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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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カテゴリ:本と映画( 313 )

映画「1987、ある闘いの真実」

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 2017年製作の韓国映画(監督:チャン・ジュナン)である。
 韓国で1987年の「闘い」と言えば、当時強圧的な軍事独裁政権を握っていたチョン・ドゥファン(全斗煥)大統領を退陣に追い込んだ広範な民主化闘争を指している。この映画は、現代韓国の大きな転換点となったこの出来事を、事実とフィクションとを巧みに組み合わせながら、文字通り真正面から描こうとしたものである。
 30年前のことだから、この出来事を体験した人もまだたくさん生きている一方で、このことを知らない世代も確実に増えてきていることから、これだけは何としても伝えていかなければならないという製作者たちの熱い思いが溢れている映画だった。上映時間は129分、終始この有無を言わせぬ熱量に圧倒されるばかりだった。
 わたしはひねくれ者だから、多くの場合、こういう熱さにはちょっと引いてしまう傾向があるのだが、この映画に限っては製作者たちの姿勢に全面的な共感を覚えるしかなかった。こういう映画が作られ、人々がこれを支持する韓国という国に対して、嫉妬と羨望の思いを抱く感じがあった。様々な理不尽がまかり通っているにもかかわらず、もはやこういうふうになることはまったく考えられなくなってしまった日本という国が無性に悲しかった。

 きっかけは、ソウル大学の一人の学生が警察の取り調べ中に死亡したことだった。当時の韓国では、敵である北朝鮮から国を守るという大義名分の下、反政府的な動向に対して厳しい弾圧が加えられていたのである。言論・報道の自由、集会・結社の自由などが奪われ、共産主義(スパイ)の疑いをかけられた市民に対する拷問なども日常的に横行していた。学生の死は当初は闇に葬られようとするが、疑問を抱いた一人の検事の抵抗から、のちに拷問死であったことが明らかになっていく。当局は暴力行為は一切なく単なる心臓麻痺と発表して誤魔化そうとするが、隠蔽された事実は徐々に表に出されて、真相究明を求める人々の動きが各所で顕在化していくことになる。映画はこの経過を軸に様々な人物を登場させ、複数のストーリーが絡み合うスリリングな群像劇として展開していく。
 こうした構図の群像劇では、登場人物の善悪は最初からかなり区別されているから、一人一人の人物像は類型的になったり表層的なところで終わってしまう場合も多い。ところが、この映画は表情のアップを多用しながら、それぞれが抱えた内面の葛藤をしっかり捉えようとしているように見えた。安易に流れやすい悪役側も含めて、人物造形がきちんと行われていることが感じられたのである。
 一例を挙げれば、この映画では悪役の筆頭として、逮捕者への容赦ない拷問などを指揮するパク所長は脱北者で、子どものころ家族を眼前で虐殺された経験から、共産主義撲滅に手段を選ばぬ執念を燃やすようになったと設定されている。これを演じたキム・ユンソクの存在感が素晴らしく、冷酷な外面だけでない屈折した内面をも感じさせて見事だった。

 映画としては歴史の暗部に切り込む重い題材を扱っているが、全体的には実に豊かな娯楽映画になっているところも見事だった。後半、人々の怒りに火がつき、学生を中心とした抗議デモなどが広がっていく中で、延世大学の学生が催涙弾の直撃を受けて死亡したのは実際にあったことだったようだ。映画はこの学生イ・ハニョル(カン・ドンウォン)も群像の中に登場させ、彼の闘争に対する躊躇などもきちんと描き出した上で、彼に淡い恋心を抱く女子学生ヨニ(キム・テリ)を設定して、娯楽映画としては必須のラブストーリーまでしっかり組み込んでみせるのである。
 ヨニの叔父ハンは刑務所の看守をしているが、陰で民主化運動の組織に属し、連絡員のような役割をしているという設定も効果的だった。ハンは顔が割れているから、ヨニは頼まれて何度か実際の連絡任務を代行したりしていたが、彼女自身は音楽やファッションにしか興味がない典型的な今どきの女子大生というところが巧い。そんな彼女もイ・ハニョルの死によって、大きくふくれ上がったデモ隊を前にした壇上に上り、一緒にシュプレヒコールを上げるのである。ラストシーンは、夕陽に照らされたこの情景を背後から捉えた引きのロングショットなのだが、これはやはり(判ってはいても)率直に感動してしまった。
 民主化が、わずか30年前の苦しい闘いによって獲得された韓国と、それがあるのが当然という気分の中で、急速にそれが劣化しつつある日本との大きな相違を感じないではいられなかった。
(立川シネマシティ1、9月14日)
by krmtdir90 | 2018-09-15 11:41 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ポップ・アイ」

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 ポップ・アイ(POP AYE)というタイトルの意味が判らない。出てくる象の名前がポパイだったので「何だ、そういうことか」と思っていたら、ポパイのスペルはPOPEYEなのだった。辞書ではAYE(アイ)は評決の際のYESと出ているだけで、POPとどう結びつくのかはっきりしない。
 はっきりしないと言えば、映画そのものが判ったような判らないような、それらしい解釈を寄せつけないようなところがあって、何だか奇妙な映画だなあと思いながら、いつの間にかその中にすっかり引き込まれてしまっていた。変な映画だが、非常に魅力的な映画でもあった。
 シンガポール出身のカーステン・タンという女性監督の長編第一作だったようで、現代のタイを舞台にしてタイ語で作られた映画だった(シンガポールとタイの合作となっている)。監督は2年ほどタイに住んだことがあって、その時の印象からこの映画の発想が生まれたらしい。それにしても、象と中年男のバディストーリーというのがまず奇抜だし、彼らがバンコクから故郷の町に向けて旅して行くというような発想は、普通の感覚ではとても成立しないとして退けられてしまうものだろう。
 それを敢えてやっているわけだから、この映画はそもそもの設定からどう受け止めていいのかはっきりしないのであって、そこに疑問を差し挟んでも仕方がない映画ということなのだろう。細かいことは言いっこなしで、とにかくそこにあるものをそのまま受け入れて見ていくしかないことが次第に理解されてくる。すると、この何とも言えないゆるゆるした雰囲気が次第に心地良いものに感じられてきて、よく判らないけど面白いというような、説明不能の不思議な気分に満たされていくのだった。「ああ、何だか判らんけど、いいな」というような感じである。

 始まりは郊外の舗装道路を、向こうから象がゆっくり歩いて来る情景だった。その傍らに、眼鏡をかけたサエない中年男がくっついている。ロングショットで、男はワイシャツに普通のズボンをはいていて、象とコンビを組むにしては見るからに不釣り合いな格好をしている。時折トラックなどが通り過ぎて行き、両側に続く電柱や奥に見える工場らしき建物などから、現代の映画らしいことが理解される。だが、その意外な取り合わせが作り出す雰囲気はなかなかシュールで刺激的である。
 彼らが抱えている事情については、このあと時系列を外したシーンが幾つか単発的に挿入されて浮かび上がってくるのだが、あまり説明的にはなっていないから、どうしてそうなっちゃったのかといったことは、必ずしもすべてが明瞭になってくるわけではない。それでも、一応整理しておくと、たぶん以下のようなことになるだろう。
 男の名はタナーと言い、以前は一流の建築家として名を馳せていたらしいが、現在は会社の中で徐々に居場所を失いつつある。彼は立派な家に妻と二人で住んでいるが、妻との間も冷え切っていて、気持ちはすれ違うばかりになっている。彼はある時、バンコク市内で象使いの男に連れられた一頭の象と出会う。いまは「餌やり」の見世物(餌を売ってこの象に食べさせる)をしているらしいその年老いた象を、彼はかつて故郷の家で飼っていたポパイという象だと確信してしまう。彼はその象を買い取って(幾ら払ったかは触れられていない)自宅に連れ帰るのである(彼の邸宅は高い塀に囲まれた広い庭を持ち、象が室内に入り込めるくらいの広い開口部を持っている。いまは落ち目とはいえ、かつては人生の成功者だったのである)。だが、当然妻とは喧嘩になり、妻は出て行ってしまうが、彼もまたその象を連れて家を出て行く。

