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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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中国の小さな旅④上海・復路(2018.11.21~22)

11月21日(水)続き

 雨は昼ごろには上がるという予報を裏切って、降ったり止んだりを終日繰り返した。
 上海に向かうバスの窓は、雨滴はそれほどでもないのだが、湿気で曇るのを時々拭ってやらなければならない状態だった。で、思いがけず高速鉄道の走行が見えた時、慌ててカメラを向けたのだが、全体が滲んでしまって上手く写すことができなかった。残念。
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 以下はガラス面を丁寧に拭いてから写したもの。次第に上海の市街地に入って来ている。
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 外灘(ワイタン)のあたりを通ったようで、有名な対岸の高層ビル群が見えていた。
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 ここは夜になってから訪れる予定。

 ホテルに到着したのは午後3時20分ぐらいだった。
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 ここでは、チェックイン時に一人一人カウンターの前に行って写真を撮られた。中国では最近、パスポートだけでなくそういうことをするホテルも出てきているらしい。
 部屋に入って暫時休憩。
 部屋の窓からの眺め。
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 泊まったホテルはシェラトン上海虹口(ハンコウ)ホテル(上海虹口三至喜来登酒店)と言ったが、この虹口というエリアが、戦前に10万人もの日本人が暮らした「日本租界」のあったところだったらしい。見えている低層の住宅群は、租界当時の面影を残している地域だったようだ。
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 時間があったら行ってみるといいとガイドは言っていたが、このあと明朝まで、まったく余裕のないスケジュールだったのが残念だった。

 午後4時にロビーに集合して、バスで上海市内の見学に出発した。
 雨は相変わらず降り続いていて、時折止んだかと思うと、また思い出したように降り出す時間帯もあったりして、とにかくスッキリしないことこの上もなかった。
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 少し走ってから道路際でバスを降り、傘を差して歩いて行った。
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 最初に行ったのは豫園商城というところである。

 豫園(よえん)は明代に作られた著名な庭園のようだが、いまは庭園そのものよりも、その門前町として発展した商店街(商城)の方が人気になっているらしい。昔ながらの懐かしい雰囲気が味わえる場所として、夜になると観光客などで大変な賑わいを見せているという。

 われわれはガイドの先導で、商城の中心になっている人口池の畔まで行き、そこを集合場所として一旦解散した。とはいえ、事前に何も調べていないのだから、どこに行ったらいいのか見当がつかない。ガイドもそのあたりは心得たもので、希望者がいれば中国茶の専門店に連れて行ってくれるという。で、十人以上でついて行ったら、エレベーターで3階に上がった。
 その廊下からの眺め。
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 店の方でも慣れたもので、用意してあったテーブルにわれわれを座らせ、この人が流暢な日本語で説明しながら、いろんなお茶を淹れて試飲させてくれた。
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 一通り終わったあと、一応店内を申し訳程度に眺めてから廊下に出た。ビル群に明かりが入ってきれいな夜景になり始めていた。
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 それから下に降りて、このあとはそれぞれで通りなどを散策した。われわれも適当に店を回り、土産の菓子などを購入した。
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 ただ、隅々まで見て歩く気もないから、それほどの時間は必要ではなく、集合が何時だったか覚えていないが、10分以上前には集合場所に行っていた。
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 スターバックスコーヒーは着々と店舗を増やしているようだ。
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 ↓この建物が、
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 夕食を食べる南翔饅頭店である。
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 上海を代表する小籠包の名店らしい。 
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 円卓ではなく、一人一人に出てきたので、ちょっと写真を撮ってみた。
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 小籠包は絶品だったと、やはり書いておくべきなんだろうか。でも、正直に言えば、美味しかったけれど、それ以上の修辞はつかないという感じだった。へそ曲がりだから、率直に感動できないタチなんですよね。なお、右下の蕎麦つゆのように見えているのは紹興酒である。
 食事を終えて帰り際に。
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 入口のこの娘は、カメラを向けたら横に遠慮しようとするので、そのまま立っていてほしいと(手振りで)言ったら、スッと営業用のポーズを決めてくれた。さすが。

 外に出ると雨は止んでいた。上海のシンボル、通称「上海タワー」の上部が見えている。
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 さっきまでは霞んで上の方が見えていなかった。この日のような天候では、全貌を見るのはなかなか難しいようだ。
 以下は帰り道。
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 商城の外に出て、バスの駐車場まで、裏道のようなところを歩いた。
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 こういうところを歩くのは面白い。

 このあと、バスで10分あまり移動した。最後の目的地は外灘(ワイタン)である。
 この橋の手前でバスを降りた。
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 外灘の北側、呉淞江(ごしょうこう、蘇州河とも)に架かる外白渡橋(がいはくときょう)という橋で、1907年に竣工した中国で最初の鉄橋なのだという。
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 外灘というのは、かつてアメリカ・イギリス・フランスなどの租界(外国人居留地)があった地域で、当時建てられた西洋式建築が多く残っているところらしい。もちろん、そうした建築を見て回るツアーもあるのかもしれないが、
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 今回のように夜間にここを訪れるのは、主に美しい夜景を見るためであって、現在では外灘は屈指の夜景の名所として観光客を集めているということのようだ。
 橋の上から。
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 橋の向かい側では、結婚したばかりのカップルが夜景を背景に記念写真を撮っていた。
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 渡り切って、外灘の方から見た外白渡橋。
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 夜景を見ながら歩いて行く。
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 外白渡橋のこちら側で、呉淞江は前方の黄浦江(こうほこう)に合流している。
 この川べりを黄浦(こうほ)公園と言い、そこに立つこれは上海市人民英雄記念塔と言うらしい。
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 実は、帰ってからインターネットを見ていて判ったのだが、この赤色はライトアップで染められたもので、元の塔の色は白だったようだ。
 黄浦公園から道路の方を見ると、租界時代の歴史的建築が並んでいる。
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 ただし、夜景に気を取られて、そちらの写真はこれ一枚しかない。
 で、これが有名な黄浦江対岸の夜景。
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 この対岸は浦東(ほとう)新区と言い、大規模開発によって新たに生まれた高層ビル群のようだ。左寄りの球体のある塔は東方明珠塔というテレビ塔(高さ468m)で、右寄りの上部が霞んでしまっているビルは上海環球金融中心(高さ492m)と言うらしい。
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 上の写真の撮影時刻は午後7時33分である。
 雨はしばらく止んでいたのだが、このあたりでまた降り出してしまった。急いで引き上げることになったが、外白渡橋をもう一度渡り、最初にバスを降りたところまで戻らなければならなかった。われわれは念のため折り畳み傘を持参していたが、もう大丈夫と判断してバスに置いたまま下車してしまった人も多く、半分ぐらいの人たちが最後に濡れてしまうことになってしまった。
 ホテルに帰り着いたのは午後8時15分ぐらいだったと思う。

11月22日(木)

 早くも最終日である。この日は午前6時半にホテルを出発することになっていた。
 目覚ましをかけて、5時前に起床した。
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 まだ表は真っ暗である。天気は回復しているようだ(まあ、もう関係ないのだけれど)。
 朝食は6時からというので、もう一度部屋に戻るのは無理と判断して、そのつもりでレストランに行った。このホテルはいわゆる五つ星ホテルだったようで、ビュッフェ形式の朝食はたいへん豪華な内容だった。できれば時間をかけてゆっくり堪能したいところだったが、時間が限られているのが非常に残念だった。
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 ほぼ予定通りにホテルを出て、途中少し渋滞に巻き込まれたりしたが、7時10分ごろ(これもほぼ予定通り)上海虹橋(ホンチャオ)国際空港に到着した。
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 帰りの飛行機は上海航空FM815便で、9時10分に予定通り飛び立った。帰りの座席は真ん中の方だったので、写真はない。途中でプラス1時間の時差修正を行い、12時30分に羽田空港に着陸した(所要時間2時間20分)。
 何だかあっという間で、あまり外国に行ったという気がしなかった。
by krmtdir90 | 2018-12-03 13:59 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の小さな旅③蘇州~錦渓(2018.11.21)

11月21日(水)

 朝起きたら雨が降っていた。朝食後に外に出てみたが、けっこうしっかりした降り方である。
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 この日は蘇州を後にして上海に向かうが、途中、錦渓という古鎮に立ち寄ることになっていた。このぶんでは傘を差しての散策になるが、まあ、仕方がない。

 8時30分にロビーに集合して、雨の中をバスは出発した。
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 雨なので時間も少し余計にかかったようで、錦渓に着いたのは10時半ごろだった。
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 駐車場でバスを降り、傘を差して歩いて行く。この建物で入場券などを購入するようだ。
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 雨は小降りになっているような気もするが、相変わらず傘は必要である。
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 歩いて行くと川(運河?)の畔に出た。
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 見えている橋(屋根付き)を渡って行くようだ。
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 橋の途中から。
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 これは五保湖という湖で、錦渓古鎮はこの畔にできた水郷の街なのである。
 橋を渡った先には、片側に長屋のようになった土産物店が並んでいて、その庇の下をたどれば傘を差さずに行けるようになっている(写真は撮っていない)。
 その先に出ると、錦渓のシンボルになっている橋が見えた。
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 古蓮長堤と三亭橋という。手前が古蓮池、向こう側が五保湖である。

 古蓮池の右手のところは、地図には菱塘湾と記載されていて、幾つかの運河とつながっているようだ。
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 この写真の右手に運河遊覧の小舟の乗り場があった。シートが被せてある屋根付きの小舟がそれである。まずこれに乗るようだ。
 6人乗りだというので、われわれは3艘に分乗して出発した。
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 船頭さんは女性である。
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 舟は正面にある運河の一つに入って行く。
 雨は止んではいないが、この時はたまたまかなり小降りになっていて、屋根の下にいるぶんにはほとんど気にならない感じになっていた。ツイてる。
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 非常に印象的な形の橋があったが、
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 舟はこの手前でUターンして(たぶん、この橋を見に来ただけなのだ)、乗り場のあった菱塘湾に戻って行く。
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 ↑ここにも運河があるが、舟はさらに右手にある別の運河の方に向かって行った。
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 「茶館」とあるが、茶店のテラス席といった感じだろうか。
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 舟は、今度はこの運河をどんどん進んで行く。
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 両側は、お店の一部のように見える建物もあったが、普通の人家もかなりあるようで、裏口から石段で運河に降りられるような作りになっているものが多かった。 
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 いまでも洗い場のように使われることがあるのだろうか。
 前を行く舟の船頭さんが歌い始めた。
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 引き続いて、われわれの船頭さんも歌った。
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 お互いに2曲ずつ歌った(先頭を行った舟の船頭さんがどうだったのかは知らない)。
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 この先が下船場になっているようだ。
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 カメラのデジタル記録を確認すると、乗船していた時間は20分ほどだったが、非常に楽しい時間だった。雨も(降っていたけど)ほとんど気にならなかったし。
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 さて、このあとは錦渓古鎮の散策ということになる。小降りとはいえやはり傘は必要で、写真を撮るには不自由だったが、人がほとんど出ていないので、運河や街並みの風情がしっかり感じられて良かった。
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 基本的に、先ほど舟がたどってきた運河に沿うように、付かず離れずの感じで戻って行ったようだ。
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 雨は降り続いている。
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 橋。
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 衆安橋というらしい。
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 橋の上から。
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 さっき、この水面を舟で通ったのだ。
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 インターネットで調べてみると、錦渓古鎮には明清時代に建造された石橋が36も残っているらしい。衆安橋もその一つである。
 歩いていて、雨で人出が少ないということもあるが、ここはあまり観光地化していなくて好ましい古鎮だという印象を持った。
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 民宿というのはそのままの意味だと思うが、
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 こういうところに泊まるというのはどんな感じなのだろうか。
 また橋があった。普慶橋と言うらしい。
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 次は郵便局の建物だったようだが、いまも現役かどうかは判らなかった。
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 ポストも使われているようには見えなかった。
 実は、このあとどういうふうに歩いたのか記憶がはっきりしない。
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 はっきりしているのは、このお店の2階でお昼を食べたということである。
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 この写真は、食べ終わって店を後にする時に撮ったものだが、店のすぐ先に橋があり、
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 これが、さっき向こう側から写した普慶橋だったのである。
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 この視点というのは、舟で遊覧の時にほぼ同じ角度から写した写真があった(前の方を見てください)。うーむ、そういうことだったのか。

