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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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カテゴリ:日常、その他( 68 )

月と金星

 今朝、何の気なしに東の空を見たら、月と金星が非常に接近しているのが見えた。月は満ち欠けを繰り返しながら毎日位置を変えているから、こんなに近付いた状態で見られるのはかなり珍しいことだと思う。起き抜けで寒かったから、手近にあったコンパクトカメラでちょっと記録してみた。手持ちにしてはけっこうちゃんと写っていたので、今年最初の写真としてアップしておく。
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 撮影は、2019年1月2日(水)午前6時19分。

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
by krmtdir90 | 2019-01-02 17:28 | 日常、その他 | Comments(0)

手術と禁煙

 これはわざわざ記事にすることでもないと思っていたのだが、今年も終わろうとするいまになって振り返ってみると、わたしにとってはやはりけっこう大きな出来事だったわけで、記録という意味では一応書いておくべきだろうと思ったのである。

 それは、11月25日(日)に市内の南多摩病院に入院し、26日(月)に鼠径ヘルニアの修復手術を受け、27日(火)に退院したということである。「何だ、そんなこと」と思う人もいるかもしれないが、実はわたしは、この歳になるまで入院というのを一度もしたことがなく、全身麻酔の手術というのもまったくの初体験だったのである。2泊3日の入院などというのは、そちら方面の経験が豊かな人から見るとまったくお試し程度の入院に過ぎなかったのだろうし、ヘルニアの手術などというのも、その道のベテランから見ると笑っちゃうくらい初歩的な手術に過ぎなかったのかもしれない。
 だがしかし、である。これくらいのことでも、わたしとしては一世一代の重大な出来事だったのであり、入院や全身麻酔といった、これまで未体験だった分野に関してようやく一人前の発言ができるようになったいうことだったのである。まあ、だからといって特に改まって発言したいことがあるわけでもないが、今回の体験について備忘録的に幾つかの事実を記録しておきたいと思う。
 ①初めてのことなので、せっかくだから病室は個室を希望した。個室は5階にあり、窓から最寄りのJR西八王子駅が見えた。ここに来なければ見ることのできない珍しい視点なので、スマホのカメラで記録して置いた(これは南口になる)。
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 ②個室だったからその費用が余計にかかったが、それでも今回の費用の9割ぐらいが保険で戻って来た。個室を利用しなければ儲かっていたということになる。
 ③この病院の食事は、ちょっと信じられないくらい貧弱だった。短期の入院だったから我慢できたが、これ以上の日数ではとても無理だと思った。
 ④全身麻酔と手術の経過については、当然のことながらまったく記憶がない。病室に戻ったあたりから傷口が痛くなってきて、翌日になってもけっこう痛かったが、切って縫ったのだから当然だと言われて、昼前には退院させられてしまった。
 ⑤退院のその日からシャワーはOKだった。アルコールはしばらく控えるように言われたので、その日だけは我慢して、翌日から数日間は量を減らしていただくようにした。入浴は一週間後からOKになった。
 ⑥幸いにして術後の経過も順調で、先日(12月25日)、術後一ヶ月の診察で異常なしとの言葉をもらい、今回の治療はようやく一段落した。

