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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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カテゴリ:日常、その他( 65 )

パソコン復活!(感想文の行方)

 パソコンの修理が昨日完了した。データファイルも無事救出されて(よく判らないが、かなり難しかったと言っていた)、外付けハードディスクに入ったかたちで戻って来た。内蔵のハードディスクは(老朽化で)相当ひどい状態になっていたようで、結局まるごと交換ということになってしまった。ただ、ここで従来型のハードディスクではなく、SSDという最新のものと入れ替えてくれたので、パソコンの動作がかなり速くなったのにはびっくりした。
 このパソコンは購入して8年ほどが経つと思うが、今回、ハードディスクというのは消耗品であって、時期が来れば壊れるものなのだということを知ったのは収穫だった。修理屋が教えてくれたのは、普段からデータは外付けハードディスクの方に保管して、必要なファイルだけパソコンに持って来て作業するのが安全だということだった。いままではすべてのデータをパソコン内に溜め込んでいたから、これだとディスクの容量も圧迫してしまうし、今回のようなことを考えるといいことはないと教えられた。
 結局、今回はディスクを入れ替えた訳だから、Windows10は入れてもらえるが、その他のアプリなどは(どうでもいいようなものが多かったが)すべて失われてしまった。そのため、すぐに必要な一太郎は新たに買ってきてインストールすることになってしまった。高い授業料になってしまったが、まあ仕方がないということである。


 というわけで、書きかけのコピスの感想文と4日ぶりに再会できた。早速、続きを書かなければと思ったが、この空白はかなり大きかった。まだまったく手をつけていない学校もあるのだが、記憶はどんどん薄れていることが判った。困ったことになったぞと思いながら、とりあえずこんな報告の文章を書いているのである(再度気持ちを高めるための助走ですな)。う~ん、早く書かなければ。
 なお、今回は日にちも経ってしまったので、このブログに感想文を掲載することはしないつもりです。29日(金)の最終実行委員会で顧問の先生にお渡ししますので、上演校の皆さんは、もし興味があったらそれを見せてもらうようにしてください。


by krmtdir90 | 2018-06-25 16:45 | 日常、その他 | Comments(0)

諏訪湖の御神渡り(2018.2.9)

 先週、5年ぶりに諏訪湖の御神渡りが出現したと報じられたので、お酒の買い出しのついでに見てこようとしたら、妻も行くというので、久し振りに2人で日帰りドライブをしてきた。

 事前に調べて行かなかったので、どのあたりで見られるのか判らず湖岸の道を走っていたら、人だかりがしているところがあったので、少し離れた駐車場に車を止めて歩いて行った。
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 率直な印象を言えば、それほど大したものとは思えなかった。岸から遠望するだけなのでそう感じたのかも知れないが、もう少し隆起しているかと想像していたのである。
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 湖は全面結氷したとはいえ、氷はあまり厚くなっていないようで、厚さにかなりムラがあるのが見て取れた。御神渡りより、湖岸に押しつけられて盛り上がった氷の方が印象的だった。
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 酒蔵(舞姫)で応対してくれた青年に聞いてみたら、久し振りの出現だが高さが足りないと言っていた。
 いつになく寒い日が続いているように感じるが、以前はまだまだこんなものではなかったのかもしれない。20年ほど前に、湖岸通りから初島まで子どもたちも一緒に歩いて渡った記憶があるのだが、いまとは比較にならないくらい厚い氷が張っていたのだろう。

*御神渡り(おみわたり)とは:全面結氷した湖面が昼夜の寒暖差で収縮と膨張を繰り返し、長い亀裂ができて盛り上がる現象。マイナス10度以下の日が1週間ほど続く必要があり、近年の温暖化でなかなか出現しなかった(全面結氷しない年も多かった)。諏訪湖では、地元・八剱(やつるぎ)神社の宮司の見立てにより出現が宣言される。湖を挟んで向かい合う諏訪大社・上社の男神が、下社の女神に会うために湖上を通った跡とされている。

*帰ってから調べてみると、幾つかビューポイントというのがあったようで、それを丹念に回ればもう少し隆起したところも見られたかもしれない。というのが、いつもわたしの後の祭りパターン。
by krmtdir90 | 2018-02-10 12:05 | 日常、その他 | Comments(1)

