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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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東大附属の「アリス」(2018.10.7)

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 10月7日(日)は最初から映画を見に新宿に出掛けたわけではない。午前中、新座柳瀬のMさんと一緒に東大教育学部附属中等教育学校の文化祭に行って、午後は山梨に行くというMさんと別れたあと、せっかく新宿に出たのだから一本見てから帰るかという気分になったのである。夏が戻ったような天気だったから、昼食に入った蕎麦屋でつい昼ビールを飲んでしまい、これではつまらない映画だと寝てしまうかもしれないと思っていたが杞憂だった。そういう状態なのにグイグイ引き込まれたのだから、あの映画(「判決、ふたつの希望」)がどんなに面白かったかは明らかだったと思う。

 さて、Kさんが支配人?をしている東大附属の演劇部は、中高一貫であるため1~3年の中学部と4~6年の高校部がそれぞれの舞台を作っているらしい。いままでは高校部の舞台を見に行っていたのだが、今回は中学部が稲葉智巳作の「Alice!2/白ウサギのお見合い編!?」を上演するというので、Mさんに誘われて初めて中学部の舞台を見せていただいたのである。
 中学の演劇部にも関東・全国とつながるコンクールがあって、都大会を目指す地区大会が次の日曜(14日)にあるというのを聞いたので、楽しい舞台を見せてくれた生徒諸君にお礼と応援の気持ちを込めて、以下に簡単な感想を書いておくことにする。

 中学校の演劇部がどんなことをやっているのか全然知らないのだから、あまり安易な物言いは避けなければいけないが、東大附属の「アリス」は、高校生も顔負けの素晴らしい舞台を作り上げていたと思った(ずっと感心しながら見ていました)。
 稲葉智巳の作る舞台(作・演出)をそれなりに見てきた者からすると、彼の台本を他校がやるのは(高校であれ中学であれ、またそこらのアマチュア劇団であれ)非常にハードルが高いと思っていた。それなのに、今回のような素敵な舞台が(高校生ではなく)中学生によって作られてしまったということには、お世辞ではなく率直な驚きを禁じ得なかった。中学生を甘く見ないでほしいと言われているような気がした。
 稲葉智巳の書くセリフを新座柳瀬以外の生徒がやる場合、(彼の訓練を受けているわけではないので)テンポや間合いなどが多少のっぺりしてしまうのは避けられないことだと思う。それでもセリフの言葉一つ一つをきちんと立たせて、勢いを失わないように言うことが出来れば、もともとしっかり書かれているセリフだから客席にはちゃんと伝わるようになっているのである。だが、そうは言っても、これをやり切るのはそう簡単なことではなく、見る前はそんなに期待していたわけではないことは正直に白状しなければならない。

 しかしながら、予想は見事に覆された。この台本が要求していることはいろいろあるが、中学生としてここまで出来ればもう胸を張っていいのではないか。高校生だと言っても十分通用するほどの成果を上げていたと思う。だって、白ウサギをやった高尾さんは1年生だったわけでしょ。ついこのあいだまで小学生だったんだよね。そんなのとても信じられないよねと、Mさんと話しながら帰った。当人は少しは緊張があったのかもしれないが、それを感じさせない堂々とした芝居が出来ていたのではないだろうか。
 3年生の4人、三月ウサギの原さん、ハートの女王の中村純さん、帽子屋の中村怜さん、チェシャの角田さんは、みんな役にピッタリ嵌まっていて、それぞれの個性をよく生かせていたと思った。セリフもしっかりしていたし、見終わったあと、それぞれのキャラクターが鮮明に記憶に残ったのは大したものだったと思う。個人的な好みはあるが、それは言わない。でも、そういうことを言いたくなるところまで達していたというのは、高校生の舞台でもそうはないことなんだからね。
 2年生の2人、アリスの小村さん、料理長の唐澤くんは、3年生と比較したら可哀想だけれど、それぞれ精一杯頑張って愛すべきキャラクターを作っていたと思う。小村さんは、もう少し笑顔が見せられる時があるとずっと魅力的なアリスになると思った。唐澤くんは、時々照れたように視線を落としてしまうところが残念で、そこが吹っ切れればもっと楽しくやれるのではないかと感じた。
 敢えて全体的な希望を言えば、みんなの一生懸命さがそのまま出てしまう感じがあるので(必ずしも悪いことではないのだけれど)、表情などにまだ硬さが残ってしまうところがあるのがもう一歩だった。一生懸命明るくやろうとするのではなく、意識してないのについ明るくなっちゃうという感じになれば、いっそう楽しい舞台になるのではないかと思った。

 いまのままでも十分に面白い舞台になっていたので、14日は自信を持って自分たちの演技を楽しんできてください。いい知らせを待っています。
by krmtdir90 | 2018-10-10 08:54 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

高校演劇2018・埼玉県西部A地区秋季発表会(2018.9.22~23)

 発表会があったのは一週間以上前である。上演された7校の舞台をすべて見させていただいたのだから、いままでなら礼儀として数日中のうちに感想を掲載してきたところである。だが、今回はいろいろ考えてしまうことがあって、中国旅行記を理由にきょうまで延び延びにしてしまった。旅行記も終わったので、もう書かなければならないだろう。

 まず講評というものについてである。今回西部Aでメインの審査員をされたのは高校演劇サミットの林成彦氏で、今年から事務局長に就任したMさんが強く推して実現した人選だったようだ。その講評を聞いて、わたしは非常に勉強になったと率直に思っている。Mさんの意図も理解できたと思う。わたしには出来なかったことだが、こういうふうに具体的に言ってもらえて、励ましてもらえたら生徒は元気が出るだろうなと思った。褒め上手というか、こんなところにスポットを当てればいいのかと、感心させられるところがたくさんあった。
 講評の中身はどの学校に対しても、最初の8~9割が褒め言葉で、残り1~2割が問題点の指摘という構成になっていた。そういう割合で話すこと自体は、その人なりの考えがあるのだからかまわないと思うが、わたしにはどうしても、問題点を指摘する部分がやや気を遣い過ぎのように思えて仕方がなかったのである。これだけ上手に褒められるのだから、もう少しストレートな言い方をしてもバランスは取れるのではないかと感じてしまった。
 どういう点を問題と考えるのかというところは、相手にきちんと伝わるように論理的に言わなければならないものなのではないか。それをちょっとした気付きのように言ったり、軽い提案のように言ったりするのでは、評価の核心部分が生徒に伝わらないような気がしたのである。いいところはいいと取り上げてやるのはとても大事なことだけれど、ダメなところはダメとストレートに言ってやることも必要なことなのではないか。もちろん言い方を考えなければいけないことは判るつもりだが、そこのところに関する物足りなさは、林氏の講評が終わった後もずっとわたしの中に残り続けているのである。
 わたしはもう審査員を引退させてもらったから、いまさら振り返ってみても仕方がないかもしれないが、わたしはいつも8~9割を問題点の指摘に当てていたような気がする。講評時間が短い時はほとんど問題点の話だけで終わってしまうこともあったと思う。わたしに中には、審査員というのは推薦校を選ぶのではなくて、それ以外の学校を落とすものなのだという思いが抜き難くあったのだと思う。だから、落とす学校にその理由をきちんと伝えなければならないという気持ちが勝ってしまい、褒めることが疎かになっていたことは認めないわけにはいかない。
 そんなことはあり得ないが、もしわたしがもう一度審査員をやることがあれば、もう少し褒めることを大切にするかもしれないとは思った。それでも、わたしの基本的な考えはたぶん変わらないし、変えようがないものだと思ったのである。

