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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「運び屋」

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 監督・主演のクリント・イーストウッドは、この映画を撮った時87歳になっていたのだという。歳を取ることが人ごとでなくなってしまった身としては、かつて様々な役を颯爽と演じていたスターがすっかり歳を取ってしまい、その事実が判っていながら、なおその老いた肉体を晒してそこにいるというのは何か胸突かれる思いがするものだと思う。だが、ああ、こんなに歳を取ってしまったのかと衝撃を受けながら、その年齢にならなければなかなかやれないような役を見つけてきて、嬉々としてそれを演じ、そのことを心から楽しんでいるように見えるのは素晴らしいことだと思う。さすが、スターというものはこういうものなのだなと感じ入ってしまうのである。
 彼が演じたアール・ストーンという老人の役は、実際にメキシコの麻薬組織から密輸された大量の麻薬をアメリカ各地に届けていた、87歳の実在の「運び屋」をモデルにしたものだったらしい。イーストウッドの主演映画は7年ぶりだったというから、彼には俳優業はもう引退という気分もあったのかもしれないが、彼がこのニュースに接して「これは俺の役だ」と製作に乗り出したというのは、確かに運命的な何かか働いたということだったのかもしれない。
 この運び屋の男は、長いこと家族と家庭をないがしろにしてきたらしく、あくまで自分中心の生き方にこだわり、外面(そとづら)の良さを絶対的な武器として前面に押し出して、ずっと人生を送ってきたのだろうと想像された。そこを点描していく、滑り出しの回想シーンの快調なテンポが印象的だった。

 朝鮮戦争の退役軍人だった彼は、みずからの(家族とは関係のない)農場でデイリリーという(一日だけ開花する特別な品種の)ユリの花を栽培し、品評会で好成績を収めたりしながら、仲間の生産者や退役軍人の仲間たちと楽しい人間関係を形成してきたようだ。外での人間関係が第一と考えてきた彼は、妻とも離婚し娘とも連絡が絶えても後悔することがなかったのである。
 「12年後」という字幕が出て、現在のすっかり年老いた彼の姿が映し出されるのだが、この歳月の間に(インターネット販売の普及に乗り遅れた)彼の農場は倒産し、彼はほとんど無一物になって農場を出て行くしかなくなってしまっているのである。そんな彼が、結婚を間近に控えた孫娘の招待を受けて、絶縁状態だった家族の許に帰るところからストーリーが動き出す。
 もちろんかつての妻や娘が彼を許すはずもなく、彼は早々にそこを後にするしかなくなるのだが、パーティーの招待客の一人から持ちかけられた「簡単な儲け話」というのが、実は麻薬組織の「運び屋」だったというのがすべての始まりになっている。組織の側からすると、車の運転が大好きで、しかも常に安全運転でパトカーに止められたことなど一度もないというこんな年寄りが、まさか麻薬の運び屋などしているはずがないという捜査側の思い込みにつながって、願ってもない盲点になるはずだという作戦だったのである。
 最初はそれが麻薬であることを知らされず、あまりに割のいい話に半信半疑だったアールは、二度三度と仕事を繰り返す中で事実に気付いた時には、それなりの驚きは見せるものの、それ以後も特段躊躇する様子もなく仕事を続けていくのである。

 映画はそんな彼をロードムービー風に追いかけていくのだが、もちろん一方に麻薬取締局のコリン・ベイツ捜査官というのを配して、きわめてオーソドックスな犯罪映画のサスペンスを盛り上げていく。この映画が成功しているのは、この運び屋のアール・ストーンという老人を、ある意味身勝手だけれども鷹揚で飄々とした生き方をしていて、誰も憎めないような存在として造形して見せたところにあると思う。このあたり、すっかり歳を取ってしまったクリント・イーストウッドの渋い演技が絶妙で、もうこの歳なのだから、どうなったところでさして驚くことではないというような、一種の開き直りの姿勢が痛快な印象を与えていたのだった。
 この映画はアールとベイツ捜査官という、逃げる者と追う者との駆け引きが実に面白く描かれていて、この二人がモーテルで思いがけないニアミスを見せるところなど、なかなかこしゃくな作戦が成功している脚本と言っていいのではないだろうか。モーテルの食堂で偶然隣り合ったアールが、人生の要諦をベイツ捜査官に淡々と説くシーンは可笑しかった。
 あともう一つ、この脚本が巧みな設定をしていると言っていいのは、年老いたアールがいま、ずっと裏切り続けた家族に対して後悔と贖罪の気持ちを持ち始めていることではないだろうか。長い間、外で認められることだけが男にとって大事なことだと考えてきた彼が、最も大事だったのは、実は家族との間に作られていなければならなかった関係だったことに気付いて、この誤りを何とか埋め合わせできないかと考え始めている。もちろん終わってしまった過去を取り戻すことはもうできないのだが、それでもこの映画は(この脚本=ニック・シェンクは)、彼にあるささやかな時間をプレゼントするのである。

 別れた妻が死の床にあるという孫娘からの知らせを受けて、彼は命の危険を顧みず、運び屋の仕事を中断して(放棄して)妻の許を訪れ、彼女の枕頭にしばし寄り添うのである。
 ここをこの脚本の甘さと言うことは簡単だが、彼がここで取った行動は、決して許してもらうための行動ではないことが判る描き方になっているので、何とも言えず心打たれる展開になっていたのである。彼はもう取り返しがつかないことが判っていたのだと思う。だからこそ、許されない自分と対峙するためにそこに行ったのではなかったか。そういう彼を死にゆく妻は最後に許すのだけれど、彼が自分を許していないことははっきりと見て取れたのである。
 アールが最後にはベイツ捜査官に逮捕され、裁判で(たぶん)情状酌量を求めようとする弁護人を遮って自分の罪を認めたのも同じことである。彼が運び屋として行った行為は許されるものではなく、有罪となって刑務所に収監されるのは当然のことなのである。そして、家族に辛い思いをさせ続けた彼が、そのために孤独の底に落ちていくのも必然と言うべきなのだ。
 だが、この映画は、最後の最後に、もう手遅れというギリギリのところで、彼に改心のための小さなチャンスを差し出していたのかもしれないと思った。87歳になったクリント・イーストウッドだったから、そういうドラマを描けたのかもしれないと思った。
(立川シネマシティ1、3月14日)
# by krmtdir90 | 2019-03-24 20:52 | 本と映画 | Comments(0)

映画「雨のニューオリンズ」

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 ニューオリンズの「旅行記」をまとめる途中、インターネットで「雨のニューオリンズ」を検索していたら、このDVDが990円で買えるというAmazonのページが目に止まった。映画は映画館で観るもので、DVDで借りたり買ったりするという選択肢を考えたことがなかったので、そんなに安く手に入るのかとちょっと驚いてしまった。これは何かの縁があったということかもしれないと感じて、初めてAmazonなるものを利用して購入手続きをしてしまった。
 まったく便利な時代になったものである。翌日にはちゃんと郵便受けに品物が届いていて、届いてしまった以上は(「旅行記」の方は中断して)早速観ない訳にはいかなくて、何十年ぶりかの再会となったのである(実は、観てからずいぶん日にちが経ってしまったので、どうしようかと迷ったのだが、記録という意味で遅ればせながら一応書いておくことにする)。

