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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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アメリカ南部の旅⑦プランテーション、マルディグラ、復路(2019.2.23・24・25)

2月23日(土)

 昨日からマルディグラのお祭り期間がスタートしたので、バーボン通りの夜の賑わいも尋常なものではなく、それに比例して路上に散乱するゴミの量も一気に増えているようだ。
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 午前7時40分、まだ清掃作業は始まっていない。
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 この日は朝から夕食時まで終日自由行動となっていたが、われわれとしては添乗員提案の行動プランに乗っていくだけである。
 この日の午前中は、小型バスをチャーターして郊外の「オークアレイ・プランテーション」に行くことになっていた。多くの人が参加したと思うが、午前8時にロビーに集合して、ホテル脇からバスに乗ってスタートした。最初は曇り空だったが、現地に着くころには青空も覗いて、絶好のピクニック日和になった。

 ミシシッピ川を越える。
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 バスはミシシッピ川を遡るかたちで概ね西方に走ったが、流域に点在する広い湿地帯を抜けて行くところがあったりして、ニューオリンズがきわめて地盤の悪い土地に囲まれているのが実感された。1時間ほど走った後、ミシシッピ川の土手沿いに続くリバーロードという道に入り、幾つかのプランテーションの建物を遠望したのち、「オークアレイ」の正面を通過して裏手の駐車場に入った。
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 ここが見学者用の入口になっていて、奥に見える建物がチケット売場のあるインフォメーションである。
 こちらが見学順路。
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 突き当たりの花壇を左折。
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 ↑花の真ん中で水が張られた器は、サトウキビを煮詰める時に使った容器(鍋)の再利用らしい。また、奥に見えている家は再現された奴隷小屋で、あとでそちらの方も見学した。
 大きな樫(オーク)の木。
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 中庭の方から屋敷に入って行く。
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 案内人の男性が迎えてくれ、その先導で建物を回り込み、正面の方に出た。
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 アプローチの両側には28本の樫の古木があり、突き当たりの先にはミシシッピ川の土手が見えている。ここで少し説明があったのち、邸宅の中に入った。

 玄関ホールから応接室、ダイニング、2階の寝室など、豪華な調度に彩られた部屋を次々に案内されたが、残念ながら内部は撮影禁止になっていたので写真はない。ネットを見ていると過去に撮影OKの時期もあったようだから、禁止になったのは最近のことだったようで、まあ、そうなってしまった以上は仕方がない。
 なお、案内人はもちろん英語で説明しているのだが、ここにはそれを逐一日本語に翻訳したパンフレットが用意されていて、われわれはそれを読みながら進んで行くかたちになっていたので、いろいろなことがしっかり理解されたのは良かった。
 それによると、樫の並木は豪邸が建つ100年前にこの地に住んだフランス人開拓者が植えたもので、その後ここに広大なプランテーションを築き、サトウキビの栽培で大成功を収めたジャック・ロマンと妻セリーナがこの邸宅を建てたのは、1837年のことだったようだ。現在公開されている邸宅内部は、1840~50年ごろの彼らの生活が判るように飾られているのだという。

 各部屋の見学が一通り終わったところで、2階正面のドアが開かれ、ベランダ(回廊)から正面アプローチの樫の並木を眺めた。
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 望遠をかけてみると、ミシシッピ川の土手が見えている(川面は見えないようだ)。
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 このアプローチの長さが400メートル以上あるのだという。
 四方を囲むベランダの奥行きも4メートルもあって、
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 夏の暑い盛りでも、直射日光を避けて深い日陰ができるよう工夫されているということらしい。
 最後に中央のホールで一枚だけ写させて貰ったが、
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 この前後のドアを開放すると、涼しい風が邸内を吹き抜けるようになっていたらしい。

 このあと1階に下り、外に出て正面の樫の並木のあたりを歩き、各自で記念写真を撮ったりした。ちょうど太陽が顔を出し、明るい感じの写真が撮れたと思う。
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 次に中庭の方に回り、最初に入って来た方に戻って、復元された奴隷小屋を見学した。
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 非常に簡素な作りで、当時を覗わせる家具などが置かれていた。
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 すべて再現されたものだから、妙にこざっぱりとした小綺麗な印象を受けるが、実際はどんなふうだったのか判らないと思った。
 別の小屋では、ここで働いていた奴隷の名前が壁一面に書かれていた。
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 奴隷が着ていた服。
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 これは奴隷の値段が書かれた書類。
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 上の書類を判読して整理した一覧表。
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 名前と年齢、それぞれの特徴などが記されたあとに値段が並んでいる。けっこう値段に差がついているが、使える奴隷とそうでない奴隷が厳しく区別されていたということだろう。いずれにせよ、こうした奴隷制度がシビアなかたちで行われていたのが南部のプランテーションだったわけで、奴隷たちの労働に支えられた南部の繁栄だったのである。

 一通り見学を終えた後、附属のサービスセンターのようなところで土産物などを見てから、付設のレストランで早めの昼食(サンドイッチなど)を取った。
 11時50分ごろ、再びバスに乗ってオークアレイを後にした。
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 屋敷の正面を通り過ぎる時、バスが徐行してくれたので最後の写真を撮った。
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 帰路の車窓。
 線路を渡った。
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 非電化の単線だったが、路線を調べる気力はない。
 サトウキビ畑。
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 次の2枚は道路の下に注目。水が張っているのが判るだろうか。
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 ミシシッピ川流域の湿地帯の中を道路が横切っているのである。こういうところがけっこう続いていて、ワニなんかが普通に生息しているらしい。

 ニューオリンズの市街地に入る前に、バスは少し寄り道をした。市の北側に広がるポンチャートレイン湖である。
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 この湖、琵琶湖の2.4倍もあるらしいのだが、実はこの真ん中を長さ38.4キロの橋(車道)が突っ切っているというのだ。これが見えるというのでやって来たのだが、確かに肉眼だと水平線にずっと続いているのが微かに確認できたと思う。しかし、このコンパクトカメラで写真に写すのはとうてい無理である。
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 なので、ここはこれでおしまい。
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 このあと、市街地に入ったところで、バスは大きな墓地の横を通り過ぎた。
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 入口のアーチに「グリーンウッド(GREENWOOD)」とある。キャナル通りを走る路面電車の終点の一つ「CEMETERIES(共同墓地・墓場)」が、この「グリーンウッド墓地」なのである。
 間もなく、赤い路面電車と線路が見えた。
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 このあたりに終点があるということなのだろう。

 さて、バスはしばらくキャナル通りを走った後、かなり中心部に近付いたところで横道に入って停車した。この日の午後はセントチャールズ通りでマルディグラのパレードがあり、すでに交通規制が敷かれているのでこれ以上は近づけないということだった。
 下車したのは午後1時15分ぐらいだったと思う。

 添乗員のプランでは、このあとセントチャールズ通りまで歩き、沿道の観覧席に入ってじっくりパレードを見物することになっていた。
 通りに着いたら、ちょうどパレードが通過中で、向こう側にある観覧席の方に渡ることができなかった。
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 しばらく待たされてから、ちょっと間隔が開いたところで、警備の警察官に誘導されて渡ることができた。そこはラフィエット広場というところで、
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 ↑この写真、まるで何事もない平穏な広場のように見えるが、これが面したセントチャールズ通りの方は大騒ぎになっていて、観覧席が組まれた下の仮設の売場でチケットを買い、表に回って観覧席に上るというふうになっているのである。われわれは一番高いところに陣取った。
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 通りの向かいにある観覧席は、どうやらそれぞれのビルが出している専用の観覧席らしく、そのビルに関係した人しか入れないようになっているらしい。われわれみたいな一般の観客は、こちらの一般用の観覧席をお金を払って(15ドルだった)確保するということなのである。

 ともあれ、席は確保された。あとはゆっくり見物、といきたいところだが、そういうふうにはなかなかいかないのがパレードというものなのだろう。
 昨日のバーボン通りの仮装行列はまったくの前座だったことがいやでも理解された。この日からが本格的なパレードの始まりだったのだ。

 次々にやって来るパレードの基本形はほぼ次のようになっていた。
 ①最初に来るのがチア。
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 ②次がブラスバンド。
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 ③最後にフロートと呼ばれる山車。
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 フロートを引いて来るのがトラクターというのが、いかにもアメリカ南部という感じがする。
 チアの前、先頭にはそのチアとブラスバンドの所属を示す横断幕がいて、「何々High School」というのがかなり多かったと思う。
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 位置の関係でチアやブラスバンドは撮影が難しく、以下の写真はフロートばかりになってしまうが仕方がない。
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 観客がみんな手を挙げているが、これは単に手を振っているということではない。フロートに乗った人たち(クルーと言うらしい)が観客に向かって、ビーズのネックレスを投げるのを受け止めようとしているのである。観客としては自分に向かって投げてもらうために、こちらの存在をクルーに気づいてもらう必要があり、みんなが大声を出して競い合っているのである(これは盛り上がるよね)。
 撮ってきた写真の中から、宙を飛ぶビーズが写っているものを選び出してみた。
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 次の写真では、ビーズの右にコップが2個飛んでいる。
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 プラスチックのコップには、クルーのグループ名とメンバー名などが印刷されている(妻が一個貰って来た)。
 次は小さな人形が飛んでいる。
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 危なくない程度に、いろいろなものが投げられているのである。

 さて、われわれは観覧席の一番高いところ、つまり道路からは一番離れた席に陣取っていたのだが、ビーズを取ろうと考えた時にはこの位置取りは明らかに不利であって、妻や女性陣の幾人かは途中で最前列に降りて行った。
 しかし、わたしにはそういう積極性はないから、依然として同じ位置で写真を撮り続けていた。ところが、さすがに陽気なアメリカのお祭りである。クルーの中にはそんなところにいる東洋人の姿を目ざとく見つけてくれて、ピンポイントで投げてくれる人もいたのである。そんなにしてもらっては、わたしもその気になるしかなく、2本は取り損なったが、2本を見事にゲットすることができたのである(何十本もゲットしてきた妻には及ばなかったが)。

 途中、短時間だったが雨が降ってくる時間帯があった。だが、これは予報にはあったことだったらしく、わが添乗員が全員分の使い捨てポンチョを用意してくれていたので事なきを得た。実に手回しのいい優秀な添乗員なのである。
 以下、撮ってきた様々なフロート。
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 ここで、妻がガイドのマユミさんから聞いてきた興味深い情報。
 ①チアやブラスバンドが黒人ばかりだったり、全体に黒人の比率が高いように見えるのだがどうしてか。→参加しているハイスクールは実は公立校ばかりで、白人が多く通う比較的ハイレベルな私立校は参加していないのだという。こういうことを聞いてしまうと何だかなあという気がするが、日本でも偏差値や貧富の差を無視してみんな同じ高校生といった嘘がまかり通っていることを考えると、そういうリアルな現実というのもあるのだろうなと考えてしまう
 ②フロートにはどういう人たちが乗っているのか。→マルディグラのパレードのために様々なグループが出来ているようだが、この日を目指すためには相当な金銭的負担があるため、毎年ではなく数年に一度の参加にしているところもあるらしい。市民の中には毎年この期間中はよそに旅行(避難)して、沿道の留守宅を知り合いや関係者にレンタルしている人もいるらしい。いかにもアメリカ人らしい合理主義だが、これはこれでけっこうな稼ぎになっているのだという。

 引き続き、様々なフロート。
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 結局、パレードが終了する5時近くまで、もうお腹いっぱいという感じになるまで見物したのだった。さすがに疲れたが、ビーズのネックレスをいっぱい取れた妻たちは非常な充実感を味わっていたようだ。

 祭りのあと。
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 右側にこの日は運転を休止した緑の路面電車(セントチャールズ・ストリートカー)の線路が見えているが、運転を再開するためには相当入念な清掃が必要だろうと思われた。
 キャナル通りを渡り、バーボン通りを徒歩でホテルに戻った。
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 ↑この撮影時刻は午後5時24分である。

 午後6時、ロビーに集合して、ニューオリンズ最後の晩の食事に向かった。
 レストランはここ(ピンボケだ)、
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 「GW Fins」という、割と新しい人気店だったらしい。最後なのでちょっと写真を撮ってみたが、料理としてはオーソドックスなもので、アメリカ的なものではなかったので面白くなかった。
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 地ビール「アビータ(ABITA)」のアンバー(AMBER)。
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 最初の晩に飲んで美味しかったから、期間中は基本的にずっとこれを飲んでいた。

 食事を終えて外に出ると、雨が降っていた。大した降りではなかったが傘を差して帰った。
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 最後も「雨のニューオリンズ」になってしまった。

 明日の出発が早朝なので、この日の「夜遊び」はなし。
 午後8時45分ごろには部屋に戻り、荷物の整理などをして、持参していたウイスキー(ポケット瓶)で寝酒をして、早めに寝た。

2月24日(日)

 目覚ましをかけて、午前4時過ぎに起床した。
 5時までにスーツケースを廊下に出し、5時からロビーで配布されるお弁当(サンドイッチなど)を受け取りに階下へ。
 午前5時のバーボン通り。
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 一旦部屋に戻って、慌ただしくお弁当を食べた。
 5時半までにチェックアウトを済ませ、バスに乗ってホテルを後にした。空には下弦の月が煌々と輝いていた。

 6時過ぎ、ニューオリンズ国際空港に到着。出国手続きなどをしていると、われわれの乗るダラス行きの飛行機が遅延しているとのこと。理由を聞くと、乗務員が遅刻したためだという。やれやれ、である。マルディグラで飲み過ぎたのだろうか。
 08:07発予定だったアメリカン航空AA009便は、結局30分ほどの遅れで飛行することになった。このため、当初ダラスで乗り継ぐ予定だった11:00発の便には乗ることが出来ず、次の12:20発アメリカン航空AA061便に振り替えられることになってしまった。すぐに次の便があってよかったけれど、ね。

 で、それはそれとして、わたしとしては往路の時からマークしていた、ダラス国際空港でターミナル間を移動する際に利用する、空港内連絡輸送システム「スカイリンク」である。
 5つあるターミナルビルの間を高架の環状線が結んでいて、運転手のいない無人運転システムの2輛編成が、双方向にほぼ2分おきに運行されているのである。