 タナーはポパイを、小さい頃一緒に遊んだ故郷の村に連れ帰ってやろうと考えている。だが、その行動はどう考えても現実からの逃避であって、彼の職場での位置は失われてしまうかもしれないし、妻との関係を放棄することになりかねない危険をはらんでいる。ところが、この映画はそうした心配にはまったく頓着していないように感じられるのである。考えてみれば、彼は着替えとか身の回りのものなどを持って出た形跡もないし、旅に出るのであれば当然問題になるはずの宿や食事のことなども不問に付されているのである。映画はそうした観点から離れたところで展開し、それらの疑問に答える気はまったくないように見えるのである。
 この監督は、そういう些末?なことはどうでもいいと考えているらしい。この映画は一種のロードムービーだと思うが、タイの田舎町や田園風景の中を象と中年男が歩いて行くことがすべてなのである。映画は彼らのゆるゆるとした旅の過程をたどりながら、彼らが道中で出会う見知らぬ人々との交流の様子を拾い上げていく。それは、どれもまったく偶然の出会いのように描かれているが、もちろん監督・脚本のカーステン・タンは、そこにきわめて意図的な人選を行っているということである。この様々な出会いがことのほか面白い。

 最初に出会うホームレスの男(潰れたガソリンスタンドを寝ぐらにしているから、厳密にはホームレスとは言えないかもしれない)は、一切の係累を捨てているという点で、まだ会社や妻と切れているわけではないタナーの中途半端さを際立たせているのかもしれない。タナーは男と仲良くなり、彼を連れてスーパーマーケットに買い物に行ったり、一緒に食事をしながら彼の身の上を聞いたりする。タナーに問われて男は、昔の恋人を乗せてもう一度バイクを走らせたいなどと言う。タナーは電話して誘えばいいとけしかけて、スマホを男に貸すのである。だが、外に繋いでおいたポパイが姿を消してしまったため、この交流は一旦終わりになる。
 その後、タナーは再びこの男と出会うことになるのだが、男はバイク事故で路上に転がって絶命していた。男はタナーの助言に従って昔の恋人と連絡を取り、さっぱりした身なりに着替えて会いに行く途中で転倒事故を起こしてしまったらしい。こうしたエピソードは映画の展開としてはかなり無造作に置かれていて、そこに浮かび上がってくるストーリーも切れ切れなままのように見える。だが、切れ切れの中から二人別々の人生がしっかり浮かび上がってくるのは、この監督の切り取り方(描き方)がきわめて繊細で確かなものである証拠と言っていいだろう。
 タナーは男の遺灰を持って昔の恋人の家を訪ねて行くのだが、そこで彼女がすでに結婚して子どももいることを知るのである。彼女は遺灰は引き取れないと一旦は言うが、不意に思い直して、タナーを家から離れたところにある木の下に連れて行き、一緒に根元に散骨して男を弔うのである。
 こうして書いていると、そのそばから様々なことがこぼれ落ちている気がするのだが、彼らが何を考えているのだろうと想像しないではいられないようなショットを、カーステン・タン監督は実にさりげなく淡々とした感じで重ねていく。傍らに、何を考えているのか判らない象のポパイがいるというのも大きな要素になっているような気がした。説明不能の不思議な雰囲気がその身体から流れ出してくるのである。

 途中のバー(とプログラムには書いてあるが、どことなくドライブインのような感じも漂う)で出会った年増のニューハーフも、ホームレスの男と同様、社会的には居場所を失った根無し草のような存在である。毎晩のように店に顔を出しているのに、どうやら誰にも相手にされていないらしい「彼女」と、タナーはなりゆきで言葉を交わし、一緒にカラオケを歌ったりするのである。彼は、自分の八方塞がりの身の上を「彼女」に重ね合わせていたのかもしれない。
 同じく途中で関わりを持つことになった警官コンビは、社会的には明確な立ち位置を持っている人間のはずだが、どうもその職務を自信を持って遂行しているというより、どことなく曖昧で自信なさげに動いているように見えてしまう。彼らもまた、警察という社会のシステムにうまく適応できないまま、所在なく日々を送っていたのかもしれない。
 カーステン・タン監督はこの映画で、それぞれ個性的ではあっても、人生にどことなく馴染めない思いを抱く登場人物を並べているように見えた。あるいは、人生に満たされることなどありえないという前提の下で、それでも何とか生きていくしかない人間の諸相を浮かび上がらせようとしたのかもしれない。その脇に象のポパイを置いてみたかったという発想が、彼女の中には絶対的なものとしてあって、それは何らかの説明や解釈とは無縁の思いつきだったのではないだろうか。

 終盤に、少年時代のタナーがポパイと水中で楽しそうに戯れるシーンが挿入されていた。だが、彼らにとっての「いい時代」はすでに失われてしまっているのである。故郷に帰ったタナーとポパイを待っていたのは、子ども時代を過ごした昔の家ではなく、新しく建て替えられたマンションと、そこに住み替えた叔父の家族だったのである。それは時代の流れとしては当然のことであり、タナーは叔父の選択を受け入れるしかない。結局、象のポパイはもうそこで生きていくことはできないし、タナーも彼の居場所はバンコクの家にしかないことを認めるしかないのである。
 ポパイは今度こそ本当に姿を消す。自然の中に帰って行ったように暗示されているが、実際のところは判らない。残されたタナーは、再び(今度は一人で)思い通りにはならないバンコクの家と職場に帰ることになる。その帰路は映画では描かれていない。
 映画の最後は、取り壊されることが決まったがらんとしたビルの上層階に上がり、タナーと妻がバンコクの町並みを見下ろしているショットである。このビルは若いころ彼が指揮して建てたビルだったらしい。短いやり取りから、タナーは妻と仲直りをしたように見える。
 いずれにしても、彼の「冒険」は終わったのであり、様々な迷いや不本意な思いなどとともに彼はこれからも生きていくのである。実は、終わり近くの叔父の言葉から、ポパイはずっと以前に死んでしまっていたという事実が明かされている。タナーは呆然とするが、彼が一緒に旅した象はポパイではなかったのであり、これによってポパイは、彼の中で何らかの象徴として美化される道を閉ざされてしまったことになるのだろう。
(渋谷ユーロスペース、8月31日)
by krmtdir90 | 2018-09-02 13:29 | 本と映画 | Comments(0)

映画「スターリンの葬送狂騒曲」

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 非常に正統的なコメディ映画だったと思う。ソ連時代の1953年、独裁者スターリンの急死によって巻き起こった後継者争いを描いているが、それは当事者たちにとってはきわめて切実な問題だったのであり、どんなに滑稽に見えたとしても、当人たちは終始命がけで大真面目だったということである。映画は、そこのところを実に絶妙な匙加減で追いかけている。題材が題材だから、距離の取り方を一つ間違えると悲惨なことになったと思うが、この監督はすべての人物を公平に見ることで、何とも格調高いコメディを成立させていたと思う。
 コメディは、登場人物がその人間を必死に生きることからしか生まれない。悪役を作るという安易な道もあったはずだが、人物の描き方からそういう見方は注意深く排除されている。降って湧いた最高権力者のイスをめぐる争いだから、相互の力関係とか駆け引き、さらに様々な嘘や罠や裏切りといった、いわば何でもありのバトルが展開することになるのだが、全員が少しでもいい位置を占めたいと考えて行動するのは仕方がないことであって、そういう人間のいじましさといったものを、この監督は誰にも肩入れすることなく、等距離を保ちながら正面から写し取っていく。そこに自然に生まれてくる、正真正銘コメディと言うしかない状況は本物である。