 テネシー・ウィリアムズの「財産没収」は、上演しても30分かからないくらいの短い一幕劇である。舞台は「ミシシッピィのある小さな町のはずれにある鉄道の土手」(倉橋健訳、ト書き冒頭)となっていて、登場人物はウィリー(女の子)とトム(男の子)という2人だけである。映画の最初と最後にこの2人のシーンが残っているけれど、テネシー・ウィリアムズが書いたのはこの2人のやり取りだけであって、ウィリーのセリフの中にアルヴァは出てきているが、その生きていた過去はもうまったく失われてしまったものとして語られているのである。
 映画「雨のニューオリンズ」がやろうとしたのは、この「過去の出来事」を具体的なストーリーとして観客の前に提示することだった。戯曲ではウィリーのセリフの中に凝縮されて語られるだけだった「過去」を、映画はあくまで現実に起こった出来事としてスクリーン上に呼び出し、アルヴァと彼女をめぐる様々な人物のドラマをリアルに描き出そうとしたのだった。ウィリーの中でずっと憧憬される存在として美化され続けてきたアルヴァは、実際にはこんな感じだったに違いないと思われるイメージで細部を作り込まれ、この映画の中に鮮やかに甦ることになったのである。

 ミシシッピの田舎町、鉄道で働く男たちを相手にしている下宿屋の「看板娘」だったのがアルヴァで、戯曲ではウィリーのセリフとして「アルヴァは鉄道の人たちにとっても人気があったの」「きれいだったわ、まるで映画スターみたい」などと紹介されている。彼女は次々に言い寄ってくる男たちを巧みにあしらい、時に「寝たり」しながら男たちの人気を独占していたようだ。だが、テネシー・ウィリアムズの戯曲に登場するヒロインである以上、彼女の「絶頂」が長く続くことは考えられず、程なく訪れることになる、まるで約束されていたかのような「没落」と「死」の経緯が、ウィリーの口から手短に語られていくのである。
 戯曲では、下宿屋を経営していた母親が「鉄道の検車係と駆け落ちした」ことがきっかけとされていて、「それからは何もかもメチャメチャ」になって、父親も失踪し、アルヴァも肺病に冒されてしまったと説明されている。ウィリーはそのすべてを目撃していたのであり、姉の悲劇的な結末を「アルヴァの恋人たちはみんないなくなっちゃった。沈みかけた船からネズミがにげだすみたいにね。姉さん、自分でよくそういっていた。まったく……映画のようにはいかないものね、人の死って」と回想するのである。

 映画は、この「経緯」の部分をまったく独自の、それでいて戯曲の設定を見事に生かすようなストーリーに組み立て直している。映画に登場する母親のヘイゼルは、皆の人気の的になっているアルヴァを金持ちの中年男ジョンソンと結婚させようとしている。女性の自立というようなことがまだまったく無縁だった時代が背景であり、女性は男性に依存しつつ生きるしかないという思い込みに母親は縛られていたということなのだろう。実はアルヴァの根底にも同様の考え方が見て取れるのだが、いまのところ毎日が自分の思い通りになっているアルヴァには、この結婚を受け入れて自分の未来を閉ざしてしまう選択はまったくあり得ないのである。彼女はこの田舎町で埋もれてしまうつもりはなく、いつか必ず憧れの都会に出て行く日が来ることを夢見ているようだった。
 戯曲のウィリーは「アルヴァは流行のこと、よく知ってたわ。シカゴの大きなお店のデザイナーになりたがっていたの。自分の写真をよく送ったりしてたけど、だめだった」と語っている。映画にはこのセリフは残っていないが、現在の閉鎖的で息苦しい田舎町の生活から脱したいという、彼女の切実な願いというようなものはよく描かれていたと思う。
 このアルヴァを演じたのは、「ウエストサイド物語」でヒロインのマリアをやったナタリー・ウッドだった。役どころはまったく異なっていたが、この「雨のニューオリンズ」のアルヴァが、若くして不慮の死を遂げたナタリー・ウッドという女優の最良の映画だったのではないかと思っている。勝ち気で蓮っ葉に見える言動の奥に、夢見がちな少女のような純情を見え隠れさせているところが魅力的だった。そして、この映画は、戯曲には描かれることのなかった彼女の「恋」の顛末を描き出すのである。

 ある晩、オーエンという男が鉄道でこの町にやって来て、この下宿屋に部屋を借りることになる。どことなく都会の雰囲気を漂わせる彼にアルヴァは興味を示し、いつもの手管で彼の気を引こうとするがまったく相手にされない。こんなはずはないと、次第に意固地になっていくアルヴァをナタリー・ウッドは実に鮮やかに演じて見せている。
 このオーエンを演じたのがまだブレイクする前のロバート・レッドフォードだったのだが、アルヴァの見え透いた誘惑をやり過ごしながらも、次第に惹かれていってしまう変化を丁寧に演じていたと思う(また、この映画にはチョイ役だがけっこう重要な役回りで、やはりブレイクする前のチャールズ・ブロンソンも出ていて、あとで考えると実に豪華なキャスティングの映画だったのである)。
 それはともかく、このオーエンが実は鉄道の男たちに解雇通告を行うために会社が派遣した調査員だったことが明らかになり、これによってこの下宿屋の「何もかも」が「メチャメチャ」になってしまうというのが、映画の方が展開させたストーリーの骨子になっていた。オーエンはアルヴァの働き掛けを受け入れるようになっていくが、彼女といるところを解雇した男たちに待ち伏せされ、袋叩きにされてしまう。彼とアルヴァの「恋」というのは、周囲の誰からも祝福されるものにはなり得ないまま、最後まで突っ走って行くしかないのである。
 ただ、この点について冷静に見返してみると、アルヴァの心情の底にある現状脱出への渇望といったものと比べて、オーエンの中にはそれほど切実な思いはなかったように見えてしまう。アルヴァは二度と後戻りできないような危ない橋を渡っていたのに対し、オーエンはみずからの位置からほとんど動くことなくアルヴァに接していたように思われるのである。

 二人の関係は様々な紆余曲折を乗り越えて、ニューオリンズでつかの間の幸せな時間を手にすることになる。アルヴァがオーエンを追ってニューオリンズに向かう列車が、大きな湖の鉄橋を渡っていくシーンがずっと記憶に残っていた。今回調べてみたら、ミシシッピ州などの北方からニューオリンズに向かう列車は、最後に必ずあのポンチャートレイン湖を鉄橋で横切っていくことが判った。空撮で車窓のアルヴァの横顔を捉えた映像にテーマ曲がかぶさり、次のニューオリンズのカットに切り替わっていく一連のシーンの高揚感は素晴らしかった。
 だが、ニューオリンズでの二人の幸せは(もちろん)長くは続かない。母親のヘイゼルが現れて、ここに来る前のアルヴァの行状をオーエンに暴露してしまう。彼女は決して、恋人の前で胸を張れるような生き方をしてきた訳ではないのである。
 絶望したアルヴァはアパートを飛び出してしまうが、雨の降る夜のニューオリンズの街路を彼女が駆けて行くカットで、この物語は不意に途切れてしまうのである。映画は再び、町外れの鉄道の土手にいるウィリーとトムの姿に戻っていってしまう。映画はこの後のことを一切描かない。テネシー・ウィリアムズの原作を知らない人からすると、この唐突な終わり方はちょっと違和感を感じるのかもしれない。だが、時代背景などを考えれば、やはりオーエンがアルヴァを追うことはないだろうし、アルヴァの夢は潰えてしまったということになるしかないのだろう。
 戯曲ではウィリーのセリフでかなり語られていたアルヴァの最後の様子は、映画ではセリフとしてもほぼ省略されてしまって明らかにされることはない。はっきりしているのは、彼女がいまは「骨のお庭」にいるということだけである。アルヴァは、絶望的な状況の中でみずからの夢想に裏切られて破滅していく、テネシー・ウィリアムズの多くのヒロインたちの一人として生きたということなのである。

