18→81


主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新の記事
最新のコメント
記事ランキング

カテゴリ:高校演劇、その他の演劇( 97 )

「はいすくうるドラマすぺしゃる」で東大附属の舞台(2018.4.3)

e0320083_11335313.jpg
 東京大学教育学部附属中等教育学校のK先生からお誘いのメールがあり、俳優座劇場で行われている「はいすくうるドラマすぺしゃる」というのに出掛けてきた。今回で26回を重ねる高校演劇の催しのようだが、3日間6校の出演校の一つとして東大附属が上演するという。六本木へは都営地下鉄大江戸線で行ったが、この地中深くを走る鉄道はどうしても好きになれない。

 演目は井上ひさし作「父と暮せば」だった。原作は確か二人芝居だったと思うが、これを美津江の一人芝居として上演するのだという。観る前はそんなことができるのかと半信半疑だったが、実際の舞台を観てなるほどと納得した。不自然と言えば不自然なのだが、そういうことを吹き飛ばしてしまう説得力がこの舞台にはあったと思う。
 こういうことをやろうと言い出したのは生徒だったのだろうか。美津江・竹造を一人で演じた横田海香さんの見事な熱演には惚れ惚れした。男子部員がいないわけではないはずなのに、あえて困難なこのかたちを選んだ熱い意図が伝わってくる演技だったと思う。上演時間70分が延ばせる限界だったようで、カットも入れテンポも上げて演じていたが、本来もう少し緩急などをつけたいところはあったと思うが、有無を言わせぬ迫力で一気に走り切ってしまったのは大したものだと思った。
 欲を言えば、演じ分けの意識をもう少し強くした方が(特に喋りのテンポの違いという点で)良かったと思うけれど、逆にそれぞれの思いが交錯し入り交じってしまうような瞬間ができていたのは、こうした方法を取ったことから来る思わぬ成果だったかもしれない。
 70分が片時も緩むことなく、緊迫して少しも長いと感じることはなかった。開演前、つまらなかったら寝ちゃうよとK先生に冗談を言っていたが、とんでもない、どんどん目が冴えてきて、舞台から目を離すことができなかった。
 装置類は東大附属としてはよく飾り込んでいたと思うが、箱馬がそのまま見えていたのはどうだったか。音響・照明・衣装などは自然で、主張しすぎないところが良かった。

 一緒に観劇したSさんと新宿に出て、またわらびやで一献傾け蕎麦をいただいて帰った。劇場には懐かしいKさんの顔もあったが、用事があるとかで早々に帰ってしまったのは残念だった。
 顧問のK先生は確か蕎麦アレルギーだったと記憶するので、今度イタリアンのお店でも探して、一度ゆっくり話せたらいいななどと2人で話していました。
by krmtdir90 | 2018-04-04 11:33 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

精華高校・新座柳瀬高校 合同東京公演「愛もない 青春もない 旅に出る」

e0320083_12311992.jpg
 高校演劇として昔は到底考えられなかった公演形態が、いまは成立する時代になったのだなと感慨深いものがある。小屋はシアター風姿花伝、木戸銭は2300円だという。高校生の分際で2300円はないだろう(シニアだと映画が2本も観られる)と思うのだが、それで観客を集めてしまうのだから大したものである。
 この2校が、スタイルはまったく異なるものの、ともに高校演劇のウィングを大きく広げていることがよく感じられる公演だったと思う。終演後には、一緒に観劇したSさんと新宿に出て、わらびやで一献傾けながら楽しい時間を過ごした。これも今回の公演のおかげである。ありがとう。以下、少しだけ感想を書いておく(3月14日マチネ観劇)。

精華高校「大阪、ミナミの高校生2」(作・演出:オノマリコと精華高校演劇部)
 昨今評判の高い精華高校の舞台を初めて観た。なるほどと感心した。コンクールなどに縛られることのない、こうした高校演劇があっていいと思うし、非常に魅力的な舞台を作っていると感心した。プロであるオノマリコさんがどんなふうに関わっていたのかとか、同じくプロである木内コギトさんを重要な役回りで絡めてしまうことなど、従来の高校演劇では考えられなかったことだが、生徒たちがこれらの刺激に触発されて伸び伸び演じているのだから、こういう行き方もいまはアリなのだろうと思った(木内さんのところは顧問の先生がやっても面白かったのでは?)。
 生徒のマリーと先生(木内さん)のやり取りが実に面白く、かつてこういう感じの学校で教師をしていたこともあるわたしは、「ああ、こういう子いたよなァ」と妙な懐かしさのようなものに囚われてしまって困った。マリーをやった庵ノ前さんの演技はドキッとするくらいリアリティがあり、プロを相手に少しも引けを取っていないのが素晴らしかった。
 この2人を取り囲む?かたちで繰り出されるモノローグもリアルで、しかし、積み重なってはいくものの、モノローグのままメインの2人と切れてしまうのが惜しいような気がした。いまの作りではマリーの存在だけが特別なものになってしまうので、モノローグの生徒たちとマリーは同じ生徒たち(同列)なのだという描き方がもう少し工夫されてもいいような気がした。そういう意味では、生徒が生徒を隔離するというような図式化(舞台構成)もあまり効果的とは思えなかった。

新座柳瀬高校「Merry-Go-Round!」(作:稲葉智己)
 新座柳瀬高校の舞台は、全国大会まで行った「Love & Chance!」の見事な完成度が頭にあるから、どうしてもそれと比較して「まだまだじゃないか!」と思ってしまう。高校生の舞台が洗練の域に達するのは至難のことと判ってはいるが、前作がそれを実現していたことを考えると、もう少し稽古を積んでから撃って出てほしかった気がしてしまうのは仕方がないことだろう。
 役者たちがまだ役を支え切れていないような感じがした。高い木戸銭を取っている以上は、学年や経験の多寡は関係ない。特にアンジーをやった高橋さんは、マーガレットやエリーと比べて単純に幼なすぎる印象があって、ラストのどんでん返しにつながる隠れたしたたかさというか、周囲を虜にしてしまう若い女性の色香のようなものがもう少しほしい気がした。ここはストーリーの肝にあたる部分だから、衣裳の選び方やメイクの仕方なども含めて説得力のある工夫が必要ではなかったか。
 あとは、芝居が全体にドタバタしているような印象があった。ドタバタというのは、いつもはパンチが敷いてあって気にならない靴音が妙に耳に付いてしまったことも関係している。客席通路を使った出捌けももう一つスマートとは言えず、柳瀬の独壇場とも言うべき展開のスピード感を削いでしまっていたように思う。
 いつも見慣れている柳瀬の舞台だから、どうしても辛口の感想になってしまうのは仕方がない。もうあまり書くのはよそうと思っていたのだが、やっぱり書いてしまいました。
by krmtdir90 | 2018-03-15 12:31 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

