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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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中国の旅⑪武漢散歩・復路(2018.9.11~12)

9月11日(火)続き

 午後4時にホテルに戻って来たが、夕食までまだ間があるので、ガイドの徐さんが希望者を近くのスーパーマーケットに連れて行ってくれるという。外は暑いし、ちょっと迷ったが、もう今夜が最後なのだし、行ってみることにした。
 ホテルの前の道を右に少し歩き、右折すると、
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 町の人々の生活の気配が感じられる通りになった。
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 この先を左折してちょっと行くと、目指すスーパーがあった。
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 スーパーと言っても、こぢんまりした昔からの商店といった感じで、コンビニの品揃えを少し多様にした程度の品が並んでいた。中の写真は撮っていないが、ここで土産にするクッキーと激辛のカップ麺(末娘が好きなのだ)などを買った。

 店の向かいにこんな家が建っていて、
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 「詹天佑(せんてんゆう)故居」というプレートが掛かっていた。
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 徐さんが、詹天佑(せんてんゆう)は中国の「鉄道の父」と言われた人物で、いまから百年以上も昔に中国で鉄道敷設に尽力したのだと教えてくれた。スイッチバック(彼女は言葉としては知らなかったが)も彼が初めてやったのだと言っていた。まったく思いがけない話で、帰ってからいろいろ調べてみたが、詹天佑が中国で初めてスイッチバックを作ったのは確か(1909年完成の京張鉄路において)だが、世界最初ということについては記事を見つけることができなかった。
 この「故居(旧宅)」は、詹天佑が1919年に死去するまでの晩年を過ごした家だったらしい。建物の入口に「詹天佑故居博物館」という表示が掛かっているから、もう少し早い時間なら中を見学することもできたのかもしれない。

 スーパーからの帰り道。
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 みんな一人っ子で、みんな手をつないでいる。大切な子どもなんだよね。

 この日は最後の夕食ということで、早めの5時にロビーに集合して、バスで少し離れたレストランに向かった。
 車窓から見かけたこの母子(ちょっとピンボケだが)。
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 子どものお尻に注目である。これ、破れているわけではない。開襠褌(カイダンクゥ)という幼児服で、最初からお尻が見えているものなのだという。要するにオムツが不要で、どこででも(道ばたでも)用が足せるようになっているというのだ。都市化が進んで最近は廃れてきているというが、オムツ離れが早くなるというので、依然として根強い人気もあるということらしい。うーん、文化の違いとはいえ、このあたりのことはなかなか理解し難いことのように思われた。

 ちょっと脱線するが、最初のガイドの李さんが話していた中国のトイレ事情にも触れておきたい。もちろんホテルなどは整備されているが、地方の観光地などのトイレはいまでも、①洋式はきわめて少ない。②個室は鍵がかからないことが多い。③紙は絶対に置いてない。といった(女性にはかなり困った)状態であるようだ。最近はほとんどなくなったようだが、以前は(簡単な仕切り程度で)個室になっていない、丸見えのトイレというのもけっこうあって(ニーハオトイレと呼ばれていたようだ)、旅行者を大いに驚かせていたらしい。
 つまり、中国人には用を足すのは恥ずかしい行為ではなく、人に見られても平気という生活文化が根付いていたようなのだ。われわれからするとちょっと信じ難い気がするが、文化の違いなのだからとやかく言うべきことではないのかもしれない。

 で、ここが今晩のレストラン。
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 この旅行社では、最後の晩の夕食は「さよならディナー」と銘打って、飲み物代は会社持ちという嬉しい措置を取ってくれている。だからといって飲み過ぎるような野暮はしなかったが、ちょっと高いビールを(妻と)2本ほど飲ませてもらいました。

 ここで、中国のビール事情についても触れておかなければならない。今回の旅では、暑かったこともあって、わたしはずっとビールを飲み続けたのだが、何回か飲むうちに中国のビールは薄いということに気付いたのである。ビンの表示を確かめると、アルコール度数は2.5%とか3.3%とか書かれていて、要するに日本のビールの半分なのだった。どうしてそうなのか判らないが、添乗員に聞いてもらっても、普通の(5%以上の)ビールは置いてないというところがほとんどだった(今晩は違ったが)。
 もう一つ驚いたのは、外のレストランではどこも(今晩は違ったが)ビールグラスを用意していないのだった。要するに普通のコップがあればいいだけなのだが、たぶん老酒(紹興酒)を飲むためと思われる小さなグラスしかないということだった。老酒を頼めば良かったと言われるかもしれないが、老酒(紹興酒)にはあまりいい思い出がないし(ほとんど飲んだことがない)、今回の旅では寝酒用にウイスキーを1本忍ばせて行ったので、食事ではあまり飲まないようにしようと決めていたのである(他に飲む人がいなかったのも大きい)。
 あと、食事の際に水が用意されていなかったのも関係している。これはホテルやクルーズ船でも同じで、毎日ペットボトルの水は(一日2本)支給されていたが、食事時には中国茶は必ず出るのに、水は決して出てこないのだった(頼んでも、ないという答えだった)。お酒(ビール以外)を飲む時はチェイサー(追い水)が必須のわたしにとって、この状況で老酒という選択は考えられなかったのである。

 夕食を終えて外に出たのは7時半ごろだった。再びバスでホテルに戻った。

 ホテルがあるあたりはかつての租界(清代の外国人居留地)があった地域で(さっきのスーパーマーケットの周辺もそうだったようだ)、古い建物も残っているから、引き続き希望者を夜の散歩に案内すると言うので、徐さんの先導でまた出掛けて行った。添乗員はちょっと用事を済ませて後から追いつくということだったが、用事が長引いたのか、なかなか来ないので戻ることになってしまった。
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 建物の説明はされたが、夜なので写真はほとんど撮れなかった。ホテルが近づいたところで、横断歩道があったので、道路の向かいには(樹木に遮られて直接は見えていないが)長江があり、遊歩道と公園がずっと整備されているのが判っていたから、ちょっとそっちの方を散歩したいと言って別行動にしてもらった。

 で、横断歩道を渡り、公園を横切って行くと、
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 予想通り、人がたくさん出ていて、
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 思い思いに夜景を楽しんでいるようだった。
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 長江の水にイルミネーションが映って、非常に美しい夜景だと思った。
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 しばらく眺めてから、満足してホテルに帰った。
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 午後9時ごろだったと思う。

9月12日(水)

 とうとう最終日になってしまった。
 武漢の天気は薄曇り。しかし、気温と湿度は相変わらず高く、ホテル内にいればどうということはないが、煙草を吸いに外に出るとそれが実感される。

 この日は日程に余裕があり(出発が10時)、6時半から朝食は可能だったが、のんびり7時ごろに食べに行った。添乗員の方は朝から、希望者対象で長江沿いの散歩とか、昨日行かなかった人をスーパーにご案内とか忙しかったようだが、空いている時間に部屋に来てもらって、スーツケースなどの計量をお願いした(添乗員は必ず携帯秤を持っているのである)。
 今回利用したLCCというのは、受託手荷物(スーツケース)の重量制限が機内持ち込み手荷物も合わせて15キロ以下となっていて、普通は20キロだから考える必要はないのだが、かなり心配だったのである。スーツケースの大きい妻の方は、事前に5キロプラスの手続きをしておいて(もちろん有料)、あとは中身を調節すれば大丈夫と思っていたのだが、持ち込み手荷物というのが意外に重く、2人トータルで35キロを超えてしまうことが判明した。土産物などが予想以上に重かったのである。
 添乗員が言うには、持ち込み手荷物の方は不問になることが多いということだったので、妻が持参していたリュックに超過分の荷物を入れて、カウンターに行く時にはそれを隠しておくという作戦で行くことにした(実際には持ち込み手荷物が計量されることはなく、超過料金を払う必要もなかったので良かった)。

 スーツケースは9時半までに廊下に出せば良かったのだが、早めに出して、少し長江のほとりに散歩に出ることにした。
 9時ごろになっていたので、地元の人たちの朝の散歩などは終了していたようだ。
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 ローラースケートを履いた人たちが集まって練習をしていた。
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 アイススケートのショートトラックのような練習をしていたから、そういうチームの夏季練習だったのかもしれない。
 長江は、すぐ水辺まで下りて行けるようになっていた。
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 こちらには、昨夜は気付かなかったが船着き場が出来ていた。
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 上の遊歩道の方を歩いて行く。
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 並行して続く公園の方で、太極拳の練習をしている人がいる。
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 しばらく行った先の公園の中に銅像があって、
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 よく見ると「中国鉄道の父」詹天佑(せんてんゆう)の銅像だった。
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 その奥には、蒸気機関車(中国では「火車」と言う)と客車が静態保存されていた。
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 ただ、中国人観光客と思われる一団が、代わる代わる機関車によじ登って記念写真を撮っていたので、それが一段落するまで待たなければならなかった。本当はこちらの角度から撮った方が良かったと思うが、彼らは写真が終わってもこちら側に溜まってなかなか動かないので、待ちきれなくなって向こう側からの写真になった。
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 説明板があったのだが、
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 もちろん中国語で、簡体字も多くてよく判らなかった。ただ、機関車としては(客車も)かなり小さいものだったので、詹天佑(せんてんゆう)が活躍した頃の、比較的初期に走っていたものではないかと推測した。

 詹天佑と蒸気機関車を見ることができて、何となく満足したので戻ることにした(すでにけっこう汗もかいてしまった)。
 帰りは道路の方に出て、旧租界の建物などを見ながら行くことにした。
 これは、特にどうということもない小路。
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 この建物は、
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 なんとか銀行の漢口支店だったようだ。
 こちらは、
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 「漢口美国領事館」とあって、「美国」は中国語でアメリカのことだから、アメリカ領事館の建物だったことが判った。なお、この入口(右側)には「中国武漢人材市場」という看板が出ていて、昨夜徐さんが日本で言うハローワークのようなものだと教えてくれた。
 次の建物も当時のものと思われるが、プレートを写してこなかったので、由緒などは判らない。
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 右手を見ると、窓に生活の気配があるから、当時から集合住宅として使われていたものだったのかもしれない。
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 最後に、これは長江沿いの公園と遊歩道への入口。
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 左手の門に「人民楽園」の文字が見える。うーむ。

 10時にロビーに集合して、バスで空港に向かった。
 車窓から。
 これは「江漢関」という建物で、このあたりはイギリス租界のあった場所のようだ。
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 バスは次第に郊外に出て行く。
 何か大きな道路工事が行われているようだ。
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 一帯は広い沼沢地といった感じで、湖なども点在しているようだ。
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 そうしたところにどんどん杭を打ち込んで、道路などを整備しているようだった。これは、すでに供用開始しているらしい道路のジャンクション。
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 やがて、空港が見えてきた。
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 武漢天河(てんか)国際空港である。
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 バスは一旦この前を通り過ぎ、近くのこの建物(ホテルだったようだ)の駐車場に入った。
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 ここのレストランで、中国で最後の昼食となった。こちらでの食事は、朝食を除けば昼も夜も、すべて円卓を囲んでの中華料理だった。店によって味の違いなどはあったが、基本的に中華料理は中華料理なのであって、本場だから美味くないわけではないのだが、最後には少々食傷気味という感じもあった。

 食事を終えて再びバスに乗り、午後1時ごろ空港に入った。
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 で、ここが問題の受託手荷物預け所のカウンター。
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 結果を言えば、機内持ち込みの手荷物はまったく問題にはならなかった。フライト時間は決まっているのだし、積み込みに要する時間も確保しなければならないはずだから、よほど空いている時でなければ、細かいことは言っていられないということなのだろう。

 まあ一安心という感じで次の手荷物検査(セキュリティーチェック)に向かったが、ここでちょっとした失敗をしてしまった。ライターは引っ掛かるので、スーツケースに入れなければならなかったのである。ライターの扱いは国によって様々なようだが、中国はダメと事前に聞いていたから、往路では言われた通りにしていたのに、復路では重量にばかり気を取られて失念していたのである。それでも、気付かれないこともあるかもしれないと、知らん顔してX線を通したがダメだった。まあ、残量少ない100円ライターだったから、気分は悪かったがあきらめはついた。
 それに、ライターがない時間帯のためにマッチも用意していたから、別に困ることはない。中に入って喫煙所を探した。
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 ここに珍しい設備があった。
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 ライターが持ち込めないのだから、普通なら煙草は吸えないことになる。そのためなのだろう、この左に付いている装置、穴に煙草を差し込むと自動的に点火するのである。わたしはマッチを使うことなく、中国で最後の一服をしたのだった。

 旅行記の最後がこのような写真で終わるのはどうかと思うが、もうこの後は写真がないのだから仕方がない。以下、復路について簡単に記録しておく。
 春秋航空日本IJ1012便は15:10に武漢を飛び立った。
 夕食がカップヌードルだったことは最初に書いた通りである。
 機内でプラス1時間の時差修正を行い、成田に到着したのは20:00だった(所要時間3時間50分)。
 スーツケースが予想以上に早く出てきたので、乗れないと思っていた20:35発の高尾行きリムジンバスに間に合った。で、家から5分のバス停まで、ノンストップで帰ることが出来たのは非常に良かった。おわり。
by krmtdir90 | 2018-10-01 14:10 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑩武漢・黄鶴楼・湖北省博物館(2018.9.11)