猫の最期

 我が家の猫のサスケが昨日(11月11日)の17時20分に息を引き取った。享年15歳、雄のロシアンブルーだった。慢性腎不全の末期と診断され、もういつ亡くなってもおかしくないと言われていたのだが、結局40日ほど生き長らえたことになる。食事をほとんどしなくなってガリガリに痩せてしまったが、皮下点滴を継続したことがそれなりに効果があったようだ。
 最初のうちは病院に連れて行ってやってもらっていたが、大変なので末娘がやり方を教わって、後半は仕事から帰って来て家でやるようにしていた。ただ、衰弱とともに液の吸収が悪くなっていくようで、このところは一日おきの実施になってしまっていた。

 この間、元気な時はもぞもぞ動いたり、近くに行くと顔を上げてこちらを見たりして、ニャアという鳴き声をもう一度聞くことはできなかったが、猫なりに精一杯頑張っていたのだろうと思う。
 昨日は、朝の段階で急に呼吸が荒くなり、かなり苦しそうな様子が見えて、その後一旦落ち着いてぐったりと休んでいたが、夕方になって再び苦しそうにしていると妻に呼ばれて行ってみると、すでにほとんど動きがなくなっていた。ただ、最後にグッと小さな声を出すところには立ち会うことができた。それが最後になり、以後はまったく反応がなくなってしまった。

 末娘がネットで調べて予約を取り、きょう(12日)の午前中、高尾にあるペットの葬祭場で骨にしてもらってきた。いろいろなやり方があったようだが、一応一番丁寧なかたちの「立会火葬」というものにしてもらい、近くに住む次女と孫たちもやって来て、人間の場合とほぼ同じ段取りで骨壺に収めてもらった。
 骨は一旦家に持ち帰り、一年以内であれば葬祭場が引き取って、付属の墓地に合祀してくれることになっているらしい。火葬を待つ間に墓地の方にも行ってみたが、林間のこぢんまりしたところに、円形の合祀墓と個別の墓などが並んでいた。なるほどと思ったが、個別の墓までは必要ないということでみんなの意見は何となく一致した。

 病気を早期に発見してやることはできなかったが、猫としてはそれなりに恵まれた一生だったのではないかと思っている。
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by krmtdir90 | 2017-11-12 17:23 | 日常、その他 | Comments(2)

フェイスブック

 一ヶ月ほど前にツイッターのアカウントを作ったが、興味のあるページをフォローするだけで、自分の方から何か書き込みたいという欲求があったわけではない。とりあえず、いまのところはブログというやり方が自分に合っていると思っているし、それ以外のところに書き込み始めてしまうと、何か収拾がつかなくなってしまうような気がしたのである。
 一方で、ツイッターがこんなに簡単に始められるのなら、フェイスブックというのもちょっと覗いてみようかなという気分になってしまった。やってみると、こちらもあっけないほど簡単に始まってしまった。問題は、そこで何をしようとしているのかがまったく考えられていないことだった。

 フェイスブックを開くと、何か書き込む欄と一緒に、いきなり「知り合いかも」という一覧が表示されてびっくりした。どういう仕掛けになっているのか判らないが、そこには確かにわたしの「知り合い」の名前がズラリと並んでいたのである。さらにそれぞれの下には「友達になる」というボタンがあって、どうやらそれをクリックするとその人とダイレクトにつながることができるらしい。
 ここでわたしに躊躇する気持ちが生まれた。わたしは古い人間だから、「友達になる」ということは簡単なことではないと思っているし、また、それを維持していく難しさや心構えといったことについて、かなりいろいろな要素が絡み合っていることが身に染みているのである。もちろん、それ故に「友達」とか「知り合い」とかはとても大切なものだと思っているし、いまあるものがこれからも続いていけばいいなと心から願っている。
 だが、その気持ちと目の前にある「友達になる」ボタンとは簡単に結びつかないように思ったのである。そんなに簡単にこちらから一方的な「友達宣言」をしてしまっていいものなのか……。ただ、これはその後、このボタンを押すと相手方に「友達リクエスト」というものが届き、相手がそれを「承認」したときにだけ相手との回路が開かれることが判った。