 このあと運河沿いを離れて、人々が普通に生活しているエリアを少し歩いた。
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 観光とほぼ無縁の区域だったと思うが、そういうところを歩けたのは良かった。
 最初に運河遊覧の舟に乗った乗り場のところに出た。
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 撮影時刻は12:44だった。舟と徒歩で、古鎮の中を一回りした感じなのだろう。なかなか趣があって、印象的な古鎮だったと思う。

 このあとは写真がない。天気予報では、雨は昼ごろには止むということだったが、どうもはっきりしないまま時間が経過してしまったようだ。徒歩で駐車場まで戻り、バスが錦渓を出発したのは午後1時20分ぐらいだったと思う。
 バスは上海に向かう。(続く)
by krmtdir90 | 2018-12-01 22:11 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の小さな旅②陽澄湖・蘇州2(2018.11.20)

11月20日(火)続き

 上海蟹は、長江流域に広く生息している中国モクズガニという種類の蟹で、中でも陽澄湖(ようちょうこ)産のものは最も高級な上海蟹としてブランド化されているらしい。一年中食べられているが、旬は10月から11月とされていて、今回のツアーはこの産地と旬にこだわって、現地の養殖場直営のレストランで蒸し立ての上海蟹(雌雄一対)を食べようという、何とも贅沢な昼食プランが組み込まれたものだった。
 上海蟹は日本でも食べられる店はあるようだが、とんでもなく高価なものになるので、もちろんいままでに食べたことなどなかった。

 車窓に陽澄湖が見えてきた。
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 ここの上海蟹が美味で珍重されるのは、湖底の質の違いが大きいと言われているようだ。この蟹が生息する湖沼の多くが泥地の底であるのに対し、陽澄湖は砂や岩の底になっていて、それが蟹の成育に好影響を与えているということらしい。けっこう広い湖だが水深は浅く、平均2メートルにも達していないということだ。

 上の写真の撮影時刻は11時11分で、どうやらバスが順調に来過ぎてしまったようで、レストランに行く前にちょっと寄り道をすることになった。
 脇道に入ったところに、上海蟹を売る露店が並んでいた。
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 みんなで降りて行って冷やかした。
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 予想外に小さいものなのだなと思った。
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 値段を言っていたようだが、興味がなかったので聞いていなかった。

 時間調整をしたけれど、11時37分(撮影時刻)にはレストランに着いてしまった。
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 非常にローカルな雰囲気の店構えだが、上海蟹では定評のあるお店らしい。やはり2つの円卓にいろんな料理が出てきた後、最後に、蒸し上がったばかりの上海蟹が山盛りになって出てきた。
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 最初にガイドが食べ方を教えてくれて、あとは各自黙々と蟹と格闘した。
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 ↑これはオスである。ひっくり返して、腹の模様の違いで見分けるのだという。↓これがオス。
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 ↓これがメスである。
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 肝心の、食べた感想だが。
 ・・・・・・・・・・。
 そんなに大騒ぎするようなものではないな、と思った。味噌はなかなか濃厚で特徴的な味だと思ったが、甲羅そのものが小さいし、量があるわけではない。それ以外の、足などの身の部分はほとんど食べるところがなく、えっ、これで終わりなの?、という感じだった。
 ・・・・・・・・・・。
 上海蟹は味噌を食べるもの、ということらしい。まあ、何ごとも経験してみなければ判らない。この日の昼食に幾ら費用がかかったのかは知らないが、もう二度と上海蟹を食べることはないだろうな、と思った。

 なお、上海蟹は身体を冷やす作用があるので、お酒はビールではなく紹興酒を合わせた方がいいと言われた。その通りにしたが、蟹そのものが量がないのだから、あまり関係ないのではと思った。
 あと、手がけっこうベタベタしたので、食後に石鹸を使って入念に洗ったのだが、強烈なにおいはなかなか取れなかった。
 店の奥に水槽があって、上海蟹がたくさん泳いでいた。取り出されて縛られ、蒸されるのを待っている蟹たち。
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 レストランを出たのは午後1時30分ごろだった。

 バスで5分ぐらい走って、今度はちゃんとした上海蟹の市場に立ち寄った。
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 ↑これが建物の壁面にあった市場の名前なのだが、その前に魚の干物と一緒に衣類や洗濯物が干してあったりして、いったいどういうつもりなのかよく判らない。
 卸売りの店がたくさん並んでいた。
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 ↓こちらの店では、蟹を一匹ずつ鮮やかな手さばきで縛っているところを見ることができた。
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 生きたまま縛って、その状態で各地に発送しているらしい。この日は平日だったので空いていたが、休日には近隣からの買い出し客でけっこう賑わうらしい。

 午後2時前に陽澄湖を後にした。
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 この囲いの中で蟹の養殖をしているらしい。遠くに見える鉄橋は高速鉄道のものだという。

 このあと蘇州市内に戻り、留園の見学はホテルに帰ってから希望者対象で実施することになっていた。ところが、ツアーの17人全員が希望するということが判り、ホテルに寄らずに直接留園の駐車場に向かうことになった。

 留園(りゅうえん)は、世界遺産にも登録されている中国四大庭園の一つである。創建は明代だというが、清代になって当時の建築造園様式で整備されたものだという。例によって荒廃と再建を繰り返し、現在のものは中華人民共和国成立後の大規模な改修を経て、1954年に一般に開放されたらしい。

 留園の前の道、留園路と言うようだ。
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 この右手に留園の入口がある。
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 非常に簡素なものだと思う
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 これは入ってすぐのところ。
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 中はかなりの広さがあり、多様な建築物と変化に富んだ庭園とが組み合わさっている。建物の狭い廊下を進んでいくと、
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 園の中心をなす池の畔に出た。
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 池の中に小島があり、橋を伝って行けるようになっている。
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 島の方から周囲を眺める。
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 ↑この小楼の建つ小高いところは見晴台になっていて、あとでそちらからの写真も載せる。

 池の畔から元の建物の方に戻り、今度はいろいろな建物の中をたどった。
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 建物にはたいてい大小の庭や中庭が付随していた。
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 奇妙なかたちの石があちこちに使われているが、これは蘇州の西方にある太湖(たいこ)という湖の周辺で採れる石灰石(太湖石という)だという。太湖の水で長年浸食され、穴が空いたり複雑な形状になったりしたもので、中国では各地の庭園で珍重されているらしい。
 さらにいろいろな建物と部屋、そして付随の庭を見て回った。
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 ↑この池は最初の池とは異なる。
 このあと、さらにあちこちたどった後、
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 もう一度、最初の池の畔に出た。さっきの、向かいにあった見晴台の方からの眺め。
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 園内を一通り見て回ったが、全体としてはどうも焦点がはっきりしない感じで、名高い庭園だと言われればそうですかと言うしかないが、あまり印象に残るものではなかったように思う。まあ、そういうこともあるということで。
 再びバスに乗って、午後4時ごろにホテルに戻った。

 この日はまだ終わりではない。午後4時45分にロビーに集合、徒歩で10分ぐらいのところにある山塘街(さんとうがい)に向かう。
 途中の何ということもない街並みも、次第に夕暮れになっていく時間帯の感じが、なかなか雰囲気があっていいものだと思う。
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 見えてきた。山塘街への入口の門。
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 これを入って歩いて行くが、このあたりはまだ道幅も広く、車やバイクも入ってくる。
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 右手の方に比較的広い運河が通っているようだ(写真には撮っていない)。
 しばらく行くと、左手に細い運河が分岐していた。
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 この運河に沿って、歩行者だけの小路ができていた。
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 ここからが歴史街区・山塘街の古い街並みになるようだ。

 山塘街は、唐代の詩人・白居易が蘇州の長官であった頃、周囲の運河とともに整備させたのが始まりだったようだが、その後様々な変遷を経て修復され、2014年に世界遺産に登録されたということのようだ。
 少し行った右手に、この日の夕食をとる食堂があった。
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 この写真は食後に、フリータイムになってから撮ったものだが、われわれは「団体」だから、2階の部屋に通された(左上のところ)。その窓から見下ろした山塘街の様子。
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 なお、この食堂は地元の人にも人気のお店で、麺類が売りになっているらしかった。小籠包などの点心のあと「麺」をいただいたが、わたしはあまり美味しいとは思わなかった。
 食事を終えて外に出て、上の写真と同じ方向を撮る。
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 空もすっかり暗くなっている。

 このあと、1時間弱のフリータイムが取られた。お店を覗いたりしながらあちこち歩いたが、写真はあまり撮っていない。
 運河に架かる橋の上から。
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 橋の先に続く小路。
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 この橋。
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 絶好の写真スポットになっているのか、橋の上や周辺はごった返していた。
 昼間はどうなのか判らないが、夜の街路はけっこう賑わっていて、運河と古い街並みの風情といったものはあまり感じられなくなってしまう気がした。
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 見上げると、空には月が出ていた。
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 歩行者だけの山塘街入口にあった御碑亭という建物。
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 この前が集合場所になっていた。
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 再び徒歩で帰った。その帰り道。
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 ホテルに戻ったのは午後7時半ぐらいだった。
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by krmtdir90 | 2018-11-30 23:59 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の小さな旅①往路・蘇州1(2018.11.19~20)

 実は、11月に予定していた別の海外旅行ツアーが希望者が集まらず中止になってしまい、ぽっかり穴が空いてつまらないことになったと思っていたところ、3泊4日で手軽に行けそうなツアーが目についたので申し込んでしまった。「陽澄湖(ようちょうこ)で楽しむ旬の上海蟹と蘇州・上海の旅4日間」というもので、見学は実質2日だけの小さな旅だった。

11月19日(月)

 今回は羽田空港発着なので、浜松町からモノレールで行った。集合は11時30分、羽田は成田のように広くないので、あまり歩かないで済んだので良かった。
 上海航空FM816便・上海行き。
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 窓際の座席だったので、往路は写真がある。
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 13時30分、羽田空港を離陸。
 東京湾上空で大きく旋回した時、東京湾アクアラインのPA「海ほたる」が見えた。
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 往路の所要時間は3時間30分、おおむね曇りだったが、途中30分ほど雲が切れる時間帯もあった。
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 中国大陸が近付くとまた雲に覆われてしまった。
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 空港が近付き、高度を下げて雲の下に出た。
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 全体がスモッグで霞んでいるように見える。
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 機内でマイナス1時間の時差修正を行い、16時00分、上海虹橋(ホンチャオ)国際空港に着陸した。
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 天候は曇り、気温などは日本と変わらないようだ。
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 入国手続きの後、空港を出て、バスで蘇州に向かった。17時を過ぎていて、あたりは暗くなり始めていた。
 この後はずっと写真がない。蘇州のホテルに着いたのは19時過ぎだったか。そのままホテル内のレストランに行って夕食となった。今回の参加者は17人なので、円卓は2つになった。食後、時間を取って簡単な自己紹介などを行い、解散して部屋に入ったのは20時40分ごろだったと思う。
 部屋の窓から、蘇州の夜景。
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11月20日(火)

