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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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仙台(全国大会)への旅(2017.8.1~3)

 仙台に行くのは全国大会に出る新座柳瀬の応援のためだが、今回もまたその前に小さな鉄道旅をリンクさせることにした。青春18きっぷを利用することも考えたが、もう往復を普通列車にするのは少々きついかなと考えた。

8月1日(火)女川再訪
 東京駅10:04発のはやぶさ51号はこまちとの併結運転だった。
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 11:39、仙台駅着。これは東口の方。
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 どんよりとした曇り空で、細かい雨滴が少し顔に当たるようだ。
 この日の午後は女川を再訪してみようと思っている。前回女川に来たのは2015年春のことで、不通になっていた石巻線の女川・浦宿間が開通した直後だった。駅は新しくなり駅前広場も整備されていたが、その先の港との間にはまだ何もなく、土地整備事業(かさ上げ工事)が続いていた。

 今回は仙石線で石巻に向かうつもりなのだが、この仙石線の仙台駅ホームというのが非常に判りにくいかたちになっている。仙石線の線路は仙台駅の他の線路とはつながっておらず、それらの地下を横切るかたちで始発のあおば通駅に通じている。仙石線の仙台駅ホームは東口のかなり離れた地下に作られているのである。
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 ホームに出てみると、12:22発の石巻行きの前に、12:07発で途中駅の多賀城行きというのがあるようだ。で、それに乗車。
 多賀城まで行くと乗り換えホームが替わるというアナウンスに釣られて、一つ手前の中野栄駅で下車してしまった。
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 どうせあちこち歩き回るのだから多賀城まで行っても同じだったのだが、まあ、釣られてしまったのだから仕方がない。
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 橋上の改札口に行って外に出ようとしたら、自動改札の機械に拒絶されてしまった。どうしてだか判らないが、無人駅であってはどうしようもない。まあ、外に出ても特別どうという駅ではなさそうなのであきらめた。
 で、上からの眺め。
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 12:41、石巻行きの電車がやって来た。
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 仙石線は電化されており、使用されている車輌は205系電車である。電車は4輌編成で、座席はロングシートだった。
 東塩釜駅までは複線、その先は単線となり、高城町駅で交換待ち停車があった。
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 前回来た時には高城町・陸前小野間はまだ復旧しておらず、代行輸送のバスに乗った。仙石線が全線開通したのは2015年5月30日だったようだ。

 石巻が近付いてくると想定外のことが起こった。駅に着くたびに地元の乗客が乗って来て、車内はどんどん混雑していったのである。浴衣姿の若者なども混じって、みんなお祭りに繰り出す風情なのである。
 で、13:47、石巻駅着。
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 小さな駅が時ならぬ大混雑である。右側のサイボーグたちも驚いているようだ。
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 看板などを見ると、7月31日・8月1日の2日間、この石巻で第94回川開き祭りというのが行われ、この日のフィナーレには花火も打ち上げられることになっていた。とんでもない?時にぶつかってしまったのである。
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 改札口周辺には、臨時に駆り出されたと思われる駅員が十人以上対応に当たっている。下車客の混雑が一段落したところで、わたしもちょっと外に出てみることにする。
 駅前もたくさんの人で、時間の余裕はあったが、街の方を見に行く気力は湧いてこなかった。
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 14:21発の石巻線・女川行きも混雑していたが、座ることはできた。この先は非電化単線なので、車輌はキハ110形、セミクロスシートの2輌編成だった。
 途中駅でお祭り帰りの地元客は徐々に降りて行き、14:46、女川駅に着いた。
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 外に出る。2年前には何もなかったところに街ができている。
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 駅舎も一応撮影して、
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 早速、街の方に行ってみる。
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 ところが、ここでまた想定外の事態にぶつかることになった。ここで何か美味しいものを食べようと昼食を我慢して来たのだが、観光案内所で聞くと、このあたりのお店はみんな2時ぐらいで店じまいをしてしまうのだという。めぼしいところを回ってみたが、定休日の店もあったりして、狙っていたマグロの刺身にはありつけないことになってしまった。
 街はこの道路のところで終わっていて、この先はまだ整備事業が継続中だった。
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 結局昼食はどうしたかというと、
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 何とかオープンしていたこのお店で、
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 女川ハイボールというのと、
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 魚介のスパゲッティを食べることになってしまった。
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 美味しかったけれど、まさか女川まで来てスパゲッティを食べるとは思わなかった。

 駅に戻って、駅舎の展望台に上がってみた。
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 とにかく外見的には復興は進んでいるように見える。実態としてはいろんな問題があるのだろうが、一度は何もなくなってしまったことを思えば、この新しい街並みがこれからも発展していってほしいと願わずにはいられなかった。
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 ということで、
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 16:25発の石巻線・小牛田行きが入って来た。
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 途中の海の景色を一枚。
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 晴れてないと海の写真はダメだね。

 16:51、石巻駅着。16:54発の仙台行きに乗り継ぐ。石巻駅は相変わらずすごい混雑で、3分で乗り継ぐのはけっこう忙しかった。
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 帰りは新しくできた仙石東北ラインを使うので、車輌はディーゼルハイブリッドHB-E210系というものである。4輌編成で車内はセミクロスシートだった。
 仙石東北ラインというのは、東北本線・松島駅と仙石線・高城町駅の間に非電化単線の接続線を新設し、快速運転を行って速達性を向上させたもので、仙石線が復旧したした2015年5月30日から運用が開始されたものである。
 仙台駅に着いたのは17:49だった。

 この日の宿は東口にあって、行ってみたら東横インのような安いビジネスホテルにも総文祭関係の高校生の姿が見られた。この影響で、今回は一日目と二日目で同じ宿を押さえることができなかったのである。
 夜は、フロントで紹介されたこの店で、牛タンなどを食べながら晩酌をした。
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 珍しかったので頼んでみた焼きホヤ。
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 こういう食べ方があるとは思わなかった(それにしても5つは多い。3つで十分だと思った)。
 飲んでいたら、カウンターの後ろのイス席に顧問に連れられた高校生たちがやって来て、夕食を食べ始めたので何となく落ち着かなかった。確かに、ビジネスホテルでは夕食は食べられないからなあ。

8月2日(水)全国大会2日目
 朝の仙台駅西口。
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 在来線の改札口は2階にあって、東西自由連絡通路は西口ではそのままペデストリアンデッキにつながっている。全国大会の会場へは地下鉄南北線というので終点まで行かなければならないのだが、この地下鉄の入口がどこにあるのかよく判らない。仙台駅という駅自体が妙に広がった感じがあって、それが地下道まで何層にも重なっているので、結局最後までよく判らなかった。
 何とかたどりついた地下鉄は途中から地上に出て、終点の泉中央駅に着くまで16分ほどかかった。料金は300円だった。
 泉中央駅改札口を出て振り返って、
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 駅の出口は地上に普通に開いていて、
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 この前にバスやタクシーが停まっている。
 ところが、会場最寄りの北3出口に向かう通路は、この右奥でそのまままた地下道になっているらしく、これがえらく遠かった。
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 ようやく外に出ると、会場の仙台銀行ホール・イズミティ21は確かに目の前だった。
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 15分ほど行列に並んだ。
 で、開演前のホール内の様子。
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 この日は5校の上演があり、そのすべてを観劇した。
 この日上演されたのは次の5校。
 沖縄県立向陽高校「HANABI」
 岡山・明誠学院高校「警備員林安男の夏」
 福島県立相馬農業高校飯舘校「-サテライト仮想劇-いつか、その日に、」
 兵庫県立東播磨高校「アルプススタンドのはしの方」
 岐阜県立加納高校「彼の子、朝を知る。」

 最後の上演が終わったのが17:10。このあと、同じく仙台に来ているSさん・Tさんと仙台駅西口で落ち合って、牛タンの店でしばらく飲んで話した。何だか盛り上がってしまい、ちょっと飲み過ぎてしまった。

8月3日(木)全国大会3日目
 で、この日は朝のうち頭痛がして少々辛かった。
 この日も15分ほど行列に並んでから中に入った。この日上演されたのは次の2校。
 北海道北見緑陵高校「学校でなにやってんの」
 埼玉県立新座柳瀬高校「Love & Chance!」

 わたしは偶然一緒になったTさん夫妻と並んで観ていたのだが、柳瀬の上演は見事なものだったと思う。これだけ大きなホール、これだけ大きな舞台にもかかわらず、芝居としての繊細さを失うことなく、いつも通りの元気と丁寧さでしっかりやり切っていたと思う。最初のうち若干重いかなと思った客席も、すぐに芝居の中に引き込んで、あとは最後まで一気呵成に走り切った印象だった。
 客席にいて、観客がどんどん夢中になっていくのが感じられて素晴らしかった。終演時の観客のどよめきも想定通りのもので、共感の拍手も長い間鳴り止まなかった。全国大会の客席でこの瞬間に立ち会えたことを、新座柳瀬のみんなに感謝しなければと思った。

 終演後はロビーで幾人かの知り合いと話したりしたあと、顧問のMさんが出て来ないかと少し待っていたが、たぶん忙しくて来られないのだろうと思って会場を後にした。
 今回の旅の最後の写真は仙台市地下鉄の車輌である。
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 南北線で運用されているのは1000系という電車のようだ。

 このあとは仙台駅に戻り、エスパル仙台のレストラン街で蕎麦を食べた。新幹線までけっこう時間があったが、駅の周囲をぶらぶらしたり、新幹線の改札に近い珈琲専門店でコーヒーを飲んだりして時間を潰した、
 帰りの新幹線は仙台駅15:57発のはやぶさ58号で、東京駅着は17:32だった。

審査結果について
 中央線の電車の中で顧問のMさんから「ダメでした」というメールを受け取った。ほどなく事務局長のMさんも、上位4校の名前を送ってくれた。
 国立劇場出場権を得た4校は次の通りである(優秀校は上演順)。
 最優秀:兵庫県立東播磨高校「アルプススタンドのはしの方」
 優秀:埼玉県立秩父農工科学高校「流星ピリオド」
 優秀:茨城県立日立第一高校「白紙提出」
 優秀:沖縄県立向陽高校「HANABI」

 結果については、わたしは1日目の5校を観ていないのだから、何となく違和感は感じるけれどそれ以上のことは言いようがない。同じ埼玉から秩父農工科学が昨年の芸術総合に続いて国立に出場するのは素晴らしいことだが、一方でほぼ完璧な完成度を見せた新座柳瀬のラブコメディは、やはり認めてはもらえなかったのかと残念な気持ちが湧いてくるのである。審査講評でどんなことが述べられていたのかは判らないが、高校演劇の間口を精一杯広げ、多様な舞台成果が幅広く評価されるまでの道のりはまだまだ遠いのかもしれない。
 いわゆる高校演劇ということで見ても、わたしが見た7校の中では、「HANABI」を残すのであれば「-サテライト仮想劇-いつか、その日に、」の方ををぜひ残してほしかったし、「アルプススタンドのはしの方」が4本の中に入るのは理解するが、それだったら個人的には「学校でなにやってんの」も残ってくるような気がした。

 まあ、この種の違和感というかあれやこれやは、こうしたコンクールの審査結果に対してはそれこそ観客の数だけ出て来るのが当然なので、あまり書き過ぎるのは考えた方がいいかもしれないが、わたしとしては、福島にただ一校だけ残ったというサテライト校・福島県立相馬農業高校飯舘校の諸君の切実な思いを、この東北で開催された全国大会から国立に届けてやりたいという観客の願いを、審査員たちが閉ざしてしまったことだけは許すことができないのである。
 一方また、いわゆる高校演劇ではない「演劇」を作ろうとした高校生たちを、客席の高校生たちはスッと受け入れているのに、「高校生らしさ」に縛られた審査員が(ああ、講評を聞いていないのだから、これは言い過ぎかもしれないな)認めようとしないのは困ったことだと感じるのである。
 実は昨日から、顧問Mさんのブログから入ることができるツィッターをいろいろチェックしているのだが、1日目の上演の中では徳島市立高校の「どうしても縦の蝶々結び」というのが(高校の事務室を舞台にしているが)同様の「演劇」を目指した舞台だったようで、これを高く評価する意見がたくさん出ているのを読むと、これを観逃したことが残念至極なのである。

 それにしても、数十年ぶりに触れた全国大会の雰囲気は実に楽しいものだった。いろいろな思いはあるにしても、選ばれた4校にはオメデトウを言いたいし、選ばれなかった8校にも(観てない学校もあるが)アリガトウと伝えたい。8校もそうだが、それ以外にも2000校に及ぶ「選ばれなかった学校」があるというのは素晴らしいことである。みんな、アリガトウ。
by krmtdir90 | 2017-08-05 18:07 | 鉄道の旅 | Comments(0)

北海道で大人の休日④函館散歩(2017.6.28)

6月28日(水)
 札幌駅改札口。
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 朝の通勤時間帯、皆さん足早にお仕事に向かわれる中で、のんびり大人の休日を楽しんでいるのは少々申し訳ない気もする。
 8:39発、特急・スーパー北斗6号・函館行き。キハ261系である。
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 きょうは最終日で、このあと函館で4時間あまりの自由時間を取ってある。朝のうちは雲が多かったが、天気はおおむね良さそうだ。

 指定席は進行方向右の窓側だったから、基本的に海は見えないが山は見える。積極的に写真を撮る気はなかったが、見えるものは気が向いたら撮ってもいいかなと。
 苫小牧を過ぎて、樽前山。
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 東室蘭・伊達紋別を過ぎて、有珠山と昭和新山。
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 次は、長万部・八雲を過ぎて、森駅の駅名板。
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 隣駅の名前が両方とも書き直されているのが判る。今年3月のダイヤ改正で、函館本線でも駅の廃止が行われた。列車の進行方向は右から左なのだが、右方向では石谷駅との間にあった桂川駅が廃止された。左方向は上が渡島砂原経由の砂原支線、下が駒ヶ岳・大沼公園経由の本線を示しているが、この本線で駒ヶ岳駅との間にあった姫川駅・東山駅が廃止されたのである。
 特に姫川駅はその佇まいが印象に残っている駅で、一度行ってみたいと思っていたが叶わなかった。森駅を出たあと、まだ駅舎が残っているのは確認できたが、果たしていつまで残されているかは判らなくなってしまった。