 この映画を監督したシドニー・ポラックは、のちにアカデミー賞の作品賞や監督賞を受賞する映画を撮ったりするが、この時点ではまだようやく2本目(この映画)を完成させたばかりの、駆け出しの新人監督だったのである。また、もう一つ注目すべきは、3人の名前がクレジットされているこの映画の脚本家の筆頭に、まだ監督として売れる以前のフランシス・フォード・コッポラの名前が記されていたことである。原作の戯曲をふくらませて見事な脚本に仕上げたところに、この「才能」が絡んでいたことに納得の思いがある。
 Wikipediaで調べてみると、「雨のニューオリンズ」の製作年度は1966年となっていて、当初パラマウントはこの映画を日本で公開する気はなかったようなのだ。恐らく何かの理由で公開されなくなった映画の穴埋めだったのだろう(そんなことをどこかで読んだ記憶がある)、日本で公開されたのは1969年5月10日のことだった。そして、わたしがこれを観たのは5月13日だったのだが(わたしのノートに記録されている)、わたしの記憶によれば、この公開は確かこの日で打ち切りになってしまったのである(たった4日間だ)。プログラムなども作られることはなかったと記憶している。確か、映画館は渋谷の旧東急文化会館の地下にあった東急レックスだったと思うが、これはあまり自信がない。
 それはそれとして、映画ファンのみならず、みずからの「先物買い」を自慢したくなる性向は誰にでもあると思うが、そういう意味では、公開当時ほとんど注目されなかったこの映画を映画館で観ているというのは、かなり希少なことに違いないと言いたい気がする。その後はリバイバルされたこともないはずで、しばらくしてからテレビ埼玉で放映される機会があり、それをビデオに録画して何遍か見返した記憶があるだけなのである。
(DVD・TV視聴、3月1日)
# by krmtdir90 | 2019-03-23 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

アメリカ南部の旅⑦プランテーション、マルディグラ、復路(2019.2.23・24・25)

2月23日(土)

 昨日からマルディグラのお祭り期間がスタートしたので、バーボン通りの夜の賑わいも尋常なものではなく、それに比例して路上に散乱するゴミの量も一気に増えているようだ。
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 午前7時40分、まだ清掃作業は始まっていない。
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 この日は朝から夕食時まで終日自由行動となっていたが、われわれとしては添乗員提案の行動プランに乗っていくだけである。
 この日の午前中は、小型バスをチャーターして郊外の「オークアレイ・プランテーション」に行くことになっていた。多くの人が参加したと思うが、午前8時にロビーに集合して、ホテル脇からバスに乗ってスタートした。最初は曇り空だったが、現地に着くころには青空も覗いて、絶好のピクニック日和になった。

 ミシシッピ川を越える。
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 バスはミシシッピ川を遡るかたちで概ね西方に走ったが、流域に点在する広い湿地帯を抜けて行くところがあったりして、ニューオリンズがきわめて地盤の悪い土地に囲まれているのが実感された。1時間ほど走った後、ミシシッピ川の土手沿いに続くリバーロードという道に入り、幾つかのプランテーションの建物を遠望したのち、「オークアレイ」の正面を通過して裏手の駐車場に入った。
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 ここが見学者用の入口になっていて、奥に見える建物がチケット売場のあるインフォメーションである。
 こちらが見学順路。
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 突き当たりの花壇を左折。
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 ↑花の真ん中で水が張られた器は、サトウキビを煮詰める時に使った容器(鍋)の再利用らしい。また、奥に見えている家は再現された奴隷小屋で、あとでそちらの方も見学した。
 大きな樫(オーク)の木。
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 中庭の方から屋敷に入って行く。
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 案内人の男性が迎えてくれ、その先導で建物を回り込み、正面の方に出た。
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 アプローチの両側には28本の樫の古木があり、突き当たりの先にはミシシッピ川の土手が見えている。ここで少し説明があったのち、邸宅の中に入った。

 玄関ホールから応接室、ダイニング、2階の寝室など、豪華な調度に彩られた部屋を次々に案内されたが、残念ながら内部は撮影禁止になっていたので写真はない。ネットを見ていると過去に撮影OKの時期もあったようだから、禁止になったのは最近のことだったようで、まあ、そうなってしまった以上は仕方がない。
 なお、案内人はもちろん英語で説明しているのだが、ここにはそれを逐一日本語に翻訳したパンフレットが用意されていて、われわれはそれを読みながら進んで行くかたちになっていたので、いろいろなことがしっかり理解されたのは良かった。
 それによると、樫の並木は豪邸が建つ100年前にこの地に住んだフランス人開拓者が植えたもので、その後ここに広大なプランテーションを築き、サトウキビの栽培で大成功を収めたジャック・ロマンと妻セリーナがこの邸宅を建てたのは、1837年のことだったようだ。現在公開されている邸宅内部は、1840~50年ごろの彼らの生活が判るように飾られているのだという。

 各部屋の見学が一通り終わったところで、2階正面のドアが開かれ、ベランダ(回廊)から正面アプローチの樫の並木を眺めた。
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 望遠をかけてみると、ミシシッピ川の土手が見えている(川面は見えないようだ)。
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 このアプローチの長さが400メートル以上あるのだという。
 四方を囲むベランダの奥行きも4メートルもあって、
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 夏の暑い盛りでも、直射日光を避けて深い日陰ができるよう工夫されているということらしい。
 最後に中央のホールで一枚だけ写させて貰ったが、
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 この前後のドアを開放すると、涼しい風が邸内を吹き抜けるようになっていたらしい。

 このあと1階に下り、外に出て正面の樫の並木のあたりを歩き、各自で記念写真を撮ったりした。ちょうど太陽が顔を出し、明るい感じの写真が撮れたと思う。
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 次に中庭の方に回り、最初に入って来た方に戻って、復元された奴隷小屋を見学した。
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 非常に簡素な作りで、当時を覗わせる家具などが置かれていた。
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 すべて再現されたものだから、妙にこざっぱりとした小綺麗な印象を受けるが、実際はどんなふうだったのか判らないと思った。
 別の小屋では、ここで働いていた奴隷の名前が壁一面に書かれていた。
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 奴隷が着ていた服。
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 これは奴隷の値段が書かれた書類。
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 上の書類を判読して整理した一覧表。
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 名前と年齢、それぞれの特徴などが記されたあとに値段が並んでいる。けっこう値段に差がついているが、使える奴隷とそうでない奴隷が厳しく区別されていたということだろう。いずれにせよ、こうした奴隷制度がシビアなかたちで行われていたのが南部のプランテーションだったわけで、奴隷たちの労働に支えられた南部の繁栄だったのである。

 一通り見学を終えた後、附属のサービスセンターのようなところで土産物などを見てから、付設のレストランで早めの昼食(サンドイッチなど)を取った。
 11時50分ごろ、再びバスに乗ってオークアレイを後にした。
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 屋敷の正面を通り過ぎる時、バスが徐行してくれたので最後の写真を撮った。
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 帰路の車窓。
 線路を渡った。
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 非電化の単線だったが、路線を調べる気力はない。
 サトウキビ畑。
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 次の2枚は道路の下に注目。水が張っているのが判るだろうか。
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 ミシシッピ川流域の湿地帯の中を道路が横切っているのである。こういうところがけっこう続いていて、ワニなんかが普通に生息しているらしい。

