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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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カテゴリ:海外の旅( 123 )

中国の旅⑥長江3・白帝城(2018.9.8)

9月8日(土)

 起きた時は曇っていた。この写真の撮影時刻が6:24である。
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 ほぼ同じ方向を7:31に撮ったのが次の写真。
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 太陽も顔を出している。
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 このあと雲はどんどん取れていき、この日は一日中好天に恵まれた。暑くなったが、やはり青空と太陽がある方がいい。

 チャイナゴッデス1号はこの日の上陸観光地・白帝城近郊の船着き場に入っている。午前8時から順次出発となっていたが、人数が多いからどうしても遅れ気味になってしまう。
 船着き場を見ると長い階段があったが、階段を上るのは最初のところだけで、右手の屋根のついたところからはエスカレーターが付いていたので救われた。
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 エスカレーターを降りてから少し歩いた(前方の道路に出て右折)。
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 途中、何やら立派な門があったが正体は不明。
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 門の向かい側に「中国郵政」と書かれた小さなお店?が出ていた。
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 右脇に濃い緑色のポストが立っている。中国のポストはこういうものらしい(今回は結局、孫に出す絵ハガキを投函するチャンスがなく、最終日にホテルのフロントで出してくれるよう頼んできたのだが、まだ届いていない)。
 歩いて行った先がバス乗り場になっていて、次々発着しているこのシャトルバスで白帝城の入口まで行くのだという。
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 バスは5、6分走って入口に着いた。で、入口ゲートを出ると、
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 白帝城と、そこに通じている橋が見えた。
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 橋はけっこう長かったが、吊り橋ではなかったので良かった。途中、ちょっと横に出られるところがあったので、そこから一枚。
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 白帝城は現在では長江に浮かぶ小島になってしまったが、もともとは川沿いに少し張り出した岩山だったらしい。三峡ダムによって水位が上昇したため、石宝寨と同じく往時の景観が失われてしまったものだった。三峡ダム建設は現代中国を象徴する一大国家プロジェクトだったようだが、それと引き換えに多くのものが犠牲になったことも忘れてはならない事実なのだろう。一党独裁の政治体制下で、国家の威信と結びついた大事業の前では、歴史的遺跡や景観というようなものは二の次にされたということなのである。

 橋を渡り切った先が広場になっていて、大きな銅像が立っていた。
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 白帝城は蜀の皇帝・劉備が没したところだから、てっきり劉備の像だと思っていたら、彼に仕えた諸葛孔明(諸葛亮)の方だった。

 さて、白帝城では300段を超える(インターネットには358段と書いてあった)石段を登らなければならないと予告されていた。自信のない人は60元で駕篭をチャーターできると添乗員が言っていたが、これはお金の問題ではなく矜恃の問題である。高所恐怖症で階段が怖いからと言って、自分の足で登らなければ行ったと胸を張ることはできない。駕篭を選んだ人たちを横目に、右の方に続く順路に向かった。
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 石段が見えてきた。
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 決して緩やかな石段ではないが、手摺りにつかまりながらゆっくり行けば何とかなるだろう。途中に駕篭の姿が見えているが、腰を落としてV字になったお客を前後二人が担いで登る(下る)もので、けっこう勢いをつけて行くので、乗った人にあとで聞いてみたら非常に怖かったということだった。

 で、私の方だが、この石段は(正直言って)いままで経験した石段の中で一番怖かった。300段もの間、一度も踊り場がなかったのである。こんなのは初めてだった。立ち止まって息を整えようにも、広いところがないのだから石段の途中に立ち止まるしかなく、そんなところでバランスを崩したり、誰かにぶつかられたりしたらどうしようと不安になってしまって、ちょっと大袈裟だが、まったく生きた心地がしなかった。 
 あと数十段になったところでようやく唯一の(最初で最後の)踊り場にたどり着き(狭かったけれど)、やっとカメラを構える気になれた。
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 白帝城と書かれた門がある。ここで記念写真を撮り合ったりした。しかし、下を見るとやはり目が眩む(右のお兄さんは駕篭を担ぐ人である)。
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 最後の石段をやっと登り切って門をくぐった。
 インターネットを見ていると、水面が上昇する前はこの3倍の石段を登らなければならなかったと書かれていて、この点に関してだけは三峡ダムに感謝するしかないと思った。

 門の先はちょっとした広場になっていて、白帝廟と書かれた建物の入口(門)があった。
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 右手の塀の前に石碑が幾つか建っていた。
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 次は、同一の詩を異なる人が揮毫したもので、これは毛沢東。
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 これは、右が周恩来、左が江沢民である。
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 江沢民のものが読みやすいが、詩は李白の「早發白帝城(つとにはくていじょうをはっす)」である。「朝辭白帝彩雲閒/千里江陵一日還/兩岸猿聲啼不住/輕舟已過萬重山」。横書きでは訓点を施すことはできないが、すべて現代仮名遣いの平仮名で書き下すと次のようになる。「あしたにじすはくていさいうんのかん/せんりのこうりょういちにちにしてかえる/りょうがんのえんせいないてやまざるに/けいしゅうすでにすぐばんちょうのやま」(訓読の仕方には異なったものもあるが、わたしが覚えたのはこれである)。
 わたしには何とも懐かしい漢詩なのである。口語訳もしてしまいたい気分だが、さすがにそれはやめておく。

 さて、白帝廟に入る前に少し下の展望台(非常に狭いところ)に行き、三峡の始まりである瞿塘峡(くとうきょう)の蘷門(きもん)というのを遠望したのだが、この時の写真がうまく撮れていないので、これは帰路にもう一度立ち寄った時に。

 白帝廟の門を入ると、正面にこういう建物があり、
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 狭い前庭の左右に、鶴と、
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 龍がいた(角度が悪くて判りにくいのだけれど)。
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 建物の中には、確か白帝城の由来とか変遷などが書かれたボードや写真などがあったと思うが、どうも記憶がはっきりしない。
 次の建物も、
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 次の建物も、
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 中に入ったと思うのだが、写真もないし、あまり面白いものはなかったのかもしれない。
 あと、船に乗った時に李さんの後を引き継いだガイドが、年配の男性だったのだが、日本語が下手で何を言っているか判らないことが多かったのである。説明の量もガタッと減ってしまったので、それで印象に残らなかったということもあるかもしれない。ガイドの善し悪しは重要なのである。

 このあと左方にあった回廊のようなところに行ったと思うが、そこには三国時代のいろいろな武将が祀られているようだった。帰ってからインターネットで調べているのだが、次が劉備で、
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 こちらは張飛(左)と関羽(右)だったようだ。
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 これは諸葛孔明で、
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 最後のこの建物では、
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 この地で病臥し亡くなることになる劉備(奥の寝台にいる)が、諸葛孔明(左に立っている)を始め重臣や息子たちを前に、後を託す最期の言葉を伝えているシーンが再現されていたようだ。
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 白帝城は、前漢末に公孫述という武将が築城したのが始まりで、白帝廟はみずから白帝と称した彼の廟として作られたものだったようだ。だが、その後の様々な変遷を経て、いつの間にか三国志の英雄たちを祀る場に変化してしまったということらしい。
 まあ、いろいろ調べてはみたが、実はこんなことはどうでもいいことなのであって、それよりもここが古くからの景勝の地として、李白を始めとする多くの詩人・文人に愛されてきたということの方が重要なのだと思う。そこにわたしも自力で登ったということが大切なことなのだ。

 回廊の前の庭には特徴的な屋根を持った鐘楼があり、
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 これを背景にして記念写真を撮ったりした。
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 陰にこんなガジュマルの木があって、この脇から廟の建物の裏手に抜けて行った。
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 そこは休憩所やトイレなどが整備された場所で、ここから帰りのルートになるということらしかった。
 建物の壁にいろんな書を彫った石板などが掛かっていて、そこで拓本を取っている人がいた。
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 ここにもまた李白の詩があったが、誰の書なのかは判らなかった。
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 山上の建物をぐるりと一周するようなかたちで歩いて行き、最初に行った蘷門(きもん)の展望台に立ち寄った。さっきは混み合っていたが、今度は空いていて、ゆっくり記念写真などを撮ったりした。
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 この先から三峡の一つ、瞿塘峡(くとうきょう)が始まるのである(縦サイズで)。
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 この展望台の横から下りの石段が始まっていて、こちらは最近新しく整備されたものらしく、傾斜も緩やかだったし、一定間隔で踊り場も付いていたので楽に下りることができた。
 行きの順路と違って広々とした帰り道。
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 諸葛孔明の像の後ろ姿。
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 さっきの橋を戻る。
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 途中、何やら大きな工事が行われていた。こんなところに何を作るつもりなのだろう。
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 再びシャトルバスに乗って帰った。船着き場の下りエスカレーターで船に戻った。このあたり、写真を撮っていないので時間が判らないのだが、たぶん11時半を過ぎていたのではないかと思う。

 12時前に、全員帰船したことを確認して船は出港したのだが、このあといよいよ三峡に差しかかって写真も増えそうなので、この日は2回に分けて掲載することにする。
 なお、明日からちょっと予定があって、この連載の続きは数日後になると思うので了解していてください。
by krmtdir90 | 2018-09-21 21:30 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑤長江2・石宝寨・張飛廟

9月7日(金)

 夜の間に雨が降ったようだったが、朝にはほとんど止んでいた。
 長江の朝である。
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 朝食は7時半から、2階のレストランでビュッフェ形式になっていた。
 船は夜通し動いていたようで、いまも航行を続けている。天気は曇り、このあと上陸観光の際にわずかにパラつくことはあったが、傘がなくても何とかしのげたので良かった。相変わらず湿度は高かったが、気温もそれほど上がらず、見学時に階段を上ったりすると汗をかいたが、まあ過ごしやすい天候と言ってよかった。

 以下は朝食の前後に、すべて船室のデッキから写したものである。
 町が見えてきた。
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 町の名前は判らないが、高層マンションが林立している。
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 こんなに密集していると、高層であることの有難みも薄れてしまうように思えて、こういうところにはあまり住みたいとは思えなかった。
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 川面から望む景色というのは独特のものがあって、このゆったり感というのはいいものだなと思う。
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 漁をしていると思われる小舟をあちこちで見かけた。
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 午前9時過ぎ、船は最初の上陸地・石宝寨(せきほうさい)の船着き場に着いた。10時から出発となっていたが、今回は人数が多いので、フロントロビーに一度に集合するスペースがなく、グループごとに少しずつ時間をずらして上陸ということになった。
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 ↑これは船から出たところで撮ったものだが、撮影時刻は10:14である。