9月11日(火)

 武漢で連泊したのは「マルコポーロ」(武漢馬哥孛羅酒店)という、香港に拠点を置くチェーンの五つ星ホテルだったらしい。
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 34階建てのツインタワーが客室になっていて(両側がそれ)、われわれの部屋は7階だったが、窓から斜めに長江の流れを見ることができた。もっとランクの高い部屋もあったのだろうが、ツアー客が入る部屋としては最高ランクと言ってもよく、十分な広さもあって旅の締めくくりとしてはとても良かった。

 この日は武漢市内をバスで2カ所見学する。最初に向かうのは黄鶴楼である。9時にロビーに集合して出発した。
 天気は晴れ。「中国3大ボイラー」の一つと言われる武漢だから、かなり暑くなることを覚悟しなければならない。

 武漢市は、長江の支流である漢江が長江に合流するところにできた町で、人口は1000万人を超えているらしい。ホテルで貰った地図でいま確認しているのだが、武漢は2つの川を境に漢口・漢陽・武昌の3エリアに分かれていて、ホテルは漢口にあり、バスは漢江を越えて漢陽に入った後、さらに長江を越えて武昌にある黄鶴楼に向かったようだ。地図で見ると近いように見えるが、混んでいるところもあったりしてけっこう時間がかかった。
 車窓から。
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 最新の高層マンションに住める人ばかりではなく、どんどん拡大しているという貧富の差を感じさせられるアパートもあるのだ。
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 まず漢江を渡る。
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 向こうに見えているのは亀山電視塔(テレビタワー)というものだったようだ。
 次に長江を越える。
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 橋は武漢長江大橋という鉄道道路併用橋だった。下部に鉄道線路が通っていたようだ。

 中国に来てから、至るところでスローガンが書かれた看板や横断幕を見て来た。こんなところにまで!と思うようなものもあって、これには最後まで慣れることができなかった。簡体字とはいえ、漢字の意味が何となく判ってしまうのも良くなかったと思う。
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 「国家富強、民族振興、人民幸福」といった文字が見える。中国の人たちはこういうのをどう感じているのだろう。旅行者としては辟易とするばかりだったが、中にいると感じなくなってしまうのだろうか。何とも押しつけがましいし、何より美しくないと思った。

 バスを降りたのは10時ごろだったと思う。
 こちらが黄鶴楼公園の入場券売場(だと思う)。
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 一人っ子と母親。
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 この石段を登るようだ。
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 途中で振り返る(この右手から入って来た)。
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 上の建物にゲートがあって、
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 入ってから、また石段を登った。石段の上がカート乗り場になっていてホッとした。

 移動してカートを降りたら、いきなり黄鶴楼が見えた。
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 あたりは観光客でけっこう混み合っている。しかし、われわれはすぐそちらに行くのではなく、反対側の道の脇にあるこの詩碑の前で説明を受けた。
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 崔顥(さいこう)の「黃鶴樓(こうかくろう)」という詩で、黄鶴楼にまつわる伝説に触れたものである。「昔人已乘黃鶴去/此地空餘黃鶴樓/黃鶴一去不復返/白雲千載空悠悠/晴川歴歴漢陽樹/芳草萋萋鸚鵡洲/日暮郷關何處是/煙波江上使人愁」。現代仮名遣いの平仮名で書き下すと、次のようになる。「せきじんすでにこうかくにじょうじてさり/このちむなしくあますこうかくろう/こうかくひとたびさってまたかえらず/はくうんせんざいむなしくゆうゆう/せいせんれきれきたりかんようのじゅ/ほうそうせいせいたりおうむしゅう/にちぼきょうかんいずれのところかこれなる/えんぱこうじょうひとをしてうれえしむ」。
 伝説というのは次のようなものである。辛という人が営む酒屋に貧しい身なりの老人が現れ、酒を飲ませてほしいと言った。辛は嫌な顔もせず飲ませてやった。それが半年ほど続いたのち、老人は金がないので溜まった酒代は払えないと言い、代わりに蜜柑の皮で壁に黄色い鶴の絵を描いて去って行った。やがて、その鶴が客の手拍子に合わせて舞い出すというのが判り、評判となって酒屋は大繁盛し、辛は大金持ちになった。十年ののち、老人が再び店に現れ、笛を吹くと壁の黃鶴が抜け出して、老人はその背に乗って白雲の彼方に飛び去った。老人は仙人だったのである。その後、辛はこの地に楼閣を建て、黄鶴楼と名づけたという。

 実際の黄鶴楼は呉の時代に物見櫓として建てられたものだったようだが、その後は破壊と再建が繰り返され、現在のものは1985年に再建されたものだという。
 で、その黄鶴楼だが、前庭のスペースがそんなに広くなく、人影が途切れることもないので、なかなか思うような写真は撮れなかった。
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 楼の正面には鐘楼?のようなものがあったが、
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 こちらには行かなかった。

 黄鶴楼の中に入る。
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 1階には大きなタイル画?が架かっていて、仙人が鶴に乗って飛び去るシーンが描かれていた。
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 実は黄鶴楼には、この右手に高齢者の利用を想定したエレベーターが一基設置されていて、われわれのツアーはこれで5階まで行き(直通運転なのだ)、下りはまたエレベーターで戻る者と、階段で各階を見ながら戻る者とに分かれる計画になっていた。われわれはもちろん階段を選んだが、行動が自由になるのは大変良かった。
 5階からの眺め。
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 黄鶴楼は蛇山という高台にあるから、要するにここは武漢市街を一望できる展望台なのだった。とりわけ素晴らしかったのがこちらの眺め。
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 長江と、先ほど渡って来た武漢長江大橋が見えている。橋の上段だった道路が左側に出て、下段の鉄道線路が右に来ているのが判る。間に見えているオレンジ色の屋根は西門で、こちらは駐車スペースなどがないから、われわれは反対側の観光客用に整備された入口から入って来たのである。
 次はもう少し左を見たところ。
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 さっき大橋の上から見えた隣の赤い橋が見えている。
 周囲の欄干に沿って回っている時、下の線路を流線型の列車が通過して行った。
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 あわててシャッターを切ったのだが、原板を拡大してみると、車体に「CRH」と「和諧号」の文字が(「諧」は簡体字だったが)読み取れた。中国の高速鉄道である。これ、写せたの、すごく奇跡的だったんじゃないか!

 このあとは順に階段を下りて行った。楼の内部には階ごとにいろいろな展示があったのだが、4階には何かよく判らない大きな絵が掛かっていた。
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 この階で、さっき入口のところで写真を撮らせてもらった母子とまた出会った。
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 急に抱き上げられたので、男の子は驚いてしまったようだ。
 4階からの眺め。
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 ↑これは最初に黄鶴楼を見上げた場所である。石段の上の奇妙な鐘楼?(調べたら千年吉祥鐘と言うらしい)も見えている。その向こう、頂上らしきところにある建物は白雲閣と言うようだ。あと、左がカートを降りたところで、木の陰にカートが止まっているのも見える。
 武漢長江大橋の方に回って行くと、ちょうど貨物列車がやって来るところだった。
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 かなり望遠で撮ったので、列車が陰に入ったところでレンズを戻すとこんな感じ。
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 西門と、その手前の公園である。このあと、右側に列車が顔を出すのを追って、
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 列車が走り去るのを見届けた。原板を拡大すると、先頭の電気機関車の側面にも「和諧」の文字が読み取れた。調べてみると、「和諧」は調和・ハーモニーの意で、高速鉄道の名前になっているという記事はあるが、貨物を牽引する機関車についての記述は見つけられなかった。

 階段を下りる(ちょうど人が途切れたので撮ってみた)。
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 3階には黄鶴楼に関する文学作品などの資料が展示されていた。漢詩のコーナーもあって、さっきの崔顥(さいこう)の詩もあったが、李白のこの詩も紹介されていた。
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 黄鶴楼と言われてわたしがすぐに思い出すのはやはりこちらの方で、今回の旅ではこの感じを少しでも確かめられたらという気分も少しだけあったのである。
 「黃鶴樓送孟浩然之廣陵(こうかくろうにてもうこうねんのこうりょうにゆくをおくる)」
 「故人西辭黃鶴樓/烟花三月下揚州/孤帆遠影碧空盡/惟見長江天際流」。
 現代仮名遣い・平仮名の書き下し文、「こじんにしのかたこうかくろうをじし/えんかさんがつようしゅうにくだる/こはんのえんえいへきくうにつき/ただみるちょうこうのてんさいにながるるを」。
 これは、しみじみといい詩だなあと思うのである。

 2階には岳陽楼の時と同じく、いろいろな時代の黄鶴楼の姿がミニチュアで展示されていた。
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 これは現代の姿で、西門の方から見たところ。
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 以下、清代。
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 明代。
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 元代。
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 宋代。
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 唐代。
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 やはり、各時代でまったく姿を変えていることが判る。李白が登楼した唐代のものは2層だが、周囲の建物に比べて層そのものが高く作られているようで、詩のような景色は十分に見ることができたと考えられる。

 1階に下りた。1階にはショップなどもあって、
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 黄鶴楼は、建物としてはもはや昔とはまったく関係がない、記念の観光施設になってしまっているようだった。だからエレベーターも付いていたのだし、昔の建物が残っていない以上、こうしたあり方も仕方がないことなのだろうと思った。
 またカートで元のところに戻り、外に出てバスに乗ったのは11時40分ぐらいだったと思う。

 バスでちょっとだけ移動して昼食場所に向かった。バスはやや離れたところに停まったので、少し歩いた。
 何かいろいろな穀物のようなものを売っていた小父さん。
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 こちらでは月餅などを売っている。
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 レストランはここ。
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 撮影時刻は11時55分だった。

 昼食を終えて外に出たのは午後1時過ぎ。再びバスに乗って午後の見学地に向かう。午後は黄鶴楼と同じ武昌エリアにある湖北省博物館である。
 橋を渡った。
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 見えているのは川ではない。武漢の地図を見て驚いたのは、市内のあちこちに大小とり混ぜた多くの湖が散らばっていることだった。恐らく長江の流域が変遷したのと関係しているのだろうが、これもそうした湖の一つだったと思われる(それにしてもこの横断幕、美観を損ねているとは思わないのだろうか)。

 到着。この写真の撮影時刻は午後1時39分。
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 なんか博物館とは思えない偉容である。
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 中に入ると、これも博物館とは思えない吹き抜けの広々としたロビー。
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 帰ってから確認してみると、この湖北省博物館には旧石器時代から近現代に至る文化財約20万点が収蔵されており、広い館内にはテーマ別の様々な展示室があったようだ。もちろん限られた時間で全部を回ることはできないから、専属の説明員(中国語)とともに最も見どころとされる部屋だけを見学した。説明員の言葉をガイドの徐さんが翻訳してくれるかたちだったが、あまりちゃんと聞いていたわけではないので、やはり帰ってから調べて書かなければならない。

 見学したのは、春秋戦国時代の楚の遺跡の一つ、曾侯乙墓(そうこういつぼ)という墓から出土したものの展示だったらしい。入口。
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 写真はたくさん撮ってきたが、解説などはできないので、印象的と感じたものを以下に並べてみる(どれも青銅器である)。
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 これらは礼器と総称され、食器であるとともに祭器という側面も持っていたようだ。
 大きなものもある。
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 これらは酒器(甕)として使われたものらしい。
 次は驚いた。「編鐘(へんしょう)」という古代の楽器で、
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 木の棒で叩いて音を出すものだったらしい。
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 立てかけてある棒と一段目の上に置かれている棒がそれである。
 鐘は全部で65点あり、完全なかたちで見つかったのは初めてだったらしい。発掘された後、何回か実際に演奏されたようだが、中国にはこの時代から「七音音階」(よく判らないが)が存在していたことが証明されたのだという。
 いろいろな楽器も見つかったようだ。
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 鎧(馬に着せる鎧もあったのだ)。
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 以下は陶磁器と思われる。
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 小物。
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 大変充実した展示だったと思う。旧石器時代の部屋などもあったようだから、時間があればもっといろいろ見たかったが仕方がない。館内案内のような簡単なパンフレットがないか徐さんに聞いてもらったら、いまは紙に印刷したそういうものは時代遅れになっているようで、スマホにQRコードを読み込むと、音声ガイド付きの案内が出てくるような仕掛けが出来ているということだった。

 外に出て、バスに乗った時には午後3時半を過ぎていた。
 帰る途中にまた長江を渡ったが、朝とは反対側だったので別の橋が見えた。
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 ホテルに戻ったのは午後4時ごろだった。

 この日はまだ続きがあるのだが、一旦ここで区切ることにする。
by krmtdir90 | 2018-09-30 12:12 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑨岳陽楼~赤壁~武漢(2018.9.10)

9月10日(月)