 一つ、正直に告白しておかなければならないことがある。10月23日(火)からスタートしたわたしの禁煙は、実はこの手術と関係していたのである。
 今回、わたしが鼠径ヘルニアと診断されたのは、まだ夏の盛りの8月のことだった。特に急ぎの対応が必要な病気ではないし、多少気になることはあるかもしれないが、我慢して放っておくという選択肢もないわけではないと言われた。高齢だったり体力がない場合はそうするということだったようだが、もちろん放っておくのでは良くなることはあり得ず、一方、治療しようと思うと手術以外には方法がないということだった。
 わたしとしては「手術だろうな」と漠然と考えながら、それに向けた検査などを受診し、個人的な予定なども勘案しながら11月26日(月)で手術の予約を取ったのである。ところが、そこまで進展したところで担当医が、「煙草は吸わないよね」と軽い調子で聞いてきたのである。わたしが「吸う」と答えると、途端に風向きがおかしくなった。最低でも禁煙して一ヶ月は経過しなければ手術はできないと厳しい口調で言われてしまった。喫煙者の咳や痰が、全身麻酔を行う際にかなり大きなリスクになるのだと説明された。命に関わる緊急手術ならやってしまうが、ヘルニアの手術はそういうものではないから、リスクがあるのにやるわけにはいかないのだと言われた。
 実にもっともな言い分である。この話があったのが10月9日(火)のことで、とりあえず「考えてみます」ということにして、2週間後の10月23日に診察予約を入れて、手術予定のほぼ一ヶ月前になるその日にどうするかを決めることになった。だが、「やってみます」ではなく「考えてみます」だったところに、わたしの消極的な姿勢は如実に表れてしまったと言うべきで、結局この間に禁煙が行われることはなく、23日の診察でわたしは手術のキャンセルを申し出るしかなかったのである。
 始まりというのは、何がきっかけになるかよく判らないものである。この日は診察のあと、わたしは一服する間もなく昭島に映画を見に行ったのだった。始まりは映画「ここは退屈迎えに来て」だったのだ(作品が何だったかは関係ないと思う)。どこからそんな気になったのかはまったくはっきりしないのだが、もしかすると今回の禁煙は、手術をキャンセルしてしまったことから始まっていたと言ってもいいのかもしれない。そして、何日かが経過して、何となく続きそうな気配が出て来たので、一週間後の10月30日(火)、急遽病院に行き、手術予定の復活を願い出たというわけだったのである。

 どの時点だったかは覚えていないのだが、担当医がこんなふうに言ったのが印象に残っている。「禁煙したかどうかは申告してもらうしかないんです。調べる手立てはないのだから、こちらは患者の言うことを信じてやるしかないんですよ」。つまり、自己責任だと判っていれば、嘘をついてもいいということだったのだ。だが、こういうふうに言われてしまうと、気が楽になる反面、嘘をつくことはできなくなってしまうと思った。
 また、担当医はこんなふうにも言っていた。「手術が終わったら、そのあとは吸おうがどうしようが自由なんですよ」。これは強烈だった。この言い方は、ようやく禁煙を始めた初期のわたしに対する、担当医なりの励ましだったのだろうと推測する。だが、それでもこういう言い方ができる担当医は、信頼していい人だと感じたのは確かである。
 つまり、わたしの禁煙は11月26日(月)を境に新しい局面に突入したということなのである。10月23日から11月26日までは、前の記事でいろいろ強がりを書いたりしていたが、結局は手術の条件を作るために「仕方なく」取り組むしかなかった禁煙だったのだ。ところが、それ以降は違う。わたしは自由なのにもかかわらず、わたしの自由意志において禁煙を続けているということなのだ。これは重要なことだと思う。
 このあとどこまで行けるかは判らないが、これだけ続いてしまうと、もう一度元に戻ってしまうのはもったいないという気分になっているのは確かである。たぶん、九分九厘、このまま今年が終わり、このまま来年を迎えるのは間違いないだろうと思っている。こうして書き終えて、以前だったらここでゼッタイ一服だったんだけど、ね。

by krmtdir90 | 2018-12-29 16:36 | 日常、その他 | Comments(2)

煙草のこと

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 10月23日(火)の午前10時過ぎに最後の一本を吸ってから、現在(29日・午後9時過ぎ)に至るまで、わたしは一本の煙草も吸っていない。すでに150時間以上、煙草を吸わない状態が続いているのである。これはかなり画期的な段階に突入しているということで、このまま煙草と訣別してしまう可能性が高まっていると言っていいだろう。
 とうとうやってしまった。理由は30円の値上がりということでかまわない。間違っても、健康のためでないことだけは言っておきたい。

 ただし、ここで調子に乗ってはいけない。禁煙したと宣言するのはまだ早過ぎるのであって、油断して元の木阿弥という可能性も払拭されたわけではない。もしまた逆戻りしてしまったら、恥ずかしくて引っ込みがつかなくなってしまうし、ここは慎重の上にも慎重な態度が要求されるところである。

 以前、40歳の頃に一度禁煙したことがある(10年以上続いたのだから正真正銘の禁煙だった)。あの時は忙しく働いていて、けっこう気が紛れる時間が多かったのだと思う。ところが、いまはリタイアしていて、家でヒマにしている時間が生活の中心になっているから、どうにも吸いたくなってしまう機会が圧倒的に多いような気がしている。
 現在の生活リズムは自分で作ってきたもので、再び喫煙を始めてから20年あまり、その間に煙草が決まりのようになった節目をたくさん作ってきたことが判った。ここ数日、これを一つ一つ確認しながらやり過ごしてきたが、これには非常な困難が伴い、いつ心が折れてもおかしくなかったのである。実際、その危険性はこの段階でも少しも減ってはいないと思う。