 これが判ったのはここ数日のことで、先週行われた「同窓会」からの経緯によるものである。卒業生との会話の中で、フェイスブックなどはやらないのかという話題になり、実は少し前にアカウントを作ってみたのだと正直に言ってしまったことが始まりだった。ぜひ活用してくださいという話になり、今回の同窓会の準備にはフェイスブックの利用者が「グループ」を作って、そこでのやり取りが重要な役割を果たしたのだということを教えられた。
 翌日、会のお礼などを書き込めたらと思い、言われた「グループ」の名前を探していたら、これも簡単にその中に入ることが出来てしまった。ともあれお礼の言葉は書き込んだが、その後がすごいことになってしまった。卒業時に担任だった卒業生などから「友達リクエスト」が届くようになり、ちょっと躊躇の気持ちはあったが、スルーしてしまうのも悪いので「承認する」ボタンを押してしまうことになった。遙か昔の卒業生がいまだにわたしのことを忘れずにいてくれて、こんなふうに働きかけてくれることが嬉しかったということもある。

 卒業生の「友達」が10人を超えたところで、そのことをお祝いするようなフェイスブックの表示が出て、そのあたりで少し考えてしまうことになった。ツイッター同様、わたしはフェイスブックに今後何かを積極的に書き込もうという気持ちはないし、この状態はありがたいことだけれど申し訳ない状態でもあるのではないかと思い始めた。そもそも遙かに年齢の離れた卒業生とわたしが「友達」であるというのも気恥ずかしいことだし、そう思ってくれることは嬉しいが、そうなってくるとますます何も書けなくなってしまうような気がしたのである。
 で、昨夜そのことをちょっと書き込んで、一旦の区切りをつけることにした。わたしなどが「グループ」の周囲をいつまでもウロウロするのはおかしなものだし、フェイスブックが作り出した楽しい関係は十分に受け止めさせてもらった。「承認」した「友達」の関係はそのままにしておくが、わたしがこの先フェイスブックを活用する気になるかどうかはまったく未知数と言うしかない。

 いまはとりあえず、一番最初に表示されていた「知り合いかも」のリストの中から、幾人かに「友達リクエスト」を出してみようかなと思っている。だが、実際どうなるかはわからない。あと、卒業生の書き込みの中に、ブログへの「リンク」を貼ってほしいというものがあったので、これはやっておこうかなと思っている。ただし、わたしはブログの中でも「リンク」という機能を使ったことがなく、恥ずかしながらそのやり方が判らないのである。だから、これからいろいろ調べてみて、やれるようになったらという不確実な話なのである。
by krmtdir90 | 2017-11-09 11:02 | 日常、その他 | Comments(2)

所沢高校1987年卒同窓会(2017.11.3)

 11月3日(金)、所沢高校1987年卒の同窓会があり、招待されて出席してきた。30年ぶりの再会となると、果たしてどれほど覚えているものか自信がなく、卒業アルバムを引っ張り出して少し予習したが、覚えていなくても仕方がないと開き直るしかなかった。当時は45人規模の10クラス編成という時代で、担任クラスも各学年でクラス替えがあったため、単純計算で135人を受け持っていたことになる。教師の側から言うと、この生徒たちの外にも各学校でたくさんの生徒を担任しているのだから、それをいつまでも覚えているなどとてもできることではない。
 会場は池袋のサンシャインシティ・プリンスホテル地下のバイエルンというレストランで、駅からだと徒歩でかなりの距離があった。普段まったく行くことのない池袋の人の多さに辟易としながら、何とかたどり着くまでに早くも疲れてしまった。