 案の定と言うべきか、ロシア政府がこの映画を上映禁止にしたことも、監督には最初から織り込み済みということだったかもしれない。この映画はイギリス映画で、監督のアーマンド・イアヌッチという人はスコットランドの出身だったようだ。こういう政治的なコメディを得意とする人だったようだが、こんなところによく着目したものだと思う。スターリンを始めとして、フルシチョフ、ベリヤ、マレンコフといった、すべて実在した人物を巧みに配置して、いかにもそんなことがあったのかもしれない(たぶんあったのだろうな)というところで動かして見せているのは面白かった。
 そりゃあ、ロシア政府は面白くないだろうというのは判る。それは歴史を笑いものにされたという意味ではなく、ほぼ一党独裁という政治体制下にある国にとっては、まさにいまある体制の、できれば隠しておきたかった恥部が晒しものにされているような感覚があったのだと思う。過去のことを題材としながら、この映画はむしろ現代を射程に捉えた映画になっていたのではないかと思った。序盤のあたりで、生前のスターリンと側近たちが繰り広げるおべんちゃらに満ちた下品な宴会の様子など、先日話題になった「赤坂自民亭」などというのも、要するにこういうことだったのだろうと連想されてしまう気がした。
 実際、スターリンの死に直面した時、これまでずっとスターリンの顔色を覗って地位を守ってきた彼らが、本音を隠して腹の探り合いを始めるのは至極当然のことだったと思われた。強力な権力によって維持される政治体制が、必然的に自分の考えを放棄した取り巻きを作り出すということなのだ。そういうところをこの映画は容赦なく描き出していた。笑ってばかりいられないような笑いが、この映画にはこれでもかと出てきていたと思う。
 一方で、スターリンがベリヤやマレンコフを使って行った「粛清」という名の虐殺や、終盤、権力闘争に敗れたベリヤが逮捕され「排除」される様なども、この映画はきちんとリアルに描き出していた。コメディ映画だからといって、恐ろしい事実に蓋をするというような愚は犯していないのである。こういう題材をコメディにするに当たっても、ないがしろにできないことにはちゃんと向き合おうとしているところが見えて立派だと思った。

 感想は以上で終わり。以下は本編の内容と関係のないことだが、ロシアでは絶対に作れない内容をイギリスで作りたいと考えた時、最後に言葉の問題が残ると思うが、このことはどう意識されているのかということが気になった。これは「ドクトル・ジバゴ」を見た時も感じたことだが、ロシア人をロシア語ではなく英語を喋るものとして描くことに違和感はないのかということである。日本人にとってはそれはほとんど気にならないのだが、当事国の人たちにはけっこうおかしなことではないかと感じるのである。確かに、演劇の世界では翻訳劇の上演などが普通に行われているのだから、映画でもそれほど気になることではないのだろうか。よく判らない。
(立川シネマシティ1、8月28日)
by krmtdir90 | 2018-08-30 12:16 | 本と映画 | Comments(0)

映画「風櫃(フンクイ)の少年」

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 ユジク阿佐ヶ谷の台湾巨匠傑作選も今週が終わりで、最後の機会にこの映画を見ることができて良かった。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督が1983年に製作した映画で、処女作ではないが、ナント三大陸映画祭(フランスのナントで開催されているアジア・アフリカ・ラテンアメリカの三大陸に特化した映画祭)でグランプリを受賞し、いわゆる台湾ニューシネマの存在を初めて世界に知らしめた作品だったらしい(日本初公開は1990年)。

 見始めてすぐ、これはすごくいい映画だという予感がした。それはまず、画面の作りが際立っているところに表れていた。冒頭から、何ということもないショットなのだが、それが全部美しいと感じられたのである。「ああ、いいなあ」と感じるショットが次々に出てきた。ストーリーの語り方は決して多弁ではないのだが、スッとその世界に入り込めるような気がしたのはそのせいだろう。これまで見た作品からも、この監督の画面作りが巧みなのは一応判っていたつもりだが、その最初の完成品がここにあったのかと納得した。重ねられていくショットの一つ一つが実に的確で、何よりも、これまで誰もこんなふうに撮った監督はいないと感じられるような、みずみずしい衝撃に溢れていたと思う。
 優れた小説に優れた文体があるように、この監督の作る画面には、この監督にしかない特別なスタイルといったものが貫かれていると感じた。ロングショットが比較的多く、そこに控え目な望遠レンズの「寄り」が効果的に組み合わさっていた。ほとんどのショットで奥行きを意識したフレームの作り方をしていて、その切り取り方の美しさに惚れ惚れしてしまった。こうしたことを単なる特徴としてまとめてしまうのは適当でないかもしれないが、「巧いなあ」と感じる画面が連続すると、それだけで見ていてワクワクさせられるものがあったと思う。
 しかも、それは技巧には違いないが、この監督のものは決して奇をてらったものではなく、ストーリーの流れを自然に引き出すような効果を上げているのが素晴らしいと思った。

 題名の風櫃(フンクイ)というのは、台湾の西方50キロに浮かぶ澎湖(ポンフー)島というところにある地名らしい。調べてみると、島には人口6万人ほどの馬公市というのがあって、その行政区画として風櫃里というのが記載されている。映画は、この離島の漁村で育った不良少年たちが、台湾本島の高雄市に働きに出て、少年から大人へと次第に成長していく過程をたどっていく。その二度とない貴重な時間の輝きを描いた「青春映画」ということになるだろうか。
 さっきストーリーという言葉を使ったが、普通にストーリーに奉仕するだけの画面作りや編集をしていないから、逆にそこにいろいろなことが見えてきて、そうしたことが印象的に響き合いながらつながっていくような感じがした。説明はしないし、セリフも少ないが、それがかえって登場人物一人一人の存在を際立たせていたと思う。
 風櫃での少年たちを追った前半で、美しく捉えられた風景を「いいところだな」と感じるのは他所者の勝手な思い込みであって、少年たちにとってはそこはただ退屈なだけで、いつまでもくすぶっている場所ではないと感じられていたのだろう。日々の単調な繰り返しに苛立ちを募らせ、放埒な生活と喧嘩に明け暮れていた彼らが、警察沙汰を起こしてそこに居にくくなってしまったのは、彼らにしてみれば、ずっと待っていた大きなきっかけだったのかもしれない。
 だが、高雄に出ても、彼らの上に何か劇的な変化が訪れるようなことはあり得ない。台湾には兵役があったようだが、徴兵年齢(18歳)に達していない彼らは、まだ何事もなし得ていないし、先のことなど何も考えられないということだったのだろう。

 映画は、恐らく小さい時からずっとつるんでいたのだろうと思われる3人(風櫃では4人)を描いていくが、その中からアチン(阿清)という少年を主人公として定めていく。彼の家族についても点描されていて、子ども時代のことなどもセピアがかった色調の映像で時折挿入されている。他の映画でもそうだったが、家族を描くというのがホウ・シャオシェン監督の大きなテーマの一つになっていることが、この映画でも見て取れたのである。だが、アチンのテーマはそこにはなかった。彼は風櫃も家族も捨てて、ここから離脱することだけを考えていた。
 高雄に出た3人は、その一人の姉が高雄に住んでいたのを訪ねて行き、彼女の紹介で住まい(かなり開放的な作りの集合住宅)と働き口を得ることになる。だが、故郷を出ること以外に確たる目的があったわけではない彼らは、相変わらずその日暮らしの不安定な生活のままである。彼らは集合住宅の別室に住む同じ工場勤めのカップルと親しくなるが、アチンはその女性シャオシン(小杏)に淡い恋心を抱くようになっていく。もちろんそれは一方的な憧れのようなもので、彼女に何か具体的な働きかけのようなことをするわけではない。少年時代にありがちなそうした心の揺らぎを、この映画は実に控え目な視線で、しかし的確に写し取っている。
 シャオシンの彼氏は工場の製品を横流ししたことがバレて工場をクビになり、彼女を捨てて出て行ってしまう。やがて、彼女も住まいを引き払い、新しい仕事を求めて台北に出て行くことになる。いろいろなことは、彼らの思い通りに進むことはないのだ。アチンは結局何も言えないまま、都市間バスに乗って去って行く彼女を見送るのである。