 また吸い始めてしまってもいいではないか、という開き直りが大切なのだと思っている。所詮、たかが禁煙なのだと考えたい。わたしは一貫して、煙草を害毒だとも止めなければならないものだとも思ってはいないのである。これはきわめて重要なことで、いま目の前にある煙草やライターをすべて処分して、みずからを追い込むようなことはしたくないと思っている。

 ただ、せっかくここまで続いたのだから、もう少し続けてみてもいいかなと思っている。ブログに書くタイミングとしては少し早過ぎる気もしたが、あまり先送りしてその間に失敗してしまったらつまらないし、書くことは自己責任であって、書いてしまった以上は続けるしかないではないかと、みずからに(小さな声で)言い聞かせているのである。
by krmtdir90 | 2018-10-29 21:30 | 日常、その他 | Comments(0)

パソコン復活!(感想文の行方)

 パソコンの修理が昨日完了した。データファイルも無事救出されて(よく判らないが、かなり難しかったと言っていた)、外付けハードディスクに入ったかたちで戻って来た。内蔵のハードディスクは(老朽化で)相当ひどい状態になっていたようで、結局まるごと交換ということになってしまった。ただ、ここで従来型のハードディスクではなく、SSDという最新のものと入れ替えてくれたので、パソコンの動作がかなり速くなったのにはびっくりした。
 このパソコンは購入して8年ほどが経つと思うが、今回、ハードディスクというのは消耗品であって、時期が来れば壊れるものなのだということを知ったのは収穫だった。修理屋が教えてくれたのは、普段からデータは外付けハードディスクの方に保管して、必要なファイルだけパソコンに持って来て作業するのが安全だということだった。いままではすべてのデータをパソコン内に溜め込んでいたから、これだとディスクの容量も圧迫してしまうし、今回のようなことを考えるといいことはないと教えられた。
 結局、今回はディスクを入れ替えた訳だから、Windows10は入れてもらえるが、その他のアプリなどは(どうでもいいようなものが多かったが)すべて失われてしまった。そのため、すぐに必要な一太郎は新たに買ってきてインストールすることになってしまった。高い授業料になってしまったが、まあ仕方がないということである。


 というわけで、書きかけのコピスの感想文と4日ぶりに再会できた。早速、続きを書かなければと思ったが、この空白はかなり大きかった。まだまったく手をつけていない学校もあるのだが、記憶はどんどん薄れていることが判った。困ったことになったぞと思いながら、とりあえずこんな報告の文章を書いているのである(再度気持ちを高めるための助走ですな)。う~ん、早く書かなければ。
 なお、今回は日にちも経ってしまったので、このブログに感想文を掲載することはしないつもりです。29日(金)の最終実行委員会で顧問の先生にお渡ししますので、上演校の皆さんは、もし興味があったらそれを見せてもらうようにしてください。


by krmtdir90 | 2018-06-25 16:45 | 日常、その他 | Comments(0)

諏訪湖の御神渡り(2018.2.9)

 先週、5年ぶりに諏訪湖の御神渡りが出現したと報じられたので、お酒の買い出しのついでに見てこようとしたら、妻も行くというので、久し振りに2人で日帰りドライブをしてきた。

 事前に調べて行かなかったので、どのあたりで見られるのか判らず湖岸の道を走っていたら、人だかりがしているところがあったので、少し離れた駐車場に車を止めて歩いて行った。
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 率直な印象を言えば、それほど大したものとは思えなかった。岸から遠望するだけなのでそう感じたのかも知れないが、もう少し隆起しているかと想像していたのである。
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 湖は全面結氷したとはいえ、氷はあまり厚くなっていないようで、厚さにかなりムラがあるのが見て取れた。御神渡りより、湖岸に押しつけられて盛り上がった氷の方が印象的だった。
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 酒蔵(舞姫)で応対してくれた青年に聞いてみたら、久し振りの出現だが高さが足りないと言っていた。
 いつになく寒い日が続いているように感じるが、以前はまだまだこんなものではなかったのかもしれない。20年ほど前に、湖岸通りから初島まで子どもたちも一緒に歩いて渡った記憶があるのだが、いまとは比較にならないくらい厚い氷が張っていたのだろう。