 今回の旅がこれまでと大きく違っているのは、わたしが煙草を吸っていないことである。これまで、海外であろうと国内であろうと、わたしの旅はいつも煙草と一緒だった。いろいろな場面で、煙草を吸うことが一つのきっかけを作り、重要なアクセントになっていたと思う。みずから決めたこととはいえ、それをなくしてしまったのは大きな損失だったと思っている。
 これまでだと、朝食の後は妻より先に席を立って、ホテルの外で一服するのが普通の流れだった。だが、もうそういう寄り道は必要なくなってしまった。でも、レストランからそのまま部屋に戻るのではつまらない気がした。で、妻を誘って玄関の外へ回ってみた。
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 外に出て、朝の空気を肌で感じるのは重要なことである。ここに来ないで真っ直ぐ部屋に戻ってしまったら、その日の気温や湿度を実感することは難しいだろう。これまでは、朝の最初の一本を吸いながら、そうしたことを確認するところから一日が始まっていたのだと思う。その区切りというか習慣というか、それがなくなってしまったのを自分の中に受け入れるしかないのだなと思った。

 蘇州で連泊したホテルはホリデイイン・ジャスミン蘇州(蘇州茉莉花假日酒店)といった。
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 1階の右半分がフロントロビーになっていて、左半分にスターバックスコーヒーが入っていた。行かなかったけれど、これがロビーからの入口で、これでスターバックスコーヒーと書いてあるのだ。
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 部屋の窓からの眺め。
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 これは昨夜の夜景と同じ方角だが、手前にある瓦屋根の古民家群は、すでに取り壊しが始まっているところもあって、早晩すべてが撤去される運命にあるようだ。すぐ向こうは撤去が完了した空き地で、このあと駐車場になるのかビルが建つのか、いずれにせよ再開発の途上にあるということなのだろう。中国では、至るところでそういう工事が行われているのだった。

 8時30分、ロビーに集合。
 この日はまず、バスで蘇州市内の平江路というところに向かう。
 蘇州には北京と杭州を結ぶ京杭大運河(世界遺産)が通っていて、その支流をなす大小無数の運河が市内を走っている。こうした流れに沿って古い街並みが保存されているところがあり、平江路というのはそういう「歴史街区」の一つであるらしい。
 バスを降りた通り。
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 この道路の下を運河が左右に横切っていて、見えている横断歩道は、その運河沿いの遊歩道である平江路をつないでいるのである。
 平江路入口の案内看板。
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 ガイドの先導で左の方の平江路に入って行く。
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 すぐのところに運河遊覧の小舟の乗り場がある。
 午前9時を少し回ったところで、観光客の姿もまだほとんど見えない。
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 店などもやっと開き始めたところのようだ。
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 脇道などもある。
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 この左の入口の奥には「猫カフェ」があるらしい(行ってはみなかったが)。
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 路の右側には運河があって、
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 人々の生活が普通に営まれている。
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 先の方に小さな橋が架かっている。
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 9時半を過ぎて、観光客も徐々に増えてきている。
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 橋の上から。
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 橋を渡った対岸の方は特に古い街並みを意識してはいないようで、こんな感じのアパートなども建っていた。
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 この脇の方に公衆トイレがあって、ここで少し時間を取った。
 対岸の方から橋を見る。
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 ここで奥に向かって運河がT字に分岐している。平江路の方に戻って、そちらを見る。
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 この道沿いにも古い街並みがあるようだが、そちらへは行かなかった。
 再び来た道を戻る。いろいろな店が開いている。
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 スタート地点に戻って来た。
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 このあと、最初にバスを降りた大きな通りを渡り、向かい側にさらに続く平江路の方に行った。そちらで30分ほどのフリータイムが取られた。
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 ずいぶん先の方まで来たようだ。
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 平江路の起点(終点)に来たということだろうか。
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 戻りながら。
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 集合場所近くのお店。
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 右寄りの台にいろんなお饅頭が並んでいた。
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 真ん中の若草色のお饅頭を買って食べた。特にどうというものでもなかった。

 午前10時半過ぎに散策を終え、迎えに来たバスに乗って平江路を後にした。このあと、上海蟹の本場・陽澄湖に向かう。(続く)
by krmtdir90 | 2018-11-29 22:10 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑪武漢散歩・復路(2018.9.11~12)

9月11日(火)続き

 午後4時にホテルに戻って来たが、夕食までまだ間があるので、ガイドの徐さんが希望者を近くのスーパーマーケットに連れて行ってくれるという。外は暑いし、ちょっと迷ったが、もう今夜が最後なのだし、行ってみることにした。
 ホテルの前の道を右に少し歩き、右折すると、
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 町の人々の生活の気配が感じられる通りになった。
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 この先を左折してちょっと行くと、目指すスーパーがあった。
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 スーパーと言っても、こぢんまりした昔からの商店といった感じで、コンビニの品揃えを少し多様にした程度の品が並んでいた。中の写真は撮っていないが、ここで土産にするクッキーと激辛のカップ麺(末娘が好きなのだ)などを買った。

 店の向かいにこんな家が建っていて、
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 「詹天佑(せんてんゆう)故居」というプレートが掛かっていた。
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 徐さんが、詹天佑(せんてんゆう)は中国の「鉄道の父」と言われた人物で、いまから百年以上も昔に中国で鉄道敷設に尽力したのだと教えてくれた。スイッチバック(彼女は言葉としては知らなかったが)も彼が初めてやったのだと言っていた。まったく思いがけない話で、帰ってからいろいろ調べてみたが、詹天佑が中国で初めてスイッチバックを作ったのは確か(1909年完成の京張鉄路において)だが、世界最初ということについては記事を見つけることができなかった。
 この「故居(旧宅)」は、詹天佑が1919年に死去するまでの晩年を過ごした家だったらしい。建物の入口に「詹天佑故居博物館」という表示が掛かっているから、もう少し早い時間なら中を見学することもできたのかもしれない。

 スーパーからの帰り道。
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 みんな一人っ子で、みんな手をつないでいる。大切な子どもなんだよね。

 この日は最後の夕食ということで、早めの5時にロビーに集合して、バスで少し離れたレストランに向かった。
 車窓から見かけたこの母子(ちょっとピンボケだが)。
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 子どものお尻に注目である。これ、破れているわけではない。開襠褌(カイダンクゥ)という幼児服で、最初からお尻が見えているものなのだという。要するにオムツが不要で、どこででも(道ばたでも)用が足せるようになっているというのだ。都市化が進んで最近は廃れてきているというが、オムツ離れが早くなるというので、依然として根強い人気もあるということらしい。うーん、文化の違いとはいえ、このあたりのことはなかなか理解し難いことのように思われた。

 ちょっと脱線するが、最初のガイドの李さんが話していた中国のトイレ事情にも触れておきたい。もちろんホテルなどは整備されているが、地方の観光地などのトイレはいまでも、①洋式はきわめて少ない。②個室は鍵がかからないことが多い。③紙は絶対に置いてない。といった(女性にはかなり困った)状態であるようだ。最近はほとんどなくなったようだが、以前は(簡単な仕切り程度で)個室になっていない、丸見えのトイレというのもけっこうあって(ニーハオトイレと呼ばれていたようだ)、旅行者を大いに驚かせていたらしい。
 つまり、中国人には用を足すのは恥ずかしい行為ではなく、人に見られても平気という生活文化が根付いていたようなのだ。われわれからするとちょっと信じ難い気がするが、文化の違いなのだからとやかく言うべきことではないのかもしれない。

 で、ここが今晩のレストラン。
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 この旅行社では、最後の晩の夕食は「さよならディナー」と銘打って、飲み物代は会社持ちという嬉しい措置を取ってくれている。だからといって飲み過ぎるような野暮はしなかったが、ちょっと高いビールを(妻と)2本ほど飲ませてもらいました。

 ここで、中国のビール事情についても触れておかなければならない。今回の旅では、暑かったこともあって、わたしはずっとビールを飲み続けたのだが、何回か飲むうちに中国のビールは薄いということに気付いたのである。ビンの表示を確かめると、アルコール度数は2.5%とか3.3%とか書かれていて、要するに日本のビールの半分なのだった。どうしてそうなのか判らないが、添乗員に聞いてもらっても、普通の(5%以上の)ビールは置いてないというところがほとんどだった(今晩は違ったが)。
 もう一つ驚いたのは、外のレストランではどこも(今晩は違ったが)ビールグラスを用意していないのだった。要するに普通のコップがあればいいだけなのだが、たぶん老酒(紹興酒)を飲むためと思われる小さなグラスしかないということだった。老酒を頼めば良かったと言われるかもしれないが、老酒(紹興酒)にはあまりいい思い出がないし(ほとんど飲んだことがない)、今回の旅では寝酒用にウイスキーを1本忍ばせて行ったので、食事ではあまり飲まないようにしようと決めていたのである(他に飲む人がいなかったのも大きい)。
 あと、食事の際に水が用意されていなかったのも関係している。これはホテルやクルーズ船でも同じで、毎日ペットボトルの水は(一日2本)支給されていたが、食事時には中国茶は必ず出るのに、水は決して出てこないのだった(頼んでも、ないという答えだった)。お酒(ビール以外)を飲む時はチェイサー(追い水)が必須のわたしにとって、この状況で老酒という選択は考えられなかったのである。

 夕食を終えて外に出たのは7時半ごろだった。再びバスでホテルに戻った。

 ホテルがあるあたりはかつての租界(清代の外国人居留地)があった地域で(さっきのスーパーマーケットの周辺もそうだったようだ)、古い建物も残っているから、引き続き希望者を夜の散歩に案内すると言うので、徐さんの先導でまた出掛けて行った。添乗員はちょっと用事を済ませて後から追いつくということだったが、用事が長引いたのか、なかなか来ないので戻ることになってしまった。
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 建物の説明はされたが、夜なので写真はほとんど撮れなかった。ホテルが近づいたところで、横断歩道があったので、道路の向かいには(樹木に遮られて直接は見えていないが)長江があり、遊歩道と公園がずっと整備されているのが判っていたから、ちょっとそっちの方を散歩したいと言って別行動にしてもらった。

 で、横断歩道を渡り、公園を横切って行くと、
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 予想通り、人がたくさん出ていて、
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 思い思いに夜景を楽しんでいるようだった。
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 長江の水にイルミネーションが映って、非常に美しい夜景だと思った。
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 しばらく眺めてから、満足してホテルに帰った。
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 午後9時ごろだったと思う。

9月12日(水)

 とうとう最終日になってしまった。
 武漢の天気は薄曇り。しかし、気温と湿度は相変わらず高く、ホテル内にいればどうということはないが、煙草を吸いに外に出るとそれが実感される。

 この日は日程に余裕があり(出発が10時)、6時半から朝食は可能だったが、のんびり7時ごろに食べに行った。添乗員の方は朝から、希望者対象で長江沿いの散歩とか、昨日行かなかった人をスーパーにご案内とか忙しかったようだが、空いている時間に部屋に来てもらって、スーツケースなどの計量をお願いした(添乗員は必ず携帯秤を持っているのである)。
 今回利用したLCCというのは、受託手荷物(スーツケース)の重量制限が機内持ち込み手荷物も合わせて15キロ以下となっていて、普通は20キロだから考える必要はないのだが、かなり心配だったのである。スーツケースの大きい妻の方は、事前に5キロプラスの手続きをしておいて(もちろん有料)、あとは中身を調節すれば大丈夫と思っていたのだが、持ち込み手荷物というのが意外に重く、2人トータルで35キロを超えてしまうことが判明した。土産物などが予想以上に重かったのである。
 添乗員が言うには、持ち込み手荷物の方は不問になることが多いということだったので、妻が持参していたリュックに超過分の荷物を入れて、カウンターに行く時にはそれを隠しておくという作戦で行くことにした(実際には持ち込み手荷物が計量されることはなく、超過料金を払う必要もなかったので良かった)。