 同じころ、3人の一人には徴兵通知が届いていて、彼らの少年時代が完全に終わったことが暗示されて映画は終わる。ラストで、すでに工場を辞めて露店でCDを売っていた2人の脇で、アチンが突然台の上に立って呼び込みを始めるシーンにはグッと来た。説明できる行動ではないところが、終わり方として非常に納得できたし斬新な感じがした。
 ここまでにも、どうまとめてもこぼれ落ちてしまうものがこの映画には詰まっていた。もっとたくさんのストーリーやエピソードが散りばめられていたのだが、それらすべてを書き留めることは不可能である。だが、そういったものを通して確かに、この映画は少年が大人になっていくかけがえのない時間というものを鮮やかに描き出していたと思う。決して語り過ぎないホウ・シャオシェン監督の良さが、見事に開花した記念すべき映画だったのではないか。

 なお、今回最初に掲げた写真は、発売されているDVDのジャケットと思われる。ネットで日本公開時のチラシも見つけたのだが、添えられている長めの惹句があまりにも通俗的でひどいので、こちらは無視してしまうことにした。
(ユジク阿佐ヶ谷、8月27日)
by krmtdir90 | 2018-08-29 16:58 | 本と映画 | Comments(0)

映画「英国総督 最後の家」

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 配給会社がどういう考えだったのか知らないが、この映画はもっと本腰を入れた宣伝をして、もう少し公開規模を上げても良かったのではないかと思った。この邦題も、原題(VICEROY'S HOUSE)に即しているとはいえ、何を言っているのかよく判らない。客席は高齢者中心にそこそこ埋まっていたが、これで終わりではあまりにも惜しい気がした。こう思うのは、これが非常にしっかりした意図を持って作られた、見どころの多い映画だったからである。
 映画が描くのは、大英帝国の植民地支配からインドが解放されるまでの、激動と混乱の数ヶ月である。主権譲渡のため任命された最後の英国総督マウントバッテン卿とその家族(妻と娘)を中心に、豪華絢爛たる総督官邸を主舞台として繰り広げられる波乱に満ちたドラマを、多様な登場人物を配しながら重層的に描き出していた。上映時間は106分と短めだったが、もっと長尺にしても十分通用するような多面性も持ち合わせた映画だったと思う。

 現在のインド、パキスタン、バングラデシュの3国が、第二次世界大戦終了時にはイギリスの植民地(イギリス領インド帝国)だったことは一応知っているが、その独立の経緯や事情などはほとんど知らなかった。そのあたりのことを、この映画は非常にわかりやすく描き出していた。独立に際して信じ難いほどの多くの犠牲が払われたことを含め、きわめて重く深刻な出来事であったにもかかわらず、それをこんな第一級の娯楽映画として作り上げたことは賞賛に値すると思った。
 現代でも続く宗教対立の問題は、日本人としてはなかなか実感し難いところがあるのだが、ヒンドゥー教徒、シーク教徒、イスラム教徒が入り交じっていたインドにおいて、マウントバッテン卿が赴任した時には、すでに各地で宗教対立による衝突や虐殺などが起こり始めていたのである。こうした中で、独立後の国のかたちをどのようにするのかは、誰にも簡単に決められることではなかった。統一インドを望む国民会議派(ヒンドゥー教徒とシーク教徒)のネルーやガンディーと、パキスタン建国を目指すムスリム連盟(イスラム教徒)のジンナーとの対立を前に、解決の道を模索しつつ思い悩むマウントバッテン卿(ヒュー・ボネヴィル)の姿が描かれていく。

 この中心の構図だけでも十分ドラマチックなのだが、この映画が娯楽映画として成功している大きな要因は、その周囲に、様々な個人的事情を背負った各階層の脇役を効果的に登場させたことだったと思う。
 特に、総督邸に働く500人の使用人の中に、ヒンドゥー教徒の青年ジート(マニーシュ・ダヤール)とイスラム教徒の女性アーリア(フマー・クレイシー)という2人を登場させ、宗教の違いを超えて恋に落ちた彼らが、インドとパキスタンの分離独立という歴史的展開によって引き裂かれていくところを描いたのは巧みだったと思う。一旦は悲劇的結末を迎えたように見せておいて、最後に再び2人を出会わせるという作劇はあまりにもベタ過ぎるとはいえ、こういう娯楽映画には必須のメロドラマ的な要素をしっかり加えることで、ストーリーに豊かなふくらみを持たせたのは見事と言っていいのではないか。最初に書いたけれど、配給側に売る気があればいくらでも売れる要素は含まれていたように思うのである。
 一方で、当時のインドが置かれていた不幸な状況などもしっかり点描されていたのが良かった。歴史をどう捉えるかというところで、この監督(グリンダ・チャーダ、ケニヤ生まれのインド人で、イギリスで活躍している女性監督らしい)の視点はきわめて公平でバランスが取れていたと思う。当然のことながら総督邸の使用人には3つの宗教信者が入り交じっていて、特に対立が激しかったヒンドゥー教徒とイスラム教徒が、ちょっとしたきっかけで一触即発という睨み合いになってしまうところなど、国のかたちをどう決着させたとしても、これを解決するのは容易なことではないことを浮かび上がらせていたと思う。
 マウントバッテン卿の妻エドウィナ(ジリアン・アンダーソン)の動きも丁寧にフォローされていて、インド民衆の置かれた現況に心を痛めていた彼女が、国民の非識字率が92%であることや、子どもの半数が5歳前に死んでいることを指摘して、イギリス統治が何もやってこなかったことを暗に批判するシーンは印象的だった。調べてみると、イギリスの統治は自国の利益を最優先としてインドから収奪するばかりで(当然と言えば当然なのだけれど)、宗教的な対立も統治の安定のために時に煽って利用した側面もあったということらしい。

 マウントバッテン卿は最終的に、インドとパキスタンの分離独立という結論に達するのだが、妻エドウィナは「インドを解放しに来たのに引き裂いてしまうのか」と非難する。だが、広範にわたる暴動の拡大などによって、いますぐこの結論を出す以外に、インドの崩壊を防ぐ手立てはないという夫の言葉に理解を示すしかない。マウントバッテン卿にとってそれが苦渋の決断であったことはよく描かれていたが、映画はさらに、彼に知らされなかった機密文書が存在していたことを描いて、これがチャーチルによって秘密裏に計画された既定路線だったことを明らかにしている。インドから撤退した後も、イギリスが有利になるような国境線を策定していたということだったらしい。
 いずれにせよ、分離独立という決着によって、宗教的には入り交じっていた国民は、みずからの新たな国籍と住む場所を決めなければならないという、きわめて困難な選択を迫られることとなった。先のジートとアーリアが直面したのがこの選択だったのである。旧インド帝国の所有財産も一定の比率で両国に分配されることになり、総督邸にあった道具類などもすべて分けられることになって、その何とも言いようのない作業の様子なども描かれていた。何十巻にも及ぶ百科事典をどう分けたらいいか判らないというような、滑稽なシーンも中には含まれていた。
 とにかく、新たに決められた国境線によって国民の大規模な移動(インド領内のムスリムはパキスタンへ、パキスタン領内のヒンドゥー教徒はインドへ)が起こり、住み慣れた土地を離れるしかなくなった人々は、大量の難民となって大都市に溢れることになったのである。この過程で略奪や暴行、虐殺といった惨事がいたるところで繰り返された。みずからが下した決定によって引き起こされた悲劇を眼前にしても、もはやマウントバッテン卿にはどうすることもできないのである。

