルの死によって、大きくふくれ上がったデモ隊を前にした壇上に上り、一緒にシュプレヒコールを上げるのである。ラストシーンは、夕陽に照らされたこの情景を背後から捉えた引きのロングショットなのだが、これはやはり(判ってはいても)率直に感動してしまった。
 民主化が、わずか30年前の苦しい闘いによって獲得された韓国と、それがあるのが当然という気分の中で、急速にそれが劣化しつつある日本との大きな相違を感じないではいられなかった。
(立川シネマシティ1、9月14日)
# by krmtdir90 | 2018-09-15 11:41 | 本と映画 | Comments(0)


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