 スーツケースは9時半までに廊下に出せば良かったのだが、早めに出して、少し長江のほとりに散歩に出ることにした。
 9時ごろになっていたので、地元の人たちの朝の散歩などは終了していたようだ。
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 ローラースケートを履いた人たちが集まって練習をしていた。
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 アイススケートのショートトラックのような練習をしていたから、そういうチームの夏季練習だったのかもしれない。
 長江は、すぐ水辺まで下りて行けるようになっていた。
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 こちらには、昨夜は気付かなかったが船着き場が出来ていた。
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 上の遊歩道の方を歩いて行く。
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 並行して続く公園の方で、太極拳の練習をしている人がいる。
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 しばらく行った先の公園の中に銅像があって、
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 よく見ると「中国鉄道の父」詹天佑(せんてんゆう)の銅像だった。
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 その奥には、蒸気機関車(中国では「火車」と言う)と客車が静態保存されていた。
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 ただ、中国人観光客と思われる一団が、代わる代わる機関車によじ登って記念写真を撮っていたので、それが一段落するまで待たなければならなかった。本当はこちらの角度から撮った方が良かったと思うが、彼らは写真が終わってもこちら側に溜まってなかなか動かないので、待ちきれなくなって向こう側からの写真になった。
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 説明板があったのだが、
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 もちろん中国語で、簡体字も多くてよく判らなかった。ただ、機関車としては(客車も)かなり小さいものだったので、詹天佑(せんてんゆう)が活躍した頃の、比較的初期に走っていたものではないかと推測した。

 詹天佑と蒸気機関車を見ることができて、何となく満足したので戻ることにした(すでにけっこう汗もかいてしまった)。
 帰りは道路の方に出て、旧租界の建物などを見ながら行くことにした。
 これは、特にどうということもない小路。
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 この建物は、
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 なんとか銀行の漢口支店だったようだ。
 こちらは、
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 「漢口美国領事館」とあって、「美国」は中国語でアメリカのことだから、アメリカ領事館の建物だったことが判った。なお、この入口(右側)には「中国武漢人材市場」という看板が出ていて、昨夜徐さんが日本で言うハローワークのようなものだと教えてくれた。
 次の建物も当時のものと思われるが、プレートを写してこなかったので、由緒などは判らない。
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 右手を見ると、窓に生活の気配があるから、当時から集合住宅として使われていたものだったのかもしれない。
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 最後に、これは長江沿いの公園と遊歩道への入口。
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 左手の門に「人民楽園」の文字が見える。うーむ。

 10時にロビーに集合して、バスで空港に向かった。
 車窓から。
 これは「江漢関」という建物で、このあたりはイギリス租界のあった場所のようだ。
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 バスは次第に郊外に出て行く。
 何か大きな道路工事が行われているようだ。
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 一帯は広い沼沢地といった感じで、湖なども点在しているようだ。
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 そうしたところにどんどん杭を打ち込んで、道路などを整備しているようだった。これは、すでに供用開始しているらしい道路のジャンクション。
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 やがて、空港が見えてきた。
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 武漢天河(てんか)国際空港である。
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 バスは一旦この前を通り過ぎ、近くのこの建物(ホテルだったようだ)の駐車場に入った。
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 ここのレストランで、中国で最後の昼食となった。こちらでの食事は、朝食を除けば昼も夜も、すべて円卓を囲んでの中華料理だった。店によって味の違いなどはあったが、基本的に中華料理は中華料理なのであって、本場だから美味くないわけではないのだが、最後には少々食傷気味という感じもあった。

 食事を終えて再びバスに乗り、午後1時ごろ空港に入った。
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 で、ここが問題の受託手荷物預け所のカウンター。
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 結果を言えば、機内持ち込みの手荷物はまったく問題にはならなかった。フライト時間は決まっているのだし、積み込みに要する時間も確保しなければならないはずだから、よほど空いている時でなければ、細かいことは言っていられないということなのだろう。

 まあ一安心という感じで次の手荷物検査(セキュリティーチェック)に向かったが、ここでちょっとした失敗をしてしまった。ライターは引っ掛かるので、スーツケースに入れなければならなかったのである。ライターの扱いは国によって様々なようだが、中国はダメと事前に聞いていたから、往路では言われた通りにしていたのに、復路では重量にばかり気を取られて失念していたのである。それでも、気付かれないこともあるかもしれないと、知らん顔してX線を通したがダメだった。まあ、残量少ない100円ライターだったから、気分は悪かったがあきらめはついた。
 それに、ライターがない時間帯のためにマッチも用意していたから、別に困ることはない。中に入って喫煙所を探した。
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 ここに珍しい設備があった。
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 ライターが持ち込めないのだから、普通なら煙草は吸えないことになる。そのためなのだろう、この左に付いている装置、穴に煙草を差し込むと自動的に点火するのである。わたしはマッチを使うことなく、中国で最後の一服をしたのだった。

 旅行記の最後がこのような写真で終わるのはどうかと思うが、もうこの後は写真がないのだから仕方がない。以下、復路について簡単に記録しておく。
 春秋航空日本IJ1012便は15:10に武漢を飛び立った。
 夕食がカップヌードルだったことは最初に書いた通りである。
 機内でプラス1時間の時差修正を行い、成田に到着したのは20:00だった(所要時間3時間50分)。
 スーツケースが予想以上に早く出てきたので、乗れないと思っていた20:35発の高尾行きリムジンバスに間に合った。で、家から5分のバス停まで、ノンストップで帰ることが出来たのは非常に良かった。おわり。
by krmtdir90 | 2018-10-01 14:10 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑩武漢・黄鶴楼・湖北省博物館(2018.9.11)

9月11日(火)

 武漢で連泊したのは「マルコポーロ」(武漢馬哥孛羅酒店)という、香港に拠点を置くチェーンの五つ星ホテルだったらしい。
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 34階建てのツインタワーが客室になっていて(両側がそれ)、われわれの部屋は7階だったが、窓から斜めに長江の流れを見ることができた。もっとランクの高い部屋もあったのだろうが、ツアー客が入る部屋としては最高ランクと言ってもよく、十分な広さもあって旅の締めくくりとしてはとても良かった。

 この日は武漢市内をバスで2カ所見学する。最初に向かうのは黄鶴楼である。9時にロビーに集合して出発した。
 天気は晴れ。「中国3大ボイラー」の一つと言われる武漢だから、かなり暑くなることを覚悟しなければならない。

 武漢市は、長江の支流である漢江が長江に合流するところにできた町で、人口は1000万人を超えているらしい。ホテルで貰った地図でいま確認しているのだが、武漢は2つの川を境に漢口・漢陽・武昌の3エリアに分かれていて、ホテルは漢口にあり、バスは漢江を越えて漢陽に入った後、さらに長江を越えて武昌にある黄鶴楼に向かったようだ。地図で見ると近いように見えるが、混んでいるところもあったりしてけっこう時間がかかった。
 車窓から。
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 最新の高層マンションに住める人ばかりではなく、どんどん拡大しているという貧富の差を感じさせられるアパートもあるのだ。
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 まず漢江を渡る。
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 向こうに見えているのは亀山電視塔(テレビタワー)というものだったようだ。
 次に長江を越える。
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 橋は武漢長江大橋という鉄道道路併用橋だった。下部に鉄道線路が通っていたようだ。

 中国に来てから、至るところでスローガンが書かれた看板や横断幕を見て来た。こんなところにまで!と思うようなものもあって、これには最後まで慣れることができなかった。簡体字とはいえ、漢字の意味が何となく判ってしまうのも良くなかったと思う。
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 「国家富強、民族振興、人民幸福」といった文字が見える。中国の人たちはこういうのをどう感じているのだろう。旅行者としては辟易とするばかりだったが、中にいると感じなくなってしまうのだろうか。何とも押しつけがましいし、何より美しくないと思った。

 バスを降りたのは10時ごろだったと思う。
 こちらが黄鶴楼公園の入場券売場(だと思う)。
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 一人っ子と母親。
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 この石段を登るようだ。
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 途中で振り返る(この右手から入って来た)。
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 上の建物にゲートがあって、
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 入ってから、また石段を登った。石段の上がカート乗り場になっていてホッとした。

 移動してカートを降りたら、いきなり黄鶴楼が見えた。
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 あたりは観光客でけっこう混み合っている。しかし、われわれはすぐそちらに行くのではなく、反対側の道の脇にあるこの詩碑の前で説明を受けた。
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 崔顥(さいこう)の「黃鶴樓(こうかくろう)」という詩で、黄鶴楼にまつわる伝説に触れたものである。「昔人已乘黃鶴去/此地空餘黃鶴樓/黃鶴一去不復返/白雲千載空悠悠/晴川歴歴漢陽樹/芳草萋萋鸚鵡洲/日暮郷關何處是/煙波江上使人愁」。現代仮名遣いの平仮名で書き下すと、次のようになる。「せきじんすでにこうかくにじょうじてさり/このちむなしくあますこうかくろう/こうかくひとたびさってまたかえらず/はくうんせんざいむなしくゆうゆう/せいせんれきれきたりかんようのじゅ/ほうそうせいせいたりおうむしゅう/にちぼきょうかんいずれのところかこれなる/えんぱこうじょうひとをしてうれえしむ」。
 伝説というのは次のようなものである。辛という人が営む酒屋に貧しい身なりの老人が現れ、酒を飲ませてほしいと言った。辛は嫌な顔もせず飲ませてやった。それが半年ほど続いたのち、老人は金がないので溜まった酒代は払えないと言い、代わりに蜜柑の皮で壁に黄色い鶴の絵を描いて去って行った。やがて、その鶴が客の手拍子に合わせて舞い出すというのが判り、評判となって酒屋は大繁盛し、辛は大金持ちになった。十年ののち、老人が再び店に現れ、笛を吹くと壁の黃鶴が抜け出して、老人はその背に乗って白雲の彼方に飛び去った。老人は仙人だったのである。その後、辛はこの地に楼閣を建て、黄鶴楼と名づけたという。

 実際の黄鶴楼は呉の時代に物見櫓として建てられたものだったようだが、その後は破壊と再建が繰り返され、現在のものは1985年に再建されたものだという。
 で、その黄鶴楼だが、前庭のスペースがそんなに広くなく、人影が途切れることもないので、なかなか思うような写真は撮れなかった。
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 楼の正面には鐘楼?のようなものがあったが、
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 こちらには行かなかった。

 黄鶴楼の中に入る。
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 1階には大きなタイル画?が架かっていて、仙人が鶴に乗って飛び去るシーンが描かれていた。
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 実は黄鶴楼には、この右手に高齢者の利用を想定したエレベーターが一基設置されていて、われわれのツアーはこれで5階まで行き(直通運転なのだ)、下りはまたエレベーターで戻る者と、階段で各階を見ながら戻る者とに分かれる計画になっていた。われわれはもちろん階段を選んだが、行動が自由になるのは大変良かった。
 5階からの眺め。
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 黄鶴楼は蛇山という高台にあるから、要するにここは武漢市街を一望できる展望台なのだった。とりわけ素晴らしかったのがこちらの眺め。
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 長江と、先ほど渡って来た武漢長江大橋が見えている。橋の上段だった道路が左側に出て、下段の鉄道線路が右に来ているのが判る。間に見えているオレンジ色の屋根は西門で、こちらは駐車スペースなどがないから、われわれは反対側の観光客用に整備された入口から入って来たのである。
 次はもう少し左を見たところ。
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 さっき大橋の上から見えた隣の赤い橋が見えている。
 周囲の欄干に沿って回っている時、下の線路を流線型の列車が通過して行った。
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 あわててシャッターを切ったのだが、原板を拡大してみると、車体に「CRH」と「和諧号」の文字が(「諧」は簡体字だったが)読み取れた。中国の高速鉄道である。これ、写せたの、すごく奇跡的だったんじゃないか!