 長いエスカレーターを上がる。
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 左にふくらんだ部分が乗り場である。
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 スカイリンクが到着すると、こちらのドアと車輌のドアが重なるように開き、乗降が行われる。
 われわれが乗るスカイリンクが来たので、前の車輌の最前部の席(いわゆる「かぶりつき」)を確保した。運転席がないから、前方の視界はいい。
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 右下に見えていたこの機体は、たぶんわれわれが乗ってきたものである。
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 走り出した。
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 けっこうスピードが出ている。
 次の駅(と呼んでいいのかな?)に入って行く。
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 こちらに出っぱっている部分が乗降口である。
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 さらに進む。
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 駅?を2つか3つ通り過ぎた。
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 すれ違い。
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 あっという間である。
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 ここで降りるという。
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 ピッタリ重なるように広くドアが開く。↓これは降りてから振り返って見ている。
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 スカイリンクの車輌前部。
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 乗り場前の広い通路。
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 ↑手前側にまた長いエスカレーターがあって、下に降りる。これで終わり。
 乗っていた時間は5分ほどだったが、大変充実した時間だった。

 この日はニューオリンズもダラスも雲一つない快晴だった。まあ、こんな巡り合わせになることもある。
 ↓これが、このあとわれわれが乗る飛行機らしかった。
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 ダラス12:20発・アメリカン航空AA061便・成田行きである。

2月25日(月)

 飛行機が振り替え便になってしまったので、成田到着が何時だったかはっきりしない。プラス15時間の時差修正を行って、たぶん午後5時ごろだったと思うので、だとすると飛行時間は13時間40分ぐらいだったことになる。暇潰しの映画の途中で1、2時間眠ることもできたし、エコノミーでこの時間を耐え抜いたというのは大きな自信になったと思う。

 帰路は18:10発の高尾行きのバスに乗れたので、わが家まで徒歩5分の停留所に一気に帰れたので良かった。総合的に評価して、すごく楽しい旅だったと思う。おわり。
by krmtdir90 | 2019-03-12 17:47 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅⑥マルディグラとジャズ(2019.2.22)

2月22日(金)

 朝食を終えてホテルの前に出てみたら、向かいの建物で朝から外壁の塗装をやっていた。
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 こちらでは、マルディグラを契機に家を化粧直しするということがよく行われるらしく、われわれの泊まっているフォー・ポインツ・バイ・シェラトンでも、部分的な塗り直しが行われていた。
 バーボン通りを朝の清掃車がやって来る。
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 いろんな形の清掃車が稼働しているようだ。

 この日も天気予報はあまり良くなかったようだが、実際には雨の気配はまったくなく、一日中曇りと晴れの間で推移したので良かった。
 午前9時にホテルを出発、この日も午前は全体で市内観光、午後は自由行動というかたちになっていた。まずロイヤル通りをキャナル通りの方に向かって歩いた。
 先日、写真に撮り損なっていた警察署。
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 旧ルイジアナ銀行の建物を使っているのだという。
 ↓バルコニーに外階段がついたユニークな建物。
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 キャナル通りに出てから、このお店に案内された。
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 「パレスカフェ(PALACE CAFE)」というけっこう大きなカフェである。
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 ここで、名物だというバナナフォスター(Bananas Foster)というものをいただいた。お店の人が目の前で調理してくれた。
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 これはガイドブックでも一番に載っているスイーツで、「バナナにシナモンをかけてバターでソテーし、ラム酒などでフランベしたもの、アイスクリームを添えて溶けかかったところを食べる」と書かれていた。
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 添乗員がこのお店にわれわれを連れて来た趣旨は、彼女は「お口直しに」と言っていたが、われわれの泊まっているホテルが、場所柄ホテル内での食事にあまり重きを置いていない感じで、朝食は一応ビュッフェ形式になっていたが、毎日同じものしか並ばず、品数もビジネスホテル並みに貧しいということがあって(わたしは別に不満とは思っていなかったが)添乗員としては申し訳ない気持ちで一杯になっていたということだったらしい。
 気持ちとしてはありがたいことだったが、かなり甘いものだったので、わたしとしては朝から食べるものとしてはどうだったかなという感じも少しあって、まあ、女性陣には喜んでいる人もいたようだから、これはこれで良かったかなということである。みんなを等しく満足させるのはなかなか難しいことなのだと思う。

 さて、このお店には2階もあり、そちらはまだ開店していなかったけれど、眺めがいいから行ってみてもいいということだったので上ってみた。
 キャナル通りを走るオープンタイプの2階建てバス。
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 この青い犬が描かれたビルはシェラトン・ニューオリンズというホテルだったようだ。
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 前のマルディグラカラー(紫・緑・金)が張られたところはパレードの観覧席だろう。

 店を出て、キャナル通りを少し歩いて、
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 今度はディケーター通りに入って、ジャクソン広場を目指した。
 消防署があった。
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 消防車も(控え目ながら)マルディグラの飾り付けをしている。
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 その先には何やら銅像が立っていた。
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 ネットで調べてみたら、台座にある「Jean Baptiste le Moyne de BIENVILLE」という長い名前の人物が見つかった。18世紀初頭、この一帯がフランス領だった時代に、ニューオリンズ建設の中心となったジャン=バティスト・ル・モワン・ド・ビエンヴィルというフランス人がいたらしい。台座の下部には「FOUNDER OF NEW ORLEANS」とあるから間違いないと思うが、ウィキペディアなどではニューオリンズの始まりは1718年となっていて、台座にある1717年とはちょっとだけズレているが、まあ、大したことではないだろう。
 ここをニューオリンズと名付けたのもビエンヴィルで、フランス国王ルイ15世の摂政だったオルレアン公に敬意を表して「ヌーヴェル・オルレアン」としたのが始まりだったとされている。

 ジャクソン広場の周辺で。
 ↓犬を連れたホームレス。
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 ホームレスの姿を何度も見かけた。ニューオリンズはホームレスにはけっこう住みやすい町なのかもしれない。
 ↓この犬はマルディグラの衣装を着せてもらっている。
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 次に訪ねたのは、ポンタルバアパートの中程にある「1850ハウス」というところだった。
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 この店はごく普通のギフトショップだが、店の奥が博物館になっていて、当時のアパートの部屋を使って、1850年頃の白人の中流家庭の生活の様子を再現しているらしい。
 店を通り抜けて奥のドアを出ると、吹き抜けの中庭のようになっていて、
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 横のドアを入ると、けっこう急な螺旋階段があった。
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 上って行くと、2階には当時の家具調度で飾られた食堂や居間などがあった。
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 3階には寝室と、
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 子ども部屋があった。
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 3階踊り場から、階段の優雅な曲線をのぞき込む。
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 3階のベランダに出て、さっきの中庭を見下ろす。
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 見てきた各部屋はこの右側にあり、左の煉瓦の壁は隣家との隔壁になっているようだ。
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 1850ハウスの見学を終えて外に出る。
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 ↑このチャーターズ通りは、セントルイス大聖堂の前で左のジャクソン広場と挟まれた部分の道幅が広くなっている。ここにいつも人がたくさん集まっている。

 さて、このあと行ったのが旧造幣局のジャズミュージアムである。
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 庭の芝生になぜかペリカンがいた。
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 柵があるわけでもなく、まったくの放し飼いと思われるのだが、逃げる心配はないのかとか、そもそもどうしてここにペリカンがいるのかとか、とにかく何だかよく判らない。実はペリカンをこんな身近でじっくり見た経験はいままでなくて、ペリカンというのが、一度固まってしまうと、あとは周囲からちょっかいを出されてもまったく動かなくなってしまうというのを初めて知った。
 こいつは、われわれが帰る時もほぼ同じ場所にいたが、姿勢が少し変わっているだけで、やはり固まってからはピクリとも動かなくなってしまった。
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 ミュージアムの方は一通り見て回ったが、この時は写真をほとんど撮っていない。疲れていたのかもしれない。
 元が造幣局だったところだから、そっち関係の展示も一応は(一部屋だけ)あった。これはコイン・プレス機。
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 ジャズミュージアムの方は幾つも展示室があったが、取り上げられているのはけっこう古い時代のプレイヤーばかりで、解説などももちろんすべて英語だから、正直言うともう一つ興味が湧いてこなかった。古いレコードジャケットとか写真が中心の展示だったが、次は現物が展示されていた。
 ルイ・アームストロングの最初のコルネット。
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 ピート・ファウンテンのクラリネット。
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 ピート・ファウンテンはミュージカル・レジェンズ・パークの3体の銅像の一つになっていた。ニューオリンズの出身で、ずっとニューオリンズに住んで活躍していたらしい。

 ミュージアムの見学を終えて外に出ると、12時15分ぐらいだった。この日も全体行動はここまでで、ここで解散のあとは基本的に自由行動になっていた。添乗員提案の行動プランでは、3時過ぎからバーボン通りをマルディグラのパレードが通る予定なので、通り沿いのレストランで遅い昼食のあとそれを見物するということで、このあとは午後2時にホテルのロビーに集合ということになっていた。

 ここはフレンチマーケットの先になるから、きょう最初に行ったキャナル通りから、ちょうど反対側の隅までフレンチクオーターを横断してしまったことになる。地図で確認すると、フレンチクオーターの長辺の距離は1.6キロぐらいと思われるので、このあとホテルに戻ると、優に3キロ以上(4キロ近く)歩くことになるのだった。
 今回の旅は、いろいろ夜更かしはしたけれど、思いのほかよく歩いた、実に健康的な旅だったとも言えるように思った。

 で、そのホテルへの帰り道、セントルイス大聖堂の前の広くなったところは大賑わいで、いろんなパフォーマンスをやっていた。
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 途中、スーパーマーケットに寄って土産物などを購入した。

 午後2時にロビーに集まって、向かったのはホテルのすぐ近くのこのお店だった。
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 看板に「HOT BOILED CRAWFISH」とあるが、クロウフィッシュというのはザリガニのことである。店の前の、このすぐ左のところで実際にザリガニをボイルしていた。
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 料理の写真を撮ってこなかったことをまたまた後悔しているのだが、真っ赤に茹で上がったザリガニが大皿に山盛りになって出て来て、みんな手をベタベタにしながらそれにかぶりついた。実は、ザリガニというのは頭部(食べられない)を外してしまうと、食べられる身の部分はほんの僅かしか残らないのであって、労力の割になかなか満腹感が得られないものだということを初めて知った。味付けのスパイスがかなり強烈で、食べているうちに口の周りがヒリヒリしてきたが、それを地ビールのアビータ(Abita)で流すというのがけっこう良かった。あとはまた焼きガキなども食べて、全体としてとても充実した食事だったと思う。

 外に出たのが午後3時半過ぎで、バーボン通りはパレードを待つ人々で混み合っていた。
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 3時50分ごろ、パレードの先頭がやって来た。
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 このチアとブラスバンドは近隣のハイスクールの生徒だったようだが、こういうのはこれ一校だけで、あとは要するにてんでんばらばらの仮装行列が次々にやって来た。
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 みんな黄緑色の手提げ袋を持っているが、この中にはビーズのネックレスがたくさん入っていて、
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 気が向くと沿道の観衆にそれをくれるのである。手に持って配っている人もいるし、何とも気前がいいことなのだ。
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 けっこうなお年寄りも混じっていて、
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 まあ、何と言うか、皆さんたいそう盛り上がっていて、
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 こちらも写真を撮って、ビーズをもらって、引っ張られてハグされたりしていたのである。いやはや。

 実は、この日のパレードはまだまったくの序の口だったらしく、このフレンチクオーターを皮切りに、明日以降は市内各所で様々なパレードが繰り広げられ、日を増すごとに規模も盛り上がりもどんどん盛大なものになっていくらしい。
 この日の行列は20分ほどで終わったが、その間に妻とわたしで十数本のネックレスをもらった。孫にいいお土産ができたと喜んだのだが、十数本などまだほんの序の口に過ぎなかった。明日われわれは、その5、6倍ものネックレスを手にすることになるのである。 

 お昼が遅かったので夕食もゆっくり、午後7時過ぎにホテルを出て、通り沿いをあちこち覗きながらレストランに向かった。
 ホテルの前に騎馬警官が待機していた。
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 ストリートミュージシャンたち。
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 ロイヤル通りはお洒落な通りである。
 これは、激辛香辛料を味見できるお店だろうか。
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 アートギャラリーなども多く、
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 マルディグラの飾り付けをしているところもあった。
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 警察署に、
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 入ってみた。
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 当然のことながら、皆さん仕事をしていらっしゃって、目が合った署員の方に写真を撮ってもいいか?と身振りで聞いたら、肯いてくれたので撮らせていただきました。
 で、これが問題の?警察Tシャツの自販機。
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 いろんなデザインがあって、サイズもいろいろ揃っているようです。
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 次女の旦那のお土産に一枚購入しました。25ドルはそれなりの値段だけれど、われわれみたいに買って行く観光客がけっこういるのかもしれないね。

 さて、夕食はロイヤル通り沿いのステーキレストラン「THE RIB ROOM」。
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 ここはホテルの1階にあるようで、バーなども併設されているらしい。レストランはなかなか重厚な作りだった。
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 ステーキのサイズはかなり大きめになるので、小さめのをそれぞれが頼むのではなく、それなりのサイズを二人で頼んで分けるというやり方もあると、事前に添乗員が教えてくれたのは良かった。われわれはそれでやったが、十分満足できたと思う。

 ゆっくり食べて外に出ると、午後10時になろうとしていた。ここでホテルに戻った人もいたが、多くはそのまま「ジャズ」に流れた。

 昨夜のうちに「おすすめのジャズクラブ」は制覇してしまったので、この日は新しいところを開拓しなければならない。まず、バーボン通り沿いの高級ホテル「ロイヤルソネスタ」内のジャズバーに行った。
 名前は「ジャズ・プレイハウス」と言ったが、明るいホテルのロビーから入って行くというアプローチが、何となく醒めた感じで好きになれなかった。
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 中の作りも妙に整然としていて、われわれは一番後ろの壁際に並んだ、やや高い位置のテーブルとイスに通されたのだが、これもちょっと気に入らなかった。
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 ステージが遠すぎる。
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 しかも、注文した飲み物が来て少ししたところで、あっけなくステージが終わってしまったのだ。
 これはタイミングが悪かった。ここはあまり縁がなかったのかなとわれわれは(たぶんみんな)思った。で、ここは早々に引き払って、次を目指すことにした(ちゃんと次を考えていた添乗員は偉い)。
 バーボン通りは凄い状態になっていた。
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 この撮影時刻は午後10時49分である。

