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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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カテゴリ:海外の旅( 150 )

ポーランドの旅⑪ジェラゾヴァ・ヴォラ~復路(2019.4.23~24)

4月23日(火)

 ポーランド最終日になってしまった。結局、最後まで晴天が続いて、添乗員も長い添乗人生?でこんなに天気に恵まれたのは初めてだと言っていた。

 もう煙草を吸うわけではないが、朝は必ず外に出て、その日の天気や気温を肌で感じ取るのが習慣のようになっている。
 ホテル、ウェスティン・ワルシャワ。
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 早々とわれわれのバスがスタンバイしている。
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 今回はバスも運転手も全区間貸し切りだった。
 ホテルの前の道で。
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 トラムの線路はここにはなかった。

 午前8時30分、バスはホテルを出発した。この日は午前中、ワルシャワ西方52キロのジェラゾヴァ・ヴォラという町にあるショパンの生家を訪ねることになっていた。
 最終日なので、前方の眺望がいい方がいいかなと思い、バスは前から2列目の座席を確保した。
 イースター休暇の間はどこも道路が空いていたが、きょうから平常の混雑が戻って来たようだ。
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 市内に向かう反対車線は混み合っている。
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 こちらは郊外に出て行く。道端に教会が見える。
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 この日は風が非常に強く、郊外に出て行くにつれて、畑の土埃が巻き上げられて視界を悪くしているようだった。
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 午前9時35分ごろ、ショパンの生家の駐車場に着いた。バスを降りて少し歩いたが、凄い強風で飛ばされそうである。こんな快晴なのにこんな強風とは、どんな天気図になっているのだろう。
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 ↑左が生家のある敷地で、右手の白い建物はあとで昼食を取るレストランである。
 ↓向こうの、木の陰になっている建物がインフォメーションセンターで、
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 まずその中に入った。
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 トイレを済ませたりしてからガイドの先導で外に出たが、
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 風の強さは写真では判らない。木の枝が折れて落ちてくる可能性があるので注意してくださいなどと言われるが、そんなことどうしようもない。
 で、これが生家(と言われている建物)。
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 ショパン(1810~49年)がこの地で生まれたのは確かだが、当時の建物などは失われてしまっている。この建物は当時の資料などに基づいて復元されたもので、中は基本的に博物館となっているが、部屋の内装や家具の選定などは可能な限り当時のままにしてあるのだという。

 中に入る。
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 各部屋を順を追って見ていったが、ショパンのファンなら何か感じるところがあるのかもしれないが、わたしはそういう者ではない。ガイドはいろいろ説明してくれていたが、何となく後を付いて回っただけという感じだった。まあ、仕方がないね。
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 見学を終えて外に出たら、先生に連れられた小学校低学年といった子どもたちが待っていて、
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 われわれと入れ替わりに中に入って行った。
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 われわれは建物を回り込んで、
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 右手の庭の奥まったところにあるショパン像を見に行った。
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 ここのは角度を変えても左手に見えたりすることはなかったが、やはり左手がかなり大きく強調されているように思われた。
 銅像の位置から生家を見る。
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 戻ることにする。
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 戻りながら、添乗員がこの生家の撮影ポイントを教えてくれた。
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 観光案内などに使われる写真は、大概このポイントで撮影されるのだという。
 最後に、インフォメーションセンターのショップで買い物などをした。
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 以上で、このツアーの見学はすべて終了した。まだ午前11時前だが、昼食にするという。ツアーの最終日というのは、飛行機の時間に後を押さえられているから、どうしても早め早めにスケジュールをこなすことになってしまうのだろう。
 で、インフォメーションセンターと道一つ隔てただけのこのレストラン。
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 店内。
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 場所柄、ピアノがあるのは当然として、やはりショパンの写真などがこれでもかと飾られていた。
 ポーランド最後の食事。
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 メニューにはローストポークとあったが、味はまあ、それなり。もちろん、ビールはいただきました。
 外に出たが、まだ12時前だった。まあ、仕方がないね。
 ショパン生家の正面。
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 門は使わず、右手のインフォメーションセンターから出入りした。駐車場は左の方に少し行ったところにある。風は相変わらず非常に強い。
 駐車場の横にあった木。
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 これ、右から強風が吹きつけているのだが、判るだろうか。
 午前11時50分ごろ、バスはショパン生家の駐車場を後にした。

 バスは空港に向かっている。
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 道路の両側に付いている高い隔壁は、市街地ではない田園地帯にも付いていたので、どうやら遮音壁ではなく強風に対する防護壁だったようだ。
 ワルシャワ・ショパン空港に着いたのは12時55分ぐらいだったと思う。
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 海外に旅行するようになって、旅先から孫たちに絵葉書を出すのが慣例になっていた。今回もクラクフで早々と用意したのだが、例のイースター休暇で郵便局が休業になってしまい、切手を購入できずに出せないまま来てしまっていた。添乗員もそのことは気にしてくれていて、空港に着くとすぐに、ガイドに空港内の郵便局に連れて行ってくれるように頼んでくれた。
 けっこう隅の方にあったのだが、これが空港の郵便局。
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 中には女性の局員が一人いて、切手を買って無事彼女に手渡すことができた。ポストに投函する時は、そのシーンを証拠として撮影してくるようにしているのだが、ここは手渡しだったので、彼女に撮ってもいいかと聞いたら断られてしまった。↓この右手に局員の彼女がいます。
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 絵葉書は10日ほどで日本に届いた。

 空港ではけっこう待ち時間があったが、まあ、仕方がない。
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 ポーランド航空・LO79便は15:10にワルシャワ・ショパン空港を離陸した。
 
4月24日(水)

 機内でプラス7時間の時差修正を行い、所要時間10時間25分、翌日の08:35に成田空港に着陸した。(おわり)
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by krmtdir90 | 2019-05-23 21:46 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅⑩ポズナン~トルン~ワルシャワ(2019.4.22)

4月22日(月)

 朝食は7時から可能だったが、その前にちょっと外に出てみようと思った。散歩と言うほどのものではないが、ホテルから少し出たところにトラムの線路が通っていたので、様子を見て来ようと思ったのだ。
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 そちらから見たホテル。
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 この日は思った以上に冷え込んだ感じで、妻は早々にホテルに戻ってしまったので、一人でしばらくウオッチングした。ただ、場所的にはあまりいいところではなかったようで、全体が日陰になってしまうし、かなりスピードを出して走行する区間だったようなので、あまり思うような写真は撮れなかった。
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 実はこの時、ちょっとした事件が起こった。
 何だかよく判らない男が、不意に背後から抱きついてきたのである。年齢は30歳ぐらいだったろうか、まともに働いているようには見えない感じで、もしかすると少し酔っていたのかもしれない。いずれにせよ、こんな時間にこんなところでフラフラしているなど、普通の生活をしている人間とはとても思えなかった。この瞬間、わたしは自分の無警戒と無防備を後悔した。バッグやカメラを盗られても仕方がないと覚悟した。
 ところが、男はすぐに「冗談、冗談、びっくりしたかい?」といった感じで手を離し、何やら馴れ馴れしい態度で話し掛けてきたのである。もちろんポーランド語だから、言葉としてはまったく判らないのだが、身振りなどから男の言いたいことはだいたい理解できた。要するに、こんな時間にこんなところで何か写真を撮っているらしい東洋人の年寄り(つまり、わたし)に、単純に好奇心を刺激されたということだったらしい。
 何を撮っているのかとか、どこから来たのかとか、矢継ぎ早にいろんな質問をしてくるが、わたしは勝手な推測に基づいて身振りと日本語で答えるしかなく、それでも何となく相手の言うことが判ったような気になって、とうとう最後にはお互いの名前を名乗り合ったりして、きわめて友好的な雰囲気で笑顔になって別れたのだった。
 人通りのない時間帯、成り行きとは言え、これはやはりツイていたと考えた方がいいのかもしれない。かなり恐ろしい事態になることも考えられたわけだし、一寸先は何が起こるか判らないのだから、周囲の状況をよく判断して、単独行動は取らない方が良かったということなのだろうと思った。反省、である。
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 午前8時15分、バスはポズナンのホテルを出発した。北東に位置するトルンに向かう。
 途中、トイレ休憩を取ったガソリンスタンド。
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 撮影時刻は午前9時40分である。朝は雲一つない快晴だったのだが、バスが出発するあたりから雲が出始めていて、この時は空の大半が雲に覆われようとしていた。
 雲はどんどん増えていて、
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 とうとう空全体に広がってしまった。
 小さな町を抜けた。
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 風力発電の風車。
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 これまで、こちらに来てからはどこに行っても、ずっと太陽の光と青空があったのだが、それらがなくなってみると、景色がこんなにも暗いものになってしまうのかと驚いた。
 教会。
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 宿り木。
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 旅先の印象というのは、その時その時の天候に左右される面が大きいのかもしれないが、来る前は何となく曇り空のイメージがあったポーランドで、連日の快晴が印象を大きく変えてしまうのが面白かったところがあるので、とうとう曇ってしまったかと少々残念な気がした。

 ところが、である。
 トルンの町が近付いてきて、バスが大きな川を渡る頃になって、再び雲が切れて青空が覗き始めたのである。
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 この川はヴィスワ川である。クラクフからワルシャワを通って、このトルンの町に流れて来ているのである。
 トルン市内に入った。
 トラムが走っていたが、
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 ここではゆっくりする時間はなくて、この時以外にトラムを見ることはできなかった。
 やがてバスはヴィスワ川沿いの道路に出た。川は左手にあるが、わたしは右側の席にいたので川の写真はない。だが、こちら側には古い城壁が見えていて、この奥がトルンの旧市街になっているようだった。
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 バスは大きな鉄橋の下の、川沿いの駐車場に入って停まった。
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 すっかり日差しが戻って来た。このあと、雲は多めながら、天気としてはずっと晴れの状態で推移したのだから、とにかく今回の旅は天気に関しては気味が悪いくらい恵まれていたということだったのである。
 さて、そういうわけで、青空の下、川沿いを少し歩いて、
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 旧市街の入口の門に来た。
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 トルンは旧市街を囲む城壁がかなり残っていて、13あったという城門も3つが残っているらしい。これはその中で最も大きいモナスター門という門だった。
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 因みに、トルンの旧市街は1997年に世界遺産に登録されている。第二次世界大戦の時も、ここはそれほど大きな被害を受けることもなく、中世の都市の姿をよく留めているということのようだ。
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 中に入って、まず城壁に沿って左に進んだ。
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 ↑この写真、右手の古い建物の壁についてガイドが何か説明しているシーンなのだが、実はこのあと近くに行って説明を受けた城壁の「斜塔」が一番よく写っているので、それについて触れておく。
 左側の煉瓦は城壁の内側だが、その奥に見えている見張り台のような建物が右に大きく傾いているのである。このあと実際に近寄って確かめてみたが、確かに相当傾いているのが判った。ところが、近付いてしまうとその傾きを写真に撮るのは非常に難しいことになってしまうのだった。
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 ↓右の壁が垂直なのに対し、左が相当前に傾いているのである。
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 このあと右に回り込んで行くと、城壁が途切れ、
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 壁の断面が確かめられるようになっているところがあった。
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 この先に見えていたこの建物は何だったか。
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 説明があったかもしれないが覚えていない。帰って調べても判らなかった。

 これから旧市街の中心部に入って行く。
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 トルンは、地動説を唱えたことで有名な天文学者コペルニクス(1473~1543年)が生まれた町である。その生家がここだという。
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 この建物のかたちは中世の典型的な商家建築であるらしく、彼の父親はここで銅を商っていたようだ。こうした中心部に店を構えていたのは、非常に裕福な生活だったことが想像されるようだ。
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 中は博物館になっているというが、この日は休館のようだった。

 さらに旧市街を歩いて行く。
 これはコペルニクス生家の並びにあった(たぶん)レストランの入口。
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 イースター・マンデーだから休業のようだった。
 こちらは聖ヨハネ大聖堂。
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 13世紀に建てられたトルン最古の教会だったようだが、今回トルンでは街歩きをしただけで、教会の中などには入らなかった。
 中心の旧市街広場に向かう。
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 広場に出た。
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 これは旧市庁舎で、前に立っている銅像はコペルニクスである。
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 これは広場に入って来ている通りで、
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 この右手の角に、なぜかロバがいるのである。
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 旧市庁舎の塔だが、
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 上が展望台になっているようで、手摺りの向こうに人影が見えている。
 内部は博物館になっているというが、きょうは休み。ただし、建物の中庭には入れるようになっていた。
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 建物は完全な口の字になっていて、
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 出入口は一つではなく、
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 反対側にも別の出入口があって、
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 脇にこんな小人が座っていた。
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 旧市庁舎の反対側(裏側?)の広場に出た。
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 奥の方に大きな教会があるようだ。
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 これは聖母マリア教会で、14世紀後半に創建されたらしい。修理が行われているようで、かなり大規模な足場が組まれていた。
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 この右手から中に入れるようだったので、
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 ちょっと入って写させてもらいました。
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 この時は気がつかなかったのだが、↑この右下に写っている丸屋根の建物、これはコペルニクスを記念したプラネタリウムだったようだ。