高校演劇サミット2017

e0320083_13444771.jpg
 年末の29日(金)、こまばアゴラ劇場で3校の舞台を観てきた。仙台や甲府で他県の旬な舞台に触れた今年だったので、その締め括りといった気分だった。
 実は三日前の26日(火)、Mさんが新座柳瀬の仕込みとゲネプロに招待してくれて、一連の流れを特別に見せてもらっていたので、それで終わりにしても良かったのだが、せっかくの機会だから木戸銭払ってサミットの全貌も観ておきたいという気分になったのである。

 29日の日程は次のようになっていた。
 14:00 福島県立いわき総合「ありのまままーち」
 15:45 埼玉県立新座柳瀬「Love & Chance!」
 17:30 東京都立駒場「加賀山蝉洋(せみひろ)」

 個人的には、昨年秋の地区大会からずっと応援してきた新座柳瀬の「Love & Chance!」、その文字通りのFINALを見届けたいという気持ちが大きかった。
 行ってみたら、全国のあと部内でもいろいろあったようで、ヒロインのシルヴィア役が新しい1年生に入れ替わっていた。こういうことがあると、どうしてもギクシャクした部分などが残るものだが、実にすんなり芝居の中に溶け込んでいたので感心した。周りの役者がしっかりしているから、新しく入って来た役者を的確に受け止めて生かしてあげていたのだろうと思った。
 もう一つ感心したのは、地区大は小さめの舞台だったが、その後は県大・関東・全国と、どんどん大きな舞台用に芝居を変えて行かざるを得なかったものを、最後に100人以下の最小の舞台に作り直してみせることが、非常に上手くできていたということである。この本は、(もちろん大きな舞台でも通用するが)やはり小さめの舞台の方が魅力的になるのではなかろうか。最後の上演で、一人一人の生き生きとした(無理をしない)表情を近距離から観ることができて楽しかった。ゲネプロの時はさすがに緊張が見えたが、29日の舞台はみんなリラックスして最良のものを出すことができていたように感じた。
 これまで個々の役についてはほとんど書かなかったが、今回は最後だから書いておこう。ドラントとアルルキャンはホントにいいコンビで、ドラントはすっかり人気が出てしまったから、改めて何か言わなくてもいいと思うが、芝居としてはアルルキャンあってのドラントだということは言っておきたい。アルルキャンは今回の舞台が、いままでで最良の出来だったと思う。シルヴィアとリゼットのコンビにも上と同じことが言えて、リゼットあってのシルヴィアというところが、シルヴィア役の交代にあたって上手く作用したように思う。結果的に2人とも1年生になってしまったが、先に抜擢されていたリゼットの成長は目覚ましいものがあり、今回が一番伸び伸びやっていて気持ち良かった。シルヴィアは勝ち気の表現がいま一歩だが、表情も豊かで、初舞台としては(ギリギリではなく)十分合格点だと思った。
 わたしは実は、この芝居の中ではずっとオルゴン伯爵の大ファンで、この存在があるから主役4人が安心して弾けられるのだと思っている。安定感抜群のオルゴンがいて初めて、ストーリーがスピード感を持って転がせるのだと思う。女中の2人、ルイーズとノエラは、近距離からの観客の視線に耐えられる表情を身につけていた。こういうところがしっかりすると、ストーリー展開がより楽しくなってくる。マリオは役者としては不器用な男だと思うが、表現の難しいキャラクターをしっかり出せるようになっていたと思う。みんな、よくここまで来たなと感慨深かった。

 いわき総合と都立駒場の舞台は、それぞれ面白く観ることはできたが、個人的にはそれほど好きになれる芝居ではなかった。芝居の作りとしては案外ありふれていて、よくやっていることは判ったが、細かいところで物足りないところも多かった。両校ともいっぺんに大人数を舞台に上げ、エチュード風のエピソードをつないでいく「演劇部もの」という点が共通していた。たまたまだったのか意図的な選考だったのかは知らないが、生徒創作の「演劇部もの」ということで、何となく引いてしまう感じもあったように思う。いろんなことをやってはいたが、結局のところ最後は内向きに閉じてしまっているのではないかと感じてしまった。
 ちょっと厳しい言い方になってしまったが、もちろん両校の舞台は、(様々な面で対照的だが)それぞれが繰り出してくるアイディアの多彩さが非常に楽しかったと思う。
 都立駒場の役者のこれでもかというデフォルメは驚いたし、この年代の内面にある負の感情(恥ずかしい側面)を容赦なく照射してみせたところなど非常に興味深かった。だが、見せ方をどうするかというところに少々傾斜し過ぎた感があって、中盤までに提起したことがやや中途半端のまま終わっていたような気がした。殺し合い(全否定)までやってしまったあとで、最後は一種の和解になっていたと思うが、その芽がどこにあったのかがわたしにはよく判らなかったので、とりあえずこれまでのことを棚上げしただけの諦めのようにも見えてしまった。
 いわき総合は開演前からのリラックスした明るい雰囲気が印象的だった。後半に3.11を出してきたが、前半の様々なエチュードがそれとは切れているのがどうだったか。日常の「ありのまま」はそんなものなのかもしれないが、一つの舞台として考えると、後半が食い足りない印象になってしまったような気がした。父親の声が思い出せないというのは凄いリアリティだが、その不在をみんなが存在に変えていくところなど、判るのだけれど芝居の表現としてはもう一つ不満が残った。そのシーンが終わると、みんなの表情がスッと次に切り替わっていくところなどは、妙な違和感があって納得できなかった。このあたり、このやり方の限界だったような気がした。

 もう一度新座柳瀬に戻るが、今回こまばアゴラに持って来るにあたって、Mさんは劇場側に多くの部分をお任せするかたちを採ったようだ。その結果、照明・音響といったところで、いかにも小劇場といった感じの様々なテクニックが付加されることになった。まったく好みの問題なのだが、この味付けがわたしは好きになれなかった。
 新座柳瀬の舞台というのは、演技で笑いを取ることは考えていても、受け狙いのあざといテクニックは注意深く排除されていて、それがコメディとしての品の良さになっていたと思う。だが、今回の照明・音響はちょっと前に出過ぎて、その美点を崩してしまっていたのではないかと感じた。マリオにライトを集中させたりする一方で、ドアの両サイド、舞台奥でけっこう重要なセリフを言うところなどが、照明で拾い切れていなかったことなどは不満が残った。
 しかし、いまの時代、都内の名のある小劇場でこうした催しが毎年開かれているというのは素晴らしいことである。特に柳瀬の諸君とMさんにとっては、この狭い空間で「Love & Chance!」を上演できたことは、なかなか得がたい経験になったのではなかろうか。サミットのスタッフの皆さん、楽しい時間をありがとうございます。これからもたくさんの学校がこうした経験を積めるよう頑張ってください。
e0320083_13451984.jpg
 (本文一部修正/2018.1.2)
by krmtdir90 | 2017-12-31 13:45 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