 岳陽の朝。6時半から朝食が可能だったので、サッと出掛けてサッと食べて、食後の一服をしにホテルの前に出た。天気は曇りだったが、比較的明るい曇り空で、雨の心配はなさそうだ。
 ホテルの前の道をオート三輪が走って行く。
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 オート三輪の姿はあちこちで見かけた。電動バイクの普及などがある一方で、こうした古い乗り物も利用され続けているようだった。
 鉄道の岳陽駅。
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 駅ということが判っていれば見に行ったと思うが、岳陽は一泊だけだったし、宿泊中は知らなかったのである。
 ホテル外観。
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 短い滞在だったが、部屋も広く、使いやすいホテルだったと思う。

 8時15分にロビーに集合して、バスで岳陽楼に向かった。
 町の様子。
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 バスは20分ほど走って、岳陽楼の駐車場に入った。
 駐車場を挟んで、反対側にちょっと行ってみたい感じの小路があった。
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 岳陽楼の入口はこちら。
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 入ったところに小さな噴水と池があり、「五朝楼観」という石碑とともに、五つの時代の岳楊楼の姿がミニチュアで作られていた。
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 岳陽楼が最初に建設されたのは後漢末期だった(洞庭湖で呉の水軍を訓練する際の閲兵台として作られた)ようだが、その後幾度となく戦乱などに翻弄され、その度に新たな姿で建て替えられてきたらしい。行きと帰りに一応五つを撮ってきたので並べてみる(プレートに時代が記載されていた)。
 宋代。
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 唐代。
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 時代不明(プレートを撮り損ねた)。
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 明代。
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 元代。
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 時代によってまるで違うではないかと思ってしまうが、前代の姿に復元するという発想はそもそもなかったということだろう。現在の岳陽楼は清代に再建されたもののようだが、この五つのどれにも似ていないことがこのあと判るのである。

 歩いて行くと、何やら回廊のような建物があり、
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 その先の壁に詩を刻んだ石板が埋め込まれていた。
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 毛沢東の揮毫なので読み取りにくいのだが、これは杜甫の律詩「登岳陽樓(がくようろうにのぼる)」だと説明された。言われてみると、飛び飛びにだが判読できる文字もある。
 「昔聞洞庭水/今上岳陽樓/呉楚東南圻/乾坤日夜浮/親朋無一字/老病有孤舟/戎馬關山北/憑軒涕泗流」。また、すべて現代仮名遣いの平仮名で書き下しておく。「むかしきくどうていのみず/いまのぼるがくようろう/ごそとうなんにさけ/けんこんにちやうかぶ/しんぽういちじなく/ろうびょうこしゅうあり/じゅうばかんざんのきた/けんによりてていしながる」。

 また歩いて行く。
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 このカラフルな傘は、向こうにいる小父さんが土産物として売っているらしい。
 この門をくぐると、
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 左手に洞庭湖が見えているのだが、
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 曇り空の下では、どうももう一つパッとしない感じだった。
 周囲に幾つか建物があり、
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 中央に現在の(清の時代に作られた)岳陽楼が建っていた。
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 やや角度を変えて。
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 この大きく反り返った屋根のかたちは、清代の建築の大きな特徴になっているらしい。

 楼の中に入った。正面に岳楊楼の概略が書かれた(たぶん)ボードが立っていた。
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 階段を上って最上階へ(3層だからたいしたことはない)。
 ここに毛沢東揮毫の「登岳陽楼」が掲げられていた。
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 どうやらこちらが本物で、さっき見たのはレプリカだったようだ。
 ほら、見てごらん。
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 楼上からの洞庭湖の眺め。
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 曇っていたからぼやけた印象になってしまったのかもしれないが、ここからの眺めを「呉楚東南圻/乾坤日夜浮」(呉の国と楚の国はこの湖で東と南に隔てられていて/水面には天地宇宙の万物が日夜を分かたず姿を映している)と詠んだ杜甫の感性は、少し大袈裟なのではないかと感じてしまうのである。けっこう何度も取り上げた詩だったが、この詩の良さをわたしはあまり理解できない気分があったように思う。

 楼から下りて、今度は楼の左手に回り込んで行った。↓これは岳陽楼の左側面である。
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 この門はさっきくぐったものとは別の門だったと思う。
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 この先に小喬(しょうきょう)の墓というのがあった。
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 これは三国志関連の旧跡で、わたしは興味がないから知らなかったが、小喬は呉の武将・周瑜(しゅうゆ)の妻で、絶世の美女と言われた女性だったらしい。赤壁の戦いを描いた「レッドクリフ」という映画があったようだが、その中にも主要なヒロインとして登場していたようだ。まあ、わたしは映画も見ていないし、まったくどうでもいいことだったのです(だいたい、昔のお墓がこんなふうに残っているわけないじゃないか)。

 さて、楼の裏手にトイレがあり、早く済ませて裏側を写真に収めに行ったら、
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 ここは表の地面より一段低くなっているようで、楼の下に向こう側に抜ける通路があるのを見つけた。
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 で、先に出て来ていた幾人かと行ってみることにした。
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 そのまま階段を下りれば洞庭湖の岸辺に通じているようだった(行かなかったけれど)。さっき楼上からの眺めを写した写真で、記念写真を撮っているカメラマンの後ろが手前に切れ込んでいたが、この下に通じていたらしい。
 何となく満足した気分になって戻った。
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 出口(入口に同じ)に向かう途中で、洞庭湖をもう一枚。
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 五朝楼観のところで写真を撮っていた親子。
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 親子連れの姿をあちこちで見かけたが、中国ではずっと一人っ子政策が続いたから、子どもは常に一人しかいないのだった。どの子もとても大切にされている感じで、でも二人三人を引き連れた姿がまったく見られないのはやはり変な感じがした。

 最後に、駐車場の反対側にあった小路を一枚。
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 さっきはまだ店があまり開いていなかったが、今度はなかなかいい感じになっていた。
 駐車場を出たのは10時25分ぐらいだった。

 このあとバスは、午後の見学場所である赤壁古戦場に向かう。
 始め岳陽の市中を走っていたが、
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 やがて町の外に出て、高速なども使いながら走った。途中、風力発電の風車を見かけた。
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 帰ってから調べてみると、中国の電源別発電比率は2017年のデータで、火力69.7%、原子力3.9%に対し、自然エネルギーは26.5%となっていた。その内訳は、水力18.6%、風力4.8%、太陽光1.8%、バイオ1.2%となっていて、中でも近年は風力発電の伸びが顕著のようだった。火力・原子力から自然エネルギーへの転換が強力に推し進められているらしい。

 赤壁古戦場に着いたのは12時35分ごろだった。入口に近いレストランでまず昼食となった。
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 食事を終えて入口に向かう。
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 レストランの外装もそうだったが、この入口の雰囲気にも若干の違和感を覚えて、添乗員に「中には何があるの?」と聞いてみた。すると、「テーマパークですよ」という答えがサラリと返ってきて(正直な人だ)、「う~ん」という気分になった。まあ、仕方がない。

 かなり広い敷地にいろいろなものが作られていたが、われわれは入ってすぐのこの前から、
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 例のカートを使って主なところを移動したので助かった。
 最初に行ったのはここ。
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 資料館みたいなものだったが、当時の遺物が残っているわけもなく、中には人形やパネルを使って赤壁の戦いのことが展示されていただけだった。いろいろ説明はされたが、興味のない授業を聞かされる生徒の気持ちといったところか。

 ここを出たあと、次は(確か)徒歩でここに行った。
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 一応、ここがメインの場所である。この石段を下りるらしい。
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 下りたところは長江に面したテラス状の場所で、
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 ありました、「赤壁」の赤い文字。
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 ここで赤壁の戦いが行われたというのだが、要するにこれだけである。三国志などを読んで、戦いの詳細を熟知している人ならそれなりの感慨もあるのかもしれないが、わたしはそういう人ではない。だが、せっかく来たのだから、この文字を背景に記念写真を撮ったりした。でも、それで終わりである。石段は下りるよりも上る方が辛かった。 

 次にこの建物に行った。
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 ここにもけっこうな石段があって、
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 下から見上げた写真の方がいいのだが、途中に妻が立っているので使えない。
 入口の文字は、上が「拝風臺(台)」、下が「武侯宮」である。
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 「武侯」というのは諸葛孔明の諡(おくりな)で、建物の奥に諸葛孔明が祀られていた。
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 ここはお線香を上げてお参りできるようになっているらしく、右の方にいた小父さんから添乗員がお線香を買ってくれたので、順番にお参りをしてきた。なお、一枚目の写真で、手前に並んだ3つの像は、殷の時代の王で、左から禹、堯、舜の三人だったようだ。
 あと「拝風臺」の意味だが、赤壁の戦いにおいて、長江に浮かんだ曹操の船団を火攻めにするために、諸葛孔明がここで(有利な)南風が吹くのを祈願したということらしい。もちろん当時の建物が残っているわけもないから、これは後世になって記念のために建てられた建物と思われる。

 石段の前からカートで最初の場所に戻った。以上で赤壁の見学は終了である。
 外に出てバスに乗ったのは午後3時50分ごろだったと思う。今晩の宿泊地・武漢まではまだ160キロほどあるという。この日も予定よりかなり遅い到着になりそうだ。

 前回のモロッコ旅行と今回の旅行とを比べて(比べても仕方がないのだけれど)、決定的な違いはバスの車窓だったと思う。モロッコは面白過ぎたのかもしれないが、中国の車窓風景は総じて平凡で驚きに欠けていた気がする。写真の枚数も少なく、まあ何枚か載せておくが、帰って来て見直してみてもあまり甦ってくるものがない。
 高速の途中でトイレ休憩を取ったサービスエリア(5時16分撮影だった)。
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 このあたりはだいたい平坦な土地で、長江の流れから取り残されたような湖が散在しているようだった。そのうちの一つだろうか。
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 右寄りの看板に「梓山湖」の文字が見える。
 開発の波から取り残されたような街並み。
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 何となく埃っぽい感じがしていたが、少し先で大規模な道路工事が行われていて、バスはもうもうたる砂塵の中を通り抜けた。
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 狭い通りを通った時、バスが一時停止したので撮ってみたが、すでに夕暮れ時なので(6時31分撮影)、歩いている母子はブレてしまった。
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 すでに武漢のエリアに入っているようだ。
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 夕暮れ迫る長江。
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 6時39分撮影なので、みんなブレてしまった中でなんとか見られる一枚である。
 市街地に入って行く(6時50分撮影)。
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 レストランの近くでバスを降りたのは7時10分ごろだったか。
 そして、食後に外に出て撮ったこの写真が8時36分(けっこう時間がかかったが、この日は料理が出てくるのがゆっくりだったのである)。
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 レストランはこのビルの何階かにあった。
 あたりはかなり繁華な通りである。
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 再びバスに乗って、ホテルに着いたのは午後9時18分だった。
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 フロントで手続きをしている、
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 白いポロシャツの男性が添乗員、左にいる黒っぽい服の女性がガイドの徐さんである。宜昌で入れ替わって帰りの空港まで同行した彼女は、なかなか気さくでハキハキした人だったので良かった。
by krmtdir90 | 2018-09-28 19:00 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑧長江5・三峡ダム~宜昌~岳陽(2018.9.9)

9月9日(日)

 三峡の3番目に当たる西陵峡(せいりょうきょう)は、途中に三峡ダムが出来たことでその景観を大きく変えてしまったようだ。それでも三峡クルーズは、ダムに付随した5段式閘門(こうもん)を通過することで継続していたが、つい最近になって貨物船以外はこれを利用することが禁止され、船はダムより下流には行けなくなってしまったらしい。これは船を垂直に昇降させる巨大エレベーターが2016年に完成したことが関係していて、クルーズの乗客はすべて、これ専用の船に乗り換えて下流に移動することになってしまったのである。
 このため、従来は下流の宜昌(ぎしょう)まで行って昼ごろ下船となっていたものが、朝に下船して専用の船に乗り換えるというふうに変わってしまっていた。添乗員もこのやり方は初めてだと言っていたが、この日は朝6時から朝食、7時半から下船開始というタイトなスケジュールになっていた。スーツケースも6時までに廊下に出さなければならなかったが、まあ、高齢になってからは朝早いのはそれほど苦になることではないのですね。

 チャイナゴッデス1号は、すでに三峡ダムの乗り換え用船着き場に停泊している。
 朝食を終えて、7時ごろサンデッキに行ってみた。
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 この日もいい天気で、暑くなりそうだった。
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 周囲にはわれわれと同じようなクルーズ船が何隻も泊まっていた。↑この写真、ちょっと判りにくいが、右寄りのはるか後方に三峡ダムのコンクリート壁が見えている。