 ニューオリンズの市街地に入る前に、バスは少し寄り道をした。市の北側に広がるポンチャートレイン湖である。
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 この湖、琵琶湖の2.4倍もあるらしいのだが、実はこの真ん中を長さ38.4キロの橋(車道)が突っ切っているというのだ。これが見えるというのでやって来たのだが、確かに肉眼だと水平線にずっと続いているのが微かに確認できたと思う。しかし、このコンパクトカメラで写真に写すのはとうてい無理である。
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 なので、ここはこれでおしまい。
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 このあと、市街地に入ったところで、バスは大きな墓地の横を通り過ぎた。
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 入口のアーチに「グリーンウッド(GREENWOOD)」とある。キャナル通りを走る路面電車の終点の一つ「CEMETERIES(共同墓地・墓場)」が、この「グリーンウッド墓地」なのである。
 間もなく、赤い路面電車と線路が見えた。
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 このあたりに終点があるということなのだろう。

 さて、バスはしばらくキャナル通りを走った後、かなり中心部に近付いたところで横道に入って停車した。この日の午後はセントチャールズ通りでマルディグラのパレードがあり、すでに交通規制が敷かれているのでこれ以上は近づけないということだった。
 下車したのは午後1時15分ぐらいだったと思う。

 添乗員のプランでは、このあとセントチャールズ通りまで歩き、沿道の観覧席に入ってじっくりパレードを見物することになっていた。
 通りに着いたら、ちょうどパレードが通過中で、向こう側にある観覧席の方に渡ることができなかった。
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 しばらく待たされてから、ちょっと間隔が開いたところで、警備の警察官に誘導されて渡ることができた。そこはラフィエット広場というところで、
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 ↑この写真、まるで何事もない平穏な広場のように見えるが、これが面したセントチャールズ通りの方は大騒ぎになっていて、観覧席が組まれた下の仮設の売場でチケットを買い、表に回って観覧席に上るというふうになっているのである。われわれは一番高いところに陣取った。
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 通りの向かいにある観覧席は、どうやらそれぞれのビルが出している専用の観覧席らしく、そのビルに関係した人しか入れないようになっているらしい。われわれみたいな一般の観客は、こちらの一般用の観覧席をお金を払って(15ドルだった)確保するということなのである。

 ともあれ、席は確保された。あとはゆっくり見物、といきたいところだが、そういうふうにはなかなかいかないのがパレードというものなのだろう。
 昨日のバーボン通りの仮装行列はまったくの前座だったことがいやでも理解された。この日からが本格的なパレードの始まりだったのだ。

 次々にやって来るパレードの基本形はほぼ次のようになっていた。
 ①最初に来るのがチア。
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 ②次がブラスバンド。
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 ③最後にフロートと呼ばれる山車。
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 フロートを引いて来るのがトラクターというのが、いかにもアメリカ南部という感じがする。
 チアの前、先頭にはそのチアとブラスバンドの所属を示す横断幕がいて、「何々High School」というのがかなり多かったと思う。
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 位置の関係でチアやブラスバンドは撮影が難しく、以下の写真はフロートばかりになってしまうが仕方がない。
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 観客がみんな手を挙げているが、これは単に手を振っているということではない。フロートに乗った人たち(クルーと言うらしい)が観客に向かって、ビーズのネックレスを投げるのを受け止めようとしているのである。観客としては自分に向かって投げてもらうために、こちらの存在をクルーに気づいてもらう必要があり、みんなが大声を出して競い合っているのである(これは盛り上がるよね)。
 撮ってきた写真の中から、宙を飛ぶビーズが写っているものを選び出してみた。
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 次の写真では、ビーズの右にコップが2個飛んでいる。
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 プラスチックのコップには、クルーのグループ名とメンバー名などが印刷されている(妻が一個貰って来た)。
 次は小さな人形が飛んでいる。
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 危なくない程度に、いろいろなものが投げられているのである。

 さて、われわれは観覧席の一番高いところ、つまり道路からは一番離れた席に陣取っていたのだが、ビーズを取ろうと考えた時にはこの位置取りは明らかに不利であって、妻や女性陣の幾人かは途中で最前列に降りて行った。
 しかし、わたしにはそういう積極性はないから、依然として同じ位置で写真を撮り続けていた。ところが、さすがに陽気なアメリカのお祭りである。クルーの中にはそんなところにいる東洋人の姿を目ざとく見つけてくれて、ピンポイントで投げてくれる人もいたのである。そんなにしてもらっては、わたしもその気になるしかなく、2本は取り損なったが、2本を見事にゲットすることができたのである(何十本もゲットしてきた妻には及ばなかったが)。

 途中、短時間だったが雨が降ってくる時間帯があった。だが、これは予報にはあったことだったらしく、わが添乗員が全員分の使い捨てポンチョを用意してくれていたので事なきを得た。実に手回しのいい優秀な添乗員なのである。
 以下、撮ってきた様々なフロート。
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 ここで、妻がガイドのマユミさんから聞いてきた興味深い情報。
 ①チアやブラスバンドが黒人ばかりだったり、全体に黒人の比率が高いように見えるのだがどうしてか。→参加しているハイスクールは実は公立校ばかりで、白人が多く通う比較的ハイレベルな私立校は参加していないのだという。こういうことを聞いてしまうと何だかなあという気がするが、日本でも偏差値や貧富の差を無視してみんな同じ高校生といった嘘がまかり通っていることを考えると、そういうリアルな現実というのもあるのだろうなと考えてしまう
 ②フロートにはどういう人たちが乗っているのか。→マルディグラのパレードのために様々なグループが出来ているようだが、この日を目指すためには相当な金銭的負担があるため、毎年ではなく数年に一度の参加にしているところもあるらしい。市民の中には毎年この期間中はよそに旅行(避難)して、沿道の留守宅を知り合いや関係者にレンタルしている人もいるらしい。いかにもアメリカ人らしい合理主義だが、これはこれでけっこうな稼ぎになっているのだという。

 引き続き、様々なフロート。
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 結局、パレードが終了する5時近くまで、もうお腹いっぱいという感じになるまで見物したのだった。さすがに疲れたが、ビーズのネックレスをいっぱい取れた妻たちは非常な充実感を味わっていたようだ。

 祭りのあと。
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 右側にこの日は運転を休止した緑の路面電車(セントチャールズ・ストリートカー)の線路が見えているが、運転を再開するためには相当入念な清掃が必要だろうと思われた。
 キャナル通りを渡り、バーボン通りを徒歩でホテルに戻った。
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 ↑この撮影時刻は午後5時24分である。

 午後6時、ロビーに集合して、ニューオリンズ最後の晩の食事に向かった。
 レストランはここ(ピンボケだ)、
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 「GW Fins」という、割と新しい人気店だったらしい。最後なのでちょっと写真を撮ってみたが、料理としてはオーソドックスなもので、アメリカ的なものではなかったので面白くなかった。
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 地ビール「アビータ(ABITA)」のアンバー(AMBER)。
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 最初の晩に飲んで美味しかったから、期間中は基本的にずっとこれを飲んでいた。

 食事を終えて外に出ると、雨が降っていた。大した降りではなかったが傘を差して帰った。
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 最後も「雨のニューオリンズ」になってしまった。

 明日の出発が早朝なので、この日の「夜遊び」はなし。
 午後8時45分ごろには部屋に戻り、荷物の整理などをして、持参していたウイスキー(ポケット瓶)で寝酒をして、早めに寝た。

2月24日(日)

 目覚ましをかけて、午前4時過ぎに起床した。
 5時までにスーツケースを廊下に出し、5時からロビーで配布されるお弁当(サンドイッチなど)を受け取りに階下へ。
 午前5時のバーボン通り。
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 一旦部屋に戻って、慌ただしくお弁当を食べた。
 5時半までにチェックアウトを済ませ、バスに乗ってホテルを後にした。空には下弦の月が煌々と輝いていた。