高校演劇2017・山梨県大会ー甲府への小さな旅ー(2017.11.28)

 高校演劇が嫌いな新座柳瀬のMさんが最近嵌まっているらしい甲府南高校の舞台を、機会があったら一度観てみたいと思っていた。山梨県大会が何かの事情で平日開催に変更され、観客がほとんど望めない事態になっているらしいのを知り、まあ枯れ木一本でも賑わいの一助になれるかなと出掛けてきた。

 山梨や長野は、車でよくお酒を買いに行ったりしているので、あまり遠くに行く感じはしないのである。今回は車ではなく電車で行くことにして、わが最寄り駅から8:18発の普通列車・甲府行きに乗車した。近いとはいえ小さな旅には違いない。
e0320083_21353814.jpg
 車内がロングシートだったのは残念だったが、中央本線の高尾から先は、非常に変化に富んだ車窓が楽しめるので大好きである。家を出る時にはどんよりした曇り空だったが、西進するにつれて雲が取れていき、笹子トンネルを抜けて甲府盆地に出る頃にはすっかり快晴になっていた。線路が北に大きくカーブして、徐々に標高を下げていく勝沼ぶどう郷あたりの景色はやはり素晴らしい。盆地はかなり霞んでいたが、周囲の山々もよく見えて、その向こうに富士山も頭を見せていた。
 9:58、甲府駅着。
e0320083_2136343.jpg
 会場のコラニー文化ホールは、この平和通りをしばらく直進してから右折するようだ。
e0320083_21362832.jpg
 駅から徒歩20分とあったが、わたしにはもう少しかかったかもしれない。でも、普段の運動不足解消にはちょうどいい距離だったと思う。風もなく日射しも暖かで、絶好の散歩日和だった。
 コラニー文化ホール正面入口。
e0320083_21365355.jpg
 小ホール入口。
e0320083_21371399.jpg
 やはり閑散としていて、受付の先生からプログラムなどを受け取って中に入ると、
e0320083_21373783.jpg
 うーん、この状況はやはり悲しい。開演時には少し増えたけれど。

 この日は大会の一日目で、5校の上演が行われたようだ。せっかく行くのだから、目当ては甲府南だったけれど、他の学校の上演も観せてもらおうと思っていた。1校目は間に合わなかったが、2校目から昼休みを挟んで最後まで、4校の上演を観せていただいた。以下、観劇した者の礼儀として、感じたことを少し書かせてもらうことにする。 

白根高校「オヤジ焼きそば」
 学園祭で音楽部が部活動補助金の獲得を目指し、焼きそば屋を開くまでを舞台にした。生徒創作だと思うが、一つ一つのエピソードが作り切れていないので、ストーリーとしてちゃんと展開させられていないように思った。一生懸命工夫して演じているのは判ったが、セリフや動きをかたちとして作り過ぎる傾向があるので、人物の気持ちがあまり見えてこないのが残念だった。後半、音楽に乗せて焼きそば屋のあれこれをダンス風に演じるところは楽しかった。

北杜高校「Party People」
 これも学園祭もの。クラスごとに作るシンボルオブジェ?に取り組む3人組を描く。仲間とか絆とか、テーマのようなものを生に出し過ぎているのがどうだっただろうか。説明的にしてしまうと、人物の気持ちはかえって薄くなってしまうと思う。3人ともよく動けていると思ったが、力が入り過ぎて乱暴になっているところも散見された。舞台はよく工夫されていたが、その一つ一つが本当に効果的だったかどうかは振り返ってみた方がいいかもしれない。

甲府南高校「バスに乗る、九月、晴れ、帰り道。」
 どこまで書けるか判らないが、ここは長く書きます。
 Mさんが夢中になるのはよく判るような気がした。高校生の話でありながら、まったく高校演劇らしくないユニークな舞台になっていると思った。
 それはまず、台本がきわめてユニークに書かれているのだと思う。記憶喪失というような題材は、高校演劇になるといかようにもドラマチックにできるものだと思うが(また多くの場合、その誘惑に負けてしまうと思う)、この台本は記憶喪失の主人公をきわめて淡々と(素っ気ないくらい)、その日常の一コマ一コマを点描するというかたちで動かしてみせる。それは悲劇的でも喜劇的でもなく、終始きわめてゆるい雰囲気の中で展開されるものである。なかなかこんなふうに書けるものではない。
 主人公の少女はみずからが陥ってしまった困難な事態に、悲観的になったり投げ遣りになったりするふうもなく、ごく自然にその事態を受け止めているように見える。台本が彼女をそういうふうに拾い上げているのだと思う。台本の筋としては、一日前のことを記憶していられなくなってしまった少女(ナオコ)が、毎日クラスの誰かが時間を確認してくれる帰りのバス停から、ある九月の晴れた日、間違って反対方向に行くバスに乗ってしまったという、ただそれだけの話なのである。
 一方に8人の(男女の)クラスメートを配し、ナオコのモノローグと組み合わせながら、現実なのか空想なのか定かでない様々なイメージを交錯させていく手法が面白い。一人だけセリフをまったく覚えていないのに本番を迎えてしまう演劇部員の自分とか、いつの間にか高校の国語教師になって授業をしている自分とか、何やら地球征服を企む宇宙人の一団に翻弄される自分とか、一歩間違えればどうにも収拾できなくなりそうな飛躍したイメージが次々に並べられるのだが、作者はそれらを説明したり解釈したりすることなく、そのまま反対方向行きのバスに乗ってしまった彼女の現実に、ストレートにつないでしまうのである。
 現実と言っても、彼女の間違いに気付いて必死にバスを追い掛ける8人のクラスメートは現実にはあり得ないだろう。間違って乗ったバスの運転手が、彼女の記憶喪失の原因となった交通事故で彼女をはねた運転手だったというのも、考えてみれば現実にあり得たかどうかは判らないのである。にもかかわらず、舞台は様々なイメージの延長線上にこれらのシーンを置くことで、彼女と周囲の人間との間に生まれた思いやりとか感謝の思いとかいう、なかなか正面切っては言いにくい(恥ずかしい)感情を見事に浮かび上がらせて見せるのである。
 何とも不思議な作劇術と言うしかない。だが、最後に舞台上にこみ上げる温かな雰囲気は、彼女と周囲の人間がたどり着いた確かな現実に違いない。最後に2つのラストシーンを用意して、彼女が記憶を取り戻す(いかにもありそうな)大団円を横に退けるようにして、記憶は戻らないがその不自由を丸ごと認め合う彼女とクラスメートの輪に自然に収斂させたところに、実に控え目だが熱い作者の思いが込められていると思った。
 役者たちもみんないいと思った。上手いというのとはまったく違う。そういう言い方をするなら、下手な子も混じっていたと思う。ここの役者たちは、みんな舞台上にしっかり存在してみせるという点で抜きん出ていると思った。高校演劇特有の力みやわざとらしさといったものとは無縁のところで、実に自然にそこに立っていたり動いていたりしていたと思う。高校生はすぐにいろいろやりたがってしまうのだけれど、そういう誘惑を排して、一見控え目だけれど非常に繊細で品のある演技を目指していたのだと思う。特にナオコをやった女子の、何もしない(ように見える)存在感は際立っていた。
 3人の男子も良かった。告白のシーンはいかにもという感じでやっているように見えるが、ありふれた高校演劇のこれでもかとは明らかに異なる抑制が見えて、実にいい気分で笑わせてもらえた。何も考えず思い切ってやっているだけのように見えて、実はこのあたりまでという線引きが3人の中で共有されていたのだろうと思った。これはなかなかできることではない。全員の声の大きさなども恐らく計算されたもので、出すのは簡単だけれど、ちょうどいいところにみんなが調整するのは簡単なことではないだろう。意図された自然な会話というのは、高校演劇では非常に珍しいものだと思う。
 最初の方で、みんなが楽器を演奏するシーンがとても良かった。この音の小ささが何とも言えず新鮮だった。最初、スピーカーから聞こえるか聞こえないかという小さな音(リズム?)が出ているなと思っているうちに、一人また一人と非常に臆病な音が加わっていく感じが良かった。お互いにつながりを作ることの難しさと不安を表しているように思えて、何と言えばいいのだろう、一気に劇世界に引き込まれるような気がした。わたしは大音量もけっこう使ったが、この、気付かない人もいるかもしれないような小さな音というのには非常に弱いのだ。
 これでもかと押していくことが多い高校演劇特有の風潮の中で、芝居というものが持つ繊細な楽しさと遊んでいるような舞台作りに好感を持った。いい舞台を観せてもらったなと思った。