 こんなことを考えてしまったのは、朝霞西がやった鴻上尚史の舞台(「恋愛戯曲」)が関係している。この舞台は最初から最後まで暗転の連続で、鴻上の本をやる時に絶対にやってはいけないことをやってしまった舞台だった。林氏もこの点には最後に触れていたが、それは考えてみた方がいいかもしれないねといった程度の(言い方を正確に覚えているわけではないが)、優しい指摘にしかわたしには聞こえなかったのである。どんなに役者が上手かったとしても、ここが論旨の中心に来なければ講評としてはおかしかったのではないか。
 新座総合技術の生徒創作(「EMMA」)についても同様の感想を持った。創作に挑戦したいと思った生徒の気持ちは大切かもしれないが、物語として成立していないことはきちんと言ってやらなければいけなかったのではないか。それは顧問を含めたオトナの責任であり、林氏の講評はその点を意識的に外している(或いはぼかしている)としか思えなかったのである。
 退職からもう十年以上が経過してしまったのだが、わたしは西部A地区に13年お世話になった。昔は良かったという話が見苦しいのは承知しているが、あの頃は終演後の飲み会で顧問同士が終わった芝居を俎上に上げ、ああでもないこうでもないとやり合うのが普通だった。少なくとも、核心に触れない傷の舐め合いだけはしたくないとみんなが思っていた。暗転の連続も物語の破綻も、遠慮して当たり障りのないことしか言わない審査員の前で、自分のところは棚に上げて厳しく指摘し合っていただろうと思う。納得できない講評をした審査員に噛み付いたこともあった。
 メンバーが替わり時代が変われば、地区の雰囲気や審査員に求められるものも変わっていくのが当然である。だが、いまの風潮が地区や全体の底上げにつながっているようには、どうしても思えないということなのである。わたしはもう過去の人間だと自覚しているが、批判に耐えられず感情的な反撥を返してくる顧問の存在とか(一人や二人ではなかった)、生徒受けする言葉を並べるだけの講評では(林氏のことを言っているのではない)不十分であることは言っておかなければならないと思う。林氏の、8~9割が褒め言葉というのがそこだけ一人歩きをして、これからの講評のスタンダードになるのだとしたら、それは決定的な誤りだということは指摘しておきたい。

 すでに地区の顧問集団とは別のところにいるのだし、大会などでお互いに助け合うという共通の基盤は失われているのだから、いつまでも昔のような厳しい感想を書き続けるのはやめるべきだと思うようになった。遠慮した方がいいなと感じさせてしまうのは、その集団の方に問題があるのも確かなことだと思っているが、過去の人間はそれを批判するより自分を省みた方が生産的である。年を取ってから、いっそう生産的なことをしたいという願望は強くなっていると思う。

 西部Aを含む埼玉Aブロックの最終結果が30日の夜に出て、新座柳瀬「Ernest!?」)が県大会に駒を進めたのは(玉城デニーが沖縄県知事に当選したのと合わせて)とても嬉しいことだった。だが、正直に言うと、わたしはこの舞台をそんなにいいとは思わなかったのである。もちろん役者の力量とか芝居の上手さとかは抜きん出ていたし、選考の結果は(西部Aしか見ていないのだから、あくまでその中だけのこととして言うのだが)まったく妥当なものだったと思っている。だが、稲葉智巳をずっと見続けてきた者としては、今回の舞台には不満を感じるところもけっこうあったということなのである。
 これまではたいてい、終演後にそれを直に言うチャンスがあったのだが、今回はそれがなかったので、さてどうしたものかと悩んでいる。まあ、いろいろなことに配慮して、今回ここではあまり踏み込んで言うのはやめておいた方がいいだろうという結論になった(と言いながら、結局かなり言っちゃうんですけどね)。
 実は、今回の舞台を見た後で、手許にあった2015年にコピスで上演した時の「Ernest!」(この時は?はついていない)の台本を読み直してみたのである。今回の台本が、ストーリーの展開として非常にバランスが悪いと感じたからである。後半にいろいろなことが集中し過ぎているのではないか。わたしはもともと物覚えが悪く、3年前のことなどほとんど忘れてしまっていたのだが、この台本を読んで鮮明に甦ってくるものがあった。「Love&Chance!」より前だったが、これは稲葉智巳としてはすごく良く書けた台本だったのではないか。それがもう一度確認できたように思う。
 今回の台本では、非常に重要な役回りであったフレディーという役が欠けていたのが大きかった。人数の関係からそれで書き直すしかなかったのだろうが、わたしの印象はすべてそこから発したものだったことが理解された。今回の台本が手許にないから細かい比較はできないが、フレディーによって絶妙に転がされていたストーリーが、きわめて不自由なかたちで進んで行くしかなくなってしまっていたのだと思う。今回はフレディーなしで行こうと決めたのだから、いま前の台本を持ち出すことにはほとんど意味がないが、フレディーが絡むことで様々な設定が少しずつ開示されていた前の台本の自然さが、今回はややギクシャクしてしまった感は否めなかったのではないだろうか。
 あともう一つ、ギャグや役者の作り方に、いままでの稲葉智巳なら注意深く避けていたはずの、「物欲しげなあざとさ」が見え隠れしている部分があったように感じた。3年前にはなかった「オンリーユー」の音楽と照明を使った繰り返しなどは、決して好ましい方向とは思えなかったのである。ウケ狙いの意図が透けてしまうだけで、そこでストーリーや役者の気持ちが途切れてしまっていたと思う。たぶんハンカチのギャグあたりまでが許容範囲なのであって、笑いを無理矢理取りに行っていると感じられてしまうのは作品にとって逆効果だし、何より稲葉作品の美点であった品を損ねてしまうような気がした。
 指摘したいことはもう少しあるのだが、どうしても3年前の舞台と比較したくなってしまうので、まだ県大もあることだし、こうした場ではこのくらいまでで留めておきたいと思う。いい原作を掘り当てたのだから、県大ではぜひ「Love&Chance!」と並ぶ(超える)舞台を見せてほしいと期待している。