 さて、大沼公園駅を出たあと、右側の座席から見えるのは小沼の方である。
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 そして、ここまでずっと進行方向左側にあった駒ヶ岳が、線路がカーブする僅かな間だけ小沼の向こうに見える区間があるのである。
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 寝台夜行の北斗星で北海道に来ると、ちょうどグランシャリオでの朝食時にこの景色に出会うことになり、その美しさに息をのんだものである。あの感動も、もう二度と味わうことは出来なくなってしまった。

 スーパー北斗6号は新函館北斗駅で多くの乗客を降ろし、終着・函館駅に入って行く。
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 12:23、函館駅着。
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 今回は乗ることが出来なかった北海道カラーのキハ40。
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 また乗りに来るから、その時まで元気でいてくれよ。
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 さて、函館での自由時間をどうするか。
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 まず、大きな荷物をコインロッカーに預けて、それから、何はともあれ昼食である。朝市のきくよ食堂に行って、元祖・巴丼を食べた。
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 それから。
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 特に行きたいところがあるわけではないから、とりあえずはここ、ということになる。
 前に、石川啄木の足跡を訪ねて青柳町や立待岬(啄木一族の墓)などに行った時、函館駅前・谷地頭間の市電には乗っているから、今回はそれ以外のところを乗ろうと考えた。まず函館どつく前まで行き、折り返して湯の川まで行って来れば、函館市電は完乗になると考えていた。実際には湯の川の方には行かなかったのだが、ガイドブック片手に来ているわけではないから、どこに行くかはその時の気分次第なのである。

 調べてみると、函館市電ではさまざまな形の車輌が運用されており、そのすべてを見られたわけではないので、松山の時のように形にこだわることはやめて、単に市電のいる風景という感じで写真を載せていくことにする。とりあえず、函館駅前電停にて。
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 函館駅前電停に函館どつく前行きの電車がやって来た。
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 この車輌、最前部の「かぶりつき」に当たるのはこの席なのだが、
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 降車口なので前方を写すには障害も多く、きわめて不適当と言うしかない。
 無理すれば撮れないこともないのだが、フロントガラスの反射(歪み?)などもあるようで、あまり熱心に撮る気にはならなかった。と言いながら3枚も載せるのだが、
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 この2枚目の9603・らっくる号というのは、正面からだと判らないが超低床式連接構造の最新形車輌で、この一回しか出会わなかったものである。

 終点・函館どつく前に着いた。
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 折り返して発車するのを見送ろうと待っていたが、なかなか発車しない。
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 ようやく発車して行った。
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 電車のいなくなった函館どつく前電停。
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 さて、このあとどこに行くか当てがあるわけではない。道端の案内表示を見ると、観光向けには外国人墓地や旧ロシア領事館といったところがあるらしいが、興味が湧いてこない。で、とりあえず電停の名前になっている函館どつくに行ってみることにした。
 この先が正面になるのかななどと思って歩いて行くと、写真には写っていない左側の建物から人が出て来て止められた。
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 消えかかった横断歩道のところから敷地内になっているから、この先には行けないと言う。まあ、そう言われては仕方がないが、この前の道、普通に先に続いている感じなので間違えるよね。

 少し引き返して、
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 右手の方が函館漁港となっていたので、行ってみることにする。
 途中で見かけた古い木造の民家。
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 函館漁港。
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 この角度から見る函館山が思いがけず新鮮な感じがする。
 右手の突き当たりが高い防波堤になっていて、函館港改良工事記念碑というものと説明板が立っていた。また、その防波堤のコンクリートにこんなプレートが埋め込まれていた。
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 明治32(1899)年完成という船入澗(ふないりま)防波堤とは、この石組みされた部分を言うらしい。
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 右側から上に上がれるようになっていたので上がってみた。
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 外海の方はこんな感じになっている。こちらは新しく作られたものだろう。
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 カモメ。
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 電停に戻って来たら、湯の川行きの電車が待っていた。
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 乗客はわたしのほかにもう一人だけ。せっかくだから車内を写しておいた。
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 走り出してから急に、このまま湯の川まで乗って行って戻って来るだけではつまらないのではないかという気分になった。どこという当てはないけれど、こっち方面に来ているのだから、このあたりを少し歩いてみた方がいいのではないか。
 で、2つ目の末広町電停で下車してしまった。
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 あたりを見回すと、すぐ前に函館市北方民族資料館というのがあった。これは何となく興味深い。
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 なお、この写真は見学を終えて外に出てから、道を渡って向かい側に行って撮影したものである。建物は大正15(1926)年建築の旧日本銀行函館支店のビルだったようだ。
 さて、中に入って受付に行くと、入館料は300円だが、近隣の4施設と(幾つでも)共通の券にすると割引になるのだという。すぐ近くに函館市文学館というのがあるというので、それと共通にすることにして500円の券を購入した。
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 で、展示の方だが、これがなかなか面白かった。中の写真はないが、北海道を始めとするオホーツク海周辺の北方民族について、その生活や信仰を窺わせる様々な資料が集められていた。特に衣服や装身具などが興味深かった。

 実は、文学館に行く前に少しあたりを歩き回ったのだが、文学館の方を先に書いてしまうことにする。函館市文学館の建物は大正10(1921)年建築の旧第一銀行函館支店だった。
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 展示の方は、1階に函館ゆかりの作家たちを網羅し、2階は石川啄木一人のために当ててあった。まあ、有名度によってそういうことになるのだろうなと思った。
 わたしは、1階にあった佐藤泰志のコーナーが興味深かった。
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 彼の自筆原稿というのを初めて見たが、非常に癖のある特徴的な字体が印象的だった。
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 あと、彼の東京時代に、我が家からほど近い長房団地に住んでいたというのも驚きだった。もしかすると、道ですれ違ったりしていたかもしれないではないか。
 2階の方は、まあ一通り見せていただきましたという感じか。
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 北方民族資料館と文学館の間に、海沿いの方に行ってみた。
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 これは函館港の旧桟橋で、東浜桟橋と呼ばれていたもののようだ。
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 ベイエリアと言われる観光スポットの倉庫群も見えていたが、そちらへは行かなかった。
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 このすぐ左に北島三郎記念館というのがあったが、これももちろん行かなかった。
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 文学館を見学した後は、函館どつく前からの電車と谷地頭からの電車が合流する十字街電停まで歩いた。いろんな坂が函館山の方向に延びている。
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 十字街で、市電いろいろ。
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 これがわたしの乗る電車。
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 これは函館駅前に戻って来てから写したもの。
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 結局、湯の川方面にはまったく行けなかったが、これはこれで楽しい時間を過ごせたと思う。

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 さて、この写真の撮影時刻が15:53である。わたしが乗るはこだてライナーは16:51発だから、まだずいぶん余裕がある。ロッカーから荷物を出したり、土産物を買ったり、新幹線の中で食べる夕食の駅弁を買ったり、煙草を吸ったり、まあ、そんなにすることがあるわけではない。
 駅の朝市側の出口の外にあった、函館本線0マイル地点記念碑。
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 10分以上前に改札を入った。
 快速はこだてライナー・新函館北斗行き。
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 733系電車の3輌編成。車内はロングシートだった。時間的には少し遅いのだろうか、乗客は1輌に10人程度だった。
 16:51に発車した後、五稜郭だけ停車して、17:10に新函館北斗に到着した。

 乗り換え口を通って新幹線ホームへ。17:21発のはやぶさ34号に乗り換える。どこで撮っても同じ写真にしかならないのは判っているのだが、つい撮りに行っちゃうんですね。
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 ついでに、進行方向の線路などを。
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 今回の最後は、青函トンネルの中で食べた駅弁の写真。
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 名物と謳うだけあって、この身欠きニシンの甘露煮は美味しかった。
 東京駅到着は21:23でした。
by krmtdir90 | 2017-07-05 21:18 | 鉄道の旅 | Comments(0)

北海道で大人の休日③釧網本線・石北本線(2017.6.27)

6月27日(火)
 ホテルの窓から有名な和商市場が見えていた。釧路には何度も来ているが、ここにはまだ行ったことがない。
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 歳を取ったのだから、もう興味がないところに行くことはないというのが、鉄道旅を始めてからのわたしの基本的立場である。

 きょうも雲は多いものの日射しもあり、傘の心配は必要なさそうだ。8時を少し回ったあたりでホテルをチェックアウトし、早めに釧路駅に着いた。
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 きょうは再び札幌に戻るのだが、昨日と同じルートをたどっても仕方がないから、釧網本線で網走、石北本線で旭川という迂回ルートで計画してある。釧網本線には特急列車は走っていないから、このあと8:57発の快速しれとこというのに乗らなければならない。過去の経験から言うと、この列車はだいたい混んでいることが多く、いい席を確保するために早めに乗車口に並んでおきたいと思ったのである。
 スーパーおおぞら・札幌行きが発車して行った。
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 向かいのホームのキハ40が回送されて行った。
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 そして、快速しれとこが入線して来た。
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 行列は単行のつもりで並んでいたから、この混み具合はまいったなあと思っていたら、思いがけず2輌編成だったので、行列の後ろの方はあわててそちらの乗車口に移動して行った。ともあれ、早くから並んだ甲斐あっていい席を余裕で確保できた。
 発車間際まで待って、ヘッドマークがついた状態の前部を写しに行った。
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 ついでに、ペインティングが施された側面も。
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 キハ54形車輌の2輌編成で、車内は転換クロスのセミクロスシートだった。
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 2輌になっても、けっこうな混み具合である。

 8:57、発車して間もなく釧路川を渡った。
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 釧路から網走に向かう時、車内は混み合うから自由に座席を移動することはできない。したがって、進行方向どちら側の席を確保するかが大きなテーマになってくる。ざっくり言ってしまえば、釧路湿原や釧路川を見るなら左側、斜里岳やオホーツク海を見るなら右側ということになる。
 今回わたしは右側を取ったのだが、それは東釧路駅を出て遠矢駅に向かう進行方向右側に確かめたいものがあったからである。以前グーグルのストリートビューで見たことがある、線路を斜めに横切る踏切のちょっと先、崖の上の茂みの中にそれらしい建物が見えないかどうか。
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 われながら何をやっているんだという気がしないでもないが、桜木紫乃の「ホテルローヤル」である。踏切は確認できたから、この建物は条件には合っている。この屋根の感じなど、いかにもラブホテルという感じがしないだろうか。もちろん事実は判らないが、こんなことが面白いと感じるのだから仕方がない。

 遠矢駅。
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 キハ54形は窓の開けられる車輌である。一つの窓がまるまる確保できる席を取ってあるから、その気になれば窓を開けて撮影することも可能である。しかし、今回はそれをしていない。残念ながらこのところ、腱鞘炎のせいで指先にまったく力が入らなくなってしまい、試しにちょっと開けようとしてみたのだが、やれないことはないがその動作を何度も繰り返すことは無理だと判断した。
 歳を取ればできなくなってくることもある。そんなわけで、この区間でも窓ガラスの汚れが写り込むことは許容するしかなかったのである。

 右側の席は釧路川を見ることはできないが、釧路湿原をまったく見ることができないということではない。
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 これは右側でないと見られない塘路湖(だと思う)。
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 シラルトロ沼(だと思う)。
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 トイレに行ったついでに、前方の「かぶりつき」も一枚。
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 緑駅。
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 札弦駅。彼方に斜里岳が見えている。
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 斜里岳。
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 海別(うなべつ)岳。
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 左手奥にうっすらと知床の山々も見えている。

 知床斜里駅を出て、斜里川を渡ると、
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 海が見えてくる。
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 オホーツク海である。手前の草むらに咲いているオレンジ色の花はエゾスカシユリだろう。

 浜小清水駅を出て、この季節は臨時駅の原生花園駅にも停車する。ホームの間近に咲いている花を、窓ガラス越しにアップで撮影。
 ハマナス。
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 エゾスカシユリ。
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 エゾキスゲ。
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 いい季節なので、人もたくさん出ている。
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 北浜駅の駅舎は左側なので、これは停車中に撮った北浜駅からの海の眺めである。
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 北浜駅の前後には木造駅舎が幾つか健在なのだが、いずれも進行方向左側になるので、確認はしたが写真はない。
 最後の鱒浦駅は右側になるはずだと待っていると、思いがけず悲しいことになっていた。
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 調べてみたら、2015(平成27)年1月に新駅舎が完成し、昔の木造駅舎は前年の12月に取り壊されてしまったようだ。確かに相当老朽化しているのは判っていたが、まさかこんなに早く?という気分である。北浜駅や藻琴駅のように駅事務室に喫茶店が入っているのと違って、使われていないから傷みも早かったのかもしれない。

 快速しれとこは11:53に網走駅に到着した。
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 2輌編成の1輌目は白い地色に水色のイラストだったが、2輌目の方は水色の地色に白でイラストが描かれていた。なかなか爽やかな塗装だと思った。
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 跨線橋を渡って改札口に向かっていたら、島式ホームの向かい側に停まっていたキハ40の2輌編成が発車して行った。石北本線の普通列車だったようだ。
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 改札のある単式ホームの方に下りて、そちらから快速しれとこの2輌編成。
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 さて、ここでは乗り換え時間が40分以上ある。乗り継ぐ列車は特急・大雪(たいせつ)4号・旭川行きだが、最初この列車の指定席は取っていなかった。大人の休日倶楽部パスに6回までという限度があったからだが、自由席だと早めに並んだり気を遣うことも多いような気がして、実は昨日の朝、札幌を出る時みどりの窓口で指定券を購入していたのである。6回を超えると、運賃だけは有効だが特急券・指定券は改めて買わなければならない。2900円だったが、のんびり行けるならその方がいいかなと考えたのである。

 網走はまだ泊まったことはないけれど、駅には何回か来ているから様子は判っている。駅全景を撮るためには階段を下りて少し離れなければならない。網走監獄を連想させるその姿は知っているから、もういいかなと思ってしまった。で、こんな感じでアリバイ的に。
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 改札口には30分前なのにすでに並び始めている人もいる。
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 わたしの方はトイレに行ったり、喫煙スペースに行って煙草を吸ったり、待合室のイスでテレビを見ながらぼんやりしていた。ここの待合室には名物の駅弁屋さんがあって(写真を撮ってこなかったのは後悔)、迷いながら「カニ・イクラ」の組み合わせを選んで購入した。