 もう一度、広場の方に戻る。これは↓旧市庁舎の、塔と反対側の(裏側の)面である。
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 右手に回り込みながら、広場の周囲を(旧市庁舎を背にしながら)見ていく。
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 ↑この正面を左に入ったところに聖母マリア教会がある(手前の建物の陰になってしまった)。
 左にあるこの建物は何なのか判らない(たぶん説明はあったのだろう)。
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 さらにこの左にあるのは聖霊教会である。
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 こちらに並んだ建物全体をフレームに収めるとこんな感じになる。
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 ↑この写真では旧市庁舎は右側にある。
 広場をだいたい一回りする感じになった。
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 旧市街に到着してから1時間あまり、時刻は12時40分になろうとしている。旧市街広場を外れて行く。
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 昼食のレストランはこのお店。
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 昼食を終えて外に出たのは午後1時40分ぐらいだった。トルンはあまりゆっくり見る感じではなかったが、まあ仕方がない。
 入場した時とは別の城門から外に出た。
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 ヴィスワ川沿いには遊歩道が整備されている。
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 ↑こちらは駐車場のある下流方向の鉄橋(道路橋だったようだ)。
 ↓こちらが上流方向の別の鉄橋だが(これは鉄道橋だった)、
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 ちょうど左手から電車がやって来ていたのである。で、あわてて少しアップにして撮ったのが次の写真。
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 原板を拡大して架線の有無を確認したが判らなかったので、上に電車と書いたが電化されているのかどうかは不明で、パンタグラフも確認できなかったからディーゼル車だった可能性も高いと思う。

 駐車場に向かって歩く。また別の城門がある。
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 残っている城門は3つということだったから、これで全部かもしれない。
 ↓これが最初の(入場した)城門。
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 向かいの川岸に設置されていたモニュメント(由緒などは不明)。
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 駐車場から見えたホテル。
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 コペルニクス・ホテルと言うらしい。別に何か関係があるということではないだろう。

 さて、以上でトルンはおしまいである。駐車場を出たのは午後2時ごろだったと思う。
 この日はこれからワルシャワに戻るのである。

 午後3時半ごろ、トイレ休憩を取ったスタンド。
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 遠くに風力発電の風車がたくさん見えた。

 ワルシャワへの到着が予定より遅くなったので、計画では一時間程度の自由時間があったのだが無理になったということで、添乗員の提案で、急遽ワジェンキ公園というところにあるショパン像を見て行くことになった。
 少し離れたところでバスを降りて歩いて行く。
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 この右手が公園なのだが、18世紀のポーランド王宮の広い敷地を生かしているらしく、その一角がショパン像のエリアになっているのだった。
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 像に向かってベンチがたくさん並んでいるが、ここでは夏(5~9月)の間、毎週日曜日に像の横にピアノを置いて、ショパンの無料コンサートが開かれているのだという。これは粋だね。

 で、ショパン像だが、
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 これは、風になびく柳の木の根元にショパンが座っているということらしいのだが、柳の木というのが何とも不自然なかたちをしているように感じられて、よく判らないと思ったのである。
 添乗員に促されて、左回りに像の周囲を見ていった。
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 やはり、上から覆い被さるこの柳の枝は納得できない。
 ところが、左回りに見ていくようにしたのが添乗員の作戦であって、こちら側から見ると、
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 黄金の左手と言われた、ショパンの左手だったのですね。
 ということで、ワジェンキ公園の「ショパン像の秘密」はおしまい。
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 ホテルに入ったのは午後6時ごろだったと思う。
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 ↑これ、壁などにライトを当てて、文字を浮かび上がらせる仕掛け。最近、よく見かけるよね。

 夕食はホテルのレストランだったが、この日は食後に外に出て、ショパンにちなんだピアノコンサートを聞くというのが計画されていた。われわれのツアーだけのプライベート・コンサートだったが、開始時間が7時半と決められていたようで、夕食が忙しくなってしまったのは残念だった。
 ということで、慌ただしくバスに乗って会場へ。
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 これがプログラム。
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 演奏中の写真撮影は禁止だったので、これは最後の挨拶をしているところ。
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 ポーランドで最も権威のあるワルシャワ音楽院(ショパン音楽アカデミー)の講師の方だったようで、わたしのような素人耳にも素晴らしい演奏だったのは判ったような気がした。クラシックなどまったく縁がない生活をしてきたから、来る前は飽きちゃうんじゃないかと心配だったが、完全に引きこまれてしまった。思いがけず充実した1時間だった。
 帰りがけに、会場の建物。
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 この2階の部屋だった。

 ホテルの部屋に落ち着いたのは午後8時50分ぐらいだったと思う。
 とうとうポーランド最後の夜になってしまった。部屋の窓からの眺め。
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by krmtdir90 | 2019-05-22 23:59 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅⑨シフィドニツァ~ポズナン(2019.4.21)

4月21日(日)続き

 バスはヴロツワフの南西約50キロにあるシフィドニツァという町に向かっている。
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 シフィドニツァには平和教会と呼ばれる木造の教会があって、ヤヴォルという町にある同様の平和教会とともに世界遺産に指定されている。
 平和教会という名前には歴史的な背景があるので、その点をを最小限のかたちで整理しておく。

 1618年に始まり、ヨーロッパ中を長期の戦乱に巻き込んだ三十年戦争が発端である。この戦争は、カトリックとプロテスタントの宗教的対立を始め、ハプスブルク家と反ハプスブルク家勢力の覇権争いなどが複雑に絡み合い、延々30年も続いた挙げ句、1648年のウェストファリア条約締結によってようやく終わりを告げた。
 この結果、ハプスブルク家はオーストリア皇帝としてのみ存続することになり、ポーランド西部はその支配下に置かれることになった。ハプスブルク家は一貫してカトリックだったが、宗教対立を終わらせるという上記条約の決定により、住民の90%がプロテスタントだったこの一帯を「寛容の場所」として、ヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフの三つの町に新たなプロテスタント教会の建設を認めることとした。ただし、伝統的なカトリック教会のような頑丈で立派な建物を造ることは許さず、次のような条件が課せられたのだという。
 1、一年以内に建設を終えること。2、市壁の外側に建設すること。3、大砲の射程距離内にあること。4、伝統的な教会建築様式を採用しないこと。5、塔や鐘楼を設けないこと。6、耐久性のある建材を用いないこと。等々。
 これらの厳しい条件に沿って造られたため、平和教会は教会らしからぬ佇まいを持ったきわめて珍しい教会となり、それでもキリスト教における信教の自由を象徴する場として、1655年の建設以来、その姿をほぼ留めたまま保存されてきたらしい(残念ながらグウォグフの教会は火災で焼失してしまったようで、いま残っているのはヤヴォルとここの二カ所だけである)。

 教会の前の道でバスを降りたのは午前11時45分ごろだった。
 シフィドニツァ平和教会への入口(この写真は帰り際に写したもの)。
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 入口を入ってすぐのところにある建物(↓この左の建物)の窓の戸の裏側に、
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 こんな日本語が書かれていた。
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 どうしてこんなものがあるのか、説明があったかもしれないが聞いていない。内容についても、この「警備員の家」というのがこの建物のことなのか、それとも別の建物を指しているのかよく判らない(ま、いいか)。
 平和教会の建物だが、
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 庭木が邪魔をして、全体を捉えるのはなかなか難しそうだ。
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 どうしても部分的になってしまう。
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 この角度あたりが一番いいかもしれない。
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 やはり教会という感じではなく、地方の富豪のお屋敷とか別荘といった雰囲気ではなかろうか。

 さて、われわれが到着した時、教会の中ではちょうど赤ん坊の洗礼式が行われていて、それが終わるまで待たなければならなかった。で、教会の周囲をゆっくり見て回った。
 右側面。
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 裏面。
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 左側面。
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 教会の正面に戻ると、洗礼を終えた赤ん坊と家族が外に出て来た。
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 日本から来た旅行者の集団から「おめでとう」の声がかかるとは、この人たちも予想していなかったのではなかろうか。
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 教会の中に入った。
 内部の造りも、いままで見たことのないようなものだった。
 こちらが正面の祭壇と思われるが、
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 キリスト教の祭壇としてはかなり珍しい姿をしていると思う。
 てっぺんにいる旗を持った動物はヒツジだろうか。
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 周囲には2階席・3階席が付いていて、それは祭壇の後ろ側にも造られている。
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 天井はさすがに木造という感じがするが、祭壇の彫刻を始め、一見大理石のように見える手摺りの部分などもすべて木造なのだという。
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 反対側にはパイプオルガンがあるが、
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 さすがにこのパイプは金属である。
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 ここに女性のオルガン奏者がいて、何曲か演奏を聞かせてくれた。われわれはイスに座って聞いたのだが、イスの向きが祭壇方向を向いている部分と、左側の説教壇の方を向いている部分とに分かれていた。これも珍しいことだと思う。
 これが説教壇。
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 非常に華やかな彫刻が施されている。
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 説教壇の向かい側。
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 外に出て。
 この建物は鐘楼ということだが、
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 教会建設時には鐘楼を建てることは禁じられていたのだから、後年になって建て増しされたものと思われる。

 平和教会の見学を終えて、バスに乗って、ほんの数分で昼食会場に着いた。お洒落なホテルのレストランだった。
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 ポーランドの国民食ピエロギが出た。
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 かたちは餃子に似ているが、こちらの方が大ぶりで皮も厚くモチモチしている。中身はいろいろで、異なる三種類が出て来た。これは茹でたものだったが、他に焼いたり揚げたりしたものもあるようだ。
 レストランの向かいは公園になっていた。
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 木々の芽吹き方は大体こんなもので、われわれの滞在中はかなり暖かくなる日が続いたが、つい最近まで寒かったのだろうなと思わせる感じだった。

 バスがシフィドニツァを出発したのは午後1時40分ぐらいだった。これから約250キロを走って、北方のポズナンに向かうのである。最初は一般道を走り、
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 次に高速道路に入った。トイレの他にに何もないPAでしばし休憩。
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 柵の外に菜の花畑が広がっていた。
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 菜種油を採取するために大規模な栽培が行われているのである。

 ポズナンの市内に入り、バスから降りたのが午後5時20分ごろだった。
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 ↑二つの塔が見えているが、これがポズナン大聖堂である。かなり遅い時間になっているが、これからこの大聖堂を手始めに、ポズナンの市内を一通り見学することになっていた。

 バスを降りて歩いて行く。ポズナン大聖堂の手前に聖マリア教会というのが建っていた。
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 教会前のマリア像。
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 後ろから見ろとこういうかたち。
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 どこに行ってもいらっしゃるヨハネ・パウロ2世。
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 ポーランドの人々にとって、この教皇はよほど誇らしい存在だったということだろう。
 そして、ポズナン大聖堂。
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 塔のかたちが左右対称ではないということにいま気づいた。
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 ポーランドの歴史を勉強して行ったわけではないので、以下は帰ってからの付け焼き刃なのだが、このポズナンは968年、ポーランド初代君主ミェシコ1世が初めてポーランド王国を興したところで、1038年に首都がクラクフに移されるまで王国の中心都市として栄えていたらしい。ポーランドは、建国と同時にキリスト教を受け入れてカトリックの国になったが、その直後に建てられたのがポズナン大聖堂だったようだ。
 ポーランド最古の大聖堂だが、第二次世界大戦で破壊され、現在見られるのは戦後に14、5世紀ゴシック風に再建したものだという。

 中に入った。
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 正面祭壇と説教壇。
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 祭壇のアップ。
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 上部には聖母マリアと女性たちの像、下部に(小さいが)最後の晩餐の光景が彫刻されているようだ。
 祭壇上のステンドグラス。
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 側廊。
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 位置関係を忘れてしまったのだが、横の方に礼拝用に設えられていた祭壇。
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 小さな祭壇?の部屋(通路側に開いている)。
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 全体として、さほど豪華という印象はないが、重厚な雰囲気の内部だったと思う。
 外に出て、これが正面出入口の扉。
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 ポズナン大聖堂。やや斜めの角度から。
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 聖マリア教会の横の石畳に埋め込まれていたプレート。
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 966年にこの地に拠点となる礼拝堂が建てられたことを示しているらしい。

 ポズナン大聖堂は市の中心から少し離れたところにあったようで、このあとバスで5分ほど移動した。バスを降りて歩いて行く途中にあったこの建物、
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 観光とは無縁の建物だが、ユダヤ教徒の古いシナゴーグ(集会所)だったようだ。

 ポズナンの旧市街にも旧市場広場があり、その中央にあるのが旧市庁舎である。
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 旧市庁舎の右手の広場。
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 左手の広場。
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 ここの旧市場広場はそれほど広くないと思う。
 旧市庁舎正面。
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 塔先端の飾り。
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 旧市庁舎は現在、市の歴史博物館になっているようだ。
 旧市庁舎の左手に並ぶ建物。
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 非常に独特な造りで、光が当たっていればカラフルで綺麗だろうと思われるが、すでに時刻は午後6時を過ぎていて、太陽の位置もかなり低くなっているので、完全な陰になってしまっているのが残念である。
 広場の東側の部分を、北から南へ歩いたことになる。
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 ↑南の端から振り返って(北を)見ている。