 インドとパキスタンがスタートしたのは1947年8月だったようだ。実は、これはわたしの生まれた年月と一緒なのであって、無論何の関係もないことなのだが、この経緯やその後の両国の歩みについて何も知らなかったことが申し訳ないような気もしてしまうのである。この時の混乱が元になって生まれた大量の貧困層やスラムの問題などは、両国の国家建設のネックとして長く尾を引き、国家間の紛争や対立はその後も何度となく繰り返されることになってしまったようだ。わたしが学校で習った頃には、パキスタンという国はインドの東西にあって、おかしな国だなあと思った記憶があるが、そんな体制は長続きするはずもなく、東パキスタンはいつのまにか(1971年に)バングラデシュとして独立することになってしまう。
 それらすべての根元に何があったのかを知ることができただけで、この映画には大きな意義があったと言うべきだろう。
 なお、この映画では、最後になって一枚の古びた写真が映し出され、そこに写っているグリンダ・チャーダ監督の祖父母(シーク教徒だったようだ)が、あの分離独立の混乱した難民キャンプで再会を果たしたことが紹介される。監督は彼らの孫だったのだと字幕が出た時、この再会がなければ監督はこの世にいなかったのだということが理解され、それが同時に、同じく難民キャンプで奇跡の再会を果たしたジートとアーリアのカップルに、自然に結びついていくように仕掛けられていたのだった。仕掛けなどと言ってしまっては身も蓋もない、わずか70年前に体験した未曾有の出来事に、いまを生きている人々もみんな結びついているのだという、監督がこの映画に込めた思いが見事に浮かび上がってくるラストシーンだったと思う。
(新宿武蔵野館、8月23日)
by krmtdir90 | 2018-08-24 14:42 | 本と映画 | Comments(0)

映画「縄文にハマる人々」

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 ドキュメンタリーということになっているらしいが、製作意図というか、製作の方向性がはっきりしない映画だなと思った。縄文時代に興味を持った監督(山岡信貴)が、縄文にハマっている人々にインタビューして回ったり、日本各地の博物館で見た土器や土偶などを記録しているのだが、編集の手際が悪いのか、どうも雑然としていてまとまりがないという印象を受けた。
 監督としてどういうところにフォーカスしたいのかがはっきりしていない感じで、あれもこれもといろいろ並べてはいるものの、結局バラバラで統一感のないまま終わってしまったような気がした。最後のあたりで何やら思わせぶりなイメージが出てくるのも意味不明で、たとえばけっこうグロテスクな動物の屠殺シーンなど、どういう意図でここに挿入されたのか理解できなかった。もっと説明的であるべきだということではないが、それで何を浮かび上がらせようとしているのかは、判るようにしておいてくれないと困ると思った。

 ところで、わたしは決して「ハマっていた」わけではないが、縄文時代にはずっと興味を持っていたと思う。この映画で教えられたり気付かされたこともたくさんあったので、そういうことについて少し書いておくことにする。

1、縄文時代は1万年も続いていた。
 映画の中で簡単なタイムスケールが示され、縄文時代が1万5千年ぐらい前から1万年も続いたというのを見せられて驚いた。縄文時代の後には弥生時代が来るが、これは3千年~2千5百年前と考えられているようだから、縄文時代の1万年と比べれば、その後の現代に至る人間の営みはたった4分の1に過ぎないことになる。こういうタイムスケールはどこかで見ていたかもしれないが、今回改めてそれを教えられたのは良かった。

2、縄文人のことはほとんど何も判っていない。
 縄文時代の遺跡が各地で発掘され、土器や土偶といった様々な遺物が出てきているが、縄文人がどういうつもりでそんなものを作ったのかとか、要するに縄文人の感じていたこととか考えていたことなどはほとんど何も判っていないらしい。これが再確認できたのは良かった。
 実際、器であることは確かだが、火焔形土器に代表されるような、実用性を損ねる過剰な装飾がなぜ施されたのかとか、遮光器土偶を始めとして、解釈を拒絶するような奇妙なかたちの土偶は何のために作られたのかといったこと。映画のインタビューでも様々な意見が紹介されていたが、結局判らないからどんなことでも言えるという状況になっているようだった。
 考えてみると、これはなかなか面白い状態と言うべきであって、さすがに宇宙人の姿をかたどったなどというのは突飛すぎるとしても、人間の姿をただデフォルメしたと言うだけではとても割り切れるものではないところが、こんなにも人を夢中にさせるのだと思った。インタビューの中では(誰が語っていたか忘れたが)、「具体的なものを抽象化したというより、抽象的なものそのものへの指向ががあったのではないか」とか、「具象を行うことがタブーであるような世界観があったのではないか」といった意見などは、なかなか傾聴に値するものだと感じた。
 いずれにしても、こういうものを初めて見た時の「何なんだ、これは」という驚きはわたしも経験したことであって、この映画がもう少し整理したかたちで解釈を示してくれるのかと簡単に思っていたが、そんなことはとうてい無理なことなのだった。そういうところに安易に向かわなかったところは、この映画の美点だったのだろうと思う。

3、縄文遺跡は東日本に多く西日本には少ない。
 なぜそうなのかは判らないが、事実としてそういうことになっているらしい。土器の比較においても、過剰な装飾は東日本のものに多く、西日本では少ないようだ。弥生式土器が西日本から始まったことも、これに関係していると考えられているらしい。

 さて、パンフレットの末尾には、この映画で登場した遺跡と博物館が写真とともにすべて紹介されている。こんなにあるのかと驚いたが、この中でわたしが行ったことがあるのは4カ所だけである。そのことについても書いておくことにする。4カ所とは、釈迦堂遺跡博物館(山梨県笛吹市)、井戸尻(いどじり)考古館(長野県富士見町)、尖石(とがりいし)縄文考古館(長野県茅野市)、これに関連する中ッ原遺跡(同)である。
 釈迦堂遺跡博物館は中央高速・釈迦堂PAに隣接していて、PAに車を置いて見学できるようになっている。この遺跡そのものが高速道路工事を契機に発掘されたようで、甲府盆地を見下ろす扇状地に広がる大規模な遺跡だったようだ。井戸尻と尖石は八ヶ岳の麓の標高の高いところにあり、冬場はけっこう気温が低くなるところなので、こんなところに住んでいたのかと驚いた記憶がある。
 これらの博物館で火焔形土器などを見たのだが、確かにあれこれ想像しないではいられない不思議なかたちをしていると思った。尖石で見た「縄文のビーナス」「仮面の女神」という二体の土偶(国宝)も印象的だった。特に仮面の女神は発掘されたのが2000年のことで、当時かなりニュースになったこともあって、のちにこれが出土した中ッ原遺跡にも行ってみたということである。現地には出土した時の様子がレプリカで再現されていた。

 知っているものや知っているところが映画に出てくると、何となく嬉しいものだなと思った。
(渋谷イメージフォーラム、8月21日)
by krmtdir90 | 2018-08-22 12:04 | 本と映画 | Comments(2)

映画「スーパーシチズン 超級大国民」

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 新宿K's cinemaでやっていた「台湾巨匠傑作選」が、この夏ほぼそのままのラインナップでユジク阿佐ヶ谷に来るというので、見たいと思っていたこの映画のスケジュールを調べて行って来た。「台湾ニューシネマ・幻の傑作」という惹句が気になっていたのである。
 この映画が製作されたのは1995年だったというが、映画祭での上映はあったものの、日本では一般公開されておらず、このほどデジタルリマスター版が作られたのを契機に、23年ぶりで劇場初公開が実現したものだったようだ。