甲府西高校「盤上の沖縄戦」
 わたしは知らなかったが、既成台本なのだろうか。最初花道から登場した女子の自然な動きに目を奪われた。二人芝居だが、もう一人の女子も自然に動けていて、碁盤を挟んだ2人のやり取りはとてもリラックスした雰囲気で良かったと思う。これだけで最後まで持って行ってくれたら、とてもいい舞台になったのにと思った。台本がそうなっていたのかもしれないが、一々前に出て沖縄戦の事情を演じるところで流れが途切れてしまい、この部分のそれらしい演技はあまり効果的にはなっていないと感じた。この日観た4校の中ではわたしは2位だと思ったので、少人数で大変なのかもしれないが、装置は代用品ではなくぜひパネルを作って欲しいと思ったことを言っておく。

 昼休みにこのお店を探して、牛すじ煮込みのランチ700円を食べた。
e0320083_2139773.jpg
 食後に、前の道から。
e0320083_21392794.jpg
 これ、甲斐駒ヶ岳だよね。すぐ近くにこういう山が見える街というのはいいなと思った。
 食後の一服を済ませてホールに戻ると、Mさんと事務局のMさん(あれっ、イニシャル同じだ)がいた。事務局のMさんは甲府南が終わると予定があると言って帰ったが、Mさんとわたしは最後まで観て一緒に普通列車で帰った。甲府16:46発の立川行きは、乗ってみたらセミクロスシートの車輌だった。ボックス席を確保できたから、判っていたら飲み物などを買ってから乗ったのにと思った。
 いろいろな話をしたが、先日の埼玉県大会で、時間オーバーの学校に対して非常に不明朗な処置が取られたことを知った。わたしはもう現場を退いた人間だからこれ以上は書かないが、一貫性のない扱いは今後に禍根を残すだろうと感じた。

 ここまで書いて、アップする前にツイッターを確認したら、山梨の結果をMさんがリツイートしてくれていた。わたしが観た4校からは、甲府南が最優秀、北杜が3位で関東進出を決めていた。北杜が関東に行くということだから、一点だけ付け足しておきたいと思う。
 彼らが作るオブジェはずっとカバーされた形で舞台にあったが、最後にその姿を見せるのはよほど考えないとまずいことになると思う。遠慮なく言わせてもらえば、あの程度のものではプランさえあれば1時間でできてしまうと思った。見せるのであればやはり観客を唸らせるインパクトが欲しいし、最後まで見せない(途中も舞台に出さない)処理を考えた方がいいような気がした。まあ、外野の無責任な感想ですから、無視してもらっていいのですが。
by krmtdir90 | 2017-11-29 21:40 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

高校演劇2017・埼玉県大会(2017.11.18・19)

 今年も埼玉県高等学校演劇中央発表会を観に彩の国さいたま芸術劇場に行ってきた。10校の舞台を観せていただいたが、そのうち何校かについて感じたことを書かせてもらう。

 最初に秩父農工科学高校「Solid Black Marigold」を取り上げたい。昨年までわたしは農工の舞台の好意的な観客ではなかった。舞台作りの総合的力量はずっと認めているが、単刀直入に言ってしまえばKさんが書く台本が好きになれなかったのである。だが、今年は違った。
 もしかすると、今年は全国や国立があって余裕がなかったのかもしれない。Kさんからすると、今回の台本はあまり満足の行くところまで持って行けなかったということかもしれない。いつになく素材が生のまま出ている感じがして、作者の問題意識などもかなりストレートに並べられてしまった印象があった。未整理と言ったらいいだろうか。それでももちろん、最後にはそれなりのまとめはつけていて、それはさすがだなと思う一方で、ちょっと意地悪な言い方になるが、広げたものを懸命に回収しようとしているKさんという人が見えているのが面白いと思った。いつもならもっとかっちりとコーティングを施し、もっとガードを固めて隙を見せない世界を組み立てるのにと思った。そう考えると、今回の台本は甘かったのだろうか。
 わたしは褒め言葉のつもりで書いているのだが、今年の台本には幾つか破れ目のようなところがあったと思う。そこが実は、わたしが共感できる入口のようになっていたのではないかと思う。突き詰めるばかりがいいとは思えないのである。本当はまた誰か死ななければならなかったのかもしれないが、そこまで追い込まない(追い込めなかった?)今回の台本にKさんの可能性があるような気がした。ラストで、カナトの呼び掛けに誰一人呼応する者がなく、背後にみんなが無表情のまま立っている「絵」は怖かった。

 あとは付け足し。シリア?問題とイジメ問題とを重ね合わせる視点は思いがけず、なるほどと思ったが、台本としては取って付けた感じが拭えず、書き切れていないと思った。問題があの女の子(メルバ?)一人に閉じているところが弱いのではないか。あと、装置がなぜ廃墟なのかということがここで判るのだが、装置に役割を負わせ過ぎているようにも思えた。物語の構造からすれば、当初の装置はもっと教室的であるべきだし、それが突然廃墟のように見えてくる(実際にどうやればいいのかは判らないが)、つまり「教室→シリア」でないと衝撃力は生まれないと思う。
 もう一つ、マリーゴールドの正反対の花言葉が効果的に使われていたが、黒いマリーゴールドの使い方は成功しているとは思えなかった。「黒=絶望(親愛の情の死滅)」というのは図式的過ぎて、あまりいいとは思えない。あと、ラストでモニター画面にマリーゴールドが映し出されたが、これが黒くなったら嫌だなと思っていたが、そうはならなかったのでホッとした。いまは簡単にああいう映像が使えるのかもしれないが、果たしてそれが効果的だったかどうか。わたしの時代なら、無数のマリーゴールドの花を降らせるところだなと思った。