 われわれの方は、またフレンチメン通りに行くというのでタクシーに乗ったが、どこでタクシーを拾ったのかまったく記憶にない。
 で、着いたのがここ。「ブルー・ナイル(Blue Nile)」という店の表である。
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 中は猛烈に混んでいるようで、入口で少し待たされた。壁には2月のスケジュール表があって、
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 22日の11PMには「KERMIT RUFFINS」という名前が載っていた。実は、この時は知らなかったのだが、帰ってから調べてみると、このカーミット・ラフィンズ(Kermit Ruffins)というのはいまニューオリンズで最も人気のあるトランペッター・ボーカリストで、リトル・サッチモと呼ばれて多くの観客を集めているということらしかった。
 混んでいて当然だったのだ。しばらくして、われわれは添乗員の必死の交渉でようやく入れることになったようだ。チケットはなく、代わりに入口で腕にオレンジ色の目印テープを巻かれた。
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 中にはイスとかテーブルなどはなく(たぶん。周囲の壁際に少しあったかもしれない)、みんな立ったままノリノリの感じで演奏と一体になっている。ちょっとどうしていいか、しばらくはあっけにとられて見ているしかなかった。とにかく真ん中へんはごった返しているから、人をかき分けて徐々に前方に進み、ステージ上手のトイレに通じる通路のへんが比較的余裕があったので、そのあたりにしばらく陣取ってみることにした。
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 このトランペッターがカーミット・ラフィンズだったのだろうか。
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 何と言ったらいいのか、これもまたきわめて現代的なジャズのかたちであるのは確かで、電気的に増幅されて耳を聾する大音量と、LEDのスポットライトが華やかに切り替わったりする中で、とにかくみんなで盛り上がろうぜーっという圧倒的な演奏に、こちらも何だか若返って高揚した気分になっていた。
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 何曲かやったあとで、ラフィンズが呼び掛けると、周りでウズウズしながら待っていた観客の女性たちがステージに上がり、演奏に合わせて踊り始めた。
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 さらに彼の紹介で、
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 たぶんみんなが知っている有名人だったのだろう、けっこう歳の行った男がステージに呼び出されると、ホールの熱狂はますます盛り上がった感じになっていった。
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 ↑この写真の撮影時刻が午前0時15分である。たぶん、ここはこれからさらに盛り上がりながら明け方近くまで狂騒が続くことになるのだろう。けっこう乱れた感じになってきたから、そろそろ潮時ではないかと(わたしはそれなりの年長者の一人だったから)添乗員に提案して、さらに少ししてから帰ることにした。

 タクシーでホテルに帰り着いたのは0時50分ごろだったが、その時間になっても(まったく信じ難いことだが)ホテルの前はこの状態だった。
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 恐るべし、バーボン通り、である。
by krmtdir90 | 2019-03-10 21:47 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅⑤路面電車とジャズ(2019.2.21)

2月21日(木)続き

 ニューオリンズは元々は湿地帯だったところに出来た町で、地盤も軟弱だったため、建物の基礎工事は入念に行うとしても、道路などではそうもいかなかった面があったのかもしれない。アップタウンの高級住宅地ガーデンディストリクトでも、歩道の部分はけっこう凹凸があって歩きにくく、あちこちで道路の補修工事が行われていた。
 そういうことと関係していたかどうかは判らないが、水漏れしていた消火栓。
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 ガーデンディストリクト散策の最後に、一軒のカフェに寄って添乗員と幾人かが飲み物を注文し、われわれ全員がそこのトイレを借りるというテクニックを使った。お店の写真は撮ってなかったのだが、とにかくそれでホッとした状態になって帰路についた。

 帰りももちろんこの緑色の路面電車に乗った。
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 町の中心部に向かう路線に中途から乗車したので、すでに乗客もかなり乗っていて、それでもほぼ全員が何とか座れたようだが、
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 この混み具合はわたしにとっては絶妙なものと言うべきで、この場合わたしとしては、着席するよりもまず優先したい位置取りがあった。後部運転席の横、いわゆる乗り鉄の一等席「後ろのかぶりつき」である。
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 親切に「座れますよ」などと言ってくれる人もいたが、「いや、ここがいいんです」と丁重にお断りして、
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 後方の眺めを心ゆくまで楽しんだ。
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 すれ違い。
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 両方が普通に走っている状態だと、けっこうなスピードで遠ざかってしまう。
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 渡り線が設置されているところがあった。
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 またすれ違い。
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 またまたすれ違い。
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 「Lee Circle」に戻って来た。
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 ↑これ、左がキャナル通りに通じるセントチャールズ通りである。
 この電車は、隣のキャロンデレット通りに入って行く(単線になっている)。
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 この通りはマルディグラのパレードコースにはなっていないようで、観覧席などは作られていないのである。
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 キャナル通りにぶつかる手前の角、「Carondelet St.」駅に到着した。
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 撮影時刻は午後1時2分である。乗車時間は行きよりかなり短くて、20分ほどだった。
 この駅が運行の基準点になっているらしく、われわれが乗って来た車輌がしばらく停まっていたので、記念に後ろと前から一枚ずつ撮影してやった。
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 この日は、全体がまとまって行動するのはここまでになっていて、以後は基本的に自由時間とされていた。もちろん、自由に行動できないわれわれのような参加者のために、添乗員が行動の仕方を(一例として)提案してくれるようになっていて、このあとの昼食場所として提案されていたのが、ルイジアナ発祥のフライドチキンチェーン「ポパイズ(Popeyes)」だったのである。
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 この段階から積極的に別行動を取る人も多く、その積極性には感心してしまうが、二人とも英語がほとんど出来ないのではどうしても消極的になるしかなく、そんなにフライドチキンが食べたかったわけではないが、でも気分が変わっていいかなと思ってついて行ったのである。
 で、注文するところまでは添乗員やガイドが手伝ってくれたが、そのあとはほぼ解散のかたちになった。それはいいのだが、ここのフライドチキンは率直に言って、あまりいただけなかった。写真も撮っていないし、具体的に描写する気にもなれないのだが、まあ、一言で言えば「大きいけれど大味」ということになるだろうか。ことフライドチキンに関しては、同じアメリカでも、ルイジアナよりケンタッキーの方がはるかに上、と言っていいような気がした。

 時刻は間もなく午後2時である。
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 実は、先ほど自由時間に入る時に、添乗員から路面電車の乗車券が手渡されていた。
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 これは、昨日リバークルーズからの帰りにリバーフロント・ラインに乗車した時から使用開始になった一日乗車券なのである。きょうのセントチャールズ・ラインでもこれを使用したらしいのだが、このあとも午後4時49分までは有効だから、もっと乗りたい人はどうぞお使いくださいということだった(それにしても、3ドルというのは驚くほど安いと思う)。
 わたしとしては気持ちが動かなかったわけではないが、妻も一緒だし、この日のジャズクラブ巡りが午後3時50分ロビー集合となっていたから、ここはやはりテツよりジャズを優先すべきだろうと考えてあきらめた。いや実際、路面電車についてはここまででもう十分に堪能できたと思う。

 ただ、最後にもう一度、あの緑色の車体を見ておきたいと思い、「Carondelet St.」駅に行ったのだが、
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 こういう時に限って来ないものなのだ。しばらく待ったが、結局待ち切れなかった(たぶん、われわれがいなくなったらすぐに来たのではないかと思う)。

 こちらに来て、睡眠不足なのにけっこう頑張っていると思うので、ここは一旦ホテルに戻って少し休憩しようと思った。
 バーボン通りを帰る。昨日夕食を食べに来たJAZZ BISTRO「ARNAUD'S(アルノーズ)」があった。
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 1日目の夜に来たジャズスポット、ミュージカル・レジェンズ・パークもあった。
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 道端でリズムを取る子どもたち。
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 日差しのある、明るいバーボン通りである。
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 ホテルのバルコニーにも、マルディグラのための装飾が施されている。
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 午後3時50分、ロビーに集合。
 この日のジャズクラブ巡りは早いスタートである。おすすめのジャズクラブの中で、最もハードルが高いと思われる「プリザベーション・ホール(Preservation Hall)」の午後5時の回を目指して、一時間も前から並び始めるのだという。
 この、一時間前という添乗員の判断は実に正しかった。行ってみたら、すでに列が出来ていて、それでもけっこう前の方に並ぶことが出来た。
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 ↑この白いマスクをかけたところから左に18人(添乗員も含めて)が並んだのである。われわれが並んだ後にみるみる行列がつながって行ったから、少し遅れたらかなり後ろになってしまっただろうと思う。添乗員の話では、運が悪い時はツアーのメンバーの途中で定員になってしまい、次の回と2回に分かれてしまったこともあるのだという。幸いこの日はそんなこともなく、5時になると全員が無事に入場することが出来た。
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 このホールは、飲食なしで一回40分程度のステージを聞くだけというかたちになっていて、客席は中央に木の長椅子が数列あったが、ここは予約客と先に並んでいた人たちとですでに一杯になってしまっていた。このあとは、前の床に座る2列の座布団席と後ろの立ち見席になるようだった。立ち見の方を選んだ人もいたようだが、われわれは迷うことなく最前列の座布団席を確保した。でも、体育座りで肩寄せ合って舞台を見ることになるなんて、まったく予想もしていなかった。何十年ぶりのことだったろうか。

 ここは写真撮影禁止で、最前列では隠れて撮ることも不可能だったから、素晴らしい演奏が聞けたけれど演奏中の写真はない。
 判っていたので、まだ入場が続いている間に、ステージの様子だけは写しておいた。
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 わたしが座ったのは最前列の真ん中やや上手寄りの席だが、すごい近距離だというのが判ると思う。左のイスにリーダーのトランペット、右のイスにクラリネット(サックス)が来て、奥の丸い木のイスにベースが来た。
 右のクラリネット(サックス)の奥がピアノで、
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 左の席にトロンボーンとドラムスが来た。
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 以上はカメラをぐっと差し上げて写したものだが、座った状態の普通の視点で写すとこんな感じになる。
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 実際、こんな至近距離でジャズの生演奏を聞くなんて、なかなか体験できることではないと思った。登場したプレイヤーはみんな60~70歳代ぐらいで、いかにも円熟した感じの楽しい演奏を聞かせてくれた。とにかく、トランペットやクラリネットが目の前7~80センチで音を出しているのだから、完全に演奏の真っ只中に引きずり込まれる感じがした。40分はまったくアッという間で、1時間も並んだのだから、せめて同じくらいは聞いていたかった気がした。

 終演後、何十年ぶりかの体育座りだったので、うまく立ち上がれなかった。そしたら、すぐ前のトランペットさんが手を伸ばして引っ張ってくれた。嬉しかったので、ちょっとチップを奮発してしまった。
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 ホールの外に出ると、次の回の行列がずっと出来ていて、間もなく入場が始まった。
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 なんかちょっとボーッとしてしまう感じがあって、しばらく演奏の余韻が残っていた。

 あたりはそろそろ暗くなっていて、人通りもずいぶん増えてきているようだ。
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 6時15分ごろ、一旦ホテルに戻った。
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 トイレなどを済ませて再び集合し、夕食のレストランに向かった。
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 明日からマルディグラが始まるので、人の数は確実に増えているようで、街の喧騒も大きくなっているように思われた。
 この晩行ったのはバーボン通り沿いの「Felix's(フェリックス)」というオイスターバーだった。
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 席を用意してくれている間、表の通りで少し待った。
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 2月とは思えない、暖かな春の(初夏の?)宵である。すぐ隣に「CIGAR」のお店があった。
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 以前のわたしなら覗きに行っていたと思うが、もうわたしは煙草を吸わないし、シガーにも興味はないのである。
 で、これが「Felix's(フェリックス)」の店内。
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 料理の写真を撮ってくれば良かったとまた後悔しているのだが、焼きガキや生ガキ、様々なシーフードを添乗員が頼んでくれて、大皿をみんなでシェアして食べたのだが、どの料理も絶品で、アビータ(Abita)という地ビールが、これまた非常に美味しかった。

 外に出たのが午後8時20分ぐらいで、ダラダラとバーボン通りを戻って行った。
 ホットドッグ屋さん。
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 この左のドアが、オールド・アブサン・ハウスという有名なバーだったらしい。
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 このあと、ホテルの前を通り過ぎ、バーボン通りを反対方向に進んで、初日に入れなかった「フリッツェルズ・ヨーロピアン・ジャズ・パブ(Fritzel's European Jazz Pub)」に行った。
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 ちょうど前のステージが終わって、次のステージが始まる前という時間だったようで、小さな舞台のすぐ前の、これもまたかなり至近距離のいい席に案内された。
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 今夜はけっこうツイてるのではなかろうか。
 店内の様子。
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 飲み物を注文し、それがほぼ行き渡ったところでプレイヤーが登場した。
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 ピアノとドラムスとベース、最後にトランペットが加わって、すぐに演奏が始まった。
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 ジャズの種類というようなものはよく判らないが、ガイドブックなどにはトラディショナルジャズの店と書かれている。プリザベーション・ホールがオールドスタイルだとすれば、こちらは確かに正統的な、これぞジャズという感じのアップテンポの演奏だったと思う。
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 ワンステージが50分ぐらいだっただろうか。非常にいいノリのカルテットだった。楽しめたと思う。
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 外に出て、↓この撮影時刻が10時7分である。
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 ここからホテルの方に少し戻ると、これもまた初日に入れなかった「メゾン・バーボン(Maison Bourbon)」がある。覗いて見ると入れると言うので、そのまま入ってしまった。
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 たまたまだろうか、ここでもステージのすぐ前のテーブルが複数空いていて、そこに滑り込むことができた。
 ステージではクインテットが演奏中で、前の3人が女性という珍しい編成のバンドだった。
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 しかも、一番左でトロンボーンを吹いている女の子は日本人だった。
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 あとで幾人かが話しをしていたようだが、こちらに来て5年になるということだったらしい。こういう若者もいるのだ。
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 この店はどちらかと言うと、集中してジャズを聞くというより、ジャズをバックに楽しく飲むという感じの店だったようで、ガチャガチャした雰囲気に負けじと演奏している感じがあって、わたしとしてはもう一つノリ切れないところがあるように感じた。難しいものである。
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 ↑この大きなラッパは、形を見るとホルンのように見えるのだが、ホルンの入ったジャズなんて聞いたことがないと思うので、よく判らない。
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 この店には1時間以上いたと思う。演奏が一段落したところで切り上げて外に出た。
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 ↑この撮影時刻が11時22分。
 バーボン通りはこの時間になってもごった返していた。
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 ↑これはホテルのすぐ前。メゾン・バーボンとホテルの間は100メートルぐらいしか離れていないので、アッという間に帰り着いて、部屋に戻ったのは11時半ぐらいだったと思う。
 凄い一日だった。

by krmtdir90 | 2019-03-07 18:23 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅④欲望という名の電車(2019.2.21)