 6時過ぎ、ニューオリンズ国際空港に到着。出国手続きなどをしていると、われわれの乗るダラス行きの飛行機が遅延しているとのこと。理由を聞くと、乗務員が遅刻したためだという。やれやれ、である。マルディグラで飲み過ぎたのだろうか。
 08:07発予定だったアメリカン航空AA009便は、結局30分ほどの遅れで飛行することになった。このため、当初ダラスで乗り継ぐ予定だった11:00発の便には乗ることが出来ず、次の12:20発アメリカン航空AA061便に振り替えられることになってしまった。すぐに次の便があってよかったけれど、ね。

 で、それはそれとして、わたしとしては往路の時からマークしていた、ダラス国際空港でターミナル間を移動する際に利用する、空港内連絡輸送システム「スカイリンク」である。
 5つあるターミナルビルの間を高架の環状線が結んでいて、運転手のいない無人運転システムの2輛編成が、双方向にほぼ2分おきに運行されているのである。

 長いエスカレーターを上がる。
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 左にふくらんだ部分が乗り場である。
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 スカイリンクが到着すると、こちらのドアと車輌のドアが重なるように開き、乗降が行われる。
 われわれが乗るスカイリンクが来たので、前の車輌の最前部の席(いわゆる「かぶりつき」)を確保した。運転席がないから、前方の視界はいい。
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 右下に見えていたこの機体は、たぶんわれわれが乗ってきたものである。
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 走り出した。
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 けっこうスピードが出ている。
 次の駅(と呼んでいいのかな?)に入って行く。
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 こちらに出っぱっている部分が乗降口である。
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 さらに進む。
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 駅?を2つか3つ通り過ぎた。
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 すれ違い。
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 あっという間である。
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 ここで降りるという。
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 ピッタリ重なるように広くドアが開く。↓これは降りてから振り返って見ている。
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 スカイリンクの車輌前部。
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 乗り場前の広い通路。
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 ↑手前側にまた長いエスカレーターがあって、下に降りる。これで終わり。
 乗っていた時間は5分ほどだったが、大変充実した時間だった。

 この日はニューオリンズもダラスも雲一つない快晴だった。まあ、こんな巡り合わせになることもある。
 ↓これが、このあとわれわれが乗る飛行機らしかった。
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 ダラス12:20発・アメリカン航空AA061便・成田行きである。

2月25日(月)

 飛行機が振り替え便になってしまったので、成田到着が何時だったかはっきりしない。プラス15時間の時差修正を行って、たぶん午後5時ごろだったと思うので、だとすると飛行時間は13時間40分ぐらいだったことになる。暇潰しの映画の途中で1、2時間眠ることもできたし、エコノミーでこの時間を耐え抜いたというのは大きな自信になったと思う。

 帰路は18:10発の高尾行きのバスに乗れたので、わが家まで徒歩5分の停留所に一気に帰れたので良かった。総合的に評価して、すごく楽しい旅だったと思う。おわり。
# by krmtdir90 | 2019-03-12 17:47 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅⑥マルディグラとジャズ(2019.2.22)

2月22日(金)

 朝食を終えてホテルの前に出てみたら、向かいの建物で朝から外壁の塗装をやっていた。
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 こちらでは、マルディグラを契機に家を化粧直しするということがよく行われるらしく、われわれの泊まっているフォー・ポインツ・バイ・シェラトンでも、部分的な塗り直しが行われていた。
 バーボン通りを朝の清掃車がやって来る。
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 いろんな形の清掃車が稼働しているようだ。

 この日も天気予報はあまり良くなかったようだが、実際には雨の気配はまったくなく、一日中曇りと晴れの間で推移したので良かった。
 午前9時にホテルを出発、この日も午前は全体で市内観光、午後は自由行動というかたちになっていた。まずロイヤル通りをキャナル通りの方に向かって歩いた。
 先日、写真に撮り損なっていた警察署。
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 旧ルイジアナ銀行の建物を使っているのだという。
 ↓バルコニーに外階段がついたユニークな建物。
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 キャナル通りに出てから、このお店に案内された。
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 「パレスカフェ(PALACE CAFE)」というけっこう大きなカフェである。
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 ここで、名物だというバナナフォスター(Bananas Foster)というものをいただいた。お店の人が目の前で調理してくれた。
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 これはガイドブックでも一番に載っているスイーツで、「バナナにシナモンをかけてバターでソテーし、ラム酒などでフランベしたもの、アイスクリームを添えて溶けかかったところを食べる」と書かれていた。
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 添乗員がこのお店にわれわれを連れて来た趣旨は、彼女は「お口直しに」と言っていたが、われわれの泊まっているホテルが、場所柄ホテル内での食事にあまり重きを置いていない感じで、朝食は一応ビュッフェ形式になっていたが、毎日同じものしか並ばず、品数もビジネスホテル並みに貧しいということがあって(わたしは別に不満とは思っていなかったが)添乗員としては申し訳ない気持ちで一杯になっていたということだったらしい。
 気持ちとしてはありがたいことだったが、かなり甘いものだったので、わたしとしては朝から食べるものとしてはどうだったかなという感じも少しあって、まあ、女性陣には喜んでいる人もいたようだから、これはこれで良かったかなということである。みんなを等しく満足させるのはなかなか難しいことなのだと思う。

 さて、このお店には2階もあり、そちらはまだ開店していなかったけれど、眺めがいいから行ってみてもいいということだったので上ってみた。
 キャナル通りを走るオープンタイプの2階建てバス。
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 この青い犬が描かれたビルはシェラトン・ニューオリンズというホテルだったようだ。
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 前のマルディグラカラー(紫・緑・金)が張られたところはパレードの観覧席だろう。

 店を出て、キャナル通りを少し歩いて、
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 今度はディケーター通りに入って、ジャクソン広場を目指した。
 消防署があった。
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 消防車も(控え目ながら)マルディグラの飾り付けをしている。
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 その先には何やら銅像が立っていた。
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 ネットで調べてみたら、台座にある「Jean Baptiste le Moyne de BIENVILLE」という長い名前の人物が見つかった。18世紀初頭、この一帯がフランス領だった時代に、ニューオリンズ建設の中心となったジャン=バティスト・ル・モワン・ド・ビエンヴィルというフランス人がいたらしい。台座の下部には「FOUNDER OF NEW ORLEANS」とあるから間違いないと思うが、ウィキペディアなどではニューオリンズの始まりは1718年となっていて、台座にある1717年とはちょっとだけズレているが、まあ、大したことではないだろう。
 ここをニューオリンズと名付けたのもビエンヴィルで、フランス国王ルイ15世の摂政だったオルレアン公に敬意を表して「ヌーヴェル・オルレアン」としたのが始まりだったとされている。

 ジャクソン広場の周辺で。
 ↓犬を連れたホームレス。
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 ホームレスの姿を何度も見かけた。ニューオリンズはホームレスにはけっこう住みやすい町なのかもしれない。
 ↓この犬はマルディグラの衣装を着せてもらっている。
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 次に訪ねたのは、ポンタルバアパートの中程にある「1850ハウス」というところだった。
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 この店はごく普通のギフトショップだが、店の奥が博物館になっていて、当時のアパートの部屋を使って、1850年頃の白人の中流家庭の生活の様子を再現しているらしい。
 店を通り抜けて奥のドアを出ると、吹き抜けの中庭のようになっていて、
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 横のドアを入ると、けっこう急な螺旋階段があった。
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 上って行くと、2階には当時の家具調度で飾られた食堂や居間などがあった。
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 3階には寝室と、
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 子ども部屋があった。
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 3階踊り場から、階段の優雅な曲線をのぞき込む。
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 3階のベランダに出て、さっきの中庭を見下ろす。
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 見てきた各部屋はこの右側にあり、左の煉瓦の壁は隣家との隔壁になっているようだ。
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 1850ハウスの見学を終えて外に出る。
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 ↑このチャーターズ通りは、セントルイス大聖堂の前で左のジャクソン広場と挟まれた部分の道幅が広くなっている。ここにいつも人がたくさん集まっている。