 あとは、今回気になった学校について簡単に触れておく。細田学園「スイッチを押すとき」)は原作のある生徒創作だったが、生徒創作にありがちな説明過多に陥らなかったのは(審査員も言っていたが)良かったと思う。どういう舞台にしたいのかも伝わってきた。ただ、役者が全体的に元気がなく、(高校演劇にありがちな)声を張り上げればいいというのではないが、もうちょっと声を大きくして、セリフに変化がつけられるようになったらずっと良くなるだろうと思った。
 今回の上演の中で、朝霞の舞台(「蜉蝣の記」)にはいつになく好感を持った。既成だったようだが、思わせぶりなところが多くてやりにくい台本だったと思うが、きわめて繊細に(ちょっと褒め過ぎか?)台本の世界を作り出していたと思う。役者が変な色気を出さず、終始淡々と演じていたのが(この台本と合っていて)印象的だった。朝霞は時々やり過ぎてしまうのが困ったものだと思っていたが、今回の舞台作りの方向性は安心して見ていることができて良かった。上記2校、さらなる精進を期待したい。
by krmtdir90 | 2018-10-02 10:18 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(4)

久し振りに「くっぱ」の芝居

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 卒業生の「くっぱ」こと髙橋ちぐさからメールが来て、久し振りに役者をやるから見に来てほしいというので行って来た。彼女は、両国にあるスタジオアプローズというところにずっと出入りしているらしく、そこのプロデュースによるC.a.T.第2回公演となっていて、演目は堤泰之作「煙が目にしみる」というものだった。
 見始めてすぐ、ああ、これはどこかで見たことがあるなと思って、帰ってから調べてみると、数年前の関東大会で千葉県の高校がやったのをたまたま見ていたのだった。高校生と比較しても仕方がないが、今回はちゃんとオトナがやっているわけだから、それなりに見せるべきところをきちんと演じてくれていて(当たり前だけれど)、なるほどなと思った。煙草を小道具としたやり取りなど、ホントに煙草を吸うオトナでないと出せない呼吸というのがあると思う。味のある芝居を幾人かは(全員がとは言えなかった)見せてくれていたと思う。
 髙橋くっぱは、原田泉という、芝居の流れにちょっと異質な笑いでアクセントをつける夫婦の役どころだった。こういうキャラクターが合っているのか、夫役の役者とともに楽しそうに演じていてよかった(昔のイメージとは違うのだが、もう何十年も前のイメージとは違って当たり前ということなのだろう)。位置づけとしては脇役だが、こうしたところがしっかりした演技をしてくれると芝居にふくらみが出る。
 ただ、芝居全体として見ると、演出に若干繊細さが欠けている(作戦の欲しいところが上手く作り切れていない)ような感じがあったので、脚本の面白さをどこまで出せていたかという点では、やや物足りない印象も残った。くっぱの役も(あえてダメを出すなら)、もう少し押さえ加減で(丁寧に)やった方がいいように感じたところもあった。
 楽しい時間をありがとう。また連絡ください。
(7月25日、マチネ)
by krmtdir90 | 2018-07-26 22:22 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

コピスみよし2018・第17回高校演劇フェスティバル(パソコンがダウン!)

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 6月16日(土)のリハーサル、同17日(日)の本番と、会場で楽しい時間を過ごさせていただいた。
 例によって感想文を書き始めたのだが、今年は(学校によって)けっこう書きたいことがあったりして、ブログ掲載ではなく実行委員会(29日)配布でいいかと、ちょっとのんびりし始めていたら、想定外のアクシデントに見舞われてしまった。

 少し前からパソコンの調子がおかしかったのだが、とうとう昨日からうまく立ち上がらなくなってしまった。感想文はまだ書きかけだから、復旧してくれないことにはどうにも先に進めない。今朝になっても直る気配がないので、急遽パソコン修理の店を探して、さっき現物を持ち込んで相談してきたところである。
 おそらくハードディスクが(老朽化で)壊れかけているのではないかという。とりあえず中のデータを守って貰わなければどうしようもないから、それをお願いして帰ってきた。だが、データの保存に成功しても、最終的にはハードディスクを交換するか、新しいパソコンを買うか、どちらかの選択になるだろうという。いずれにしても、感想文の続きを書くためには、この厄介な障害を越える必要が出てきてしまったのである。う~む、である。
 というわけで、パソコンがないから、この原稿はスマホで打ってスマホから送信するしかない。時間ばかりかかって、まったくトホホの状態になってしまった。

by krmtdir90 | 2018-06-22 13:43 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

今年もコピスで高校演劇

 今年も「コピス」の季節がやって来た。「コピスみよし高校演劇フェスティバル」は今年で17回目、先日(5月15日)、最初の出演校打ち合わせ会も開かれた。今回は松山女子高と川越高が初めてコピスの舞台に立つ。今年もたくさんのお客さまにおいでいただきたいと思っています。
 きょうフライヤーが届いたので、早速アップしておくことにします。
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by krmtdir90 | 2018-05-24 16:03 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

高校演劇2018・春季発表会

 高校演劇の春季発表会が各地区で行われているが、現場を退いて十年にもなると、知っている顧問も(退職したりして)次第にいなくなり、観に行ってみようという気持ちもだんだん弱まってきている。とはいえ、やはりこの季節の楽しみであることにはまだ変わりなく、気が向いた舞台だけちょっとつまみ食いする感じで出掛けてきた。一応の礼儀として、以下に簡単な感想を書いておく。