 やがて改札が始まり、行列を作っていた自由席狙いの乗客が入った後からゆっくり中に入った。座席は確保されているのだから、まず車輌の写真を撮ってから。
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 キハ183系である。「大雪(たいせつ)」というのは今年3月のダイヤ改正で生まれた特急だが、従来「オホーツク」が札幌との間を4往復していたのが2往復に減らされ、2往復は旭川止まりの「大雪」になってしまったのである。宗谷本線でも札幌・稚内の3往復は1往復になってしまったし、JR北海道のダイヤは普通列車のみならず、特急列車においても周辺部切り捨ての傾向が顕著になってきているようだ。18きっぷや休日倶楽部パスのようなお得な乗車券があっても、利用はどんどん不便になっているような気がして仕方がない。

 12:35、大雪4号は網走駅を発車した。
 さて、駅弁である。
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 購入に迷ったというのは、カニ・イクラのほかにウニ・ホタテ・サケ・タラバといった様々な組み合わせがあるからで、迷い始めたら決められなくなってしまう感じだったのだ。
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 作るそばから売られていくようで、まだご飯がほんのり温かく、たいへん美味しかったと思います。

 石北本線の車窓もけっこう見どころは多かったが、写真はほとんど(まったく)撮っていない。遠軽駅のスイッチバックも、前に経験しているから座席の向きを変えただけで、ホームに降りたりはしなかった。遠軽・上川間は一昨年、車で駅めぐりをした区間だが、その後、昨年3月のダイヤ改正で下白滝・旧白滝・上白滝の3駅が廃止になってしまい、乗り鉄としては面白味のある区間ではなくなってしまった。だが、今回、これらの駅がどうなっているかは興味があった。
 下白滝の駅舎は座席が反対側だったが確認できた。旧白滝は座席側だったが、ホームから見えるこの建物は確認できたが、
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 木造の待合所は確認できなかった。さらに、反対側だが上白滝の駅舎も確認できなかった。
 帰ってネットで調べてみたら、上白滝の駅舎は昨年6月に、旧白滝の待合所は昨年10月に、それぞれ解体されてしまったことが判った。そんなにすぐに壊してしまわなくてもいいじゃないかと思ったが、なくなってしまったものは取り返しがつかない。

 唯一名前が残った白滝駅の駅名板。隣駅の名前が新しく書き直されているのが悲しい。
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 大雪4号は16:19、旭川駅3番線ホームにに到着した。
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 向かいの4番線ホームに、接続する特急・ライラック34号が待っている。
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 この区間は自由席で行くのだが、始発駅ではそれほど乗客もいないようなので、車輌の写真を撮っている余裕があった。789系電車で、新幹線が通る前まで津軽海峡線をスーパー白鳥として走っていた塗装である。いまはここで運用されているということなのだろう。 
 ライラック34号は16:30、旭川駅を発車した。
 そして17:55、札幌駅に到着した。
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 この日のホテルは南口から少し歩いたところにあって、ビルの6階がフロント、それより上の階が客室になっていた。1階に外に出ないで行ける居酒屋さんがついていて、ここでまた(3晩続けて)飲んでしまいました。
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 この写真は会計を済ませてから表の通りに出て撮ったもの。
 ちょっと先の交差点に、全国展開している花の舞チェーンの本店があった。
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 静かなわが最寄り駅にもなぜかあるのだが、ふーん、ここが始まりだったんだ。
by krmtdir90 | 2017-07-04 20:27 | 鉄道の旅 | Comments(0)

北海道で大人の休日②釧路散歩(2017.6.26)

6月26日(月)
 札幌駅6番線ホーム。
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 8:54発の特急・スーパーおおぞら3号で釧路に向かう。
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 キハ283系である。ちょっと見にくいが、側面にFURICOの文字があるのは振子式特急車輌の意で、スピードを保持するため、カーブに入る前から車体を傾ける自然振子装置を搭載しているということらしい。

 スーパーおおぞらは南千歳から石勝線に入り、新得から根室本線に入って釧路を目指す。この日の天気は、雲は多いものの日射しもあり、雨の心配はしないでよさそうだ。
 石勝線の区間というのは、新夕張からトマムへ、人里離れた奥深い山中をトンネルなどで貫いて行く路線なので、沿線の緑が非常に美しかった。これは実際に体験するしかないもので、カメラで写し取ることは不可能なのが残念である。
 ただし、この車輌の窓ガラスは相当汚れていて、以下、根室本線に入ってからの写真を何枚か載せるが、汚れが写り込んで非常に許し難い。
 まず、常豊信号場。
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 普通列車で通る時、交換待ちなどがあっていつの間にかお馴染みになってしまった信号場である。この建物は現在は保線詰め所になっていて、左端に階段が写っているが、こちらに使われることのない短いホームが残っている。
 次は、尺別駅。
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 ここも最初は交換待ちで印象に残った駅だったと思う。独特の形の駅舎と、向こうに海がある感じが好きである(それにしてもガラスの汚れはひどい)。
 ちょっと前の厚内駅のあたりから列車は海沿いに出て、海岸線に近付いたり離れたりを繰り返しながら東進して行く。途中、かなり内陸側にカーブするところがあるのだが、そのあたりが湿地帯になっているのが気になっていた。
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 ネットで調べてみたら、パシクル川(馬主来川)という小さな川の河口部にパシクル沼(馬主来沼)というのがあって、その周囲が湿地帯になっているようだった。このあたりは地質学的に非常に興味深いことがいろいろあると記載されていた。

 スーパーおおぞら3号は13:20に釧路に到着した。
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 この日は釧路泊まりなので、このあとは自由時間ということになる。まず、駅ビル内の喫茶店でカレーとコーヒーの昼食を取った。それから外に出る。
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 いつの間にかすっかり青空になっている。
 ホテルはこの左手の方にあって、14時からチェックイン可能なので、荷物を置いて身軽になってから外出することにした。この時、太陽に惑わされてウインドブレーカー(保温性がある)を置いていこうかと迷ったが、軽量で小さくパックできるものなので、念のため持って出ることにしたのが好判断だった。途中から雲が広がり、気温がどんどん下がっていったのである。北海道の天気は油断がならない。

 さて、このあとわたしが考えているのは、釧路における石川啄木ゆかりの地を訪ねることである。
 啄木が釧路に滞在したのは1908(明治41)年1月21日から76日間にすぎないが、その大半が幣舞橋を越えた南大通り周辺とその先の米町界隈を舞台としていたらしい。昔はそちらの方が釧路の中心地だったのである。幣舞橋まででもけっこう距離があるから、最初はタクシーで港文館まで行ってしまうことにした。
 港文館。
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 この建物は啄木が当時勤めた旧釧路新聞社(現北海道新聞社)の社屋を復元したものらしい。現在は1階が喫茶室、2階が啄木関係の展示室(入館無料)となっている。
 展示物の中にあった、当時の釧路新聞社の写真。
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 外には啄木の立像と歌碑が建っていた。
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 さいはての驛に下り立ち
 雪あかり
 さびしき町にあゆみ入りにき

 末尾に小奴(こやっこ)の署名があるが、これは釧路時代の啄木が足繁く通い、思いを通わせ合った料亭・しゃも寅の芸妓(本名、近江ジン)である。この碑は彼女の書跡を元に刻まれたものらしい。

 この一帯には石川啄木の歌碑がたくさん建てられているようだ。駅の観光案内所でもらったパンフレットに啄木歌碑マップというのが載っているので、運動不足解消も兼ねて少し訪ねていってみようと思う(位置関係などは順不同である)。
 まず、港文館から南大通り(通称・啄木通り)に出た向かいにあった小奴碑。
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 ここは、後年の小奴が旅館を営んでいた場所らしい。現在は朝日生命釧路支社が建っている。
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 碑には、啄木と小奴の関係が事実のみ客観的に記され、3首の短歌が添えられている。
①あはれかの國のはてにて
 酒のみき
 かなしみの滓(をり)を啜るごとくに
②小奴といひし女の
 やはらかき
 耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり
③舞へといへば立ちて舞ひにき
 おのづから
 悪酒の酔ひにたふるるまでも

 釧路信金南支店前の歌碑。
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 神のごと
 遠く姿をあらはせる
 阿寒の山の雪のあけぼの

 南大通り沿いの歌碑。
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 わが室(へや)に女泣きしを
 小説のなかの事かと
 おもひ出づる日


 啄木下宿の地の歌碑。
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 こほりたるインクの罎(びん)を
 火に翳(かざ)し
 涙ながれぬともしびの下(もと)

 啄木は釧路到着の2日後から、当時の洲崎町1丁目にあった関サワ宅2階8畳間に下宿したらしい。歌碑の右側面に「下宿屋・関の建物は碑の右側道路を挟んで向かいにあった木造二階建て」という記載があるから、
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 人が歩いて来る左側の家が建っている場所と思われる。なお、歌碑があるのは啄木の宿シーサイドホテルというホテルの敷地の裏手である。

 シーサイドホテルと大通りを挟んで向かい側に啄木ゆめ公園というのがあり、その中にあった歌碑。
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 港文館前にあった歌碑と同じ歌である。なお、当時の釧路駅は終着駅で、現在の位置よりかなり幣舞橋寄りにあったようだ。

 大通り沿いの歌碑。
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 三味線の絃(いと)のきれしを
 火事のごと騒ぐ子ありき
 大雪の夜に


 南大通りは左に大きくカーブを描き、徐々に上り坂になって米町本通りと名前を変える。その手前に右方向にゆるやかに下りて行く道があって、「啄木離釧の地150メートル」という看板が出ていた。76日後の4月5日、啄木が船で釧路を離れた船着き場跡があるらしい。少し行きかけたが、何となく面倒になってやめてしまった。

 米町本通り右手の小高くなったところに米町公園というのがあった。広い石段を上っていくと灯台の形をした展望台が建っていた。
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 右手に写っているのは高濱虚子の句碑である。「燈台は低く霧笛は峙(そばだ)てり」という句が記されていた。啄木の歌碑はこの展望台の向こう側にある。
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 しらしらと氷かがやき
 千鳥なく
 釧路の海の冬の月かな
 この歌碑は、このあたりに点在する啄木の歌碑の中で最も古いものらしい。
 展望台に上がってみた。
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 写真でも判る通り、空はすっかり厚い雲に覆われてしまい、気温もどんどん下がってきているようだ。先を急がなければならないが、思った以上に遠くまで来てしまった感じで、でもここまで来た以上、マップの先端のところまで行かなくてはと思ってしまう。

 米町本通り沿いの歌碑。
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 顔とこゑ
 それのみ昔に變らざる友にも會ひき
 國の果(はて)にて


 マップの縮尺がこのあたりはかなり縮められていたようで、米町本通りの突き当たりのここまで、アップダウンはあるしけっこう距離があった。でも、意地になって歩いて来て良かった。思いがけず、線路と踏切にぶつかったのである。
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 まず、歌碑の方から。
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 さらさらと氷の屑が
 波に鳴る
 磯の月夜のゆきかへりかな

 踏切の向こうがもう海辺になっていて、
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 地図には弁天ヶ浜と記されている。啄木はこのあたりまで散歩の足を伸ばしていたのである。
 さて、思いがけない線路である。
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 これは釧路臨港鉄道という貨物専用の線路で、太平洋石炭販売輸送という会社が運営する石炭輸送のための私鉄路線であるらしい。釧路にそういうものがあることはどこかで読んだことがあったが、こんなところでそれにぶつかるとは思わなかった。
 近くにこのあたりの地図看板があったので、ちょっと見にくいが掲載しておく。
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 地図で米町ポンプ場とある方に抜けて行き、そちらの踏切も見てきた。
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 実際の輸送列車は見ることができなかったが、それでも十分満足した。

 さて、今度はこの道を左の方に戻って行くことになる。
 戻りの道すがらの歌碑。このタイプの歌碑は新しいもののようだ。
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 酒のめば悲しみ一時に湧き来るを
 寐(ね)て夢みぬを
 うれしとはせし


 戻って来た道(振り返っている)。
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 こちらに向かって少し上り坂になっているが、この突き当たりが後で見た方の踏切になる。
 さて、前方には本行寺というお寺があった。
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 本堂などは建て替えられてしまっているが、啄木が住んだ頃からあったお寺で、ここで催された歌留多会に啄木もよく出入りしていたらしい。傍らの歌碑の歌は、啄木の歌集には収録されていないもので、釧路新聞の釧路詞壇に掲載されたものらしい。
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 一輪の紅き薔薇(さうび)の花を見て
 火の息すなる
 唇をこそ思へ


 さらに道端の歌碑2つ。
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 出しぬけの女の笑ひ
 身に沁みき
 厨(くりや)に酒の凍る眞夜中

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 よりそいて
 深夜の雪の中に立つ
 女の右手(めて)のあたたかさかな


 しゃも寅(軍鶏寅)の井戸というのがあった。
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 啄木が通ったしゃも寅という料亭がこのあたりにあり、そこで使われていた井戸だという。前の道に歌碑が建っていた。
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 葡萄(えび)色の
 古き手帳にのこりたる
 かの會合(あひびき)の時と處(ところ)かな

 浦見8丁目というあたりの小さな見晴台のようなところにあった歌碑。
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 波もなき二月の灣に
 白塗の
 外國船が低く浮かべり


 佐野碑園という公園のようなところがあった。ここは釧路の開拓に貢献した佐野孫右衛門という人を顕彰する碑などが建てられている場所で、
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 このあたりにはかつて、啄木もよく出入りした喜望楼という西洋料理店が建っていたようだ。喜望楼の跡と記された歌碑が建っている。
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 「あはれかの國のはてにて」という歌は、小奴碑の中にも出ていたものである。

 南大通りに戻って来た。もう4時半を回っている。すっかり曇ってしまって寒い。
 この通りの一番幣舞橋寄りにある歌碑。行きに見逃していた。
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 北の海
 鯨追う子等大いなる
 流氷来るを見ては喜ぶ

 この歌も啄木の歌集には収録されていないもので、釧路新聞の釧路詞壇に掲載されたもののようだ。そういう歌の歌碑が建っているところが釧路らしいのかもしれない。

 さて、幣舞橋のたもとまで戻って来た。全部の歌碑を回ったわけではないが、このくらい回れば十分だろう。
 「一握の砂」の中では、「忘れがたき人人」の「一」に啄木の北海道時代の歌がまとめられているが、そのうち「さいはての驛に下り立ち」に始まる釧路時代の歌は32首ある。啄木は決して酒は強い方ではなかったようだが、初めて芸者遊びを覚え、料亭通いを経験した釧路時代の歌の屈折感は特徴的だと思う。1月から4月初旬までの厳寒の時期に釧路で生活したことが、その屈折を増幅させたという見方もあるようだ。