 7時半から順次下船となった。そのまま浮き桟橋を伝って、エレベーター通過のための専用船に乗り込む。
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 この船には、今朝集まっていたクルーズ船の乗客がみんな乗船することになるらしい。ので、われわれが行った時には2階の比較的ゆったりできるソファは全部埋まってしまっていて、1階の何とも味気ない席に座ることになってしまった。まあ、仕方がない。
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 8時に船は桟橋を離れた。
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 座席のある大部屋は両側が大きなガラス窓になっていたので、しばらくはそこで写真を撮っていた。
 船はゆっくりとダムに近付いて行く。↓これは従来利用していた5段式閘門(こうもん)の上部と思われる(左側の窓から)。
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 ここを通り過ぎて、船は新たに利用する船舶エレベーターの方に向かっているようだ(右側の窓から)。
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 前方にそれがあるようだが、ここの窓からはその姿は見えていない(右側の窓)。
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 船はどんどん進入して行く(右側の窓)。
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 中に入ったようだ(左側の窓から)。
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 頑丈そうなワイヤーが何本も並んでいるが、これでエレベーターを昇降させるのだろう。
 インターネットで調べてみると、長さ120メートル、幅18メートルの巨大なプールに水と一緒に船を浮かべ、1200~1300トンの総重量で高低差最大113メートルを昇降させるのだという。三峡ダムは世界最大のダムとは言えないようだが、こちらは世界最大の船舶エレベーターだと繰り返していた。
 船が停止した。
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 プールの中に完全に入ったということである。

 ここでわたしはやっと気がついた。この1階の大部屋では人の動きがあまりないが、船には当然上部デッキが付いているはずではないか。で、妻と一緒に急いで階段を上った。
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 もっと早くここに来ていればよかったと後悔したが、考えが回らなかったのだから仕方がない。デッキにはすでに人がいっぱい出ていた。改めて、このエレベーターの巨大さを実感した。
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 われわれが出たのは後部デッキだったが、すでに船が進入して来た水面との間に仕切り壁が出現していた。
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 間もなくエレベーターが下降し始めた。
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 どんどん下降していく。
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 側面のワイヤー部分。
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 こんなに下がってしまった。
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 この壁の向こう側は水で、ものすごい水圧がかかっているということである。

 ここでまたわたしは気がついた。こちらにあるのだから、前部にもデッキが付いているはずではないか。前方にはまだ水はないのだから、そちらが見通せているのではなかろうか。で、売店や飲食スペースの並ぶ屋内部分を抜けて、急いで前方に移動した。
 前部デッキはもっと混み合っていて、撮影できるところを確保するのに苦労した。
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 それでも、下降して行く最後の段階は写すことができた。
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 下の水面とほぼ同じ高さになったようだ。
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 エレベーターの動きが止まった。
 この高さを降りて来たのである。
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 仕切り壁がなくなるところは見逃している。たぶん水中に沈んで行ったのだろう。
 遮断機が上がっていく。
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 向こうの水面と完全につながった。
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 船はゆっくりと進み始めた(振り返ったかたちで上を見ている)。
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 これが前方。
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 カメラのデジタル記録を確認すると、船がエレベーター内にいたのは25分ほど、昇降に要した時間は9分ほどだったと思われる。

 ここで再びわれわれは後部デッキに移動した。エレベーターを出るところは、後ろから見た方が施設全体を捉えられると思ったからである。
 後部の仕切り壁が見えている。
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 写真だとなかなかスケールが伝わらない気がするのだが、ここに大きな船が入って降りて来たのである。
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 遮断機が閉まろうとしている。船は水路の方に出て行く。
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 デッキも空き始めていたので、エレベーターを背景にして記念写真を撮ったりした。
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 そのあと1階の大部屋の方に戻った。
 船は5段式閘門(こうもん)の前を通過した。
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 こちらからだと5段になっているのがよく判る。
 このあと船はダムの下流の長江を少しだけ航行した。
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 10時40分過ぎに船着き場に着いた。順次下船。
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 堤防の上にバスがたくさん停まっている。
 われわれが乗った船は長江三峡5号というものだったようだ。
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 このあとは、バスで5~6分走ってダムに近い建物に連れて行かれ、全員が空港で行うような持ち物検査を受けた。ダムの敷地内は厳重に警戒されているということらしかった。
 チェックの後は別のバスに乗り換え、また5~6分走って山の上の展望台に向かった。
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 ここは壇子嶺展望台というところだったようで、バスを降りると三峡工程模型室という建物があり、
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 この中で模型を前に説明を聞いたあと、
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 斜面に設置されたエスカレーターを乗り継いで上に上った。
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 そこには噴水があり、
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 右手にドーム状をした展望台が建っていた。その上からの眺め。
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 ダムを望遠で。
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 距離が遠く、船舶エレベーターの建物が邪魔になってしまって、それほどの眺めとは思えなかった。
 反対側には5段式閘門(こうもん)も見えていたが、これも構造が判る感じではなかった。
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 下に下りて、帰りがけに撮った一枚に展望台の建物が写っている(左)。
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 このあとは、この緩やかな坂を徒歩で下りた。
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 途中でダムがよく見えるところがあった。
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 5段式閘門(こうもん)も。
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 こちらは上流側である。
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 これは移動用カートの乗り場。
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 カートに乗る時、列の関係で2台に分乗となってしまった。先のカートに乗ったので、降りたところで写真が撮れた。
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 かなり水面に近いところに来ている。すぐに次のカートもやって来て、
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 徒歩で向かった先がここ。185展望台と言うらしい。
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 ここはダムにぐっと近付いた展望台で、
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 185というのは、ダムの堤高である185メートルと同じ目線で見ることができるという意味だったらしい。
 ここで記念写真を撮ったりした。

 以上で三峡ダムの見学は終了したが、大きいことは判ったが、ダムとしての魅力はあまり感じられなかった。わたしの好きなロックフィルダムや、コンクリートでもアーチ式ダムの美しさにはかなわないと思った。
 また、このダムには、建設途上で140万人が強制移住させられたとか、三峡を始め多くの名所旧跡や文化財が水没したとか、様々なマイナスイメージがついて回り、あまり好感は持てない気分があったのである。完成後も、川岸で地滑りや崖崩れが頻発したり、水質汚染が生態系に悪影響を及ぼしているなどと指摘され、手放しで喜べない様々な問題が発生しているようだった。わたしも実際に来てみて、石宝寨や白帝城の現況に触れ、三峡の状況を見た後では、このダム建設が本当に意義あるものだったのか、疑問を感じないではいられなかったのである。

 さて、この日の午後は移動になっていた。まず、バスは長江下流の宜昌(ぎしょう)に向かった。
 宜昌市内に入って少し走ったが、建設中の高層マンションが少し見られた程度で、
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 比較的低層の、古いマンション(アパート)などが多い感じだった。
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 12時50分ごろ、バスは長江沿いの三峡遊客センターという建物の駐車場に入って行った。今朝チャイナゴッデス1号を下船した後、別便で陸路を運ばれたわれわれのスーツケースがここに届いていて、グループごとにこれをピックアップしてから、それぞれのコースに分かれて行くという段取りになっていた。また10人のツアーに戻ったのである(ただし、このあともコースが重なっているグループがけっこうあったようで、いろいろなところで顔を合わせることになった)。
 ここは短時間で終わるはずだったようだが、ここで乗り継ぐバスが到着していなかったり、ここで交代するはずの次のガイドも遅れたりといったことが重なり、出発までに思いのほか時間がかかってしまった。で、昼食のレストランに到着したのは午後1時40分過ぎだった。
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 レストランを出たのは2時半ごろだったか。以後は高速道路などを使いながら、今晩の宿泊地・岳陽に向かった。
 途中で立ち寄った2つのサービスエリア。
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 空はすっかり曇ってしまったが、雨の心配をする感じではなかった。↑この2枚目の撮影時刻がちょうど午後6時である。

 岳陽の市内に入った頃には、あたりはすっかり暗くなってしまっていた。計画ではホテルに入ったあと改めて夕食に出ることになっていたが、遅くなったので、直接レストランの前にバスを着けてくれた(この左手に店がある)。
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 店に入ったのが午後7時、出たのが8時ごろだった。
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 ↑これ、店の写真だが、なぜかものすごい露出不足で、かなり修正したのだがこのくらいまでしか改善しなかった(下の方がモノクロのようになってしまった)。
 店の前の通り。
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 この通りを右に少し歩くとホテルがあるということだった。
 見えてきた。
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 岳陽大酒店。
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 ホテルの前は交差点になっていて、その先に見えていたこれは、行ってみることはできなかったが鉄道の岳陽駅だったようだ。
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 部屋に入ったのは8時半に近かったと思う。

by krmtdir90 | 2018-09-27 17:24 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑦長江4・三峡(2018.9.8)

9月8日(土)続き

 12時少し前に、チャイナゴッデス1号は白帝城の船着き場を出航した。
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 船はこれから三峡の一つである瞿塘峡(くとうきょう)に入って行くのである。
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 とりあえずサンデッキに出てみたが、この船は乗客数が多い割にサンデッキが狭く、さらにイルミネーションなどの障害物が周囲を遮るかたちになっていて、写真撮影に適したところは限られるためかなり混み合っていた。豪華クルーズ船を謳うにしては大事なところの作りに配慮がなく、日除けもないから、日差しを直に受けて暑かった(晴れていたのは良かったんだけどね)。

 前方に、午前に見学した白帝城が近付いてきた。
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 橋とは反対の方を通り過ぎて行く。
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 さっき展望台から見た蘷門(きもん)に入って行く。
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 川に張り出した桟道のようなものが見えた。
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 観光用に架けられたものだろうか。
 蘷門(きもん)の特徴的な岩山を過ぎて行く。
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 水面に接する岩山の下部が白っぽくなっているが、
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 増水時にはここまで水が来るということだろう。
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 すでに瞿塘峡(くとうきょう)に差し掛かっている。
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 三峡ダムが出来たことでこのあたりの水位がどのくらい上がったのかは判らないが、ダムの地点で100メートル以上、重慶でも6メートル上がったということだから、たぶん5~60メートルは上がっていると考えられる。少なくとも、いま見えている水面より遥か下方に流れがあったことは確かで、両側の崖も急峻なまま、もっとずっと深い谷底に落ち込んでいたのだろう。
 急流が連続した三峡だったからこそ、「千里江陵一日還(千里も離れた江陵までたった一日で帰って来た)」という李白の詩句も成立したのである。

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 いまの景色からも、このあたりが「萬重(ばんちょう)の山」に囲まれた渓谷だったことは理解されるが、これはもう昔の姿ではないと思うと非常に残念な気がした。水位が上がったからこうした大型船でクルーズできるようになったのも事実だろうが、次々に現れる岸の岩山の景観は、どうしても物足りないように感じてしまうのをどうすることもできなかった。
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 デッキではガイドがマイクで説明してくれているのだが、次の写真。
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 急斜面に畑が作られていて、矢印のところに一軒の家があるのだという。隔絶されたこんなところに住んで、野菜などを作って生活している人がいるらしい。
 反対側の斜面にも畑があって、その下に船着き場ができていた。
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 これが唯一の交通手段になっているらしい。
 12時半を過ぎた。
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 瞿塘峡(くとうきょう)も終わりが近い。瞿塘峡は三峡の中では最も距離が短く、約8キロということだった。

 昼食の準備が出来たという放送があったので、三々五々2階のレストランに下りて昼食となった。
 食後は船室で休憩した。しばらくは三峡の中休み区間のようなところで、以下は船室のベランダからの景色。
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 町が見えてきた。
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 この町は、三峡ダム完成後に、水位の上昇に合わせて新たに作られた町と思われる。
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 川の水位が上昇したことによって、水面下に沈んだ町や村もたくさんあったのだろう。
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 午後1時50分ごろ(だったと思う)、三峡2番目の区間・巫峡(ふきょう)に入るという放送があった。ベランダに出てみた。これが前方、
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 これが後方である。
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 放送はサンデッキへお越しくださいと言っていたが、たぶん混み合うだろうし、ベランダからでも十分見えると判断して部屋にとどまった。われわれの船室は進行方向左側にあって、ちょうど順光の状態で景色を見ることができたからである。ガイドの説明は聞けないから見どころを外しているかもしれないが、まあ、それでもいいではないか。

 それにしても、素晴らしい天気になったものである。
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 写真もたくさん撮った。並べ始めるときりがないのだが、まあいいだろう。
 はるか高みに、岩山から張り出したような道が出来ている。
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 山頂には見晴台のような小さな建物が2つ建っていて、左の方から登って行く階段状の道もついている。さらに船が進んで行くと、道の起点になるあたりに何か立派な建物があるのが見えた。
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 向こう側から到達するようになった展望台と遊歩道といった感じだろうか。
 巫峡(ふきょう)は全長40キロもあるということで、次々に変化のある光景が展開した。
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 周囲の山々は褶曲作用で出来たものらしく、地層(節理と言うのか)がそのまま見て取れるところがたくさんあった。
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 節理の境目(割れ目)に沿って植物が生えているので、その傾きなどがよく判った。
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 様々な岩山。
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 萬重(ばんちょう)の山である。
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 次は、観光客向けに作られた、船で立ち寄る展望施設だろうか。
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 こちらの中腹(左寄り)に見えているのは何だろう。
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 展望台にしては小さい感じだし、それに、どうやってここまで行くのか判らない。
 ほとんど垂直に切り立った崖。
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 こちらでは、斜めになった地層(節理)がそのまま水中に没して行っている。
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 その先端に、やはり船で行くらしい建物が。
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 建物から左上に向かって階段が付いていて、その先に展望台のようなものが見えている。
 時折、何かの作業船や貨物を載せた船とすれ違う。
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 進行方向の景色。
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 こうして両岸が見えていると、どうしても水面が上昇する前の、このままさらに6~70メートル下まで落ち込んでいた岩壁のことを想像してしまう。いまでも十分に凄いことは判るが、昔はもっと、信じられないくらい凄い峡谷だったのだろうなと考える。それがダムによって失われてしまったというのは、取り返しのつかない損失だったのではないだろうか。