 4月28日(土)は、まず朝霞コミュニティセンターに行き、西部A地区の舞台を2校観せていただいた。

細田学園高校「シンギュラリティ」
 顧問のE先生の創作だというので少し期待していたのだが、率直に言ってまだ台本として組み立てられていないと思った。現実離れしたストーリーを設定することは構わないが、そこで動かされる登場人物にはそれなりの説得力がないと観ていて辛い。どんな飛躍したストーリーであってもいいが、それを成立させるには誰もが納得できるリアリティが作れなければならないのではないか。今回は正直、展開の安易さが気になって仕方がなかった。また、生徒なら誰でも知っている「山月記」と重ね合わせる意図があったようだが、どこがどう重なるのかわたしには理解できなかった。創作への意欲は良し。だが、書いたものを一度距離を取って見直してみることができないと、なかなかいいものは書けないのではないかと思う。
 舞台の方だが、キャストの声が総じて小さく元気がなかった。普段の生活ではもっと大きな声が出ているはずなのだから、セリフをきちんと口にするためにはどんなことが必要なのか考えてみてほしい。発声や言葉を発する時の意識の仕方など、やはりセリフのしっかり書かれた既成台本でもう少し基礎練習をした方がいいと思った。あと、装置の置き方や場面転換などでも、もっとキャストを動き易くすることを第一に考え直した方がいいのではないかと感じた。

新座高校「トシドンの放課後」
 アカネを演じた女子がとても雰囲気が出ていて良かった。これまでいろんな学校の「トシドン」を観てきたが、ピカ一のアカネだったのではなかろうか。ツヨシとナガヤマ先生もよく頑張っていた。ツヨシを女子がやっているのは舞台としては弱点だが、これは仕方がないこと。この二人は、気持ちのぎこちない部分がもう少し意図的に出せるとさらに良くなるだろう。
 残念だったのは、後半がたぶん練習不足だったのだろうと感じられてしまったこと(新座の舞台にはこれがよくある)。前半はアカネとツヨシの距離感など非常にいい感じで作れていたが、途中から二人の気持ちが通じ始めてクライマックスに至るあたりは、やや丁寧さを欠いてスーッと流れてしまったように感じられた。終盤にツヨシが心情を吐露するところと、それに対してアカネがトシドンになって励ますところは、いまのところはまだ力んでいるだけに見えてしまっていた。この二人ならもっと気持ちを込めてやれるはずだと思った。あと、最後にアカネの髪を黒く変えていたが、あれだけの金髪を黒に染め直すのは簡単ではないだろうし、逆に元の髪色のままでアカネの素直さが表出された方が共感できるように感じたのだがどうだろうか。

 西部Aでこの日に観たい舞台はこの2つだったので、午後は東松山に移動して、松山市民活動センターで比企地区の2校の舞台を観せていただいた。

東京農大第三高校「バンク・バン・レッスン」
 まだ練習不足というのか、この台本でどういう演技が要求されているのかというところで、キャストの中に意思統一ができていないように見えてしまった。まったく唖然とさせられるばかりの設定と展開なのだから、もっと有無を言わせず突っ走ってしまうパワーが必要だったのではないか。たぶん演技としては、もっとあざとい、クサイ演技を操らなければならなかったように思う。キャストの力に凹凸があるのは仕方がないことだが、作るべき方向性をしっかり確認した上で、全体が一つになることでその弱点をカバーしなければならないのだと思う。
 装置だが、普通は省略することが多い自動ドアを正面にリアルに作ってしまったため(実にスムーズに開閉していて感心したのだが)、手前の床の可動反応範囲がどこまでなのかといった、つまらないことが気になってしまった。そうなると、そもそも銀行強盗は、最初にドアが作動しないよう鍵をかけさせるのではないかとか、横にあるらしい素通しの窓にはシェードを下ろさせるのではないかといった、余計なことをあれこれ考えてしまう結果になった。こうした台本で、どこまでこういうリアルさを表現するかは難しいところだと思った。

松山女子高校「とおのもののけやしき」
 装置大好きなわたしとしては、緞帳が上がった瞬間にウオーッという感じになった。仕込みにずいぶん手間取っているなと思っていたが、これでは無理もない。よく飾り込んだし、様々な昔の道具もよく集めたものだと感心した。これだけのものを舞台に上げてくれると、敢えて気になった細かい点も書いておく気になる。①上手の袖との間に隠しパネルがなかったので、奥(仕掛けを動かすワイヤーなど)が見えてしまったのは気になった。②手前に柱を一本立てていたが、全体を立体的に見せて良かったが、作りが雑でここだけリアルさが欠けていたように感じた。
 装置作りに夢中になり過ぎたからだろうか、残念ながらキャストの方はまだ作り切れていないところがあると感じた。お雛様・鬼・納戸婆はそれぞれ非常に頑張っていたが、その熱演が単独のもので、兄妹の方とうまく絡んでいないような印象を持った。十の謎かけという構図が常にあるのだから、それをしっかり意識したやり取りを作らなければならないだろう。兄妹が考えるところとか答えに驚くところとかで、やや気持ちが上滑りするおざなりな演技が目についたように思う。あと、離婚協議に行った母親の帰りを不安になりながら待つという設定も、もっと丁寧に印象付けてほしいと思った。最後の電話機は、目立たないところに最初から置いてあった方がよかったような気がした(箱から取り出すというのは何か変だし、その段ボール箱が妙に新しいのも気になった)。

 4月29日(日)はもう行かないつもりだったのだが、何となく気が変わった。西部A地区で、この日も2校の舞台を観せていただいた。

新座総合技術高校「演劇部、始めました」
 廃部の危機に瀕した演劇部のがんばりを描いた生徒創作台本(だよね)。変なおふざけに流されることなく、生徒らしい素直な感覚で事態の推移を描いていて好感が持てた。4人の部員たちのキャラクターの違いも意識されていて、必ずしもそれがうまく表現されているとは言い難かったが、少なくともそういうことを考えようとしているところはいいと思った。部長の子と寝てばかりいる子(プログラムを見ても役名と結びつかない)が喧嘩するところは、やや唐突の感は否めなかったが、最後には乗り越えられることが判っていても、ストーリーをうまく変化させていて良かったのではないか。先輩が残したというメッセージの使い方もいいと思った。
 これも予想通りの終わり方なのだけれど、最後に待望の新入部員がやって来るところでは、4人の反応をもう少し一人一人丁寧に作らなければもったいないと思った。