 只今の温度11℃と表示されている。
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 ちょっと信じがたい寒さである。もう少し前のあたりでタクシーを掴まえたいと思ったのだが、待っている時は来ないものなのだ。あきらめて歩いて帰ることにしたら細かい雨滴が顔に当たった。まあ、そんなものである。
 幣舞橋からの眺め。
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 雨はパラパラする程度で、特に濡れる感じでもなくホテルに帰り着いた。それにしても、この日は想像以上に歩いてしまった。面白かったが疲れた。

 もう一度外に出るのは嫌だなと思ったが、ホテルにはそういう施設はないから、仕方なくホテルから一番近いこの店で夕食を、というかまた飲んでしまいました。
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 一時間あまりで切り上げて、19:12撮影の釧路駅。
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by krmtdir90 | 2017-07-03 22:08 | 鉄道の旅 | Comments(2)

北海道で大人の休日①新函館北斗・旭川・稚内(2017.6.24~25)

 大人の休日倶楽部パスを使って北海道に行って来た。
 このパスのお得感は並みのものではない。JR東日本および北海道の、新幹線を含む特急列車乗り放題で5日間26000円となっていて、あらかじめ座席指定を受ければ、6回までは指定席も利用できることになっている。今回はこれを最大限利用して、とにかく乗り鉄三昧の5日間にしてみようと考えたのである。
 このパスは4年ほど前に一度使ったことがあるが、基本的に普通列車の旅にずっとこだわりがあったから、これまではあまり使おうと考えたことがなかった。でも、まあ歳も取ってきたことだし、たまには特急列車ばかりの旅というのも悪くないかなと思ったのである。ただ、特急中心の旅となると、途中の写真などはほとんど写せなくなり、旅日記としての面白味には欠けることになると思う。それでも久し振りの長旅は十分楽しかったので、そのあたりのことが書けたらと思っている。

6月24日(土)
 ということで、東京駅のスタートは新幹線の写真になる。
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 9:36発のはやぶさ11号、ロングノーズのE5系という車輌である。隣のホームにはE2系の車輌が停まっている。

 今回、2週間以上前にきっぷを押さえたのだが、これより早い時間のはやぶさはすでに満席になっていて取れなかった。駅員が言うには、大人の休日倶楽部パスの期間になるとそういうことが多いらしい。この時間も満席が近いようで、窓側の席はもう埋まってしまっていて取れなかった。
 取れたのはD席だったが、これでは外を見ることはできないから、アーサー・ミラーの「セールスマンの死」の文庫本を用意していって、ずっとこれを読んで過ごした。これで4時間2分の乗車時間の大半が埋められたが、最近は車内読書はまったくしたことがなかったので、以前のように集中することはできなかったように思う。

 さて、北海道新幹線で北海道に入るのは初めてだった。青函トンネルを抜けた途端に、「いま新幹線は北海道の大地を駆けています」といった明るい感じのアナウンスが入ったが、アナウンスがいくら高揚しても、多くの区間がトンネルと高い防護壁に遮られて、「北の大地」の風景はほとんど見ることができないのだった。そもそも新幹線の窓は小さいから、B・C・D席の乗客には最初から外の景色を楽しむことなど不可能なのである。
 スピードのために、何と大きなものを犠牲にしてしまったのかと残念でならない。青函トンネルから北海道に入って行く時、在来線が津軽海峡の海沿いを回り込んで行くと、やがて海を隔てて函館山が見えてくる、あのわくわくする車窓風景は失われてしまったのだ。新幹線がトンネルを繋いで札幌まで延伸する時、さらにどれだけの「わくわく」が犠牲になるのだろうか。それを考えると忸怩たる思いになる。いま多様な旅のかたちが求められている時に、寝台夜行を始め鉄道旅の楽しさを平気で捨て去ってきたことを、どこかで考え直す機会がなければならないと強く思った。

 昼食は東京駅で買った駅弁を食べた。終着の新函館北斗駅には13:38に着いた。
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 乗り換え時間が30分以上あるので、正面右の乗り換え口は使わずに左から一旦外に出て来た。
 改札を出ると自由連絡通路になっていて、
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 南口に当たるこちらが正面になるようだ。
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 まだ、ほとんど開発は進んでいない。
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 新函館北斗駅全景。
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 せっかくだから反対側の北口にも行ってみた。
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 こちらは人影もまったくなく、一応かたちだけはロータリーを作ってみましたという感じで、悲しいくらい何もない田園風景が広がるばかりだった。
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 さて、こちらが在来線(函館本線)の改札口。
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 在来線のホーム。
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 札幌方面に向かう乗り換え客でごった返している。
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 やがて、函館始発の特急・北斗13号・札幌行きがやって来た。
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 キハ183系と呼ばれる特急型車輌で、JR化後に改良された550番代と思われる。
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 14:11、新函館北斗駅を発車した。この日の宿泊地は旭川である。

 このあとの指定席はすべて窓側を確保したので、窓からの景色を十分楽しむことができた。だが、車窓の写真を撮ることはほとんど放棄していたので、載せられるのは何ということもない数枚だけである。
 森駅のホームと海。
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 森駅発車後すぐの海(内浦湾)。
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 北斗13号は函館本線・室蘭本線・千歳線とたどって行くが、長万部駅を出て少しして、例の秘境駅ランキング第1位の小幌駅は、何とか確認はできたがまったくあっと言う間の出来事だった。
 東室蘭駅のホームと、向かい側に停まっていたキハ40形の2輌編成。
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 札幌駅、17:41着。ここで、18:00発の特急・カムイ33号・旭川行きに乗り継ぐ。カムイ33号は指定席を取っていなかったので(無料で指定席が取れるのは6回までだから、列車によっては自由席で行くことにしたものもある)、すぐに自由席乗車口に並ばなければならなかったので、札幌駅での写真はない。
 旭川駅、19:25着。
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 カムイに運用されているのは789系という特急形電車である(札幌・旭川間は電化区間)。

 途中ずっと晴れていたのだが、旭川が近づくにつれて雨が降り出し、駅からホテルまで歩く間は、傘は要らなかったが細かい雨滴が少し顔に当たるような感じだった。
 到着が遅かったし天気もはっきりしなかったので、この日の夕食はホテル近くのここでラーメンを食べた。全国展開しているチェーンの本店である。
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6月25日(日)
 2日目の朝は雨だった。傘を差して駅まで歩くことになった。
 旭川駅全景(北口)。
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 駅前の様子。
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 今回の旅はあまり天気には恵まれなかった。ただ、折り畳み傘を開いたのはこの時だけで、降らなかったわけではないが傘の厄介になるような降りはこれだけだった。
 旭川駅改札。
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 5・6番線ホームに出ると、5番線にキハ40形の単行が停まっていた。つい写真を撮ってしまうが、今回の旅ではキハ40に乗ることはない。
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 この日の計画は宗谷本線で稚内まで行き、すぐに、今度は都市間バスを利用して札幌に戻るというものである。稚内の滞在時間は25分の予定になっている。

 札幌始発の特急・宗谷・稚内行きが6番線に入線して来た。
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 キハ261系車輌である。宗谷は9:00に旭川駅を発車した。

 宗谷本線を特急列車で行くのは初めてだった。普通列車で何度も往復し、一昨年は車で駅めぐりをした愛着のある路線である。そうした小さな無人駅をあっと言う間に通り過ぎながら、いつも特急列車を利用している人にとっては、そんな駅があることなどまったく意識されてはいないのだろうと思った。でも、わたしはそういう駅を知っているし、(車でだったけれど)みんな行ったことがあるのだぞと心の中で繰り返した。別に自慢する気分ではなく、特急列車には黙殺されてしまうそうした駅にエールを送りたい気分だったような気がする。
 いまはもう周囲に何もなくなってしまった小駅でも、かつてはそこにきちんとした駅舎があり、家々が立ち並んで人々の生活があったことを考えると、何とも言えない気分になってくる。稚内までの道のりは、そうした痕跡をたどっていく行程なのである。

 途中、ずっと雨が降ったり止んだりだったのは残念だったが、木々の緑が非常に美しかった。文字通り新緑という感じで、黄緑がかった緑色の中をどこまでも進んで行く気分は素晴らしかった。
 天塩川。
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 護岸工事の施された河川を見慣れていると、周囲に人の手が加わっていない北海道の川はいつ見ても新鮮である。
 抜海・南稚内間の原野。
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 天気だったらこの彼方に利尻富士が見えるのだが。

 特急・宗谷は12:40に稚内駅に到着した。
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 ここにいられるのは25分間である。駅員対応の改札口が一つしかないから、乗客全員が外に出るのにもけっこう時間がかかった。われわれが乗って来たキハ261系は、折り返し13:01発の特急・サロベツ4号・旭川行きとなるので、外にはそれを待つ乗客が並んでいてごった返していた。大人の休日倶楽部パスがあるのだから、これを使えば(自由席なら)無料で帰れるのだが(滞在時間は21分となる)、すぐに同じ列車で帰るというのも芸がない気がしたのである。

 ということで、まず、駅と一体になった拠点施設「キタカラ」の中にあるバスターミナルに行き、窓口で札幌までの都市間バスの乗車券を購入した。6200円だった(このバスは予約制で、事前に電話で申し込んだ予約番号は8番だった)。
 乗り場を確認してから駅の方に戻り、外に出て煙草を一本吸った。雨は完全に止んでいるわけではないが、傘を差すほどではない。風が強く、けっこう寒い。たぶん気温15度ぐらいだったのではなかろうか。外に出たついでに稚内駅の外観を一枚。
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 それから、雑踏が引いた駅窓口に行って、
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 日本最北端の駅「来駅証明書」を買った。
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 320円だったか340円だったか記憶がはっきりしない。
 前にも一度買ったことがあるが、日付がちゃんと入ることが重要なのである。

 さて、こちらが札幌行きの都市間バス乗り場。
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 バスがやって来た。
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 フェリーターミナルが始発だが、そちらからの乗客は数人だったと思う。車内は独立型の3列シートになっていて、
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 最前部も空いていたが「まあいいか」という感じで、中程の窓際席を確保した。最前部の席には、あとから乗って来た大人の休日倶楽部と思われる男性が座った。ちょっと後悔したが、今回は車窓の写真を撮ろうという気持ちが不思議なくらい薄かったのである。
 バスは13:05、稚内駅前を発車した。乗客は14、5人といったところだったろうか。若い女性の観光客が多いような気がした。女性は鉄道よりもバスの方が身近なのだろうか。

 バスは稚内市内で一ヵ所、宗谷バスの営業所のようなところで停車して乗客一人を乗せたあと、一路札幌を目指した。時刻表によれば所要時間は5時間45分となっている。
 バスが発車してから、「キタカラ」で何か昼食を購入しなければならなかったことを思い出した。バタバタしていてすっかり忘れていたのだ。まあ、もう後の祭り。運転手のアナウンスでは途中で2回ほど休憩を取るということなので、そこで何とかできるのではないかと思った。

 しばらくするとバスは海沿いの道路に出て、どうやら国道232号線(天売国道)、通称・日本海オロロンラインを南下して留萌を目指すようだ。雨は降ったり止んだりを繰り返し、窓も曇ったりして視界はきわめて悪かった。
 途中、水平線の彼方にうっすらと島影が2つ見えた。
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 写真で判別するのは難しいかもしれないが、天売島・焼尻島と思われる。

 15:30頃、バスは最初の休憩場所に入った。
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 帰ってから調べてみると、最近道の駅になったばかりの「とままえ温泉ふわっと」(苫前町)という施設だったようだ。ところが、ここは温泉を主体とした施設だったようで、中には小規模の土産物売場があるだけで、パンやおむすびといった食料類はまったく置いていなかった。何とか救いになったのは、上の写真に写っている外のプレハブ小屋で、スナック系の軽食が買えたことである。幾つかあった中から、その場で揚げてくれるというポテトフライ200円を購入して急場をしのいだ。空腹だったこともあるが、この揚げ立てのポテトフライがことのほか旨かった。
 われわれのバス。
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 留萌が近付くころ、海と反対側の崖との間隔が、少し離れた状態がずっと続いていることに気が付いた。もしかするとと思ってよく見ると、崖の下寄りのところが横にずっと削られて、張り出しのような面ができている。雑草などが生えていて判りにくいのだが、これは確かに昔の線路跡に違いないと思った。
 旧国鉄時代、留萌駅と幌延駅を海沿いに結んだ羽幌線という路線が走っていたはずである。1987年のJR化と同時に廃線となったが、その遺構に違いない。もっと早く思い出していれば、ほかにも痕跡を見つけることができたかもしれないが、まあ仕方がない。でも、気付くことができてよかった。

 バスは留萌から高速道路に入り(深川留萌自動車道・道央自動車道)、途中砂川SAで2回目の休憩を取ったあと、18:50という予定より若干早く、最終下車地点の札幌駅前に到着した(南口側だった)。相変わらず雨模様の空だったが、この時は降っていなかった。
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 この晩は、ホテル(北口側)のフロントで教えてもらったこのお店で少しお酒をいただきました。
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by krmtdir90 | 2017-07-02 12:04 | 鉄道の旅 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅③予讃線、松山路面電車(2017.6.12~13)

 6月12日(月)続き
 予讃線・松山駅に着いたのは12:53である。
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 このあと、高松駅21:26発のサンライズ瀬戸に間に合うように普通列車で行くとすると、松山駅15:02発の観音寺行きに乗車しなければならない。したがって、松山での自由時間は2時間ちょっとということになる。この時間の間に何ができるか。
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 まず、とりあえずは昼食を取らなければならない。何か目当てがあるわけではないから、時間節約のために駅の建物の一部であるこのお店に入って、
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 スパゲッティーナポリタンとコーヒーのセットを食べた。食後に外に出てから撮ったこの写真の撮影時刻が13:34。もう残り1時間半を切っている。
 松山駅外観。
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 この反対側に伊予鉄道の路面電車の乗り場があった。
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 結局、そんなに時間があるわけではないから、残りの時間でこの路面電車に乗ろうと考えた。

 実は、わたしは1994(平成6)年にこの松山に来たことがある。一度だけ出ることができた演劇の全国大会がここで開催されたのである。本大会は8月だったが、4月の抽選会の時に松山城や道後温泉など、めぼしいところはすでに行ったことがあって、記憶はすっかり薄れているが、今回特に行きたいところも思いつかなかったのである。