 このあと、広場を南の方に出たところにある教区教会(ファラ教会)に行った。
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 こういうのをバロック様式と言うらしいが、非常に華やかな外観を持った教会だった。
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 中に入った。
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 正面の祭壇。
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 内部も立派なもので、天井などの豪華な装飾が目を引いた。
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 後方のパイプオルガン。
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 外に出たが、周囲の道幅が狭く、教会全体を捉えるのはとても無理な感じだった。
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 再び旧市場広場に戻って、
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 先ほどは↑この右側(東側)の広場を歩いて来たのだが、今度は左側へ回って行って、広場の西側を旧市庁舎の裏手に向かって歩いて行く。
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 この銅像、頭上に5つの星を戴いているというのは、カトリックでは聖人ヤン・ネポムツキーと考えられるようだ。
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 もう広場はほとんど日が陰ってしまった。
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 これはヴィエルコポルスカ蜂起博物館というもので、
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 1918~19年に起こったというヴィエルコポルスカ蜂起の資料を集めた博物館だったようだ。この蜂起は、当時プロイセン(ドイツ)の支配下にあったポズナンを含むヴィエルコポルスカ地方を、再びポーランドに取り戻そうとして勝利したものだったらしい。

 広場からバスに乗るところに歩いて行く途中、水汲みの少女の像があるレストランがあった。
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 別にここは通りすがっただけで、中に入ったわけではない。

 バスがポズナン市内のホテルに着いたのは午後7時20分ごろだったと思う。
 夕食はホテル内のレストランだった。入口にイースター・バニーが飾られていた。
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 夕食後にちょっと外に出てきた。煙草を吸うわけではないから、外に出なければならない理由はないのだが、何となくそういう気分になるのは習慣のようなものだろうか。
 これが今晩のホテル。
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 これは元ビール醸造所だった建物を活用したショッピングセンターらしい。
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 残念ながらこの日はイースターなのでお休みだった。普通なら夜のお買い物が楽しみだったんですけどねと添乗員が言っていた。 
by krmtdir90 | 2019-05-21 17:00 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅⑧ヴロツワフ2(2019.4.21)

4月21日(日)

 この日の出発は午前9時15分となっていて、ずいぶん余裕があった。朝食は7時から可能だったが、急いで食べる必要もないし、朝食前にちょっと妻と散歩に出ることにした。
 ホテル(右の建物)の脇に川が流れていて、川沿いに石畳の道ができている。
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 この撮影時刻が午前6時40分である。天気は快晴、朝の空気はかなりひんやりしている。
 少し歩くと道は川を離れたが、すぐ右側にもう一つ別の川が現れて、それに沿って行くと広い通りに出た。
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 右手からトラムがやって来て走り去った。
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 右側が橋になっている。
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 橋を渡る。
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 この川はオドラ川と言い、地図を調べてみると、ヴロツワフ市内では幾つかの流れに分かれているが、後でまた一つにまとまって行くという流れ方をしている。ホテル沿いの川もこちらの川も、同じオドラ川なのである。
 オドラ川はチェコとの国境にある山岳地帯を源としていて、ポーランド西部のヴロツワフなどを通って西北に流れ、ドイツとの国境を北に辿ってバルト海に注いでいる。

 ここで、散歩のコースが判るように地図を掲載しておく。
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 左上の赤丸がホテルで、流れている川がオドラ川(流れの向きは右から左)である。右寄りに中州の島があるのが判ると思うが、この赤丸のところまで行って戻って来たのである。なお、川の南側(下)のごちゃごちゃしたところが、昨日歩き回った旧市街である。

 橋を渡り切った。
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 正面を道なりに行けば旧市場広場に通じている。右寄りの奥に写っている塔の先端は、聖エリザベート教会(聖エルジュビェタ教会)と思われる。↑橋のたもとには、何やら古びて黒ずんだ石造りの建造物が見えているが、これとほぼ同じものがこちら側のたもとにも建っている。
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 右から見るとこんな感じ。
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 大きさはちょうど交番ぐらいだが、いまは使われていないようで、昔の検問所とか詰所とかの跡だろうか。
 いま渡って来た橋をトラムが渡って来た。
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 橋のたもとを左折するとやはりトラムの線路があって、こちらでもやって来た。
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 この左の歩道に停留所があるが、表示を見るとトラムとバスの共用になっているようだ。
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 右の車道には特に停留所らしきものは作られていないが、撮ってきた写真を注意して見ると、歩道の停留所とトラムの線路との間に、この区間だけ白線のギザギザ模様が描かれているのが判る。実際に乗客が乗降しているシーンは見られなかったが、トラムが走る車道の幅に余裕がない場合、車道の該当部分に目印を付けて停留所エリアであることを示すというやり方があり、ここはそういうかたちの停留所になっているようだった。

 オドラ川沿いの歩道を歩いて行く。道路の右側に非常に長い建物が続いているが、これがヴロツワフ大学である。
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 少し行くと、左側に次の橋が架かっていて、この道路はヴロツワフ大学にぶつかるかたちのT字路になっていた。この道路を渡った先から振り返る。
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 この橋にもトラムの線路が通っていて、やって来たトラムがそちらに曲がって行く。
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 もう少し行くと大学の建物が終わり、その左手に大学附属のイエズス聖名教会があった。
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 昨日、これらの建物の向こう側を歩き、この教会の中にも入ったのである。既に知っている建物がそこにあって、しかも昨日とは反対側の面を見ているというのがなかなか楽しい。位置関係もしっかり理解できた。
 次の建物はけっこう古そうに見えるが、どういう建物なのかは不明。
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 このあたりで、道路は緩やかに右にカーブしているので、建物の壁に朝日が当たるようになっている。
 次の華やかな色合いの建物との間の道へ、トラムの線路が枝分かれして入って行く。
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 かなり狭い道だと思うのだが、そういうことはあまり関係ないようだ。
 この建物、屋根に十字架がついているからたぶん教会だろうと思うのだが、
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 こちらは裏側なのか、それ以外に特徴がないので断言はできない。地球の歩き方の地図ではこのブロックに聖ヴィンセント教会というのが記載されているのだが、それはもう少し奥にあるようになっており、もしそれだとすると、非常に広い敷地を持っている教会ということになる。よく判らない。

 オドラ川の流れはこの脇あたりで二つに枝分かれしている。
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 流れの向きは手前から奥である。
 大きな四つ角に来た。
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 向かいに見えている建物は、地球の歩き方の地図には市場のホールと載っている。よく判らない名前だが、ショッピングセンターのようなものだろうか。
 トラムがやって来た。
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 道路を横切って、左に架かった橋に向かって行った。
 この橋。
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 橋の向こうが小さな島になっていて(名前はピアセク島という)、見えている建物は砂上の聖処女教会と言うらしい。
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 オドラ川の向こう岸に、教会の二本の尖塔が見えている。
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 これが洗礼者ヨハネ大聖堂というもので、そこまで行って来ようと思っていたのだが、途中でトラムなどにかまけていたので時間がなくなってしまった。

 ポーランドの犬がわたしを見ている。
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 建物の間を抜けて行く。
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 向こうからトラムがやって来た。
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 われわれが渡って来た橋の方に走り去る。
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 すぐ下から見ると、聖処女教会はかなり大きな建物である。
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 向こう側に出ると、ちょっとした公園のようになっていた。
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 もうここで島は終わりで、トラムの線路はもう一つ別の橋を渡って対岸に続いていた。
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 こちらから砂上の聖処女教会の側面を撮ろうとしたが、フレームをはみ出してしまった。
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 この像は、また例によってヨハネ・パウロ2世に違いない。
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 対岸の教会。
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 近くに見える教会は聖十字架教会と言い、尖塔は一本である。尖塔が二本の洗礼者ヨハネ大聖堂は、この見え方からすると思っていた以上に遠いのかもしれない。
 右手にある、これらの教会に渡る橋。
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 時刻は午前7時20分になろうとしている。この時点で、さらに先に行って来るのは無理と判断した。
 砂上の聖処女教会の裏側を回り込んで行くと、
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 ピアセク島の東南側は教会の庭のようになっていて、その外周が歩けるようになっていた。そこからの対岸の眺め。
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 ちょうど太陽の方向と重なってしまって、こうなると写真としてはどうしようもない。
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 最初に島に渡って来た赤い橋のたもとに出た。
 橋の途中から、オドラ川。
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 カメラを左にパンしていく。
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 この向こうは旧市街になるのだが、奥に見えている塔が聖ヴィンセント教会と思われる。
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 同じ道を帰ったので、このあと特に写真はない。ホテルに帰り着いたのは午前7時45分ぐらいだった。それから朝食を食べに行ったが、先に朝食を済ませてこれから散歩に出る人たちもいるようだった。

 午前9時15分、バスは予定通り出発した。
 これまでわれわれは、バスの後部で二人掛けの座席を一人で占める座り方をしていたのだが、前方では二人掛けは二人で座るというかたちになっていたので、添乗員から座席はなるべく固定にならないようにしましょうという呼び掛けがあった。で、早速この日は、前から2列目を二人掛けでキープすることにした。
 わたしはこの位置もけっこう好きで、ここからだと前方の視界が確保されるので、フロントガラス越しに↓こういう写真が撮れるのである。
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 このアングルはけっこう楽しい(やや望遠で撮って、かなりトリミングしている)。

 さて、バスは15分ぐらい走って、この日最初の見学場所の近くに着いた。
 バスを降りたら、向かいの木の茂みの上にコウノトリがたくさんいるのが見えた。
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 巣があるようには見えなかったから、渡りの途中で(コウノトリは渡り鳥である)休んでいたのかもしれない。しばらくみんなで写真を撮ったりしていた。

 さて、ここはヴロツワフ郊外にあるシチトゥニツキ公園というところで、ここにある百年記念会館(百周年記念ホール)という建物が世界遺産になっているのだという。
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 ここも完全な逆光になってしまったが、↑奥に見えている円形の建物がそれで、ナポレオン戦争のライプツィヒの戦いというのに勝利して百周年になるのを記念して、1911~13年に造られた世界最大級のコンクリート製円形ドームなのだという。だから何なの?という気がしないでもないが、そういう世界遺産もあるということなのだ。
 手前にある、何だかよく判らない鉄塔(オブジェ)。
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 何か説明があったかもしれないが、覚えていない。
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 ドームはこちらからだと逆光なので、左手のビューポイントに行くと言う。途中にあった、付随した建物や回廊など。
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 ビューポイントから。
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 手前の広いところには噴水のノズルがあって(可動式らしい)、夜になるとライトアップされた噴水ショーが行われるらしい(冬季はアイススケートのリンクになるようだ)。
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 ↑この石の回廊の手前突き当たりが大きな茂みになっていて、日本庭園が整備されているのだという。ここで一旦解散とするので、中に入る人はどうぞと言う。
 で、せっかくだから入園料8ズロチを払って、ポーランドの日本庭園というのを見て来た。
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 ここは1913年に行われたガーデニングアート博覧会というものの一部として造られたようで、造園の際には日本から専門の庭師が招かれたのだという。
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 門や石灯籠などもあり、立派な池には鯉も泳いでいた。
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 地元の家族(たぶん)が遊びに来ていた。
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 ちょっと違うかなというところがないわけではなかったが、総合的に見てけっこうしっかりした日本庭園になっていると思った。
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 一つだけ面白かったのが↓これ。
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 これ、モミジの木なのだが、この刈り込み方がなかなかユニークである。

 見学を終えてもと来た道を戻る。
 出口に近い花壇の両側に向かい合っていた↓この建物。
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 アンジェイ・ワイダ監督の映画「灰とダイヤモンド」(1958年)が製作されたスタジオだったらしい。玄関の上に、ポーランド語の文字は読めないが、フィルムをかたどったマークが掲げられていた。
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 バスがシチトゥニツキ公園を後にしたのは午前10時20分ぐらいだった。
 公園はヴロツワフの東寄りにあったようで、このあと向かうシフィドニツァは南西方向になるらしかった。で、バスはもう一度ヴロツワフ市内を走ったようだ。
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 実はシチトゥニツキ公園にはトイレがなかったので、できるだけ早くガソリンスタンドを見つけて入ることになっていた。この日はイースター・サンディなので休業の店が多く、見つからないこともあり得るなどと言っていたのだが、ヴロツワフを外れるあたりで営業しているスタンドを発見した。
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 スタンドの前の道路。
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 何か古そうな建物がある。
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 これは何だか判らない。
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 ここまででヴロツワフの回は終わり。
by krmtdir90 | 2019-05-16 14:33 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅⑦ヴロツワフ1(2019.4.20)