2月21日(木)

 午前7時10分、部屋の窓から。
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 雨が降っている。キャナル通りあたりのビル群は霧に煙ってしまって見えない。
 午前7時56分、ホテル前のバーボン通り。
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 雨は降り続いている。

 午前9時にロビーに集合して、この日も徒歩で出発。雨はかなり小降りになっているが、やはり傘は必要な感じである。
 最初、ジャクソン広場の先のディケーター通りに行った。ここには観光馬車が列をなして客待ちをしていて、きょうはまずこの馬車に乗って市内を回るのだという。
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 ↑こいつには乗らなかった。もう少し先のところで、3台をグループにして雇ったらしい。われわれは3台目に乗った。出発。
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 馬車とは言っても、これは馬ではなくロバとの交雑種のラバだという。1台目が白、2台目が黒で、われわれのは茶色だった。
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 われわれの御者は女性だった。道々、説明をしてくれるのだが、英語なのでよく判らない。同乗した添乗員が時々通訳してくれるが、同乗者の中に英語の判る人もいるようなので、あまり熱心にというわけにはいかない。
 コースは希望でどのようにも出来たようだが、フレンチクオーター内はすでにかなり歩いているので、同じダウンタウンでもその外側の、昨夜ジャズを聞きに行ったフレンチメン通りを含むフォーバーグマリニーという地区を中心に回ったようだ。

 地図を見てみると、フレンチメン通りの一本外側にElysian Fields Ave.という広い通りが通っている。これはフォーバーグマリニーのメインストリートとして整備されたものだったらしいが、「Elysian Fields」は訳せば「極楽」ということになるのである。↓たぶんこれがその通りなのだが、
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 だとすれば、ここがテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」の舞台となった「『極楽』という名の街路」(ト書き冒頭)ということになる。
 もちろん当時の雰囲気はもう残ってはいないだろうし、今回走ってみて、周囲にはけっこう小綺麗な家並みなどが続いていたので、本当にそれでいいのかとちょっと自信をなくしかけたが、ウィキペディアを調べてみると、20世紀前半のこのあたりの治安はきわめて悪かったという記述があったので納得した。この芝居の初演は1947年だったというから、書かれたのはそれ以前ということになり、ウィキペディアの記述と重なっていたのである。
 なお、「『欲望』という名の街路」はもっと外側になるらしく、これらの街路を走っていた路面電車の路線も現在は廃止されてしまったということらしい。

 馬車はフレンチメン通りも少し走った。
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 昨夜行った「Snug Harbor」の前までは行かなかったが、明日の晩に行くことになる「Blue Nile」というお店の前は通ったようで、その外観が偶然写っていた。
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 見通しのいい角を曲がる時、前の馬車が捉えられる。
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 ↑ここ、また極楽通りだと思う。
 このあと馬車は横道に入り、カラフルでお洒落な住宅が並ぶ通りをしばらく走った。
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 20世紀後半になるとフォーバーグマリニーの治安は劇的に改善し、フレンチクオーターから移り住む住人などもいて、非常に住みやすい町として発展したのだとウィキペディアには書かれていた。
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 家はほとんどが平屋で高床式になっており、道路に面している幅はあまりないが、どの家も奥行きが深くなっているようで、広さはそれなりにあるということらしかった。
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 走っているうちに、雨はすっかり上がった。
 最後にフレンチクオーターの中の通りに戻ったようだ。
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 再びディケーター通りに出て、出発点に帰って来た。
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 約50分ほどの馬車散策だった。

 さて、このあとは路面電車を乗り継いで、アップタウンのガーデンディストリクトというところに行くという。
 まず、リバーフロント・ラインの「Toulouse」駅である。
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 ミシシッピ川の川霧が流れ込んでいるようで、線路が霧の中に消えている。
 反対行きの電車が霧の中から現れて、
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 再び霧の中に消えて行く。
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 この時、空の雲が切れて、少しだけ青空が覗いた。
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 今回の旅で、初めて見えた青空である。なんか、すごく嬉しかった。
 しばらくして、今度はわれわれが乗る電車が霧の中から現れた。
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 乗車。
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 車内。
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 この電車、後方の座席を男が占領していた。
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 酔っ払いだろうか。こんなこともあるんだね。
 運転席(後方)。
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 われわれはこのあとキャナル通りの方に行くので、「Canal St.」駅で乗り換えだと思ってみんな下車したら、この電車がそちらに乗り入れるというのが判って、あわててもう一度乗り直した。
 で、キャナル通りとバーボン通りがぶつかる交差点の駅で、われわれは下車した。
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 実は、キャナル・ストリート・ラインになって駅の姿も変わり、駅名表示がどこにあるのか判らなくなってしまった。それと、ガイドブック(地球の歩き方)でも、リバーフロント・ラインの駅名は載っているが、それ以外のラインの駅名はなぜか載っていない。
 困ってしまって、これらの路面電車を運営しているRTAの公式サイトを探し当て、そこに載っていた路線図を参照してみたのである。これにはすべての駅名が記載されていたが、そこから判ったことは、こちらではどうもそこにある通りの名前が意識されているだけで、改まって駅名というような認識の仕方にはなっていないのではないかということだった。
 われわれが下車したところは「Carondelet St./Bourbon St.」駅と記載されていて、これはこの交差点でキャナル通りに左右からぶつかっている通りの名前そのままなのである。つまり、ここで下車した後、バーボン通りの方に行くならここは「Bourbon St.」駅だし、われわれのようにこの後、キャロンデレット通りの角でセントチャールズ・ラインの路面電車に乗り継ごうとしているのであれば、それは「Carondelet St.」駅ということになるのではないかと推測した。

 RTAの路線図をそのまま転載できればいいのだが、昨日やってみたら、理由は判らないのだが文字がほとんど消えてしまって使えないことが判った。で、①でフレンチクオーターを示すのに使った地図をもう一度、今度はもう少し左のエリアを使いながら利用することにした。
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 右寄りの紫のところがフレンチクオーターで、その左に縦に通っているのがキャナル通りである。路面電車は点線で描かれているのだが、われわれはキャナル・ストリート・ラインで下から進んで来て白い二重丸のところで下車したのである。ここが「Carondelet St./Bourbon St.」駅で、この地図ではセントチャールズ・ラインの駅が分離して描かれている。
 この地図で、左から入って来てキャナル通りに達している点線がセントチャールズ・ラインなのだが、この線はキャナル通りに接するところでぐるりと一回りするように描かれている。これは、この区間の道路が狭いので、ここだけ単線の一方通行になっていることを表している。セントチャールズ通りを左から複線で入って来た線路は、「Lee Circle」という円形部分を通って一本上のキャロンデレット通りに移り、単線になってキャナル通りまで行って、そこで時計回りに下のセントチャールズ通りに入り、ここを左に進んで「Lee Circle」まで戻ってくるようになっているのである。

 いろいろと解説が長くなってしまった。キャロンデレット通りがキャナル通りに出て来た角がセントチャールズ・ラインの「Carondelet St.」駅なのだが、そこにやって来た車輌がこれ。
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 これに乗りたかったのだ。
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 何と優雅な車輌だろう。現役の路面電車の車輌としては世界最古とされているセントチャールズ・ストリートカーである。1922~24年の間にBrill&Perley Thomas Companyによって製造された車輌で、100年近くも走り続けているものなのだという。

 ニューオリンズの路面電車は、このセントチャールズ・ラインを除いて、様々な路線が一時すべて廃止されてバスに転換してしまったらしい。その後、観光を意識したニューオリンズ市が、1988年にリバーフロント・ラインを、2004年にキャナル・ストリート・ラインを復活させ、そこを走る赤い車輌をこれに合わせて新造したということだったのである。
 あのレトロな車輌はもちろん素晴らしいと思うが、こちらの深緑の車輌は、何と言っても正真正銘歴史を背負って走り続けてきたものなのである。細かな補修や部品交換などは繰り返してきたのだろうが、この姿は往年の姿をそのまま残しているものなのだ。これはいまどき凄いことなのではないだろうか。
 あの「欲望という名の電車」でブランチが乗って来たのは、路線は違うけれど、明らかにこの深緑色の電車に違いなかったのである。う~ん、これは感動するぞ。

 さて、この910はけっこう座席が埋まっていて、全員が座り切れないと判断したわが添乗員は、すぐに後続の電車が来ているのを見て一台見送る判断をした。
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 これは実に賢明な判断だったと言うべきで、次にやって来た954は、
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 まるっきりガラガラだった。
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 みなさんは前方から順に座っていたが、わたしは後方に行って、
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 この運転席に座って記念写真を撮ったりしていた(恥ずかしいからその写真は載せません)。
 前の電車との運転間隔を広げるために、この電車はしばらくここで時間調整をした。その間に、車内の座席はほとんど埋まってしまった。
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 天井の車内灯が白熱電球なのを見てほしい。いろんな表示などに使うモニター画面は後から取り付けられたようだが、それ以外にはエアコンはもちろん扇風機すら付いていない。雨が上がってけっこう蒸し暑くなってきているので、みんなあちこち窓を開けて風を入れたりしているのである。なんか嬉しくなってしまう。
 因みに、こちらでは(赤い電車も含めて)駅名などの車内放送は一切なく、乗客は降りる駅が近づいたら、窓枠の上に通っている横紐を引いて運転手に伝えるようになっているらしい。

 さて、窓が開けられているというのは、写真もガラス越しでなく撮れるということである。
 発車後、一区間だけキャナル・ストリート・ラインと併走した電車は、「St. Charles Ave./Royal St.」の角で右折してセントチャールズ通りに入って行った。
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 次は通りに入って3つめか4つめあたりの駅なのだが、
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 駅というよりも停留所と言った方がしっくりくる感じで、右の歩道に立っているポールの先の黄色い部分に「CAR STOP」とあるのがそれを示す唯一の表示で、駅名はどこにも書かれていないようだった。
 次の「CAR STOP」には屋根があったが、やはり駅名は見当たらないようだった。
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 沿道のあちこちに仮設の観覧席が作られていた。
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 明日から始まる「マルディグラ」のパレードのためのものだろう。通りがそんなに広くないので、電車ギリギリのところまで席が張り出している。この通りがパレードコースになる時には、この路面電車も運転を休止することになるのだという。
 少しして、電車は「Lee Circle」に差し掛かった。
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 2方向に分かれていた線路が、ここでCircle(円)を描くことで複線にまとまっていくのである。
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 セントチャールズ通りのこの先は道幅も広がり、中央分離帯の部分がずっと線路になって行くようだ。電車も車も、基本的に右側通行である。
 わたしは右側の座席に座っていたから、すれ違いの電車が来ても写真を撮ることはできなかった。まあ、無理をすることはない。以下、車窓からの眺めである。
 何やら不思議な存在感の建物。何だったのかは判らない。
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 「ポパイズ(Popeyes)」。
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 下にLOUISIANA KITCHENとある通り、フライドチキンを中心とした、このあたりを発祥とするファーストフードチェーンらしい(この日の昼食にキャナル通り沿いのポパイズに連れて行かれた)。
 次はカフェかレストランと思われるが、左に出ている看板の下に「LIVE JAZZ」と書かれていて、こんなところでもそういう店があるのかとちょっとびっくりした。
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 次はかなり高いビルの玄関で、ザ・ポンチャートレインというホテルだったらしい。
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 コカコーラとペプシコーラの配送車(たぶん)が並んで停まっていた。
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 こちらのトラックは大きい。
 次は火事になった家のようで、表にはいろんな車輌が止まっていて、どうやら現場検証が行われているようだった。
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 こんなのに出くわすこともあるのだ。

 この路面電車には30分以上乗っていたと思う。下車したのは「Washington Ave.」というところだった。
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 このあたりはアップタウンのガーデンディストリクト(Garden District)というところで、ニューオリンズ郊外の高級住宅地として最初に開発された地域だったようだ。

 このあとここを散策することになっていたが、その前に近くにあるラフィエット墓地というのを見に行った。
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 一般の墓地に観光客が集まっているというのも不思議な光景だが、それはニューオリンズの墓地が他に見られない独特の形態をしているということなのである。
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 こちらの墓地では遺体を地下に埋葬せず、地上に作った格納型のお墓に棺を納めている。
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 ニューオリンズの土地は標高が低く、たびたび洪水に見舞われているばかりか、地下水位も高く、地盤も軟弱だったので、地中に埋葬しても棺がびしょびしょになったり浮き上がってしまったりすることが起こったようだ。そのため、石や煉瓦で頑丈な家のようなお墓を作り、その中に厳重に棺を格納するやり方が広まっていったらしい。
 人の背丈よりも高いものがたくさんあった。
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 もちろん、こうした立派なものに入れるのは富裕層だけであって、貧しい者の場合はロッカー型の集合墓地に入れられ、一定期間が過ぎると順に廃棄されていく(入れ換えられていく)ということらしい。
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 これで墓地の見学は終わり。

 このあと、高級住宅地ガーデンディストリクト(Garden District)の中をしばらく散策した。
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 スターや有名人の邸宅とか、歴史的ないわれのある建物などもあり、ガイドのマユミさんがいろいろ説明してくれていたが、いまとなってはもうどれがどれやらさっぱり判らないのである。
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 ↓この屋敷はフランス国旗が掲げられていて、
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 フェンスに色とりどりのビーズのネックレスが掛けられていた。
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 このビーズは「マルディグラ」のパレードで観客と受け渡しされるもので、そのお祝い気分を先取りしたということだろうか。
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 ↓ここは何かオペラに関係した建物だったらしく、庭先に蝶々夫人らしき銅像が立っていた。
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 いつの間にか雲が切れ、青空が見えるようになっている。
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 時々日差しも届き、同時に気温も上がってきているようで、相変わらず湿度はあるから、日本で言えばほとんど梅雨の合間のような感じになってきていたのである。
by krmtdir90 | 2019-03-06 16:03 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅③雨のニューオリンズ2(2019.2.20)