 乗り場へは横断歩道で行くことはできず、地下道を通って行くようになっていた。乗り場の方から見た松山駅全景。
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 右手に見えるホームが降車専用になっていて、
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 ほどなく、この車輌がこちらのホームに入って来た。
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 13:39発、道後温泉行きである。環状線など幾つかの路線があるようだが、最初にこれが来たのだからこれでいい。
 帰ってから調べてみると、この車輌はモハ2100形(2106)というこの路面電車では一番新しい車輌だった。2つのドアに挟まれた中央部分が低床式の座席になっていて、両運転台とその後部が床高になっている。この高床部の右側に2人分の座席がついていて、ここが前方の展望を楽しむには最適の「かぶりつき」席となっている。当然そこを確保。
 これがその「かぶりつき」からの眺め。
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 すぐ左側に運転手さんがいるが、こちらからは見えないようになっている。もう少しズームをかければ、手前の障害物は写り込まない。
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 正面の茂みは松山城のある城山公園のもので、公園内にあるNHK松山放送局のテレビ塔が見えている。確かこの並びに全国大会の会場になった松山市民会館があるはずである。
 しばらく行くと、城山の上に建つ松山城の姿も見ることができる。
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 降車口の上部に掲示された路線図。
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 左下のJR松山駅前と右上の道後温泉を往復したのである。なお、掲示にある通り、乗車料金は全線一律160円だった。

 さて、「かぶりつき」に座ったのはもちろん景色を眺めるためではない。行き違う路面電車を撮影するためである。現在、運行されている車輌には3つの形があるようだが、以下、形別にまとめて掲載することにする(復路で撮影したものもある)。
 まず、いまわたしが乗っているモハ2100形。2002~07年に導入された低床式の車輌で、現在10輌が保有されている。
 2101。
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 2107(復路撮影)。
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 2110(復路撮影)。
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 次はモハ2000形。この形は5輌が在籍し、1978年の京都市電の廃止に伴い京都市交通局から譲渡されたもの。1979年から運用を開始している。
 2002。
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 2004(復路撮影)。
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 3つ目がモハ50形。現在23輌が保有されているが、大きく前期形と後期形に分けられるようだ。まず前期形。1951~57年に製造されたもの。
 54。
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 59。
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 後期形。1960~65年に製造されたもの。
 77。
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 76(復路撮影)。
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 70(復路撮影)。
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 終点・道後温泉駅に入って行く。
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 前の電車がまだホームにいるので、少し待った。ここは左が降車ホーム、右が乗車ホームになっているようだ。
 帰ってから伊予鉄のホームページで時刻表を調べてみると、この電車の道後温泉着は14:04となっていて、ほぼ定時の運行が行われたようだ。JR松山駅前と道後温泉間は25分かかることになり、ここではちょっと周囲の写真を撮るだけで、ゆっくりしている時間はない。
 まず前方の構内踏切を渡りながら、
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 先の方には次の発車の2104が待機している。
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 これがわたしの乗って来た2106。来年は愛媛で国体が行われるようだ。
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 外に出る。
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 ここには風格のある駅舎が建っているらしいのだが、何か工事が行われているらしく、残念ながら全体が工事用シートで覆われてしまっていた。
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 駅前の様子。
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 車輌待機場所。
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 シートに覆われた建物内部のホームへの入口。
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 14:10発、JR松山駅前行き。
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 来た時と同じ車輌だった。また「かぶりつき」を確保した。同じ運転手さんだったら嫌だなと思っていたが、違っていたのでホッとした。
 帰りはちょっと大胆な気分になっていて、そ知らぬふりをしながら車内の様子を一枚。
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 わたしの座っている席と点対称の位置にある高床の座席には、サラリーマンらしい若い男性が座っている。

 さて、復路では有名な坊ちゃん列車とすれ違った。
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 軽便鉄道時代に伊予鉄で使用された蒸気機関車をディーゼル機関車に改造したもので、うしろに2輌の客車を牽いている。
 それと、松山駅前に近い大手町駅前電停を出たところで、踏切の通過待ち停車があった。
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 伊予鉄道では市内線と呼ばれる路面電車のほかに、郊外電車と呼ばれる普通の電車路線を運行している。この高浜線というのがここで路面電車の軌道とクロスしているのである。上りと下り、2本の電車の通過を待った。
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 JR松山駅前に戻って来た。
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 右折して、降車ホームに入って行く。
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 時刻表では14:34着。数分遅れたようだった。
 これで松山での自由時間は終了した。復路の運転手は若い人で、運行中の諸確認をきちんと(小さな)声を出してやっていたので、路面電車の運行時に運転手がどういう確認をしているのか判って面白かった。路面電車専用の信号機の所在なども、その都度確認できて良かった。路面電車を満喫できたと思う。 

 松山駅前にあった正岡子規の句碑。
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 「春や昔、十五万石の城下哉」。病を得てからの1895(明治28)年の作らしい。

 松山駅は2面3線の駅である(構内には車輌基地が置かれているので、側線がたくさん走っている)。跨線橋を渡った島式ホームの2番線に、15:02発の普通列車・観音寺行きが入線している。
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 JR四国の7000形という電車である。伊予市駅からこちら、高松までは電化区間である。
 内部はロングシートとボックスシートが点対称に配置されたセミクロスシート。
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 2輌編成なのでまだ車内はガラガラである。それでも2輌ということは、恐らくこのあと下校する高校生の利用が想定されているのだろう。終着の観音寺まで、約3時間半の道のりである。

 発車して間もなく、3つ目の堀江駅で思いがけず廃貨車利用の駅舎にぶつかったが、停車位置が悪くうまく撮れなかった。
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 けっこう海に近いところに出たりする。
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 大浦駅で追い抜かれ停車があった。
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 走り去ったのは松山発・特急しおかぜ24号・岡山行き。2014(平成16)年に登場した、8600系というJR四国最新の特急型電車である。
 大浦駅、15:45発車。

 このあとしばらくは写真がない。今治駅で10分の停車時間があり、その間に大量の高校生が乗り込んできたのである。予讃線もこのあたりに来ると、四国でも最も開けた地域を縫っていくことになり、多くの高校生が鉄道を利用して通学しているようだ。16:28に今治駅を出たあと、16:40の伊予桜井、16:51の壬生川(にゅうがわ)と、新たな高校生が乗車してきて、もちろん下車していく生徒もいるが、車内はおおむね高校生に占領された状態が続いた。わたしのボックスにも礼儀知らずの男子高校生が入って来て、しばらく我慢の時間が続くことになった。
 17:07着の伊予西条駅で多くの高校生が降りて行ったが、
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 まだ乗車する者もおり、さらにここで後ろ1輌が切り離されてしまったので、車内の混雑はあまり緩和はされなかった。17:10、伊予西条駅発車。
 17:23、新居浜駅でも下車と乗車があったが、このあと次第に高校生の姿は減って行った。17:49、県境に近い伊予三島駅に着くころには、車内はすっかり空いて元の静けさを取り戻した。ここで行き違いや追い抜かれのために、19分の停車時間があるという。気分転換にゆっくり外に出て来た。
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 跨線橋の下のホーム上に喫煙スペースがあったので、煙草を一本吸った。18:08、伊予三島駅発車。
 次の川之江駅(18:13)で愛媛県(伊予)の駅は最後になった。高校生は基本的に県境を越えることはないのである。高校生は地方のローカル線にとって大切なお客さまだから、その姿が見えるというのは嬉しいことには違いないが、あまりたくさんいるとどうしても態度が大きくなって、一般客には迷惑なところもあるなと思った。

 香川県(讃岐)に入って最初の駅、箕浦駅で交換待ち停車があった。ここがまた廃貨車利用の駅舎で、こんどはしっかり撮影することができた。
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 道路を一本隔てて、すぐ向こうは海(瀬戸内海)である。ただ、停車時間は短かったから外に出たりはしなかった。行き違ったのは普通列車・伊予西条行き。
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 18:20、箕浦駅発車。
 18:30、観音寺駅到着。乗り継ぎ時間が12分あるので、外に出て来た。
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 18:42発、高松行き普通列車。
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 2輌編成だが、後ろ1輌は回送扱いで閉鎖されている。いよいよ先が見えてきた。

 19:00を回ったあたり、詫間駅と海岸寺駅の間で列車は海にぐっと近づいた。瀬戸内海の夕暮れである。
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 このあとあたりは急速に暗くなっていった。19:22発の多度津駅で、閉鎖されていた後ろ1輌が開放された。予讃線はここまでがずっと単線、ここから先ようやく複線になるのである。
 19:51、少し遅れたが列車は高松駅に到着した。
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 これで予讃線と内子線を(伊予灘線の部分を残して)普通列車で乗り通したことになる。あと四国で乗っていないのは、その伊予灘線と予土線だけになった。

 さて、夜の高松駅。
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 一旦、外に出て来た。
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 駅ビルの2階の「手打ちうどん杵屋」という店で夕食にした。店員の女の子が今晩のお薦めだというので、冷やしちくわ天とろ玉うどん730円というのを食べた。
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 最後に讃岐うどんが食べられて満足した。駅前広場の喫煙スペースで一服してから、駅ビル1階の土産物売場で買い物、さらにセブンイレブンで明日朝のサンドウィッチや水などを購入してから、改札を入った。駅員さんに聞いたら、サンライズは30分前に入線するという。
 で、確かに30分前にやって来たサンライズ瀬戸。
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 写真を撮ろうとしたら、あっという間にヘッドライトが消えてしまった。不満だが仕方がない。
 帰りは14号車24番なので、またしても先頭車輌である。ホームの一番先まで歩いて行かなければならない。しかし、30分前なので時間はたっぷりある。
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 一旦車内に入り、荷物を置いてホームに出る。ホーム先端部には喫煙スペースがあるので、ここで最後の一服(喫煙車輌は染み付いた臭いが嫌なので、今回は往きも帰りも禁煙車両を取っている)。
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 一番外側の9番線ホームに停車中のサンライズ瀬戸。
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 ヘッドライトが点くのはたぶん発車間際だろうから、待っているのも馬鹿らしいので、これはフラッシュを焚いて撮影。
 14号車。2階のスクリーンの開いている窓がわたしの部屋である。
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 部屋に入って、寝酒のウイスキーを飲み始めたあたりでサンライズは高松駅を発車した。夜の瀬戸大橋を渡り、岡山駅で「出雲」との連結が行われ、結局大阪あたりまで何となく眠れなかった。

 6月13日(火)
 富士山は今回も見えなかった。富士・沼津間で撮影したこの日のサンライズ。
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 東京駅、7:08着。
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by krmtdir90 | 2017-06-19 22:57 | 鉄道の旅 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅②予讃線・内子線、内子座(2017.6.12)

 6月12日(月)
 前の晩はけっこう早く寝たのだが、やはり寝台夜行の疲れがあったのか、朝は6時ぐらいまで寝てしまった。でも、爽快に起きて朝風呂にもちゃんとはいることができた。
 ホテルの窓から、朝の宇和島城天守閣(アップ)。
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 天気予報は四国全域で晴れマークが中心になっていて、暑くなりそうだがとりあえずはホッとする。きょうは宇和島から高松まで、普通列車を乗り継いで予讃線と内子線をたどって行くつもりである。帰りのサンライズは21:26発なので、時間はたっぷりある。

 宇和島駅改札口。
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 宇和島は終着駅なので、頭端式の櫛形ホームである。2面3線の単式ホーム1番線に停車しているのは、8:40発の特急・宇和海8号・松山行き。向かいの島式ホーム2番線に停車しているのが、わたしの乗る8:45発の普通列車・松山行きである。
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 この車輌はキハ54形だが、北海道で見かけるキハ54形とは外装・内装ともに大きく異なっている。こちらはドアがバス部品転用の折り戸になっているほか、窓サッシなども簡単な構造になっていて、内部はロングシートでトイレが付いていない(トイレがないことは放送で繰り返し強調されていた)。
 3番線ホームに当駅終着の単行が入って来た。
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 この車輌はキハ32形だった。54形と比較すると車体がかなり短い。九州で見たキハ31形と並んで、究極のローカル線向け気動車という感じである。なお、この32形はJR四国にだけ残っている車輌のようだ。
 ホームの先端の方に喫煙スペースがあったので、まだ発車まで間があるので一本吸った。
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 さて、キハ54の車内はこんな感じ。
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 わたしはこの最前部右手の、進行方向が一番よく見える座席を確保した。

 1番線の宇和海8号が先に発車し、8:45、わたしの乗ったキハ54も発車した。
 車内はすいていたのだが、一つ目の停車駅・北宇和島で一人の老婦人が乗車してきて、わたしのすぐ横の席に座った。ワンマン運転だから、普通は後ろから乗車して前から下車するのだが、この人はホームのかなり前寄りで待っていたので、運転手が前扉から乗車させてあげたのである。すいているのだからもう少し離れて座ればいいのにと思っていたら、悪い予感通りこの方がわたしに話し掛けてきたのである。
 わたしは話し掛けやすい雰囲気があるのだろうか。最初は無愛想に答えていたのだが、途中から諦めてお相手することにした。要するに、普段鉄道を利用したことがまったくなく、この日は初めての病院を訪ねて下宇和駅まで行かなければならないのだが、不安でたまらないということらしい。料金表示の駅名を見ると、下宇和は4つ目の駅のようだから、そのくらいならお話ししてもいいかなと思ったのである。
 まあ、けっこう楽しくお話しさせていただいたと思う。と言っても、話していたのはほとんどこの方の方で、わたしはもっぱら聞き役だった。ご家庭の様子などが主だったが、話しはあちこち飛躍した。こちら出身の方だが、30過ぎまで大阪で生活したそうで、そう言えばどことなく「大阪のおばちゃん」という雰囲気があるなと思った。

 「おばちゃん」が下車して行った下宇和駅というのは、畑などが見えるけっこう田舎の無人駅で、チラッと見せてくれた書き付けには確かにこの駅名が書かれていたが、ホントにここで大丈夫なのかと心配になった。ここは2面2線の交換可能駅になっていて、車内放送で2本の行き違いがあるというので外に出てみた。老婦人は踏切を渡った反対側のホームにいた女性に話し掛けていたから、病院への行き方は教えて貰ったのだろう。まあ、いろんなことがあるものだ。
 この左寄りに写っている赤い服に帽子を被った女性である。
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 行き違いになった特急・宇和海5号・宇和島行き、アンパンマン列車。
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 同じく行き違いになった普通列車・宇和島行き(なぜか3輌編成)。
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 下宇和駅、9:19発車。