4月20日(土)続き

 ヴロツワフの市内に入ると、ここでもトラムが走っていた。
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 道路脇でバスを降りたのは、午後1時25分ぐらいだった。
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 ここは旧市街の近くのようで、これから徒歩でその中にあるレストランに向かう。
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 ここヴロツワフには、旧市街を中心にして至るところに小人(妖精)の像が設置されていて、それを探し歩くのが観光客の楽しみになっているらしい。レストランへの途中で、添乗員がその幾つかを教えてくれた。
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 ポーランドがまだ共産主義下にあった1980年代、反共産主義運動のシンボルとして小人のイメージが風刺的に使われていたらしい。民主主義国に生まれ変わってからしばらくした2001年、この記憶から連想された小人の像が市内に建てられ、その後2009年までに95体の像が設置されたようだ。以後も小人の像は増え続け、現在では250体とも300体とも言われているらしい。
 これは消防士だろう。
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 こいつは居眠りをしているように見えるが、
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 左から見ると、この扉の番人だった感じもする。
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 とすれば、眠っていてはまずかったのかもしれない。

 午後1時40分過ぎ、レストランに入った。
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 遅い昼食を終えて外に出たのは午後2時40分ごろだったと思う。

 このあと、添乗員の先導で旧市街の中心である旧市場広場とその周辺を歩いたのだが、あちこちに小人たちがいるし、順序立てて建物を見て回ったと言うより、小人探しの合間に建物や街並みを見ていた感じが強く、結果として写真の方もかなり飛び飛びになって一貫性がないので、そのまま並べてしまうと収拾がつかなくなってしまいそうである。
 で、このあとは写真の順序を少し入れ替えたりしながら、実際の動きや位置関係などは無視して、まとめやすいように整理したかたちで記述していきたいと思う。

 まず、小人たちをもう少し並べておくことにする。
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 お店の窓にいたりする。
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 アップ。
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 この店はポーランドの国民食と言われるピエロギ(餃子を連想させる)の店だったようで、手に持って差し出しているのがそれだったらしい。
 こちらにはお皿の上でのびている奴がいる。何か、お腹いっぱい食べて満足という感じだ。
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 こいつはピザハットの店の前にいたのだ。
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 これは自由の女神だろうか。
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 これはどういうつもりだろう?
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 さて、小人にばかり目が行っているが、ヴロツワフはもともと旧市場広場を中心とした歴史的建造物に注目すべき町で、広場を囲むカラフルな建物も有名だったようだ。
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 シャボン玉をやっている。
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 広場のちょっと奥まったところにあった聖エリザベート教会。
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 高い塔がついていて、周囲にスペースがないので、全体をワンフレームに収めるのは難しい。
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 なお、この教会は「地球の歩き方」の地図では聖エルジュビェタ教会と記載されているが、同じものである。
 この教会では中に入った。
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 正面祭壇の黒いマリア像。
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 聖エリザベート教会を出て塔と反対方向に向かうと、アーチでつながれた二つの建物がある。
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 これは「ヤシとマウゴシャの家」と呼ばれていて、ポーランド語でグリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」を表しているようだ。左がヘンゼルの、右がグレーテルの家らしい。どうしてそう呼ばれるようになったのかはよく判らない。

 再び小人たちを並べるが、ここの小人たちは、鳥取県境港市の水木しげるロードにいる妖怪たちとは違って、統一的なコンセプトがあって設置が始まったものではなかったようだ。数が増える中で、現在は一定の設置基準のようなものができているようだが、他とはかなり雰囲気の異なった像なども混じっている。
 これは、表通りからちょっと横丁に入ったところにいた動物たち。
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 みんな農家などで飼われる家畜だと思うが、小人たちの中にどうしてそういうものがいるのかは判らない。左の煉瓦塀の上にはニワトリもいた。
 次は後ろの扉とワンセットになっているようだが、何をしているのかはよく判らない。
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 トランクをぶら下げた旅行者だろうか。
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 こいつはすっかり眠り込んでいる。
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 プレゼントらしい箱を持っている。
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 ATMを操作しているらしい。
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 ホイッスルを吹いているようだが、何をしているのかは判らない。
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 首からカメラを提げているから、地図(あるいはガイドブック)を手にした観光客だろうか。
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 この3人はよく判らない(説明があったのかもしれないが)。
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 われわれが歩き回っているヴロツワフの旧市場広場は、中世以来の歴史ある広場のようだが、その中心に建っているのが旧市庁舎である。この建物は13世紀の終わりごろに建設が始まり、200年以上をかけて完成したものらしい。その後も改築や増築が繰り返されてきたため、ゴシック様式とルネサンス様式が混在したようなきわめて特徴的な姿をしているのだという。
 写真は飛び飛びに写しているのだが、広場を反時計回り(左回り)に移動しているように並べ直して、この建物をいろんな角度から見ていきたい。
 まず、これは広場の北西側から見たところ。
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 市庁舎の西側の面を見ていることになる。奥に旧市庁舎のシンボルである塔が見えているが、こちらの建物はあとからつけ足されたものと思われる。
 広場を右方向に回り込んで行くと、旧市庁舎の西側の面が見えてくる。
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 何か教会のようにも見える外観である。
 広場の南西隅まで下がってみる。
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 左右二つの建物は別のように感じられるが、二つが接している部分はつながっているのである。
 塔の上は展望台になっているようだが、エレベーターなどはないから階段を上るしかなかったようだ(われわれは行かなかったのでよかった)。
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 前にある像は、ポーランドの喜劇作家でアレキサンダー・フレドロという人らしい。
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 右手に回り込んで行く。
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 旧市庁舎の南側の面ということになるが、この下のところに、
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 地下で営業しているビア・レストランの入口があった。この日はイースター期間で休業だったようだが、この店は市庁舎ができた当初から営業を続けている由緒ある店で、ショパンやゲーテなども通ったと言われているらしい。なお、市庁舎とビールの結びつきだが、当時は市の外で醸造されたビールは議会の管理下に置かれ、ここでのみ飲むことが許されていたということだったらしい。
 ドアの上にある彫像のアップ。
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 酔っ払って帰って来た亭主(左)を出迎えた奥さん(右)が、スリッパを手に持ってひっぱたこうとしているところだという。このユーモアはなかなかいい。
 また、ドアの右手に、少し離れて小人がいるのが判るだろうか。これもアップ。
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 どうやらこいつも酔っ払っているようだ。やれやれ。

 ということで、さらに右手に回り込んで、市庁舎の東側の面を見る。
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 こちらはまた全然違う印象になっていて、観光案内などに使われる写真はこちらからのものが多いように思う。
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 ただ、時間的に完全な逆光になってしまっていて、晴れるのはいいが、この点だけはどうにもならないのである。
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 ↑かなり修正したのだが、このくらいが限界だった。

 さて、このあとはまた小人たちである。
 最初は、他の小人たちとはずいぶん趣きが違っている。
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 これは「パパ・ドワーフ」と呼ばれているもので、2001年にヴロツワフに初めて設置された像なのだという。かなり大きいし、場所も旧市街の外側のトラムが走る大通り沿いである。
 次は、大きな玉を運んでいる小人。
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 右の小人は押しているが、左の小人は寄りかかっているだけのようにも見える。
 この左の方から見ると、後方にずっと同じような玉が並んでいる。
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 こいつはノートパソコンをやってるみたいだ。
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 次は傑作だ。
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 小人を見つけて写真を撮っている小人。それを見つけて写真を撮っているわたし、という関係になっている。
 次は窓枠の上と下で、何やら荷物を持ち上げようとしている。
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 次はよく判らない。
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 銀行のATMの下にいるこれは、
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 機械の中に小人がいて動かしていると言いたいらしい。
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 こちら側にもいた。
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 三人がかりだったというわけだ。

 実は、少し前から自由行動に切り替わっているのだが、あまり自主性のない12、3人はそのまま添乗員の後に付いて歩いている。
 で、旧市街の北の端にあるヴロツワフ大学にやって来た。
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 ここには附属の教会があって、中に入るというのでついて行った。
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 ガイドブックにも載っていないし、特に期待があったわけではないが、予想外の大きさと豪華さに驚いてしまった。
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 イースターの前日なので、中ではいままさにミサが行われている最中だった。厳粛な空気が満ちていて、とても見て回れるような雰囲気ではなかったから、最後部から↑この写真を撮らせてもらっただけで、あとはミサの様子をしばらく眺めていた。このあと、白服の司祭?が人々の間を回り、イースター・バスケットなどに祝福を与えていくシーンを見ることができた。
 帰ってからインターネットで調べてみると、イエズス聖名教会という名前の、けっこう注目すべき教会だったようだ。

 外に出た。教会の壁に残っていたこれは、戦争中の弾丸の痕だったようだ。
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 教会から続いている大学の建物に沿って歩いた。
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 ↑いずれも振り返って撮っているが、左側にある建物がみんなヴロツワフ大学である。
 途中にいた小人は大学の教授(あるいは司祭?)だろうか。
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 このあと、添乗員と皆さんはショッピングに向かうようだったので、われわれは別行動にして、違う道から旧市場広場に戻ることにした。
 途中の小人。
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 この二人は、この店先にいた。
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 中を覗いては見なかったが、小人は店で売っているものを示していたのだろう。

 広場に戻って来た。
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 ↑この撮影時刻が午後4時30分である。集合時間は覚えていないが、写真のデジタル記録から推測すると午後5時15分だったのではないかと思う。
 時間があるので、広場に面したカフェに入ることにした。↓この店。
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 妻がどこかで調べて来たチョコレートの有名店らしい。テラス席がいいなと思ったが、一杯で座れなかったので、店の奥の方に席を取った。
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 で、妻がこれがいいと言うのでつきあった。
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 ドロドロのチョコレートの上にアイスクリームが載っている。甘さは控え目な感じだったが、甘いことには変わりがない。こんなものを食べていたら、身体にいいわけがない。
 値段は一杯17ズロチだった。ポーランドはEUに加盟しているのに、通貨はユーロになっていないのである(1ズロチは約35円ぐらい)。
 出がけに、店とテラス席の間のところにいた小人を写して来た。
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 これは、この店に入った人でなければ写せない小人である。

 結局、この町ではまんまと小人探しの策略に乗せられてしまった気がする。でも、まあ、面白かったから良しとしよう。
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 集合場所だったソルニ広場(塩の広場)の噴水。
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 このあと「パパ・ドワーフ」がいた大通りに出て(トラムが走っていた)、迎えのバスに乗った。
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 バスは5、6分でホテルに着いた。
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 ホテル内で夕食を食べた後、ちょっと前の道路に出てみた。トラムが走っていたが、写真を撮るにはさすがに暗くなってしまっていた。
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 ↑この撮影時刻は午後7時52分だった。
by krmtdir90 | 2019-05-12 00:05 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅⑥カルヴァリア・ゼブジドフスカ~ヴロツワフ(2019.4.20)

4月20日(土)

 今回の旅は、ワルシャワを基点としてポーランド国内を時計回りにぐるりと一周するコースになっていた。クラクフはその中でもかなり南にある都市だったが、それでも調べてみると北緯50度にあって、北緯45度の稚内などよりずっと北に位置しているのだった。
 ポーランドはかなり北の国なのである。事前情報では、4月は春と言ってもけっこう微妙な時期で、天候によってかなり寒くなることもあるので、防寒対策をしっかりしてくるようにとのことだった。実際、われわれが行く少し前には雪が降ったりして、相当寒い日が続いていたようなのだが、この数日で一気に季節が進んでしまった感じで、この急激な変化には現地の人たちも驚いていたらしい。
 朝晩はやや冷え込むことはあったものの、結果的に、持って来た冬物の衣類はまったく不要になってしまった。それでも、いい天気が続いているのだから文句のあろうはずがない。

 この日の出発は午前7時30分だった。これから先は、それなりに距離が離れた都市の間を毎日バスで移動しなければならず、この日向かうヴロツワフまでは、コースの中で最も距離を稼がなければならないようだった。しかも、途中で「カルヴァリア・ゼブジドフスカ/マニエリスム様式の建築と公園の景観複合体と巡礼公園」という世界遺産(1999年登録)に寄り道することになっていたから、時間的にはかなりタイトなコースになっていたのだった。
 ヴロツワフはクラクフから見て西北西の方角にあるが、カルヴァリア・ゼブジドフスカは南西の方角になるようで、地図を確認するとこの寄り道はけっこうな回り道になっているようだった。だが、まあ、高齢になると朝早いのはそれほど苦になることではないし、せっかく世界遺産が近くにあるのだから、寄って行こうと考えるのは悪いことではないと思った。

 で、バスに乗ること一時間、午前8時30分ごろ「マニエリスム様式の建築と公園」の駐車場(左側)に到着した。
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 小高い丘の上に礼拝堂が見えた。
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 17世紀の初め、地元の領主だったセブジドフスキという人が、この丘をキリストの聖地ゴルゴタの丘に見立てて、周囲にたくさんの礼拝堂を建てたのが始まりだったようだ。カルヴァリア・ゼブジドフスカは人口5千人ほどの小さな町だが、ポーランドを代表するカトリックの巡礼地となり、毎年100万人もの巡礼者が訪れているらしい。
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 ポーランド出身の第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の像が立っている。
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 この日はイースター(復活祭)前日の土曜日なので、朝からミサが行われていて、↓右下の通用口には地元の人がひっきりなしに出入りしている。
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 われわれもここから中に入った。