2月20日(水)続き

 昼食のレストランを出たら雨になっていた。しかも、今度はかなりしっかりと降っている感じで、降ったり止んだりの時間帯は終わってしまったように思われた。それでも、フレンチクオーター内を歩き回った午前中は何とか持ってくれたのだから、御の字と言っていいのかもしれなかった。

 この日の午後はミシシッピ川のリバークルーズが予定されていた。雨は残念だが、乗船してしまえば関係ないとも言えるわけで、キャナル通りの突き当たりにある船着き場まで、傘を差して歩いて向かった。

 途中で、大きなビルに立ち寄った。乗船時間まで少し余裕があったということらしく、階上の展望室からミシシッピ川やフレンチクオーターの眺めを楽しもうというのである。
 傘を差していると小まめに写真を撮る気にならないので、何と言うビルだったかははっきりしないのだが、いま地図で確認すると、Westin New Orleans Canal Placeというホテルの共用部分だったのではないかと思う。エレベーターに乗ったが、何階に上がったかは記憶にない。
 で、これがミシシッピ川の眺め。
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 晴れていればなあ、と言ってみても仕方がない。
 これがフレンチクオーターのあたり。セントルイス大聖堂が見えている。
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 クルーズの外輪船。
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 このNATCHEZという船は、別の船着き場から出ている別の観光クルーズ船だったようだ。
 もちろん路面電車も見えている。リバーフロント・ストリートカーで、↓これは手前に近づいて来ているもの。
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 見えている駅は❺番の「Bienville」駅である。
 ↓こちらは向こうに遠ざかっていく。
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 ❹番の「Toulouse」駅に入って行く。
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 この窓から眺めを楽しんだのである。
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 再び地上に降りて、また傘を差して船着き場へ歩く。
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 ↑停まっている路面電車の右側に駅があって、電柱に隠れているけれど❻番の駅番号が読み取れるので、調べると「Canal St.」駅ということが判った。
 船着き場に到着。
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 船名はCREOLE QUEENと書かれている。このクルーズは午後2時出港の「HISTORICAL CRUISE」というもので、第2次独立戦争と言われた1812~15年の米英戦争の時に、激しい戦闘が行われた古戦場まで往復するというものだったのを後になって知った。
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 ↑この右下にあるのは、現地のビジターセンターで貰って来たパンフレットだが、シャルメット古戦場(Chalmette Battlefield)というのはニューオリンズからミシシッピ川を8キロほど下ったところにあるもので、ジャクソン広場で銅像になっているアンドリュー・ジャクソンの指揮で、アメリカ軍がイギリス軍を撃破したところだったらしい。この戦いはニューオリンズの戦い(Battle of New Orleans)と呼ばれ、アメリカ人なら誰でも知っている有名な史実だったようだ。

 午後1時半過ぎから乗船となった。依然として雨は降り続いていて、どこに席を取るか迷ったが、一応屋根はあるが開放的な上のデッキの方のイスを確保した。周囲の甲板には屋根がなく吹きさらしになっていたから、そちらに出て自由に動き回ることが出来ないのは残念だったが、完全な屋内になっている下の階で、ガラス越しに外を見るというのではやはり満足できない気がしたのである。

 さて、午後2時に船は出航したが、実はこの時、カメラの具合が悪くなってしまっていて、遠ざかって行く岸壁の様子などが撮れかったのである。スイッチを入れてもレンズが出て来なくなってしまったのだが、たぶん雨に濡れたのがまずかったのだろうと思う。ちょっと(かなり?)ヒヤッとしたが、何度もオンオフを繰り返しているうちに10分くらいで元に戻ったのでホッとした。
 そんなわけで、航行中の写真はあまり積極的に撮っていない。
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 2時35分ごろ、船は土手から川の中に張り出した鉄製の船着き場に停まり、古戦場に着いたので上陸するという放送が入った。この時、話があまりにうまく行き過ぎているので信じられないかもしれないが、何と!雨がパタッと止んだのである。
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 われわれが上陸していたのは50分ほどだったが、この間(だけ)まったく傘が必要なかったというのは、ちょっとした奇跡と言ってもいいような気がした。
 土手の上からの古戦場の眺め。
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 柵の入口のところに説明看板が立っているが、ここで船の専属ガイドがいろいろ説明してくれた。だが、もちろん英語だったので、こちらのガイドのマユミさんがイヤホンを通して要点を通訳してくれていたと思うが、あまり積極的に聞いていたわけではないので、この建物が何なのかはよく判らないのである。

 一通りの説明があったあと、船の出航時間や出航予告の汽笛のことなどが話され、その後建物の向こう側に移動して、さらにいろいろな説明が行われた(たぶんここでの米英軍の戦闘の詳細だったと思う)。そこからの古戦場の眺め。
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 古今東西どこであっても、古戦場というのはそこに何かがあるというわけではないから、その戦いに強い思い入れでもない限り面白いものとは言えないと思う。アメリカ人には響く話しだったのかもしれないが、われわれには特に興味を引くところはなく、話も長すぎたので、途中で離脱して向こうに見えているビジターセンターと記念碑の方に行くことにした。
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 ビジターセンターに入って、展示を見ながらマユミさんが説明してくれたが、興味が湧かなかったのは仕方がないことだったと思う。
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 記念碑。
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 古戦場の中を散策する道が出来ていた。
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 出航時間が近づいて来たので戻ることにした。
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 ↑建物の右に土手に上がる階段が見えているが、この先に船が停まっているのである。
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 午後3時半ごろ船は出航したと思うが、戻り始めるとまた雨が降り始めてしまったので、帰りは基本的に下の階の室内にいて、時々外の景色を撮影に行くようにした。
 別のクルーズ船が停泊しているのを見かけた。
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 いろんなクルーズがあるのかもしれない。
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 途中、急に風雨が強まった時間があって、水しぶきが吹き上げられるような感じになった。
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 古戦場にいる時にこんな風雨にぶつからなくて良かった。
 セントルイス大聖堂が見えてきた。
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 元の船着き場に戻って来たようだ。
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 出港時よりもはっきりした雨模様になっているようで、ビルの上部が霞んでしまっている。
 船は接岸の前に180度方向転換をした。グレータ・ニューオリンズ橋と大きな外洋クルーズ船が入港しているのが見えた。
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 下船したのは午後4時半過ぎだったと思うが、写真がないのではっきりしない。
 このあとは徒歩でホテルに戻ることになっていたが、雨が降っていたので、急遽路面電車で少しだけ距離を稼ぐことになった。
 乗車したのは❻番の「Canal St.」駅だったと思う。
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 後部ドアからの乗車だった。これが運転席(後部)。
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 車内。
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 木のイスなどもレトロ調で素晴らしい。乗っていたのはリバーフロントの2区間だけだから、アッという間に❹番の「Toulouse」駅に着いた。
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 走り去る。
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 この最後の写真の撮影時刻が午後4時56分なので、ホテルに帰り着いたのは5時15分ぐらいではないかと思う。最後は完全な雨になってしまったが、それでも一日かなりしっかり見学できたので、全体としてはまあツイていたと言っていいのかもしれない。

 この日の夕食は外のレストランに食べに行くことになっていた。雨が降り続いているのはちょっと辛いが、そういうこともある。午後6時15分にロビーに集合して、傘を差して徒歩で向かった。お店はバーボン通りをキャナル通りの方へ3区画進んだ角にあった。↓入口の写真は帰りがけに写したもの。
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 アルノーズ(ARNAUD'S)という1918年創業の老舗レストランだったようだ。店内は非常に落ち着いた作りで、JAZZ BISTROとある通り、クラリネット・バンジョー・ベースのトリオがうるさくない程度の生演奏をしていた。
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 料理の写真を撮ってくればよかったと後で思った。
 外に出ると雨はほとんど止んでいた。
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 ホテルに戻ったのは9時半ぐらいだった。

 ここまでで全体としての日程は終わりになり、このあとはまた添乗員が希望者を募ってジャズスポットに連れて行ってくれることになっていた。今回のツアーではパンフレットに「おすすめのジャズクラブ4選」というのが載っていて、
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 期間中そこには案内してくれる触れ込みになっていた。だが、昨夜はそのうちの2つに跳ね返されてしまったので、添乗員としてはいろいろ調べたり作戦を立てたりしていたようだ。

 この日は大胆にもこの4つを外して、それ以外の店で予約が可能なところを探していたらしい。場所は、午前中に行ったフレンチマーケットや旧造幣局のさらに先、フレンチクオーターの外で地元の人々が集まるフレンチメン通りという盛り場だった。バーボン通りを離れると、夜は観光客はほとんど行かないところだし、途中治安の悪くなるところもあるので、タクシーを使って行くことになっていた。
 タクシーを降りて、ここがフレンチメン通り。
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 店の名は「スナッグ・ハーバー(Snug Harbor)」と言った。これはお店で貰って来た案内チラシとチケット。
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 チケットには10:00PMの回で料金は$30となっている。案内を開くと中に2月のスケジュールが印刷されていて、
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 20日(水)の出演はbig band jazzのUPTOWN JAZZ ORCHESTRAと書かれている。

 われわれが着いたのは10時少し前で、奥の階段から階下のスペースに通された。左側の壁際の席がリザーブされていて、われわれはそこに座って飲み物などを注文した。次の写真はネットで見つけた店の公式サイトに載っていたものだが、われわれはこの左側の席に座ったのである。
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 ステージの方は最初、前座とおぼしき男がギターを弾きながら歌っていたが、
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 一通り飲み物などが行き渡ったところで、10時20分過ぎになってメンバーが入場してきた。
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 すぐに演奏が始まった。
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 演奏は1時間半ほど続いた。ビッグバンドというのはいろんな楽器があって変化もあるし、次々と繰り出されるアドリブの受け渡しなどもエキサイティングで、大いに楽しむことが出来たと思う。
 写真を何枚載せても演奏が記録されるわけではないが、その時の楽しい雰囲気は残ると思うので、以下少し並べておくことにする。
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 演奏を終えてメンバーが退出する。
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 店の外に出て、この撮影時刻が11時56分。
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 余韻に浸りながら、帰りもタクシーで帰った。
 午前0時を回ったバーボン通り(ホテルの前)。
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by krmtdir90 | 2019-03-03 18:35 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅②雨のニューオリンズ1(2019.2.20)

2月20日(水)

 旅の出発が近付いてきたころ、インターネットの「世界の天気」でニューオリンズの予報を調べたら、何とわれわれが現地にいる間は曇りと雨のマークしか出ていなかった。お日さまのマークはどこにもなくて、う~ん、そういうこともあるのかと気持ちが沈んだ。
 中でもこの日は「一日中雨」という予報になっていて、まいったなあと思っていたが、終日降り続くような最悪の事態にはならず、基本的には降ったり止んだりを繰り返してくれたので助かった。旅の後半になって、日差しがあると相当蒸し暑くなることが判ったから、曇っているだけならそんなに悪いことではなかったのである。

 朝のバーボン通り。
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 撮影時刻は午前8時少し前だが、毎朝必ず清掃車と作業員が出て、通りを入念に清掃していた。
 ↓これは5階の廊下の突き当たりからの眺め。バーボン通りと交差するトゥールーズ通りである。
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 ジャクソン広場の方向を見ているので、左奥にセントルイス大聖堂の尖塔が見えている。

 この日の午前中は、徒歩でフレンチクオーター内の目ぼしいところを散策することになっていた。
 9時にロビーに集合。
 今回の現地ガイドはマユミさんという日本人女性だったが、最初に天気のことを話題にした時、思いがけず「昔『雨のニューオリンズ』という映画がありましたけどね…」と言ったのには驚いた。この映画はシドニー・ポラック監督初期の傑作(1966年)だが、1969年の日本公開時にはほとんど話題にもならず、たった4日で上映打ち切りになってしまったので(プログラムも作られなかった)、知っている人はきわめて少ないと思っていたのである。後で聞いたら、彼女はニューオリンズと縁が出来てからビデオで観たということだったが、わたしの大好きな映画のタイトルがこんなところで聞けるとは思っていなかったので嬉しかった。
 因みに、この映画はテネシー・ウィリアムズの一幕劇「財産没収(This Property Is Condemned)」の映画化で、原作の設定を大きくふくらませた素晴らしい脚本を書いたのが、監督としてはまだ無名だった若き日のフランシス・フォード・コッポラだったのである。物語の大半はミシシッピの田舎町で展開し、ニューオリンズが舞台になるのは終盤の10分間ほどに過ぎないが、それでもこの「雨のニューオリンズ」という題名は映画の中身(田舎育ちのアルバにとっては憧れの町だったのだ)としっかりつながっていて、非常に印象的な邦題になっていたと思う。ニューオリンズという地名がわたしの中にくっきりと刻まれたのは、ジャズよりもこの映画の方が大きかったような気がしている。

 さて、雨で少し予定変更もあったようだが、出発時にはほとんど降っていなかったので、予定通りマユミさんの先導で歩き始めた。
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 午前9時を少し回ったくらいなので、朝の遅いフレンチクオーターではまだ人通りも少ないのである。バーボン通りより一本ミシシッピ川寄りになるロイヤル通りに向かう。
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 ↑この右にある旗の出た建物が、ニューオリンズで最も古く最も高級と言われているアントワンズ(ANTOINE'S)というレストランらしい。
 ↓これがロイヤル通り。
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 右の建物はリブ・ルーム(RIB ROOM)というステーキ屋さん。
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 このロイヤル通りに面して、ひときわ大きな存在感を示しているのがルイジアナ最高裁判所である。
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 1908年建造の建物らしい。
 この向かいにある↓これはカーサ・フォリー(Casa Faurie)と言い、
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 フランス印象派の画家ドガの曾祖父が1801年に建てた建物だという。ドガ自身もニューオリンズを訪れて絵を残しているらしい。なお、ここは現在はブレナンズ(Brennan's)というレストランになっているようだ。
 左隣のこの店はアンティークショップのようだ。
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 バーやパブといったナイトスポットが続くバーボン通りと異なり、このロイヤル通りはお洒落なアンティークショップやギャラリー、高級レストランなどが並び、一本ズレるだけでまったく雰囲気の違う通りになっているのが面白かった。
 ↓この写真の左に、1826年に建てられた旧ルイジアナ銀行の建物を使っている警察署があるのだが、
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 周りのパトカーの写真などを撮っていて、
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 肝心の建物の写真は撮り忘れている。
 なお、ここでは警察署でお土産のTシャツを販売しているということらしく、署内で入手できる(AVAILABLE)と書かれた看板が出ていた。
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 ちょっと信じられない気もしたが、後日行って、娘の旦那へのお土産として一枚入手して来ました。