 午後2時半ごろ、船は速度を緩め、大きくUターンするようにして、水面に浮かんだ船着き場に近付いて行った。
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 ここで小さな船に乗り換えて、神女渓(しんにょけい)という支流をクルーズするのだという。
 放送で下船し、浮いた桟橋を伝って行くと、前方に屋根付きの小船がぎっしり並んでいた。
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 船内。
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 立っている女性は、船ごとに付くガイドである(もちろん中国語)。

 乗船が終わった船から順次出発した。後部に屋根のない小スペースがついていたので、そちらに移った。そちらの方が自由がきくし、写真を撮るにも好都合である。立つと危ないからベンチに座りながら行ったが、風を受けて気持ちよかった。
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 神女渓(しんにょけい)はもともと、人のほとんど入らない未開の渓谷だったようだが、ダムで水位が上がって奥に入れるようになったため、三峡クルーズの新たな観光拠点として整備されたものらしい。三峡の方は川幅も広がって、どことなく迫力に欠ける感じになってしまったので、狭い神女渓の方でそれを感じてもらおうということだったようだ。

 最初は川幅も広かったが、
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 次第に狭まってきて、
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 両側の断崖が間近に迫ってくるようになった。
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 板を重ねたような岩の節理が鮮明である。
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 切り立った崖が続くが、もちろんこの水面下にさらに崖は落ち込んでいたのだ。
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 この高い崖、
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 はるか上の方に道が刻まれている。
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 さらに望遠で寄ってみる。
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 下から見る限り、人一人やっと通れるかどうかという窪みである。どうやって刻んだものなのか、本当に人が通ったものなのか、人工的なものであるのは確かだからたぶん通ったのだろうが、ちょっと想像を絶するところがあると思った。
 船はどんどん奥に入って行く。
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 こちらでは、岩が鍾乳石になって垂れ下がっている。
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 次々に現れるダイナミックな風景に目を奪われていると、
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 川面に思いがけず、大きなステージのようなものが出来ていて、人が集まっている横を通り過ぎた。
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 後方ばかり見ていたので気付くのが遅れたのだが、行き過ぎたところに水面に浮かんだ船着き場があり、そこで下船して、左の浮橋をたどってステージの方に行くよう促された。
 行くと、そこはこういう感じになっていて、
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 待っていた若者たちが、けっこうな音量で歌と踊りを何曲かやって見せてくれた。趣旨としては歓迎ということだったのだろうが、なんか、あまりに予想外の展開で驚いてしまった。最後には中国人観光客が出て行って、ステージの回りで一緒に踊り始めたりして、中国の人たちのセンスというのは、時々まったく理解できないことがあると思った。
 10分ほどのステージが終わると、再び船に乗って、来た道を戻るのである。これが神女渓の奥に浮かんだ、違和感いっぱいのステージです。
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 帰路。
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 船中ではガイドの女性が歌を披露していた。
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 4時50分ごろ、もとの船着き場に戻った。
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 チャイナゴッデス1号はまた長江を航行し始めた。巫峡(ふきょう)はまだ続いていたようだが、ダムが近付いてきて水量も増し、川幅も広くなってきたようで、もう写真を撮る意欲も失われてしまった。
 途中一回だけ、たまたまベランダの外を面白い船が通ったので一枚。
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 乗用車(新車)を満載した船である。トラックなどより一度にたくさん運べるから、この方がずっと経済的なのだろう。

 6時から2階レストランで夕食。
 7時半から5階多目的室で、昨日に引き続き器楽演奏と変面ショーなどが行われた。
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 変面はやはり見事なもので、いくら目を凝らしても仕掛けはまったく判らなかった。
 こうして、好天に恵まれた三峡クルーズは終わり、船中泊最後の晩となったのである。

by krmtdir90 | 2018-09-26 17:25 | 海外の旅 | Comments(2)

中国の旅⑥長江3・白帝城(2018.9.8)

9月8日(土)

 起きた時は曇っていた。この写真の撮影時刻が6:24である。
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 ほぼ同じ方向を7:31に撮ったのが次の写真。
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 太陽も顔を出している。
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 このあと雲はどんどん取れていき、この日は一日中好天に恵まれた。暑くなったが、やはり青空と太陽がある方がいい。

 チャイナゴッデス1号はこの日の上陸観光地・白帝城近郊の船着き場に入っている。午前8時から順次出発となっていたが、人数が多いからどうしても遅れ気味になってしまう。
 船着き場を見ると長い階段があったが、階段を上るのは最初のところだけで、右手の屋根のついたところからはエスカレーターが付いていたので救われた。
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 エスカレーターを降りてから少し歩いた(前方の道路に出て右折)。
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 途中、何やら立派な門があったが正体は不明。
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 門の向かい側に「中国郵政」と書かれた小さなお店?が出ていた。
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 右脇に濃い緑色のポストが立っている。中国のポストはこういうものらしい(今回は結局、孫に出す絵ハガキを投函するチャンスがなく、最終日にホテルのフロントで出してくれるよう頼んできたのだが、まだ届いていない)。
 歩いて行った先がバス乗り場になっていて、次々発着しているこのシャトルバスで白帝城の入口まで行くのだという。
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 バスは5、6分走って入口に着いた。で、入口ゲートを出ると、
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 白帝城と、そこに通じている橋が見えた。
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 橋はけっこう長かったが、吊り橋ではなかったので良かった。途中、ちょっと横に出られるところがあったので、そこから一枚。
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 白帝城は現在では長江に浮かぶ小島になってしまったが、もともとは川沿いに少し張り出した岩山だったらしい。三峡ダムによって水位が上昇したため、石宝寨と同じく往時の景観が失われてしまったものだった。三峡ダム建設は現代中国を象徴する一大国家プロジェクトだったようだが、それと引き換えに多くのものが犠牲になったことも忘れてはならない事実なのだろう。一党独裁の政治体制下で、国家の威信と結びついた大事業の前では、歴史的遺跡や景観というようなものは二の次にされたということなのである。

 橋を渡り切った先が広場になっていて、大きな銅像が立っていた。
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 白帝城は蜀の皇帝・劉備が没したところだから、てっきり劉備の像だと思っていたら、彼に仕えた諸葛孔明(諸葛亮)の方だった。

 さて、白帝城では300段を超える(インターネットには358段と書いてあった)石段を登らなければならないと予告されていた。自信のない人は60元で駕篭をチャーターできると添乗員が言っていたが、これはお金の問題ではなく矜恃の問題である。高所恐怖症で階段が怖いからと言って、自分の足で登らなければ行ったと胸を張ることはできない。駕篭を選んだ人たちを横目に、右の方に続く順路に向かった。
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 石段が見えてきた。
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 決して緩やかな石段ではないが、手摺りにつかまりながらゆっくり行けば何とかなるだろう。途中に駕篭の姿が見えているが、腰を落としてV字になったお客を前後二人が担いで登る(下る)もので、けっこう勢いをつけて行くので、乗った人にあとで聞いてみたら非常に怖かったということだった。

 で、私の方だが、この石段は(正直言って)いままで経験した石段の中で一番怖かった。300段もの間、一度も踊り場がなかったのである。こんなのは初めてだった。立ち止まって息を整えようにも、広いところがないのだから石段の途中に立ち止まるしかなく、そんなところでバランスを崩したり、誰かにぶつかられたりしたらどうしようと不安になってしまって、ちょっと大袈裟だが、まったく生きた心地がしなかった。 
 あと数十段になったところでようやく唯一の(最初で最後の)踊り場にたどり着き(狭かったけれど)、やっとカメラを構える気になれた。
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 白帝城と書かれた門がある。ここで記念写真を撮り合ったりした。しかし、下を見るとやはり目が眩む(右のお兄さんは駕篭を担ぐ人である)。
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 最後の石段をやっと登り切って門をくぐった。
 インターネットを見ていると、水面が上昇する前はこの3倍の石段を登らなければならなかったと書かれていて、この点に関してだけは三峡ダムに感謝するしかないと思った。

 門の先はちょっとした広場になっていて、白帝廟と書かれた建物の入口(門)があった。
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 右手の塀の前に石碑が幾つか建っていた。
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 次は、同一の詩を異なる人が揮毫したもので、これは毛沢東。
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 これは、右が周恩来、左が江沢民である。
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 江沢民のものが読みやすいが、詩は李白の「早發白帝城(つとにはくていじょうをはっす)」である。「朝辭白帝彩雲閒/千里江陵一日還/兩岸猿聲啼不住/輕舟已過萬重山」。横書きでは訓点を施すことはできないが、すべて現代仮名遣いの平仮名で書き下すと次のようになる。「あしたにじすはくていさいうんのかん/せんりのこうりょういちにちにしてかえる/りょうがんのえんせいないてやまざるに/けいしゅうすでにすぐばんちょうのやま」(訓読の仕方には異なったものもあるが、わたしが覚えたのはこれである)。
 わたしには何とも懐かしい漢詩なのである。口語訳もしてしまいたい気分だが、さすがにそれはやめておく。

 さて、白帝廟に入る前に少し下の展望台(非常に狭いところ)に行き、三峡の始まりである瞿塘峡(くとうきょう)の蘷門(きもん)というのを遠望したのだが、この時の写真がうまく撮れていないので、これは帰路にもう一度立ち寄った時に。

 白帝廟の門を入ると、正面にこういう建物があり、
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 狭い前庭の左右に、鶴と、
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 龍がいた(角度が悪くて判りにくいのだけれど)。
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 建物の中には、確か白帝城の由来とか変遷などが書かれたボードや写真などがあったと思うが、どうも記憶がはっきりしない。
 次の建物も、
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 次の建物も、
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 中に入ったと思うのだが、写真もないし、あまり面白いものはなかったのかもしれない。
 あと、船に乗った時に李さんの後を引き継いだガイドが、年配の男性だったのだが、日本語が下手で何を言っているか判らないことが多かったのである。説明の量もガタッと減ってしまったので、それで印象に残らなかったということもあるかもしれない。ガイドの善し悪しは重要なのである。

 このあと左方にあった回廊のようなところに行ったと思うが、そこには三国時代のいろいろな武将が祀られているようだった。帰ってからインターネットで調べているのだが、次が劉備で、
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 こちらは張飛(左)と関羽(右)だったようだ。
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 これは諸葛孔明で、
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 最後のこの建物では、
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 この地で病臥し亡くなることになる劉備(奥の寝台にいる)が、諸葛孔明(左に立っている)を始め重臣や息子たちを前に、後を託す最期の言葉を伝えているシーンが再現されていたようだ。
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 白帝城は、前漢末に公孫述という武将が築城したのが始まりで、白帝廟はみずから白帝と称した彼の廟として作られたものだったようだ。だが、その後の様々な変遷を経て、いつの間にか三国志の英雄たちを祀る場に変化してしまったということらしい。
 まあ、いろいろ調べてはみたが、実はこんなことはどうでもいいことなのであって、それよりもここが古くからの景勝の地として、李白を始めとする多くの詩人・文人に愛されてきたということの方が重要なのだと思う。そこにわたしも自力で登ったということが大切なことなのだ。

 回廊の前の庭には特徴的な屋根を持った鐘楼があり、
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 これを背景にして記念写真を撮ったりした。
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 陰にこんなガジュマルの木があって、この脇から廟の建物の裏手に抜けて行った。
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 そこは休憩所やトイレなどが整備された場所で、ここから帰りのルートになるということらしかった。
 建物の壁にいろんな書を彫った石板などが掛かっていて、そこで拓本を取っている人がいた。
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 ここにもまた李白の詩があったが、誰の書なのかは判らなかった。
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 山上の建物をぐるりと一周するようなかたちで歩いて行き、最初に行った蘷門(きもん)の展望台に立ち寄った。さっきは混み合っていたが、今度は空いていて、ゆっくり記念写真などを撮ったりした。
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 この先から三峡の一つ、瞿塘峡(くとうきょう)が始まるのである(縦サイズで)。
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 この展望台の横から下りの石段が始まっていて、こちらは最近新しく整備されたものらしく、傾斜も緩やかだったし、一定間隔で踊り場も付いていたので楽に下りることができた。
 行きの順路と違って広々とした帰り道。
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 諸葛孔明の像の後ろ姿。
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 さっきの橋を戻る。
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 途中、何やら大きな工事が行われていた。こんなところに何を作るつもりなのだろう。
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 再びシャトルバスに乗って帰った。船着き場の下りエスカレーターで船に戻った。このあたり、写真を撮っていないので時間が判らないのだが、たぶん11時半を過ぎていたのではないかと思う。

 12時前に、全員帰船したことを確認して船は出港したのだが、このあといよいよ三峡に差しかかって写真も増えそうなので、この日は2回に分けて掲載することにする。
 なお、明日からちょっと予定があって、この連載の続きは数日後になると思うので了解していてください。
by krmtdir90 | 2018-09-21 21:30 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑤長江2・石宝寨・張飛廟