 このあとは順に階段を下りて行った。楼の内部には階ごとにいろいろな展示があったのだが、4階には何かよく判らない大きな絵が掛かっていた。
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 この階で、さっき入口のところで写真を撮らせてもらった母子とまた出会った。
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 急に抱き上げられたので、男の子は驚いてしまったようだ。
 4階からの眺め。
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 ↑これは最初に黄鶴楼を見上げた場所である。石段の上の奇妙な鐘楼?(調べたら千年吉祥鐘と言うらしい)も見えている。その向こう、頂上らしきところにある建物は白雲閣と言うようだ。あと、左がカートを降りたところで、木の陰にカートが止まっているのも見える。
 武漢長江大橋の方に回って行くと、ちょうど貨物列車がやって来るところだった。
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 かなり望遠で撮ったので、列車が陰に入ったところでレンズを戻すとこんな感じ。
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 西門と、その手前の公園である。このあと、右側に列車が顔を出すのを追って、
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 列車が走り去るのを見届けた。原板を拡大すると、先頭の電気機関車の側面にも「和諧」の文字が読み取れた。調べてみると、「和諧」は調和・ハーモニーの意で、高速鉄道の名前になっているという記事はあるが、貨物を牽引する機関車についての記述は見つけられなかった。

 階段を下りる(ちょうど人が途切れたので撮ってみた)。
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 3階には黄鶴楼に関する文学作品などの資料が展示されていた。漢詩のコーナーもあって、さっきの崔顥(さいこう)の詩もあったが、李白のこの詩も紹介されていた。
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 黄鶴楼と言われてわたしがすぐに思い出すのはやはりこちらの方で、今回の旅ではこの感じを少しでも確かめられたらという気分も少しだけあったのである。
 「黃鶴樓送孟浩然之廣陵(こうかくろうにてもうこうねんのこうりょうにゆくをおくる)」
 「故人西辭黃鶴樓/烟花三月下揚州/孤帆遠影碧空盡/惟見長江天際流」。
 現代仮名遣い・平仮名の書き下し文、「こじんにしのかたこうかくろうをじし/えんかさんがつようしゅうにくだる/こはんのえんえいへきくうにつき/ただみるちょうこうのてんさいにながるるを」。
 これは、しみじみといい詩だなあと思うのである。

 2階には岳陽楼の時と同じく、いろいろな時代の黄鶴楼の姿がミニチュアで展示されていた。
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 これは現代の姿で、西門の方から見たところ。
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 以下、清代。
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 明代。
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 元代。
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 宋代。
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 唐代。
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 やはり、各時代でまったく姿を変えていることが判る。李白が登楼した唐代のものは2層だが、周囲の建物に比べて層そのものが高く作られているようで、詩のような景色は十分に見ることができたと考えられる。

 1階に下りた。1階にはショップなどもあって、
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 黄鶴楼は、建物としてはもはや昔とはまったく関係がない、記念の観光施設になってしまっているようだった。だからエレベーターも付いていたのだし、昔の建物が残っていない以上、こうしたあり方も仕方がないことなのだろうと思った。
 またカートで元のところに戻り、外に出てバスに乗ったのは11時40分ぐらいだったと思う。

 バスでちょっとだけ移動して昼食場所に向かった。バスはやや離れたところに停まったので、少し歩いた。
 何かいろいろな穀物のようなものを売っていた小父さん。
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 こちらでは月餅などを売っている。
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 レストランはここ。
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 撮影時刻は11時55分だった。

 昼食を終えて外に出たのは午後1時過ぎ。再びバスに乗って午後の見学地に向かう。午後は黄鶴楼と同じ武昌エリアにある湖北省博物館である。
 橋を渡った。
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 見えているのは川ではない。武漢の地図を見て驚いたのは、市内のあちこちに大小とり混ぜた多くの湖が散らばっていることだった。恐らく長江の流域が変遷したのと関係しているのだろうが、これもそうした湖の一つだったと思われる(それにしてもこの横断幕、美観を損ねているとは思わないのだろうか)。

 到着。この写真の撮影時刻は午後1時39分。
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 なんか博物館とは思えない偉容である。
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 中に入ると、これも博物館とは思えない吹き抜けの広々としたロビー。
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 帰ってから確認してみると、この湖北省博物館には旧石器時代から近現代に至る文化財約20万点が収蔵されており、広い館内にはテーマ別の様々な展示室があったようだ。もちろん限られた時間で全部を回ることはできないから、専属の説明員(中国語)とともに最も見どころとされる部屋だけを見学した。説明員の言葉をガイドの徐さんが翻訳してくれるかたちだったが、あまりちゃんと聞いていたわけではないので、やはり帰ってから調べて書かなければならない。

 見学したのは、春秋戦国時代の楚の遺跡の一つ、曾侯乙墓(そうこういつぼ)という墓から出土したものの展示だったらしい。入口。
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 写真はたくさん撮ってきたが、解説などはできないので、印象的と感じたものを以下に並べてみる(どれも青銅器である)。
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 これらは礼器と総称され、食器であるとともに祭器という側面も持っていたようだ。
 大きなものもある。
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 これらは酒器(甕)として使われたものらしい。
 次は驚いた。「編鐘(へんしょう)」という古代の楽器で、
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 木の棒で叩いて音を出すものだったらしい。
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 立てかけてある棒と一段目の上に置かれている棒がそれである。
 鐘は全部で65点あり、完全なかたちで見つかったのは初めてだったらしい。発掘された後、何回か実際に演奏されたようだが、中国にはこの時代から「七音音階」(よく判らないが)が存在していたことが証明されたのだという。
 いろいろな楽器も見つかったようだ。
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 鎧(馬に着せる鎧もあったのだ)。
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 以下は陶磁器と思われる。
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 小物。
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 大変充実した展示だったと思う。旧石器時代の部屋などもあったようだから、時間があればもっといろいろ見たかったが仕方がない。館内案内のような簡単なパンフレットがないか徐さんに聞いてもらったら、いまは紙に印刷したそういうものは時代遅れになっているようで、スマホにQRコードを読み込むと、音声ガイド付きの案内が出てくるような仕掛けが出来ているということだった。

 外に出て、バスに乗った時には午後3時半を過ぎていた。
 帰る途中にまた長江を渡ったが、朝とは反対側だったので別の橋が見えた。
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 ホテルに戻ったのは午後4時ごろだった。

 この日はまだ続きがあるのだが、一旦ここで区切ることにする。
by krmtdir90 | 2018-09-30 12:12 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑨岳陽楼~赤壁~武漢(2018.9.10)

9月10日(月)

 岳陽の朝。6時半から朝食が可能だったので、サッと出掛けてサッと食べて、食後の一服をしにホテルの前に出た。天気は曇りだったが、比較的明るい曇り空で、雨の心配はなさそうだ。
 ホテルの前の道をオート三輪が走って行く。
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 オート三輪の姿はあちこちで見かけた。電動バイクの普及などがある一方で、こうした古い乗り物も利用され続けているようだった。
 鉄道の岳陽駅。
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 駅ということが判っていれば見に行ったと思うが、岳陽は一泊だけだったし、宿泊中は知らなかったのである。
 ホテル外観。
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 短い滞在だったが、部屋も広く、使いやすいホテルだったと思う。

 8時15分にロビーに集合して、バスで岳陽楼に向かった。
 町の様子。
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 バスは20分ほど走って、岳陽楼の駐車場に入った。
 駐車場を挟んで、反対側にちょっと行ってみたい感じの小路があった。
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 岳陽楼の入口はこちら。
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 入ったところに小さな噴水と池があり、「五朝楼観」という石碑とともに、五つの時代の岳楊楼の姿がミニチュアで作られていた。
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 岳陽楼が最初に建設されたのは後漢末期だった(洞庭湖で呉の水軍を訓練する際の閲兵台として作られた)ようだが、その後幾度となく戦乱などに翻弄され、その度に新たな姿で建て替えられてきたらしい。行きと帰りに一応五つを撮ってきたので並べてみる(プレートに時代が記載されていた)。
 宋代。
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 唐代。
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 時代不明(プレートを撮り損ねた)。
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 明代。
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 元代。
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 時代によってまるで違うではないかと思ってしまうが、前代の姿に復元するという発想はそもそもなかったということだろう。現在の岳陽楼は清代に再建されたもののようだが、この五つのどれにも似ていないことがこのあと判るのである。

 歩いて行くと、何やら回廊のような建物があり、
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 その先の壁に詩を刻んだ石板が埋め込まれていた。
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 毛沢東の揮毫なので読み取りにくいのだが、これは杜甫の律詩「登岳陽樓(がくようろうにのぼる)」だと説明された。言われてみると、飛び飛びにだが判読できる文字もある。
 「昔聞洞庭水/今上岳陽樓/呉楚東南圻/乾坤日夜浮/親朋無一字/老病有孤舟/戎馬關山北/憑軒涕泗流」。また、すべて現代仮名遣いの平仮名で書き下しておく。「むかしきくどうていのみず/いまのぼるがくようろう/ごそとうなんにさけ/けんこんにちやうかぶ/しんぽういちじなく/ろうびょうこしゅうあり/じゅうばかんざんのきた/けんによりてていしながる」。

 また歩いて行く。
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 このカラフルな傘は、向こうにいる小父さんが土産物として売っているらしい。
 この門をくぐると、
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 左手に洞庭湖が見えているのだが、
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 曇り空の下では、どうももう一つパッとしない感じだった。
 周囲に幾つか建物があり、
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 中央に現在の(清の時代に作られた)岳陽楼が建っていた。
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 やや角度を変えて。
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 この大きく反り返った屋根のかたちは、清代の建築の大きな特徴になっているらしい。

 楼の中に入った。正面に岳楊楼の概略が書かれた(たぶん)ボードが立っていた。
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 階段を上って最上階へ(3層だからたいしたことはない)。
 ここに毛沢東揮毫の「登岳陽楼」が掲げられていた。
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 どうやらこちらが本物で、さっき見たのはレプリカだったようだ。
 ほら、見てごらん。
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 楼上からの洞庭湖の眺め。
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 曇っていたからぼやけた印象になってしまったのかもしれないが、ここからの眺めを「呉楚東南圻/乾坤日夜浮」(呉の国と楚の国はこの湖で東と南に隔てられていて/水面には天地宇宙の万物が日夜を分かたず姿を映している)と詠んだ杜甫の感性は、少し大袈裟なのではないかと感じてしまうのである。けっこう何度も取り上げた詩だったが、この詩の良さをわたしはあまり理解できない気分があったように思う。

 楼から下りて、今度は楼の左手に回り込んで行った。↓これは岳陽楼の左側面である。
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 この門はさっきくぐったものとは別の門だったと思う。
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 この先に小喬(しょうきょう)の墓というのがあった。
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 これは三国志関連の旧跡で、わたしは興味がないから知らなかったが、小喬は呉の武将・周瑜(しゅうゆ)の妻で、絶世の美女と言われた女性だったらしい。赤壁の戦いを描いた「レッドクリフ」という映画があったようだが、その中にも主要なヒロインとして登場していたようだ。まあ、わたしは映画も見ていないし、まったくどうでもいいことだったのです(だいたい、昔のお墓がこんなふうに残っているわけないじゃないか)。