 何となく箱庭のような感じに見えるが、これは実は、下流に三峡ダムができてこのあたりの水位がかなり上がり、以前の景観が失われてしまったものなのだという。ウィキペディアに昔の写真があったので、比較のために転載させていただく。
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 石宝寨はもともと、長江の岸に屹立する孤立した巨大な岩山だったらしい。明の時代にここに砦が作られたのが始まりで、清の時代にかけて、山頂に寺院や楼閣(塔)が建てられていったようだ。水位が上昇したため、現在は小島のようなかたちになってしまったが、吊り橋で岸と結んで渡れるようにしてあるのだという。すぐ近くにあるように見えるが、右手から大きく回り込まないと行けないようだ。

 船着き場の傍らで洗濯をしている人がいる。
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 アヒルもいる。
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 船着き場からずっと坂道を上って行く。
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 ↑これは途中から振り返ったところ。クルーズ船が2隻入っているが、右がわれわれのチャイナゴッデス1号。
 道の片側に土産物を売る露店がずっと並んでいる。興味がないので写真は1枚しかない。
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 坂道は地元の人の生活圏に入って行く感じで、↓これは脇道の一つ。
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 長い坂を上り切ったところが十字路になっていて、左折して今度はこの道をゆるやかに下って行くことになる。
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 両側はアパートになっているようで、
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 1階の店舗にはやはり土産物などが並んでいる(地元の人のための店も少し交じっていたようだ)。
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 石宝寨の入口に着いた。
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 中に入って進んで行く。
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 この向こうが吊り橋である。
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 高所恐怖症としてはできれば避けたいところだが、渡らなければ行けないのだから仕方がない。けっこう揺れて怖かった。
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 もう少しというところで振り返る。
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 帰りにもう一度渡るのかと思うと気が滅入る。

 渡り切った。
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 チャイナゴッデス1号が見えている。
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 もう一隻は出港してしまったようだ。
 岩山を見上げる。
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 さっきの写真で箱庭の箱のように見えた部分の縁に当たるところを左に回り込んで行く。
 石宝塔と呼ばれる12層の楼閣が見えてきた。
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 もとは9層までだったようだが、1956年に3層付け足して12層としたものらしい。
 今度はこれを登るのだという。スタートの面がここよりかなり下になっているが、恐らくそのままでは長江の水に沈んでしまうので、周囲を囲む壁を作って水の浸入を防いでいるということなのだろう。

 一旦石段を降り、再び石段を上って楼内に入る。
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 2階に上がった。
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 2階の窓からの眺め。
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 あとはひたすら、狭くて急な階段との格闘になった。息が切れて汗が吹き出す。
 これは何階にあったものだったか。
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 この楼はすべて木造で、岩にへばりつくように作られているから、一つの面はむき出しの岩のままなのである。
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 これも何階にあったのだったか。
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 やっと10階にたどり着いた。
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 ここまでである。左に岩山の方に出られる出口がついている。楼としてはさらに上に行ける階段がついていたが、もうまっぴら御免である。
 付け足された3層は、元の楼とはズレたかたちで岩山の上に建っていた。
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 ここで記念写真などを撮った後、向かいにあった寺院に入った。
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 ↓これは三国志で有名な関羽の像だったようだが、
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 こちらは道教の神々のようで、
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 ここは道教の寺院だったようだ。
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 寺院を抜けた先が展望台になっていて、さっきの恐怖の吊り橋が見えていた。
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 見学ルートとしては、この右手前の方に回り込んで石宝塔を登り、岩山の上を通って、今度は左手の野外の石段を降りるようになっていた。岩山を一回りすることになるのだった。
 で、下に降りて、これが降りて来た石段。
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 帰りにもう一度吊り橋を渡って石宝寨の上陸観光は終了した。
 最後に船着き場から、石宝寨と吊り橋の全景。
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 船に戻ったのは12時半ぐらいだったと思う。

 すぐに昼食になったが、階段や坂道でけっこう汗をかいてしまったので、昼ビールにしてしまいました。

 夜にもう一つ上陸観光が設定されているが、午後はずっと船内プログラムが組まれていた。最初の三国志講座というのは何となく敬遠してしまい、船室で少し昼寝をして、3時半から始まる中国国家級の大家による演奏とショーというのに出てみることにした。
 最初は演奏会で、クルーズ船に同乗している4人の奏者による合奏が行われた。
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 パンフレットによれば、右から琵琶・王慶、揚琴・楊坤、二胡・劉毅、笛子(てきし)・李凌伶という顔ぶれで、国家級というのがどのようなレベルを指すのか判らないが、素人耳であっても相当上手い演奏だというのは感じ取れた。中国の曲に日本の曲も交えながら、10曲ほど演奏してくれた。

 続いて行われたのが、四川地方に伝わる川劇(せんげき)独特の変面ショーというもので、よく判らないからまったく期待していなかったのだが、これが思いがけず面白かった。中国風だがアップテンポでビートのきいた曲に合わせて、奇妙な衣装と仮面をつけた男が一人で出てきて踊るのだが、その節目節目で仮面を一瞬のうちに変えてみせるのである。目にもとまらぬ早業とはまさにこのことで、いくら見ても不可能としか思えない一瞬の動きで仮面が入れ替わっている。この技の面白さは動画でないと伝わらないが、とにかく写真を何枚か載せておくことにする。
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 最後に素顔を見せてくれたが、変面という無形文化遺産の伝承人とされている封四海という人だったようだ。

 引き続き歓迎パーティーと称して、添乗員の紹介、ガイドの紹介、船長の挨拶と主要スタッフの紹介などが行われた。

 そうこうするうちにも船は航行を続け、この日は早めの5時半から始まった夕食の時間中に、次の上陸観光地である張飛廟の船着き場に到着したようだ。
 食後にサンデッキに行って、明るいうちに張飛廟の写真を撮ったのだが、これが少々ピンボケなのである。いつもだと2、3枚続けてシャッターを切るのだが、この時に限って一枚しか撮っておらず、癪だがこれを載せるしかない。
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 対岸の街並みや夕景はちゃんと撮れているのだから、ますます許しがたい気分になってしまうのである。
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 さて、張飛廟の見学は夜間に設定されていて、午後7時から順次下船となっていたが、出発は結局20分以上遅れた。外に出るとあたりはすっかり暗くなり、ライトアップされた張飛廟が見えていたが、この時撮った写真もまたブレてしまっていて使えないのである。対岸の夜景とチャイナゴッデス1号などは撮れているのだから、
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 この失敗の連続は非業の死を遂げた張飛の呪いか何かだったのだろうか。

 張飛廟へは、船着き場から階段を上がり、土産物屋の露店がちらほら並ぶ夜道を歩いて行った。夜なので、開いている店もあったが明かりも暗く、寂しいものだった。
 入口に着いた。
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 廟は高いところにあるから、また石段をたくさん上り下りしなければならない。
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 入口に閬中の張飛廟にあったのとは少し違う「張桓公廟」の文字が見える。「桓公(かんこう)」は張飛の諡(おくりな)である。なぜ閬中とここに2つの張飛廟があるのかといったことについては省略するが、こちらには張飛の首が、閬中には胴体が祀られているといういわれがあるらしい。
 なお、こちらの張飛廟は、三峡ダムができる前は30キロ下流の雲陽というところにあったようだが、ダムの完成で水没してしまうということで、国家プロジェクトとして2003年にこちらに移転させたものらしい。以前はもっと広い敷地に建てられていたようだが、中心となる建物の移転だけで他は水没してしまったというのは残念なことである。

 中に入ると、吹き抜けになった2階の舞台のようなところに、劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟の契りを結んだとされる「桃園の誓い」のシーンが再現されていた。
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 周りの壁面には様々な書などが展示されていて、いろいろ説明されたが覚えていない。
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 ↑「東坡居士書」の文字が見えるから、蘇東坡だったかもしれない。
 上階に上がって「桃園の誓い」の正面に行くと、
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 さらに上の階があって、裏の階段から上れるようになっていることが判る。途中でやめるわけにはいかないから上って行くと、張飛が睨みをきかせていた。
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 横には勇ましい騎馬像もあったが、
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 さらに横には、酔って寝ている張飛が部下に殺されるシーンが再現されていた(変な角度からしか撮れなかったが、左手前に張飛の頭がある)。
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 脇の回廊のようなところから、ライトアップされた屋根と長江対岸の町の夜景が見えた。
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 夜だったし、暗いところも多く、写真も少ないので、このあと廟の中をどんなふうに回ったか、もう記憶が薄れ始めている。
 寂しい露店が並ぶ夜道を歩いて帰った。
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 船に戻ったのは9時ごろだったと思う。階段をずいぶん上り下りした一日だった。
by krmtdir90 | 2018-09-20 22:14 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅④閬中~大足石刻~重慶~長江1(2018.9.6)

9月6日(木)

 天気予報は雨だったようだが、起きてみたら雲は垂れ込めているものの降ってはいなかった。
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 この日は、朝、閬中を発って、途中、大足(だいそく)という町に寄って世界遺産の石刻を見学し、重慶に戻って、夜、長江下りのクルーズ船に乗船することになっていた。大半がバス移動なので雨は気にしていなかったが、石刻の見学中に少しぱらついた程度で、終日曇り空の一日だった。
 かなり長距離の行程になるので、ロビー集合は7時40分と設定されていた。スーツケースも7時までに部屋の外に出さなければならなかったから、けっこう忙しかった。

 バスは7時50分ごろホテルを出発した。
 しばらく閬中の市街地を走ったのち、
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 高速道路に乗って、南南西約300キロに位置する大足に向かう。
 1回目の休憩。
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 2回目の休憩。
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 日本のサービスエリアと比べると、どこもずいぶん閑散としている感じだった。高速道路そのものも車は少なかった。
 大足東インターで高速を下りる。
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 撮影時刻は12:23である。

 少し走って、
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 大足市内のホテルのレストランで昼食になった。
 食後、ホテルの前でバスを待ちながら一服。
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 間もなく午後1時半である。