 ここで、イースター(復活祭)について少し触れておく。キリスト教のことなどわたしはまったく知らないから、これはすべて付け焼き刃の知識であることを断っておく。
 ゴルゴタの丘で十字架に架けられたイエス・キリストは、予言通り三日後に復活したとされているが、その日は「春分の日の後の、最初の満月の日の次の日曜日」とされているらしい(したがってイースターの日にちは年によって違う)。今年はこれが4月21日に当たっていて、この日を挟んだ土日月の三日間は、キリスト教徒にとってはクリスマス以上に重要な祝日になっているということなのだ(因みに、昨日行ったヴィエリチカやアウシュヴィッツの休業日を調べてみると、「元日、イースター、クリスマス」となっていて、きょうはやっていないのだった)。
 日曜日(復活の日)から逆にたどると、最後の晩餐が木曜日、受難の日が金曜日になるということだが、ここカルヴァリア・ゼブジドフスカではこの金曜日に、聖職者たちがキリストの受難を再現した劇(十字架を担いで丘を登り磔になるまで)を毎年行っていて、昨日もたくさんの人々が集まってこの光景に祈りを捧げていたらしい。

 さて、礼拝堂の中はミサが行われているわけだから、基本的に誰でも中に入れるようになっている。だが、観光客として来ているわれわれは祈りの場の雰囲気を壊すような行動は取れないし、後方や脇の方から目立たないように中を覗き見るという感じで見学するしかなかった。内部の写真は飛び飛びに撮ったものなので、判りやすいように順序を入れ替えて掲載する。
 後方から見た内部。
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 右手脇の入口から。
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 ↑左手にもう一つの入口が見えているが、こちらにも小さな礼拝室が作られている。このあと、右手祭壇の裏側からこちらに行くことができたので、↓小礼拝室の内部を見ることができた。
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 そちらから、すぐ近くで見た礼拝堂正面祭壇。
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 祭壇の裏側。
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 礼拝堂の奥に続く廊下。
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 廊下を抜けた先、建物の裏手が中庭のようになっていた。
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 マリア像だろうか。
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 みんな、中庭の奥のトイレを利用してから礼拝堂を出た。
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 表のベンチにいた母親と子ども。
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 ↑後ろから無断で写させて貰ったが、子どもたちの間に置かれた籠が重要である。この日はあちこちでこういう籠を目撃したのだが、通りすがりのことだから、写真にはっきり撮れているのはこれだけだったので、ちょっと使わせてもらうことにする。
 この籠はイースター・バスケットと言い、中には明日(日曜日)の朝にイースターの正餐として家族みんなで食べる食物が入っている。前日(土曜日)のうちに教会に持って行き、司祭さまに祝福してもらうのが習わしなのである。あとで、実際に聖水を振りかけてもらうシーンも見ることができたが、写真を撮ることはできなかった。
 こちらの冬は寒いから、暦の上の元日よりも、春の訪れと重なるイースターの三日間の方が、日本で言うお正月の三が日のような気分で迎えられているようだった。この期間はとにかくみんな何もしないで食べたり寝たり、終日ゴロゴロして過ごすということらしかった。

 バスが出発したのは午前9時15分ぐらいだったと思う。
 この日のバスの走行距離はトータルで300キロを超えると説明されていた。後半で高速道路を使ったが、それにしてもかなりの距離である。
 最初は一般道での車窓。
 教会。
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 ↑木造のように見える。実は、クラクフ周辺のポーランド南部一帯には、15世紀ごろに建てられた木造教会が50ほど残っていて、そのうち6つが世界遺産に登録されているらしい。確証はないが、これはその6つではないが、50の木造教会の一つではないかと推測した。
 小さな川と鉄橋。
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 線路を越えた。
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 ↑電化はされているが単線なので、たぶんローカル線だと思うが、この左側の建物は駅だったようだ。
 小さな町に入ったところで、
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 イースターの籠を持った母娘とすれ違った。この奥に見えている建物が教会で、
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 母娘はここで籠を祝福してもらって来たのだと思われた。
 火力発電所。
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 帰ってから少し調べてみると、ポーランドはこれまで電力の8~9割を石炭火力発電に依存していたようだ。だが、世界的なCO2削減の流れを受けて、再生エネルギーへの転換を進めると同時に、原子力発電所の新設も計画しているのだという(いままでなかったのだから、これは止めた方がいいと思うがな)。
 高速に入ってから、休憩を取ったサービスエリア。
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 線路を越える時、たまたま貨物列車が通った(ブレてしまったが)。
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 風力発電の風車。
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 一面の黄色は菜の花だった。
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 車窓の景色は基本的にどこまでも平らで、そういう意味では実に変化に乏しい景色が続いた。

*この日は1回に入れてしまおうとしたのですが、さすがに分量が多すぎたようで、受け付けてもらえなかったので、急遽2回に分けて掲載することにしました。ので、この回はちょっと短くなっています。

by krmtdir90 | 2019-05-11 22:55 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅⑤オシフィエンチム(2019.4.19)

4月19日(金)続き

 クラクフ市内、ヴィスワ川沿いの駐車場でヴァヴェル城の写真を撮ってから、
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 徒歩で昼食のレストランに行った。
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 珍しく料理の写真を撮ったのは、このロールキャベツがちょっと信じられないくらい大きかったからである。
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 周囲の食器などと一緒に写せば巨大さが伝わったかもしれないが、これだとあまり判らなかったかも。でも、わたしも含めて、多くの人が一つ食べるのがやっとという感じだったようです。

 さて、この日の午後のスケジュールはA・Bの選択プランとなっていて、添乗員やガイドはオシフィエンチム(アウシュヴィッツとビルケナウ)に案内してくれることになっていたが(A)、希望しない人は自由行動をしていてもいい(B)ということになっていた。
 カンボジアのトゥールスレンの時もそうだったが、こうしたダークツーリズムの場合は、行きたい人はこれこそが旅の第一目的として来ていることが多いから、旅行社としてはその希望には十分に応えなければならない。だが一方で、行きたくない人の中には感情的に受け付けないという人もいたりして、その気持ちもまた尊重しなければならないということになるのだろう。
 わたしがポーランドを目指した最大の理由は、やはりアウシュヴィッツを見ておきたいということだったわけで、われわれがAコースに行くのは当然のことだったが、ツアーでは行かないで自由行動を選択した人も2人ほどいたようだった。

 ということで、われわれはこれから世界遺産「アウシュヴィッツ・ビルケナウ/ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)」(これが正式の登録名である)の見学に向かう。バスが出発したのは午後1時20分ぐらいだった。

 なお、上記の世界遺産登録名は、1979年の指定時には単に「アウシュヴィッツ強制収容所」となっていたが、保有国ポーランドからの申請により、ナチスによる施設であることを明確にするために、2007年に上記のように名称変更されたものらしい。
 また、アウシュヴィッツやビルケナウという名前はナチスドイツが一方的に付けたもので、ポーランドの地名で言えば、アウシュヴィッツはオシフィエンチム市、ビルケナウはブジェジンカ村にあるのだという。
 オシフィエンチムはクラクフの西方54キロにあり、バスの所要時間もそれなりにかかるので、一日のうちにヴィエリチカ岩塩坑とこちらの二つを訪ねるのは、コース設定としてはかなりタイトなものになってしまうようだった。まあ、それは申し込んだ時から判っていたことなので、実際かなりハードな一日になったが、とにかくがんばって歩くしかなかった。

 バスの車窓。
 途中の教会。
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 川と鉄橋。
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 たくさん並んでいる線路と飛行機雲。
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 近くに駅があると思われるが、確認は出来なかった。
 実は、この時バスはアウシュヴィッツのすぐ近くに来ていたのがあとで判ったのだが、ここはアウシュヴィッツ強制収容所に隣接していたという旧貨物駅の構内だったと思われる。貨車に詰め込まれて運ばれて来たユダヤ人が、過酷な現実を知らされて選別を受けた現場だったかもしれないと後になって気づいた。たぶん、それで間違いないと思う。

 上の写真を撮った直後、バスはアウシュヴィッツの駐車場に入って行った。時刻は午後2時43分だった。
 バスを降りて行くと、インフォメーションセンターの前は広場になっていて、そこは観光客でごった返していた。
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 添乗員の話しでは、これでもこの日はかなり空いている方だったようで、修学旅行生などとぶつかるとずいぶん待たされることもあるのだと言っていた。ポーランドを始め、ドイツやヨーロッパ諸国、そしてイスラエルの高校生は必ず修学旅行でここを訪れることになっているらしい。

 さて、このアウシュヴィッツは博物館として運営されていて、入場料は基本的に無料だが、ガイドツアーのかたちになるのでそこに費用がかかるということのようだった。
 で、ツアーガイドの女性の先導でこの一番左の入口から、
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 入場した。
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 入るとすぐに、建物左側の屋外にできた行列に並ばされた。
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 この先で手荷物検査を受けるようだ。柵の左側は見学を終えた人たちの帰りの順路になっているらしい。
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 午後になっても雲一つない快晴が続いていて、折から木々の芽吹きの色も美しく、何とも言えず長閑な気分になってしまう。こんなにのんびりした雰囲気でいいのかという、ちょっと違和感のようなものを感じた。

 このテントの中でチェックを受け、グループごとに周波数が別になった専用のイヤホンガイドを受け取る。
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 レシーバーがイヤホンではなくヘッドホンタイプだったので、使い慣れないわたしにとっては終始使いずらかったのは残念だった。
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 ここからグループごとにまとまって進んで行く。
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 これが、写真などでもよく見かける収容所入口のゲート。
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 有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文字は外の方を向いていて、中に入れられてしまえば、文字は裏返しにしか見えないのである。 
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 この先が収容所の中になる。右手を見ると、
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 内と外は、高圧電流が通った二重の有刺鉄線で隔てられている。右の建物はインフォメーションセンター、左の建物は収容所内のキッチンだったようだ。
 進んで行くと、煉瓦で造られた同じような大きさの建物が整然と並んでいた。
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 ここはポーランドに侵攻したナチスドイツが、ポーランド軍の施設を接収して1940年5月に開所したものだという。もともとが兵舎だったところだから、建物の造りなどは同じかたちでしっかりしたものが並んでいるのである。

 ここのガイドツアーは、ヴィエリチカのようにコースや時間が決められているわけではなく、グループの希望や事情に合わせて見学箇所も柔軟に選択されていたらしい。
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 所内では様々なグループとすれ違ったが、どのグループも同じ動きはしていないようだった。残念ながら、われわれのグループは時間の関係で非常に駆け足の見学になってしまったが、重要なポイントは外さないような回り方をしていたようで、その点は良かったのではないかと思った。
 所内にはもっと人影があったのだが、以下の写真では何となくそれを避けるような感じで撮影している。
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 それにしても、青空の下、明るい太陽の光を浴びているこれらの建物は、悲劇の舞台となったことを忘れてしまいそうなくらい美しく感じられてしまうのである。
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 グループはツアーガイドの先導で動いているが、説明などは同行しているわれわれの現地ガイドがどんどんしてしまう感じで、日本人の彼女もしっかり勉強していることが感じられた。

 所内には全部で28棟の収容棟があったようだが、その中から、われわれはまずこの4号棟に入って見学した。
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 ここには、この収容所が行ったユダヤ人絶滅計画の概要が展示されていた。
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 説明してくれているのがわれわれの現地ガイド。
 アウシュヴィッツの推定犠牲者数に関するボード。
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 ここに連行された130万人の内訳が示され(ユダヤ人110万人、ポーランド人14~15万人、ロマ・ジプシー2万3千人、ソ連軍捕虜1万5千人、その他2万5千人)、その内の110万人が殺害されたと書かれている。
 犠牲者の遺灰が入った慰霊碑。
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 写真とボードで、ここで何があったのかが明らかにされている。
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 写真。
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 次は、近隣の第三収容所に造られた大規模のクレマトリウム(ガス室と焼却炉の機能を一体化させた施設)のミニチュア模型。
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 複数の民間企業が、当時の最新技術を導入して建設したものだという。
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 次は、ガス室で使用された殺虫剤チクロンBの空き缶の山。
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 チクロンBの現物。
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 この他、収容者の大量の髪の毛なども展示してあった。

 続いて、隣り合った5号棟を見学した。
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 ここには収容時に没収された私物や犠牲になった人々の遺品などが展示されていた。
 眼鏡(ブレてしまった)。
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 義足など。
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 カップや食器。
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 鞄。
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 子どもの衣服。
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 履き物。
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 ブラシなど。
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 外に出て、春の日差しの下の収容所の建物。
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 ここの展示の特徴は説明し過ぎていないことだと思う。わたしが見た限りでは、ヒトラーの名前や写真はどこにもなかったし、安易な方向づけや決めつけに逃げることもしていなかった。被害者意識とか加害者への断罪とか、つい依拠したくなる諸々のものときっぱり切れたところで、事実のみを示すことで静かに主張しようとしているように思われた。見る者の想像力に訴え、その想像力を信じていると思った。これは、こういう施設として素晴らしい行き方だと思った。