9月7日(金)

 夜の間に雨が降ったようだったが、朝にはほとんど止んでいた。
 長江の朝である。
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 朝食は7時半から、2階のレストランでビュッフェ形式になっていた。
 船は夜通し動いていたようで、いまも航行を続けている。天気は曇り、このあと上陸観光の際にわずかにパラつくことはあったが、傘がなくても何とかしのげたので良かった。相変わらず湿度は高かったが、気温もそれほど上がらず、見学時に階段を上ったりすると汗をかいたが、まあ過ごしやすい天候と言ってよかった。

 以下は朝食の前後に、すべて船室のデッキから写したものである。
 町が見えてきた。
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 町の名前は判らないが、高層マンションが林立している。
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 こんなに密集していると、高層であることの有難みも薄れてしまうように思えて、こういうところにはあまり住みたいとは思えなかった。
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 川面から望む景色というのは独特のものがあって、このゆったり感というのはいいものだなと思う。
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 漁をしていると思われる小舟をあちこちで見かけた。
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 午前9時過ぎ、船は最初の上陸地・石宝寨(せきほうさい)の船着き場に着いた。10時から出発となっていたが、今回は人数が多いので、フロントロビーに一度に集合するスペースがなく、グループごとに少しずつ時間をずらして上陸ということになった。
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 ↑これは船から出たところで撮ったものだが、撮影時刻は10:14である。

 何となく箱庭のような感じに見えるが、これは実は、下流に三峡ダムができてこのあたりの水位がかなり上がり、以前の景観が失われてしまったものなのだという。ウィキペディアに昔の写真があったので、比較のために転載させていただく。
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 石宝寨はもともと、長江の岸に屹立する孤立した巨大な岩山だったらしい。明の時代にここに砦が作られたのが始まりで、清の時代にかけて、山頂に寺院や楼閣(塔)が建てられていったようだ。水位が上昇したため、現在は小島のようなかたちになってしまったが、吊り橋で岸と結んで渡れるようにしてあるのだという。すぐ近くにあるように見えるが、右手から大きく回り込まないと行けないようだ。

 船着き場の傍らで洗濯をしている人がいる。
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 アヒルもいる。
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 船着き場からずっと坂道を上って行く。
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 ↑これは途中から振り返ったところ。クルーズ船が2隻入っているが、右がわれわれのチャイナゴッデス1号。
 道の片側に土産物を売る露店がずっと並んでいる。興味がないので写真は1枚しかない。
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 坂道は地元の人の生活圏に入って行く感じで、↓これは脇道の一つ。
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 長い坂を上り切ったところが十字路になっていて、左折して今度はこの道をゆるやかに下って行くことになる。
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 両側はアパートになっているようで、
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 1階の店舗にはやはり土産物などが並んでいる(地元の人のための店も少し交じっていたようだ)。
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 石宝寨の入口に着いた。
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 中に入って進んで行く。
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 この向こうが吊り橋である。
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 高所恐怖症としてはできれば避けたいところだが、渡らなければ行けないのだから仕方がない。けっこう揺れて怖かった。
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 もう少しというところで振り返る。
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 帰りにもう一度渡るのかと思うと気が滅入る。

 渡り切った。
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 チャイナゴッデス1号が見えている。
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 もう一隻は出港してしまったようだ。
 岩山を見上げる。
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 さっきの写真で箱庭の箱のように見えた部分の縁に当たるところを左に回り込んで行く。
 石宝塔と呼ばれる12層の楼閣が見えてきた。
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 もとは9層までだったようだが、1956年に3層付け足して12層としたものらしい。
 今度はこれを登るのだという。スタートの面がここよりかなり下になっているが、恐らくそのままでは長江の水に沈んでしまうので、周囲を囲む壁を作って水の浸入を防いでいるということなのだろう。

 一旦石段を降り、再び石段を上って楼内に入る。
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 2階に上がった。
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 2階の窓からの眺め。
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 あとはひたすら、狭くて急な階段との格闘になった。息が切れて汗が吹き出す。
 これは何階にあったものだったか。
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 この楼はすべて木造で、岩にへばりつくように作られているから、一つの面はむき出しの岩のままなのである。
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 これも何階にあったのだったか。
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 やっと10階にたどり着いた。
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 ここまでである。左に岩山の方に出られる出口がついている。楼としてはさらに上に行ける階段がついていたが、もうまっぴら御免である。
 付け足された3層は、元の楼とはズレたかたちで岩山の上に建っていた。
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 ここで記念写真などを撮った後、向かいにあった寺院に入った。
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 ↓これは三国志で有名な関羽の像だったようだが、
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 こちらは道教の神々のようで、
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 ここは道教の寺院だったようだ。
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 寺院を抜けた先が展望台になっていて、さっきの恐怖の吊り橋が見えていた。
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 見学ルートとしては、この右手前の方に回り込んで石宝塔を登り、岩山の上を通って、今度は左手の野外の石段を降りるようになっていた。岩山を一回りすることになるのだった。
 で、下に降りて、これが降りて来た石段。
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 帰りにもう一度吊り橋を渡って石宝寨の上陸観光は終了した。
 最後に船着き場から、石宝寨と吊り橋の全景。
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 船に戻ったのは12時半ぐらいだったと思う。

 すぐに昼食になったが、階段や坂道でけっこう汗をかいてしまったので、昼ビールにしてしまいました。

 夜にもう一つ上陸観光が設定されているが、午後はずっと船内プログラムが組まれていた。最初の三国志講座というのは何となく敬遠してしまい、船室で少し昼寝をして、3時半から始まる中国国家級の大家による演奏とショーというのに出てみることにした。
 最初は演奏会で、クルーズ船に同乗している4人の奏者による合奏が行われた。
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 パンフレットによれば、右から琵琶・王慶、揚琴・楊坤、二胡・劉毅、笛子(てきし)・李凌伶という顔ぶれで、国家級というのがどのようなレベルを指すのか判らないが、素人耳であっても相当上手い演奏だというのは感じ取れた。中国の曲に日本の曲も交えながら、10曲ほど演奏してくれた。

 続いて行われたのが、四川地方に伝わる川劇(せんげき)独特の変面ショーというもので、よく判らないからまったく期待していなかったのだが、これが思いがけず面白かった。中国風だがアップテンポでビートのきいた曲に合わせて、奇妙な衣装と仮面をつけた男が一人で出てきて踊るのだが、その節目節目で仮面を一瞬のうちに変えてみせるのである。目にもとまらぬ早業とはまさにこのことで、いくら見ても不可能としか思えない一瞬の動きで仮面が入れ替わっている。この技の面白さは動画でないと伝わらないが、とにかく写真を何枚か載せておくことにする。
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 最後に素顔を見せてくれたが、変面という無形文化遺産の伝承人とされている封四海という人だったようだ。

 引き続き歓迎パーティーと称して、添乗員の紹介、ガイドの紹介、船長の挨拶と主要スタッフの紹介などが行われた。

 そうこうするうちにも船は航行を続け、この日は早めの5時半から始まった夕食の時間中に、次の上陸観光地である張飛廟の船着き場に到着したようだ。
 食後にサンデッキに行って、明るいうちに張飛廟の写真を撮ったのだが、これが少々ピンボケなのである。いつもだと2、3枚続けてシャッターを切るのだが、この時に限って一枚しか撮っておらず、癪だがこれを載せるしかない。
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 対岸の街並みや夕景はちゃんと撮れているのだから、ますます許しがたい気分になってしまうのである。
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 さて、張飛廟の見学は夜間に設定されていて、午後7時から順次下船となっていたが、出発は結局20分以上遅れた。外に出るとあたりはすっかり暗くなり、ライトアップされた張飛廟が見えていたが、この時撮った写真もまたブレてしまっていて使えないのである。対岸の夜景とチャイナゴッデス1号などは撮れているのだから、
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 この失敗の連続は非業の死を遂げた張飛の呪いか何かだったのだろうか。

 張飛廟へは、船着き場から階段を上がり、土産物屋の露店がちらほら並ぶ夜道を歩いて行った。夜なので、開いている店もあったが明かりも暗く、寂しいものだった。
 入口に着いた。
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 廟は高いところにあるから、また石段をたくさん上り下りしなければならない。
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 入口に閬中の張飛廟にあったのとは少し違う「張桓侯廟」の文字が見える。「桓侯(かんこう)」は張飛の諡(おくりな)である。なぜ閬中とここに2つの張飛廟があるのかといったことについては省略するが、こちらには張飛の首が、閬中には胴体が祀られているといういわれがあるらしい。
 なお、こちらの張飛廟は、三峡ダムができる前は30キロ下流の雲陽というところにあったようだが、ダムの完成で水没してしまうということで、国家プロジェクトとして2003年にこちらに移転させたものらしい。以前はもっと広い敷地に建てられていたようだが、中心となる建物の移転だけで他は水没してしまったというのは残念なことである。

 中に入ると、吹き抜けになった2階の舞台のようなところに、劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟の契りを結んだとされる「桃園の誓い」のシーンが再現されていた。
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 周りの壁面には様々な書などが展示されていて、いろいろ説明されたが覚えていない。
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 ↑「東坡居士書」の文字が見えるから、蘇東坡だったかもしれない。
 上階に上がって「桃園の誓い」の正面に行くと、
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 さらに上の階があって、裏の階段から上れるようになっていることが判る。途中でやめるわけにはいかないから上って行くと、張飛が睨みをきかせていた。
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 横には勇ましい騎馬像もあったが、
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 さらに横には、酔って寝ている張飛が部下に殺されるシーンが再現されていた(変な角度からしか撮れなかったが、左手前に張飛の頭がある)。
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 脇の回廊のようなところから、ライトアップされた屋根と長江対岸の町の夜景が見えた。
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 夜だったし、暗いところも多く、写真も少ないので、このあと廟の中をどんなふうに回ったか、もう記憶が薄れ始めている。
 寂しい露店が並ぶ夜道を歩いて帰った。
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 船に戻ったのは9時ごろだったと思う。階段をずいぶん上り下りした一日だった。
by krmtdir90 | 2018-09-20 22:14 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅④閬中~大足石刻~重慶~長江1(2018.9.6)

9月6日(木)

 天気予報は雨だったようだが、起きてみたら雲は垂れ込めているものの降ってはいなかった。
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 この日は、朝、閬中を発って、途中、大足(だいそく)という町に寄って世界遺産の石刻を見学し、重慶に戻って、夜、長江下りのクルーズ船に乗船することになっていた。大半がバス移動なので雨は気にしていなかったが、石刻の見学中に少しぱらついた程度で、終日曇り空の一日だった。
 かなり長距離の行程になるので、ロビー集合は7時40分と設定されていた。スーツケースも7時までに部屋の外に出さなければならなかったから、けっこう忙しかった。

 バスは7時50分ごろホテルを出発した。
 しばらく閬中の市街地を走ったのち、
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 高速道路に乗って、南南西約300キロに位置する大足に向かう。
 1回目の休憩。
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 2回目の休憩。
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 日本のサービスエリアと比べると、どこもずいぶん閑散としている感じだった。高速道路そのものも車は少なかった。
 大足東インターで高速を下りる。
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 撮影時刻は12:23である。

 少し走って、
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 大足市内のホテルのレストランで昼食になった。
 食後、ホテルの前でバスを待ちながら一服。
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 間もなく午後1時半である。

 バスで10分ほど走って大足石刻(だいそくせっこく)に着いた。石刻は市内の何カ所かに分散しているようだが、われわれはその中から宝頂山石刻というのを見学する。
 バスを降りたところからかなり距離があるようで、
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 ゲートのある入口まででもけっこう歩かなければならなかった。
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 中に入ってからも、まだかなり歩かなければならないようだったが、
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 そこはわれわれのような高齢者のために、右手の所に例の大型カートが用意されていて、脇の専用道路を走って一気に石刻の近くまで行けるようになっていた。
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 お世話になりました。
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 降りたところにもう一度ゲートがあった。
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 ちょうどこのあたりで、折悪しく弱い雨が降り出してしまった。傘を出すかどうか迷う感じだったが、一応傘を差して中に入った(ただ、この雨は強まることはなく、15分ぐらいでほとんど止んでしまったのでよかった)。
 ゲートを入って、この石のアーチをくぐると、
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 すぐ先から石刻が始まっていた。
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 大足石刻というのは、唐代末期から宋代にかけて彫られた磨崖石刻像で、後から付け加えられたものも含めて約5万体が大足の各所に残されているようだ。宝頂山石刻はその代表的なもので、仏教像を中心として、儒教・道教の像なども混ざっているらしい。ここでは、ここ専属の説明員(中国語)が付き、ガイドの李さんを経由してわれわれに伝えられるかたちになった。要所要所で丁寧に説明してくれていたが、もちろん覚えていられるわけもないのだから、とにかく撮ってきた写真を順に並べていくことにする。
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 ↑この下の部分は作成途中で放置されたもののようだ。
 大きな崖の面ごとにひとまとまりのストーリーを作っていたようだが、部分部分に散りばめられた挿話は、もう何がどれやらまったく判らなくなってしまっている。
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 前にせり出している像も、後から石を付け加えたのではなく、すべて元の岩から彫り出したものなのである。
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 ↓この石刻の前のあたりはちょっとした広場のようになっていて、
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 右手に巨大な釈迦涅槃像が刻まれていた。
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 全長は31メートルもあるということで、とても一枚の写真には収められなかった。
 向かいにはこういう建物があって、
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 中には金箔を施された千手観音像があった。
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 説明によれば、全部で1007本の手が出ているという。建物の外に出て、横から像を見ることができるようになっていた。
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 この手の指の一つ一つを見て心底驚いてしまった。これがすべて磨崖によって岩から浮き出させたものだというのは、ちょっと信じ難い気がした。
 次は華厳三聖仏像というもので、
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 左の像は手のひらに石塔を載せているのだが、
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 この石塔だけで重さが500キログラムもあるのだという。これだけの重さを支えたまま、800年も倒れないで残ってきたのは驚異と言うしかない気がした。
 次は六道輪廻図というものらしい。
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 このあとも石刻は続いていたが、見どころはほぼ終わっていたのか、進むペースも速くなり説明も簡単になっていった。
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 この最後のものなどは、後世になってから付け加えられたもののように思われた。