 バスで10分ほど走って大足石刻(だいそくせっこく)に着いた。石刻は市内の何カ所かに分散しているようだが、われわれはその中から宝頂山石刻というのを見学する。
 バスを降りたところからかなり距離があるようで、
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 ゲートのある入口まででもけっこう歩かなければならなかった。
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 中に入ってからも、まだかなり歩かなければならないようだったが、
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 そこはわれわれのような高齢者のために、右手の所に例の大型カートが用意されていて、脇の専用道路を走って一気に石刻の近くまで行けるようになっていた。
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 お世話になりました。
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 降りたところにもう一度ゲートがあった。
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 ちょうどこのあたりで、折悪しく弱い雨が降り出してしまった。傘を出すかどうか迷う感じだったが、一応傘を差して中に入った(ただ、この雨は強まることはなく、15分ぐらいでほとんど止んでしまったのでよかった)。
 ゲートを入って、この石のアーチをくぐると、
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 すぐ先から石刻が始まっていた。
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 大足石刻というのは、唐代末期から宋代にかけて彫られた磨崖石刻像で、後から付け加えられたものも含めて約5万体が大足の各所に残されているようだ。宝頂山石刻はその代表的なもので、仏教像を中心として、儒教・道教の像なども混ざっているらしい。ここでは、ここ専属の説明員(中国語)が付き、ガイドの李さんを経由してわれわれに伝えられるかたちになった。要所要所で丁寧に説明してくれていたが、もちろん覚えていられるわけもないのだから、とにかく撮ってきた写真を順に並べていくことにする。
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 ↑この下の部分は作成途中で放置されたもののようだ。
 大きな崖の面ごとにひとまとまりのストーリーを作っていたようだが、部分部分に散りばめられた挿話は、もう何がどれやらまったく判らなくなってしまっている。
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 前にせり出している像も、後から石を付け加えたのではなく、すべて元の岩から彫り出したものなのである。
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 ↓この石刻の前のあたりはちょっとした広場のようになっていて、
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 右手に巨大な釈迦涅槃像が刻まれていた。
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 全長は31メートルもあるということで、とても一枚の写真には収められなかった。
 向かいにはこういう建物があって、
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 中には金箔を施された千手観音像があった。
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 説明によれば、全部で1007本の手が出ているという。建物の外に出て、横から像を見ることができるようになっていた。
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 この手の指の一つ一つを見て心底驚いてしまった。これがすべて磨崖によって岩から浮き出させたものだというのは、ちょっと信じ難い気がした。
 次は華厳三聖仏像というもので、
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 左の像は手のひらに石塔を載せているのだが、
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 この石塔だけで重さが500キログラムもあるのだという。これだけの重さを支えたまま、800年も倒れないで残ってきたのは驚異と言うしかない気がした。
 次は六道輪廻図というものらしい。
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 このあとも石刻は続いていたが、見どころはほぼ終わっていたのか、進むペースも速くなり説明も簡単になっていった。
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 この最後のものなどは、後世になってから付け加えられたもののように思われた。

 実は向かいの崖にも石刻が並んでいたようだが、そちらには行かなかった。
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 全部見ていたらとても時間が足りなくなってしまうだろうし、ここまでで十分見せてもらったと思った。
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 出口は入口とは別の所になっていた。
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 このあと、帰りのカート乗り場まで歩いた。位置的には石刻の崖の上になるようで、さっきの釈迦涅槃像が下の方に見えていた。
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 門があり、
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 土産物などを売る露店が並び、
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 その向こうに乗り場があった。
 カートは最初とは違うルートを走って、最初の乗り場とは違うところに着いた。外の駐車場まではまた少し歩くようだったが、午後4時半ごろ、バスはわれわれを乗せて大足石刻を後にした。

 重慶まではまだ200キロ近くあると言っていたが、バスは高速道路を休憩なしで走り切った。かなり時間が押していたのだろう。
 高速を降りて、市街地が始まってからもかなり走った。
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 重慶は人口3000万人の大都市だという。このあと、市の中心部にある高層ビルの展望台から、町の眺めを楽しむことになっていたが、そこに入って行く橋の上で渋滞に捕まってしまった。なかなか前に進まない。
 ↓この下のイルミネーションがインスタ映えするスポットになっているようで、若者がひっきりなしに橋の途中まで出て来て、思い思いにスマホを構えていた。
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 バスを降りたのは午後6時40分過ぎだったと思う。
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 目指すビルはこれらしい。
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 これはWFC(重慶環球金融中心)という複合ビルで、73階がSKYVIEWという展望台になっているのだった。外から一旦地下に降りると、
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 そこに直通エレベーターの乗り場があり、高速で一気に73階まで連れて行ってくれた。
 で、これが急激に変貌したという重慶の町の眺望。
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 ↑ここが嘉陵江と長江の合流点だが、どちらがそれなのかは聞いたはずだが覚えていない。撮影時刻は19:02、すでにネオンがまたたき始めているが、かろうじて絶景が見渡せるギリギリの時間に間に合ったということだろう。
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 どこかに以前の重慶の写真が掲示されていたが、近年の経済発展はめざましいものがあり、都市の姿も日々変化を遂げているということのようだ。
 けっこう時間に急かされる感じで下に降りると、いま上って来たビルもイルミネーションに彩られていた。
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 このあと、徒歩で近くのビルの6階にあるレストランに行き、やや慌ただしい夕食になった。クルーズ船の予定があるから、あまりのんびりはしていられないのである。
 食事を終えて外に出ると午後8時を過ぎていた。繁華な通りを歩いてバスの駐車場へ。
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 ↑これは人民解放記念碑というもので、このあたりを解放碑広場と言うらしい。

 バスは夜の市内を走り、ようやく長江沿いの船着き場に着いた。写真はバスを降りる時に撮ったこの一枚しかない(撮影時刻は20:42)。
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 左にクルーズ船が停泊しているが、われわれの乗るチャイナゴッデス1号はこの向こう側にいて、手前の船を通り抜けるかたちでの乗船になった。

 今回の長江クルーズでは、旅行社がこの比較的大きなクルーズ船を借り切っていて、3泊4日の船旅を組み込んだ様々なコースを募集していた。違ったところを回ってきたグループや、このあと違うコースに行くグループなど、全部で12グループ144人がこの日この船に集結して、この期間だけ一緒に長江の旅を楽しむことになっていたのである。われわれのグループは終わりの方の乗船だったようだが、どのグループもけっこう予定より遅れていたということだった。
 船は5階建てで、さらにその上にサンデッキなどがあった。フロントは2階にあり、客室は2~5階に並んでいた。われわれの部屋は4階の4003号室だった。
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 ベランダからの眺め。
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 サンデッキにも行ってみた。
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 9時半から5階の多目的室(乗客全員が入れる催しもの場)で、インフォメーションと避難経路の確認などが行われたが、途中で船が出航したので、早々にお開きとなった。
 再びサンデッキに上がったが、混雑していたので、まだみんな気付いていないらしい穴場の後部デッキに行って、しばらく遠ざかる重慶の町を眺めていた。
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 この最後の写真の撮影時刻がちょうど午後10時だった。
by krmtdir90 | 2018-09-19 22:24 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅③江元・剣門関(2018.9.5)

9月5日(水)

 起きたら雨が降っていた。しかも、けっこうしっかりした降り方である。
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 この日は、バスで160キロほど北方にある江元(こうげん)という町に行き、剣門関(けんもんかん)や蜀の桟道(さんどう)というのを見学することになっていた。バス移動が主になるとはいえ、山中の見学に傘が必要というのは少々辛い気がした。だが、10日間のツアーでは期間中に雨の日が交じるのは仕方がないことだし、昨日のような終日徒歩の散策の時に降られるより良かった(暑さには参ったけれど)と考えるべきだろう。

 9時にロビーに集合して出発した。
 雨は降り続いていた。バスの窓ガラスにも雨滴がついて視界を遮っている。
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 高速道路を走るうちに、途中小止みになる時もあったが、
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 トイレ休憩を取ったサービスエリアでは、また傘が必要だった。
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 今回の旅では、現地ガイドは3人がリレーするかたちになっていたが、最初から長江の船に乗るまでを担当した李(リ)さんという人が素晴らしい人で、日本語は上手いし話も面白いので、長いバス移動でも飽きることがなかった(ずっとしゃべり続けていたわけではないが)。
 中国の大学を出た後、日本の天理大学に留学したということで、朝夕新聞配達をしながら勉強したのだという。関西に住んだので、関西人的な笑いのセンスが身についていたのかもしれない。天理大学を選んだのも、天理教がお金をたくさん持っていて、学費がケタ外れに安かったからだとか、中国は社会主義の国だけれども、貧富の差が極端に広がっていて、医療や福祉のことを考えると、日本の方がずっと社会主義なんじゃないかといった話は、なるほどなと印象に残った。

 江元が近付いてきたころ、高速道路の先の方で事故があったらしく、下りる予定のインターチェンジが大渋滞になっているという情報を(スマホで)キャッチして、一つ手前のインターで下りる判断をしたのも李さんだったようだ。すでに手前のインターも混み始めていたが、何とか一般道に出て事なきを得た。
 バスは次第に山道に入って行く。
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 激しい雨が降ったらしく、平行する川の水が茶色く濁っている。

 やはり時間的にはかなりロスしたようで、剣門関に近い昼食のレストランに着いた時には午後1時を回っていた。
 雨は降り続いていて、レストランの前もけっこうな水たまりになっていたりして、店の外観などを撮影することは出来なかった。
 次の写真は、食後に煙草を吸いに出た中庭のようなところで撮ったもの。
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 ↑一旦屋根のないところを通っていくと、向こうが正面入口になっている。
 ↓この奥まったところが食事をした個室になっていた。
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 昼食を終えて外に出る時、入口の軒下から写した周辺の街並み(撮影時刻は14:05だった)。
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 すぐ前にバスが停まっているが、この距離でも傘が必要な感じだった。このあたりは、剣門関に来た観光客に向けた店が集まっているところだったらしい。