 昨日載せたフレンチクオーターの地図(ミシシッピ川が下になっている)で言えば、ロイヤル通りを少し左の方に歩いたあと、今度は引き返して右の方に歩いた。
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 ↓これはコート・オブ・ザ・トゥー・シスターズ(COURT OF THE TWO SISTERS)というレストランで、1832年に建てられた豪邸を利用したものだという。
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 セントルイス大聖堂のちょうど裏手に来ていて、庭園に両手を広げたキリスト像があるのが見えている。
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 大聖堂の脇道から正面に出た。
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 ↑この脇道。左に大聖堂がある。大聖堂の右にあるこの建物は、大聖堂の司祭と僧侶の宿舎として建てられた司祭館で、現在は博物館として使われているようだ。
 前の道はチャータース通りで、通りを隔てた大聖堂正面がジャクソン広場である。広場の中から見たセントルイス大聖堂。
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 広場の中央にはアンドリュー・ジャクソン(合衆国第7代大統領)の騎馬像がある。
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 残念ながら先ほどから雨が降り出していて、上の3枚の写真は傘を差しながら写したものである。
 このあと、雨宿りを兼ねてセントルイス大聖堂の中に入った。
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 ここはアメリカにある現役のカトリック司教座聖堂としては最古のものだという。この場所に初めてカトリックの教会が建てられたのは1718年のことだったらしい。上3枚は前方を、次の1枚は後方を写したものである。
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 外に出たら雨はほとんど止んでいて、傘は畳める感じになっていた。
 ↓これは1849年に建てられた、アメリカ最古と言われているアパート。
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 フランス人のポンタルバ男爵夫人ミカエラという人が設計したので、ポンタルバアパートと呼ばれているらしい。非常に横長の建物で、とてもワンフレームには収められない。3階建てで、1階部分には商店が入るようになっている。アパートはジャクソン広場を挟んで2棟あり、広場の一辺と同じ横幅を持っているのである。上の写真で、左の通りがチャータース通り、左手前にセントルイス大聖堂と司祭館があり、右手前がジャクソン広場、アパートのバルコニー下をずっと右にたどって行くと、次のディケーター通りまで続いているのである。
 これをずっと行って、ディケーター通りの方から見たポンタルバアパートの側面。
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 ↑この写真だとジャクソン広場は左になる。
 道端の公衆電話。
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 ポンタルバアパート1階に入っているタバスコ(TABASCO)のアンテナショップ。
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 タバスコはここルイジアナ州に本社と工場があり、こちらの特産品だったのだ。
 ディケーター通りに出て、横断歩道を渡った先にあるのが有名なコーヒースタンド、カフェ・デュ・モンド(CAFE DU MONDE)である。
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 ここも常に混んでいて、案内できなかったからと、添乗員が名物のチコリ入りのカフェオレとベニエ(穴のないドーナツ)を翌日の朝食時に振る舞ってくれた。24時間営業だったようだから、早起きして朝食前にわざわざ買いに行ってくれたらしい。さすが、素晴らしい添乗員魂である。

 さて、ディケーター通りの先は階段を上がって、少し高くなったところからあたりを見渡せるようになっていた。
 そこから見たジャクソン広場とセントルイス大聖堂。
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 手前の通りがディケーター通り。写真には写っていないが、この両側にポンタルバアパートがある。
 反対側はミシシッピ川である。
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 川べりにはムーンウォークという遊歩道が整備されているが、そちらの方には行かなかった。見えている橋はグレータ・ニューオリンズ橋と言うらしい。
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 手前に踏切があって、線路が3本通っている。その奥の線路に機関車が単機でやって来た。
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 パンタグラフが見えないからディーゼル機関車だろうか。
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 車体に書かれた「New Orleans Public Belt」というのを調べてみたら、ニューオリンズ・パブリック・ベルト鉄道という入換専業の鉄道会社のようだった。入換専業とは、通常の路線運行ではなく、他社線連絡輸送と入換作業を専門に行うとあったが、よく判らない。
 機関車がさらに進んで行くと、左手からは路面電車がやって来ているようだ。
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 間に小さな駅があり、路面電車はそこに停車した。
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 拡大すると、駅名は「Dumaine」と言うらしい。なお、頭についた❸という数字は、この先にある終点の駅を❶とすると、3番目の駅になることを表している。
 機関車は向こうに去り、路面電車はこちらにやって来るが、
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 ツアーの皆さんはすでに移動を始めてしまったので、わたしも切り上げて後を追うしかない。
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 このあとディケーター通りをさらに先に(例の地図では右に)進み、フレンチマーケットというところに向かった。。
 途中にあったここはアントサリーズ(Aunt Sally's)という有名なスイーツのお店らしい。
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 プラリーンというお菓子が有名で、この窓の中で、
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 作っていた(ガラスの反射がひどい)。
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 店の中で試食させてくれたが、猛烈に甘くてわたしは好きになれなかった。

 このあたりはフレンチクオーターでもやや外れになるようで、街並みに庶民的な生活感のようなものが混じる気がした。
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 少し行くと通りが斜めに枝分かれしていて、2本の通りに挟まれた尖った三角形の敷地に、ジャンヌ・ダルクの金の騎馬像が立っていた。
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 この少し先にフレンチマーケットの入口があった。
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 200年以上の歴史を持つという市場だが、現在は観光客を意識した店がかなり多くなってしまったようだ。
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 ↑こういうふうに後ろが壁になっているところもあったが、多くは屋外に向かって解放された作りになっていた。
 ↓右側がマーケットで、半屋外になったところから外の通りを見る。
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 突き当たりにあるのが旧造幣局の建物。
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 ここは現在、ジャズの歴史を集めたルイジアナ州立博物館になっていて、4日目に改めて訪れることになった。
 通りの建物。
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 このマーケットでは、奥の方のトイレのある場所まで行って一旦解散し、少ししてから入口のところに再集合ということになったので、早めに戻って、反対側の通りを隔てて走っている路面電車をウオッチングすることにした。

 線路のあるところは通りより少し高くなっていて、塀などもあるので電車は下からは見えなくなっていた。石段を上って塀の先に出ると駐車場があった。
 来た。
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 すぐ前に「Ursulines」という駅があり、電車はそこに停車した。駅番号は❷である。
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 下車するお客はなく、すぐに発車した。
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 前面の上部表示窓に「RIVERFRONT」とあるが、ここを走る路線はリバーフロント・ラインと言う。
 走り去った。
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 次の駅に停まったようなので、望遠をかけてみた。
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 この駅はさっきジャクソン広場の近くから見えていた「❸Dumaine」駅と思われる。また、よく見るとさらにその奥(電柱の左)に、もう一つ先の駅も小さく見えているのが判別できる。調べると❹は「Toulouse」という駅のようだ。

 さて、カメラのデジタル記録によると、再集合は午前11時15分だったと思われる。かなり遠くまで来てしまったが、このあとはホテルの先の昼食場所まで戻らなければならない。雨が止んでいるのが幸いである。
 途中で見かけた建物など。
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 ここでちょっと重要なことに触れておく。
 ↑この上の写真に見られるが、ここまでバルコニーやドアなどに紫・緑・金(黄)の三色を使って飾りが施されている建物がけっこうあったと思う。これは「マルディグラ(Mardi Gras)」というお祭りのための装飾で、この三色は紫が正義、緑が信仰、金が権力を表すマルディグラのイメージカラーなのだった。マルディグラはカトリック由来のカーニバル(謝肉祭)だというが、ニューオリンズでは年間で最大のお祭りとされ、今年はこの本祭が3月5日(火)に行われることとなり、その11日前からパレードなどがスタートすることになっているらしいのだ。
 この期間は毎年すごい人出と盛り上がりになるようで、街ではこのための準備が着々と進んでいるということなのである。今回のツアーは終わりの部分(22・23日)がこれとぶつかっていて、もちろんわれわれもこの両日はパレードを見物することになるが、とにかく観光客の混雑などは覚悟しなければならないということらしかった。

 次の建物は有名なもので、1731年より前に建てられた家とガイドブックには書いてあった(われわれのガイドも説明してくれたと思う)。
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 トウモロコシをかたどったフェンスが特徴になっていて、コーンストーク・フェンス(Cornstalk Fence)と言われているらしい。

 ストリートミュージシャンたち。
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 レストランに着いた。
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 バーボン通りからちょっと入ったところにある「OCEANA」というカジュアルなお店で、ポーボーイというバゲットサンドが出てきたが、大きすぎてわたしにはとても食べ切れなかった。
by krmtdir90 | 2019-03-01 19:14 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅①往路、ニューオリンズへ(2019.2.19)

 わたしが初めてパスポートを取得したのは、退職してしばらく経ってからの、2013年5月のことである。海外には興味がなかったので必要を感じなかったのだが、妻に誘われて、もう年齢的にはあとどのくらい生きられるか判らないところまで来たのだから、二人で海外旅行をしておくのも悪くはないかなと思ったのである。

 最初に行ったのが韓国で、次が台湾だった。飛行機が嫌いなのでそれで打ち止めにしようと思ったが、思いがけず寝台列車の旅というのが目に止まり、三番目に思い切ってカナダに行ったのがきっかけになって、すっかり海外旅行にはまってしまった。
 ただ、まだ始めて日が浅いから、行った国もわずかで、行ったことのない国の方がほとんどと言っていいのである。この先は歳を取るばかりだし、金銭的なこともあるので、あと何回くらい行けるかまったく判らないが、それでもアメリカだけはなぜか、なるべく早い機会に一度は行っておきたいという気分があった。

 アメリカは広い。興味のあるところはたくさんあった。しかし、この先何度も行けるとは思えないのだから、もうこれ一度限り、二度と行けないとしたらどこに行きたいのかと考えた。そしたら西部でも東部でもなく、わたしの場合は南部だろうなと思ったのである。これは妻の興味とは一致しないことが判っていたが、説得に少々時間を要したが最終的には同意してくれた。
 で、行って来たのは「ジャズとアメリカ南部旅情ニューオリンズの旅(7日間)」という、ルイジアナ州ニューオリンズに5連泊して、ジャズとアメリカ南部の旅情を満喫しようというツアーだった。言ってしまえばかなりマイナーな感じのツアーだったが、参加者は17人もいて、世の中にはこういうのが好きな(変わった)人もけっこういるのだということが判った。

2月19日(火)

 成田集合9時30分というのは、我が家からだとちょうどラッシュ時の都心を抜けて行かなければならない。電車が遅延することなども考えて早めに行動を開始したが、6時18分発の中央線特別快速が完全に予想を超えた混み方で、辛うじて座れたから良かったが、早朝からこんな混雑に耐えて出勤している人もいるのかと申し訳ない気分になった。
 神田で山手線に乗り換えて日暮里へ。日暮里からは京成スカイライナーを利用した。
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 8時半前には成田第2ターミナルに着いた。

 海外によく行くようになったが、飛行機に関する諸々の面倒に慣れたわけではない。一時期、膝が痛くて長距離ではビジネスクラスやプレミアムエコノミーを利用したが、最近はかなり改善してきたので、今回は再びエコノミーの長距離ツアーに挑戦している。ビジネスは確かに楽だが、エコノミーのツアーならもう一本行けるだけの費用を無駄にしている感じがあり、庶民としてはエコノミーの苦痛に無理をしてでも耐えるべきだと考えるようになった。
 結果的に今回、10時間を超える苦行を乗り越えることができたので、今後に向けて一つの大きな自信にはなったと思う。

 以下、往路の行程。
 成田空港11:30発、アメリカン航空AA176便でダラスへ。
 飛行機の時間は予定とは大きくずれることも多く、その都度メモをしているわけではないので、すべて予定表の時間で記載しておく。
 所要時間は11時間45分(実際にはそんなにはかからなかったと思う)。無理に眠ることは出来ないと思ったから、座席の背に付いたモニター画面で往路は映画「ボヘミアン・ラプソディ」「空飛ぶタイヤ」「明日に向かって撃て!」の3本を観た。
 途中マイナス15時間の時差修正を行い、19日(火)をもう一度やり直すかたちの08:15(実際はもう少し早く)、ダラス・フォートワース国際空港に到着した。
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 ここで国内線に乗り継ぐのだが、この空港は世界最大級のハブ空港で、入国手続きやセキュリティーチェックなどが過剰なほど厳重で時間がかかった。
 ここは非常に広大な敷地に5つのターミナル施設が散らばっていて、その間をスカイリンクという自動運転の旅客移動システム(2輛編成の小型電車)が結んでいた。こういうものを使うというのは事前に調べてなかったし、折から雨も降り出していたので(もちろん外に出て濡れることはまったくなかったが)、この写真は往路ではまったく撮影していない(帰路で紹介する)。
 こちらが乗り継ぎ便。ダラス10:46発、アメリカン航空AA2607便ニューオリンズ行きである。
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 機体は小さめのものになった。

 今度は所要時間1時間30分。12:16にルイ・アームストロング・ニューオリンズ国際空港に到着した。ルイ・アームストロング(通称サッチモ)はニューオリンズの出身で、2001年が生誕100周年となったのを記念して、空港名を現在のものに改めたようだ。
 通路にトランペットを吹くサッチモの像があった。
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 小さなステージでゴスペルの合唱が行われていた(ピンボケだ)。
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 これからホテルに向かうが、ホテルのあるフレンチクオーター(旧市街)内は大型バスが入れないので、バスとしてはかなり小ぶりのものが用意されていた(写真はない)。 
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 空港はかなり郊外にあったようで、高速道路を使って市内まで20分ほどかかった。天気は残念ながら雨である。
 アメリカンフットボールの地元チーム「ニューオリンズ・セインツ」の本拠地、メルセデスベンツ・スーパードーム。
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 ニューオリンズは路面電車の走る街である。
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 テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」はこのニューオリンズを舞台にしていたが、そこで走っていたのと同じ電車がいまも走っているのである。この赤い車体は比較的新しいものらしいが、全体がレトロ調に作られているのでいい雰囲気である。
 ここはCBD(セントラル・ビジネス・ディストリクト)と呼ばれる新市街と、旧市街のフレンチクオーターを隔てているキャナル・ストリートという通りで、電車の前面上部の表示窓に「CANAL」とあるのは、この通りを走るキャナル・ストリート・ラインという路線であることを示している。また、その左の表示窓が行き先表示になっているようで、「CEMETERIES(Sは窓枠で隠れてしまった)」とあるのは共同墓地という意味である。「欲望という名の電車」で、登場したブランチが最初に言うセリフが「『欲望』という名の電車に乗って、『墓場』という電車に乗りかえて、六つ目の角でおりるように言われたのだけど……『極楽』というところで」というものだが、その「墓場行きの電車」がいまも走っているのである。