 八幡浜駅でまた交換待ち停車があった。時間があったので外に出て来た。
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 行き違ったのは特急・宇和海7号・宇和島行き。
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 八幡浜駅、9:54発車。

 宇和島を出てから、このあたりはずっと非電化単線なのだが、比較的海に近いルートをたどっているのにトンネルが多い。讃岐平野などを除けば、四国は基本的に山の多い地形で、海沿いに山が迫り出したようなところも多いようだった。

 伊予大洲駅に入って行く。
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 ここでまた交換待ち停車。交換したのは普通列車・八幡浜行きだが、すでに入線していたので停車時間は長くなかった。
 ホームの駅名表示。
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 右の行き先の方が2つに分かれているが、ここで予讃線と内子線が分岐しているのである。ホームに路線図が掲示してあった。
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 左側の空色のルートが元々の予讃線で、この伊予大洲から右側上方の内子までが行き止まりの内子線だったのである。1986(昭和61)年に向井原・内子間をつないで、松山方面から直接内子に行けるルートを作り、黄色表示の短絡線が完成してからは、特急などは基本的にこちらを通って時間短縮を実現したということらしい。普通列車はこの両ルートをほぼ交互に運行しているらしいが、いま乗っている列車はこの内子経由の線路を行くのである。
 伊予大洲駅、10:18発車。
 間もなく線路は2つのルートに分岐して行く。
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 左が伊予長浜経由・愛ある伊予灘線で、右がこの列車が行く内子経由の短絡線である。

 内子駅に入って行く。2面3線の高架駅である。
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 10:34着。途中下車する。
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 時刻表によれば、この列車はここで25分停車することになっている。そのため、下車した時にはたいてい写すことにしている発車して行く列車の姿はない。
 エレベーターはあるがエスカレーターは設置されていない。長い階段を下りて、改札口を出る。
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 左手に路線図と発車時刻表があった。
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 見ての通り、わたしが乗って来た普通列車は10:59発なのである。そして、時刻表を埋めるのはほとんどが赤色の特急列車で、次の松山行き普通列車は12:05発である。したがって、ここで約1時間半の自由時間が取れることになる。
 出口のところに「まち歩きマップ」が置いてあったので、かねてから興味のあった重要文化財・内子座に行って来ることにした。
 その前に、内子駅・駅舎外観。
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 左手に旅里庵という観光案内所があったが、行きには寄らなかった。
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 駅前に、
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 C12形蒸気機関車が静態保存されていた。
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 内子線に最後まで走っていた蒸気機関車のようだ。

 さて、駅前の信号のところで「マップ」を見ていたら、散歩中と覚しき男性が「どちらへ?」と声を掛けてくれた。「内子座」と言うと、「マップ」には載っていない最短ルートの行き方を丁寧に教えてくれた。言われた通りの細道をたどると、6、7分で「内子座楽屋」という表示のある建物の角に出た(右手から来た)。
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 角を折れて、写真の左に入って行くと、
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 内子座の正面に出た。
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 ところが、この前庭部分が非常に狭く、すぐ前に民家が建っているため、どこから狙っても建物全体を収めることが出来ないのだ。
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 いろいろやってみたが諦めた。
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 こちらが受付と入口である。
 入場料は大人400円。
 わたしが着いた時、20人ぐらいの団体が出て行ったところで、残っていた2人連れも間もなく出て行ったので、わたしがいる間はずっと貸し切り状態で見て回ることができたのはラッキーだった。
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 内子座は1916(大正5)年に作られた芝居小屋で、老朽化による取り壊しの危機を町民の熱意で乗り越え、1985(昭和60)年に修理復元が完成、1995(平成7)年の改修整備を経て現在に至っているのだという。いまは年間60日ほど、文楽などの公演で活用されているらしい。
 一応の見学順路があって、花道から舞台に向かって入って行く。
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 花道脇に、検閲のあった時代に警察官が座った検察台というのが残っていた。
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 花道途中に切られた「すっぽん」と呼ばれるせり。
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 舞台に上がる。
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 回り舞台とせりがあるのが判る。右手の格子状のところが義太夫席。
 舞台上手から下手を見る。
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 下手の右手隅に奈落への階段がある。奈落はずっと未整備の状態が続いていたらしいが、きちんとしたかたちに整備されたのは1995年の改修時で、中はまだ新しい感じがした。
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 花道に出て行く横に奈落からの出口(まあ、どちらが入口出口ということはなかったはずですが)があって、今度はさらに階段を上がって2階席へ。
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 両サイドの時代がかった広告が楽しい。
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 再び1階に下りて、こんどは桟敷席に座ってみる。
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 桟敷の指定記号が「いろはにほへと」と「一二三四五」の組み合わせであることが判る。
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 神棚があるはずだと探したが、中にはなく(見つけることができなかった)、外に小さな社が作られていた。
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 なかなか風格のある木造の芝居小屋で、見ることができてよかった。きちんとした補修改修がなされているのもよかったと思う。
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 帰路は、ほんの少し遠回りになるが「まち歩きマップ」のルートを通って帰った。
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 この先の方に古い街並み(重要伝統的建造物群保存地区)があるようだったが、そちらに行って来る時間はない。残念ながら今回はそういう旅ではないのだ。
 帰路の途中にあった金比羅灯籠(常夜灯)。説明板に1831(天保2)年建立とあった。
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 同じく途中にあった小さな神社。栄恵比寿神社と言うらしい。
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 20分ほど余して内子駅に戻って来た。駅前に灰皿があったので一本吸ってから、早めに高架のホームに上がった。さっきは単式の3番線ホームだったが、今度は島式の2番線ホームのようだ。ホームからの眺め。
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 内子座や古い街並みは左手の方で、見えないか探したが見つからなかった。
 11:51、1番線に特急・宇和海11号・宇和島行きがやって来て、15人ほどの乗客を降ろして出て行った。
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 わたしの乗る12:05発・松山行き普通列車がやって来た。キハ54形の単行だ。
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 伊予市駅で特急・宇和海13号・宇和島行きと行き違い。
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 終点・松山駅に入って行く。
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 12:53着。
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 ここで2時間あまりの自由時間を取ってある。
by krmtdir90 | 2017-06-16 23:19 | 鉄道の旅 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅①宇和島へ(2017.6.10~11)

 サンライズ瀬戸にも乗ってやらないと公平さを欠くような気がした。と言うか、出雲に行って何やら勢いがついてしまった感じで、「なんにも用事がないけれど」(阿房列車)サンライズ瀬戸に乗って四国に行って来ようと思ったのである。
 実は「出雲」に乗った時、「瀬戸」が土・日(東京発で言えば金・土)は琴平まで延長運転を行っていることに気づいたのである。高松着は7:27だが、しばらく停車してから途中まで折り返して土讃線に入り、琴平着は8:52になるらしい。ずいぶんゆっくりした時程だが、そこがまた何の用事もないわたしには合っている。

 6月10日(土)。
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 「出雲」も「瀬戸」も同じサンライズだから、写真は代わり映えしないものになってしまうが仕方がない。ただ、行き先表示が「高松・琴平」となっているのがいつもの「瀬戸」と違う点である。
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 往路は1号車27番なので、先頭車輌の2階室になる。前回の「出雲」で1階室が気に入らなかったので、今回は行きも帰りもしっかり2階室を確保してある。意識して写真を撮ってみたが、1階室の低さが判ると思う。
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 22:00、サンライズは定刻通りに東京駅を発車した。

 6月11日(日)。
 予報ではこの日の四国は曇りと雨の混在した空模様で、まあ梅雨の最中の旅なのだからあまり贅沢は言えない。次の写真は姫路・岡山間のどこかである。雲を通してわずかに見えたこの日のサンライズ。
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 岡山での「切り離し」は見に行かなかった。7・8号車まで遠かったのと、何度も見ているからさすがにもういいかと思ったのである。
 間もなくサンライズ瀬戸のハイライト、瀬戸大橋通過となるが、写真に撮るとなるとトラスが邪魔になってうまく写せない。所々でトラスの途切れるところを狙う。
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 四国にはいると、讃岐平野特有のお椀形の小さな山が見えてくる。
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 曇り空だが、雨は降っていない。

 7:27、高松駅着。27分間、停車する。
 高松駅は宇高連絡船に接続していた時代の名残で、頭端式の櫛形ホームになっている。1~9番線のホームにはいろんな列車が発着を繰り返している。
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 サンライズは6番線に入線しているが、「当駅からはご乗車になれません」という表示が出て、
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 改札口の発車を知らせる電光表示にも、サンライズの名前は入っていない。
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 サンライズ瀬戸は7:54に高松駅を発車した。ここで進行方向が変わっているから、1号車は最後尾になってしまった。多度津(8:35)から土讃線に入り、8:52に琴平駅に到着した。
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 土讃線はこの先が非電化なので、サンライズが来られるのはここまでなのである。

 さて、このあとの計画だが、四国に来るのは鉄道旅を始めてから2回目で、前回の時に四国の右半分(真ん中から東寄り)の路線は全部乗ってしまっていたので、今回は左半分(西の方)をできるだけ乗れたらと思ったのである。とは言え、こちらに一泊するだけで、すぐにまたサンライズで帰るのだから(帰りのサンライズは高松発である)、欲張っても仕方がない。とりあえず、この日の宿泊地をJR四国の西南端・宇和島に決めてホテルを確保した。
 それと、今回は18きっぷの旅ではないのだから、ここから先の土讃線は特急列車を使ってできるだけ先に進んでしまおうと考えた。高知までの土讃線は前回の時に各駅停車でたどっているし、高知から先は未乗区間なのだが、鉄道旅からやや遠ざかっているうちに、各駅停車にこだわることもないのではないかと気持ちが変わってきたのである。

 で、琴平駅。前回来たのは2014年4月なのだが、そのあとで内外装の改修工事が行われたようで(調べてみたら、耐震工事に伴っていろいろな改修を行ったらしい)、特に内装はずいぶん洒落た感じに作り替えられていた。
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 実は、サンライズは一台前の特急(高知行き)と接続していたのだが、急ぐ旅ではないし、たぶん少し身体を動かしたくなるのではないかと、それを見送ったのである。その結果、乗り換え時間は1時間3分になるので、こんぴらさんの参道あたりまで散歩しようと思っていたのだが、いざとなると、ことでん琴平駅の鳥居のところまで行って、かったるくなって引き返してしまった。
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 一度来ているのだから無理をすることはない。
 再びJR琴平駅。よく見るとホームの屋根や柱なども改修されているようで、全体が渋めの感じで統一されているので、これはこれで良かったのではないかと思った。
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 2番線に9:55発の特急・南風(なんぷう)3号・中村行きが入って来た。
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 JR四国が誇る?アンパンマン列車である。これに乗りたいという気分もあったと思う(時刻表にアンパンマン列車で運転と記載されているのである)。
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 アンパンマン列車は四国の子どもたちの憧れになっているようで、親に連れられて嬉々として乗り込む小さい子や、下車駅で車体をバックに子どもの記念写真を撮る親子がいたり、沿線でお爺ちゃんと孫が手を振っていたりする光景を何回か見かけた。日曜日ということもあったのだろう。
 ただ、外装には楽しい絵がいっぱい描いてあるが、乗ってしまうと天井にアンパンマンたちがいるだけで、境線の鬼太郎トレインのような派手さはなく、もう一工夫あってもいいのかもしれない。と書いたところで調べてみたら、子どもたちのためには16席限定のアンパンマンシートというのが別の号車に用意されているようで、私の車輌はその車輌ではなかったということらしく、なるほどそういうことなのかと納得した。車体の絵も車輌によっていろいろなものがあるようだった。

 この列車は岡山始発、瀬戸大橋を渡り宇多津・多度津を経由して土讃線に入り、終点・窪川駅から土佐くろしお鉄道の中村・宿毛線に乗り入れて、中村駅まで行くものである。
 特急列車だから交換待ちなどはなく(こちらは待たせる方なのだから)、乗ってしまえばあとは車窓を眺めてぼんやりしていることになる。それはそれで快適なのだが、わたしには何となく手持ち無沙汰の感は否めなかった。
 例の秘境駅・坪尻では、通過する線路と駅の間にもう一本線路が挟まるから、もしかすると撮れるかもしれないと思って狙ってみたが、やはりこちらのスピードが速過ぎて、ブレてピンボケになってしまって完全な失敗に終わった。トラス橋上にある土佐北川駅はあっという間だったし、新改駅は駅の位置が通過線からは見えないので、スイッチバックの折り返し線は確認できたがそれだけだった。

 このアンパンマン列車は、2000系というJR四国の自慢の振り子式特急型気動車で、急勾配・急カーブが続く土讃線を始めとした四国の各線で大活躍している車輌らしい。カーブでもあまりスピードを落とさず、大きく傾きながら駆け抜けていく様子は乗っていて爽快感があった。スイッチバックのような古いものが淘汰されていくのは時の流れなのだなと実感させられた。

 というわけで、途中の写真は一枚もない。特急列車に乗るというのはそういうことなのだ。途中、山越えのあたりで雨が降ってきたが、高知に着くころにはほとんど止んでいた。
 11:30、高知駅着。ここで多くの乗客が降りて行った。
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 停車時間が9分あって、ホームに降りたら駅弁屋が出ていた。時間的にもちょうどそういう感じで、なるほどそういうことなのか。駅弁は4、5種類あったと思うが、中に「かつおたたき弁当」というのがあって、まさかと思ったがホントに鰹のたたきが入っているのだという。おばさんがちょっと中を見せてくれたので、いつもの野次馬根性でこれを購入。
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 早速、車内に戻ってパックの蓋を開けてみると、
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 写真では全然旨そうに見えないが、これが実に旨かった。保冷剤は溶けかかっていたが十分役割を果たしていた。新鮮で歯応えのある大きなのが5切れ。あと2切れ欲しかった気もしたが、十分に賞味した。さすが本場である。