 最後に入ったのは、敷地の一番奥にあった11号棟だった。
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 ここは収容所内でも特別な場所で(「死のブロック」と呼ばれている)、政治犯などで有罪となった者が死刑執行の直前に収容されるところだったらしい。
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 ↑これらは比較的明るい部屋だが、狭い廊下の両側に、外光がまったく差さない小部屋がぎっしり並んでいるところもあった。
 10号棟との間には、銃殺刑を執行する処刑場「死の壁」があった。
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 これで建物に入っての見学は終わり。出口の方に向かいながら、あと何カ所か見学場所があるようだった。
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 キッチンと食堂。
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 ちょっとした広場があって、絞首刑に使われた木組みが復元されていた。
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 この広場は点呼などに使われていた場所で、絞首刑は集団で、他の収容者たちが見ている前で行われたようだ。
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 点呼広場(向こう側から)。
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 収容所の北側境界。
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 監視塔やその横の建物は有刺鉄線の外側にある。
 境界を越える。
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 ↑監視塔(手前)の奥は病院だったらしい。
 反対方向。
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 ↑右が収容所内、左が外になる。外の建物はSS(親衛隊)の管理局、奥には収容所司令部があったようだ。
 外の正面に絞首台があった。
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 収容所がソ連軍によって開放されたのは1945年1月だったようだが、ここは1947年4月に初代所長だったルドルフ・ヘスが絞首刑に処せられた場所だったらしい。
 この左手に、ガス室と焼却炉の一部が残っていた。
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 中に入る。
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 3年前に観た映画「サウルの息子」(2015年・ハンガリー映画・監督:ネメシュ・ラースロー)を思い出した。あの舞台はビルケナウとされていたから、ガス室や死体の焼却室はもう少し規模が大きかったと思うが、その衝撃的な映像はまだ記憶から消えてはいない。今回の見学でも、こうした作業に従事させられたゾンダーコマンドの存在には触れられていたし、あの映画のヒリヒリする感覚がもう一度甦ってくるような感じがした。
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 ここを出たところでアウシュヴィッツ第一強制収容所の見学は終了した。
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 インフォメーションセンターの前に戻った時は午後4時半を過ぎていた。このあと、ここから2キロほど離れた第二強制収容所ビルケナウに向かう。
 バスで移動したが、バスは鉄道線路の上を越えて行った。
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 ここオシフィエンチムに強制絶滅収容所が置かれた理由は、鉄道線路がすぐ近くにあり、ヨーロッパ各地から収容者を移送して来るのに便利だったことが大きかったようだ。

 バスは10分足らずでビルケナウの駐車場に入った。このあたりの経過を説明的に表す写真を撮っていないのは、さっきの見学で何となく気持ちがぼんやりしていたのだと思う。
 駐車場から収容所までは、畑の中の(見通しのいい)道をしばらく歩くようだった。
 少し行くと、写真などで見たことがある横長の建物が見えてきた。
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 建物に向かう鉄道線路が残っている。
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 線路は「死の門」と呼ばれたゲートをくぐって収容所の中に消えている。
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 見学時間がかなり押しているようで、建物に到着するとすぐに「死の門」の上にある監視塔に上った。
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 そこから収容所全体を眺める。こちらが「死の門」から通じる引き込み線。
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 線路の先は行き止まりになっていて、ここで貨車から降ろされたユダヤ人たちの多くは、二度と外に出ることはなかったのだ。
 ↓線路の左側。こちらには行かなかった。
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 ↓右側。
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 このあと、こちらの2つの建物を見学した。
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 このビルケナウは、アウシュヴィッツと比べると非常に広い敷地を持っていて、総面積は1.75平方キロ、東京ドーム37個分の広さがあるのだという。アウシュヴィッツへの収容者の急増に対応するため、ソ連軍捕虜を使って突貫工事を行い、1941年5月に急遽開所したものらしい。もともと湿地帯だったところに満足な基礎工事も行わずに建てたので、収容棟は粗末で環境は非常に劣悪なものだったようだ。

 さて、監視塔を下りて、
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 右手に並んでいた木造の収容棟の方へ。
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 一番手前と4番目の棟に入った。
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 手前の棟は共同トイレだった。
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 たくさんの丸い穴が空いただけの、垂れ流しのトイレ。
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 一日二回、決められた時間に集団で使用させられたらしい。
 次の棟は居住棟だった。
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 3段になった木の棚(ベッド)が並んでいて、真ん中に煉瓦で造ったストーブがあった。
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 奥に向かって延びている煉瓦の空洞に煙を通して暖めるということらしいが、あまり効果がありそうには思えない。しかも、肝心の燃料がほとんど配られなかったというから、何のためにこんなものを作ったのかよく判らない。

 見学を終えて外に出る。
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 このあと、短時間だがフリータイムにして、駐車場のバスに集合というかたちにするという。
 駐車場は離れているから、時間を逆算して動かなければならない。線路の突き当たりまで行けば国際慰霊碑とかいろいろなものがあるようだが、何となくせかせか動く気分になれなかった。で、線路の上を少し歩いたりして、ゆっくりあたりの写真を撮ることにした。
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 線路の突き当たりの方を望遠で。
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 右の方の鉄条網の傍らから。
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 鉄条網の間から。
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 ビルケナウが解放された時、ナチは証拠隠滅のため多くの施設を破壊して行ったらしい。その痕跡を望遠で。
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 第二強制収容所ビルケナウで撮った最後の一枚。
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 最後まで青空の下、どこまでも明るく美しい風景で終わりになった。

 集合時間が何時だったか覚えていないが、けっこうギリギリになってしまったので、駐車場に付随していたショップを覗く時間はなくなってしまった。まあ、仕方がない。
 非常に駆け足の見学だったが、深く印象に残ったと思う。

 また、このあとの経過を表す写真がない。アウシュヴィッツとビルケナウ、印象を反芻したい気分が強かったのかもしれない。
 クラクフに戻り、レストランで夕食になった。
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 午前と午後、たくさん歩いたし、好天で暑いくらいだったから、ビールが美味かった。
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 ホテルに帰ったのは午後8時半ぐらいだったと思う。
by krmtdir90 | 2019-05-06 22:32 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅④ヴィエリチカ(2019.4.19)

4月19日(金)

 快晴である(ホテル前の様子)。
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 この日はクラクフ近郊にある2つの世界遺産を見学に行く。午前中はクラクフの東南約15キロにあるヴィエリチカ岩塩坑である。
 午前8時半、バスで出発した。
 クラクフ市内を流れるヴィスワ川を越える。
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 30分あまりでヴィエリチカの町に到着した。駐車場でバスを降り、
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 ゆるやかな坂道を歩いて行くと、
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 これがビジターセンターの建物。この中に岩塩坑に通じる階段やエレベーターがある。
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 こちらがセンターの敷地への入口で、右の小さな建物がチケット売り場だったようだ。
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 われわれのチケットはもちろん予約で用意されていたのだろうが、ここでは全体がガイドツアーのかたちになっているので、ガイドが付いて入場OKにならなければ中には入れない。中が混雑しないように、時間を区切って入場人数を管理しているのである。

 混んでいる時はかなり待たされることもあるらしいが、きょうは10分ぐらいでゴーサインが出た。ここが階段室への入口。
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 中で一旦ストップ。
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 右の若い女性が岩塩坑のガイド、左がわれわれの現地ガイドである。ここからは、坑内に入った各グループの人数と位置を確認しながら進むことになるようで、全員が入り切ると後ろのドアが閉められ、前に行ったグループの進み具合を見てから正面のドアが開けられる段取りになっていたらしい。途中で渋滞が起こったりしては困るので、グループごとに適当な間隔を取って動くのだろう。

 ドアが開いて中に入ると、一方通行の狭い木の階段があって、ここをぐるぐる回りながら下りて行くのである。
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 このツアーは一度出発したらとにかく先に進むしかなくて、ここは378段の階段を下りて、地下64メートルにある坑道まで達しなければならないのだった。それでも、細かく前後に回って行くようになっていたから、その都度小さな踊り場ができているのは良かった。また、全体が閉鎖空間なので、下が見えることもなく、高所恐怖症が出て来なかったのも良かった。

 階段が終わって、やや広いところに出た。
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 「レベル1、深さ64メートル」という表示がある。
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 この岩塩坑の規模は想像を遥かに超えていて、坑道は全部で9層になっており、最深部は地下327メートル、坑道の総延長は300キロメートルにも達するのだという。見学できるのはそのほんの一部分に過ぎないが、それでもそのスケールは十分に感じられるようになっていた。

 ということで、ここからは見学コースに従って坑道を進んで行く。途中の広くなった空間などに様々な彫像が置かれていたり、人形を使って採掘の様子が再現してあったりした。要所要所でガイドの説明があり、写真も撮ってきたつもりだったのだが、照明が全般に暗く、きちんと立ち止まって撮っていないから、ブレたりピンボケだったり、悲惨な結果になってしまったものも多かった。何とか見られる写真を以下に並べていくことにする。
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 坑道の広さはだいたいこのくらいで、
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 最初のあたりは丸太や太い角材でしっかり補強してあったが、昔からこんなふうに厳重な対策が取られていたわけではないだろう。先に進むと、採掘や運搬の時に使われたと思われる道具や設備が残っているところもあった。
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 ここで、ちょっとこの岩塩坑の歴史をたどっておくことにする。
 このあたりで岩塩が採れることが知られるようになり、採掘が始まったのは1044年のことだったという。12世紀末にこの地に入ったポーランド国王カジミエシュ2世がこれに着目し、1250年からは国営の岩塩坑となって開発が一気に進んでいったようだ。当時のヨーロッパで岩塩は非常に貴重なものだったようで、ここで採れた岩塩が当時のポーランド王国の財源の3分の1を占めるほどだったらしい。
 1978年には世界文化遺産に登録され、その後もしばらくは採掘が続けられたが、1996年に地下水の増加で洪水の危険があることが判り、採掘は中止されて、以降は観光専用の岩塩坑として保全が図られるようになったということらしい。

 ついでに、なぜこのあたりにこんな大規模な岩塩の層ができたのかということにも触れておく。いまから2000万年前はポーランドは海の底だったが、その後海底が隆起して陸地となる際、ヴィエリチカを含む広い土地が内海(湖)として取り残されたようだ。その後、長い年月を経るうちにそれが干上がり、そこに幾重にも重なった塩の結晶層が形成されたのだという。さらに長い年月でそれが地中に沈み、厚い岩塩の層になって残ったということらしい。
 やはり海水が元になっているとはいえ、それが固い岩のように変質していった過程というのは、自然界の脅威という感じがしてなかなか凄いことだと思う。

 木材の補強がなく、岩塩が剥き出しになっているところもたくさんあった。
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 彫像などがいろいろ置かれていたが、それらがすべて岩塩でできていて、どれも(著名な彫刻家が作ったものではなく)当時の坑夫たちが、労働の合間に気晴らしのように作ったものだというのが驚きである。
 これはコペルニクスの像。
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 こちらは小さな礼拝所のようだ。
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 次は、ヴィエリチカ岩塩坑の発見に関する逸話の一場面を表したものである。
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 左でこちら向きに立っているのがポーランド王妃のキンガ姫(1224~92年、実在した人物である)で、ことの詳細は省略するが、彼女の指輪にまつわる不思議な出来事が岩塩坑の発見につながったというストーリーがあるらしい。手前の家臣が差し出しているのがそれで、故郷のハンガリーで姫が捨てた指輪が、この地の岩塩の中から見つかったということらしい。
 以来、キンガ姫はヴィエリチカ岩塩坑の守り主といった位置づけになっているようだ。

 坑道の周囲は岩ではなくて岩塩なので、ちょっと舐めてみてもいいですよとガイドが言うので、やってみたら確かに塩だった。
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 いろんな人形が採掘の様子を再現している。
 この下方の人形は有毒ガスの有無を調べているらしい。
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 間近で見るとけっこうリアルな人形である。
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 坑内では馬も使われていたようだ。
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 馬は一旦坑内に入れられると、死ぬまで外に出ることはなかったのだという。
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 次はポーランド王カジミエシュ3世(在位1333~70年)像。    
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 途中、何カ所か階段を下りてきているのだが、かなり長い階段のところに来た。
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 木の階段は観光用に新たに整備されたもので、↑この手前に刻まれた段が実際に使われていた階段である(これは怖そうだ)。
 また、採掘風景。ただし、働いているのは小人たちのようだ。
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 彩色された彫像。
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 そして、見学コースのハイライト、キンガ礼拝堂。
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 ここは地下100メートル、壁も天井も床も階段も、すべてが岩塩で作られた大空間である。
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 各所に配置された彫像や彫刻、さらにこのシャンデリアも岩塩で作られているのだという。
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 正面の祭壇。
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 左に十字架のキリスト像もあるが、祭壇の中央に飾られているのは(アップの写真がないのではっきり見えないが)キンガ姫の像らしい。
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 周囲の壁の彫刻。
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 これは見事、ダ・ヴィンチの絵画を元にした「最後の晩餐」。
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 見学は分刻みで流れているようで、次のグループが階段を下りて来た。
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 われわれは押し出されるかたちで正面の出口から退出する。