 われわれのバスはキャナル・ストリートを横切り、フレンチクオーターの中でも最も賑わうというバーボン通りに入って行った。雨はほとんど止んでいたが、つい今しがたまで降っていた気配があった。バスは一方通行のバーボン通りをゆっくり進んで行き、通りに面した角地にあるホテルのすぐ前に停まった。
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 この右側に入口がある。
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 名前は「フォーポインツ・バイ・シェラトン」と言い、ガイドブック(地球の歩き方)の格付けでは中級となっていたが、フレンチクオーターの文字通りど真ん中という最高の立地のホテルだった。ここはアメリカで最初のオペラハウスがあった場所だったようで、右側の銘板にその説明が書いてあったようだ。

 チェックインして部屋に入ったのは午後2時半ぐらいだったと思う。時差の関係で、この日は一日が39時間というとんでもないことことになっていたのだが、とにかく長時間の移動で疲れているので、午後7時の夕食まで休憩のための自由時間ということになっていた。
 しばらくベッドに横になってウトウトしていたが、そう都合良く眠れるものではないので、どうやら雨も上がっているようだし、周辺を少し散歩してみることにした。

 ホテル外観。
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 前の通りがバーボン通りである。このホテルは5階建てで、通りに面した部屋は明け方まで外の騒音がうるさかったらしい。われわれに割り当てられた519号室は、裏の駐車場側に向いた部屋だったので、眺めは良くなかったが静かだったので良かった。

 バーボン通りを一区画歩いてから右折した。
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 フレンチクオーターは道路がきれいな碁盤の目になっているので、この時はまだよく判っていなかったが、歩いているうちに位置関係は自然に理解された。
 ここでフレンチクオーターの簡単な地図を載せておく。日本のガイドブックから転載すると著作権上問題があるようなので、現地で貰って来たパンフレットの地図である。
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 白く抜いたところがホテルの位置、ホテルの下を左右に走っているのがバーボンストリートである。われわれは右に一区画行って右折したので、地図では下方のミシシッピ川に向かって歩いている。すぐのところに赤で「Preservation Hall(プリザベーション・ホール)」という表示があるが、それがここ(右の黒っぽい倉庫のような建物)。
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 ニューオリンズを代表するジャズスポットで、毎日開演待ちの行列が出来ることで知られているらしい。われわれは3日目にこの行列に挑戦した。
 次の左の建物はスーパーマーケットである。
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 向かいの右側の建物の前で、ミュージシャンたちが路上演奏を始めていた。
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 二区画ほど行ったチャーターズ通りの先にジャクソン広場というのがあり、その向かいに通りを挟んでセントルイス大聖堂があった。
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 写真右手がジャクソン広場になる。このあたりはミシシッピ川も近く、川霧が流れてくることも多いらしい。空気は湿気を含んで生暖かく、2月とはいえ気温は日本と比べてかなり高めになるようだ。
 この先には行かなかった。
 ホテルのある角まで戻って来た。
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 上の写真の撮影時刻が午後5時2分である(カメラのデジタル記録による)。

 部屋に戻ってゆっくりシャワーなどを浴びたあと、夕食より少し早めに下に降りて通りの様子を確かめた。
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 夜になって、かなり人が出ている。
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 午後7時からホテルのレストラン(個室)で夕食になったが、今回の旅行でも食事の写真はほとんど撮っていない(料理が来ると、つい撮るのを忘れて食べ始めてしまうんですね)。

 食事の後は基本的には自由時間なのだが、今回のツアーでは毎晩ここからがお楽しみの時間帯で、添乗員がいろんなジャズスポットに連れて行ってくれることになっていた。一応自由参加になっていて、各自で行き先を決めて独自に出かけてもいいことになっていたが、英語がダメなわれわれとしては、自分たちだけで歩き回ることなどとうてい考えられず、添乗員に全面的に頼って行くしかなかったのである。
 実は今回の添乗員が、前回中国に上海蟹を食べに行った時と同じ添乗員(女性)に当たっていて、そんな偶然もあるのかと驚きながら、一度一緒に歩いていることから、まったく安心してついて行くことができたのである。

 この日は夜になって一気に人が出たようで、通りは混雑していた。われわれはまずバーボン通りを(先ほどの地図で)右に歩き、最初にホテルから一番近い「メゾン・バーボン」という店に行った。しかし、ここは満席で中に入れなかった。
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 この店は非常に開放的な作りになっていたので、通りから中の様子が見えたし、演奏の音も流れて来ていた。
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 だから、入口にへばりついて、タダで聞いてしまうことも出来ないわけではないようだった。
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 もちろんわれわれはそんなことはしないで、さらに少し歩いて「フリッツェルズ・ヨーロピアン・ジャズ・パブ」という店に行ったが、ここも大混雑で入れなかった(写真はない)。

 行ったタイミングが悪かったということもあったのだろうが、添乗員としてはかなり焦ったのではないかと思う。
 仕方なくバーボン通りを引き返し、ホテルの前を通り過ぎて、今度は反対の方に(地図では左の方に)向かって歩いた。道沿いにはメゾン・バーボン同様ドアを開け放し、大音量の演奏を外に流してお客を呼び込んでいる店がたくさんあった。ジャズではなく、ポピュラーやロックなどをやっている店も多く、自由に出入りできるようになったところもあったので、そうした一つに少しだけ入ってみたが、長居する感じにはならなかった。
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 このあと、3番目に行ったオープンカフェ・タイプのジャズスポット「ミュージカル・レジェンズ・パーク」という店に何とか入ることが出来たので良かった。
 ここは入口を入ってすぐのところに、3人のジャズミュージシャンの銅像が立っている。
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 左からファッツ・ドミノ(ピアノ、ヴォーカル)、アル・ハート(トランペット)、ピート・ファウンテン(クラリネット)とある。昔聞いたのかもしれないが、まったく覚えていない。
 この店はステージとその前方にだけ屋根があり、その両側は屋根なしのオープンタイプのテラス席だった。テーブルやイスがまだ雨滴をつけたままだったので、バーカウンターで雑巾を借りて自分で拭いてから座った。そういう感じだから空いていたのだと思う。 
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 出演していたのはトランペット(ヴォーカル)・ピアノ・ベース・ドラムスという編成のけっこう歳の行ったカルテットで、何と言えばいいのか、淡々とした?演奏であまり面白いものではなかった。
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 ただ、きょうはまだ旅行初日である。体力的にはかなり消耗しているし、早めに店を出て、午後10時ごろにはホテルに戻った。
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 11時ごろには寝たのだが、体内時計が変調を来していたのだろう、午前2時半ごろには目が覚めてしまって、以後は眠れなくなってしまった。まあ、少しはウトウトしたけれど、途中でちょっと起き出して、窓からの眺めを写真に撮った。
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 見えているのはキャナル・ストリートの向こう側、CBD新市街のビル群と思われる。撮影時刻は午前3時40分。雨は降っていないようだが、雲が低く垂れ込めている。
by krmtdir90 | 2019-02-27 21:57 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の小さな旅④上海・復路(2018.11.21~22)

11月21日(水)続き

 雨は昼ごろには上がるという予報を裏切って、降ったり止んだりを終日繰り返した。
 上海に向かうバスの窓は、雨滴はそれほどでもないのだが、湿気で曇るのを時々拭ってやらなければならない状態だった。で、思いがけず高速鉄道の走行が見えた時、慌ててカメラを向けたのだが、全体が滲んでしまって上手く写すことができなかった。残念。
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 以下はガラス面を丁寧に拭いてから写したもの。次第に上海の市街地に入って来ている。
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 外灘(ワイタン)のあたりを通ったようで、有名な対岸の高層ビル群が見えていた。
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 ここは夜になってから訪れる予定。

 ホテルに到着したのは午後3時20分ぐらいだった。
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 ここでは、チェックイン時に一人一人カウンターの前に行って写真を撮られた。中国では最近、パスポートだけでなくそういうことをするホテルも出てきているらしい。
 部屋に入って暫時休憩。
 部屋の窓からの眺め。
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 泊まったホテルはシェラトン上海虹口(ハンコウ)ホテル(上海虹口三至喜来登酒店)と言ったが、この虹口というエリアが、戦前に10万人もの日本人が暮らした「日本租界」のあったところだったらしい。見えている低層の住宅群は、租界当時の面影を残している地域だったようだ。
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 時間があったら行ってみるといいとガイドは言っていたが、このあと明朝まで、まったく余裕のないスケジュールだったのが残念だった。

 午後4時にロビーに集合して、バスで上海市内の見学に出発した。
 雨は相変わらず降り続いていて、時折止んだかと思うと、また思い出したように降り出す時間帯もあったりして、とにかくスッキリしないことこの上もなかった。
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 少し走ってから道路際でバスを降り、傘を差して歩いて行った。
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 最初に行ったのは豫園商城というところである。

 豫園(よえん)は明代に作られた著名な庭園のようだが、いまは庭園そのものよりも、その門前町として発展した商店街(商城)の方が人気になっているらしい。昔ながらの懐かしい雰囲気が味わえる場所として、夜になると観光客などで大変な賑わいを見せているという。

 われわれはガイドの先導で、商城の中心になっている人口池の畔まで行き、そこを集合場所として一旦解散した。とはいえ、事前に何も調べていないのだから、どこに行ったらいいのか見当がつかない。ガイドもそのあたりは心得たもので、希望者がいれば中国茶の専門店に連れて行ってくれるという。で、十人以上でついて行ったら、エレベーターで3階に上がった。
 その廊下からの眺め。
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 店の方でも慣れたもので、用意してあったテーブルにわれわれを座らせ、この人が流暢な日本語で説明しながら、いろんなお茶を淹れて試飲させてくれた。
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 一通り終わったあと、一応店内を申し訳程度に眺めてから廊下に出た。ビル群に明かりが入ってきれいな夜景になり始めていた。
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 それから下に降りて、このあとはそれぞれで通りなどを散策した。われわれも適当に店を回り、土産の菓子などを購入した。
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 ただ、隅々まで見て歩く気もないから、それほどの時間は必要ではなく、集合が何時だったか覚えていないが、10分以上前には集合場所に行っていた。
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 スターバックスコーヒーは着々と店舗を増やしているようだ。
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 ↓この建物が、
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 夕食を食べる南翔饅頭店である。
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 上海を代表する小籠包の名店らしい。 
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 円卓ではなく、一人一人に出てきたので、ちょっと写真を撮ってみた。
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 小籠包は絶品だったと、やはり書いておくべきなんだろうか。でも、正直に言えば、美味しかったけれど、それ以上の修辞はつかないという感じだった。へそ曲がりだから、率直に感動できないタチなんですよね。なお、右下の蕎麦つゆのように見えているのは紹興酒である。
 食事を終えて帰り際に。
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 入口のこの娘は、カメラを向けたら横に遠慮しようとするので、そのまま立っていてほしいと(手振りで)言ったら、スッと営業用のポーズを決めてくれた。さすが。

 外に出ると雨は止んでいた。上海のシンボル、通称「上海タワー」の上部が見えている。
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 さっきまでは霞んで上の方が見えていなかった。この日のような天候では、全貌を見るのはなかなか難しいようだ。
 以下は帰り道。
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 商城の外に出て、バスの駐車場まで、裏道のようなところを歩いた。
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 こういうところを歩くのは面白い。

 このあと、バスで10分あまり移動した。最後の目的地は外灘(ワイタン)である。
 この橋の手前でバスを降りた。
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 外灘の北側、呉淞江(ごしょうこう、蘇州河とも)に架かる外白渡橋(がいはくときょう)という橋で、1907年に竣工した中国で最初の鉄橋なのだという。
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 外灘というのは、かつてアメリカ・イギリス・フランスなどの租界(外国人居留地)があった地域で、当時建てられた西洋式建築が多く残っているところらしい。もちろん、そうした建築を見て回るツアーもあるのかもしれないが、
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 今回のように夜間にここを訪れるのは、主に美しい夜景を見るためであって、現在では外灘は屈指の夜景の名所として観光客を集めているということのようだ。
 橋の上から。
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 橋の向かい側では、結婚したばかりのカップルが夜景を背景に記念写真を撮っていた。
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 渡り切って、外灘の方から見た外白渡橋。
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 夜景を見ながら歩いて行く。
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 外白渡橋のこちら側で、呉淞江は前方の黄浦江(こうほこう)に合流している。
 この川べりを黄浦(こうほ)公園と言い、そこに立つこれは上海市人民英雄記念塔と言うらしい。
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 実は、帰ってからインターネットを見ていて判ったのだが、この赤色はライトアップで染められたもので、元の塔の色は白だったようだ。
 黄浦公園から道路の方を見ると、租界時代の歴史的建築が並んでいる。
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 ただし、夜景に気を取られて、そちらの写真はこれ一枚しかない。
 で、これが有名な黄浦江対岸の夜景。
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 この対岸は浦東(ほとう)新区と言い、大規模開発によって新たに生まれた高層ビル群のようだ。左寄りの球体のある塔は東方明珠塔というテレビ塔(高さ468m)で、右寄りの上部が霞んでしまっているビルは上海環球金融中心(高さ492m)と言うらしい。
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 上の写真の撮影時刻は午後7時33分である。
 雨はしばらく止んでいたのだが、このあたりでまた降り出してしまった。急いで引き上げることになったが、外白渡橋をもう一度渡り、最初にバスを降りたところまで戻らなければならなかった。われわれは念のため折り畳み傘を持参していたが、もう大丈夫と判断してバスに置いたまま下車してしまった人も多く、半分ぐらいの人たちが最後に濡れてしまうことになってしまった。
 ホテルに帰り着いたのは午後8時15分ぐらいだったと思う。

11月22日(木)