 さて、高知・窪川間の土讃線未乗区間を完乗したのだが、普通列車でないとまったく実感はない。窪川から土佐くろしお鉄道の中村・宿毛線に乗り入れたのだが、これもまた何の実感もない。ただ、乗務員は入れ替わったようで、女の車掌さんがやって来て特急指定席券を回収して行った。JRとの間で料金を配分する時に必要なのだろう。
 この区間では線路が海沿いに出て行くところが何カ所かあって、どのあたりだったか判らないが、とりあえず1枚掲載しておく。
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 曇り空だし、ガラス越しなのでかなり色合いが変なのだけれど、補正してもうまくいかず、まあ記録という意味で目をつぶっておくことにする。

 列車は13:24、終点の中村駅に着いた。ここで13:30発の宿毛行き普通列車と接続している。乗り換え時間は6分しかないが、ここまでずっとだらだら乗っていただけだったから、ここはやはり頑張って動くしかない。6分というのは、なかなかスリリングな時間である。
 2面3線の駅で、アンパンマン列車は改札口直結の単式ホーム(1番線)の方に着いた。駅員さんにことわって、まず外に出て駅舎を撮影する。もう少し正面に行きたかったが、これで我慢。
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 中に戻って、跨線橋を渡って島式ホームの方に行く。階段は急ぐと危ない。単行の普通列車は3番線に停まっている。
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 後方から側面の絵も判るように。
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 中村市は平成の大合併で四万十市と名前を変えたようだが、もともと「土佐の小京都」と言われていたところらしい。その実態はよく判らないが、車輌のイラストはあんまりいただけないような気がした。
 なお、ここには中村・宿毛線の車輌基地が併設されていて、向こう側の側線に別の車輌が停まって作業員が何かしていたようだが、そちらまでは気が回っていない。。
 素朴な感じの駅名板を、アンパンマン列車をバックにして。
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 これで終わりではない。次の写真は、アンパンマン列車の写真を孫に送ってやろうと、こちらのホームに下りた時スマホで撮影したもの。他の写真とサイズが異なっているのはそのためである。
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 やはり忙しくて、カメラではこの構図を撮っていなかったので、スマホの写真をパソコンに移すのはどうやればいいのか、やったことがなかったのでずいぶん手間取ってしまいました。

 6分はあっという間に過ぎ、13:30発車。これが車内。転換クロスのセミクロスシートである。
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 けっこう乗客はいて、わたしは間際に乗車したからロングシートの方に座った。これだけ乗客がいると、車内をウロウロ歩き回る気にはなれない。
 なお、西に向かうにつれて天気はどんどん回復してきているようで、少し前まで雨が降っていた形跡はあるのだが、空は依然雲が多いけれど、時折日射しもさしてくる感じで次第に気温も上がってきているようだ。

 14:00、終点・宿毛駅着。
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 ここは2面2線の高架駅で、向かいのホームにイラストは異なるがまったく同型と思われる車輌が停まっていた。
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 これはTKT8000形と呼ばれる気動車で、1988年の国鉄→第三セクター転換時に登場したものらしい。
 さて、階段を下りて改札を出ると、
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 高架下のスペースが妙に広い空間になっていて(そちらを向いた写真がない)、この左手にテレビの点いている待合室があるのだが、夫婦者らしい小父さんが椅子を幾つか占拠して、寝転んで野球中継を見ている。反対側の離れたところに観光案内所があったが、訪れる人もなくあたりはまるっきりひっそりした雰囲気なのである。ほかに飲食店や店などはなく、外に出てみると片側は駅利用者の駐車場、正面に当たる方も人気のないバス乗り場があるだけで、まったく味も素っ気もないだだっ広いところなのである。
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 宿毛は一応市のはずだが、どうもこの駅は街の中心からはだいぶ離れたところにあるようで、ここで1時間あまり時間があるので、少し街を散歩などと思っていたのだが、何とも時間を持て余してしまうことになった。まあ、駅の周囲がどうなっているかなどということは、実際に来てみなければ判らないのだからこういうこともある。

 このあと宇和島に行くには、鉄道ならもう一度窪川まで戻り、そこからJR予土線を利用することになるのだが、ちょっと気分を変えて、この先は路線バスの旅をしてみようと思ったのである。15:07発の宇和島駅前行きというバスが宿毛駅前から出ていて、これだと1時間50分ほどで宇和島に着くということらしい。
 で、やって来た宇和島自動車バス。広告など一切なく、最近では珍しいスッキリした車体である。
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 これが車内。ま、バスはバスですな。
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 このバスの旅が思いのほか楽しかった。宿毛と宇和島の間には国道だか県道だか、とにかくそれなりの幹線道路が通っているらしいのだが、バスは基本はそのルートを辿りながら、頻繁に旧道と思われる脇道に逸れて、山あいや海沿いの小さな集落などを律儀に縫って行くのである。新しい道が作られても、元から人々が暮らしていたところはそれとは関係がないのだ。最短ルートを行けば恐らく半分の時間で行けてしまうところを、早さよりも大切なものを路線バスが拾っているのだなと思った。
 ただ、バスというのも写真は撮りにくく、集落の中などの近距離の対象ではどうにもならないし、海沿いの道に出た時に撮ったものを何枚か載せておく。やはり色調がおかしいのだが、補正しても直らないのは許し難いのだけれど。
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 時刻表では16:58となっていたが、ほぼそれに近い時刻にバスは宇和島駅前に着いた。
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 このすぐ後ろがJR宇和島駅で、駅のビルの2階以上が今夜宿泊するJRホテルクレメント宇和島になっている。
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 駅前や右手につながるメインストリートには、高いヤシの木が何本も植えられているのが南国らしい雰囲気を作っている。
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 こちらに、宇和島名物・闘牛の像と、
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 宇和島で最初に走ったドイツ製蒸気機関車の復元模型が飾られていた。
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 天気は完全に回復したようだ。
 ホテルの部屋からの眺め。右端の奥に宇和島城の天守閣が見えている。
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 今回は観光に来たわけではないから、ここに行く予定はない。このあと外に出て、宇和島名物・鯛めしを食べながら少しお酒をいただけたらと思っている。それで十分なのである。
 で、メインストリートをぶらぶらと。撮影時刻は17:58。
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 入ったのはこのお店。「かどや」さんと言う。幟が裏返しなのがちょっと気に入らない。
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 これがフカの湯ざらし。お酒は宇和島の地酒・泰山。
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 じゃこてん。
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 鯛めしセット。
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 左手前のお茶碗のところに小さな紙切れが挟んであって、鯛めしの食べ方が書いてあった。
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 この心遣いはいいね。晩酌のあとでは普段はご飯を食べないので、お櫃のご飯は半分ぐらい残してしまったが、たいへん美味しくいただきました。
 次の写真、撮影時刻は19:27。まだ暗くなっていない。
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 たいして時間は経っていないが、宇和島の食とお酒を十分楽しんだので、そのままホテルに帰って寝てしまいました。
by krmtdir90 | 2017-06-15 17:52 | 鉄道の旅 | Comments(3)

山陰へ寝台夜行の旅③出雲大社・古代出雲歴史博物館(2017.5.22・23)

5月22日(月)続き
 美しく整備された神門通りという道を歩いて行くと、最後が少し上りになって、
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 突き当たりの交差点を渡ると出雲大社の入口になる。
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 ここは勢溜(せいだまり)と呼ばれる場所で、木製の大鳥居(二の鳥居)をくぐるとそこからが出雲大社の神域である。鳥居の先から振り返ると、遠くに一の鳥居が見えている。
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 参道を行く。最初は珍しい下り勾配の参道である。
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 途中に祓社(はらえのやしろ)というのがあったようだが、通り過ぎてしまった。その先の浄(きよめ)の池。 
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 祓橋(はらえのはし)。
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 帰ってから案内図を見て名前を調べているのだから、見落としもずいぶんあるということだ。
 祓橋を渡ると鉄製の三の鳥居があって、その先が松の参道になる。
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 ここからは真ん中を通ることが出来なくなり、両側のどちらかの参道を行くことになる。
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 看板には松の根を保護するためと書いてあったが、調べてみると、昔から殿様とか貴族しか真ん中は通れなかったということらしい。まあ、どうでもいいことだが。
 しばらくして、また真ん中が通れるようになり、
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 左手に手水舎があった。
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 これ、観光協会の案内図では「てみずしゃ」とふりがなが振ってあるが、普通は「ちょうずしゃ」と読むのではなかろうか(出雲大社だけ読み方が違うのだろうか?)。ともあれ、ここで両手を清めた(何となく口は清めなかった。ダメかな?)。
 いよいよ最後の四の鳥居があって、その奥に写真で見たことがある拝殿が見えている。
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 四の鳥居は銅製である。
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 さて、拝殿です。
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 歴史的な由緒などは別にして、昨今では出雲大社は縁結びの神さまとされているようで、わたし自身はもう関係ないのですが、父親として良縁を願うというところは残っているので、出雲大社式とされる「二礼四拍手一礼」(普通は二拍手)の作法でしっかり参拝してきました。
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 拝殿の右手から回り込んで行くと、厳重な荒垣で囲われた本殿の屋根が見えてくる。
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 正面の八足門(やつあしもん)の前で再度参拝する。
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 出雲大社ではここから先を境内と呼んでいるらしい。この中は一般の者は入れない。左の方から荒垣の周囲を巡ってみる。
 背後の方から見た本殿。 
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 これで出雲大社参拝は終わり。

 松の参道を戻って行くと、三の鳥居の横にこんな看板が出ていた。
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 一旦外に出てから行くしかないかと思っていたから、必ず行くと決めていたわけではないが、これは近道のようなので、何となくそれなら行ってみてもいいかなと思った。まったく行き当たりばったりの行動なのである。
 島根県立古代出雲歴史博物館。
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 行ってみたら、広い敷地に全体のかたちがどうなっているのかよく判らない大きな建物があった。道路の方から入る正面の入口は右手にあるようだったが、左寄りに見えている入口からも入れそうだ。で、入ってみると、
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 ここが受付カウンター。
 さっき、近道の途中に割引券付きのチラシが置いてあって、それを持って行ったら一般610円が490円になった。わたしがカメラを手にしているのを見て、受付の女性は「フラッシュを焚かなければ撮影は自由です」と言った。最近はスマホのカメラが普及したので、どこも撮影禁止を徹底しにくくなっているのかもしれないと思った。
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 わたしは出雲の歴史に興味を持ったことなどないから、言ってしまえばまったくの初心者で、展示内容についてしっかり踏み込んで見学したわけではない。しかし、素人目にもここの展示が充実していることはよく判った。
 中に入って最初に展示されていたのがこれ。
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 ガラス面に人影が映り込んでしまったのだが、発掘された宇豆柱(うずばしら)という出雲大社本殿の柱らしい。3本の太い丸太を束ねて本殿を支えていたことがこれで証明されたようだ。
 様々な古文書などによれば、昔の本殿はいまよりもはるかに高さがあったと推測されていて、平安時代には高さ16丈(約48メートル)もある本殿があったという。次はその学説に基づいて造られた模型。
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 信じ難い高さだが、宇豆柱の出土とともにこれが一気に現実味を帯びてきたということらしい。もしホントにこんなものが建てられていたのだとすると、何ともワクワクするような歴史ロマンだと思った。
 展示物には出雲地方で発掘された国宝や重要文化財が次々に並んでいて、一つだけでも大変なものなのに、あまりたくさんあるので何だか有難みが薄れてしまうような気がした。以下、写真に収めてきたものを少し並べてみる(ガラスケースにいろいろ写り込んでしまうのは仕方がない)。
 銅鐸(雲南市加茂岩倉遺跡・弥生時代《紀元前2~1世紀》・国宝)。
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 358本の銅剣(斐川町荒神谷遺跡・弥生時代《紀元前2~1世紀》・国宝)。
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 ケースの中に3段に並べられたすべての銅剣が国宝に指定されている。上方にある金色のものは、作られた当時の輝きなどを再現した模型だという。 
 16本の銅矛(斐川町荒神谷遺跡・弥生時代《紀元前2~1世紀》・国宝)。
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 これらの銅剣・銅矛は武器としての実用性は低く、祭祀などの道具として使われていたのではないかという。
 雲南市加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群(弥生時代《紀元前2~1世紀》・国宝)。
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 銅鐸3点(いずれも雲南市加茂岩倉遺跡・弥生時代《紀元前2~1世紀》・国宝)。
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 銅鏡(雲南市神原神社古墳・古墳時代《3世紀》・重要文化財)。
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 この鏡には「景初三年」(239年)の文字が刻まれていて、この年は邪馬台国女王の卑弥呼が魏に使いを送り、銅鏡100枚を賜ったとされる年であることから、卑弥呼の鏡ではないかと考えられているらしい。
 最後に、出口近くにこんな展示もあった(ちょっと場違いな感じもあったけれど)。
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 昭和3(1928)年に建設された一畑電車北松江駅(現松江しんじ湖温泉駅)の改札口だという。当時の部材を元に再現したとあった。

 1時間ぐらい見学していただろうか。もう12時半が近い。外に出て食事場所を探すのも面倒なので、2階にあるミュージアムカフェ「maru cafe」というのに行ってみることにした。
 全面ガラス張りの明るいカフェで、非常に寛げる感じで良かった。外の広い芝生を子どもたちが駆けていたのが見えた。遠足だろうか。
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 カレーライスを食べました。
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 古代出雲歴史博物館、建物外観。
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 午後1時を過ぎた。一畑電車・出雲大社前駅に向かってゆっくり歩きながら、このあとどうするかを考えた。バスで日御碕(ひのみさき)の方に行ってもいいかなと思っていたが、日射しがあって暑いし、ことのほか疲れてしまったので、やめてしまおうかと大いに迷った。
 駅に着いて電車の時刻を見たら、次の発車は13:56発となっていた。これで帰ってしまうと、サンライズまで4時間も空き時間ができてしまう。とりあえず朝うまく撮れなかった駅の写真を撮って、
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 この右手にある喫煙場所(灰皿が見える)で、椅子に座って煙草に火を点けたら、目の前を日御碕行きのバスが通り過ぎて行った(ここの停留所には停車しなかった)。
 確か日御碕行きのバスは本数が少なかったはずだ。行く気があるならまずそちらの時刻を見なければいけなかったはずだ。少し未練があったことは事実だが、わたしの中では日御碕はやめる気持ちが9割以上になっていたということだろう。いまのバスでこの先の行動は決まった。しかし、出雲市駅で4時間もどうするのかというのが大きな問題になった。