 バスでほんの少しだけ移動して下車した。傘を差して歩き始める。
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 こちらが剣門関の入口。
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 入るとすぐの所に石造りの門があり、
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 その先に林間の道が続いていた。道は石畳で整備されており、ほぼ平坦だったので、雨で滑りやすくなっていたものの、それほど歩きにくいものではなかった。ただし、依然として傘は必要な感じで(しかも折りたたみ傘だったので)、途中で写真を撮るのは非常に困難だった。
 道の脇には茶色く濁った流れがあったが、
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 ガイドによれば、ここは普段は水がちょろちょろ流れているだけの目立たない川原だということだった。また、反対側の高い崖からは、普段は存在しないらしい滝が飛沫を上げて落下していて、こんなのが見られるとは驚いたと言っていた。
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 ここでちょっと、この剣門関について整理しておきたいと思う。現地でいろいろ説明はあったが、三国志に興味がなく、例によって事前学習をして行ったわけでもないので、すべて帰って来てからの付け焼き刃である。
 魏・呉・蜀の三国が鼎立した三国時代には、このあたり(剣閣)は蜀の都・成都への途上にある要衝の地であったようだ。北方の魏が蜀を攻めた時、別ルートで入った魏軍が成都を落城させるまでこの剣門関は持ちこたえ、最後まで落ちることがなかったということらしい。両側から高い岩山が迫り、攻め落とすのがきわめて難しい地形だったようだ。これ以来1700年の歴史の中で、ここは100回以上も争いの場所となったが、難攻不落で一度も落ちなかったと伝えられているらしい。
 明治時代の日本の唱歌「箱根八里」に歌われた「一夫(いっぷ)関(かん)に当たるや万夫(ばんぷ)も開くなし」(一人の兵が関所の守りにつくや、一万の軍勢が攻めても開くことはできない)というのはこの剣門関のことを指しており、道の途中に置かれた説明看板の一つにも「一夫当関、万夫莫開」の文字が記されていた。
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 さて、途中には当時の武器などを再現したものが置かれたりしていたが、あまり興味がなかったし、雨も降っていたのでほとんど写真に撮っていない。
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 ↓ここは「姜維(きょうい)神像現景点」という場所で、奥に見えている岩山が、剣門関を守り抜いた蜀の武将・姜維の横顔に見えると言われているところらしい。
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 そう言われても、どこがどうなっているのかさっぱり判らず(雨も降っていたし)、まあ、見立てなんてだいたいそんなものなんだよね。
 横の川に石の橋が架かっている。
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 これを渡った先に、再建された蜀の桟道というのがあり、帰り道にちょっと立ち寄ることになる。
 反対側の崖の中には「第一関(だと思う)」と刻まれた小さな石碑が埋もれていた。
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 崖を見上げる。
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 崖を見上げているのは、雨が小降りになってきたからである。
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 観光を意識して設置されたと思われるレリーフ。
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 橋を渡る。
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 これも最近設置されたらしい像。
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 姜維率いる蜀軍ということらしい。
 向こう岸に何やら建物が見えている。説明があったかもしれないが、覚えていない。
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 そして、こちらに見えてきたのが目的地・剣門関の剣閣という楼閣。
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 こちらが蜀の初代皇帝・劉備元徳の像である(ひどいピンボケだ)。
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 もう一度橋を渡って行くと、
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 荒涼とした風景の中に剣閣が建っていた。
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 実に幸運なことに、この時雨はかなり小降りになっていて、傘がないとまだ濡れる感じはあるものの、わたしは撥水性のあるウインドブレーカーを着ていたので、面倒だから思い切って傘は閉じてしまった。レンズに雨滴がついているのはそのせいである。

 ここのスケールの大きさをカメラで切り取るのはほとんど無理である。両側から高い断崖が迫っていて、ちょうど高層ビルのビル風と同じことなのだろう、ここに来てかなりの強風が剣閣の方から吹いて来るのである。
 われわれはガイドに促されて石段を上がり、強風に煽られながら剣閣の向こう側に出た。
 視界が一気に開け、目の前がかなりの急坂で谷底に落ち込んでいた。
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 いまでこそ石段が整備されているが、
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 昔はこんなものはなかっただろうし、こちらから攻め上ることはまず不可能な地形であるのが納得された。凄いところに関を構えたものである。
 さっきの川は見えていなかったが、たぶんこのあたりで幾重もの滝となって落下しているのだろう。
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 断崖の中腹に、再現された見張り台が張り付いていた。
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 どうやってここに行くんだ?と考えると、考えるだけで足が竦む気がした。

 調べてみると、剣門関にこのような立派な楼閣が建てられたのは明代のことで、現在の剣閣は2008年5月の四川大地震で倒壊したのを復元したものなのだという。
 さて、帰る頃になって雨はほとんど止んだ。まだ少し顔に当たる感じはあるが、ずっと降り続くことを思うとラッキーと言うべきだと思った。みんな傘をたたんで帰る。
 剣閣と見張り台。
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 橋の上から剣閣と見張り台(まだ見えている)。
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 橋の上で記念写真も撮ってもらうことができた。

 帰る途中で先ほどの石橋を渡り、蜀の桟道に立ち寄った。
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 もちろん昔の桟道が残っているわけはないから、これは史実に従って最近整備されたものである。見て判る通り、これは下から支えているのではなく、岩肌に木材をハーケンのように打ち込み、それに板を渡して作った道なのである。ここは入口の所だからすぐ下に地面があるが、この先はどんどん絶壁を登って行って、かなり高いところを通って先の方まで行けるようになっているらしい。
 計画では、これをかなりちゃんと体験してみることになっていたらしい。このブログの熱心な読者なら判ってもらえると思うが、高所恐怖症のわたしとしてはとうてい受け入れることのできないプランだったのである。だが、何という幸運だろう、少し歩いてみたガイドと添乗員が、板がかなり濡れていて滑りやすくなっており、危険なので先に行くのは中止すると判断してくれたのである。何と適切な判断だろう。そういうわけで、ずっと降り続いた雨のおかげで(残念ながら!)蜀の桟道の見学は終わりになったのである。
 桟道の入口の所に埋め込まれていた石板。
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 「天下」の下に何とあったのかは不明。
 帰り道、雨が止んでいたので、さっきの一時的にできた滝を近くまで行って見て来た。
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 滝壺のような凹みがないから、確かに普段は存在しない滝なのだろう。

 駐車場に帰り着き、バスが出発したのは午後4時ごろだったと思う。
 高速道路の途中で立ち寄ったパーキングエリア。
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 服務区がサービスエリアで、パーキングエリアは停車区と言うようだ。
 猫がいた。
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 帰着が予定よりかなり遅くなってしまったので、計画では一旦ホテルに戻ることになっていたが、バスはそのまま夕食のレストランに直行してくれた。
 レストランは昨夜行った店のすぐ隣だったが、こちらでは2階の個室に通され、明らかに格上の店だったことが判った。閬中最後の夜だから、旅行社もそういう並べ方をしたのだろう。
 なお、この旅行社(ワールド航空サービス)のツアーでは、ツアー期間中に誕生日を迎えるお客がいると、適当な日にバースデーケーキを用意してみんなで祝うという風習?があった。今回はたまたま妻が該当していて、この晩がその披露の日に設定されていた。写真などもあるのだが、恥ずかしいからここには掲載しない。
 次の写真は終わってから外に出て写したものである。
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 カメラのデジタル記録だと、撮影時刻は20:23だった。
 この日は汗をほとんどかかずに一日を終えることができた。 
by krmtdir90 | 2018-09-18 21:40 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅②閬中古城(2018.9.4)

9月4日(火)

 閬中(ロウチュウ)の朝。
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 快晴である。朝食のあと、正面玄関の外で一服してから、ちょっと嘉陵江(かりょうこう)のほとりに行ってみることにした。時刻は午前7時50分である。
 川べりの遊歩道を地元の人がけっこう散歩している。
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 泳いでいる人もいる。
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 ホテルの前の道をバイクが走っている。
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 ほとんどのバイクがビニールの日除けをつけている。
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 誰もヘルメットをしていないが、そのあたりはかまわないのだろうか。
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 エンジンの音が聞こえないので、あとでガイドに聞いてみたら、これらはみんな電動バイクなのだという。最近、急速に普及しているらしい。

 この日は徒歩で閬中古城を見学する。
 9時にロビーに集合して出発した。
 外に出ると、すでに気温はかなり上がっていて、予報では最高気温33度ということだったようだが、昼頃には少なくとも37~8度にはなっていたのではなかろうか。湿度があるので、少し歩いただけで汗が噴き出してくる。
 ホテルの前の嘉陵江沿いの道を右に少し行くと、古城に入って行く西門というのがあった(完全な逆光だ)。
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 門の脇の日陰で、地元の人が何やら踊っている。
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 門を入ると、少し先で車はシャットアウトになっていた。
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 この横の木陰で、古城の地図を見ながらガイドの説明を聞いた。こちらからだと西門は順光になるので一枚。
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 この門はごく最近作られたもののようだ。

 さて、中に進んでいくと、左手にちょっと目立つ建物があった。
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 これ、中学校だという。
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 何かものものしいスローガンのようなものが掛かっていて、意味はよく判らないが「習近平新時代中国特色社会主義思想」といった文字が読み取れる。
 右手の門にはいろんなプレートが貼られていて、
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 「四川省閬中中学」の上に「中国共産党閬中中学校/規律検査委員会」というようなものがあったりして、うーんといった感じである。
 門が開いていたので、ちょっと中の校舎を写させて貰いました。
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 中学校の塀(左)に沿って進んで行くと、
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 その先にまた目立つ建物が見えた。
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 ここは張飛廟である。
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 「漢桓侯祠」とあるが、「祠」は先人を祀るやしろ(廟)の意で、桓侯(かんこう)というのが張飛の諡(おくりな・貴人の死後に贈られる名)であるらしい。
 実は、張飛廟というのはこのあと向かう長江のほとりにもあって、5日目にそちらを見学することになっているので、ここでは中に入らなかった。

 張飛廟を過ぎるあたりから古い街並みが始まっていた。
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 様々な商店が並んでいるが、どの家も黒っぽい屋根瓦が印象的で、奥に人々の暮らしが見え隠れしていた。ある程度は観光客を意識しているようだが、地元の人のための店も多く、生活感のある家々が並んでいると思った。

 しばらく行くと、古城の中心をなす中天楼が見えてきた。
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 こちらからだと完全な逆光である。
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 楼の下は四つ辻になっていて、
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 右折した左側に付属の建物があり、そこから楼に登れるようになっていた(もちろん有料である)。
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 こちらからだと光の具合が良く、きれいな写真が撮れる。
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 で、狭い急な階段を上って、楼上からの眺めである。
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 奥に現在の閬中市街が見えている。
 古城の部分は重量感のある瓦の連なりが見事である。
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 洗濯物が干してある。
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 下の道路を、張飛の仮装行列が歩いて行った。
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 ここにも洗濯物が。
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 こちらでは屋根瓦の修理だろうか。
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 道に面したところは店舗になっているが、その奥には普通の暮らしが営まれているのである。
 2階に下りた。ここにはこんな像が置かれていた。誰なのか聞いたと思うが、例によってメモなど取っていないから判らないのである。
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 2階からの眺め。
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 下に下りて、狭い中庭のようなところから。
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 以上で中天楼の見学は終わり。外に出て、中天楼の下の四つ辻に立って上を見上げると、楼の底部に方角を示す円盤が埋め込まれていた。
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 再び古城の中を歩いて行く。
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 家と家の間の狭い路地。
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 路地の奥に暮らしの気配が感じられる。
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 晴れたのはいいが、日差しは強く、湿度も高いので、日なたは耐えがたい暑さである。
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 この建物は資料館か何かだったようだ(入らなかった)。
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 木陰に地元の人たちが集まっている。これから何か踊りでもするのだろうか。
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 この左手が小さな公園のようになっていた。
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 公園の向かいに貢院という建物があった。
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 ここは、明・清時代まで続いた科挙(官吏登用試験)の試験場で、当時の様子が人形などを使って再現されているのである。
 入ってすぐのところに資料などを展示した部屋があって、そこでガイドの説明を聞いたあと、次の建物に向かう。
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 入口にそれらしい衣装をつけた人がいるが、専属のガイド(説明員)か何かだろうか。
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 これは人形。試験官だろう。
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 これが答案用紙の実物。
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 試験はすべて論述式で、科目ごとの制限時間はなく、3日間缶詰めになってすべての答案を作成したらしい。
 敷地はけっこう広く、いろいろな建物がある中を奥に進んで行く。
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 それぞれの建物に様々な資料が展示してあったが、これはその中の一つ。
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 細かくて判読しにくいかもしれないが、清代の四川省あたりにおける出身地別科挙合格者(挙人と言うらしい)の数である。閬中が54人と飛び抜けて多く、優秀な人材を輩出した当時の中心都市であったことがうかがえる。
 弓矢の試験などもあったらしい。
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 これが一番奥の建物で、いまは付設のショップのようになっていた。
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 ここから左手に回り込んで行くと、号舎と呼ばれた実際の試験場が再現されていた。
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 受験生は、この三方を囲まれた独房のようなところに閉じ込められたらしい。答案作成の合間に食事や睡眠を取ることは自由だが、常に監督官が巡回し、3日間外に出ることは一切許されなかったようだ。人形がその様子を再現していた。
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 右は答案作成中、左は机の板を下に移して休憩中ということのようだ。