*御神渡り(おみわたり)とは:全面結氷した湖面が昼夜の寒暖差で収縮と膨張を繰り返し、長い亀裂ができて盛り上がる現象。マイナス10度以下の日が1週間ほど続く必要があり、近年の温暖化でなかなか出現しなかった(全面結氷しない年も多かった)。諏訪湖では、地元・八剱(やつるぎ)神社の宮司の見立てにより出現が宣言される。湖を挟んで向かい合う諏訪大社・上社の男神が、下社の女神に会うために湖上を通った跡とされている。

*帰ってから調べてみると、幾つかビューポイントというのがあったようで、それを丹念に回ればもう少し隆起したところも見られたかもしれない。というのが、いつもわたしの後の祭りパターン。
by krmtdir90 | 2018-02-10 12:05 | 日常、その他 | Comments(1)

猫の最期

 我が家の猫のサスケが昨日(11月11日)の17時20分に息を引き取った。享年15歳、雄のロシアンブルーだった。慢性腎不全の末期と診断され、もういつ亡くなってもおかしくないと言われていたのだが、結局40日ほど生き長らえたことになる。食事をほとんどしなくなってガリガリに痩せてしまったが、皮下点滴を継続したことがそれなりに効果があったようだ。
 最初のうちは病院に連れて行ってやってもらっていたが、大変なので末娘がやり方を教わって、後半は仕事から帰って来て家でやるようにしていた。ただ、衰弱とともに液の吸収が悪くなっていくようで、このところは一日おきの実施になってしまっていた。

 この間、元気な時はもぞもぞ動いたり、近くに行くと顔を上げてこちらを見たりして、ニャアという鳴き声をもう一度聞くことはできなかったが、猫なりに精一杯頑張っていたのだろうと思う。
 昨日は、朝の段階で急に呼吸が荒くなり、かなり苦しそうな様子が見えて、その後一旦落ち着いてぐったりと休んでいたが、夕方になって再び苦しそうにしていると妻に呼ばれて行ってみると、すでにほとんど動きがなくなっていた。ただ、最後にグッと小さな声を出すところには立ち会うことができた。それが最後になり、以後はまったく反応がなくなってしまった。

 末娘がネットで調べて予約を取り、きょう(12日)の午前中、高尾にあるペットの葬祭場で骨にしてもらってきた。いろいろなやり方があったようだが、一応一番丁寧なかたちの「立会火葬」というものにしてもらい、近くに住む次女と孫たちもやって来て、人間の場合とほぼ同じ段取りで骨壺に収めてもらった。
 骨は一旦家に持ち帰り、一年以内であれば葬祭場が引き取って、付属の墓地に合祀してくれることになっているらしい。火葬を待つ間に墓地の方にも行ってみたが、林間のこぢんまりしたところに、円形の合祀墓と個別の墓などが並んでいた。なるほどと思ったが、個別の墓までは必要ないということでみんなの意見は何となく一致した。

 病気を早期に発見してやることはできなかったが、猫としてはそれなりに恵まれた一生だったのではないかと思っている。
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by krmtdir90 | 2017-11-12 17:23 | 日常、その他 | Comments(2)

フェイスブック

 一ヶ月ほど前にツイッターのアカウントを作ったが、興味のあるページをフォローするだけで、自分の方から何か書き込みたいという欲求があったわけではない。とりあえず、いまのところはブログというやり方が自分に合っていると思っているし、それ以外のところに書き込み始めてしまうと、何か収拾がつかなくなってしまうような気がしたのである。
 一方で、ツイッターがこんなに簡単に始められるのなら、フェイスブックというのもちょっと覗いてみようかなという気分になってしまった。やってみると、こちらもあっけないほど簡単に始まってしまった。問題は、そこで何をしようとしているのかがまったく考えられていないことだった。