 実は向かいの崖にも石刻が並んでいたようだが、そちらには行かなかった。
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 全部見ていたらとても時間が足りなくなってしまうだろうし、ここまでで十分見せてもらったと思った。
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 出口は入口とは別の所になっていた。
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 このあと、帰りのカート乗り場まで歩いた。位置的には石刻の崖の上になるようで、さっきの釈迦涅槃像が下の方に見えていた。
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 門があり、
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 土産物などを売る露店が並び、
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 その向こうに乗り場があった。
 カートは最初とは違うルートを走って、最初の乗り場とは違うところに着いた。外の駐車場まではまた少し歩くようだったが、午後4時半ごろ、バスはわれわれを乗せて大足石刻を後にした。

 重慶まではまだ200キロ近くあると言っていたが、バスは高速道路を休憩なしで走り切った。かなり時間が押していたのだろう。
 高速を降りて、市街地が始まってからもかなり走った。
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 重慶は人口3000万人の大都市だという。このあと、市の中心部にある高層ビルの展望台から、町の眺めを楽しむことになっていたが、そこに入って行く橋の上で渋滞に捕まってしまった。なかなか前に進まない。
 ↓この下のイルミネーションがインスタ映えするスポットになっているようで、若者がひっきりなしに橋の途中まで出て来て、思い思いにスマホを構えていた。
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 バスを降りたのは午後6時40分過ぎだったと思う。
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 目指すビルはこれらしい。
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 これはWFC(重慶環球金融中心)という複合ビルで、73階がSKYVIEWという展望台になっているのだった。外から一旦地下に降りると、
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 そこに直通エレベーターの乗り場があり、高速で一気に73階まで連れて行ってくれた。
 で、これが急激に変貌したという重慶の町の眺望。
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 ↑ここが嘉陵江と長江の合流点だが、どちらがそれなのかは聞いたはずだが覚えていない。撮影時刻は19:02、すでにネオンがまたたき始めているが、かろうじて絶景が見渡せるギリギリの時間に間に合ったということだろう。
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 どこかに以前の重慶の写真が掲示されていたが、近年の経済発展はめざましいものがあり、都市の姿も日々変化を遂げているということのようだ。
 けっこう時間に急かされる感じで下に降りると、いま上って来たビルもイルミネーションに彩られていた。
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 このあと、徒歩で近くのビルの6階にあるレストランに行き、やや慌ただしい夕食になった。クルーズ船の予定があるから、あまりのんびりはしていられないのである。
 食事を終えて外に出ると午後8時を過ぎていた。繁華な通りを歩いてバスの駐車場へ。
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 ↑これは人民解放記念碑というもので、このあたりを解放碑広場と言うらしい。

 バスは夜の市内を走り、ようやく長江沿いの船着き場に着いた。写真はバスを降りる時に撮ったこの一枚しかない(撮影時刻は20:42)。
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 左にクルーズ船が停泊しているが、われわれの乗るチャイナゴッデス1号はこの向こう側にいて、手前の船を通り抜けるかたちでの乗船になった。

 今回の長江クルーズでは、旅行社がこの比較的大きなクルーズ船を借り切っていて、3泊4日の船旅を組み込んだ様々なコースを募集していた。違ったところを回ってきたグループや、このあと違うコースに行くグループなど、全部で12グループ144人がこの日この船に集結して、この期間だけ一緒に長江の旅を楽しむことになっていたのである。われわれのグループは終わりの方の乗船だったようだが、どのグループもけっこう予定より遅れていたということだった。
 船は5階建てで、さらにその上にサンデッキなどがあった。フロントは2階にあり、客室は2~5階に並んでいた。われわれの部屋は4階の4003号室だった。
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 ベランダからの眺め。
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 サンデッキにも行ってみた。
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 9時半から5階の多目的室(乗客全員が入れる催しもの場)で、インフォメーションと避難経路の確認などが行われたが、途中で船が出航したので、早々にお開きとなった。
 再びサンデッキに上がったが、混雑していたので、まだみんな気付いていないらしい穴場の後部デッキに行って、しばらく遠ざかる重慶の町を眺めていた。
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 この最後の写真の撮影時刻がちょうど午後10時だった。
by krmtdir90 | 2018-09-19 22:24 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅③江元・剣門関(2018.9.5)

9月5日(水)

 起きたら雨が降っていた。しかも、けっこうしっかりした降り方である。
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 この日は、バスで160キロほど北方にある江元(こうげん)という町に行き、剣門関(けんもんかん)や蜀の桟道(さんどう)というのを見学することになっていた。バス移動が主になるとはいえ、山中の見学に傘が必要というのは少々辛い気がした。だが、10日間のツアーでは期間中に雨の日が交じるのは仕方がないことだし、昨日のような終日徒歩の散策の時に降られるより良かった(暑さには参ったけれど)と考えるべきだろう。

 9時にロビーに集合して出発した。
 雨は降り続いていた。バスの窓ガラスにも雨滴がついて視界を遮っている。
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 高速道路を走るうちに、途中小止みになる時もあったが、
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 トイレ休憩を取ったサービスエリアでは、また傘が必要だった。
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 今回の旅では、現地ガイドは3人がリレーするかたちになっていたが、最初から長江の船に乗るまでを担当した李(リ)さんという人が素晴らしい人で、日本語は上手いし話も面白いので、長いバス移動でも飽きることがなかった(ずっとしゃべり続けていたわけではないが)。
 中国の大学を出た後、日本の天理大学に留学したということで、朝夕新聞配達をしながら勉強したのだという。関西に住んだので、関西人的な笑いのセンスが身についていたのかもしれない。天理大学を選んだのも、天理教がお金をたくさん持っていて、学費がケタ外れに安かったからだとか、中国は社会主義の国だけれども、貧富の差が極端に広がっていて、医療や福祉のことを考えると、日本の方がずっと社会主義なんじゃないかといった話は、なるほどなと印象に残った。

 江元が近付いてきたころ、高速道路の先の方で事故があったらしく、下りる予定のインターチェンジが大渋滞になっているという情報を(スマホで)キャッチして、一つ手前のインターで下りる判断をしたのも李さんだったようだ。すでに手前のインターも混み始めていたが、何とか一般道に出て事なきを得た。
 バスは次第に山道に入って行く。
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 激しい雨が降ったらしく、平行する川の水が茶色く濁っている。

 やはり時間的にはかなりロスしたようで、剣門関に近い昼食のレストランに着いた時には午後1時を回っていた。
 雨は降り続いていて、レストランの前もけっこうな水たまりになっていたりして、店の外観などを撮影することは出来なかった。
 次の写真は、食後に煙草を吸いに出た中庭のようなところで撮ったもの。
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 ↑一旦屋根のないところを通っていくと、向こうが正面入口になっている。
 ↓この奥まったところが食事をした個室になっていた。
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 昼食を終えて外に出る時、入口の軒下から写した周辺の街並み(撮影時刻は14:05だった)。
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 すぐ前にバスが停まっているが、この距離でも傘が必要な感じだった。このあたりは、剣門関に来た観光客に向けた店が集まっているところだったらしい。

 バスでほんの少しだけ移動して下車した。傘を差して歩き始める。
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 こちらが剣門関の入口。
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 入るとすぐの所に石造りの門があり、
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 その先に林間の道が続いていた。道は石畳で整備されており、ほぼ平坦だったので、雨で滑りやすくなっていたものの、それほど歩きにくいものではなかった。ただし、依然として傘は必要な感じで(しかも折りたたみ傘だったので)、途中で写真を撮るのは非常に困難だった。
 道の脇には茶色く濁った流れがあったが、
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 ガイドによれば、ここは普段は水がちょろちょろ流れているだけの目立たない川原だということだった。また、反対側の高い崖からは、普段は存在しないらしい滝が飛沫を上げて落下していて、こんなのが見られるとは驚いたと言っていた。
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 ここでちょっと、この剣門関について整理しておきたいと思う。現地でいろいろ説明はあったが、三国志に興味がなく、例によって事前学習をして行ったわけでもないので、すべて帰って来てからの付け焼き刃である。
 魏・呉・蜀の三国が鼎立した三国時代には、このあたり(剣閣)は蜀の都・成都への途上にある要衝の地であったようだ。北方の魏が蜀を攻めた時、別ルートで入った魏軍が成都を落城させるまでこの剣門関は持ちこたえ、最後まで落ちることがなかったということらしい。両側から高い岩山が迫り、攻め落とすのがきわめて難しい地形だったようだ。これ以来1700年の歴史の中で、ここは100回以上も争いの場所となったが、難攻不落で一度も落ちなかったと伝えられているらしい。
 明治時代の日本の唱歌「箱根八里」に歌われた「一夫(いっぷ)関(かん)に当たるや万夫(ばんぷ)も開くなし」(一人の兵が関所の守りにつくや、一万の軍勢が攻めても開くことはできない)というのはこの剣門関のことを指しており、道の途中に置かれた説明看板の一つにも「一夫当関、万夫莫開」の文字が記されていた。
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 さて、途中には当時の武器などを再現したものが置かれたりしていたが、あまり興味がなかったし、雨も降っていたのでほとんど写真に撮っていない。
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 ↓ここは「姜維(きょうい)神像現景点」という場所で、奥に見えている岩山が、剣門関を守り抜いた蜀の武将・姜維の横顔に見えると言われているところらしい。
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 そう言われても、どこがどうなっているのかさっぱり判らず(雨も降っていたし)、まあ、見立てなんてだいたいそんなものなんだよね。
 横の川に石の橋が架かっている。
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 これを渡った先に、再建された蜀の桟道というのがあり、帰り道にちょっと立ち寄ることになる。
 反対側の崖の中には「第一関(だと思う)」と刻まれた小さな石碑が埋もれていた。
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 崖を見上げる。
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 崖を見上げているのは、雨が小降りになってきたからである。
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 観光を意識して設置されたと思われるレリーフ。
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 橋を渡る。
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 これも最近設置されたらしい像。
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 姜維率いる蜀軍ということらしい。
 向こう岸に何やら建物が見えている。説明があったかもしれないが、覚えていない。
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 そして、こちらに見えてきたのが目的地・剣門関の剣閣という楼閣。
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 こちらが蜀の初代皇帝・劉備元徳の像である(ひどいピンボケだ)。
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 もう一度橋を渡って行くと、
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 荒涼とした風景の中に剣閣が建っていた。
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 実に幸運なことに、この時雨はかなり小降りになっていて、傘がないとまだ濡れる感じはあるものの、わたしは撥水性のあるウインドブレーカーを着ていたので、面倒だから思い切って傘は閉じてしまった。レンズに雨滴がついているのはそのせいである。

 ここのスケールの大きさをカメラで切り取るのはほとんど無理である。両側から高い断崖が迫っていて、ちょうど高層ビルのビル風と同じことなのだろう、ここに来てかなりの強風が剣閣の方から吹いて来るのである。
 われわれはガイドに促されて石段を上がり、強風に煽られながら剣閣の向こう側に出た。
 視界が一気に開け、目の前がかなりの急坂で谷底に落ち込んでいた。
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 いまでこそ石段が整備されているが、
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 昔はこんなものはなかっただろうし、こちらから攻め上ることはまず不可能な地形であるのが納得された。凄いところに関を構えたものである。
 さっきの川は見えていなかったが、たぶんこのあたりで幾重もの滝となって落下しているのだろう。
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 断崖の中腹に、再現された見張り台が張り付いていた。
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 どうやってここに行くんだ?と考えると、考えるだけで足が竦む気がした。

 調べてみると、剣門関にこのような立派な楼閣が建てられたのは明代のことで、現在の剣閣は2008年5月の四川大地震で倒壊したのを復元したものなのだという。
 さて、帰る頃になって雨はほとんど止んだ。まだ少し顔に当たる感じはあるが、ずっと降り続くことを思うとラッキーと言うべきだと思った。みんな傘をたたんで帰る。
 剣閣と見張り台。
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 橋の上から剣閣と見張り台(まだ見えている)。
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 橋の上で記念写真も撮ってもらうことができた。