 貢院の見学を終えて、このあとは昼食である。古城内のレストランに徒歩で向かうことになっていたが、とにかく暑いし、比較的高齢者の多いメンバーだったので、添乗員が気を利かせて、古城内限定で走っている大型のカートのようなものをチャーターしてくれた。
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 これは有り難かった。
 で、これがレストランの入口。
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 何か由緒ある建物の中を抜けて行く感じで、レストランそのものはかなり奥まったところにあった。
 あまりに暑かったので、昼ビールにしてしまいました。ビールの缶にも張飛の図柄が。
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 食後。屋外の喫煙席。
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 喫煙席からの眺め。
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 入口からずいぶん奥に入って来たので、こちらは観光客などの来ない裏通りのようだった。地元の人が普通に使うレストランとしての入口はこちらの方らしかった。
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 このあと、さっきのカートをこの前の通りまで呼んで、西門の手前まで送ってもらうように手配してあった。本来は歩く予定だったようだが、この暑さではどうにもならない。この臨機応変の処置は添乗員として大ヒットだったと思う。
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 西門を出てからは歩くしかなかったが、暑さの盛りだったからだろう、他に歩いている人影はまったく見えなかった。
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 ↑このお店、カラオケ屋さんである。KTVというのがカラオケのことらしい。
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 ホテルに戻ったのは午後1時半ぐらいだった。

 午後は一応自由行動となっていたが、暑さが厳しいのでしばらく休憩して、午後3時から添乗員が希望者を別ルートで中天楼まで連れて行ってくれるという。
 一時間ほど部屋で昼寝して、せっかくだから行ってみることにした。

 その時間になっても暑さは相変わらずだったが、空は雲が広がっていて、日差しがなくなったぶん楽になったような気がした。
 ホテルの前の道を今度は左の方へ、嘉陵江の遊歩道伝いに歩いた。先に方に、川の中に少し張り出した展望スペースのようなところがあって、そこからの眺め。
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 ここから古城の中に入った。
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 入ってすぐのところにお酢を売っている店があった。
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 お酢はこのあたりの特産らしく、店先のこの臼のようなものからお酢が流れ出ていた。
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 店の人が出てきて試飲をさせてくれたので、みんなで何となく中を物色するかたちになり、妻は料理用の黒酢の小瓶を5本ほど買い込んでいたようだ。
 この足裏のマークは、お酢を使った足のマッサージをしてくれる店だという。
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 こちらの清真牛肉というのは、張飛牛肉と同様の製品の別銘柄らしい。
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 立派な屋根瓦である。
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 このあと中天楼に着いて、人通りも少なかったので、さっきは撮れなかった記念写真などを撮ってもらった。
 猫。
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 屋根の上の龍。
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 ちょっとホイアンの旧市街(ベトナム)を思い出した。
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 足のマッサージ店が集中している。
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 次は、古城内の建物を生かした小さなホテル(宿屋)らしい。
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 「今日有房」というのは「空室あります」という意味だろう。
 次もホテルだが、
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 この建物は何やら重要な建物だったらしく、横の方に仰々しい石碑が立っていた(簡体字が交じっているので意味は判らない)。
 こちらは中の様子がわからないが、小学校らしい。
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 さらに行くと立派な城門があった。
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 南門楼とある。この先にも古城のような家並みは続いていたが、もしかすると後からそれらしく付け加えられた所だったのかもしれない。
 また、猫。
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 犬もけっこう見かけたが、犬はあまり写真に撮る気がしない。
 4時半過ぎにホテルに戻った。

 このあとは、午後6時にロビーに集合して外に夕食を食べに行った。レストランは午後の散歩で古城に入って行った入口の手前にあった。
 食後は、希望者でまた中天楼まで散歩をするという。もちろんついて行ったが、ライトアップされた夜の風情もなかなか良かった。
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 ただし、中天楼のライトアップだけはいただけなかった。
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 ここには一応緑色を載せたが、この他に赤・青・ピンクといった原色が数秒ごとに切り替わっていて、きれいだと言う人もいたようだが(人それぞれだ)、わたしには信じられない悪趣味としか思えなかった。まったく何を考えてこんなことをしているのか、想像を絶する気がした。
 まあ、それはそれとして、家並みの雰囲気はとても良かった。暑さもかなり和らいでいる感じで、地元の人たちも外に出て、思い思いのかたちで涼んでいるようだった。
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 帰り道、嘉陵江の遊歩道にもたくさん人が出ていて、集団で踊ったり太極拳をしている人たちもいた。暑い日には、昼間は家の中にいて出歩かず、朝と夕べに外に出るようにしているということなのだろう。
 午後8時20分ごろ、ホテルに帰った。
by krmtdir90 | 2018-09-17 17:40 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅①往路・重慶~閬中(2018.9.3)

 今回の旅は中国である。海外旅行に興味を持った以上、近くの国だから一度は行っておきたいと思っていたところ、面白そうなツアー案内が来たので、急遽申し込みをした。タイトルは「四川屈指の古城閬中(ロウチュウ)と秋の長江三峡の旅」というもので、マイナー好みのわたしの嗜好にも合っている気がした。中国で古城とか古鎮(こちん)と言うと、歴史のある古い家並みが残っている町や村ということで、閬中(ロウチュウ)は日本ではあまり知られていないが、かの国では「中国4大古城」の一つに数えられているということらしい。ツアーはまずこの閬中古城を訪問する。

9月3日(月)

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 成田集合が午前8時だったので、八王子駅5:55発の成田エクスプレスで行くことにして、切符を取った。ところが、集合場所の成田第3ターミナルというのは、空港第2ビル駅からかなり離れたところにあって、シャトルバスを使って移動しなければならないことが後になって判った。行ってみたら、バスで空港の外れのようなところに連れて行かれ、そこには急ごしらえのプレハブのような建物が建っていた。

 結局、集合時間には10分ほど遅れてしまった。
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 目的地・重慶への直行便は、春秋航空日本というLCC(格安航空会社)のみが運航しているので、今回はこれを利用するのである。第3ターミナルは、ターミナルとしてはコンパクトな作りだったから、中をあちこち歩かされることがないのは良かった。手続きを終えて搭乗口に行くと、待っていたバスでかなり離れた飛行機のところまで運ばれ、タラップを使っての搭乗になった。

 春秋航空日本IJ1021便は10:00に成田を飛び立った。
 LCCなので機内は狭く、座席はエコノミーのみ、前後左右の間隔も普通のエコノミーより狭いように感じられた(窓際は本当に壁に押しつけられているように見えた)。ツアー客は事前に通路側に集められていたようで、景色は見えなかったが、少しだけ余裕がある感じで救われた。ただし、モニター画面などもついていないから、往路の飛行時間5時間15分というのは、わたしには耐えられる限界のような気がした。
 機内食などのサービスもなく、ちょうどお昼時にかかるので、旅行社が機内販売から一括購入するかたちで、簡素な牛丼弁当のようなものが配られた。食べるしかないから食べたが、率直に言って非常に不味かった。因みに、メニューで食事と呼べるものは、これとカップヌードルの2種類しか用意されていないらしく、帰路の夕食はカップヌードル(シーフードだった)になった。まあ、それでもカップヌードルはカップヌードルなわけで、狭苦しい飛行機の中でそれを食べるというのも、それはそれでなかなか珍しい体験ではあった。

 機内でマイナス1時間の時差修正を行い、飛行機は14:15に重慶の飛行場(重慶江北国際空港)に到着した。
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 セキュリティチェックはやはり厳しい感じだったが、混雑していたわけではないのでそんなに待たされることはなかった。↓この右手がスーツケースの受取所。
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 現地ガイドと合流して外に出る(この間の空港の写真がない!)。外には24人乗りの中型のバスが待っていた(↓この左に後部が写っている)。
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 10人+2人(添乗員・ガイド)のこぢんまりしたツアーなので、バスはすぐに発車した。空港の外観などはうまく写せるチャンスがなかった。
 天気は曇り。気温と湿度がかなり高く、事前の予想とはずいぶん違う感じだった。

 大きな通りに出た(ガラスの映り込みを計算する余裕がなかった)。
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 重慶市内を経由して、これから北方にある四川省・閬中(ロウチュウ)という町に向かうのである。天気は曇りなのだが、時折薄日が差すかと思うと、不穏な黒い雲がかかっているところもあって、間もなく激しい雨が降り出した。
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 こちらも異常気象で高温の日が続き、午後になると積乱雲が発達して、非常に変わりやすい天気になっているということらしかった。猛烈などしゃ降りで、あっという間に道路は冠水してしまい、バスは大きな水しぶきを上げながら走った。
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 少し時間がズレていたら、飛行機が着陸できなかったのではないかとガイドが言っていた。そのくらい凄い降り方だった。だが、もちろんにわか雨だから、重慶の市街地を抜けるあたりでは次第に小降りになり、
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 高速道路に乗ってしばらく行くと、雨は上がった。
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 このあと天気はめまぐるしく入れ替わった。青空が覗くかと思うと、一転、黒い雲に覆われて雨が窓をたたいたりした。