朝霞西高校「朝日のような夕日をつれて/21世紀版」
 女子部員が多い高校演劇では、男子5人を揃えてこの台本がやれたことが、まず何よりも素晴らしいことだと思った。観るに当たって変な気苦労をしないで済んだのはありがたい。
 5人はよく動けていたし、それぞれのキャラクターも際立たせてよくやっていたと思うが、全体としてはなぜか単調な感じがしてしまったのはなぜだったのだろう。恐らく、セリフの言い方で語尾が沈んでしまう(押さえてしまう)ことが多く、相手や周囲に対して突き抜けていく(正しい距離感できちんとセリフを飛ばす)感じが不足していたのではないかと感じた。最初と最後の群読にそれが端的に表れていたと思うのだが、結局覚えたセリフを生真面目に消化しているだけで、セリフが場の空気を次々と変えていくようには言えていなかったということではないか。セリフが重なっていくことで自然に生まれてこなければおかしいワクワク感(というようなもの)が、この舞台には作れていなかったような気がした。全体的なテンポも悪く、要所での畳みかけるような勢いにも欠けていたように感じた。5人も男子のキャストが揃いながら、その魅力をもう一つ発揮し切れていないのが惜しいなあという思いが残った。

 例によって、少し厳しく書き過ぎてしまった学校もあったかもしれない。率直に書くのは少しでもいい舞台になればという思いからなので了解していただきたい。みなさん、お疲れさまでした。
 あと、新座柳瀬高校が部内の事情から上演辞退になってしまったことは残念だった。何とか乗り越えて、次の機会にはまた面白い舞台を作って来てくれることを期待したいと思う。
by krmtdir90 | 2018-04-30 16:35 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

「はいすくうるドラマすぺしゃる」で東大附属の舞台(2018.4.3)

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 東京大学教育学部附属中等教育学校のK先生からお誘いのメールがあり、俳優座劇場で行われている「はいすくうるドラマすぺしゃる」というのに出掛けてきた。今回で26回を重ねる高校演劇の催しのようだが、3日間6校の出演校の一つとして東大附属が上演するという。六本木へは都営地下鉄大江戸線で行ったが、この地中深くを走る鉄道はどうしても好きになれない。

 演目は井上ひさし作「父と暮せば」だった。原作は確か二人芝居だったと思うが、これを美津江の一人芝居として上演するのだという。観る前はそんなことができるのかと半信半疑だったが、実際の舞台を観てなるほどと納得した。不自然と言えば不自然なのだが、そういうことを吹き飛ばしてしまう説得力がこの舞台にはあったと思う。
 こういうことをやろうと言い出したのは生徒だったのだろうか。美津江・竹造を一人で演じた横田海香さんの見事な熱演には惚れ惚れした。男子部員がいないわけではないはずなのに、あえて困難なこのかたちを選んだ熱い意図が伝わってくる演技だったと思う。上演時間70分が延ばせる限界だったようで、カットも入れテンポも上げて演じていたが、本来もう少し緩急などをつけたいところはあったと思うが、有無を言わせぬ迫力で一気に走り切ってしまったのは大したものだと思った。
 欲を言えば、演じ分けの意識をもう少し強くした方が(特に喋りのテンポの違いという点で)良かったと思うけれど、逆にそれぞれの思いが交錯し入り交じってしまうような瞬間ができていたのは、こうした方法を取ったことから来る思わぬ成果だったかもしれない。
 70分が片時も緩むことなく、緊迫して少しも長いと感じることはなかった。開演前、つまらなかったら寝ちゃうよとK先生に冗談を言っていたが、とんでもない、どんどん目が冴えてきて、舞台から目を離すことができなかった。
 装置類は東大附属としてはよく飾り込んでいたと思うが、箱馬がそのまま見えていたのはどうだったか。音響・照明・衣装などは自然で、主張しすぎないところが良かった。

 一緒に観劇したSさんと新宿に出て、またわらびやで一献傾け蕎麦をいただいて帰った。劇場には懐かしいKさんの顔もあったが、用事があるとかで早々に帰ってしまったのは残念だった。
 顧問のK先生は確か蕎麦アレルギーだったと記憶するので、今度イタリアンのお店でも探して、一度ゆっくり話せたらいいななどと2人で話していました。
by krmtdir90 | 2018-04-04 11:33 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

精華高校・新座柳瀬高校 合同東京公演「愛もない 青春もない 旅に出る」

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 高校演劇として昔は到底考えられなかった公演形態が、いまは成立する時代になったのだなと感慨深いものがある。小屋はシアター風姿花伝、木戸銭は2300円だという。高校生の分際で2300円はないだろう(シニアだと映画が2本も観られる)と思うのだが、それで観客を集めてしまうのだから大したものである。
 この2校が、スタイルはまったく異なるものの、ともに高校演劇のウィングを大きく広げていることがよく感じられる公演だったと思う。終演後には、一緒に観劇したSさんと新宿に出て、わらびやで一献傾けながら楽しい時間を過ごした。これも今回の公演のおかげである。ありがとう。以下、少しだけ感想を書いておく(3月14日マチネ観劇)。

精華高校「大阪、ミナミの高校生2」(作・演出:オノマリコと精華高校演劇部)
 昨今評判の高い精華高校の舞台を初めて観た。なるほどと感心した。コンクールなどに縛られることのない、こうした高校演劇があっていいと思うし、非常に魅力的な舞台を作っていると感心した。プロであるオノマリコさんがどんなふうに関わっていたのかとか、同じくプロである木内コギトさんを重要な役回りで絡めてしまうことなど、従来の高校演劇では考えられなかったことだが、生徒たちがこれらの刺激に触発されて伸び伸び演じているのだから、こういう行き方もいまはアリなのだろうと思った(木内さんのところは顧問の先生がやっても面白かったのでは?)。
 生徒のマリーと先生(木内さん)のやり取りが実に面白く、かつてこういう感じの学校で教師をしていたこともあるわたしは、「ああ、こういう子いたよなァ」と妙な懐かしさのようなものに囚われてしまって困った。マリーをやった庵ノ前さんの演技はドキッとするくらいリアリティがあり、プロを相手に少しも引けを取っていないのが素晴らしかった。
 この2人を取り囲む?かたちで繰り出されるモノローグもリアルで、しかし、積み重なってはいくものの、モノローグのままメインの2人と切れてしまうのが惜しいような気がした。いまの作りではマリーの存在だけが特別なものになってしまうので、モノローグの生徒たちとマリーは同じ生徒たち(同列)なのだという描き方がもう少し工夫されてもいいような気がした。そういう意味では、生徒が生徒を隔離するというような図式化(舞台構成)もあまり効果的とは思えなかった。