 事前の案内で、120人あまりの卒業生と7人の担任が出席すると聞いていたが、会場に入ると早くも大変な熱気で、次々に挨拶などをされて目が回るような忙しさが始まった。全員が首から名札を(当時の姓で)提げていてくれたのは助かったが、それでも次々に話しにやってくる卒業生に、その都度30年前の記憶をフル回転させて応対するのは疲れた。もちろん、そんなふうに懐かしがって来てくれて、いろいろなことを思い出させてくれるのは嬉しかったし有り難かったが、わたしがすっかり忘れてしまっていることを、彼らが鮮やかに覚えているというのはちょっと怖いことだなと思った。
 だが、けっこう多くの卒業生のことを覚えていたのでホッとした。かなり様子が変わってしまった(ように感じた)卒業生もいて、あまり思い出せなくて申し訳ないと思いながら話すうちに、当時の印象が不意に甦ってくることもあった。当時のわたしがこんなことを言ったとかこんなふうなことをしたとか、彼らの思い出の中にはわたしがしっかり刻まれているのに、言ったりしたりした当人の方がそれをすっかり忘れてしまっているというのは、仕方がないところはあるにしても、教師というのは何とも責任の重い(面白い?罪深い?)仕事だったと思い知らされた。

 1次会が1時から3時過ぎまで、会場を移した2次会が4時から6時過ぎまで、この2次会にも100人近い卒業生(担任は3人)が残って、とにかく延々と盛り上がりが続いたのは驚きだった。彼らが所沢高校での3年間をかけがえのないものとして大切にしていることが感じられて嬉しかった。この2次会で、ちょっと飲んでしまった勢いで「授業やるぞー」などと始めてしまったのは失敗だった。教材準備をしないで授業をやってはいけないのだと反省した(脱線であっても勢いだけではダメなのだ)。
 それにしてもこれほどの人数が集まるとは思わなかった。30年を隔てて、これだけの会を準備することはさぞ大変だったと思うし、それを見事に運営し切った幹事のみんなには大感謝である。この後も続いたらしい3次会以降は失礼したが、わたしはMさんと2人、会の余韻に浸りながらもう少し「静かなお酒」を楽しんで帰りました。
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by krmtdir90 | 2017-11-04 16:46 | 日常、その他 | Comments(6)

ツィッター

 ツィッターを始めた。
 「六十の手習い」という言い方は広辞苑にあるが、「七十の」というのはない。まあ、いいだろう。必要があれば始めるということだ。

 枝野幸男がたった一人で記者会見を開き、立憲民主党を立ち上げたのは10月2日だった。ああ、よかったなと思った。
 数日後、立憲民主党のツィッターのフォロワーが10万人を突破したというニュースが流れた。驚異的な増え方だという。これは、わたしも始めなければならないと思ったのである。

 始めるのは簡単だった。アカウントは簡単に作れた。一応、ツィートの仕方とリツィートの仕方を確かめた。だが、当面こちらから何か発信したいことがあるわけではない。

 以来、立憲民主党の動向を毎日チェックしている。なるほど、こんなふうに使われているのかと新鮮な発見があった。新聞やテレビでは見えないものがそこにはあった。
 このところ毎日が面白く、ワクワクしながらスマホをいじっている。立憲民主党は伸びるぞという直感が、具体的なかたちで日々確かめられるのは素晴らしいことである。

 枝野幸男は信頼できる政治家だと思う。そのことが共感を呼び、それがツィッターによって日々広がっていく。立ち上げから2週間足らずの党が、あっという間に広範な支持を獲得している。
 昔は考えられなかったことが、いまでは可能になっている。逆に、信用できない政治家はあっという間に支持を失う。
 枝野幸男の街頭演説は、行く先々で凄い聴衆を集めているようだ。その様子は、ほとんどその日のうちに、立憲民主党のツィッターを通して映像などで見ることができる。

 政治家の演説に胸が熱くなったのは、この歳になって初めてのことだ。
 枝野幸男は人の悪口を言わない。他の党を批判しない。この国の首相をはじめ、いつの間にか悪口や批判ばかりの政治家だらけになっていたことに気付かされた(わたしも反省しなければならない)。
 「右か左かではないんです。上からか下(草の根)からかが対立軸なんです」とか「保守とリベラルは対立しないんです」とか、言われてみれば当たり前のことを、この人は実に判りやすく説いてくれる。立憲主義と民主主義の何たるかを、明快に語ってくれる。
 最後の訴えはいつも、「誰々をよろしく」でも「立憲民主党をよろしく」でもない。「一緒にやりましょう」というものなのだ。