 キンガ礼拝堂を出た後も、まだ少しずつ下りて行くようだ。
 地底湖があった。
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 坑道から湧き出した地下水が溜まったもので、もちろん濃い塩水なので、人が落ちても浮かぶから大丈夫と言っていた(でも落ちるのは嫌だよね)。正面に木製の階段通路があるが、そちらは歩かないようだ。
 木材で補強された大空間と階段(ここも通らなかった)。
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 彫像(誰か判らない)。
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 また、地底湖(正面の階段を歩くのは怖そうだ)。
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 これは地底湖と言うよりも、調整池といった感じだろうか。
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 最後に、天井の非常に高い空間に出た。ここが見学コースの終わりのようだ。
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 いろんなショップやレストランなどが並んでいる。
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 片隅には、ユネスコの世界遺産マークが。
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 世界遺産というのは、1972年に採択されたユネスコ世界遺産条約に基づいてリストアップされたもので、1978年の会議で第1回の指定が行われたようだ。この時決まった12件の中に、ポーランドからヴィエリチカ岩塩坑とクラクフ歴史地区が入ったということらしい。なお、この日の午後に行く予定のアウシュヴィッツ強制収容所は、一回見送られたのち、翌1979年に指定されたのだという。

 さて、このあとはエレベーターで一気に地上に戻ることになる。この定員があるから、いっぺんにたくさんの見学者を入れるわけにはいかないということなのだろう。
 まずここで少し待たされた。
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 そのあと、正面の通路を歩いて奥の乗り場まで移動した。この待合所でも少し待たされた。
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 ここは地下130メートルほどのところにあり、エレベーターは新たに設置されたものではなく、昔の坑夫たちを運んでいた縦坑の昇降機を利用しているらしい。
 昇降機は箱が縦に2つつながっていて、一つが7、8人乗りの小さなものだった(↓この階段の上と下で同時に乗り込むようになっている)。
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 ここが上段の乗り口。
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 時間的にはアッという間だったが、薄いスチール製の簡易な箱という感じで、ギシギシゴーゴー音はするし、あまりいい気分のものではなかった。
 ガイドも合わせて28人は一度に乗り切れなかったので、先に出る便に乗ったわれわれは、降りたところにあった土産物売り場で記念の岩塩などを買っていた。

 地下にいたのは2時間あまりだった。
 外は依然として雲一つない快晴で、日差しが眩しかった。
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 全員が揃ってから駐車場へ向かう。土産物屋が並んでいるが、この建物の様子が何となく日本的な感じがして妙な気がする。
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 駐車場に入って行くと、正面が鉄道の駅になっているらしく、
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 ちょうどカラフルな列車が停まっているところだった。
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 列車は発車する気配が全然なく、先に発車したのはこちらのバスの方だった。時刻は午前11時50分ぐらいだった。

 帰り道。
 途中の車窓から見かけた教会。
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 クラクフ市内に戻って、ヴィスワ川を渡る。向こう岸にヴァヴェル城が見えている。
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 バスは橋を渡った先を右折して、川べりの駐車場に入った。これから昼食のレストランに行くのだが、この駐車場がヴァヴェル城のビュースポットになっているので、ちょっと写真を撮ったりしてから行きましょうと添乗員が言う。
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 天気もいいし、確かになかなかいい眺めである。
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by krmtdir90 | 2019-05-04 22:10 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅③クラクフ(2019.4.18)

4月18日(木)続き

 フロリアンスカ門からクラクフの旧市街に入って来ている。
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 クラクフは11世紀中頃から1596年まで、約550年間ポーランドの首都だった町である。ここは第二次世界大戦の時、ワルシャワのような壊滅的打撃を受けることはなかったようで、中世以来の歴史的な街並みがそこかしこに残っているのだという。
 「ワルシャワが東京ならクラクフは京都」という喩え方をするらしいが、その歴史的街並みは1978年に世界文化遺産に登録されている。

 フロリアンスカ門から通じる通りを歩いて行く。
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 前方に見えている塔は聖マリア教会である。
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 正面から見るとこういう感じ。
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 ここは旧市街の中心、中央広場である。
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 ↑広場の真ん中に堂々たる存在感を放っているのは織物会館(織物取引所)。14世紀に建てられたルネッサンス様式の建物で、昔は衣類や布地の交易所だったところらしい。
 非常に大きな広場で、観光客向けの馬車や、パラソルを広げた露店などがたくさん出ている。
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 露店と人混みの中に立っているのは、ワルシャワの通りにもあった国民的詩人アダム・ミツキエヴィッチの像。
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 昼食のレストランは広場の先にあるようだ。織物会館の正面入口から中に入って行く。
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 広場に面した回廊に作られたテラス席。
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 内部の通り抜け通路の両側には、土産物などの小さな店舗が連なっている。
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 織物会館を抜けると、反対側も同じくらいの大きさの広場になっていて、そちらには旧市庁舎の塔というものが立っていた。
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 12時50分ごろ、われわれは中央広場の先にあるレストランに入った。
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 料理の写真などはない。レストランを出たのは午後1時45分ごろである。

 クラクフ本駅で合流した現地ガイドはこちらに住む日本人女性だった。このあとは彼女の先導で旧市街を散策しながら南端のヴァヴェル城まで行き、そこを見学したあと中央広場まで戻ってフリータイムになるという予定だった。
 歩いて行きながら、ガイドはいろいろ説明してくれていたと思うが、メモを取っていたわけではないからほとんど記憶に残っていない。帰ってから、ガイドブックやインターネットで建物とルートなどを特定しているのだが、参照できる資料が思いのほか少なくてなかなか先に進まない。判らないままだと何となくスッキリしないので、時間がかかるけれどついついこだわってしまうのである。

 で、南に向かって歩いて行くこの道の突き当たりに見えているのは、聖フランシスコ教会の尖塔である。
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 教会に面して東西に走っている道にはトラムの線路があって、
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 ちょうどやって来た。
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 これが聖フランシスコ教会。
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 ↑前に立っている銅像はヨハネ・パウロ2世。ポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位1978~2005年)で、このクラクフの出身だったらしい。
 これもトラムの通り沿いにあったドミニカン教会。
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 上部のギザギザした装飾が特徴的だ。
 われわれはそちらには行かず、手前を右折して行く。

 このあたりの街並みは比較的古いものが残っているようで、その中から↓この建物の入口の上部に注目(とガイドが言った)。
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 このように、入口に動物などの彫刻を施した古い建物が幾つか見られるのだが、これは建物の目印になっていて、番地表示よりこの方が覚えやすいということだったらしい。この建物は「ライオンさんのところ」とでも言うのだろうか。

 次。↓この小さなワゴンはクラクフ名物のパン屋さんで、ベーグルの元祖と言われるオブヴァジャネックというパンを専門で売っているらしい。
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 オブヴァジャネックはもともとこのあたりに住むユダヤ人の間で作られていたもので、それがユダヤ系ポーランド人の移民によってアメリカなどに伝えられ、のちのベーグルに進化していったということのようだ。

 次はこの一画。
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 観光馬車のコースにもなっているようだ。
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 これが聖ペテロ・パウロ教会。
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 17世紀に建てられたイエズス会系の教会で、前方に十二使徒の像が並んでいる。
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 右手のこちらはやや目立たない感じだが、聖アンデレ教会。
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 2つの教会の前がちょっと広くなっていて、誰かの像が立っていて、
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 この背中側に古い石畳の道が並行している。
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 こちらの道を行くようだ。ここはカノンツア通りと言い、昔は貴族や官僚の邸宅が並んでいたところだという。両側の建物はけっこう古いものが多いようで、そうした中の一つの土台部分に残っていた↓これは何でしょう?という問題をガイドが出した。
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 誰も答えられなかったが、正解は、夜間に外からやって来た人が、建物に入る際に掲げてきた松明を消すために使った穴だという。うーむ、そういうことか。
 ↓こちらは、後世になって建物を改装した際に、窓の位置を変更した痕跡が見える(とガイドの説明があった)。
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 そうこうするうちに旧市街の南端まで来たらしく、正面に巨大なヴァヴェル城が見えてきた。
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 前の通りを渡って行く。
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 右の坂道を上って行くようだ。
 これは左手の方。
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 よく晴れているのはいいが、逆光になると撮影が難しい。
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 突き当たりの門を入る。
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 ヴァヴェル大聖堂の塔。
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 これは、18世紀に活躍したタデウシ・コシチュシコという将軍の像。
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 もう一つ門を入ると、その先がヴァヴェル城。
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 入ってすぐのところにあった、これがヴァヴェル大聖堂の正面。
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 14~18世紀の約400年間、ほとんどのポーランド国王の戴冠式がここで行われたらしい。
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 大聖堂の入口に向かって立っているこの像は、たぶんヨハネ・パウロ2世だ(確認はできていない)。
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 ここでは中に入って見学したが、
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 撮影禁止だったので、内部がどんなだったかもう思い出せない。撮影禁止は良くない。

 このあと、大聖堂の横を通って、
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 旧王宮の中に入った。
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 王宮に囲まれた中庭から周囲の建物を見る。
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 建物は16世紀初頭に作られたもののようで、一部で補修工事が行われていた。内部は博物館になっているらしく、見学する予定があるのだが、予約制のガイドツアーになるので、その時間まで待たなければならないらしい。
 で、一旦外に出て、ヴァヴェル城の庭園などを散策して、時間調整をすることになった。

 ヴァヴェル大聖堂を側面から。
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 ↑さっきはこの左側から見ていた。また、旧王宮中庭への入口はこの右手にある。
 旧王宮の建物の外側南面。
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 庭園を隔てて、城内南側に見えるこの建物も旧王宮のものだが、
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 いまはここにトイレやショップ、ビジターセンターなどが置かれているらしい。みんなでそちらの方に向かう。
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 ビジターセンター側から大聖堂や旧王宮を振り返る。
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 ビジターセンターの建物を奥に抜けて(左から右へ)行くと、
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 そこがヴァヴェル城の南端で、川に面した小高い展望台になっていた。
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 これはポーランド最長の川であるヴィスワ川で、南の国境あたりの山脈に源を発し、クラクフ市内を流れたあと、大きく蛇行しながら国を縦断して北に向かい、ワルシャワ、トルンといった都市を経てバルト海に注いでいる。
 ↑こちらが上流で、↓こちらが下流のようだ。
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 ↑この向こう岸に見えている、波打ったような屋根の建物は、
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 日本文化のコレクションを展示している日本美術技術博物館というものらしい。通称を「マンガ館」と呼ばれているらしいが、これは現代のマンガを表しているのではなく、ここに集められた浮世絵などを収集したポーランドのコレクター、フェリクス・ヤシェンスキ氏が愛好した「北斎漫画」に由来しているようだ。
 ↓川のこちら岸、展望台のすぐ下には竜の彫刻が置かれていて、人々が集まっている。
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 この手前に竜の洞窟というのがあって、ヴィスワ川に住んでいたという竜にまつわる伝説があるらしい。この竜が時々火を吹く仕掛けになっているとガイドが話していたら、ちょうどそこで火を吹いたようだ。その時わたしは別の方を見ていて見逃してしまったが、まあ、別にだからどうということでもないだろう。
 川を背にして。
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 ここで少しフリータイムとなり、右のビジターセンターでトイレに行ったりショップで買い物をしたりした。

 庭園を三々五々戻って行きながら。
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 素晴らしい天気で、日差しも暖かく、何とも長閑で開放的な気分である。
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 さて、午後3時15分(だったと思う)、再集合して旧王宮の見学になった。↓これが中庭への入口。
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 中庭を横切り、突き当たりの角で少し待った。そちらから見た中庭。
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 王宮の専属ガイドと落ち合い、この入口から建物の中へ。
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 博物館内もまた撮影禁止だったので写真はない。
 16~17世紀を再現した豪華な部屋と、国王ジグムント2世が収集したという大きな(何枚もの)タペストリーなどがあったと思うが、記憶からはどんどん消えて行くのである。
 フラッシュ撮影やシャッター音を響かせての無神経な撮影は禁止すべきだが、そうでないなら、観光客を受け入れている以上、無闇に禁止措置を取るべきではないと思う。
 見学を終えて、ヴァヴェル城の外に出たのは午後4時25分ぐらいだったと思う。
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 再び中央広場に戻って来た。
 広場の南寄りにあった聖ヴォイチェフ教会。
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 広場の片隅にポツンと佇んでいる小さな教会だが、11世紀に作られたということで、クラクフでも最も古い教会と言われているようだ(補修などは行われている)。
 聖マリア教会と織物会館。
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 広場が非常に広いから、立つ場所によっていろいろなアングルの写真が撮れる。