 さて、このあと行ったのが旧造幣局のジャズミュージアムである。
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 庭の芝生になぜかペリカンがいた。
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 柵があるわけでもなく、まったくの放し飼いと思われるのだが、逃げる心配はないのかとか、そもそもどうしてここにペリカンがいるのかとか、とにかく何だかよく判らない。実はペリカンをこんな身近でじっくり見た経験はいままでなくて、ペリカンというのが、一度固まってしまうと、あとは周囲からちょっかいを出されてもまったく動かなくなってしまうというのを初めて知った。
 こいつは、われわれが帰る時もほぼ同じ場所にいたが、姿勢が少し変わっているだけで、やはり固まってからはピクリとも動かなくなってしまった。
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 ミュージアムの方は一通り見て回ったが、この時は写真をほとんど撮っていない。疲れていたのかもしれない。
 元が造幣局だったところだから、そっち関係の展示も一応は(一部屋だけ)あった。これはコイン・プレス機。
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 ジャズミュージアムの方は幾つも展示室があったが、取り上げられているのはけっこう古い時代のプレイヤーばかりで、解説などももちろんすべて英語だから、正直言うともう一つ興味が湧いてこなかった。古いレコードジャケットとか写真が中心の展示だったが、次は現物が展示されていた。
 ルイ・アームストロングの最初のコルネット。
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 ピート・ファウンテンのクラリネット。
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 ピート・ファウンテンはミュージカル・レジェンズ・パークの3体の銅像の一つになっていた。ニューオリンズの出身で、ずっとニューオリンズに住んで活躍していたらしい。

 ミュージアムの見学を終えて外に出ると、12時15分ぐらいだった。この日も全体行動はここまでで、ここで解散のあとは基本的に自由行動になっていた。添乗員提案の行動プランでは、3時過ぎからバーボン通りをマルディグラのパレードが通る予定なので、通り沿いのレストランで遅い昼食のあとそれを見物するということで、このあとは午後2時にホテルのロビーに集合ということになっていた。

 ここはフレンチマーケットの先になるから、きょう最初に行ったキャナル通りから、ちょうど反対側の隅までフレンチクオーターを横断してしまったことになる。地図で確認すると、フレンチクオーターの長辺の距離は1.6キロぐらいと思われるので、このあとホテルに戻ると、優に3キロ以上(4キロ近く)歩くことになるのだった。
 今回の旅は、いろいろ夜更かしはしたけれど、思いのほかよく歩いた、実に健康的な旅だったとも言えるように思った。

 で、そのホテルへの帰り道、セントルイス大聖堂の前の広くなったところは大賑わいで、いろんなパフォーマンスをやっていた。
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 途中、スーパーマーケットに寄って土産物などを購入した。

 午後2時にロビーに集まって、向かったのはホテルのすぐ近くのこのお店だった。
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 看板に「HOT BOILED CRAWFISH」とあるが、クロウフィッシュというのはザリガニのことである。店の前の、このすぐ左のところで実際にザリガニをボイルしていた。
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 料理の写真を撮ってこなかったことをまたまた後悔しているのだが、真っ赤に茹で上がったザリガニが大皿に山盛りになって出て来て、みんな手をベタベタにしながらそれにかぶりついた。実は、ザリガニというのは頭部(食べられない)を外してしまうと、食べられる身の部分はほんの僅かしか残らないのであって、労力の割になかなか満腹感が得られないものだということを初めて知った。味付けのスパイスがかなり強烈で、食べているうちに口の周りがヒリヒリしてきたが、それを地ビールのアビータ(Abita)で流すというのがけっこう良かった。あとはまた焼きガキなども食べて、全体としてとても充実した食事だったと思う。

 外に出たのが午後3時半過ぎで、バーボン通りはパレードを待つ人々で混み合っていた。
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 3時50分ごろ、パレードの先頭がやって来た。
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 このチアとブラスバンドは近隣のハイスクールの生徒だったようだが、こういうのはこれ一校だけで、あとは要するにてんでんばらばらの仮装行列が次々にやって来た。
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 みんな黄緑色の手提げ袋を持っているが、この中にはビーズのネックレスがたくさん入っていて、
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 気が向くと沿道の観衆にそれをくれるのである。手に持って配っている人もいるし、何とも気前がいいことなのだ。
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 けっこうなお年寄りも混じっていて、
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 まあ、何と言うか、皆さんたいそう盛り上がっていて、
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 こちらも写真を撮って、ビーズをもらって、引っ張られてハグされたりしていたのである。いやはや。

 実は、この日のパレードはまだまったくの序の口だったらしく、このフレンチクオーターを皮切りに、明日以降は市内各所で様々なパレードが繰り広げられ、日を増すごとに規模も盛り上がりもどんどん盛大なものになっていくらしい。
 この日の行列は20分ほどで終わったが、その間に妻とわたしで十数本のネックレスをもらった。孫にいいお土産ができたと喜んだのだが、十数本などまだほんの序の口に過ぎなかった。明日われわれは、その5、6倍ものネックレスを手にすることになるのである。 

 お昼が遅かったので夕食もゆっくり、午後7時過ぎにホテルを出て、通り沿いをあちこち覗きながらレストランに向かった。
 ホテルの前に騎馬警官が待機していた。
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 ストリートミュージシャンたち。
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 ロイヤル通りはお洒落な通りである。
 これは、激辛香辛料を味見できるお店だろうか。
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 アートギャラリーなども多く、
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 マルディグラの飾り付けをしているところもあった。
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 警察署に、
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 入ってみた。
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 当然のことながら、皆さん仕事をしていらっしゃって、目が合った署員の方に写真を撮ってもいいか?と身振りで聞いたら、肯いてくれたので撮らせていただきました。
 で、これが問題の?警察Tシャツの自販機。
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 いろんなデザインがあって、サイズもいろいろ揃っているようです。
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 次女の旦那のお土産に一枚購入しました。25ドルはそれなりの値段だけれど、われわれみたいに買って行く観光客がけっこういるのかもしれないね。

 さて、夕食はロイヤル通り沿いのステーキレストラン「THE RIB ROOM」。
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 ここはホテルの1階にあるようで、バーなども併設されているらしい。レストランはなかなか重厚な作りだった。
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 ステーキのサイズはかなり大きめになるので、小さめのをそれぞれが頼むのではなく、それなりのサイズを二人で頼んで分けるというやり方もあると、事前に添乗員が教えてくれたのは良かった。われわれはそれでやったが、十分満足できたと思う。

 ゆっくり食べて外に出ると、午後10時になろうとしていた。ここでホテルに戻った人もいたが、多くはそのまま「ジャズ」に流れた。

 昨夜のうちに「おすすめのジャズクラブ」は制覇してしまったので、この日は新しいところを開拓しなければならない。まず、バーボン通り沿いの高級ホテル「ロイヤルソネスタ」内のジャズバーに行った。
 名前は「ジャズ・プレイハウス」と言ったが、明るいホテルのロビーから入って行くというアプローチが、何となく醒めた感じで好きになれなかった。
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 中の作りも妙に整然としていて、われわれは一番後ろの壁際に並んだ、やや高い位置のテーブルとイスに通されたのだが、これもちょっと気に入らなかった。
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 ステージが遠すぎる。
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 しかも、注文した飲み物が来て少ししたところで、あっけなくステージが終わってしまったのだ。
 これはタイミングが悪かった。ここはあまり縁がなかったのかなとわれわれは(たぶんみんな)思った。で、ここは早々に引き払って、次を目指すことにした(ちゃんと次を考えていた添乗員は偉い)。
 バーボン通りは凄い状態になっていた。
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 この撮影時刻は午後10時49分である。