 さて、帰りの一畑電車である。
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 これは5000系と呼ばれる、京王電鉄から譲渡された車輌を改造したものである。2100系と同様、軌間の違い(京王1372mm、一畑1067mm=狭軌)による台車の履き替えが最大の改造点だが、こちらは車内もセミクロスシートに一新して、車体の塗装も併せて観光輸送を強く意識したものになっている。
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 なお、この電車は川跡止まりではなく松江しんじ湖温泉までの直通電車になっている(何本かそういう設定もあるようだ)。
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 ホームの向かいには2100系電車が入線している。
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 5000系2輌編成は13:56に出雲大社前駅を発車、14:07に川跡駅に到着した。
 3本並んだ車輌。
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 左から、1番線・松江しんじ湖温泉行き2輌編成、5000系。2番線・出雲大社前行き1輌編成、7000系。3番線・電鉄出雲市行き2輌編成、1000系。今回2番線から出る出雲大社行きは電鉄出雲市から来た電車である。
 わたしは1番線から3番線に乗り換える。
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 この1000系車輌は東急から譲渡されたものだが、軌間が同じなのであまり大きな改造はしていないようだ。塗装も何だか味気ない。
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 車内は区切りのあるロングシート。いわゆる普通の通勤型車輌である。 
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 この電車は14:12に川跡駅を発車した。
 途中、車内がすいていたので、今回はどこでも撮っていなかったこんな写真を撮ってみる気になった。大津町駅である。
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 14:21、電鉄出雲市駅着。
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 さて、このあとサンライズまでの4時間あまりをどのように過ごしたか。
 電鉄出雲市駅からJR出雲市駅に向かう高架下の喫煙スペースで煙草を一本吸った。高架下の土産物売場で土産物を物色した(まだ買わなかった)。改札前のあたりをぶらぶらした。反対側の南口の方に出てみた。ロータリーはあったが、こちらは何の変哲もない出口だった。
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 それから、この南口のすぐ近くにある「出雲駅前温泉・らんぷの湯」というのに行った。
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 これは今回来る前からマークしていたところで、4、5年前に出来た新しい立ち寄り温泉のようだった。昼間たぶん汗をかくだろうから、サンライズに乗る前に一風呂浴びてさっぱりしてから乗り込もうと考えて、着替えなども用意してきてあったのだ。ただ、ちょっと早めの時間になってしまったなと思いながら行ってみると、大人650円のところ、午後4時まで65歳以上は400円に割引きとなっていた。ツイてる。
 案内によれば、地下1800メートルから引いた鉄分の多い濁り湯で、全湯掛け流しと書かれていた。中は大きな規模ではなかったが、外に一人ずつに分かれた檜の浴槽が3つ並んだ露天風呂があって、ここは湯温がやや高めになっていてわたしは気に入った。目の前に人工的に植えられたと思われる竹林ができていて、なんとも風流な気分でくつろぐことができた。風呂を出たあとは、畳敷きの休憩所で身体が冷えるまでのんびりした。
 上の写真は外に出てから撮ったものなのだが、撮影時刻は16:07となっている。

 このあと、再び駅に戻り、今度は南北連絡通路の脇にあったこの店に入って、コーヒーを飲みながら時間を潰した。
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 実は、この写真では読み取れないかもしれないが、さっきこのあたりをぶらぶらしている時に、この扉に「喫煙できる店舗として営業してます」という小さな貼り紙があることに気づいたのである。いまどき、この姿勢は高く評価されなければならない、あとでここに入ろうと決めていたのである。店にあった新聞を読んだり、スマホをいじったり、結局煙草を3本吸って1時間ほどで店を出た。

 そろそろ5時半になる。改札口で駅員にサンライズの入線は何時かと尋ねたら、5分前だという。18:46ということだ。その前に、夕食として最後に出雲そばを食べようと思っていた。で、観光案内所でもらってあった出雲そばマップで、駅から近そうな店を探して行ってみることにした。
 行ってみたらその店は、18時開店という掲示が出ていた。あきらめて適当な店に入ってしまうのも癪なので、ちょっとあたりを散歩して来ようと思った。日が傾いてきて、気温もずいぶん下がってきたようだ。このあたりが東京とは違うなと思った。
 「サンロードなかまち」というアーケード街があったので行ってみた。
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 一歩入って、これはひどいと思った。
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 開いている店が見当たらないと言ってもいい。時々車が通り抜けていくだけで、人通りもほとんどない。完全に終わってしまった商店街という感じがした。結局突き当たりまで行って、駅の方にぐるっと一回りする道をたどった。
 5分前にそば屋の前に戻ってしまったので、店の前で待っていたら少し早く中に入れてくれた。この店、手打ち出雲そば「ほしえん」。
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 いただいた割子そば(ピンボケですね)。腰があって旨かった。
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 夕日を受ける出雲市駅北口。
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 土産物を買い、飲み物などを買い、改札口を入る。
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 2番線ホームに上がる。帰りは1号車なので最後尾になる。ホームを歩いて行くと、1号車の乗り口の先に喫煙スペースがあった。
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 これは嬉しかった。1号車は禁煙車両なので、ここで今回の旅の最後の一本を吸った。こちらに来るのはもうこれが最後だろうなと、少し感傷的な気分になった。

 サンライズは思いがけず下り方向から入線してきたので、このあたりではまだスピードが出ていてうまく撮れなかった。で、これは停車してから撮影したもの。
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 1号車23番。やはり2階室のこの感じがいい。
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 右側の靴脱ぎの部分や物置きスペースは、やはり1階室よりずっと余裕がある。
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 18:51、サンライズ出雲は静かに出雲市駅を後にした。
 ベッドに横になるとこういう眺めになる。
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 この、窓から空が見える感じが何とも言えずいいのである。
 今度は進行方向左側が宍道湖の側になり、サンライズならぬサンセット後の暮れていく宍道湖の景色がよく見えた。
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 夜、部屋の明かりを消して寝ていると、窓から星がよく見えた。上りのサンライズに乗るのは初めてだったが、このあたりでは都市の明かりに邪魔されることもなく、伯備線で中国山地に分け入って行くにつれて、星の数が明らかに増えていくのが判った。切り取られている範囲が狭いから、星座のかたちまで判別するのは無理だったが、星の多さは十分に感じることができた。上りサンライズ出雲ならではの素晴らしい体験だった。

5月23日(火)
 翌朝、富士山が見えるかと期待していてが、その区間は雲が多くて見えなかった。都心が近づいてくると、通り過ぎる駅々にごったがえす通勤客の姿を見下ろすのが、なんか悪いなあと思った。
 サンライズ瀬戸・出雲は7:08、東京駅に着いた。
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by krmtdir90 | 2017-05-26 18:37 | 鉄道の旅 | Comments(2)

山陰へ寝台夜行の旅②一畑電車・JR旧大社駅(2017.5.22)

5月22日(月)
 きょうは朝から雲一つない快晴で、天気がいいのは嬉しいことだが、暑くなりそうなのでその点は気がかりである。
 朝のJR出雲市駅。
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 この左手の方に一畑(いちばた)電車の電鉄出雲市駅がある。
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 こちらが入口。
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 ホームは高架上にあるので、改札を入ったら階段を上らなければならない。エスカレーターは設置されていない。発車まで20分あまりあるので、きっぷを購入して右手の待合所で待つ。
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 路線図と運賃。
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 一畑電車、略称「ばたでん」は100年以上の歴史を持つ私鉄で、現在は電鉄出雲市・松江しんじ湖温泉間の北松江線と、途中の川跡(かわと)から分岐して出雲大社前に至る大社線の2路線を運行している。名前の通り電化はされているが全線が単線である。わたしは前に来た時に北松江線には乗っているが、大社線に乗るのは今回が初めてになる。
 10分前に改札が開いた。これが9:15発の松江しんじ湖温泉行きの2輌編成。
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 京王電鉄の5000系を譲り受けて改造した車輌(片運転台構造)で、一畑電車では2100形と呼んでいるようだ。車内はロングシート。扉は3つだが、真ん中の扉は閉鎖されている。
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 電鉄出雲市駅のホームは島式で、両側の頭端式の線路は車止めの位置が大きく前後にずれている。
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 この左側の線路に別の2輌編成が入線してきた。
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 同じく京王電鉄から譲渡された車輌を改造したもので、5000系と呼ばれているものである。これは帰りに乗ったので、詳しくはその時に。

 電鉄出雲市駅を定時に発車した2輌編成は、9:23に川跡(かわと)駅に到着した。川跡駅は島式ホームの2面4線で、構内踏切を渡って大社線の電車に乗り換えることになる。
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 右が北松江線のホームで、乗ってきた電車は2番線に入っている。左が大社線のホームで、1番線に出雲大社前行きの1輌編成が待っている。
 ほどなくして、反対方向から電鉄出雲市行きの2輌編成がやって来て、外側の3番線に入線した。
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 つまり、わたしのような電鉄出雲市方向から来たお客と、松江しんじ湖温泉方面から来たお客の両方を、ここで大社線の電車に乗り換えさせることになるのである。帰りの時もそうだったが、この駅では常に3方向の電車が揃うことになるようだ。
 わたしが乗ってきた松江しんじ湖温泉行きが発車して行き、
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 続いてピンクのラッピング車輌・電鉄出雲市行きも発車して行った(写真はない)。
 こちらの出雲大社前行きも間もなく発車である。乗り換え時には踏切のところで一所懸命お客を誘導していた駅員も、駅舎のところで発車を待っている。
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 一応、川跡駅の駅名板も掲載しておく。
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 乗り換えた出雲大社前行きの電車は9:29に川跡駅を発車した。1輌で運用可能な両運転台構造で、2016年から導入が始まった7000系という新造車輌だった。座席は中央で点対称になるセミクロスシートである。
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 きょうは月曜日なので、お客はあまりいない(でも、上から写すと前の席の人が写ってしまうので、ちょっと低い角度で写した)。
 9:40、出雲大社前駅着。
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 向かいの側線に古い車輌が保存されている。
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 改札を出る(あちこち写真を撮っているから、いつも駅員さんを待たせてしまう。わたしのきっぷを受け取ると、すぐに改札を閉じて行ってしまった)。
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 駅舎内の様子はこの時はうまく撮れていないので、帰りの時に。
 駅舎外観(逆光になっているので、これも帰りの時にもう一度)。
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 ここを離れる前に、さっきの古い車輌を見ておかなければならない。右手の方に回り込んで行くと説明板が立っていた。
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 デハニ50形と言うらしい。「RAILWAYS」という映画の撮影が一畑電車で行われたのは知っていたが、映画自体は見ていない。中に入れるようになっている。
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 運転台。
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 車内(シートは貼り替えられているようだ)。
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 さて、出雲大社はこちらの方向だが、
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 わたしは反対方向に歩いて行く。そちらに15分ほど行くと、1990(平成2)年に廃止されたJR大社線の旧大社駅が保存されているというのだ。わたしとしては、出雲大社よりもこちらが見たかったと言っても過言ではない。
 少し行くと大きな石の鳥居があり、その先で堀川という川に架かる宇迦(うが)橋を越えて行く。渡り切ったところから振り返る。この鳥居が出雲大社の一の鳥居とされているようだ。
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 この先がけっこう距離があった。15分では着かなかったと思う。道がゆるやかにカーブするところで、表示に従って左折すると正面に立派な駅舎が建っていた。
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 思った以上に重厚な造りである。
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 大社線の開業が1912(明治45)年、この駅舎が造られたのが1924(大正13)だという。廃止後の2004(平成16)年に国の重要文化財に指定されている。
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 中に入ってみることにする。
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 中は広く、天井も高い。
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 廃止時の普通旅客運賃表と、
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 発車時刻表がそのまま残されていた。
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 廃止時には駅事務室の方にきっぷ売場が移っていたが、昔はこの右手の部分が出札窓口(きっぷ売場)になっていたようだ。
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 廃止時にはここは観光案内所になっていたらしい。
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 非常に美しい駅舎で、保存状態もいいと思った。
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 改札口からホームに出てみた。この部分の壁は後から取り付けられたもののようだ。
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 精算所窓口。
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 駅長事務室入口。
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 構内は単式ホームと島式ホームの2面3線構造で、両ホーム間は階段を下りて渡る構内踏切が何カ所か設定されていた。階段部分に鉄の蓋のようなものがついていて、(ちょっと見にくいのだけれど)そこにウサギとススキと思われる素朴なレリーフが施されていた。
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 ホームと線路もそのまま残されていたので下りてみた。
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 ちょっと低い位置から狙ってみる。
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 島式ホームの向こうの方に蒸気機関車が留置されているようだ。
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 そちらに歩いて行く。こちらから駅舎を見ると、わたしが出て来た右側の改札口のほかに左側にも改札口がついていて、そこはどこかの時点で壁で塞がれてしまったことが見て取れる。
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 なお、この左手の屋外にも石で造られた改札口が並んでいた(団体客などの時に利用したのだと思われる)。
 蒸気機関車はD51だったが、保存状態はあまりいいとは言えなかった。
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 運転席(左)と石炭投入口。
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 駅舎の大きさやホームの広さなど見ると、昔はずいぶん賑わったこともあったのだろうと思われた。
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 国鉄全盛期には関西方面から直通の優等列車も乗り入れていたらしいが、モータリゼーションの発展とともに乗客は観光バスや自家用車に流れていき、また一畑電車の駅より15分も遠いことが決定的なネックとなって、JR化後数年で廃止されてしまったのである。
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 いくら重要文化財に指定されても、駅は廃止されてしまっては何にもならないと思った。
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 戻らなければならない。日射しは強く、気温も上がってきている。来る時けっこう距離があったことを思うと、まいったなあという感じで表の通りに出て歩き始めた。するとすぐその直後に、何と後方から出雲大社方向に向かうバスがやって来たのである。さらに、ちょうどそこにバス停があって、下車するお客がいて停車するではないか。すごい幸運と言うしかない。もちろん乗せていただきました。
 このバスは出雲市駅からやってきたもので、あとで調べてみたらここを通るバスは1時間に1本しかなく、しかも5分ほど遅れていたらしかった!
 バスはあっという間に電鉄大社駅に着いた。150円だった。
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 一つ先の停留所まで乗れば正門前まで行けたのだが、それだと何となくズルをしているような気がしてしまったのである。
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(写真の枚数が増えていて、一回では収まりそうにないので、ここで一旦切ることにします)
by krmtdir90 | 2017-05-25 17:36 | 鉄道の旅 | Comments(0)


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