 今年一番びっくりしたのは越谷南高校「宵待草」だった。Yさんが台本を書くというのは聞いたことがあったが、こういうものを書くとは思わなかった。まったく思いがけない舞台で、楽しんで観させてもらった。ただ、こういう背伸びを認めない審査も多いから、関東は無理だろうと思っていたが、予想を覆して最優秀に選ばれたのは本当に良かった。
 わたしは高校生の無謀な挑戦というのが大好きで、ずいぶん跳ね返されてきたけれど、Yさんも生徒たちもそれが無謀であることを判ってやっているところに共感を覚えた。どうやったところで高校生には手に負えない芝居というのはあるわけで、その前提の上で、変に判った気にならずに、正攻法でそこに近付こうとしているところが素晴らしいと思った。最も困難が伴うリアリズムでやろうとしているから、足りないところはまだまだいっぱいあるけれど、それはまだやれることが無数に残っている(終わりはない)ということでもある。これは楽しい。

 以下はこれも付け足し。Yさんに少し話を聞いたら、この台本はもともと卒業生のために書いた2時間超の台本をカットしたものなのだという。それでなるほどと思ったのだが、もう少しカットの仕方は工夫できるのではないかと感じた。わたしは自分では書けなかったから、既成の2時間超を毎年カットしていたような気がする。だからカットの難しさは承知しているつもりだが(自分の本をカットするのはまた違った難しさがあるのかもしれないが)、時間の経過も含めて展開のぎこちなさはまだ修正できるような気がした。時代の雰囲気をどう入れていくか(残すか)が鍵なのだと思うが、これでもう一苦労というのは作者冥利に尽きるのではないだろうか。
 あと、装置のことで少々。上手が混み合い過ぎてバランスが悪かった。上の大会は広い舞台になると思うから(芸術劇場でも可能だったはずだが)、台上はもっとフラットにして、役者が複雑な動きをしなければならない作りは直した方がいいような気がした。もう一点、一番不満だったのはカフェのドアの作り。外から来た役者はここで後ろ向きになるしかなく、中の人はここで一度見切れてしまうしかない。このドアを入ることと中に迎え入れることとが展開上大きな意味を持つ箇所があるのだから、ドアを挟んだ両者がしっかり見える構造を(どうすればいいかは判らないが)工夫する必要があるのではないだろうか。

 新座柳瀬高校「Lonely My Sweet Rose」は残念だった。だが、上記2校を上と見る審査の観点はそれとして理解できるものだったと思う。今回の柳瀬の舞台はもちろんコメディではないが、では何を作ろうとしたのかが、台本としてもう一つ鮮明にできなかったということではないかと思った。事前のツイッターでは「王子さまとバラの儚い(切ない)恋」とまとめていたが、本当にその視点にまとめ切れていたかどうか。ラストシーンを視覚的に豪華にする方向でやっていたが、照明やドライアイスのない状態で王子さまとバラの花に何をさせたかったのかがはっきりしなかったような気がした。
 最後が「わー、きれい」だけで終わるのでは、演劇的なカタルシスとは言えない。「恋」に着目するのであれば、旅立つ前の王子さまとバラのやり取りの部分と、王子さまがバラの気持ちを理解できずに自分の星を後にするあたりを、(単純に説明的なシーンを増やせということではなく)もう少し拡大してみる必要があったような気がした。そこが明らかにされて初めて、その後の王子さまの「気付き」の過程がドラマチックなものになるのではないか。
 素材が有名な「星の王子さま」だったことも影響したのか、いつもは原作から大きく飛躍してみせるMさんの魅力があまり発揮できていなかったような気がした。今回、単サスを始めとする照明効果に頼り過ぎてしまったこともあって、そういう台本の「弱さ」がかえって際立ってしまったのかもしれないと思った。だからといって、「星の王子さま」を何度も舞台化したと言っていた審査員の台本が、Mさんの台本より優れていたという気はまったくしないのだけれど。

 最後に芸術総合高校「朝がある」についても触れておく。率直に言わせてもらうと、全国に行った「…アントニン・レーモンド建築…」の呪縛に囚われるのはもうやめた方がいいのではないか。あの舞台を最初に観た時、わたしは全体が「スタイリッシュ」に頼るところがどうしても好きになれなかったのだが、その後全国まで行ったということは、役者たちの芝居がその後格段に良くなったということだろうと思っている。
 今回の台本は、そもそも役者たちのセリフのやり取りがほとんど(まったく)ないのだから、芝居として良くなる要素は最初からないと言うしかない(どこまで行っても、モノローグとパフォーマンスでしかない)。潤色・再構成とあったが、その台本がつまらないというのがすべてだった気がする。それを照明などの「見た目」で誤魔化していただけで、「スタイリッシュ」としても「…アントニン・レーモンド建築…」にははるかに及ばないと感じた。これを3位とした審査結果には違和感があるが、まあ、それは言っても仕方がないことなのでここまでにする。
by krmtdir90 | 2017-11-21 22:26 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(4)

高校演劇2017、西部A地区秋季発表会(2017.9.23~24)

e0320083_17383437.jpg
 9月23・24日、朝霞市コミュニティーセンターで行われた演劇の西部A地区秋季発表会に行って来た。2日間で7校の上演が行われたが、久し振りに楽しい時間を過ごさせていただいた。以下、上演順にわたしの感想を書いていくことにする。いつものように率直に書かせてもらうので、少しの批判で傷ついてしまう人は読まない方がいいかもしれない。ついでながら、批判されることが許せない人は上演なんかしない方がいいのではないかと思う。こんな前置きをしなければならないのは残念である。

和光国際高校「たりたの疾風」
 この人の書く台本は相変わらず説明ゼリフ過多で、登場人物が状況や心情を説明してばかりいるので、人物像がちっともふくらんでこない。人物がストーリー展開のために操られている(奉仕させられている)だけのように見えてしまう。「追い込まれた時こそ…」というキーワード(テーマ?)を最初から連呼してしまうので、本来セリフのやり取り(その作り出す関係や状況変化など)から自然に浮かび上がるべきプロセスが、この台本ではすっぽり落ちてしまっているように思われた。そういう部分が不足しているため、役者は非常にがんばっているのに(殺陣なども)、がんばればがんばるほど役に酔っている(役に対する冷静な視点がない)ように演じるしかなくなっていくのだと思った。
 生徒たちのやる気が、こういうかたちでうまく生かされていないことが残念でならなかった。