新座柳瀬高校「Merry-Go-Round!」(作:稲葉智己)
 新座柳瀬高校の舞台は、全国大会まで行った「Love & Chance!」の見事な完成度が頭にあるから、どうしてもそれと比較して「まだまだじゃないか!」と思ってしまう。高校生の舞台が洗練の域に達するのは至難のことと判ってはいるが、前作がそれを実現していたことを考えると、もう少し稽古を積んでから撃って出てほしかった気がしてしまうのは仕方がないことだろう。
 役者たちがまだ役を支え切れていないような感じがした。高い木戸銭を取っている以上は、学年や経験の多寡は関係ない。特にアンジーをやった高橋さんは、マーガレットやエリーと比べて単純に幼なすぎる印象があって、ラストのどんでん返しにつながる隠れたしたたかさというか、周囲を虜にしてしまう若い女性の色香のようなものがもう少しほしい気がした。ここはストーリーの肝にあたる部分だから、衣裳の選び方やメイクの仕方なども含めて説得力のある工夫が必要ではなかったか。
 あとは、芝居が全体にドタバタしているような印象があった。ドタバタというのは、いつもはパンチが敷いてあって気にならない靴音が妙に耳に付いてしまったことも関係している。客席通路を使った出捌けももう一つスマートとは言えず、柳瀬の独壇場とも言うべき展開のスピード感を削いでしまっていたように思う。
 いつも見慣れている柳瀬の舞台だから、どうしても辛口の感想になってしまうのは仕方がない。もうあまり書くのはよそうと思っていたのだが、やっぱり書いてしまいました。
by krmtdir90 | 2018-03-15 12:31 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

高校演劇サミット2017

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 年末の29日(金)、こまばアゴラ劇場で3校の舞台を観てきた。仙台や甲府で他県の旬な舞台に触れた今年だったので、その締め括りといった気分だった。
 実は三日前の26日(火)、Mさんが新座柳瀬の仕込みとゲネプロに招待してくれて、一連の流れを特別に見せてもらっていたので、それで終わりにしても良かったのだが、せっかくの機会だから木戸銭払ってサミットの全貌も観ておきたいという気分になったのである。

 29日の日程は次のようになっていた。
 14:00 福島県立いわき総合「ありのまままーち」
 15:45 埼玉県立新座柳瀬「Love & Chance!」
 17:30 東京都立駒場「加賀山蝉洋(せみひろ)」

 個人的には、昨年秋の地区大会からずっと応援してきた新座柳瀬の「Love & Chance!」、その文字通りのFINALを見届けたいという気持ちが大きかった。
 行ってみたら、全国のあと部内でもいろいろあったようで、ヒロインのシルヴィア役が新しい1年生に入れ替わっていた。こういうことがあると、どうしてもギクシャクした部分などが残るものだが、実にすんなり芝居の中に溶け込んでいたので感心した。周りの役者がしっかりしているから、新しく入って来た役者を的確に受け止めて生かしてあげていたのだろうと思った。
 もう一つ感心したのは、地区大は小さめの舞台だったが、その後は県大・関東・全国と、どんどん大きな舞台用に芝居を変えて行かざるを得なかったものを、最後に100人以下の最小の舞台に作り直してみせることが、非常に上手くできていたということである。この本は、(もちろん大きな舞台でも通用するが)やはり小さめの舞台の方が魅力的になるのではなかろうか。最後の上演で、一人一人の生き生きとした(無理をしない)表情を近距離から観ることができて楽しかった。ゲネプロの時はさすがに緊張が見えたが、29日の舞台はみんなリラックスして最良のものを出すことができていたように感じた。
 これまで個々の役についてはほとんど書かなかったが、今回は最後だから書いておこう。ドラントとアルルキャンはホントにいいコンビで、ドラントはすっかり人気が出てしまったから、改めて何か言わなくてもいいと思うが、芝居としてはアルルキャンあってのドラントだということは言っておきたい。アルルキャンは今回の舞台が、いままでで最良の出来だったと思う。シルヴィアとリゼットのコンビにも上と同じことが言えて、リゼットあってのシルヴィアというところが、シルヴィア役の交代にあたって上手く作用したように思う。結果的に2人とも1年生になってしまったが、先に抜擢されていたリゼットの成長は目覚ましいものがあり、今回が一番伸び伸びやっていて気持ち良かった。シルヴィアは勝ち気の表現がいま一歩だが、表情も豊かで、初舞台としては(ギリギリではなく)十分合格点だと思った。
 わたしは実は、この芝居の中ではずっとオルゴン伯爵の大ファンで、この存在があるから主役4人が安心して弾けられるのだと思っている。安定感抜群のオルゴンがいて初めて、ストーリーがスピード感を持って転がせるのだと思う。女中の2人、ルイーズとノエラは、近距離からの観客の視線に耐えられる表情を身につけていた。こういうところがしっかりすると、ストーリー展開がより楽しくなってくる。マリオは役者としては不器用な男だと思うが、表現の難しいキャラクターをしっかり出せるようになっていたと思う。みんな、よくここまで来たなと感慨深かった。

 いわき総合と都立駒場の舞台は、それぞれ面白く観ることはできたが、個人的にはそれほど好きになれる芝居ではなかった。芝居の作りとしては案外ありふれていて、よくやっていることは判ったが、細かいところで物足りないところも多かった。両校ともいっぺんに大人数を舞台に上げ、エチュード風のエピソードをつないでいく「演劇部もの」という点が共通していた。たまたまだったのか意図的な選考だったのかは知らないが、生徒創作の「演劇部もの」ということで、何となく引いてしまう感じもあったように思う。いろんなことをやってはいたが、結局のところ最後は内向きに閉じてしまっているのではないかと感じてしまった。
 ちょっと厳しい言い方になってしまったが、もちろん両校の舞台は、(様々な面で対照的だが)それぞれが繰り出してくるアイディアの多彩さが非常に楽しかったと思う。
 都立駒場の役者のこれでもかというデフォルメは驚いたし、この年代の内面にある負の感情(恥ずかしい側面)を容赦なく照射してみせたところなど非常に興味深かった。だが、見せ方をどうするかというところに少々傾斜し過ぎた感があって、中盤までに提起したことがやや中途半端のまま終わっていたような気がした。殺し合い(全否定)までやってしまったあとで、最後は一種の和解になっていたと思うが、その芽がどこにあったのかがわたしにはよく判らなかったので、とりあえずこれまでのことを棚上げしただけの諦めのようにも見えてしまった。
 いわき総合は開演前からのリラックスした明るい雰囲気が印象的だった。後半に3.11を出してきたが、前半の様々なエチュードがそれとは切れているのがどうだったか。日常の「ありのまま」はそんなものなのかもしれないが、一つの舞台として考えると、後半が食い足りない印象になってしまったような気がした。父親の声が思い出せないというのは凄いリアリティだが、その不在をみんなが存在に変えていくところなど、判るのだけれど芝居の表現としてはもう一つ不満が残った。そのシーンが終わると、みんなの表情がスッと次に切り替わっていくところなどは、妙な違和感があって納得できなかった。このあたり、このやり方の限界だったような気がした。