 帰る途中で先ほどの石橋を渡り、蜀の桟道に立ち寄った。
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 もちろん昔の桟道が残っているわけはないから、これは史実に従って最近整備されたものである。見て判る通り、これは下から支えているのではなく、岩肌に木材をハーケンのように打ち込み、それに板を渡して作った道なのである。ここは入口の所だからすぐ下に地面があるが、この先はどんどん絶壁を登って行って、かなり高いところを通って先の方まで行けるようになっているらしい。
 計画では、これをかなりちゃんと体験してみることになっていたらしい。このブログの熱心な読者なら判ってもらえると思うが、高所恐怖症のわたしとしてはとうてい受け入れることのできないプランだったのである。だが、何という幸運だろう、少し歩いてみたガイドと添乗員が、板がかなり濡れていて滑りやすくなっており、危険なので先に行くのは中止すると判断してくれたのである。何と適切な判断だろう。そういうわけで、ずっと降り続いた雨のおかげで(残念ながら!)蜀の桟道の見学は終わりになったのである。
 桟道の入口の所に埋め込まれていた石板。
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 「天下」の下に何とあったのかは不明。
 帰り道、雨が止んでいたので、さっきの一時的にできた滝を近くまで行って見て来た。
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 滝壺のような凹みがないから、確かに普段は存在しない滝なのだろう。

 駐車場に帰り着き、バスが出発したのは午後4時ごろだったと思う。
 高速道路の途中で立ち寄ったパーキングエリア。
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 服務区がサービスエリアで、パーキングエリアは停車区と言うようだ。
 猫がいた。
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 帰着が予定よりかなり遅くなってしまったので、計画では一旦ホテルに戻ることになっていたが、バスはそのまま夕食のレストランに直行してくれた。
 レストランは昨夜行った店のすぐ隣だったが、こちらでは2階の個室に通され、明らかに格上の店だったことが判った。閬中最後の夜だから、旅行社もそういう並べ方をしたのだろう。
 なお、この旅行社(ワールド航空サービス)のツアーでは、ツアー期間中に誕生日を迎えるお客がいると、適当な日にバースデーケーキを用意してみんなで祝うという風習?があった。今回はたまたま妻が該当していて、この晩がその披露の日に設定されていた。写真などもあるのだが、恥ずかしいからここには掲載しない。
 次の写真は終わってから外に出て写したものである。
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 カメラのデジタル記録だと、撮影時刻は20:23だった。
 この日は汗をほとんどかかずに一日を終えることができた。 
by krmtdir90 | 2018-09-18 21:40 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅②閬中古城(2018.9.4)

9月4日(火)

 閬中(ロウチュウ)の朝。
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 快晴である。朝食のあと、正面玄関の外で一服してから、ちょっと嘉陵江(かりょうこう)のほとりに行ってみることにした。時刻は午前7時50分である。
 川べりの遊歩道を地元の人がけっこう散歩している。
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 泳いでいる人もいる。
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 ホテルの前の道をバイクが走っている。
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 ほとんどのバイクがビニールの日除けをつけている。
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 誰もヘルメットをしていないが、そのあたりはかまわないのだろうか。
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 エンジンの音が聞こえないので、あとでガイドに聞いてみたら、これらはみんな電動バイクなのだという。最近、急速に普及しているらしい。

 この日は徒歩で閬中古城を見学する。
 9時にロビーに集合して出発した。
 外に出ると、すでに気温はかなり上がっていて、予報では最高気温33度ということだったようだが、昼頃には少なくとも37~8度にはなっていたのではなかろうか。湿度があるので、少し歩いただけで汗が噴き出してくる。
 ホテルの前の嘉陵江沿いの道を右に少し行くと、古城に入って行く西門というのがあった(完全な逆光だ)。
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 門の脇の日陰で、地元の人が何やら踊っている。
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 門を入ると、少し先で車はシャットアウトになっていた。
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 この横の木陰で、古城の地図を見ながらガイドの説明を聞いた。こちらからだと西門は順光になるので一枚。
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 この門はごく最近作られたもののようだ。

 さて、中に進んでいくと、左手にちょっと目立つ建物があった。
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 これ、中学校だという。
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 何かものものしいスローガンのようなものが掛かっていて、意味はよく判らないが「習近平新時代中国特色社会主義思想」といった文字が読み取れる。
 右手の門にはいろんなプレートが貼られていて、
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 「四川省閬中中学」の上に「中国共産党閬中中学校/規律検査委員会」というようなものがあったりして、うーんといった感じである。
 門が開いていたので、ちょっと中の校舎を写させて貰いました。
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 中学校の塀(左)に沿って進んで行くと、
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 その先にまた目立つ建物が見えた。
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 ここは張飛廟である。
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 「漢桓侯祠」とあるが、「祠」は先人を祀るやしろ(廟)の意で、桓侯(かんこう)というのが張飛の諡(おくりな・貴人の死後に贈られる名)であるらしい。
 実は、張飛廟というのはこのあと向かう長江のほとりにもあって、5日目にそちらを見学することになっているので、ここでは中に入らなかった。

 張飛廟を過ぎるあたりから古い街並みが始まっていた。
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 様々な商店が並んでいるが、どの家も黒っぽい屋根瓦が印象的で、奥に人々の暮らしが見え隠れしていた。ある程度は観光客を意識しているようだが、地元の人のための店も多く、生活感のある家々が並んでいると思った。

 しばらく行くと、古城の中心をなす中天楼が見えてきた。
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 こちらからだと完全な逆光である。
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 楼の下は四つ辻になっていて、
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 右折した左側に付属の建物があり、そこから楼に登れるようになっていた(もちろん有料である)。
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 こちらからだと光の具合が良く、きれいな写真が撮れる。
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 で、狭い急な階段を上って、楼上からの眺めである。
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 奥に現在の閬中市街が見えている。
 古城の部分は重量感のある瓦の連なりが見事である。
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 洗濯物が干してある。
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 下の道路を、張飛の仮装行列が歩いて行った。
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 ここにも洗濯物が。
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 こちらでは屋根瓦の修理だろうか。
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 道に面したところは店舗になっているが、その奥には普通の暮らしが営まれているのである。
 2階に下りた。ここにはこんな像が置かれていた。誰なのか聞いたと思うが、例によってメモなど取っていないから判らないのである。
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 2階からの眺め。
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 下に下りて、狭い中庭のようなところから。
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 以上で中天楼の見学は終わり。外に出て、中天楼の下の四つ辻に立って上を見上げると、楼の底部に方角を示す円盤が埋め込まれていた。
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 再び古城の中を歩いて行く。
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 家と家の間の狭い路地。
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 路地の奥に暮らしの気配が感じられる。
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 晴れたのはいいが、日差しは強く、湿度も高いので、日なたは耐えがたい暑さである。
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 この建物は資料館か何かだったようだ(入らなかった)。
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 木陰に地元の人たちが集まっている。これから何か踊りでもするのだろうか。
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 この左手が小さな公園のようになっていた。
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 公園の向かいに貢院という建物があった。
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 ここは、明・清時代まで続いた科挙(官吏登用試験)の試験場で、当時の様子が人形などを使って再現されているのである。
 入ってすぐのところに資料などを展示した部屋があって、そこでガイドの説明を聞いたあと、次の建物に向かう。
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 入口にそれらしい衣装をつけた人がいるが、専属のガイド(説明員)か何かだろうか。
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 これは人形。試験官だろう。
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 これが答案用紙の実物。
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 試験はすべて論述式で、科目ごとの制限時間はなく、3日間缶詰めになってすべての答案を作成したらしい。
 敷地はけっこう広く、いろいろな建物がある中を奥に進んで行く。
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 それぞれの建物に様々な資料が展示してあったが、これはその中の一つ。
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 細かくて判読しにくいかもしれないが、清代の四川省あたりにおける出身地別科挙合格者(挙人と言うらしい)の数である。閬中が54人と飛び抜けて多く、優秀な人材を輩出した当時の中心都市であったことがうかがえる。
 弓矢の試験などもあったらしい。
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 これが一番奥の建物で、いまは付設のショップのようになっていた。
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 ここから左手に回り込んで行くと、号舎と呼ばれた実際の試験場が再現されていた。
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 受験生は、この三方を囲まれた独房のようなところに閉じ込められたらしい。答案作成の合間に食事や睡眠を取ることは自由だが、常に監督官が巡回し、3日間外に出ることは一切許されなかったようだ。人形がその様子を再現していた。
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 右は答案作成中、左は机の板を下に移して休憩中ということのようだ。

 貢院の見学を終えて、このあとは昼食である。古城内のレストランに徒歩で向かうことになっていたが、とにかく暑いし、比較的高齢者の多いメンバーだったので、添乗員が気を利かせて、古城内限定で走っている大型のカートのようなものをチャーターしてくれた。
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 これは有り難かった。
 で、これがレストランの入口。
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 何か由緒ある建物の中を抜けて行く感じで、レストランそのものはかなり奥まったところにあった。
 あまりに暑かったので、昼ビールにしてしまいました。ビールの缶にも張飛の図柄が。
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 食後。屋外の喫煙席。
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 喫煙席からの眺め。
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 入口からずいぶん奥に入って来たので、こちらは観光客などの来ない裏通りのようだった。地元の人が普通に使うレストランとしての入口はこちらの方らしかった。
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 このあと、さっきのカートをこの前の通りまで呼んで、西門の手前まで送ってもらうように手配してあった。本来は歩く予定だったようだが、この暑さではどうにもならない。この臨機応変の処置は添乗員として大ヒットだったと思う。
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 西門を出てからは歩くしかなかったが、暑さの盛りだったからだろう、他に歩いている人影はまったく見えなかった。
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 ↑このお店、カラオケ屋さんである。KTVというのがカラオケのことらしい。
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 ホテルに戻ったのは午後1時半ぐらいだった。

 午後は一応自由行動となっていたが、暑さが厳しいのでしばらく休憩して、午後3時から添乗員が希望者を別ルートで中天楼まで連れて行ってくれるという。
 一時間ほど部屋で昼寝して、せっかくだから行ってみることにした。

 その時間になっても暑さは相変わらずだったが、空は雲が広がっていて、日差しがなくなったぶん楽になったような気がした。
 ホテルの前の道を今度は左の方へ、嘉陵江の遊歩道伝いに歩いた。先に方に、川の中に少し張り出した展望スペースのようなところがあって、そこからの眺め。
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 ここから古城の中に入った。
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 入ってすぐのところにお酢を売っている店があった。
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 お酢はこのあたりの特産らしく、店先のこの臼のようなものからお酢が流れ出ていた。
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 店の人が出てきて試飲をさせてくれたので、みんなで何となく中を物色するかたちになり、妻は料理用の黒酢の小瓶を5本ほど買い込んでいたようだ。
 この足裏のマークは、お酢を使った足のマッサージをしてくれる店だという。
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 こちらの清真牛肉というのは、張飛牛肉と同様の製品の別銘柄らしい。
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 立派な屋根瓦である。
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 このあと中天楼に着いて、人通りも少なかったので、さっきは撮れなかった記念写真などを撮ってもらった。
 猫。
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 屋根の上の龍。
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 ちょっとホイアンの旧市街(ベトナム)を思い出した。
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 足のマッサージ店が集中している。
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 次は、古城内の建物を生かした小さなホテル(宿屋)らしい。
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 「今日有房」というのは「空室あります」という意味だろう。
 次もホテルだが、
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 この建物は何やら重要な建物だったらしく、横の方に仰々しい石碑が立っていた(簡体字が交じっているので意味は判らない)。
 こちらは中の様子がわからないが、小学校らしい。
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 さらに行くと立派な城門があった。
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 南門楼とある。この先にも古城のような家並みは続いていたが、もしかすると後からそれらしく付け加えられた所だったのかもしれない。
 また、猫。
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 犬もけっこう見かけたが、犬はあまり写真に撮る気がしない。
 4時半過ぎにホテルに戻った。

 このあとは、午後6時にロビーに集合して外に夕食を食べに行った。レストランは午後の散歩で古城に入って行った入口の手前にあった。
 食後は、希望者でまた中天楼まで散歩をするという。もちろんついて行ったが、ライトアップされた夜の風情もなかなか良かった。
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 ただし、中天楼のライトアップだけはいただけなかった。
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 ここには一応緑色を載せたが、この他に赤・青・ピンクといった原色が数秒ごとに切り替わっていて、きれいだと言う人もいたようだが(人それぞれだ)、わたしには信じられない悪趣味としか思えなかった。まったく何を考えてこんなことをしているのか、想像を絶する気がした。
 まあ、それはそれとして、家並みの雰囲気はとても良かった。暑さもかなり和らいでいる感じで、地元の人たちも外に出て、思い思いのかたちで涼んでいるようだった。
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 帰り道、嘉陵江の遊歩道にもたくさん人が出ていて、集団で踊ったり太極拳をしている人たちもいた。暑い日には、昼間は家の中にいて出歩かず、朝と夕べに外に出るようにしているということなのだろう。
 午後8時20分ごろ、ホテルに帰った。
by krmtdir90 | 2018-09-17 17:40 | 海外の旅 | Comments(0)


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