 早くも最終日である。この日は午前6時半にホテルを出発することになっていた。
 目覚ましをかけて、5時前に起床した。
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 まだ表は真っ暗である。天気は回復しているようだ(まあ、もう関係ないのだけれど)。
 朝食は6時からというので、もう一度部屋に戻るのは無理と判断して、そのつもりでレストランに行った。このホテルはいわゆる五つ星ホテルだったようで、ビュッフェ形式の朝食はたいへん豪華な内容だった。できれば時間をかけてゆっくり堪能したいところだったが、時間が限られているのが非常に残念だった。
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 ほぼ予定通りにホテルを出て、途中少し渋滞に巻き込まれたりしたが、7時10分ごろ(これもほぼ予定通り)上海虹橋(ホンチャオ)国際空港に到着した。
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 帰りの飛行機は上海航空FM815便で、9時10分に予定通り飛び立った。帰りの座席は真ん中の方だったので、写真はない。途中でプラス1時間の時差修正を行い、12時30分に羽田空港に着陸した(所要時間2時間20分)。
 何だかあっという間で、あまり外国に行ったという気がしなかった。
by krmtdir90 | 2018-12-03 13:59 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の小さな旅③蘇州~錦渓(2018.11.21)

11月21日(水)

 朝起きたら雨が降っていた。朝食後に外に出てみたが、けっこうしっかりした降り方である。
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 この日は蘇州を後にして上海に向かうが、途中、錦渓という古鎮に立ち寄ることになっていた。このぶんでは傘を差しての散策になるが、まあ、仕方がない。

 8時30分にロビーに集合して、雨の中をバスは出発した。
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 雨なので時間も少し余計にかかったようで、錦渓に着いたのは10時半ごろだった。
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 駐車場でバスを降り、傘を差して歩いて行く。この建物で入場券などを購入するようだ。
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 雨は小降りになっているような気もするが、相変わらず傘は必要である。
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 歩いて行くと川(運河?)の畔に出た。
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 見えている橋(屋根付き)を渡って行くようだ。
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 橋の途中から。
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 これは五保湖という湖で、錦渓古鎮はこの畔にできた水郷の街なのである。
 橋を渡った先には、片側に長屋のようになった土産物店が並んでいて、その庇の下をたどれば傘を差さずに行けるようになっている(写真は撮っていない)。
 その先に出ると、錦渓のシンボルになっている橋が見えた。
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 古蓮長堤と三亭橋という。手前が古蓮池、向こう側が五保湖である。

 古蓮池の右手のところは、地図には菱塘湾と記載されていて、幾つかの運河とつながっているようだ。
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 この写真の右手に運河遊覧の小舟の乗り場があった。シートが被せてある屋根付きの小舟がそれである。まずこれに乗るようだ。
 6人乗りだというので、われわれは3艘に分乗して出発した。
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 船頭さんは女性である。
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 舟は正面にある運河の一つに入って行く。
 雨は止んではいないが、この時はたまたまかなり小降りになっていて、屋根の下にいるぶんにはほとんど気にならない感じになっていた。ツイてる。
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 非常に印象的な形の橋があったが、
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 舟はこの手前でUターンして(たぶん、この橋を見に来ただけなのだ)、乗り場のあった菱塘湾に戻って行く。
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 ↑ここにも運河があるが、舟はさらに右手にある別の運河の方に向かって行った。
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 「茶館」とあるが、茶店のテラス席といった感じだろうか。
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 舟は、今度はこの運河をどんどん進んで行く。
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 両側は、お店の一部のように見える建物もあったが、普通の人家もかなりあるようで、裏口から石段で運河に降りられるような作りになっているものが多かった。 
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 いまでも洗い場のように使われることがあるのだろうか。
 前を行く舟の船頭さんが歌い始めた。
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 引き続いて、われわれの船頭さんも歌った。
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 お互いに2曲ずつ歌った(先頭を行った舟の船頭さんがどうだったのかは知らない)。
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 この先が下船場になっているようだ。
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 カメラのデジタル記録を確認すると、乗船していた時間は20分ほどだったが、非常に楽しい時間だった。雨も(降っていたけど)ほとんど気にならなかったし。
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 さて、このあとは錦渓古鎮の散策ということになる。小降りとはいえやはり傘は必要で、写真を撮るには不自由だったが、人がほとんど出ていないので、運河や街並みの風情がしっかり感じられて良かった。
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 基本的に、先ほど舟がたどってきた運河に沿うように、付かず離れずの感じで戻って行ったようだ。
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 雨は降り続いている。
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 橋。
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 衆安橋というらしい。
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 橋の上から。
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 さっき、この水面を舟で通ったのだ。
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 インターネットで調べてみると、錦渓古鎮には明清時代に建造された石橋が36も残っているらしい。衆安橋もその一つである。
 歩いていて、雨で人出が少ないということもあるが、ここはあまり観光地化していなくて好ましい古鎮だという印象を持った。
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 民宿というのはそのままの意味だと思うが、
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 こういうところに泊まるというのはどんな感じなのだろうか。
 また橋があった。普慶橋と言うらしい。
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 次は郵便局の建物だったようだが、いまも現役かどうかは判らなかった。
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 ポストも使われているようには見えなかった。
 実は、このあとどういうふうに歩いたのか記憶がはっきりしない。
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 はっきりしているのは、このお店の2階でお昼を食べたということである。
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 この写真は、食べ終わって店を後にする時に撮ったものだが、店のすぐ先に橋があり、
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 これが、さっき向こう側から写した普慶橋だったのである。
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 この視点というのは、舟で遊覧の時にほぼ同じ角度から写した写真があった(前の方を見てください)。うーむ、そういうことだったのか。

 このあと運河沿いを離れて、人々が普通に生活しているエリアを少し歩いた。
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 観光とほぼ無縁の区域だったと思うが、そういうところを歩けたのは良かった。
 最初に運河遊覧の舟に乗った乗り場のところに出た。
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 撮影時刻は12:44だった。舟と徒歩で、古鎮の中を一回りした感じなのだろう。なかなか趣があって、印象的な古鎮だったと思う。

 このあとは写真がない。天気予報では、雨は昼ごろには止むということだったが、どうもはっきりしないまま時間が経過してしまったようだ。徒歩で駐車場まで戻り、バスが錦渓を出発したのは午後1時20分ぐらいだったと思う。
 バスは上海に向かう。(続く)
by krmtdir90 | 2018-12-01 22:11 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の小さな旅②陽澄湖・蘇州2(2018.11.20)

11月20日(火)続き

 上海蟹は、長江流域に広く生息している中国モクズガニという種類の蟹で、中でも陽澄湖(ようちょうこ)産のものは最も高級な上海蟹としてブランド化されているらしい。一年中食べられているが、旬は10月から11月とされていて、今回のツアーはこの産地と旬にこだわって、現地の養殖場直営のレストランで蒸し立ての上海蟹(雌雄一対)を食べようという、何とも贅沢な昼食プランが組み込まれたものだった。
 上海蟹は日本でも食べられる店はあるようだが、とんでもなく高価なものになるので、もちろんいままでに食べたことなどなかった。

 車窓に陽澄湖が見えてきた。
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 ここの上海蟹が美味で珍重されるのは、湖底の質の違いが大きいと言われているようだ。この蟹が生息する湖沼の多くが泥地の底であるのに対し、陽澄湖は砂や岩の底になっていて、それが蟹の成育に好影響を与えているということらしい。けっこう広い湖だが水深は浅く、平均2メートルにも達していないということだ。

 上の写真の撮影時刻は11時11分で、どうやらバスが順調に来過ぎてしまったようで、レストランに行く前にちょっと寄り道をすることになった。
 脇道に入ったところに、上海蟹を売る露店が並んでいた。
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 みんなで降りて行って冷やかした。
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 予想外に小さいものなのだなと思った。
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 値段を言っていたようだが、興味がなかったので聞いていなかった。

 時間調整をしたけれど、11時37分(撮影時刻)にはレストランに着いてしまった。
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 非常にローカルな雰囲気の店構えだが、上海蟹では定評のあるお店らしい。やはり2つの円卓にいろんな料理が出てきた後、最後に、蒸し上がったばかりの上海蟹が山盛りになって出てきた。
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 最初にガイドが食べ方を教えてくれて、あとは各自黙々と蟹と格闘した。
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 ↑これはオスである。ひっくり返して、腹の模様の違いで見分けるのだという。↓これがオス。
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 ↓これがメスである。
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 肝心の、食べた感想だが。
 ・・・・・・・・・・。
 そんなに大騒ぎするようなものではないな、と思った。味噌はなかなか濃厚で特徴的な味だと思ったが、甲羅そのものが小さいし、量があるわけではない。それ以外の、足などの身の部分はほとんど食べるところがなく、えっ、これで終わりなの?、という感じだった。
 ・・・・・・・・・・。
 上海蟹は味噌を食べるもの、ということらしい。まあ、何ごとも経験してみなければ判らない。この日の昼食に幾ら費用がかかったのかは知らないが、もう二度と上海蟹を食べることはないだろうな、と思った。

 なお、上海蟹は身体を冷やす作用があるので、お酒はビールではなく紹興酒を合わせた方がいいと言われた。その通りにしたが、蟹そのものが量がないのだから、あまり関係ないのではと思った。
 あと、手がけっこうベタベタしたので、食後に石鹸を使って入念に洗ったのだが、強烈なにおいはなかなか取れなかった。
 店の奥に水槽があって、上海蟹がたくさん泳いでいた。取り出されて縛られ、蒸されるのを待っている蟹たち。
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 レストランを出たのは午後1時30分ごろだった。

 バスで5分ぐらい走って、今度はちゃんとした上海蟹の市場に立ち寄った。
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 ↑これが建物の壁面にあった市場の名前なのだが、その前に魚の干物と一緒に衣類や洗濯物が干してあったりして、いったいどういうつもりなのかよく判らない。
 卸売りの店がたくさん並んでいた。
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 ↓こちらの店では、蟹を一匹ずつ鮮やかな手さばきで縛っているところを見ることができた。
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 生きたまま縛って、その状態で各地に発送しているらしい。この日は平日だったので空いていたが、休日には近隣からの買い出し客でけっこう賑わうらしい。

 午後2時前に陽澄湖を後にした。
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 この囲いの中で蟹の養殖をしているらしい。遠くに見える鉄橋は高速鉄道のものだという。

 このあと蘇州市内に戻り、留園の見学はホテルに帰ってから希望者対象で実施することになっていた。ところが、ツアーの17人全員が希望するということが判り、ホテルに寄らずに直接留園の駐車場に向かうことになった。

 留園(りゅうえん)は、世界遺産にも登録されている中国四大庭園の一つである。創建は明代だというが、清代になって当時の建築造園様式で整備されたものだという。例によって荒廃と再建を繰り返し、現在のものは中華人民共和国成立後の大規模な改修を経て、1954年に一般に開放されたらしい。

 留園の前の道、留園路と言うようだ。
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 この右手に留園の入口がある。
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 非常に簡素なものだと思う
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 これは入ってすぐのところ。
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 中はかなりの広さがあり、多様な建築物と変化に富んだ庭園とが組み合わさっている。建物の狭い廊下を進んでいくと、
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 園の中心をなす池の畔に出た。
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 池の中に小島があり、橋を伝って行けるようになっている。
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 島の方から周囲を眺める。
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 ↑この小楼の建つ小高いところは見晴台になっていて、あとでそちらからの写真も載せる。

 池の畔から元の建物の方に戻り、今度はいろいろな建物の中をたどった。
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 建物にはたいてい大小の庭や中庭が付随していた。
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 奇妙なかたちの石があちこちに使われているが、これは蘇州の西方にある太湖(たいこ)という湖の周辺で採れる石灰石(太湖石という)だという。太湖の水で長年浸食され、穴が空いたり複雑な形状になったりしたもので、中国では各地の庭園で珍重されているらしい。
 さらにいろいろな建物と部屋、そして付随の庭を見て回った。
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 ↑この池は最初の池とは異なる。
 このあと、さらにあちこちたどった後、
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 もう一度、最初の池の畔に出た。さっきの、向かいにあった見晴台の方からの眺め。
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 園内を一通り見て回ったが、全体としてはどうも焦点がはっきりしない感じで、名高い庭園だと言われればそうですかと言うしかないが、あまり印象に残るものではなかったように思う。まあ、そういうこともあるということで。
 再びバスに乗って、午後4時ごろにホテルに戻った。

 この日はまだ終わりではない。午後4時45分にロビーに集合、徒歩で10分ぐらいのところにある山塘街(さんとうがい)に向かう。
 途中の何ということもない街並みも、次第に夕暮れになっていく時間帯の感じが、なかなか雰囲気があっていいものだと思う。
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 見えてきた。山塘街への入口の門。
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 これを入って歩いて行くが、このあたりはまだ道幅も広く、車やバイクも入ってくる。
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 右手の方に比較的広い運河が通っているようだ(写真には撮っていない)。
 しばらく行くと、左手に細い運河が分岐していた。
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 この運河に沿って、歩行者だけの小路ができていた。
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 ここからが歴史街区・山塘街の古い街並みになるようだ。

 山塘街は、唐代の詩人・白居易が蘇州の長官であった頃、周囲の運河とともに整備させたのが始まりだったようだが、その後様々な変遷を経て修復され、2014年に世界遺産に登録されたということのようだ。
 少し行った右手に、この日の夕食をとる食堂があった。
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 この写真は食後に、フリータイムになってから撮ったものだが、われわれは「団体」だから、2階の部屋に通された(左上のところ)。その窓から見下ろした山塘街の様子。
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 なお、この食堂は地元の人にも人気のお店で、麺類が売りになっているらしかった。小籠包などの点心のあと「麺」をいただいたが、わたしはあまり美味しいとは思わなかった。
 食事を終えて外に出て、上の写真と同じ方向を撮る。
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 空もすっかり暗くなっている。

 このあと、1時間弱のフリータイムが取られた。お店を覗いたりしながらあちこち歩いたが、写真はあまり撮っていない。
 運河に架かる橋の上から。
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 橋の先に続く小路。
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 この橋。
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 絶好の写真スポットになっているのか、橋の上や周辺はごった返していた。
 昼間はどうなのか判らないが、夜の街路はけっこう賑わっていて、運河と古い街並みの風情といったものはあまり感じられなくなってしまう気がした。
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 見上げると、空には月が出ていた。
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 歩行者だけの山塘街入口にあった御碑亭という建物。
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 この前が集合場所になっていた。
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 再び徒歩で帰った。その帰り道。
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 ホテルに戻ったのは午後7時半ぐらいだった。
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by krmtdir90 | 2018-11-30 23:59 | 海外の旅 | Comments(0)


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