 もう一度新座柳瀬に戻るが、今回こまばアゴラに持って来るにあたって、Mさんは劇場側に多くの部分をお任せするかたちを採ったようだ。その結果、照明・音響といったところで、いかにも小劇場といった感じの様々なテクニックが付加されることになった。まったく好みの問題なのだが、この味付けがわたしは好きになれなかった。
 新座柳瀬の舞台というのは、演技で笑いを取ることは考えていても、受け狙いのあざといテクニックは注意深く排除されていて、それがコメディとしての品の良さになっていたと思う。だが、今回の照明・音響はちょっと前に出過ぎて、その美点を崩してしまっていたのではないかと感じた。マリオにライトを集中させたりする一方で、ドアの両サイド、舞台奥でけっこう重要なセリフを言うところなどが、照明で拾い切れていなかったことなどは不満が残った。
 しかし、いまの時代、都内の名のある小劇場でこうした催しが毎年開かれているというのは素晴らしいことである。特に柳瀬の諸君とMさんにとっては、この狭い空間で「Love & Chance!」を上演できたことは、なかなか得がたい経験になったのではなかろうか。サミットのスタッフの皆さん、楽しい時間をありがとうございます。これからもたくさんの学校がこうした経験を積めるよう頑張ってください。
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 (本文一部修正/2018.1.2)
by krmtdir90 | 2017-12-31 13:45 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

高校演劇2017・山梨県大会ー甲府への小さな旅ー(2017.11.28)

 高校演劇が嫌いな新座柳瀬のMさんが最近嵌まっているらしい甲府南高校の舞台を、機会があったら一度観てみたいと思っていた。山梨県大会が何かの事情で平日開催に変更され、観客がほとんど望めない事態になっているらしいのを知り、まあ枯れ木一本でも賑わいの一助になれるかなと出掛けてきた。

 山梨や長野は、車でよくお酒を買いに行ったりしているので、あまり遠くに行く感じはしないのである。今回は車ではなく電車で行くことにして、わが最寄り駅から8:18発の普通列車・甲府行きに乗車した。近いとはいえ小さな旅には違いない。
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 車内がロングシートだったのは残念だったが、中央本線の高尾から先は、非常に変化に富んだ車窓が楽しめるので大好きである。家を出る時にはどんよりした曇り空だったが、西進するにつれて雲が取れていき、笹子トンネルを抜けて甲府盆地に出る頃にはすっかり快晴になっていた。線路が北に大きくカーブして、徐々に標高を下げていく勝沼ぶどう郷あたりの景色はやはり素晴らしい。盆地はかなり霞んでいたが、周囲の山々もよく見えて、その向こうに富士山も頭を見せていた。
 9:58、甲府駅着。
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 会場のコラニー文化ホールは、この平和通りをしばらく直進してから右折するようだ。
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 駅から徒歩20分とあったが、わたしにはもう少しかかったかもしれない。でも、普段の運動不足解消にはちょうどいい距離だったと思う。風もなく日射しも暖かで、絶好の散歩日和だった。
 コラニー文化ホール正面入口。
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 小ホール入口。
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 やはり閑散としていて、受付の先生からプログラムなどを受け取って中に入ると、
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 うーん、この状況はやはり悲しい。開演時には少し増えたけれど。

 この日は大会の一日目で、5校の上演が行われたようだ。せっかく行くのだから、目当ては甲府南だったけれど、他の学校の上演も観せてもらおうと思っていた。1校目は間に合わなかったが、2校目から昼休みを挟んで最後まで、4校の上演を観せていただいた。以下、観劇した者の礼儀として、感じたことを少し書かせてもらうことにする。 

白根高校「オヤジ焼きそば」
 学園祭で音楽部が部活動補助金の獲得を目指し、焼きそば屋を開くまでを舞台にした。生徒創作だと思うが、一つ一つのエピソードが作り切れていないので、ストーリーとしてちゃんと展開させられていないように思った。一生懸命工夫して演じているのは判ったが、セリフや動きをかたちとして作り過ぎる傾向があるので、人物の気持ちがあまり見えてこないのが残念だった。後半、音楽に乗せて焼きそば屋のあれこれをダンス風に演じるところは楽しかった。

北杜高校「Party People」
 これも学園祭もの。クラスごとに作るシンボルオブジェ?に取り組む3人組を描く。仲間とか絆とか、テーマのようなものを生に出し過ぎているのがどうだっただろうか。説明的にしてしまうと、人物の気持ちはかえって薄くなってしまうと思う。3人ともよく動けていると思ったが、力が入り過ぎて乱暴になっているところも散見された。舞台はよく工夫されていたが、その一つ一つが本当に効果的だったかどうかは振り返ってみた方がいいかもしれない。