 台湾で、38年続いた戒厳令が解除されたのは1987年のことである。戒厳令下の台湾については、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の「悲情城市」(1989年)やエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の「牯嶺街少年殺人事件」(1991年)などですでに描かれていたが、それら先行作品にやや遅れて、ワン・レン(萬仁)監督がこの映画で取り上げたのは、戒厳令下で行われた白色テロという厳しい政治弾圧の実態と、それが人々の心に深い傷跡を残した事実である。こうしたことを文字通り真正面から描いたために、この映画は台湾ニューシネマの中でも突出して重要な歴史的意義を持つものになったようだ。
 パンフレットからストーリーの概略を書き抜いてみる。
 1950年代、戒厳令と白色テロの時代。若き大学教授コー・ゲーシン(許毅生)は、政治的な読書会に参加したことを理由に逮捕される。投獄されたコーは激しい拷問に負け、逃走した友人タン・チンイッ(陳政一)の名前を明かしてしまう。その結果、コーは無期懲役となるが、捕まったタンは死刑にされてしまう。30数年後、戒厳令解除で解放されたコーはすっかり老人となり、いまはどこかの老人施設に入って暮らしている。

 映画の冒頭、深い夜の闇の奥から車のヘッドライトが現れ、2台のジープが次第に近づいて来て止まる様子が俯瞰気味のロングショットで捉えられる。3人の男が外に引き出され、座らされて背後から兵士たちに銃殺される。これは、タンの処刑を自分のせいだとずっと責めてきたコーが、いまだに囚われうなされ続けている悪夢のイメージなのである。
 映画は、老いたコーが施設を退所して、高級マンションに住む娘夫婦の許に身を寄せるところから始まっている。彼は翌日から、わずかなつてを頼りにかつての関係者を訪ね歩き、タンの墓を探して謝罪しようと決意している。このことは、映画が進むにつれて、上に書き抜いた彼の事情とともに次第に明らかにされていくようになっている。彼の苛烈な実体験と、彼の中で形作られたそれに付随する様々なイメージや記憶の断片といったものが、セピアがかったモノクロ映像で混然と挟み込まれている。そのことで、彼のたどった不幸な人生の全貌が徐々にかたちを現してくるのである。
 この映画では、日本統治の下、日本軍の一員として戦争に駆り出され、戦後は国共内戦によって多くの外省人が流入し、様々な混乱の中で戒厳令公布に至る歴史的経緯も明らかにされている。いまではパチンコ屋のテーマ音楽になってしまった軍艦マーチや、当時台湾で歌われたらしい大陸反攻を煽りたてる勇壮な曲などが、かなり長々と映像に重ねられていて、この国がたどった複雑で困難な道のりもしっかりと記録されていくのである。

 タンの墓を探す旅の途中で、老いたコーが訪問する昔の仲間もみんな老いていて、それぞれが過去の傷跡を背負いながら生きていることが見て取れる。製作当時の台湾の町の様子なども点描されているが、戒厳令解除後に初めて行われた統一選挙(1989年に実施)が背景になっていたようだ。国民党一党独裁体制が崩れ、世の中は民主化に向かう大きなうねりの中にあるが、コーを始め白色テロの犠牲となって苦しんだ者たちには、時代に取り残されていくような寂寥感が漂うのである。
 コーが昔の仲間と言葉を交わす時、思いがけず時折日本語が混じることに衝撃を受けた。確かに台湾は、1945年までは日本の統治下にあり、その時代に生まれ育った子どもたちは、みんな統治国日本の教育を受け日本語を話して育っていたのだった。
 コーは、映画の終盤になってようやくタンの墓にたどり着くが、山奥の茂みに分け入り、たくさんの小さな墓標が並ぶ荒れ果てた墓地の中を探し回り、やっとタンの墓標を発見した彼はその前に崩れるように跪く。その時、深く頭を垂れた彼の口から絞り出されたのは、「すみません」という日本語だったのである。ワン・レン監督の言によれば、彼らは自分を日本人だと思って育ってきたのであり、親密な関係にある者同士であれば、会話に日本語が交じるのはきわめて自然なことなのだという。彼らは幼い時から、許しを乞う時は「すみません」と言うのだと教わってきたので、本当に謝りたいと思う時に出てくる言葉は、自国語ではなく日本語になってしまうというのだ。
 日本人として、これまでそんなことは考えたこともなかったから、これは非常に強く印象に残ったシーンだった。

 コーに関する過去の映像の中で、刑務所に面会に来た妻にコーが書類を渡して一方的に離婚を告げるシーンがあった。セリフなどはなく、すべてが無言のうちに進行するのだが、同道していたまだ小さかった娘がその一部始終を見詰めていた。そして、後半の現在のシーンの中で、はるか昔のこの時の父の選択を娘がまだ許せないでいることが彼女自身の口から語られる。無期懲役の政治犯である彼は、妻の幸せを願って離婚の道を選んだつもりでいたのだが、それは彼女の気持ちをまったく思いやっておらず、自分のことしか考えていなかったではないかと現在の娘に責められてしまうのである。
 映画の最後には、老いたコーが当時のまだ若い妻と娘とともに、丘の上で笑顔で寄り添うシーンが置かれていた(チラシに映っている三人がそれである。真ん中のコーだけが年を取っている)。引き裂かれた無念の思いは、コーだけでなく妻や娘の中にもずっとあり続けたということなのだ。長く続いた戒厳令の下で、多くの悲劇が繰り返されたことを忘れてはならないという強いメッセージを、ワン・レン監督はこの映画に込めたのだろう。

 なお、最後に一言付け加えておけば、この映画は作りとしてはあまり巧みなものではないと感じた。現在の中に過去の出来事などをフラッシュバックさせる描き方は、それなりに成功していたと言えないわけではないが、どうも、エピソードの扱いが総じて説明的になりすぎていて、公開当時はどう受け止められたのか判らないが、いま見ると組み立てがやや凡庸に感じられるところなどもあったように思う。ただ、台湾映画の歴史において重要な作品だったのは確かなことで、そういう意味では見ることができて良かったと思った。
(ユジク阿佐ヶ谷、8月17日)

by krmtdir90 | 2018-08-19 14:37 | 本と映画 | Comments(0)

「ふたりぐらし」(桜木紫乃)

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 桜木紫乃はどこに行こうとしているのか。新境地を模索しているのだろうか。
 しかし、以前からの読者としては、こういう話なら別に桜木紫乃でなくてもいいわけで、彼女には「結婚って、けっこういい」などという話を期待しているわけではないのだ。前作「砂上」も新境地という感じがあったが、あの時は小説家・桜木紫乃がみずからの創作の秘密?を明かしてくれたという点で、それなりに楽しむことはできたのだった。

 今回は一組の夫婦の上に流れる時間の経過を、10の短編を連作のように組み合わせることで描き出そうとしている。10編は夫と妻それぞれに即した話を交互に並べていて(5編ずつ)、夫の「こおろぎ」から始まって、最後は妻の「幸福論」で終わるという構成になっている。帯の惹句にあるように、「夫婦はいつから、夫婦になるのだろう」というのが全体を貫く問いになっていて、裏表紙側の帯の「ささやかな喜びも、小さな嘘も、嫉妬も、沈黙も、疑心も、愛も、死も。ふたりにはすべて、必要なことだった」というところを通って、最後に「幸福論」に辿りつくというかたちである。
 最後のタイトルが「論」であるのは、結局こういうのが「幸福」なのかもしれないという、あくまで断定しない終わり方になっているからと思われるが、そもそもそんなことは誰にも断定することはできないのだから、それを「論」と名づけてみせる桜木紫乃の態度には、あまり共感できるところはないような気がした。
 桜木紫乃が幸福について考えることは別にかまわないと思うが、それが夫婦の幸福についてであったことが、少々違和感を感じさせるということだったのかもしれない。男と女、両者を無理に均等にしようとしたように見えてしまって、別にすべてを妻の側から書いてもいっこうにかまわなかったのではないかという気がしたのである。たぶん、その方が彼女も書きやすかっただろうし、ずっと読みやすいものになったのではないかと思った。