 われわれの方は、またフレンチメン通りに行くというのでタクシーに乗ったが、どこでタクシーを拾ったのかまったく記憶にない。
 で、着いたのがここ。「ブルー・ナイル(Blue Nile)」という店の表である。
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 中は猛烈に混んでいるようで、入口で少し待たされた。壁には2月のスケジュール表があって、
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 22日の11PMには「KERMIT RUFFINS」という名前が載っていた。実は、この時は知らなかったのだが、帰ってから調べてみると、このカーミット・ラフィンズ(Kermit Ruffins)というのはいまニューオリンズで最も人気のあるトランペッター・ボーカリストで、リトル・サッチモと呼ばれて多くの観客を集めているということらしかった。
 混んでいて当然だったのだ。しばらくして、われわれは添乗員の必死の交渉でようやく入れることになったようだ。チケットはなく、代わりに入口で腕にオレンジ色の目印テープを巻かれた。
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 中にはイスとかテーブルなどはなく(たぶん。周囲の壁際に少しあったかもしれない)、みんな立ったままノリノリの感じで演奏と一体になっている。ちょっとどうしていいか、しばらくはあっけにとられて見ているしかなかった。とにかく真ん中へんはごった返しているから、人をかき分けて徐々に前方に進み、ステージ上手のトイレに通じる通路のへんが比較的余裕があったので、そのあたりにしばらく陣取ってみることにした。
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 このトランペッターがカーミット・ラフィンズだったのだろうか。
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 何と言ったらいいのか、これもまたきわめて現代的なジャズのかたちであるのは確かで、電気的に増幅されて耳を聾する大音量と、LEDのスポットライトが華やかに切り替わったりする中で、とにかくみんなで盛り上がろうぜーっという圧倒的な演奏に、こちらも何だか若返って高揚した気分になっていた。
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 何曲かやったあとで、ラフィンズが呼び掛けると、周りでウズウズしながら待っていた観客の女性たちがステージに上がり、演奏に合わせて踊り始めた。
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 さらに彼の紹介で、
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 たぶんみんなが知っている有名人だったのだろう、けっこう歳の行った男がステージに呼び出されると、ホールの熱狂はますます盛り上がった感じになっていった。
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 ↑この写真の撮影時刻が午前0時15分である。たぶん、ここはこれからさらに盛り上がりながら明け方近くまで狂騒が続くことになるのだろう。けっこう乱れた感じになってきたから、そろそろ潮時ではないかと(わたしはそれなりの年長者の一人だったから)添乗員に提案して、さらに少ししてから帰ることにした。

 タクシーでホテルに帰り着いたのは0時50分ごろだったが、その時間になっても(まったく信じ難いことだが)ホテルの前はこの状態だった。
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 恐るべし、バーボン通り、である。
# by krmtdir90 | 2019-03-10 21:47 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅⑤路面電車とジャズ(2019.2.21)

2月21日(木)続き

 ニューオリンズは元々は湿地帯だったところに出来た町で、地盤も軟弱だったため、建物の基礎工事は入念に行うとしても、道路などではそうもいかなかった面があったのかもしれない。アップタウンの高級住宅地ガーデンディストリクトでも、歩道の部分はけっこう凹凸があって歩きにくく、あちこちで道路の補修工事が行われていた。
 そういうことと関係していたかどうかは判らないが、水漏れしていた消火栓。
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 ガーデンディストリクト散策の最後に、一軒のカフェに寄って添乗員と幾人かが飲み物を注文し、われわれ全員がそこのトイレを借りるというテクニックを使った。お店の写真は撮ってなかったのだが、とにかくそれでホッとした状態になって帰路についた。

 帰りももちろんこの緑色の路面電車に乗った。
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 町の中心部に向かう路線に中途から乗車したので、すでに乗客もかなり乗っていて、それでもほぼ全員が何とか座れたようだが、
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 この混み具合はわたしにとっては絶妙なものと言うべきで、この場合わたしとしては、着席するよりもまず優先したい位置取りがあった。後部運転席の横、いわゆる乗り鉄の一等席「後ろのかぶりつき」である。
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 親切に「座れますよ」などと言ってくれる人もいたが、「いや、ここがいいんです」と丁重にお断りして、
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 後方の眺めを心ゆくまで楽しんだ。
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 すれ違い。
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 両方が普通に走っている状態だと、けっこうなスピードで遠ざかってしまう。
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 渡り線が設置されているところがあった。
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 またすれ違い。
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 またまたすれ違い。
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 「Lee Circle」に戻って来た。
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 ↑これ、左がキャナル通りに通じるセントチャールズ通りである。
 この電車は、隣のキャロンデレット通りに入って行く(単線になっている)。
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 この通りはマルディグラのパレードコースにはなっていないようで、観覧席などは作られていないのである。
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 キャナル通りにぶつかる手前の角、「Carondelet St.」駅に到着した。
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 撮影時刻は午後1時2分である。乗車時間は行きよりかなり短くて、20分ほどだった。
 この駅が運行の基準点になっているらしく、われわれが乗って来た車輌がしばらく停まっていたので、記念に後ろと前から一枚ずつ撮影してやった。
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 この日は、全体がまとまって行動するのはここまでになっていて、以後は基本的に自由時間とされていた。もちろん、自由に行動できないわれわれのような参加者のために、添乗員が行動の仕方を(一例として)提案してくれるようになっていて、このあとの昼食場所として提案されていたのが、ルイジアナ発祥のフライドチキンチェーン「ポパイズ(Popeyes)」だったのである。
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 この段階から積極的に別行動を取る人も多く、その積極性には感心してしまうが、二人とも英語がほとんど出来ないのではどうしても消極的になるしかなく、そんなにフライドチキンが食べたかったわけではないが、でも気分が変わっていいかなと思ってついて行ったのである。
 で、注文するところまでは添乗員やガイドが手伝ってくれたが、そのあとはほぼ解散のかたちになった。それはいいのだが、ここのフライドチキンは率直に言って、あまりいただけなかった。写真も撮っていないし、具体的に描写する気にもなれないのだが、まあ、一言で言えば「大きいけれど大味」ということになるだろうか。ことフライドチキンに関しては、同じアメリカでも、ルイジアナよりケンタッキーの方がはるかに上、と言っていいような気がした。

 時刻は間もなく午後2時である。
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 実は、先ほど自由時間に入る時に、添乗員から路面電車の乗車券が手渡されていた。
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 これは、昨日リバークルーズからの帰りにリバーフロント・ラインに乗車した時から使用開始になった一日乗車券なのである。きょうのセントチャールズ・ラインでもこれを使用したらしいのだが、このあとも午後4時49分までは有効だから、もっと乗りたい人はどうぞお使いくださいということだった(それにしても、3ドルというのは驚くほど安いと思う)。
 わたしとしては気持ちが動かなかったわけではないが、妻も一緒だし、この日のジャズクラブ巡りが午後3時50分ロビー集合となっていたから、ここはやはりテツよりジャズを優先すべきだろうと考えてあきらめた。いや実際、路面電車についてはここまででもう十分に堪能できたと思う。

 ただ、最後にもう一度、あの緑色の車体を見ておきたいと思い、「Carondelet St.」駅に行ったのだが、
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 こういう時に限って来ないものなのだ。しばらく待ったが、結局待ち切れなかった(たぶん、われわれがいなくなったらすぐに来たのではないかと思う)。