 ツィッターを始めなければ、こうしたものに触れることは出来なかった。スマホという文明の利器は、今回わたしの直感に十二分に応えてくれている。
 このブログではいままで政治的発言を避けてきたのだが、枝野幸男の演説は一度視聴してみる価値があるということは言っておきたい。選挙権を得たばかりの若い世代に、是非聞いて貰いたい内容なのだ。この歳になって、わたしも枝野幸男に多くのことを教えられた。

 とりあえず、いまのわたしにとって、ツィッターは立憲民主党と枝野幸男の動向を知るためのツールであって、それ以上のことは考えていない。
 これを抜きにしてしまうと、自分としては、どんなことをどんなふうに呟けばいいのか、いまはまったく判らない。
 今度旅に出たら、ちょっと呟いてみようかなと思っているが、猫の具合もはっきりしないし、天気も良くないから、なかなか計画を立てる気分になれないのである。

 わたしのアカウントは、呟き始めたらみなさんにお知らせします。
by krmtdir90 | 2017-10-16 21:19 | 日常、その他 | Comments(0)

 我が家にはサスケという名の猫がいるのだが、こいつが先月末あたりから急に元気がなくなって、最初は近所の小さな動物病院に連れて行ったのだが、よく判らないまま衰弱するばかりなので、末娘がネットで調べた設備のしっかりしていそうな動物病院に切り替えた。そこで血液検査やレントゲンなどを行った結果、慢性腎不全の末期という診断が下された。数値的にはもうどうやっても見込みのない(医師はもう少し婉曲な言い回しをしたが)ところに来ているという。突然の宣告で驚いたが、そう言われてしまってはどうにも仕方がない。助からないとしても、当面は可能な治療を施してもらうことにした。
 この病院は同じ市内とはいえ車で30分はかかるところなので、今月に入ってからはわたしと妻が毎日通院させることになった。一時はもうだめかという状態まで行ったのだが、毎日の皮下点滴というのが効いているのか、この一両日は少し持ち直した感じになっている。

 この猫の飼い主は娘たちと妻であって、わたしは基本的には距離を置いた傍観者だったのだが、こういう状態になってみると放ってはおけないし、けっこう可愛いと思っていたことを再認識させられた。みんなはサスと呼んでいたが、わたしは何となく照れくさい気分もあって、近くに来ると勝手にニャアと呼び掛けていた。最近はわたしが話し掛けると猫の方もニャアと返事をするようになっていて、そうなると悪い気分はしないものである。
 年齢は15歳だったようだから、人間に換算すると76歳ということになる(らしい)。少し足腰が弱ってきたかと感じていたのだが、腎臓が悪くなってきた影響もあったようだ。腎不全を示す数値は徐々に上がってきたものだから、老齢のせいだと納得しないで早めに医者に見せていればとも思うが、どこか悪いところがあるのではないかという発想は誰にもなかったのだから、辛いことになってしまったがこれは諦めるしかない。

 レントゲンでは片方の腎臓は小石くらいにまで縮んでしまっているらしく、食事をまったくしなくなってしまったこともあって、もう回復は見込めないということのようだ。このあとは、どのあたりで点滴を止めるかという難しい判断になるような気がしている。
by krmtdir90 | 2017-10-07 14:00 | 日常、その他 | Comments(0)

大エルミタージュ美術館展(2017.6.5)

 大エルミタージュ美術館展を観に、妻とまた六本木に行って来た。森アーツセンターギャラリーというのは六本木ヒルズ森タワー52階にあって、今回も新宿から地下鉄大江戸線を使って行った。
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 なぜこれに出掛けたかというと、実は8月にサンクトペテルブルグに行ってエルミタージュ美術館を見学する予定があって、その時は今回日本に来ている絵は観られないわけだから、やはりちょっと観ておいた方がいいかなと思ったのである。
 エルミタージュ美術館には17000点に及ぶ絵画コレクションがあるというから、実際にそこに行ったからといってどれだけのものが観られるのかまったく判らないのだが、今回はその中から選りすぐりの85点が展示されるというから、何となく本番前の予行練習のような気分もあったのである。