 桜木紫乃はこれまでも、圧倒的に女性の生き方を描いてきた作家なのであって、敢えて言ってしまえば、男性を描くことはあまり得意ではなかった(あまりそちらの立場を考慮してこなかった)という印象があったと思う。今回、男女をほぼ等分にする比率で書こうとしたのは、もしかするとそのあたりを意識してのことだったのかもしれない。
 だが、率直に言ってしまえば、本作でも夫・信好の造形はもう一つはっきりしないところがあって、読んでいてあまり面白いとは思えなかったのである。と言うか、実は妻・紗弓の方もどことなくぼやけた印象があって、桜木紫乃は結局、さして特徴のないこうしたありふれた人物を描くのはあまり巧みではなく、なかなか面白いものにならないということだったかもしれないと思った。
 もちろん、各編ごとに小さなエピソードの積み重ねになっている今回の話でも、描写の仕方などでさすがだなあと感心するところはたくさんあった。だが、それがこの夫婦への興味としてまとまっていくような気はしなかったのである。エピソードの設定が、無理に作られているように感じられるところもあって、話の「作られ感」といったものが、いつになく生のまま出ているような気もしたのである。夫婦になってすでに40年以上経過しているわたしとしては、こういう話には「今さら感」というようなものも働いていたのかもしれない。

 やはり、桜木紫乃にはもっと波瀾万丈で、周囲の現実に翻弄されるような女性たちを描いてほしいという気がするのである。たぶん、今回の話では「桜木紫乃ワールド(固定観念かもしれないが)」というようなものに、有無を言わせず引きずり込まれることがなかったのが不満だったのだろうと思う。難しいものである。
by krmtdir90 | 2018-08-17 18:16 | 本と映画 | Comments(0)

映画「カメラを止めるな!」

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 わたしは映画館に行くとけっこうチラシを貰ってくるので、このチラシもあるだろうと探してみたが見つからなかった。絵柄には確か見覚えがあるから、たぶん見かけるたびに(この感じはまったく好みではないし)見に行くことはないと判断していたのかもしれない。
 ところが、どうも世の中はわからないもので、これがいま驚異的な大ヒットを記録しているのだという。最初はマイナーな2館ほどで公開されたが、面白いという評判が口コミ(SNS)で一気に広がり、連日の満席を記録したのち、先週あたりから上映館を大幅に増やして対応することになったらしい。「この世界の片隅に」とまったく同じパターンをたどっている映画なのである。
 そうはいっても、映画としては「この世界…」(の真面目さ)とはまったく異なり、いかにもB級くさい「ゾンビもの」のコメディらしいし、なかなか見に行こうという気持ちにはなれないでいた。だが、夏場はわたしの見たいような映画がほとんどやっていない時期で、まあ、他に見るものもないし、ちょっとヒマ潰しという気分で近くのシネコンに出掛けて行ったのである。シネコンとしてはかなり大きなハコが用意されていて、6割ぐらいの入りだったろうか、それでも一日7回も上映するようだから、十分立派な成績と言っていいのだろう。思いがけない展開に増刷が追いつかないのか、プログラムを買おうとしたら品切れになってしまっていた。

 SNSで拡散する時、この映画は予備知識なしで見た方がゼッタイにいいということで、ネタバレさせずに周囲に薦めるのが暗黙の約束になっていたらしいが、わたしとしては感想を書きたいのだから、以下は完全なネタバレになっていることを最初に断っておきたい。
 結論を最初に言うと、これはものすごい掘り出し物だった。「騙されたと思って見に行ってごらんよ、とにかく面白いから」と、なぜかしら人に薦めたくなる映画なのだと思う。アイディアの勝利という面はあるが、それをこんなふうに実現するのは簡単なことではなかっただろう。

 いきなり始まるのは、これ以上はないというくらいチープな「ゾンビもの」である。とある山奥の廃墟で、自主映画の撮影隊がゾンビ映画を撮影している。妙なこだわりを見せる監督にみんなが困り果てていると、そこになぜか本物のゾンビが襲いかかり大混乱になるのである。本物だ~!と監督は大喜びで撮影を続けるが、撮影隊の面々は次々とゾンビ化していき、腕は飛び首も飛び血糊ベタベタの修羅場が展開していくことになる。…というような内容なのだが、何と言うべきか、画面は汚いし、勢いだけはいいんだが、なんかハチャメチャでよく判らん流れの中で、これはなんなんだよ~という気分になっていくしかないのである。
 ただ、これが37分にわたる「ワンシーンワンカット」で撮られているというのはどこかで聞いていたから、いつのまにか、これは容易に撮れるものではないぞというのが判ってきて、その興味に引きずられて、とにかく行くところまで行くしかないなと覚悟を決めることになった。たぶんカメラを止められないことからくる不自然さや、なぜそうなるのかよく判らない箇所がいろいろ目につくのだが、とにかく37分を走り切ってエンドロールが出たところで、とにかくよくやったことだけは確かだなと思うしかなかった。

 だが、実はここからがこの映画の(もう一つの)始まりだった。これはもう、完全にやられたという感じだった。
 まず、37分のワンシーンワンカットがなぜ行われたのかという事情が明らかにされる。これはそもそも、テレビの単発ホラー番組として企画されたもので、使えるカメラは一台だけ、全編ワンカットの生放送というのがプロデューサー側が出した条件だったのである。要するに企画そのものが最初から安易な思いつきなのであって、しかも予算がないから、俳優も裏方もよく判らない面々しか集められなかったということらしいのである。
 こんな安直で危ないだけの企画に普通は誰も乗らないよなどと言いながら、引き受けてしまった以上はやるしかないというところに監督が追い込まれたのが始まりだったのである。この準備段階のあれこれを手短に描写していくところで、監督の家族のサエない状況なども点描されるのだが、なぜそんなシーンが必要なのかよく判らないままに、映画は最初に見せられた37分のワンシーンワンカットを、もう一度、今度は製作側の視点から追体験するという構成になっているのだった。それは、この37分の撮影の裏側で何が起こっていたのかを、逐一明らかにしていくということだった。この過程で、監督の家族(妻と娘)も重要な役割を果たしていくことになる。

 つまり、この後は最初の37分間や製作事情を描いた部分で、様々に引っかかってきた不自然さや意図不明の箇所について、実はこうだったという種明かしが行われることになるのである。カメラを止められないという絶対条件の中で、裏方を始めとした撮影隊全員が、臨機応変つじつま合わせのために必死に駆け回る様子をすべて映し出していくのである。要するに、これまで不自然とか意図不明と感じられた箇所は、映画としては(思わぬアクシデントが起こったというかたちで)すべて意図的に仕込まれていた伏線だったのであり、それを一つ残らず回収してみせるというのが、この映画の核心になっていたのである。見ているうちに、なるほどそういうことだったのかと一々納得させられて、その爽快感?はなかなかのものだった。客席からもけっこう笑い声が聞こえて、大いに楽しませてもらうことになった。
 この中で、このワンシーンワンカットを作り上げようとする撮影隊の「必死の思い」といったものが、鮮やかに浮かび上がってくるように感じられたのが素晴らしかった。笑っちゃうくらいチープな撮影現場であっても、そこに溢れている一人一人の「熱」はこの上ないものだったのである。彼らの真剣な右往左往を笑っているうちに、最後には胸が熱くなるようなところまで持って行かれてしまうのは驚きだった。いやまったく、この手の映画に感動させられてしまうとは思ってもみなかった。