 さて、楼の裏手にトイレがあり、早く済ませて裏側を写真に収めに行ったら、
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 ここは表の地面より一段低くなっているようで、楼の下に向こう側に抜ける通路があるのを見つけた。
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 で、先に出て来ていた幾人かと行ってみることにした。
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 そのまま階段を下りれば洞庭湖の岸辺に通じているようだった(行かなかったけれど)。さっき楼上からの眺めを写した写真で、記念写真を撮っているカメラマンの後ろが手前に切れ込んでいたが、この下に通じていたらしい。
 何となく満足した気分になって戻った。
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 出口(入口に同じ)に向かう途中で、洞庭湖をもう一枚。
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 五朝楼観のところで写真を撮っていた親子。
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 親子連れの姿をあちこちで見かけたが、中国ではずっと一人っ子政策が続いたから、子どもは常に一人しかいないのだった。どの子もとても大切にされている感じで、でも二人三人を引き連れた姿がまったく見られないのはやはり変な感じがした。

 最後に、駐車場の反対側にあった小路を一枚。
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 さっきはまだ店があまり開いていなかったが、今度はなかなかいい感じになっていた。
 駐車場を出たのは10時25分ぐらいだった。

 このあとバスは、午後の見学場所である赤壁古戦場に向かう。
 始め岳陽の市中を走っていたが、
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 やがて町の外に出て、高速なども使いながら走った。途中、風力発電の風車を見かけた。
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 帰ってから調べてみると、中国の電源別発電比率は2017年のデータで、火力69.7%、原子力3.9%に対し、自然エネルギーは26.5%となっていた。その内訳は、水力18.6%、風力4.8%、太陽光1.8%、バイオ1.2%となっていて、中でも近年は風力発電の伸びが顕著のようだった。火力・原子力から自然エネルギーへの転換が強力に推し進められているらしい。

 赤壁古戦場に着いたのは12時35分ごろだった。入口に近いレストランでまず昼食となった。
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 食事を終えて入口に向かう。
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 レストランの外装もそうだったが、この入口の雰囲気にも若干の違和感を覚えて、添乗員に「中には何があるの?」と聞いてみた。すると、「テーマパークですよ」という答えがサラリと返ってきて(正直な人だ)、「う~ん」という気分になった。まあ、仕方がない。

 かなり広い敷地にいろいろなものが作られていたが、われわれは入ってすぐのこの前から、
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 例のカートを使って主なところを移動したので助かった。
 最初に行ったのはここ。
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 資料館みたいなものだったが、当時の遺物が残っているわけもなく、中には人形やパネルを使って赤壁の戦いのことが展示されていただけだった。いろいろ説明はされたが、興味のない授業を聞かされる生徒の気持ちといったところか。

 ここを出たあと、次は(確か)徒歩でここに行った。
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 一応、ここがメインの場所である。この石段を下りるらしい。
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 下りたところは長江に面したテラス状の場所で、
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 ありました、「赤壁」の赤い文字。
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 ここで赤壁の戦いが行われたというのだが、要するにこれだけである。三国志などを読んで、戦いの詳細を熟知している人ならそれなりの感慨もあるのかもしれないが、わたしはそういう人ではない。だが、せっかく来たのだから、この文字を背景に記念写真を撮ったりした。でも、それで終わりである。石段は下りるよりも上る方が辛かった。 

 次にこの建物に行った。
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 ここにもけっこうな石段があって、
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 下から見上げた写真の方がいいのだが、途中に妻が立っているので使えない。
 入口の文字は、上が「拝風臺(台)」、下が「武侯宮」である。
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 「武侯」というのは諸葛孔明の諡(おくりな)で、建物の奥に諸葛孔明が祀られていた。
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 ここはお線香を上げてお参りできるようになっているらしく、右の方にいた小父さんから添乗員がお線香を買ってくれたので、順番にお参りをしてきた。なお、一枚目の写真で、手前に並んだ3つの像は、殷の時代の王で、左から禹、堯、舜の三人だったようだ。
 あと「拝風臺」の意味だが、赤壁の戦いにおいて、長江に浮かんだ曹操の船団を火攻めにするために、諸葛孔明がここで(有利な)南風が吹くのを祈願したということらしい。もちろん当時の建物が残っているわけもないから、これは後世になって記念のために建てられた建物と思われる。

 石段の前からカートで最初の場所に戻った。以上で赤壁の見学は終了である。
 外に出てバスに乗ったのは午後3時50分ごろだったと思う。今晩の宿泊地・武漢まではまだ160キロほどあるという。この日も予定よりかなり遅い到着になりそうだ。

 前回のモロッコ旅行と今回の旅行とを比べて(比べても仕方がないのだけれど)、決定的な違いはバスの車窓だったと思う。モロッコは面白過ぎたのかもしれないが、中国の車窓風景は総じて平凡で驚きに欠けていた気がする。写真の枚数も少なく、まあ何枚か載せておくが、帰って来て見直してみてもあまり甦ってくるものがない。
 高速の途中でトイレ休憩を取ったサービスエリア(5時16分撮影だった)。
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 このあたりはだいたい平坦な土地で、長江の流れから取り残されたような湖が散在しているようだった。そのうちの一つだろうか。
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 右寄りの看板に「梓山湖」の文字が見える。
 開発の波から取り残されたような街並み。
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 何となく埃っぽい感じがしていたが、少し先で大規模な道路工事が行われていて、バスはもうもうたる砂塵の中を通り抜けた。
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 狭い通りを通った時、バスが一時停止したので撮ってみたが、すでに夕暮れ時なので(6時31分撮影)、歩いている母子はブレてしまった。
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 すでに武漢のエリアに入っているようだ。
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 夕暮れ迫る長江。
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 6時39分撮影なので、みんなブレてしまった中でなんとか見られる一枚である。
 市街地に入って行く(6時50分撮影)。
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 レストランの近くでバスを降りたのは7時10分ごろだったか。
 そして、食後に外に出て撮ったこの写真が8時36分(けっこう時間がかかったが、この日は料理が出てくるのがゆっくりだったのである)。
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 レストランはこのビルの何階かにあった。
 あたりはかなり繁華な通りである。
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 再びバスに乗って、ホテルに着いたのは午後9時18分だった。
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 フロントで手続きをしている、
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 白いポロシャツの男性が添乗員、左にいる黒っぽい服の女性がガイドの徐さんである。宜昌で入れ替わって帰りの空港まで同行した彼女は、なかなか気さくでハキハキした人だったので良かった。
by krmtdir90 | 2018-09-28 19:00 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑧長江5・三峡ダム~宜昌~岳陽(2018.9.9)

9月9日(日)

 三峡の3番目に当たる西陵峡(せいりょうきょう)は、途中に三峡ダムが出来たことでその景観を大きく変えてしまったようだ。それでも三峡クルーズは、ダムに付随した5段式閘門(こうもん)を通過することで継続していたが、つい最近になって貨物船以外はこれを利用することが禁止され、船はダムより下流には行けなくなってしまったらしい。これは船を垂直に昇降させる巨大エレベーターが2016年に完成したことが関係していて、クルーズの乗客はすべて、これ専用の船に乗り換えて下流に移動することになってしまったのである。
 このため、従来は下流の宜昌(ぎしょう)まで行って昼ごろ下船となっていたものが、朝に下船して専用の船に乗り換えるというふうに変わってしまっていた。添乗員もこのやり方は初めてだと言っていたが、この日は朝6時から朝食、7時半から下船開始というタイトなスケジュールになっていた。スーツケースも6時までに廊下に出さなければならなかったが、まあ、高齢になってからは朝早いのはそれほど苦になることではないのですね。

 チャイナゴッデス1号は、すでに三峡ダムの乗り換え用船着き場に停泊している。
 朝食を終えて、7時ごろサンデッキに行ってみた。
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 この日もいい天気で、暑くなりそうだった。
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 周囲にはわれわれと同じようなクルーズ船が何隻も泊まっていた。↑この写真、ちょっと判りにくいが、右寄りのはるか後方に三峡ダムのコンクリート壁が見えている。

 7時半から順次下船となった。そのまま浮き桟橋を伝って、エレベーター通過のための専用船に乗り込む。
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 この船には、今朝集まっていたクルーズ船の乗客がみんな乗船することになるらしい。ので、われわれが行った時には2階の比較的ゆったりできるソファは全部埋まってしまっていて、1階の何とも味気ない席に座ることになってしまった。まあ、仕方がない。
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 8時に船は桟橋を離れた。
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 座席のある大部屋は両側が大きなガラス窓になっていたので、しばらくはそこで写真を撮っていた。
 船はゆっくりとダムに近付いて行く。↓これは従来利用していた5段式閘門(こうもん)の上部と思われる(左側の窓から)。
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 ここを通り過ぎて、船は新たに利用する船舶エレベーターの方に向かっているようだ(右側の窓から)。
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 前方にそれがあるようだが、ここの窓からはその姿は見えていない(右側の窓)。
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 船はどんどん進入して行く(右側の窓)。
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 中に入ったようだ(左側の窓から)。
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 頑丈そうなワイヤーが何本も並んでいるが、これでエレベーターを昇降させるのだろう。
 インターネットで調べてみると、長さ120メートル、幅18メートルの巨大なプールに水と一緒に船を浮かべ、1200~1300トンの総重量で高低差最大113メートルを昇降させるのだという。三峡ダムは世界最大のダムとは言えないようだが、こちらは世界最大の船舶エレベーターだと繰り返していた。
 船が停止した。
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 プールの中に完全に入ったということである。

 ここでわたしはやっと気がついた。この1階の大部屋では人の動きがあまりないが、船には当然上部デッキが付いているはずではないか。で、妻と一緒に急いで階段を上った。
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 もっと早くここに来ていればよかったと後悔したが、考えが回らなかったのだから仕方がない。デッキにはすでに人がいっぱい出ていた。改めて、このエレベーターの巨大さを実感した。
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 われわれが出たのは後部デッキだったが、すでに船が進入して来た水面との間に仕切り壁が出現していた。
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 間もなくエレベーターが下降し始めた。
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 どんどん下降していく。
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 側面のワイヤー部分。
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 こんなに下がってしまった。
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 この壁の向こう側は水で、ものすごい水圧がかかっているということである。

 ここでまたわたしは気がついた。こちらにあるのだから、前部にもデッキが付いているはずではないか。前方にはまだ水はないのだから、そちらが見通せているのではなかろうか。で、売店や飲食スペースの並ぶ屋内部分を抜けて、急いで前方に移動した。
 前部デッキはもっと混み合っていて、撮影できるところを確保するのに苦労した。
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 それでも、下降して行く最後の段階は写すことができた。
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 下の水面とほぼ同じ高さになったようだ。
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 エレベーターの動きが止まった。
 この高さを降りて来たのである。
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 仕切り壁がなくなるところは見逃している。たぶん水中に沈んで行ったのだろう。
 遮断機が上がっていく。
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 向こうの水面と完全につながった。
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 船はゆっくりと進み始めた(振り返ったかたちで上を見ている)。
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 これが前方。
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 カメラのデジタル記録を確認すると、船がエレベーター内にいたのは25分ほど、昇降に要した時間は9分ほどだったと思われる。