 今回の展覧会では「オールドマスター・西洋絵画の巨匠たち」というサブタイトルがつけられていて、16世紀ルネッサンスから17・18世紀のバロック・ロココに至る作品が選ばれていたようだ。
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 上は2つ折りのチラシを広げたもので、右はルカス・クラーナハの「林檎の木の下の聖母子」(1530年頃)、左はジャン=オノレ・フラゴナールとマルグリット・ジェラールによる「盗まれた接吻」(1780年代末・部分)である。
 次は、中に入ってすぐのところに飾られていた、一点のみ写真撮影フリーになっていた作品。ウィギリウス・エリクセンの「戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像」(1760年代)。
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 帝政ロシアの女帝エカテリーナ2世(在位1762~96年)は、エルミタージュ美術館の創始者とされている人である。
 わたしは絵画に関する知識もほとんどないから、名前を聞いたことのある画家も幾人かいたけれど、大半は知らない人の知らない絵ばかりで、でも名前にかかわらず、面白いなとか凄いなという感じの絵と、それほどでもないなという絵を勝手に見分けていくのは面白かった。
 様々な絵を眺めながら、これらが描かれたのはまだ写真のない時代だったということが大きいなと感じた。人物を描いたものでも風景を描いたものでも、まず何よりも対象を克明に再現する技術が根底にあるのだと感じた。その緻密さに驚きを感じる絵が多かった。

 52階からの東京の眺め(観終わったら1時半近くになっていたので、上の展望室には行かなかった)。これは新宿方向。
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 中央から左にかけての緑地は青山墓地、右下には先日ミュシャ展を観に行った国立新美術館も見えていた。
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by krmtdir90 | 2017-06-05 18:58 | 日常、その他 | Comments(1)

最近飲んでいるお酒

 中央高速を使って長野の方の酒蔵に定期的にお酒を買いに行くのが、もう15年以上は続くわたしのささやかな趣味である。このブログでも最初のうち何度か記事にしたが、記事としては同じようなことになるので最近は書いていなかった。ただ、昨年の半ばごろから通い始めた新たな酒蔵があって、このところずっとそこのお酒を飲んでいるので、ちょっとそのことを書いておくことにする。

 上諏訪には、甲州街道沿いの非常に狭い範囲に5つの酒蔵が建ち並んでいるエリアがある。
 一番歴史があって有名なのは「真澄」の宮坂醸造で、駐車場もしっかりあるから初めの頃はけっこう通った。だが、ここはかなり大きな酒蔵なので値段設定がやや高めで、季節のお酒などもだいたい定番になっていて、こちらの酒屋さんやスーパーなどにもほとんど置いてあるので、ここに行かなければ手に入らないものを探す楽しみは少なかった。新酒の季節の「あらばしり」(生酒)と秋口に出る「ひやおろし」は確かにここで勉強した?のだが、何となくもう判ってしまったような気になって、最近はあまり足が向かなくなってしまった。
 あとの蔵はいずれも小さなもので、「横笛」(伊東酒造)、「本金(ほんきん)」(ぬのや本金酒造)、「麗人」(麗人酒造)、「舞姫」(株式会社舞姫)の4つである。前の道路が昔の街道筋で、あまり広くないのにけっこう車の通行があり、路駐できる感じではないので行ったことはなかった。数年前に「麗人」が駐車場を整備したので寄ってみたが、その時の販売所の印象がどうも好きになれなくてそれっきりになってしまった。本当のところお酒の味などよく判らないから、通いたくなるには酒蔵の佇まいとか販売所の雰囲気は重要なことなのである。

 その後、この通りを通りかかった時、「舞姫」の蔵の並びのちょっと離れたところに「舞姫」の幟が一本立っていて、奥に数台の地元ナンバーの車が停まり、その前に2台分ほどのスペースがあるのに気が付いた。実は前から気付いてはいたのだが、前に停めてしまうと後ろの車が出られなくなってしまうので躊躇していたのである。しかし、いつ通っても同じような感じになっているので、これはもしかすると奥の車は蔵の関係者のものではないかとひらめいた。で、ここに停めて行って聞いてみると果たしてその通りで、そこでいいんですと言われて嬉しくなってしまった。
 次の写真は今年の1月に行った時に撮ったもので、右がこぢんまりした販売所になっている。
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 中央の通路のようなところが酒造場への入口になっていて、奥にそれなりの敷地と建物があるようだ。敷地は左手の方に延びていて、ちょっと先が道路につながる車の出入口になっているのだった。つまり、そこに関係の車がいつも停まっていて、その前をお客様用に少し空けているということのようだった。判ってしまえば何ということもないのだが、それを知ったことでここに通う通行手形を手に入れたような気分になった。応対してくれた女性も感じのいい人で、来るたびにいろいろな人が出て来たが(男性の時もあった)、「真澄」や「麗人」のいかにも「お店」の店員といった感じと違って、気さくに話ができる雰囲気が「御湖鶴」の菱友醸造などとも共通するところで好感が持てた。