甲府南高校「バスに乗る、九月、晴れ、帰り道。」
 どこまで書けるか判らないが、ここは長く書きます。
 Mさんが夢中になるのはよく判るような気がした。高校生の話でありながら、まったく高校演劇らしくないユニークな舞台になっていると思った。
 それはまず、台本がきわめてユニークに書かれているのだと思う。記憶喪失というような題材は、高校演劇になるといかようにもドラマチックにできるものだと思うが(また多くの場合、その誘惑に負けてしまうと思う)、この台本は記憶喪失の主人公をきわめて淡々と(素っ気ないくらい)、その日常の一コマ一コマを点描するというかたちで動かしてみせる。それは悲劇的でも喜劇的でもなく、終始きわめてゆるい雰囲気の中で展開されるものである。なかなかこんなふうに書けるものではない。
 主人公の少女はみずからが陥ってしまった困難な事態に、悲観的になったり投げ遣りになったりするふうもなく、ごく自然にその事態を受け止めているように見える。台本が彼女をそういうふうに拾い上げているのだと思う。台本の筋としては、一日前のことを記憶していられなくなってしまった少女(ナオコ)が、毎日クラスの誰かが時間を確認してくれる帰りのバス停から、ある九月の晴れた日、間違って反対方向に行くバスに乗ってしまったという、ただそれだけの話なのである。
 一方に8人の(男女の)クラスメートを配し、ナオコのモノローグと組み合わせながら、現実なのか空想なのか定かでない様々なイメージを交錯させていく手法が面白い。一人だけセリフをまったく覚えていないのに本番を迎えてしまう演劇部員の自分とか、いつの間にか高校の国語教師になって授業をしている自分とか、何やら地球征服を企む宇宙人の一団に翻弄される自分とか、一歩間違えればどうにも収拾できなくなりそうな飛躍したイメージが次々に並べられるのだが、作者はそれらを説明したり解釈したりすることなく、そのまま反対方向行きのバスに乗ってしまった彼女の現実に、ストレートにつないでしまうのである。
 現実と言っても、彼女の間違いに気付いて必死にバスを追い掛ける8人のクラスメートは現実にはあり得ないだろう。間違って乗ったバスの運転手が、彼女の記憶喪失の原因となった交通事故で彼女をはねた運転手だったというのも、考えてみれば現実にあり得たかどうかは判らないのである。にもかかわらず、舞台は様々なイメージの延長線上にこれらのシーンを置くことで、彼女と周囲の人間との間に生まれた思いやりとか感謝の思いとかいう、なかなか正面切っては言いにくい(恥ずかしい)感情を見事に浮かび上がらせて見せるのである。
 何とも不思議な作劇術と言うしかない。だが、最後に舞台上にこみ上げる温かな雰囲気は、彼女と周囲の人間がたどり着いた確かな現実に違いない。最後に2つのラストシーンを用意して、彼女が記憶を取り戻す(いかにもありそうな)大団円を横に退けるようにして、記憶は戻らないがその不自由を丸ごと認め合う彼女とクラスメートの輪に自然に収斂させたところに、実に控え目だが熱い作者の思いが込められていると思った。
 役者たちもみんないいと思った。上手いというのとはまったく違う。そういう言い方をするなら、下手な子も混じっていたと思う。ここの役者たちは、みんな舞台上にしっかり存在してみせるという点で抜きん出ていると思った。高校演劇特有の力みやわざとらしさといったものとは無縁のところで、実に自然にそこに立っていたり動いていたりしていたと思う。高校生はすぐにいろいろやりたがってしまうのだけれど、そういう誘惑を排して、一見控え目だけれど非常に繊細で品のある演技を目指していたのだと思う。特にナオコをやった女子の、何もしない(ように見える)存在感は際立っていた。
 3人の男子も良かった。告白のシーンはいかにもという感じでやっているように見えるが、ありふれた高校演劇のこれでもかとは明らかに異なる抑制が見えて、実にいい気分で笑わせてもらえた。何も考えず思い切ってやっているだけのように見えて、実はこのあたりまでという線引きが3人の中で共有されていたのだろうと思った。これはなかなかできることではない。全員の声の大きさなども恐らく計算されたもので、出すのは簡単だけれど、ちょうどいいところにみんなが調整するのは簡単なことではないだろう。意図された自然な会話というのは、高校演劇では非常に珍しいものだと思う。
 最初の方で、みんなが楽器を演奏するシーンがとても良かった。この音の小ささが何とも言えず新鮮だった。最初、スピーカーから聞こえるか聞こえないかという小さな音(リズム?)が出ているなと思っているうちに、一人また一人と非常に臆病な音が加わっていく感じが良かった。お互いにつながりを作ることの難しさと不安を表しているように思えて、何と言えばいいのだろう、一気に劇世界に引き込まれるような気がした。わたしは大音量もけっこう使ったが、この、気付かない人もいるかもしれないような小さな音というのには非常に弱いのだ。
 これでもかと押していくことが多い高校演劇特有の風潮の中で、芝居というものが持つ繊細な楽しさと遊んでいるような舞台作りに好感を持った。いい舞台を観せてもらったなと思った。

甲府西高校「盤上の沖縄戦」
 わたしは知らなかったが、既成台本なのだろうか。最初花道から登場した女子の自然な動きに目を奪われた。二人芝居だが、もう一人の女子も自然に動けていて、碁盤を挟んだ2人のやり取りはとてもリラックスした雰囲気で良かったと思う。これだけで最後まで持って行ってくれたら、とてもいい舞台になったのにと思った。台本がそうなっていたのかもしれないが、一々前に出て沖縄戦の事情を演じるところで流れが途切れてしまい、この部分のそれらしい演技はあまり効果的にはなっていないと感じた。この日観た4校の中ではわたしは2位だと思ったので、少人数で大変なのかもしれないが、装置は代用品ではなくぜひパネルを作って欲しいと思ったことを言っておく。

 昼休みにこのお店を探して、牛すじ煮込みのランチ700円を食べた。
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 食後に、前の道から。
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 これ、甲斐駒ヶ岳だよね。すぐ近くにこういう山が見える街というのはいいなと思った。
 食後の一服を済ませてホールに戻ると、Mさんと事務局のMさん(あれっ、イニシャル同じだ)がいた。事務局のMさんは甲府南が終わると予定があると言って帰ったが、Mさんとわたしは最後まで観て一緒に普通列車で帰った。甲府16:46発の立川行きは、乗ってみたらセミクロスシートの車輌だった。ボックス席を確保できたから、判っていたら飲み物などを買ってから乗ったのにと思った。
 いろいろな話をしたが、先日の埼玉県大会で、時間オーバーの学校に対して非常に不明朗な処置が取られたことを知った。わたしはもう現場を退いた人間だからこれ以上は書かないが、一貫性のない扱いは今後に禍根を残すだろうと感じた。

 ここまで書いて、アップする前にツイッターを確認したら、山梨の結果をMさんがリツイートしてくれていた。わたしが観た4校からは、甲府南が最優秀、北杜が3位で関東進出を決めていた。北杜が関東に行くということだから、一点だけ付け足しておきたいと思う。
 彼らが作るオブジェはずっとカバーされた形で舞台にあったが、最後にその姿を見せるのはよほど考えないとまずいことになると思う。遠慮なく言わせてもらえば、あの程度のものではプランさえあれば1時間でできてしまうと思った。見せるのであればやはり観客を唸らせるインパクトが欲しいし、最後まで見せない(途中も舞台に出さない)処理を考えた方がいいような気がした。まあ、外野の無責任な感想ですから、無視してもらっていいのですが。
by krmtdir90 | 2017-11-29 21:40 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)


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