細田学園高校「ぼくんち」
 子ども(この場合は小学1年生)を舞台上に作ろうとする時、いかにも子どもっぽく作ろうとしてしまうと失敗することが多いのではないか。これは老人の場合でも同じなのだが、老人ぽく作ろうとした瞬間に老人は舞台上からいなくなってしまう。これは、舞台で様々な役を作ろうとする時の一般論としても言えることで、いかにもそれらしく作るのは危険も大きいと知るべきである(お笑いやギャグなどで意図的にそれを作ることはあるので、一概には言えないが)。
 この台本は子どもたちをどんなふうに作ったらよかったのか、観ていてあまり面白く感じられなかったのは、どうもそのあたりの作戦の立て方にミスがあったように感じた。あと、審査員の指摘から台本を見せてもらったが、ラストの書き換えはあまり適切とは言えないと思った。

新座総合技術高校「アメリカンに謎解きを。」
 生徒創作だが、いま流行の刑事ドラマとはいえ、一つのストーリーを曲がりなりにも最後まで作り上げていたことには感心した。だが、そのストーリーを舞台でかたちにしていくためには、お芝居の様々な約束事(舞台上の制約)といったものをもっと勉強する必要がある。台本を書く時はどんなことに気をつけなければいけないのか、それを知らずに創作台本に挑戦するのは危険だということである。せっかくのストーリーも生かされることなく終わってしまうと思う。
 キャンディスといったぶっ飛んだキャラを作り出したところなど、いかにも生徒らしくて楽しかったが、このキャラが面白すぎた反面、他の捜査一課の面々が若干個性に欠けていたような気がした。せっかくなのだから、全員にもっと思い切ったデフォルメをしても良かったのではないか。

朝霞西高校「スナフキンの手紙」
 このところ、鴻上尚史・高橋いさをといった往年の傑作戯曲に連続して挑戦している朝西だが、今回の舞台が一番きっちりと仕上がっていたのではないか。審査員の指摘にもあったように、鴻上の台本を1時間にカットしようとすると、どうしても最も鴻上らしい笑いのシーンをどんどん切るしかないのだが、それを認めた上で、今回のこの舞台は精一杯楽しめる舞台に仕上がっていたと思う。
 1、2年生混成の役者陣だったが、あまり凹凸なくそれぞれのキャラクターを際立たせていたし、セリフや動きのテンポも快調で、ストーリーをきちんと転がしていたのには感心した。確かにカットのため若干判りにくくなってしまったところはあったものの、元々よく判らん鴻上の芝居を、大きな乱れもなくしっかり最後まで見せ切っていたのは立派である。

朝霞高校「りんごの木の下で」
 シチュエーションの作り方にかなり無理がある台本だと思うが、演技でそれなり誇張するところは誇張しながらも、ギャグ的な動きなどに安易に逃げることをせず、セリフの作り出す関係性の面白さや、行き違いや勘違いの微妙な間といったもので、つまり芝居そのものの面白さを表現することで、客席の笑いを取っていたのは立派だった。遠慮なく言えば、お母さん役以外の生徒はお世辞にも上手いとは言えないレベルだったが、最後までブレることなく愚直にそれぞれの役を演じ切ったことが、後半になって次第に客席を掴んでいった理由だったと思う。
 今回の舞台で朝霞の生徒が獲得した客席の笑いは本物だった。そのことを忘れないで欲しいと思った。芝居の出来はまだまだなんだけどね、それでも客席を掴んでしまうということはあるのだ。

新座高校「お葬式」

 新座は生徒が代替わりすると、前に上演した得意な台本を再演する試みをよくやっているので、この台本も何度目かの上演だったはずである。そんなに覚えているわけではないが、過去の上演で素晴らしい「お葬式」があったという記憶はあって、それからすると今回の舞台はあまり面白いとは思えなかった。細田のところで書いたことに重なるが、やはり子どもっぽく作ろうとし過ぎてしまったことが問題だったと思う。それと関係すると思うが、(言い方が難しいのだが)細部をきちんと作ろうとするあまり(それは悪いことではないのだが)、以前は魅力であった新座的な「ゆるさ」といったもの(自然な感じ)が失われていたようにも感じた。 
 もちろんいろいろなところを作らなければ芝居にはならないのだから、難しいものである。

新座柳瀬高校「Lonely My Sweet Rose」
 「星の王子さま」の翻案である。数年前に上演したものの再演だが、今回は台本の構成がより明快になったように感じられ(台本はほとんど変えていないということだったが)、ラストがよりドラマチックになったのは確かで、柳瀬でなければ作れない舞台をしっかり見せてくれていたと思う。
 照明効果の美しさは息を呑むばかりで、ファンタジーの世界を見事に構築していたと思う。それは認めた上で、照明プランはもう少し単純にできるのではないかと感じた。見せ場となるイメージ明かりは別にして、エリア明かり(地明かりや単サス)を細かく作り過ぎたために、シーンの安定感(安心できる時間)が損なわれたように感じられるところがあった。それに、これだけやってしまうと、役者の立ち位置と当たりの微妙なズレなども必要以上に気になってしまったように思う。

 今回はコンクールなので、全日程終了後、審査員から顧問に対して地区の上位2校(県大会進出の可能性がある)が伝えられたが、わたしの見方と合致していたので安心した。ブロックとしては、次の土日に行われる南部地区の結果を待たなければならないが、何とかA地区から2校を実現して欲しいと願っている。皆さん、お疲れさまでした。
by krmtdir90 | 2017-09-25 17:39 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

歌舞伎見物「野田版・桜の森の満開の下」(2017.8.16)

e0320083_18265646.jpg
 8月の納涼歌舞伎は恒例の3部構成で、第3部(夜の部)が「野田版・桜の森の満開の下」だというので、これは観たいと思って妻に同道して行って来た。
 わたしは「贋作・桜の森の満開の下」を観ていないから、今回の舞台がどんなふうに進化しているのかは判らない。だが、歌舞伎の演目となって歌舞伎座で上演されても、これはいわゆる歌舞伎の枠からは大きく外れた、野田秀樹の舞台そのものに違いないと思った(野田自身が台本を手直しし、演出もしている)。もちろん、歌舞伎の歴史というものが常に時代の新しいものを取り入れ発展してきたことは理解しているが、それにしても、これはまたあまりに思い切った挑戦だと感心した。
 そして、それは恐らく素晴らしいことなのだ。50年後、100年後に、これが未来の歌舞伎座で当たり前に上演される演目になっているとしたら、こんな愉快なことはないと思った。