 このあと、織物会館前を集合場所として、1時間あまりの(具体的な時間設定は忘れてしまったが)フリータイムが取られた。
 カフェで休むも良し、買い物に行くも良しということだが、われわれは添乗員が教えてくれた陶器の店に行ってみることにした。
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 店は広場から出て、北の方向に少し行ったところにあった。↑この左の店。
 陶磁器はこのあたりの名産品らしく、われわれは気に入った小皿などを少々買い込んだ。
 外に出てから、↑右手の看板に「CHICAGO/JAZZ CULB」とあるのに気がついた。覗いてみると、
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 この奥に(行ってみなかったが)生演奏をしているジャズクラブがあるらしい。
 ジャズはポーランドにもちゃんとあるのだ。

 さて、時間はまだたくさんあるので、広場に戻る前にもう少し散歩して、ちょっとトラム・ウォッチングをすることにした。
 広場から離れる方に歩いて行けば、旧市街を取り囲む公園(緑地帯)があり、その外側の道路にトラムが走っているのだった。
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 公園(緑地帯)の中には散歩できる道が通っていて、添乗員がくれた散策用の地図を見ると↓この先はバルバカンに通じているようだった。
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 で、トラムの方だが、夕方(午後5時半過ぎ)の時間帯になってきたからだろうか、次から次へとやって来て休む間がなかった。
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 しかも、実にいろんな種類の車輌が走っているようで、そういう意味でも飽きることがなかった。
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 上の7枚の写真はたった5分間で撮ったもので、同車種や車の陰になったりしたためカットしたものも含めれば、10台ほどが行ったり来たりしたのである。これだけ通ってもらえればまったく十分と言うべきで、妻に付き合ってもらっているということもあるので、このくらいで切り上げることにした。満足である。
 あと一枚。連接構造のバスも撮っておいた。
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 戻る途中にあった教会(名前などは不明)。
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 そして、再度、中央広場。
 旧市庁舎の塔と織物会館。
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 広場を取り囲む建物の1階はレストランやカフェになっているものが多く、パラソルを開いた野外席がずっと連なっていた。
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 このあと、午後6時15分ごろ再集合して、旧市街の外まで歩いた。
 途中にあった教会(名前などは不明)。
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 どこかで迎えのバスに乗ったのだが、このあたり、写真を撮っていないのでどうも記憶がはっきりしない。

 とにかくホテルに到着して、この日の夕食はホテル内のレストランで食べた。食べ終わってから、ちょっとホテルの外に出て写真を撮ってきた。
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 ノボテル・クラクフ・シティーウェストという。共産主義時代のホテルを改装したものらしく、いかにも素っ気ない外観である。内容ももう一つの感じだったが、コスパのツアーなのだから文句を言ってはいけない。ここに連泊する。 
by krmtdir90 | 2019-05-02 18:52 | 海外の旅 | Comments(0)

ポーランドの旅②ワルシャワ~クラクフ(2019.4.18)

4月18日(木)

 こちらのホテルではロビーのある1階を0階と呼ぶので、2階のレストランは1階と表示されている。そのレストランで6時30分からビュッフェ形式の朝食。窓際の席から、表の通りを走るトラムが見下ろせた。
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 この日は午前中、鉄道でクラクフに向かうことになっていた。ホテル出発の9時までまだ時間があったので、ちょっと周辺を散歩してみることにした。
 天気は快晴である。
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 外は空気が冷たく、朝晩はかなり気温が下がるようだ。
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 ↑この独特な形の建物は高層マンションらしい。
 この先の通りに出て、右方向に歩いて行く。
 文化科学宮殿。
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 何やら物々しい名称だが、科学アカデミーなど各種研究施設の他に、展望台・コンサートホール・劇場・映画館・飲食店などが入っているらしい。
 駅に向かって行く。
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 ↑右側がショッピングセンター、中央奥に駅が見えている。左奥の高層ビルは高級ホテルのマリオットのようだ。
 ワルシャワ中央駅。
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 あとでまた来るのだから、何と言うか、まあ事前調査である。
 中に入るとエスカレーターがあり、下に降りると、通り抜け可能の地下道(連絡通路)になっていた。
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 ホームはもう一つ下の階にあり、通路と直角になるように並んでいた。ホームに通じるエスカレーターの横から下を見下ろせるようになっていた。
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 特に改札口などはなく、自由に下に降りられるようになっていたらしいが、あとで来るのだからこの段階で行ってみることはしなかった。

 再び地上に出た。
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 来た道を戻るのではなく、駅とショッピングセンターのある一画をぐるりと一周するように歩いて帰った。
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 ↑トラムばかり写してバスの写真がほとんどないのだが、こういう連接構造の乗り合いバスが各所で走っていた。
 メルキュール・ホテル。
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 早めにスーツケースをロビーに降ろし、表に待っていたバスに積み込んだ。われわれは列車で移動するが、スーツケースはバスでクラクフまで運ぶことになっていた。
 9時にホテルを出発。
 散歩の時とは逆向きに歩いて、朝とは別の入口からワルシャワ中央駅に入った。
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 朝の入口はすぐにエスカレーターで降りるようになっていたが、こちらは1階の広いホールに入るようになっていて、たぶんこちらが正しい出入口だったのだ。軽食スタンドやキオスクのようなお店もあって、正面には切符売り場や窓口が並んでいた。われわれは事前に団体切符を用意してあったようで、すぐにこの階段から連絡通路に降りて、
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 そのままエスカレーターでホームに降りた。
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 ↑この撮影時刻が9時13分。列車は9時45分発だから、30分ほど待たなければならない。だが、駅のホームなら飽きることはない。

 ↑まず線路を見る。軌間は広めだなと思って帰ってから調べてみると、ポーランドの鉄道は標準軌(1435mm)を採用していた。
 ポーランドでは国境を接する周辺諸国との間に国際列車が運行されているが、西側のドイツ・チェコ・スロヴァキアとの間は軌間が同じなので問題ないが、東側のウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・ロシア(カリーニングラード)は広軌(1524mm)なので、そのままでは直通することができない。ポーランドではこれを解決するため、独自の軌間可変システムを開発して、2000年から順次実用化しているということらしい。日本のフリーゲージトレインは頓挫したが、成功させてちゃんと運用している国もあるのだ(速度はそれほど出せないようだが)。

 ホームの反対側に停車中のこの列車は、
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 客車を機関車が牽引しているもののようだ。
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 ↑こちらが後部のようだから、ホームの最前部まで行けば機関車を見ることができるはずだが、ツアーの一員だから、さすがにそこまでのことはできない。
 この列車が出て行ったあと、次にやって来た列車は運転席一体型の車輌だった。
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 いまはこういうものが主流なのであって、向かい側にも同様の列車が入って来た。
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 このホームは手前から奥に向かって進む列車のホームなので、↑これはどちらも最後部ということになる(だから赤いテールランプが点いているのである)。
 これらの列車が発車して、このホームは次のわれわれの列車を待つ状態になった。
 ホームの電光掲示板にわれわれの列車の車輌編成図が出ていた。
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 進行方向は左、われわれの車輌は6号車である。
 頭上の電光表示に「9:45発、クラクフ本駅(Krakow Glowny)行き」が点灯した。
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 「IC」というのは特急列車に該当する「インターシティ」を示している。
 入線して来るところを狙ってシャッターを切ったが、思ったより速い速度で入って来たので、残念ながらブレてしまった。だから、↓これは停車してから写したものである。
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 乗車する。車内はこんな感じである。
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 シートは2×2のクロスシート。シート転換はできないようで、真ん中に向かって向かい合わせに配列されている。指定席は出発前にクジ引きで決めたのだが、われわれは残念ながら進行方向に対して逆向きの席だった。窓も境目のところに当たっていて、視界はあまり良くなかった。まあ、仕方がない。ただ、日差しを浴びる方ではなかったことが唯一の救いだった。

 さて、列車はほぼ定刻(9:45)にワルシャワ中央駅を発車した。
 少しして地上に出たが、周囲には側線などが何本も平行していて、広い駅構内のようなところをしばらく走った。
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 間もなく、妙にだだっ広いところにある駅に停車した。ワルシャワ西駅(Warszawa Zachodnia)である。
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 ↑上の写真、1枚目と3枚目の背景にある木の枝に、黒っぽい玉のようなものがたくさん付いているのがわかるだろうか。これ、宿り木である。日本ではあまり見かけることがないが、ポーランドではこのあと至るところで見かけることになる。こちらでは幸運や繁栄につながるものとして珍重され、クリスマスにツリーと一緒に室内に飾ったりする風習があるらしい。

 ワルシャワ西駅を出ても、かなり先まで駅構内のような感じになっていた。いろんな車輌が停まっていたり、
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 鉄道関係と思われる、煉瓦造りの古い建物が並んでいたりした。
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 コンテナの基地のようなところもあった。
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 この列車の窓ガラスはかなり汚れていて、上の写真でもけっこう気になるのだが、気にしても仕方がないので無視して行くことにする。また、晴れていると、ガラス越しではどうしても反射や映り込みが起こってしまうが、そういう写真も場合によっては活用させてもらうことにする。

 ワルシャワ中央駅を出てから20分ぐらい経過して、ようやく側線などもなくなり、列車はワルシャワ市街地の外の田園風景の中に入って行った。このあとクラクフ本駅まで停車駅はなく、到着は12:06の予定になっていた。
 したがって、以下は車窓風景ということになるのだが、率直に言って、これほど変化に乏しく単調な車窓というのもなかなかないのではないかと思った。ポーランドの国名の起源は、野原・平原を意味する「ポーレ(pole)」と言われているらしいが、実際、行けども行けどもどこまでも平らな大地が広がるばかりで、地形の変化というものがまったく見られないのだった。

 ガイドブックに付いていた地図(カラー)を改めて見直してしまったが、国土の大半が平地を表す黄緑色に彩色されていて、これから向かうクラクフのあたりで薄い黄土色に変わるものの、大平原の延長であることには変わりがないようだった。南側のチェコやスロバキアとの国境には山脈があるようだが、それ以外に、国内には山と呼べるような地形がまったくないのである。
 列車は2時間半ほどの行程だったが、その間基本的にはずっと平らな地平線が続いていて、彼方に遠い山並みが見えることもなければ、トンネルに入ったりアップダウンする地形に入って行くこともまったくなかったのだった。
 その単調な景色を少し並べておく。
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 ↑よく晴れていて地面が乾いているからかもしれないが、土の色がずいぶん白いように感じられた。このあと舗装されてない道などを歩いた時、細かい砂のようにサラサラしていると感じた。たぶん土の成分の中心が砂岩になっているということなのだろう(そのあたりのことが書かれた資料は見つからなかった)。
 細い木々が密集した林が時々あったが、鬱蒼とした感じの森はあまり見えないようだった。
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 あまり深さのなさそうな湖(むしろ池という感じ)がけっこうあった。
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 地理的には、クラクフに向かって次第に南下して行く感じなのだが、そのせいなのか、徐々に緑が鮮やかになっているように感じられた。それと、標高が微妙に上がって行くにつれて、地形の方も少しだけ波打ち始めているように見えた。
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 クラクフの町が近付いているようだ。
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 たぶん市内に入った。
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 そして、5、6分遅れで列車はクラクフ本駅のホームに滑り込んだ。
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 下車して、ホームから階段で下に降りると、通路はそのまま広いショッピングセンターの中に続いていた。
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 エスカレーターで1階に上がる。
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 表に出る。
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 ↑ショッピングビルの入口に一緒に駅名表示がある。この前の道路にはトラムの線路があるが、いまはトラムの姿は見えないようだ。

 時刻は12時20分を少し回っている。このあとはクラクフ旧市街の中に入って、徒歩でまず昼食のレストランを目指す。
 トラムのある通りから横道に折れて行くと、
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 小さな教会があり、
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 その先に進むと、
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 妙に縦長の小さな公園があった。
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 ガイドブックを調べると、マテイキ広場と言うようだ。騎馬像があり、その向こうの突き当たりに見えているのが、煉瓦で作られたバルバカンという古い砦のようだ。
 騎馬像は昔(14~15世紀)のポーランド王、ヴワディスワフ2世という人らしい。
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 円形の砦バルバカン。
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 バルバカンのあるところから先が旧市街になるようだが、この手前の通りにトラムが走っていた。
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 通りを渡ると、旧市街を囲むように公園(緑地帯)が整備されていた。その中にあった印象的な彫刻(誰々と説明があったかもしれないが聞いていない)。
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 バルバカン。
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 これが造られたのは1498年だというが、こうした砦はいまではヨーロッパに3カ所しか残っていないのだという。
 この正面(手前側)にフロリアンスカ門というのが残っている。
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 これが造られたのは1300年頃とされていて、かつては旧市街の周囲をぐるりと城壁が取り囲んでいたのだという。いまはほとんどの城壁が壊されてしまって、このあたりにだけ形をとどめているということらしい。
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 門を入ると、
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 途中に小さな祭壇が飾られていた。
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 城壁の内側。
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 フロリアンスカ門を振り返る。
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 この門の名前はカトリックの聖人フロリアヌスから来ているようで、彼は消防士や煙突掃除人などの守護聖人とされていたらしい。
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 ↑塔の飾り窓にその姿があるというので、撮ってきた写真の中の一枚をトリミングしてみました。

by krmtdir90 | 2019-04-28 18:30 | 海外の旅 | Comments(0)


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