 こちらに来て、睡眠不足なのにけっこう頑張っていると思うので、ここは一旦ホテルに戻って少し休憩しようと思った。
 バーボン通りを帰る。昨日夕食を食べに来たJAZZ BISTRO「ARNAUD'S(アルノーズ)」があった。
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 1日目の夜に来たジャズスポット、ミュージカル・レジェンズ・パークもあった。
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 道端でリズムを取る子どもたち。
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 日差しのある、明るいバーボン通りである。
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 ホテルのバルコニーにも、マルディグラのための装飾が施されている。
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 午後3時50分、ロビーに集合。
 この日のジャズクラブ巡りは早いスタートである。おすすめのジャズクラブの中で、最もハードルが高いと思われる「プリザベーション・ホール(Preservation Hall)」の午後5時の回を目指して、一時間も前から並び始めるのだという。
 この、一時間前という添乗員の判断は実に正しかった。行ってみたら、すでに列が出来ていて、それでもけっこう前の方に並ぶことが出来た。
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 ↑この白いマスクをかけたところから左に18人(添乗員も含めて)が並んだのである。われわれが並んだ後にみるみる行列がつながって行ったから、少し遅れたらかなり後ろになってしまっただろうと思う。添乗員の話では、運が悪い時はツアーのメンバーの途中で定員になってしまい、次の回と2回に分かれてしまったこともあるのだという。幸いこの日はそんなこともなく、5時になると全員が無事に入場することが出来た。
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 このホールは、飲食なしで一回40分程度のステージを聞くだけというかたちになっていて、客席は中央に木の長椅子が数列あったが、ここは予約客と先に並んでいた人たちとですでに一杯になってしまっていた。このあとは、前の床に座る2列の座布団席と後ろの立ち見席になるようだった。立ち見の方を選んだ人もいたようだが、われわれは迷うことなく最前列の座布団席を確保した。でも、体育座りで肩寄せ合って舞台を見ることになるなんて、まったく予想もしていなかった。何十年ぶりのことだったろうか。

 ここは写真撮影禁止で、最前列では隠れて撮ることも不可能だったから、素晴らしい演奏が聞けたけれど演奏中の写真はない。
 判っていたので、まだ入場が続いている間に、ステージの様子だけは写しておいた。
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 わたしが座ったのは最前列の真ん中やや上手寄りの席だが、すごい近距離だというのが判ると思う。左のイスにリーダーのトランペット、右のイスにクラリネット(サックス)が来て、奥の丸い木のイスにベースが来た。
 右のクラリネット(サックス)の奥がピアノで、
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 左の席にトロンボーンとドラムスが来た。
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 以上はカメラをぐっと差し上げて写したものだが、座った状態の普通の視点で写すとこんな感じになる。
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 実際、こんな至近距離でジャズの生演奏を聞くなんて、なかなか体験できることではないと思った。登場したプレイヤーはみんな60~70歳代ぐらいで、いかにも円熟した感じの楽しい演奏を聞かせてくれた。とにかく、トランペットやクラリネットが目の前7~80センチで音を出しているのだから、完全に演奏の真っ只中に引きずり込まれる感じがした。40分はまったくアッという間で、1時間も並んだのだから、せめて同じくらいは聞いていたかった気がした。

 終演後、何十年ぶりかの体育座りだったので、うまく立ち上がれなかった。そしたら、すぐ前のトランペットさんが手を伸ばして引っ張ってくれた。嬉しかったので、ちょっとチップを奮発してしまった。
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 ホールの外に出ると、次の回の行列がずっと出来ていて、間もなく入場が始まった。
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 なんかちょっとボーッとしてしまう感じがあって、しばらく演奏の余韻が残っていた。

 あたりはそろそろ暗くなっていて、人通りもずいぶん増えてきているようだ。
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 6時15分ごろ、一旦ホテルに戻った。
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 トイレなどを済ませて再び集合し、夕食のレストランに向かった。
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 明日からマルディグラが始まるので、人の数は確実に増えているようで、街の喧騒も大きくなっているように思われた。
 この晩行ったのはバーボン通り沿いの「Felix's(フェリックス)」というオイスターバーだった。
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 席を用意してくれている間、表の通りで少し待った。
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 2月とは思えない、暖かな春の(初夏の?)宵である。すぐ隣に「CIGAR」のお店があった。
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 以前のわたしなら覗きに行っていたと思うが、もうわたしは煙草を吸わないし、シガーにも興味はないのである。
 で、これが「Felix's(フェリックス)」の店内。
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 料理の写真を撮ってくれば良かったとまた後悔しているのだが、焼きガキや生ガキ、様々なシーフードを添乗員が頼んでくれて、大皿をみんなでシェアして食べたのだが、どの料理も絶品で、アビータ(Abita)という地ビールが、これまた非常に美味しかった。

 外に出たのが午後8時20分ぐらいで、ダラダラとバーボン通りを戻って行った。
 ホットドッグ屋さん。
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 この左のドアが、オールド・アブサン・ハウスという有名なバーだったらしい。
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 このあと、ホテルの前を通り過ぎ、バーボン通りを反対方向に進んで、初日に入れなかった「フリッツェルズ・ヨーロピアン・ジャズ・パブ(Fritzel's European Jazz Pub)」に行った。
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 ちょうど前のステージが終わって、次のステージが始まる前という時間だったようで、小さな舞台のすぐ前の、これもまたかなり至近距離のいい席に案内された。
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 今夜はけっこうツイてるのではなかろうか。
 店内の様子。
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 飲み物を注文し、それがほぼ行き渡ったところでプレイヤーが登場した。
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 ピアノとドラムスとベース、最後にトランペットが加わって、すぐに演奏が始まった。
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 ジャズの種類というようなものはよく判らないが、ガイドブックなどにはトラディショナルジャズの店と書かれている。プリザベーション・ホールがオールドスタイルだとすれば、こちらは確かに正統的な、これぞジャズという感じのアップテンポの演奏だったと思う。
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 ワンステージが50分ぐらいだっただろうか。非常にいいノリのカルテットだった。楽しめたと思う。
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 外に出て、↓この撮影時刻が10時7分である。
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 ここからホテルの方に少し戻ると、これもまた初日に入れなかった「メゾン・バーボン(Maison Bourbon)」がある。覗いて見ると入れると言うので、そのまま入ってしまった。
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 たまたまだろうか、ここでもステージのすぐ前のテーブルが複数空いていて、そこに滑り込むことができた。
 ステージではクインテットが演奏中で、前の3人が女性という珍しい編成のバンドだった。
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 しかも、一番左でトロンボーンを吹いている女の子は日本人だった。
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 あとで幾人かが話しをしていたようだが、こちらに来て5年になるということだったらしい。こういう若者もいるのだ。
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 この店はどちらかと言うと、集中してジャズを聞くというより、ジャズをバックに楽しく飲むという感じの店だったようで、ガチャガチャした雰囲気に負けじと演奏している感じがあって、わたしとしてはもう一つノリ切れないところがあるように感じた。難しいものである。
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 ↑この大きなラッパは、形を見るとホルンのように見えるのだが、ホルンの入ったジャズなんて聞いたことがないと思うので、よく判らない。
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 この店には1時間以上いたと思う。演奏が一段落したところで切り上げて外に出た。
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 ↑この撮影時刻が11時22分。
 バーボン通りはこの時間になってもごった返していた。
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 ↑これはホテルのすぐ前。メゾン・バーボンとホテルの間は100メートルぐらいしか離れていないので、アッという間に帰り着いて、部屋に戻ったのは11時半ぐらいだったと思う。
 凄い一日だった。

# by krmtdir90 | 2019-03-07 18:23 | 海外の旅 | Comments(0)


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