 確かに、野田秀樹に特有なセリフの面白さとかテンポなどは、歌舞伎となったことでかなり削がれてしまったところはあっただろうと思う(実に思い切って野田風にやってはいたが)。しかし、ラストの耳男と夜長姫の絡みの美しさなどは、歌舞伎だからこそできる見事なシーンになっていたと思うし、いまこういうかたちで野田秀樹の舞台が甦る意義は大きなものがあると感じた。
 この戯曲を歌舞伎として上演するという話は、野田秀樹と親交のあった故中村勘三郎との間で相当早い段階から出ていたものらしい。それがいま、子どもの勘九郎(耳男)・七之助(夜長姫)を軸に実現したというのも素晴らしいことである。勘九郎はやや野田のセリフについて行けてないところがあるような気もしたが、七之助の夜長姫は終始見事だったと思った。女役だからこそ作れる微妙なニュアンスというものがあったように思う。
 ついでに付け加えておけば、市川染五郎のオオアマはやや線が細いように感じた。猿弥のマナコは雰囲気は合っているのだが、如何せんセリフのスピードが自分のものになっておらず、がなり立てるばかりで言葉としてほとんど聞き取れなかったのが残念だった。

 作品としての中身に踏み込んだ感想は書けそうにない。改めて野田の戯曲を読んでみたい気もするが、現役の頃ずっと縁がないまま来てしまったのだから、今さら読んでも仕方がないかとも思ってしまうのである。坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」は読み直してみたが、なるほどこれをこんなふうに膨らませたのかと、野田の才能の凄さを感じたのは確かである。
 いまはインターネット経由で初演時の「贋作・桜の森」の映像を観ることも可能なようだが、それもまあいいかと思っている。当時リアルタイムで触れることができなかったという事実は変えられないのだから。
by krmtdir90 | 2017-08-17 18:30 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

新座柳瀬・全国大会壮行公演(2017.7.20)

e0320083_10522275.jpg
 仙台の全国大会まであと僅かになった。きちんとしたホールでの最後の公演ということで、ちょっと新座市民会館まで様子を見に行ってきた。
 このホールには上手の壁にデジタルの時刻表示があって、途中からそれが気になって仕方がなかった。何となくキレが悪いというかノリが悪いというか、これでは60分を超えるのではないかと心配していたら、案の定1分ほどオーバーしたようだった(袖での正確な計時がどうだったのかは判らない)。あとで顧問に聞いたら、この日は2回公演したので疲れていたようだと言っていた。午前中に全校生徒を前に一公演を打っていたのだ。確かに生徒にとって一日2公演は相当辛いものがあるのだろうなと思った。
 いろいろ感じたことはあるが、いまはそれを書いても仕方がないだろう。新しいキャストを加えての「作り直し」の舞台ということで、細かいところにいろいろ修正を加えたりしていたようだが、その成否は本番の上演で明らかになるということだ。少なくともその多くが「判りやすくする」という方向で行われていて、新キャストを入れての一つのかたちはきちんと出来上がっていたので、あとは仙台の観客に期待するということになるのだろう。
 今回、平日の18:30開演ということで、集客はやはりかなり難しかったようで、残念ながら客席には空席が目立った。高校生の姿も少なかったように思う。それで思ったのだが、この芝居は客席にたくさんの高校生がいることが期待されていて、そういう意味では見事な「高校演劇」になっているのだということである。高校生という「大衆」に支持された時初めて成立する「高校演劇」である。この日の客席は、その点ではちょっと厳しいものがあったかなと思った(全校生徒に向けた1回目の公演ではどうだったのだろう?)。
 ともあれ、準備は整った。わたしも新幹線のきっぷを押さえたし、あとは仙台での舞台を楽しみに待つことにしよう。体調管理だけはしっかりやって、いつも通りの楽しい舞台を作ってください。
by krmtdir90 | 2017-07-20 23:59 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

コピスみよし2017第16回高校演劇フェスティバル(2017.6.18)

e0320083_2194320.jpg
 今年もたくさんのお客さまにおいでいただき、大成功のうちに幕を閉じることができた。わたしは前日(17日)のリハーサルから、本番当日の6校の舞台まですべてを観させていただいたので、とりあえず簡単な感想を書いておくことにする。いつものことだが、感じたことを遠慮しないで率直に書かせてもらうので了解していただきたい。

坂戸高校「修学旅行」
 坂戸高校はこのところずっと連続してコピスに出演しているが、この間にはっきりした部のカラーが出来上がった感じがあって、今回も見事な仕上がりを見せてくれたと思う。前にも書いたかもしれないが、わたしはこの手のハイテンションな舞台作りは実は苦手なのだが、坂戸に限っては「こういうのもありだよなァ」と不思議と納得させられてしまうのである。坂戸は「ここまでやるか」という、やり過ぎになるギリギリ一歩手前のあたりまでキャラクターを立たせて演じるのだが、それが個々のバラバラ感につながってしまうのではなく、互いに響き合って全員で活気溢れる舞台を成立させてしまうのである。これは簡単にできることではない。
 今回、朝一番という難しい上演だったにもかかわらず、朝から満席になった客席をぐいと掴んだまま、ゆるむことなく最後まで引きずり回して?くれたのは素晴らしかった。こんなふうに反応があると客席にいても楽しいし、やっている側も楽しかったのではないかと思う。コピスのフェスティバルが標榜する「お客さまに楽しんでいただく舞台」を、一本目から実現してくれていたと思う。主役の5人はもちろん、それ以外の脇役もしっかり造形できていて、スタッフも含めて全員の力が結集した好舞台になったのではないだろうか。坂戸の舞台によって、畑澤聖悟のこの台本はやはり素晴らしい台本だと再認識させられた。

朝霞高校「酔・待・草」
 竹内銃一郎の傑作台本だが、自分たちとしてこれをどう上演するのかという読み込みが不足していたように感じた。マリヴォーと違って著作権フリーの作品ではないのだから、時間の関係でカットするのは仕方がないとしても、勝手に現代に移したりセリフを変えたりすることは避けなければならない。少しはまずいと思ったのか、プログラムに顧問(たぶん)が言い訳のような「解題」を書いていたが、こんなものを書くくらいなら判りにくいセリフに註をつければいいだけの話しで、そのくせ台本の展開に重要な意味を持つ「全国こども電話相談室」については一言も触れていないのは片手落ちではないだろうか。ケータイやスマホの普及した時代にこの番組が成立するとは思えないし、実際2008年にこの番組は終了しているのである。電話がどこか別の世界とつながっているというワクワクする感覚は、ケータイのような日常化したかたちでは表現できないものだと思う。サンダンスがかける課長への電話口で、仲間がいろんな物真似をして彼をおちょくるというようなことも、ケータイの時代にはもうリアリティが生まれないような気がした。もう一点指摘しておけば、原作で「静かな湖畔」が歌われるのは、「もう起きちゃいかがと郭公が鳴く」という歌詞が、女が眠るように倒れている場の状況と響き合っているとは考えなかったのだろうか。いずれにせよ、台本に対するリスペクトを忘れた改変からは何も生まれないことに気付かなければならないと思う。
 台本の話しばかりになってしまったが、キャストの作り方も方向性が定まっておらず、妙な戯画化を施した部分がまったく客席に届いていなかったことも反省しなければならないと思う。