 重慶と閬中とは300キロほど離れているというが、主に高速道路を使った移動だったので、車窓の風景はあまり面白いものではなかった(窓ガラスが雨滴で曇ってしまうことも多かったし)。途中幾つかの市街地を通り過ぎたが、どこも急速に整備されたと思われる高層マンションの林立が見られた。中国は日々発展しているのである。
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 途中、一回目のトイレ休憩を取ったサービスエリア(武胜服務区と言うらしい)。
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 武胜というのが地名のようだが、簡体字が使われているとよく判らない。
 こちらがトイレ。
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 われわれのバス。
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 こちらの車は左ハンドル、右側通行である。
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 結構大きな町を通過した。南充市と言うらしい。
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 2回目のトイレ休憩。西充服務区とある。
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 付設のガソリンスタンド。
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 ゴミ箱と一体になった灰皿。
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 夕陽。
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 間もなく午後7時である。中国では国内で時差を作っていないから、北京を基準にすると、西方のこのあたりでは、感覚的にはさらにマイナス1時間という感じになるような気がした。

 閬中インターチェンジで高速を降りた。
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 「張飛牛肉」という大きな広告看板が掛かっているが、これはビーフジャーキーのようなこのあたりの名産品のようだった。閬中は「三国志」で有名な蜀の将軍・張飛の最期の地なのである(現地に行ってから知った)。

 午後7時40分ごろ、ようやく宿泊するホテルに到着した。
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 錦元張飛国際酒店という。
 前の道路を隔てて長江の支流である嘉陵江(かりょうこう)という川が流れ、川沿いに遊歩道が整備されていた。
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 この日はそのままホテル内のレストランに直行した。
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 ホテルのロビーに並んでいた奇妙な置物。
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 何か動物のようだが、何なのか聞かなかったので判らない。表情などは全部異なっているようだった。
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 この日は基本的に移動ばかりで、写真も少ないので、ちょっと地図を使って簡単に今回のコースを確認しておきたい。
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 青い下線を付けたところが関係する都市である。まず左方にある重慶に飛行機で入り、北方の閬中まで移動した。ここで3連泊し、明日(2日目)は閬中市内の見学、明後日(3日目)はさらに北方の江元まで往復する。4日目は閬中を後にして大足(だいそく)を経由し、重慶に戻って長江下りのクルーズ船に乗船する。この晩から船中に3泊して長江を下り(地図では右方に移動する)、途中何カ所かの上陸観光をして、6日目の夜に三峡ダムに至る(地図にダムの表示はないが、中央やや右寄りにある宜昌の西方となる)。7日目の朝、下船してダムを見学したのち、宜昌を経由して岳陽まで行って1泊。8日目は長江沿いを見学しつつ武漢に移動し、ここで連泊。9日目は武漢市内の見学。10日目の午後、武漢から直行便で帰国、となっている。
 中国には「3大火鍋(ひなべ)」と言われる気温が高くなる都市があって、重慶・武漢・南京がそれだったことを現地に行ってから知った。今回のツアーは、ほぼこの高温地帯をずっと移動していたことになる。雨が降って比較的しのぎやすい日もあったが、少しでも晴れると気温がぐんぐん上がり、たくさん水を飲み、たくさん汗をかくことになった。
by krmtdir90 | 2018-09-16 15:25 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑯カサブランカ、復路(2018.3.9~10)

3月9日(金)

 モロッコでは、ホテルやレストランでの喫煙はそれほど厳しく禁止されていない。客室内は禁煙でも(喫煙可のところもあった。吸わなかったけど)廊下やロビーには灰皿が置かれていたり、分煙もあまり考えられてはいないようだった。昨夜泊まったハイアット・リージェンシー・カサブランカもロビーは可になっていたようだが、やはり迷惑だろうと考えて、玄関の外に出て朝食後の一服をした。
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 ここにいたドアマンは昨日ポストの場所を教えてくれた男で、われわれが帰って来た時も見つかったか?と尋ねてきたりしていた。どうやら顔を覚えてしまったらしく、この朝もわたしが煙草に火を点けようとしていたら寄って来て、それはアメリカの煙草か?と聞くから、日本の煙草だと言いながら一本勧めてみたら、嬉しそうな顔をして受け取った。
 彼は何やら言いながら脇の方に行くから付いて行ったら、陰になったところにあるドアの中に入って行った。倉庫兼控え室のような小部屋で、彼は煙草に火を点けながら盛んにカメラ、カメラと説明する。どうやらドア付近には監視カメラが幾つもあって、それに映るところでは吸えないということらしい。ユーはノープロブレムだと言うから、判ったと言ってわたしは元の玄関先に戻って吸った。何だか面白い出来事だった。

 ホテルの前の道と国連広場。
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 ポストのあった建物はもっと右奥の方にあって、これには写っていない。天気は曇りである(ただし、出発後1時間ぐらいすると雲はどんどん取れていき、青空が広がったので良かった)。

 午前9時にバスで出発。
 バスは市内を少し走った。ここは学校の入口らしい。
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 トラムの線路を渡って、右側の通りの奥で停まった。
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 ここはムハンマド5世広場というところで、正面にある建物は裁判所ということだった。
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 右側の建物は市庁舎だという。
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 だが、わたしはそういうものよりもトラムに興味がある。
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 5連接車2輛の連結部分を写すことができた。
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 再びバスに乗って、少し走る。
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 白い壁にRICK'S CAFEと書いてある。
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 バスはこの右側の道に回り込んで停まった。
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 右側の建物は車の修理屋で、左のリックス・カフェとは関係がない。
 このリックス・カフェは、映画「カサブランカ」の中で、ハンフリー・ボガート演じるリックが経営していた「リックス・カフェ・アメリカン Rick's Cafe American」の内装をそのまま再現したレストランだという。中に入らなければそれは判らないのだが、食事しなければ中には入れないので、今回はまあ外観だけでもということで立ち寄ったようだ。
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 一応、前に立って記念写真などを撮ってもらった。
 これは店の前の風景。
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 因みに、映画「カサブランカ」はモロッコでのロケは行っておらず、リックス・カフェもハリウッドのスタジオに作ったセットで撮影されたものだという。
 だが、そういうことには関係なく、確かにカサブランカという地名もあの映画で記憶したのだったし、カサブランカを訪れる旅行者の多くが、あの映画のイメージに惹かれてここに来るというのも確かなことなのだろう。そういう意味で、映画における不朽の名作と言った時に、「カサブランカ」はまず真っ先に題名が挙がる映画の一つであるのは確かなことだと思う(1942年・アメリカ映画、監督:マイケル・カーティス、出演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード)。

 さて、もう一度バスに乗って、最後の見学場所ハッサン2世モスクに向かった。
 バスを降りる頃から雲が薄れてきて、薄日なども差してくる明るい天気に変わっていった。
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 ハッサン2世とは、フランスからの独立を勝ち取ったムハンマド5世の後を受けて、1961~99年にモロッコ王国の現体制を築いた国王で、このモスクは、8年がかりで1993年に完成した、モロッコ最大、世界でも7番目に大きいモスクなのだという。
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 ミナレットの高さは200mで、これは世界最高ということだ。
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 下から見上げると、確かに高い。上の細くなった部分は見えなくなってしまう。
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 モスクも非常に大きなもので、2万5000人が収容可能なのだという。
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 こちらに海があるようなので、
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 出てみる。
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 昨日バスの中から見えた灯台が遠くに見えている。
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 帰る頃になるとすっかり青空になったので、モスク全景をもう一枚。
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 このあとバスは、ハッサン2世モスクを海の向こうに見ることができるというスポットに行った。
 アパートの窓に洗濯物がたくさん干してある。
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 灯台に近づいている。
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 ↑この手前の壁に囲まれた向こう側は、貧しい人々のバラックがひしめき合っている。
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 不法にバラックを建てて、居住権を盾に立ち退かないということらしい。
 さて、お薦めのスポットに行ってみたら、運悪く工事をしていて、
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 工事現場越しに見ることになってしまった。
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 それに、逆光だったし、まあ、仕方がない。こういうこともある。
 灯台はよく見えたんだけどね。
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 以上で今回のツアーの見学はすべて終了した。このあとは空港に向かうことになるが、少し時間が早いので、海岸沿いのカフェで少し休んでから行こうということになった。天気も良くなったし、これはグッドアイディアである。
 で、このお店。
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 左手の海の見える席に陣取って、みんなでミントティーをいただいた。
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 最後なので、わたしはモロッコ風の砂糖の入ったミントティーにした。
 大西洋に別れを告げた。
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 10時50分ぐらいにカフェを後にし、バスは空港に向かった。
 最後の車窓風景。
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 空港への標識。
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 ムハンマド5世空港が見えてきた。
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 到着した時は激しい風雨で閉口したが、この日はのどかな日射しの下である。
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 出国手続き・搭乗手続きなどを済ませ、中のショッピングエリアで最後の土産物などを探した。
 喫煙所。
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 これにはびっくりした。3人も入れば一杯になる小さな素通しのボックスが2つだけ。みんなけっこうはみ出しながら吸っている。わたしもはみ出して吸った。何だか非常に恥ずかしい気分にさせられた。
 搭乗口はA6ゲートだった。
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 われわれの乗る飛行機。
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 これは隣の飛行機。
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 カサブランカ14:35発、ターキッシュエアラインズTK0618便、イスタンブール行きはほぼ定刻に動き始めた。
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 離陸後、高度が安定してシートベルト着用のサインが消えた後、窓から眼下の景色を眺めた。
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 往路で見たのと同じような景色だったが、この荒涼とした景色の中を、どことはとても言えないけれど、確かに旅したのだと思うと何とも言えない充実した気分が湧いてきた。
 サハラ砂漠があるあたりは、砂塵が舞い上がっているのだろうか、砂漠の砂を思わせるピンク色に霞んでよく見えなかった。
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 以下、復路について記録しておく。
 機内でプラス3時間の時差修正を行い、飛行機は22:15、イスタンブールの空港に着陸した(フライト時間4時間40分)。

3月10日(土)

 ここで乗り継ぎを行い、次のターキッシュエアラインズTK0052便・成田行きは02:10にイスタンブールを飛び立った。
 機内で再度プラス6時間の時差修正を行い、成田空港到着は19:50だった(フライト時間11時間40分)。

 手続きが実にスムーズに進み、20:35発のリムジンバス・高尾行きの最終便に間に合ったので、苦労することなく直通で家に帰ることができた。ヨカッタ。

おわりに
 まさか16回もの連載になるとは思わなかったが、そのくらい今回の旅は盛り沢山で充実していたということである。バスの移動が多いと疲れるばかりだと言うが、確かに疲れたことは疲れたが、その目まぐるしく移り変わる車窓の風景が興味深く、まったく飽きることがなかったのが大きかった。また、毎日の見学場所も変化に富んでいて、その都度新鮮な驚きと発見があってワクワクさせられた。
 最後に「モロッコ、面白かったぞーっ!」と大声で言っておわりにしたいと思う。読んでくださってありがとうございました。
by krmtdir90 | 2018-04-02 18:27 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑮アルジャディーダ~カサブランカ(2018.3.8)