 ここで再びわれわれは後部デッキに移動した。エレベーターを出るところは、後ろから見た方が施設全体を捉えられると思ったからである。
 後部の仕切り壁が見えている。
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 写真だとなかなかスケールが伝わらない気がするのだが、ここに大きな船が入って降りて来たのである。
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 遮断機が閉まろうとしている。船は水路の方に出て行く。
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 デッキも空き始めていたので、エレベーターを背景にして記念写真を撮ったりした。
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 そのあと1階の大部屋の方に戻った。
 船は5段式閘門(こうもん)の前を通過した。
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 こちらからだと5段になっているのがよく判る。
 このあと船はダムの下流の長江を少しだけ航行した。
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 10時40分過ぎに船着き場に着いた。順次下船。
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 堤防の上にバスがたくさん停まっている。
 われわれが乗った船は長江三峡5号というものだったようだ。
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 このあとは、バスで5~6分走ってダムに近い建物に連れて行かれ、全員が空港で行うような持ち物検査を受けた。ダムの敷地内は厳重に警戒されているということらしかった。
 チェックの後は別のバスに乗り換え、また5~6分走って山の上の展望台に向かった。
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 ここは壇子嶺展望台というところだったようで、バスを降りると三峡工程模型室という建物があり、
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 この中で模型を前に説明を聞いたあと、
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 斜面に設置されたエスカレーターを乗り継いで上に上った。
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 そこには噴水があり、
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 右手にドーム状をした展望台が建っていた。その上からの眺め。
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 ダムを望遠で。
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 距離が遠く、船舶エレベーターの建物が邪魔になってしまって、それほどの眺めとは思えなかった。
 反対側には5段式閘門(こうもん)も見えていたが、これも構造が判る感じではなかった。
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 下に下りて、帰りがけに撮った一枚に展望台の建物が写っている(左)。
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 このあとは、この緩やかな坂を徒歩で下りた。
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 途中でダムがよく見えるところがあった。
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 5段式閘門(こうもん)も。
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 こちらは上流側である。
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 これは移動用カートの乗り場。
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 カートに乗る時、列の関係で2台に分乗となってしまった。先のカートに乗ったので、降りたところで写真が撮れた。
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 かなり水面に近いところに来ている。すぐに次のカートもやって来て、
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 徒歩で向かった先がここ。185展望台と言うらしい。
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 ここはダムにぐっと近付いた展望台で、
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 185というのは、ダムの堤高である185メートルと同じ目線で見ることができるという意味だったらしい。
 ここで記念写真を撮ったりした。

 以上で三峡ダムの見学は終了したが、大きいことは判ったが、ダムとしての魅力はあまり感じられなかった。わたしの好きなロックフィルダムや、コンクリートでもアーチ式ダムの美しさにはかなわないと思った。
 また、このダムには、建設途上で140万人が強制移住させられたとか、三峡を始め多くの名所旧跡や文化財が水没したとか、様々なマイナスイメージがついて回り、あまり好感は持てない気分があったのである。完成後も、川岸で地滑りや崖崩れが頻発したり、水質汚染が生態系に悪影響を及ぼしているなどと指摘され、手放しで喜べない様々な問題が発生しているようだった。わたしも実際に来てみて、石宝寨や白帝城の現況に触れ、三峡の状況を見た後では、このダム建設が本当に意義あるものだったのか、疑問を感じないではいられなかったのである。

 さて、この日の午後は移動になっていた。まず、バスは長江下流の宜昌(ぎしょう)に向かった。
 宜昌市内に入って少し走ったが、建設中の高層マンションが少し見られた程度で、
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 比較的低層の、古いマンション(アパート)などが多い感じだった。
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 12時50分ごろ、バスは長江沿いの三峡遊客センターという建物の駐車場に入って行った。今朝チャイナゴッデス1号を下船した後、別便で陸路を運ばれたわれわれのスーツケースがここに届いていて、グループごとにこれをピックアップしてから、それぞれのコースに分かれて行くという段取りになっていた。また10人のツアーに戻ったのである(ただし、このあともコースが重なっているグループがけっこうあったようで、いろいろなところで顔を合わせることになった)。
 ここは短時間で終わるはずだったようだが、ここで乗り継ぐバスが到着していなかったり、ここで交代するはずの次のガイドも遅れたりといったことが重なり、出発までに思いのほか時間がかかってしまった。で、昼食のレストランに到着したのは午後1時40分過ぎだった。
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 レストランを出たのは2時半ごろだったか。以後は高速道路などを使いながら、今晩の宿泊地・岳陽に向かった。
 途中で立ち寄った2つのサービスエリア。
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 空はすっかり曇ってしまったが、雨の心配をする感じではなかった。↑この2枚目の撮影時刻がちょうど午後6時である。

 岳陽の市内に入った頃には、あたりはすっかり暗くなってしまっていた。計画ではホテルに入ったあと改めて夕食に出ることになっていたが、遅くなったので、直接レストランの前にバスを着けてくれた(この左手に店がある)。
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 店に入ったのが午後7時、出たのが8時ごろだった。
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 ↑これ、店の写真だが、なぜかものすごい露出不足で、かなり修正したのだがこのくらいまでしか改善しなかった(下の方がモノクロのようになってしまった)。
 店の前の通り。
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 この通りを右に少し歩くとホテルがあるということだった。
 見えてきた。
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 岳陽大酒店。
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 ホテルの前は交差点になっていて、その先に見えていたこれは、行ってみることはできなかったが鉄道の岳陽駅だったようだ。
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 部屋に入ったのは8時半に近かったと思う。

by krmtdir90 | 2018-09-27 17:24 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の旅⑦長江4・三峡(2018.9.8)

9月8日(土)続き

 12時少し前に、チャイナゴッデス1号は白帝城の船着き場を出航した。
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 船はこれから三峡の一つである瞿塘峡(くとうきょう)に入って行くのである。
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 とりあえずサンデッキに出てみたが、この船は乗客数が多い割にサンデッキが狭く、さらにイルミネーションなどの障害物が周囲を遮るかたちになっていて、写真撮影に適したところは限られるためかなり混み合っていた。豪華クルーズ船を謳うにしては大事なところの作りに配慮がなく、日除けもないから、日差しを直に受けて暑かった(晴れていたのは良かったんだけどね)。

 前方に、午前に見学した白帝城が近付いてきた。
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 橋とは反対の方を通り過ぎて行く。
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 さっき展望台から見た蘷門(きもん)に入って行く。
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 川に張り出した桟道のようなものが見えた。
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 観光用に架けられたものだろうか。
 蘷門(きもん)の特徴的な岩山を過ぎて行く。
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 水面に接する岩山の下部が白っぽくなっているが、
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 増水時にはここまで水が来るということだろう。
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 すでに瞿塘峡(くとうきょう)に差し掛かっている。
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 三峡ダムが出来たことでこのあたりの水位がどのくらい上がったのかは判らないが、ダムの地点で100メートル以上、重慶でも6メートル上がったということだから、たぶん5~60メートルは上がっていると考えられる。少なくとも、いま見えている水面より遥か下方に流れがあったことは確かで、両側の崖も急峻なまま、もっとずっと深い谷底に落ち込んでいたのだろう。
 急流が連続した三峡だったからこそ、「千里江陵一日還(千里も離れた江陵までたった一日で帰って来た)」という李白の詩句も成立したのである。

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 いまの景色からも、このあたりが「萬重(ばんちょう)の山」に囲まれた渓谷だったことは理解されるが、これはもう昔の姿ではないと思うと非常に残念な気がした。水位が上がったからこうした大型船でクルーズできるようになったのも事実だろうが、次々に現れる岸の岩山の景観は、どうしても物足りないように感じてしまうのをどうすることもできなかった。
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 デッキではガイドがマイクで説明してくれているのだが、次の写真。
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 急斜面に畑が作られていて、矢印のところに一軒の家があるのだという。隔絶されたこんなところに住んで、野菜などを作って生活している人がいるらしい。
 反対側の斜面にも畑があって、その下に船着き場ができていた。
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 これが唯一の交通手段になっているらしい。
 12時半を過ぎた。
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 瞿塘峡(くとうきょう)も終わりが近い。瞿塘峡は三峡の中では最も距離が短く、約8キロということだった。

 昼食の準備が出来たという放送があったので、三々五々2階のレストランに下りて昼食となった。
 食後は船室で休憩した。しばらくは三峡の中休み区間のようなところで、以下は船室のベランダからの景色。
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 町が見えてきた。
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 この町は、三峡ダム完成後に、水位の上昇に合わせて新たに作られた町と思われる。
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 川の水位が上昇したことによって、水面下に沈んだ町や村もたくさんあったのだろう。
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 午後1時50分ごろ(だったと思う)、三峡2番目の区間・巫峡(ふきょう)に入るという放送があった。ベランダに出てみた。これが前方、
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 これが後方である。
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 放送はサンデッキへお越しくださいと言っていたが、たぶん混み合うだろうし、ベランダからでも十分見えると判断して部屋にとどまった。われわれの船室は進行方向左側にあって、ちょうど順光の状態で景色を見ることができたからである。ガイドの説明は聞けないから見どころを外しているかもしれないが、まあ、それでもいいではないか。

 それにしても、素晴らしい天気になったものである。
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 写真もたくさん撮った。並べ始めるときりがないのだが、まあいいだろう。
 はるか高みに、岩山から張り出したような道が出来ている。
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 山頂には見晴台のような小さな建物が2つ建っていて、左の方から登って行く階段状の道もついている。さらに船が進んで行くと、道の起点になるあたりに何か立派な建物があるのが見えた。
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 向こう側から到達するようになった展望台と遊歩道といった感じだろうか。
 巫峡(ふきょう)は全長40キロもあるということで、次々に変化のある光景が展開した。
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 周囲の山々は褶曲作用で出来たものらしく、地層(節理と言うのか)がそのまま見て取れるところがたくさんあった。
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 節理の境目(割れ目)に沿って植物が生えているので、その傾きなどがよく判った。
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 様々な岩山。
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 萬重(ばんちょう)の山である。
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 次は、観光客向けに作られた、船で立ち寄る展望施設だろうか。
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 こちらの中腹(左寄り)に見えているのは何だろう。
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 展望台にしては小さい感じだし、それに、どうやってここまで行くのか判らない。
 ほとんど垂直に切り立った崖。
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 こちらでは、斜めになった地層(節理)がそのまま水中に没して行っている。
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 その先端に、やはり船で行くらしい建物が。
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 建物から左上に向かって階段が付いていて、その先に展望台のようなものが見えている。
 時折、何かの作業船や貨物を載せた船とすれ違う。
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 進行方向の景色。
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 こうして両岸が見えていると、どうしても水面が上昇する前の、このままさらに6~70メートル下まで落ち込んでいた岩壁のことを想像してしまう。いまでも十分に凄いことは判るが、昔はもっと、信じられないくらい凄い峡谷だったのだろうなと考える。それがダムによって失われてしまったというのは、取り返しのつかない損失だったのではないだろうか。

 午後2時半ごろ、船は速度を緩め、大きくUターンするようにして、水面に浮かんだ船着き場に近付いて行った。
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 ここで小さな船に乗り換えて、神女渓(しんにょけい)という支流をクルーズするのだという。
 放送で下船し、浮いた桟橋を伝って行くと、前方に屋根付きの小船がぎっしり並んでいた。
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 船内。
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 立っている女性は、船ごとに付くガイドである(もちろん中国語)。

 乗船が終わった船から順次出発した。後部に屋根のない小スペースがついていたので、そちらに移った。そちらの方が自由がきくし、写真を撮るにも好都合である。立つと危ないからベンチに座りながら行ったが、風を受けて気持ちよかった。
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 神女渓(しんにょけい)はもともと、人のほとんど入らない未開の渓谷だったようだが、ダムで水位が上がって奥に入れるようになったため、三峡クルーズの新たな観光拠点として整備されたものらしい。三峡の方は川幅も広がって、どことなく迫力に欠ける感じになってしまったので、狭い神女渓の方でそれを感じてもらおうということだったようだ。