 お酒の方は純米吟醸と純米大吟醸が中心で、お値段の方もお手頃感があり、(味のことはよく判らないのだが)飲んでみるとわたしにはとても美味しく感じられた。調子に乗って一升瓶を4本まとめ買いした時に、一万円を超えると徳利のプレゼントがあるというので貰ってきたが、わたしの基本はコップ酒なのでまだ使ってはいない。先日、わたし専用の冷蔵庫に未開封が4本並んだので、せっかくだから外に出して写真に撮ってやった。
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 「信州舞姫」というのが基本の(普通酒の)銘柄だが、酒蔵に行ってみると「翠露」という名前でいろんな種類があることが判った。一番左が新酒の季節に出る「しぼりたて」(純米吟醸)で、値段は確か税別で2700円だったと思う。他の3本はアルコール度数16%に調整してあるが、これだけは18%になっている。左から2番目が純米大吟醸で、「磨き49」とあるように精米歩合49%まで削った大吟醸でありながら、値段が税別3000円というのは非常に良心的だと思う。
 一番右の赤いラベルは「翠露」純米吟醸の基本になっているもので、わたしのお気に入りである。「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」というもので16年と17年に2年連続で金賞を受賞したとかで、ワイングラスで飲むなどしゃらくさいと思っているが、常温でこれを飲んだ時(これは火入れしてあるので常温保存でいいのである)、あーこれはうまいなと率直に思った。ここに通い始めるきっかけになったお酒である。税別2600円と安いのも魅力で、行くとたいてい1本はこれを買うようにしている。右から2番目は確か昨年新たに出た純米吟醸の「信州舞姫」で、これは美山錦(長野県産の酒米)だが、もう一つ山田錦を使ったものがラベルの色を変えて出ている。写真は新酒の季節の「しぼりたて」だから税別2700円だったが、普段は2600円だったと思う。

 ゴールデンウィークはどこに行っても混んでいるから、何となく家でダラダラしてしまい、ヒマなのでこんな記事を書いてみました。
by krmtdir90 | 2017-05-05 13:57 | 日常、その他 | Comments(0)

ミュシャ展(2017.4.24)

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 ミュシャ展を観に、妻と六本木の国立新美術館まで行って来た。新宿から都営地下鉄大江戸線で行ったのだが、こんなに地中深いところを走るというのは、地震でも来たらどうなるのだろうと不安になった。
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 昨年8月に行ったチェコのプラハで、われわれはこのスラブ叙事詩に一度出会っている。ツアーで行った旅の途中で、スラブ叙事詩だけを展示した美術館に立ち寄ったのである。恥ずかしながら、この時はスラブ叙事詩についてまったく何の予備知識もなかった。だが、20枚の絵の圧倒的な存在感が強く印象に焼き付けられた。人影も少なかったし(写真撮影も自由だった)、かなりたっぷり時間を取ったので、心ゆくまでゆったり鑑賞することができたのである。
 実は、このミュシャというのが、あのアールヌーヴォーのポスターなどで有名な作者と同一人物ということも後になって知った。だが、それが判ると、この作風のあまりの違いに大いに興味が湧いた。パリで華やかな成功を収めた時代の寵児が、50歳で故国のチェコに戻り、20年近い歳月を費やして完成させたまったく異質の大作というのが、何といっても驚きだった。