3月8日(木)続き

 アルジャディーダのメディナ(ポルトガル都市)の前から、バスに乗って昼食場所に向かった。バスは海岸沿いの道路を走った。
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 7、8分でレストランに着いた。
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 レストランは海岸通りに面していたから、食事はそこそこに外に出て、道路を渡ったところで海を眺めながら煙草を吸った。
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 大西洋である。
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 みんなが出てきたところで、海をバックに記念写真を撮ってもらったりした。大西洋はもちろん初めてだし、恐らくもう来ることはないのだろうと思った。
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 晴れて良かった。煙草を2本、吸ってしまった。

 さて、再びバスに乗って、最後の宿泊地カサブランカに向かう。
 アルジャディーダの市街を抜け、バスは高速道路に乗った。
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 鉄道線路を越えた。
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 この路線は電化複線のようだ。
 川を渡った。
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 高速だと、あまり写真がない。
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 高速道路を出た。
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 カサブランカ郊外の風景。
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 白いアパート群の手前に、貧しそうな家が固まっている。貧しい家が固まった地域が、あちこちにあるようだった。
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 カサブランカの町並みの色は基本的に白である。
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 15世紀にポルトガル人がこの一帯を支配下に収め、ポルトガル語で「白い家」を意味する「Casa Blanca(カサブランカ)」と名付けたのが始まりだったらしい。町の名前が先か家の色が先かは判らないが、とにかくモロッコの他の町の色とこの町の色ははっきり異なっているのである。
 海沿いに出て少し走った。
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 海は見えなくなってしまったが、灯台が見える。
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 これは、海沿いに建つハッサン2世モスク。
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 ここは明日行く予定。
 市街地に入って来た。
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 カサブランカは人口400万人を超えるモロッコ最大の都市で、首都ではないが商業・金融・貿易などの中心地として発展してきたらしい。ビルが建ち並ぶビジネス街などもあるようだが、そういう方には行かなかった。
 このあたりは比較的古い、雑然とした町並みが続くようだ。
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 カサブランカにもメディナ(旧市街)はあり、この奥がそれに当たるらしい。
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 城壁は昔のままではなく、こんなふうにカフェなどが入る構造のものに建て替えられたようだ。
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 こちらが大きな通りに面したメディナの入口と時計台。
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 時計台も比較的新しいもののようだ。写真の右手から手前の方が国連広場という広場になっていて、そこに面して今晩宿泊するハイアット・リージェンシー・カサブランカというホテルが建っていた。その前でバスを降りた。

 チェックインは午後4時過ぎだったと思う。
 夕食は7時だったか7時半だったか、いずれにせよそれまでかなり時間があったので、部屋でちょっと休んだあと、ガイドブックの地図を頼りに散歩に出てみることにした。

 まず最初に、孫たちに出す絵ハガキをポストに投函しなければならない。フロントでもたぶん受け付けてくれたと思うが、それでは面白くない。ちょうどロビーにいた添乗員に頼んで、ドアマンの男に聞いてもらったら、国連広場の建物に付いていると(あちらの方にある、と指さして)教えてくれた。
 最初、国連広場に「面した」建物と理解して探したのだが見つからず、国連広場の「中にある」(何だかよく判らない)建物の壁面に付いているのを見つけた。
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 妻が投函するところを、証拠写真?として撮影した。
 建物の写真は撮ってなかったのだが、↓この右の壁面の奥にポストがあるのが判るだろうか。
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 ポストの向こうが(人が立っている)宝くじ売場になっていて、覗いてみたら日本のロトと同じようなものを売っていた。なお、道路を隔てた左の白いビルがホテルである。

 このあと広場を横切って、反対側の道路の方に行ってみた。
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 人だかりがしているところがあって、何か音楽の演奏をしているようだった。
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 この広場は、特にモロッコを感じさせるようなところではなく、ごく普通の都市部の広場という感じだった。だから、写真も上の2枚しか撮っていないのである。

 だが、こちらの道路には実はトラムが走っていた。トラムの電停もあった。
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 しばらくウオッチングをすることにした(妻は近くの土産物店などを覗いていた)。
 やって来た。
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 低床式の連接構造で、かなり長い編成だった(5連接車を2輛連結している)。長いのはラバトで見た時と同じだが、車輌はこちらの方が新しいように感じた。調べてみるとラバトは2010年開業、カサブランカは2012年開業だった。
 発車して行く。
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 走り去る方向を追う。
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 こちらはビルなどが建ち並ぶ市の中心方向のようだ。
 次の電車がやって来た。
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 また発車して行く。
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 同方向が2台続いたが、今度は手前の線路に逆方向がやって来た。
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 近づいて来て、
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 こちら側の電停に停まった。
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 ドアが開き、乗客の乗り降りが行われる。
 ドアが閉まり、発車して行った。
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 ここまででウオッチングは終わり。このあと土産物店で妻と買い物をした。

 次に、メディナの時計台を左に見ながら、
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 メディナの壁に沿って広い通りを歩いた。ガイドブックを見ると、この先にカサブランカの鉄道駅があるようなので、ぜひ見に行きたかったのである。妻も一緒だし、途中の写真などはない。
 かなり歩いた先に駅はあった。こちらに入口があるようだ。
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 中に入る。
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 こちらは横の入口だったようだ。
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 地下街があるようだったが行かなかった。ホームは右手らしいが、左の方を回って行く。発車時刻を知らせる電光掲示板がある。
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 ホームとの間には全面ガラスの扉があり、4つほどの入口があった。係員が立っているので、写真を撮ってもいいかと断って(ゼスチュアで)、扉の開いているところから撮ったのが次の2枚。
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 頭端式の櫛形ホームが何面かあり、2種類の列車が入っている。
 扉が閉まってしまうと、ガラス面への写り込みが厳しい。
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 別の入口からガラス越しに。
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 実は、現場ではよく判らなかったのだが、帰ってから調べてみると、このオレンジ色の列車は2階建ての車輌だったようで、上の写真はそれが判るものだったので、トリミングして拡大してみたものである(やはり写り込みは許し難いのだけれど)。
 しかし、列車に近寄れないのでは面白くない。
 こちらがキップ売場と自動販売機。
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 キオスクのような売店。
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 入ってみたが、日本のキオスクと非常によく似た品揃えだった。
 ホームと相対する正面入口と思われる方に出てみたが、そちらは何だか人が少なく、
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 最初に入った入口の方が市街地の方向なので、そちらが主に利用されているようだった。
 駅名表示。
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 カサブランカ市内には鉄道駅が2つあり、起点となっているこちらはカサ・ポール駅と言うらしい。
 広い道路の向かい側から撮ったカサ・ポール駅全景。
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 右の方が市街地、左の方に行くとすぐに港があるようだったが行かなかった。

 来た道を戻った。
 途中でメディナの中に入れるところがあったので、入ってみた。ただ、われわれだけで行動しているわけだし、深入りして道に迷っても困るので、見えている時計台を目標に、壁の内側に沿ったあたりを少し歩いただけで終わりにした。写真も3枚しかない。
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 時計台の脇から外に出ると、ちょうど日が沈もうとしているところだった。
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 夕日を受けるメディナの時計台。
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 メディナ入口の門。
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 ホテルに帰ったのは午後6時20分ごろだった。
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 とうとうモロッコ最後の晩になってしまった。
by krmtdir90 | 2018-04-01 22:49 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑭マラケシュ~アルジャディーダ(2018.3.8)

3月8日(木)

 マラケシュで連泊したホテル、ル・メリディアン・エンフェスの中庭と客室棟。
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 この日は、午前中に大西洋に面した町アルジャディーダまで行き、そこを見学した後、旅の最終宿泊地であるカサブランカに向かうことになっていた。天気は悪くなさそうだ。

 午前8時半にホテルを出発。アルジャディーダまでは約200キロの道のりだという。
 市内を走っている時、鉄道のマラケシュ駅の前を通過した。
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 調べてみると、マラケシュ駅はモロッコ最南端の駅だった。モロッコの鉄道はONCFという国営会社が事業主体となっているようだ。

 アトラス山脈を越えたことによって、車窓はまた穏やかな春の田園風景となった。バスは途中の町や村を幾つか抜けながら北に向かった。始めはけっこう曇っていたのだが、次第に青空が広がってきて、非常に気持ちのいいドライブになった。
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 鉄道線路の上を越えた。
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 左の線路は車止めで終わっているので、単線の非電化路線と思われる。軌間は少し広いかなと思いながら調べてみると、モロッコの鉄道はすべて標準軌(1435mm)と出ていた。
 小さな町並みを抜ける。
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 羊飼いと羊の群れは至るところにいた。
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 黄色い花がたくさん咲いている畑をあちこちで見かけた。これはキャノーラの花だという。スーパーなどで見かけるキャノーラ油のキャノーラである。
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 こちらは小麦畑だろう。
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 小さな集落。
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 小さな町並み。
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 農作業用の馬車。
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 畑の手前に通っているパイプは、灌漑用水を送るパイプらしい。
 牛の姿もこの日はあちこちで見かけた。
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 荷車を引くロバ。
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 ロバか馬かは、遠くからでは実は判然としない。
 かなり大きな町が見えてきた。
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 町の中の通り。
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 道路の様子を見ると、昨日あたりまで雨が降っていたのかもしれない。
 ぬかるんだ道を高校生ぐらいの若者たちが歩いている。
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 これが学校のようだ。
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 時刻は午前11時を少し回ったところで、こういう時間にたくさんの生徒が出てくるというのは、何か特別の行事でもあったのだろうか。
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 再び田園が続く。
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 このオレンジ色の花が咲く畑もけっこう見た。名前を聞いたはずなのだが忘れてしまった。
 実に気持ちのいい天気になった。
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 11時50分を過ぎたころ、バスはアルジャディーダの町に到着したようだ。
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 町の中を走って行く。
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 ほぼ12時に、バスは城壁の前の通りに停車した。
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 アルジャディーダのメディナ(旧市街)はかなり規模が小さく、特にポルトガル都市という名で呼ばれているらしい。これは、ここが1502~1769年の間、ポルトガルの支配下にあったことと関係していて、この城壁とメディナは当時ポルトガルの要塞として築かれたものだったのだ。
 この入口から中に入った。
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 入ってすぐのところにあったこの建物は、現在は小規模ながら劇場として使われているものだという。
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 帰りがけに中を覗いたので、その時に撮った写真を載せておく。
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 何か小さな集会が行われていたようだ。
 この通りを進んで行く。
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 これまで見てきたメディナとはまったく異なり、ごみごみした感じが少しもなく、非常に落ち着いたところという印象を受けた。個人の観光客をちらほら見かけるだけで、土産物などの店も少ししかなく、実に静かで小綺麗な家並みである。
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 ↑この左側の、白いジェラバを着た老人が座っている手前の入口から、ガイドのハディドさんは中に入って行った。