 最初は川幅も広かったが、
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 次第に狭まってきて、
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 両側の断崖が間近に迫ってくるようになった。
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 板を重ねたような岩の節理が鮮明である。
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 切り立った崖が続くが、もちろんこの水面下にさらに崖は落ち込んでいたのだ。
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 この高い崖、
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 はるか上の方に道が刻まれている。
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 さらに望遠で寄ってみる。
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 下から見る限り、人一人やっと通れるかどうかという窪みである。どうやって刻んだものなのか、本当に人が通ったものなのか、人工的なものであるのは確かだからたぶん通ったのだろうが、ちょっと想像を絶するところがあると思った。
 船はどんどん奥に入って行く。
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 こちらでは、岩が鍾乳石になって垂れ下がっている。
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 次々に現れるダイナミックな風景に目を奪われていると、
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 川面に思いがけず、大きなステージのようなものが出来ていて、人が集まっている横を通り過ぎた。
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 後方ばかり見ていたので気付くのが遅れたのだが、行き過ぎたところに水面に浮かんだ船着き場があり、そこで下船して、左の浮橋をたどってステージの方に行くよう促された。
 行くと、そこはこういう感じになっていて、
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 待っていた若者たちが、けっこうな音量で歌と踊りを何曲かやって見せてくれた。趣旨としては歓迎ということだったのだろうが、なんか、あまりに予想外の展開で驚いてしまった。最後には中国人観光客が出て行って、ステージの回りで一緒に踊り始めたりして、中国の人たちのセンスというのは、時々まったく理解できないことがあると思った。
 10分ほどのステージが終わると、再び船に乗って、来た道を戻るのである。これが神女渓の奥に浮かんだ、違和感いっぱいのステージです。
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 帰路。
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 船中ではガイドの女性が歌を披露していた。
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 4時50分ごろ、もとの船着き場に戻った。
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 チャイナゴッデス1号はまた長江を航行し始めた。巫峡(ふきょう)はまだ続いていたようだが、ダムが近付いてきて水量も増し、川幅も広くなってきたようで、もう写真を撮る意欲も失われてしまった。
 途中一回だけ、たまたまベランダの外を面白い船が通ったので一枚。
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 乗用車(新車)を満載した船である。トラックなどより一度にたくさん運べるから、この方がずっと経済的なのだろう。

 6時から2階レストランで夕食。
 7時半から5階多目的室で、昨日に引き続き器楽演奏と変面ショーなどが行われた。
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 変面はやはり見事なもので、いくら目を凝らしても仕掛けはまったく判らなかった。
 こうして、好天に恵まれた三峡クルーズは終わり、船中泊最後の晩となったのである。

by krmtdir90 | 2018-09-26 17:25 | 海外の旅 | Comments(2)

中国の旅⑥長江3・白帝城(2018.9.8)

9月8日(土)

 起きた時は曇っていた。この写真の撮影時刻が6:24である。
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 ほぼ同じ方向を7:31に撮ったのが次の写真。
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 太陽も顔を出している。
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 このあと雲はどんどん取れていき、この日は一日中好天に恵まれた。暑くなったが、やはり青空と太陽がある方がいい。

 チャイナゴッデス1号はこの日の上陸観光地・白帝城近郊の船着き場に入っている。午前8時から順次出発となっていたが、人数が多いからどうしても遅れ気味になってしまう。
 船着き場を見ると長い階段があったが、階段を上るのは最初のところだけで、右手の屋根のついたところからはエスカレーターが付いていたので救われた。
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 エスカレーターを降りてから少し歩いた(前方の道路に出て右折)。
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 途中、何やら立派な門があったが正体は不明。
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 門の向かい側に「中国郵政」と書かれた小さなお店?が出ていた。
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 右脇に濃い緑色のポストが立っている。中国のポストはこういうものらしい(今回は結局、孫に出す絵ハガキを投函するチャンスがなく、最終日にホテルのフロントで出してくれるよう頼んできたのだが、まだ届いていない)。
 歩いて行った先がバス乗り場になっていて、次々発着しているこのシャトルバスで白帝城の入口まで行くのだという。
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 バスは5、6分走って入口に着いた。で、入口ゲートを出ると、
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 白帝城と、そこに通じている橋が見えた。
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 橋はけっこう長かったが、吊り橋ではなかったので良かった。途中、ちょっと横に出られるところがあったので、そこから一枚。
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 白帝城は現在では長江に浮かぶ小島になってしまったが、もともとは川沿いに少し張り出した岩山だったらしい。三峡ダムによって水位が上昇したため、石宝寨と同じく往時の景観が失われてしまったものだった。三峡ダム建設は現代中国を象徴する一大国家プロジェクトだったようだが、それと引き換えに多くのものが犠牲になったことも忘れてはならない事実なのだろう。一党独裁の政治体制下で、国家の威信と結びついた大事業の前では、歴史的遺跡や景観というようなものは二の次にされたということなのである。

 橋を渡り切った先が広場になっていて、大きな銅像が立っていた。
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 白帝城は蜀の皇帝・劉備が没したところだから、てっきり劉備の像だと思っていたら、彼に仕えた諸葛孔明(諸葛亮)の方だった。

 さて、白帝城では300段を超える(インターネットには358段と書いてあった)石段を登らなければならないと予告されていた。自信のない人は60元で駕篭をチャーターできると添乗員が言っていたが、これはお金の問題ではなく矜恃の問題である。高所恐怖症で階段が怖いからと言って、自分の足で登らなければ行ったと胸を張ることはできない。駕篭を選んだ人たちを横目に、右の方に続く順路に向かった。
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 石段が見えてきた。
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 決して緩やかな石段ではないが、手摺りにつかまりながらゆっくり行けば何とかなるだろう。途中に駕篭の姿が見えているが、腰を落としてV字になったお客を前後二人が担いで登る(下る)もので、けっこう勢いをつけて行くので、乗った人にあとで聞いてみたら非常に怖かったということだった。

 で、私の方だが、この石段は(正直言って)いままで経験した石段の中で一番怖かった。300段もの間、一度も踊り場がなかったのである。こんなのは初めてだった。立ち止まって息を整えようにも、広いところがないのだから石段の途中に立ち止まるしかなく、そんなところでバランスを崩したり、誰かにぶつかられたりしたらどうしようと不安になってしまって、ちょっと大袈裟だが、まったく生きた心地がしなかった。 
 あと数十段になったところでようやく唯一の(最初で最後の)踊り場にたどり着き(狭かったけれど)、やっとカメラを構える気になれた。
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 白帝城と書かれた門がある。ここで記念写真を撮り合ったりした。しかし、下を見るとやはり目が眩む(右のお兄さんは駕篭を担ぐ人である)。
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 最後の石段をやっと登り切って門をくぐった。
 インターネットを見ていると、水面が上昇する前はこの3倍の石段を登らなければならなかったと書かれていて、この点に関してだけは三峡ダムに感謝するしかないと思った。

 門の先はちょっとした広場になっていて、白帝廟と書かれた建物の入口(門)があった。
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 右手の塀の前に石碑が幾つか建っていた。
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 次は、同一の詩を異なる人が揮毫したもので、これは毛沢東。
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 これは、右が周恩来、左が江沢民である。
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 江沢民のものが読みやすいが、詩は李白の「早發白帝城(つとにはくていじょうをはっす)」である。「朝辭白帝彩雲閒/千里江陵一日還/兩岸猿聲啼不住/輕舟已過萬重山」。横書きでは訓点を施すことはできないが、すべて現代仮名遣いの平仮名で書き下すと次のようになる。「あしたにじすはくていさいうんのかん/せんりのこうりょういちにちにしてかえる/りょうがんのえんせいないてやまざるに/けいしゅうすでにすぐばんちょうのやま」(訓読の仕方には異なったものもあるが、わたしが覚えたのはこれである)。
 わたしには何とも懐かしい漢詩なのである。口語訳もしてしまいたい気分だが、さすがにそれはやめておく。

 さて、白帝廟に入る前に少し下の展望台(非常に狭いところ)に行き、三峡の始まりである瞿塘峡(くとうきょう)の蘷門(きもん)というのを遠望したのだが、この時の写真がうまく撮れていないので、これは帰路にもう一度立ち寄った時に。

 白帝廟の門を入ると、正面にこういう建物があり、
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 狭い前庭の左右に、鶴と、
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 龍がいた(角度が悪くて判りにくいのだけれど)。
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 建物の中には、確か白帝城の由来とか変遷などが書かれたボードや写真などがあったと思うが、どうも記憶がはっきりしない。
 次の建物も、
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 次の建物も、
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 中に入ったと思うのだが、写真もないし、あまり面白いものはなかったのかもしれない。
 あと、船に乗った時に李さんの後を引き継いだガイドが、年配の男性だったのだが、日本語が下手で何を言っているか判らないことが多かったのである。説明の量もガタッと減ってしまったので、それで印象に残らなかったということもあるかもしれない。ガイドの善し悪しは重要なのである。

 このあと左方にあった回廊のようなところに行ったと思うが、そこには三国時代のいろいろな武将が祀られているようだった。帰ってからインターネットで調べているのだが、次が劉備で、
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 こちらは張飛(左)と関羽(右)だったようだ。
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 これは諸葛孔明で、
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 最後のこの建物では、
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 この地で病臥し亡くなることになる劉備(奥の寝台にいる)が、諸葛孔明(左に立っている)を始め重臣や息子たちを前に、後を託す最期の言葉を伝えているシーンが再現されていたようだ。
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 白帝城は、前漢末に公孫述という武将が築城したのが始まりで、白帝廟はみずから白帝と称した彼の廟として作られたものだったようだ。だが、その後の様々な変遷を経て、いつの間にか三国志の英雄たちを祀る場に変化してしまったということらしい。
 まあ、いろいろ調べてはみたが、実はこんなことはどうでもいいことなのであって、それよりもここが古くからの景勝の地として、李白を始めとする多くの詩人・文人に愛されてきたということの方が重要なのだと思う。そこにわたしも自力で登ったということが大切なことなのだ。

 回廊の前の庭には特徴的な屋根を持った鐘楼があり、
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 これを背景にして記念写真を撮ったりした。
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 陰にこんなガジュマルの木があって、この脇から廟の建物の裏手に抜けて行った。
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 そこは休憩所やトイレなどが整備された場所で、ここから帰りのルートになるということらしかった。
 建物の壁にいろんな書を彫った石板などが掛かっていて、そこで拓本を取っている人がいた。
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 ここにもまた李白の詩があったが、誰の書なのかは判らなかった。
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 山上の建物をぐるりと一周するようなかたちで歩いて行き、最初に行った蘷門(きもん)の展望台に立ち寄った。さっきは混み合っていたが、今度は空いていて、ゆっくり記念写真などを撮ったりした。
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 この先から三峡の一つ、瞿塘峡(くとうきょう)が始まるのである(縦サイズで)。
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 この展望台の横から下りの石段が始まっていて、こちらは最近新しく整備されたものらしく、傾斜も緩やかだったし、一定間隔で踊り場も付いていたので楽に下りることができた。
 行きの順路と違って広々とした帰り道。
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 諸葛孔明の像の後ろ姿。
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 さっきの橋を戻る。
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 途中、何やら大きな工事が行われていた。こんなところに何を作るつもりなのだろう。
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 再びシャトルバスに乗って帰った。船着き場の下りエスカレーターで船に戻った。このあたり、写真を撮っていないので時間が判らないのだが、たぶん11時半を過ぎていたのではないかと思う。

 12時前に、全員帰船したことを確認して船は出港したのだが、このあといよいよ三峡に差しかかって写真も増えそうなので、この日は2回に分けて掲載することにする。
 なお、明日からちょっと予定があって、この連載の続きは数日後になると思うので了解していてください。
by krmtdir90 | 2018-09-21 21:30 | 海外の旅 | Comments(0)


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