 ウィキペディアによると、スラブ人というのはスラブ語と総称される言語を話す諸民族集団のことで、一つの民族を指すのではなく、本来は言語的な分類に過ぎないと書かれていた。該当するのはウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人、スロバキア人、チェコ人、ポーランド人、クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人といったところで、宗教や文化、たどった歴史的経緯などは実に様々なものがあるようだった。しかし、言語的共通性を基盤にスラブ全体の共通性を強調することを汎スラブ主義と言い、スラブ叙事詩の根底をなすのもこの考え方になるようだ。
 スラブ民族の叙事詩ということになれば、様々な地域の様々な歴史を俯瞰することになるが、20枚の絵はそういう様々な事実に即しながら、その事実のみではない、広がりを持ったスラブ民族の運命といったものを感じさせるものになっている。

 今年の1月に、行きつけの書店にこういう新書が置いてあるのを見つけた。
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 スラブ叙事詩が初めてチェコ国外に出て、日本で公開されることになったらしいのをこの本で知った。これは行かなければなるまいと、何か不思議な巡り合わせを感じた。3月には芸術新潮でミュシャ特集号というのも出て、普段芸術新潮なんて買ったことがないのだが、買ってきて勉強した。知れば知るほど、アールヌーヴォーのミュシャとスラブ叙事詩のミュシャが同一人物であることが面白いと感じた。スラブ叙事詩のミュシャはこれまでほとんど知られることのなかったミュシャだが、彼自身はこれこそが自身の集大成であると考えていたようだ。
 ミュシャがチェコに侵攻したナチスに捕らえられ、厳しい訊問(拷問)ののちに亡くなったというのも悲劇的だ(1939年、79歳)。その後チェコを支配したスターリンからも否定的に扱われ、スラブ叙事詩が初めて世に出たのは1963年になってから(モラヴィアの小さな村の城にひっそりと展示されたらしい)、紆余曲折を経てプラハの美術館で本格的な展示が始まったのは2012年になってからだったという。

 今回の展覧会ではパリ時代の有名なポスターやパネルなども展示されていたが、それは確かに一世を風靡した素晴らしいミュシャの作品に違いないのだが、このスラブ叙事詩もまたミュシャそのものなのだという、この2つの距離を繋いだところにミュシャがいるというのは、何か驚くべき奇跡のように思えてしまう。絵の物理的な大きさに圧倒されるということはあるかもしれないが、それでもこんなとてつもないものを残していたということは、それだけでも凄い情熱と言うしかないだろう。
 今回は2度目だったし、事前の学習もある程度できていたから、かなりしっかり鑑賞することができたと思う。凄い人だかりだったから、距離を取って観ようとすれば人の頭が邪魔になる感じで、まあ仕方ないなと思いながら、けっこう細かいところを確認するように観ることができたと思う。
 照明の当て方がプラハの美術館とはかなり違っている感じで、こちらの方が全体的に明るく、隅々まで万遍なく当てられているように感じた。そのため、絵の艶?や奥行きといったものが若干失われ、全体がフラットになったように感じたが、そのぶん細かなところまで鮮明に浮かび上がってくる感じもした。光の具合でこんなにも印象が変わって見えるのかとびっくりした。個人的には、最初に観たということもあるのかもしれないが、プラハの美術館のやや暗めの照明の方が良かったような気がした。

 20枚の中ではやはり、①「原故郷のスラブ民族」(チラシや表の看板の図柄がこれ)、⑭「ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛」、⑲「ロシアの農奴制廃止」の3枚が強く印象に残る。いずれも610×810cmのサイズで、サイズの持つ圧倒的な迫力と、見れば見るほど発見がある感じが素晴らしいと思った。610×810cmというサイズはあと4枚あって(②③⑨⑮)、これらも印象に残った。強弱を施しつつ細部まで描き込まれた人間群像が、観ていて飽きることがなかった。

 展示場は最後の5枚が撮影可能エリアとなっていて、撮ってきた何枚かを掲載しておく。プラハで撮ってきたものと比較すると、こちらの方が細部までずっと鮮明に写っている。
 ⑮「イヴァンチツェの兄弟団学校」(部分)。
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 ⑲「ロシアの農奴制廃止」(全体と部分。全体を写そうとするとこんなふうに人が写り込んでしまう)。
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 ⑳「スラブ民族の賛歌」(人の頭が写らないように下の方をカット)。
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by krmtdir90 | 2017-04-24 22:42 | 日常、その他 | Comments(2)


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