 考えてみると、この映画は実に緻密に組み上げられた映画なのであって、監督・脚本・編集の上田慎一郎という青年監督(34歳だという)の力量は並のものではないことが感じられた。特に見事だと思ったのは、この監督はその緻密な計算を前面に出すのではなく(計算している余裕なんてありませんよという顔をして)、むしろいかにも成り行き任せの、たまたまこんなことになっちゃって~といった、終始いい加減な雰囲気をあたりに漂わせながら、それを何ともさりげなく(軽やかに)やり切ってしまったことだったと思う。予算がなかったのは事実だったのだから、上田監督はそのチープさを逆手にとって、恐らく計算ずくでこの「ユルい雰囲気」を構成して見せたのではないかと思う。
 みんなで力を合わせて困難を乗り越え、一つのものを作り上げていく素晴らしさ、などと言ってしまったら身も蓋もないが、確かにこの映画はそういうことを描いていたのであって、そういう映画をとことん楽しいだけの第一級コメディとして作り上げてしまったことに驚くのである。振り返ってみれば、どの登場人物のキャラクターもしっかり組み上げられていたことが判るし、映画の監督一家(監督と妻と娘)にとっては、あろうことか、彼らの成長脱皮の物語という側面まで鮮やかに描き込まれているのである。彼らの変貌にあっけにとられながら、ヨシッ、行け~!というような、なんだか全面的な共感気分にさせられてしまうなど予想もできないことだった。

 まったく、映画というのは判らないものだ。終わってみれば、完全に監督の術中にはまってしまった96分だった。見に行って良かったと思った。
(TOHOシネマズ南大沢、8月13日)
by krmtdir90 | 2018-08-15 16:13 | 本と映画 | Comments(2)

映画「グッバイ・ゴダール!」

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 ジャン=リュック・ゴダールの「中国女」(1967年)は見ているはずだが、映画のこともアンヌ・ヴィアゼムスキーのこともまったくと言っていいほど覚えていない。「気狂いピエロ」(1965年)には衝撃を受けたが、その後、商業映画と訣別して政治的・闘争的な映画に突き進んでいった彼には、とてもついて行けないような気がしていたのだと思う。
 この映画は、アンヌ・ヴィアゼムスキーが2015年に出版した自伝的小説「それからの彼女」を映画化したものなのだという。そこには、アンヌが主演した「中国女」の撮影時から始まり、いわゆるパリ五月革命とカンヌ国際映画祭粉砕事件(いずれも1968年)、そしてジガ・ヴェルトフ集団の映画製作に至るまでの数年間のゴダールが描かれている。それは、ゴダールの軌跡をたどろうと試みる時、最も興味深く、しかし最も判りにくい変節を遂げた時期と重なっている。

 だが、間違えてはいけない。この映画はその時期の事象を一つ一つ追いかけているが、だからといってゴダールの伝記映画を作ろうとしたものではないし、映画監督としての彼の変節を解釈したり評価したりしようとしたものでもない。恐らく、アンヌ・ヴィアゼムスキーの書いた原作もそうしたものではなかったと思われる。ここにはいかにもそうであったかのようなゴダールがいるが、それらはすべてアンヌの視線を通したゴダールであって、小説として書かれている以上は、そこに創作や誇張が加わっていることが前提となっているのである。
 映画は当然のことながら、ゴダールの思考の軌跡には踏み込もうとしていない。それは確かに重要な背景ではあるけれど、ここに描かれているのはあくまで、2人目の妻(ミューズ)となったアンヌとの日々に一喜一憂?する一人の男性としてのゴダールの姿である。ゴダールが彼女と出会った時、アンヌは19歳、ゴダールは36歳だったというが(アンヌはすでに、17歳でロベール・ブレッソン監督の「バルタザールどこへ行く」に出演して映画デビューしていた)、この映画が描くのは、すでに時代の寵児となっていた天才映画監督と出会ってしまった、はるか年下の新人女優アンヌの目から見た、2人の「恋」の顛末なのである。

 この監督(ミシェル・アザナヴィシウス)は、この基本的な視点をずっと堅持してくれているから、ゴダールの弱さやダメさ加減を容赦なく(コミカルに)描きながらも、その思想面には一定の距離を置くことで、彼へのリスペクトは一貫して保持していることが見て取れるのである。その結果、出会いの当初は全面的な憧憬であったアンヌの思いが、どんどん変化していく彼の行動の過激さに次第に違和感を強めていき、ついにはついて行くことができなくなってしまうまでの心の変遷が、(ゴダールを批判したり貶めたりすることなく)丁寧にたどられるものになっているのである。
 女性の方から見ると、ゴダールのような男はまったくもって困ったものなのかもしれないが、それを笑いで処理するところでも、この映画は少しも嫌味なものにならず、それもまた彼の一途さや不器用さの一つのかたちだったのかもしれないと感じさせるような描き方をしていると思う。ゴダールを演じたルイ・ガレルをゴダール本人に非常に似た風貌に作って、いかにもこんなふうだったのだろうなと思わせる一方で、アンヌを演じたステイシー・マーティンは本人とはまったく異なるイメージで登場させたところに、この監督の鮮やかな作戦の勝利があったような気がした。

 そのためと言っていいと思うが、このアンヌはアンヌ・ヴィアゼムスキーであると同時に、1人目の妻(ミューズ)だったアンナ・カリーナをも連想させるような存在になっていたと思う。アザナヴィシウス監督は、この映画を普遍性を持つ「恋愛映画」と規定することで、いつも女性と行き違うしかなかった「勝手にしやがれ」(1960年)「軽蔑」(63年)「気狂いピエロ」(65年)といったゴダールの作品群を、つい(自然に)参照してしまうような作り方をしている気がした。ここにいるゴダールは、マリアンヌのアンナ・カリーナを遂に理解できなかったフェルディナンのジャン=ポール・ベルモンドと瓜二つだと言ったら言い過ぎだろうか。
 この映画には時々、ゴダールとアンヌの短い独白が挿入されているのだが、非常に早い段階でゴダールは、「彼女は僕を捨てる、いつのことか判らないが」と言っているのである。ゴダールとゴダールの映画の男たちは、この理由も判らない不安(予感)からいつも逃れられないでいたような気がする。対するアンヌは終盤近くで、「もう愛していない。目が覚めたわ。あなたが皆を拒んだのよ」と呟くのである。ゴダールはどんなに一生懸命になっても、アンナ・カリーナやアンヌ・ヴィアゼムスキーにそう言わせてしまうしかできなかったということなのだろう。

 アンヌ・ヴィアゼムスキーは2017年に70歳で亡くなったらしい。完成したこの映画を見て、彼女はとても気に入っていたとどこかに書いてあった。一方、ゴダールはいまも存命で(87歳だという)、この映画化にも完成した映画にも一切コメントを出していないということのようだ。まあ、実際にコメントの出しようがないのかもしれないが、通りすがりの野次馬としては、彼の辛辣な(たぶんそうなる)感想を聞いてみたいような気もした。
 まあ、それはそれとして、思いがけずきちんと作られた楽しい映画だった。ゴダールの人間味がこんなにも描かれているとは思わなかった。彼の政治的な考え方などは別にして、彼とアンヌの心情的なものがしっかり描写されていたのが良かったのだと思う。私の中ではけっこう評価の高い佳作だったと思う。
(シネスイッチ銀座、8月6日)

 新宿でもやっているはずだと思っていたら、すでに21時過ぎから一回限りの上映に切り替わってしまっていた。そのため、何十年ぶりかでJR有楽町駅を降りて、はるか昔に何回か行ったことがある(はずの)銀座のこの映画館での鑑賞になった(こちらは12時15分からの回があった)。映画館の記憶はまったく甦ってこなかったが、こういうのもたまには悪くないなと思った。内装などは新しくなっていたのだろうが、見やすい、いい映画館だと思った。
by krmtdir90 | 2018-08-08 14:20 | 本と映画 | Comments(0)


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