 入口の感じはごく普通の民家のように見えるのだが、中はこんな感じの奇妙な作りになっていた。
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 横に受付のような小さなブースがあり、猫がちょこんと座っている。
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 中の男性とやり取りがあったあと、ドアを入って地下室に案内された。階段を下りていくと、
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 そこには不思議な空間が広がっていた。左の方には水が溜まっていて、右側の水のない部分が歩けるようになっている。
 ここはポルトガルの貯水槽と呼ばれる施設で、1514年にポルトガル人がこの城塞都市を築いた時、同時に倉庫として建設されたものだったようだ。その後、非常の際に城塞の水が断たれた時のために貯水槽として改造され、長年にわたって利用されてきたのだという。
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 天井の円い穴から雨水が流れ込むようになっているらしい。
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 いまはそこから太陽の光が差し込み、何とも言えない幻想的な雰囲気を作り出している。
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 ポルトガルの貯水槽の入口はここ。
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 さて、またメディナの道を歩いて行く。
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 このメディナは商業の場というより生活の場という傾向が強く、民宿のようなホテルは交じるものの、ほとんどが人の住む民家で占められているようだった。

 わずかな時間でメディナの中を横切ってしまったようだ。突き当たりに小さな広場があった。
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 鉄格子の嵌まったアーチの向こうに海があるらしい。
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 ↑この右手の坂になったところから、小さな門を入って右奥の方に進んで行くと、昔の要塞の時代には稜堡(りょうほ、攻撃などに備えて大砲を設置し、見張り台としての機能も持たせた一画)として使われた小高い場所があり、現在はそこが見晴台になっているのだった。
 まず、そこからの眺め。
 小さな漁港がある。
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 防波堤。向こうの海は大西洋である。
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 反対方向。ビーチが見えている。
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 背景はアルジャディーダの町並みである。右に視線を移すと、
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 メディナを囲む城壁(右がメディナ)。ここが海に向かう砦だったことがよく判る、堅固な作りになっている。
 さらに右に見ていく。
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 右の門を手前に入って、傾斜を上ったところが見晴台である。この写真では奥がメディナということになる。
 右手に、大砲が海を向いて残っていた。
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 何枚か前の写真に写っている城壁の上を少し行ったところから、見晴台になっている稜堡の方を振り返る。
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 今度は少し離れて、最初に歩いて来た方から稜堡を見る。
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 さっきとは反対方向の城壁。
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 望遠で、大西洋。
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 最初に入って来た入口の門。
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 この手前で、帰り際にあと3枚。
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 ↑これが最初に見晴台の上から見た方向。漁港(右)と防波堤(左)と。
 最初に入った門。
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 下の広場では子どもたちがサッカーをしていた。
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 上の写真の左にある白い建物には、小さく「カフェ」の表示がある。営業しているようには見えないが、このメディナの中にはこうしたお洒落な建物が、古い土色の建物の間に点在して上手に溶け込んでいる。モロッコのメディナなのに、どことなくヨーロッパの(ポルトガルの?)気配が入り込んでいるような気がした。
 再びメディナの中を、最初に入って来た門に向かって歩いて行く。
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 ↑これは公衆トイレである。もちろん男が向こうから出てきて、一人1ディルハムを徴収して行った。
 さらに何枚か。
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 横のドアから不意に顔を出した少女。
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 以上でアルジャディーダのメディナは終わり。外の通りに戻って来た。
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 上の写真の撮影時刻は12時53分。天気が良かったこともあるが、いままでのメディナと違って、とてものんびりした気分になれる散策だった。
 このあと、昼食に向かう。
 以下、次回。
by krmtdir90 | 2018-03-31 20:26 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑬マラケシュ2(2018.3.7)

3月7日(水)続き

 ジャマ・エル・フナ広場から、徒歩で昼食のレストランに向かった。ガイドのハディドさんはすぐ着くと言っていたのだが、けっこう歩いた。
 メインには何だかよく判らないものが出た。いま写真を見ても思い出せない。
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 これがレストランの入口。
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 ↑この写真の撮影時刻は午後2時03分だった。

 昼食のあと、徒歩でバヒア宮殿というところに行った。これが入口。
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 入口はパッとしなかったが、敷地はかなり広いようだ。
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 オレンジの木があちこちに植えられている。
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 ただし、これは食べられないオレンジらしい。
 この宮殿は19世紀末、アラウィー朝のハッサン1世の宰相だったアリ・バハメットの私邸として建てられたもののようだ。バハメットには4人の妃がいて(イスラムでは一夫多妻が認められている)、24人の側女(妾)たちが仕えていたらしい。宮殿内にはこの妃たちと側女たちの部屋が並んでいるという。俗な言い方をすればハーレムである。
 位置関係をよく覚えていないのだが、こういう脇を通って行くと、
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 こぢんまりした中庭(パティオ)に出た。
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 この周りに4人の妃の部屋があった。
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 部屋を順番に見ていったが、どれがどれだったかはっきりしない。とにかく部屋を回りながら撮った写真である。
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 さっきとは別のパティオに出た。
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 さらに、広い中庭。
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 この周りには側室たちの部屋があったようだ。
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 ↑屋根の向こうにちょっと頭を出しているミナレットの上。コウノトリの巣とコウノトリ。そして、メッカの方向を指し示す矢印。
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 位置が判らないのだが、また別のパティオ。
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 中に入ってさらに幾つか部屋を見て回った。
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 それぞれのところで説明はしてくれていたのだろうが、いずれにせよ、宮殿の平面図を手にしながら回ったのなら別だが、結局どれが何だかよく判らないうちに見学は終わってしまった。地図や平面図上で物事を確認したいという欲求が強いのは、わたしの特殊な性向であって、ほかの人たちはあまりそういうふうには考えないということだろうか。

 さて、バヒア宮殿を出ると、すぐのところに馬車が2台待っていた。
 次はこれへの乗車体験ということになる。乗るところの説明的写真はないから、次は座席から撮った写真になる。
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 分乗する時、前の馬車には2人連れの女性と添乗員とガイドが乗った。後ろにはわれわれと単独参加の女性の3人となったが、座席は2人ずつ向かい合わせだったので、添乗員に促されて席決めのじゃんけんをした。運良くわれわれが勝って前向きの席を確保できたが、同乗の女性には何となく悪い気がした。
 カーブのところで前を行く馬車を撮ることができたが、
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 もちろん自分たちの馬車を撮ることはできない。乗ってしまうと周囲の風景を見ているしか基本的にはなくなってしまう。しかも、ここでもルートを示す地図がないから、見えているものを確認しながら行けないというのは大いに不満なのである。
 次がアグノウ門という門なのも、帰ってから調べてみて判ったことである。
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 2連になった門を抜けて行く。
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 朝に通ったロブ門とは違うようだ。
 馬車はしばらく旧市街(メディナ)の中を走っていたが、
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 一旦外に出て、周囲の広い通りの方も走ってから、再び城壁の中に帰って来た。
 生きたクジャクを抱えながら歩いている人がいる。
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 いったいどうするつもりなのだろう。
 やがて、35分あまりののち、馬車はクトゥビアに近い広場の脇に来て停まった。
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 これがわれわれの乗った馬車。
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 向こう側の馬が見えていないが、写真はこれしかないので仕方がない。
 乗車の感想を言うと、カンボジアのトゥクトゥクなどと違って、この馬車は観光用に仕立てられたもので日常的な乗り物ではない。その点が、乗っていて何となく気恥ずかしく、新鮮な感動に欠けていた理由だろうと思う。まあ、体験としてはそれなりに面白かったのだけれど、ね。

 広場で、迎えのバスを待ちながら。町の人々。
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 バスで一旦ホテルに戻り、1時間ほど休憩したあと、午後5時45分に再集合して、もう一度バスでジャマ・エル・フナ広場に向かった。夜のメディナとスークの雰囲気を味わおうという企画である。

 午後6時過ぎのフナ広場。
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 歩いて行くと、昼間より賑わい始めているようだ。サルなどに芸をやらせている芸人などが出ている中に、コブラを扱っている芸人がいたので、思わずシャッターを切ってしまったら大声で呼び止められてしまった。
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 仕方がないから10ディルハムを渡したが、うーむ、夜になったらますます気をつけなければ。
 で、気を取り直して。
 広場には、昼間にはなかった(たぶん)店などが盛大に軒を並べていた。
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 夜がこの広場のゴールデンタイムということなのだろう。

 あたりが暗くなるまで、さっきのスークの路地の方を歩くことになった。一旦解散して、集合時間は7時(だったと思う)、昼間と同じ(だったと思う)カフェの前ということになった。
 われわれはスークの方をしばらく歩いてから、早めにフナ広場に戻った。あたりが暗くなると、やはり広場の雰囲気は一変していた。広場を横切りながら、今度は十分注意してシャッターを切った。
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 この煙っている方は飲食店の屋台が集まっているようだ。
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 非常に興味があったが、入るわけではないのだから行かない方がいいと判断した。

 時間より早く集合場所に行ったのだが、そこには添乗員が一人いるだけで、他の3人はずっと早く戻って来て、すでにカフェの2階でティーを楽しんでいるという。で、われわれも上に上がった。そこは広場全体を見渡せるテラスの特等席になっていて、最初は席が埋まっていて座れなかったが、少しして空席ができたので、そこに座ってミントティーをいただいた。
 もちろん写真もしっかり撮ったので、その中から。
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 なお、われわれが入ったカフェは、ガイドブックの細かい地図や写真などから判断すると、広場の周囲のこういう2階席のあるカフェの中で一番眺望がいい、ル・グラン・バルコン・カフェ・グラシエというお店だったようだ。

 ここでしばらく休んだあと、カフェを下りてジャマ・エル・フナ広場を後にした。
 迎えのバスが来る広い通りまで歩いた。ライトアップされたクトゥビアが美しい。
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 バスを待ちながら。
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 この晩は外のレストランで夕食ということになっていた。
 このお店。
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 みんなで少しずつ取り分けるようになっていた前菜。
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 メインは何だったか。
 最後のミントティーをウェイトレスが目の前で注いでくれた。
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 ホテルに帰り着いたのは午後9時45分ごろだった。
by krmtdir90 | 2018-03-29 15:33 | 海外の旅 | Comments(0)


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