筑波大坂戸高校と助っ人たち「階段パフォーマンス」
 昼休みのお楽しみとしてすっかり定着した「階段」を、今年も次につないでくれたみんなに感謝である。今年は観客もいままでで一番多かったのではなかろうか。前日のリハではノリが悪くて少し心配したが、本番ではみんな表情豊かに楽しく踊ってくれたのでホッとした。セリフの部分で、もう少し観客の反応を見てから喋れたらもっと良かったのに(もったいないことをした)と思った。来年は舞台の方に出演校として戻って来られたらいいね。

新座柳瀬高校「Love & Chance!」
 「全国」に向けた新キャストの最初の舞台ということで、期待もあったが心配もあった。でも、いまの時点でこれだけ出来ていれば、おおむね上出来の部類に入るのではなかろうか。顧問のMさんとはいろいろ話したが、とにかくまだ一ヶ月以上あるのだから、これから変われる余地はいっぱいあると考えるべきだろう。
 入れ替わったキャストは、現段階ではとてもがんばっていると感じた。特に1年生で抜擢されたリゼットとルイーズは、表情も豊かだし伸び伸びやれている感じで良かったのではなかろうか。リゼットはセリフや動きも多く、物語を転がす重要な役回りだから大変だと思うけれど、自然に出てくる感情の流れを大切にして、これからも思い切ってやってほしいと思った。シルヴィアには2年生が入ったが、2年生ということで少し責任の重さを感じ過ぎているのかもしれない。「感情を大切にして、思い切って」というところで、やや自分を押さえて「形」に逃げてしまっているところが感じられた。この役の華やかさは「形」だけでは生まれない。気持ちの部分をもっと素直に出せるようになればずっと良くなると思うので、何とかきっかけが掴めるようにがんばってほしいと思った。
 一方で、役が替わらなかったキャストもマンネリに陥らず、新鮮な気持ちでやれているようなので安心した。7月20日の壮行公演、期待しています。 

朝霞西高校「ある日、ぼくらは夢の中で出会う」
 正直、ちょっと眠くなってしまった。原因は幾つかあるが、わたしの側のことを別にすれば、キャストのテンポが単調で変化に乏しかったことが大きかったと思う。この台本の要求しているテンポは違っていると思うが、春に観た時「これもありかもしれない」と思ったのだから、この点についてはその前提で今回も観ていた。だが、唯一女子が演じたカトウを始め、全体としてセリフに勢いがつけられなかったことが大きかったのではないかと感じた。勢いというか力というか、とにかくやり取りが総じて元気がない印象があって、セリフが客席まで届いてこないような気がした。カトウが遠慮していてはこの芝居は転がって行かないし、もっとみんなが前に出ようとする姿勢を見せないと、客席を引っ張っていくことはできないだろうと感じた。みんないいものを持っているのに、それが出し切れていないのは残念な気がした。
 あと、照明が暗かったのも残念だった。リハの時から感じていたのだが、長方形に切ったエリア明かりが、アイディアはいいのだが如何せん暗くて立体感に乏しく、キャストを見せるという意味では成功していなかったように感じられた。

星野高校「リトルセブンの冒険」
 この手のファンタジーは星野好みの台本なのかもしれないが、料理の仕方をよほどしっかり考えてから取り組まないと、ただセリフとスジをなぞっただけで終わりになってしまうと思った。ストーリーの展開が早いのだから、逆に一つ一つのシーンがもっと強い印象を残すように作られていなければならなかったのではないか。たくさんいる登場人物のうち、ミラード公爵やクリスタニア女王などはそれなりに強烈なキャラクターを作っていたが、レッドローズや、何よりもリトルセブンの面々がまったく作り切れておらず、その他の面々も含めて、シーンを成立させるセリフのやり取りがちっとも面白くならないのである。たぶんアクが強すぎると感じるくらいでないと、この舞台は面白くならないような気がした。そういうものが星野に本当に合っていたのかどうか。
 どのシーンを例にしてもいいのだが、たとえば最初にレッドが逃げて来て、追っ手の2人に捕まってしまい、サンが2人に酒を勧めるところ。一つ一つのセリフや仕草にどんな意図や思惑があるのかが意識できていないし、すべてがそういうもののぶつかり合いとしてやり取りされなければ、それぞれのキャラクターは出てこないし、そうしたことをもっと強烈に発散しないと、結局何も表現されないまま通り過ぎてしまうことになってしまう。シーンを構成する全員が一丸となってそのシーンを演じてくれないと、ストーリーは痩せ細るばかりなのである。エピソードの積み重ねがあまり客席のワクワク感につながっていなかったように感じられたことを、ぜひ考えてみてほしいと思った。

東京農大第三高校「翔べ!原子力ロボむつ」
 この舞台を観るのは4回目になるが、緊張感のある非常にいい舞台に仕上がっていたと思う。おかしな言い方になるが、部員全員がこの台本を演じることに使命感と自信を持っていることが感じられた。この一体感は素晴らしいものである。以前からずっとがんばっていたが、昨年の「もしイタ」から農大三高は明らかに変わったのだと思う。それは上演以外の場面でも、廊下やロビーで見かける彼らの姿からも感じられるような気がした。
 「もしイタ」の時もそうだったが、回を重ねるたびにドラマの部分が充実してきているのは大したものだと思った。今回もサツキ・ミナヅキの2人が力尽きるところを、これまで見事に重なっていた2人のセリフを微妙にずらして表現したところなど、細かいところへの配慮や作り込みが感じられて感心した。カズキも今回が一番いい出来だったのではなかろうか。
 物語の前提となる放射性廃棄物に関する情報を観客に届けるところも、きちんと意識して丁寧にセリフを言っていることが感じられて良かった。台本に書かれた重いテーマは、この舞台を通じてしっかり観客に伝えられたのではないだろうか。「それにしても、いったいどうするんだ十万年も」と、みんなが考えないではいられない舞台になっていたと思う。
by krmtdir90 | 2017-06-21 21:09 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(4)

コピスみよし2017第16回高校演劇フェスティバル、スタート

 コピスみよし高校演劇フェスティバルは今年で16回目を迎えた。今回出演する高校生たちとほぼ同じ年齢を重ねてきたことになる。
 5月16日(火)に、今年最初の実行委員会と出演校打ち合わせ会があったので行って来た。毎年この季節になると集まってくる関係者の輪が嬉しい。高校生たちは毎年入れ替わっているのだが、それをみんなで支え、お客さまに楽しんでいただくための準備が今年も始まった。
e0320083_1134148.jpg
e0320083_11344412.jpg

by krmtdir90 | 2017-05-16 23:59 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)


カテゴリ
以前の記事
画像一覧
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
メモ帳
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
ブログジャンル