 フェイスブックを開くと、何か書き込む欄と一緒に、いきなり「知り合いかも」という一覧が表示されてびっくりした。どういう仕掛けになっているのか判らないが、そこには確かにわたしの「知り合い」の名前がズラリと並んでいたのである。さらにそれぞれの下には「友達になる」というボタンがあって、どうやらそれをクリックするとその人とダイレクトにつながることができるらしい。
 ここでわたしに躊躇する気持ちが生まれた。わたしは古い人間だから、「友達になる」ということは簡単なことではないと思っているし、また、それを維持していく難しさや心構えといったことについて、かなりいろいろな要素が絡み合っていることが身に染みているのである。もちろん、それ故に「友達」とか「知り合い」とかはとても大切なものだと思っているし、いまあるものがこれからも続いていけばいいなと心から願っている。
 だが、その気持ちと目の前にある「友達になる」ボタンとは簡単に結びつかないように思ったのである。そんなに簡単にこちらから一方的な「友達宣言」をしてしまっていいものなのか……。ただ、これはその後、このボタンを押すと相手方に「友達リクエスト」というものが届き、相手がそれを「承認」したときにだけ相手との回路が開かれることが判った。

 これが判ったのはここ数日のことで、先週行われた「同窓会」からの経緯によるものである。卒業生との会話の中で、フェイスブックなどはやらないのかという話題になり、実は少し前にアカウントを作ってみたのだと正直に言ってしまったことが始まりだった。ぜひ活用してくださいという話になり、今回の同窓会の準備にはフェイスブックの利用者が「グループ」を作って、そこでのやり取りが重要な役割を果たしたのだということを教えられた。
 翌日、会のお礼などを書き込めたらと思い、言われた「グループ」の名前を探していたら、これも簡単にその中に入ることが出来てしまった。ともあれお礼の言葉は書き込んだが、その後がすごいことになってしまった。卒業時に担任だった卒業生などから「友達リクエスト」が届くようになり、ちょっと躊躇の気持ちはあったが、スルーしてしまうのも悪いので「承認する」ボタンを押してしまうことになった。遙か昔の卒業生がいまだにわたしのことを忘れずにいてくれて、こんなふうに働きかけてくれることが嬉しかったということもある。

 卒業生の「友達」が10人を超えたところで、そのことをお祝いするようなフェイスブックの表示が出て、そのあたりで少し考えてしまうことになった。ツイッター同様、わたしはフェイスブックに今後何かを積極的に書き込もうという気持ちはないし、この状態はありがたいことだけれど申し訳ない状態でもあるのではないかと思い始めた。そもそも遙かに年齢の離れた卒業生とわたしが「友達」であるというのも気恥ずかしいことだし、そう思ってくれることは嬉しいが、そうなってくるとますます何も書けなくなってしまうような気がしたのである。
 で、昨夜そのことをちょっと書き込んで、一旦の区切りをつけることにした。わたしなどが「グループ」の周囲をいつまでもウロウロするのはおかしなものだし、フェイスブックが作り出した楽しい関係は十分に受け止めさせてもらった。「承認」した「友達」の関係はそのままにしておくが、わたしがこの先フェイスブックを活用する気になるかどうかはまったく未知数と言うしかない。

 いまはとりあえず、一番最初に表示されていた「知り合いかも」のリストの中から、幾人かに「友達リクエスト」を出してみようかなと思っている。だが、実際どうなるかはわからない。あと、卒業生の書き込みの中に、ブログへの「リンク」を貼ってほしいというものがあったので、これはやっておこうかなと思っている。ただし、わたしはブログの中でも「リンク」という機能を使ったことがなく、恥ずかしながらそのやり方が判らないのである。だから、これからいろいろ調べてみて、やれるようになったらという不確実な話なのである。
by krmtdir90 | 2017-11-09 11:02 | 日常、その他 | Comments(2)

所沢高校1987年卒同窓会(2017.11.3)

 11月3日(金)、所沢高校1987年卒の同窓会があり、招待されて出席してきた。30年ぶりの再会となると、果たしてどれほど覚えているものか自信がなく、卒業アルバムを引っ張り出して少し予習したが、覚えていなくても仕方がないと開き直るしかなかった。当時は45人規模の10クラス編成という時代で、担任クラスも各学年でクラス替えがあったため、単純計算で135人を受け持っていたことになる。教師の側から言うと、この生徒たちの外にも各学校でたくさんの生徒を担任しているのだから、それをいつまでも覚えているなどとてもできることではない。
 会場は池袋のサンシャインシティ・プリンスホテル地下のバイエルンというレストランで、駅からだと徒歩でかなりの距離があった。普段まったく行くことのない池袋の人の多さに辟易としながら、何とかたどり着くまでに早くも疲れてしまった。

 事前の案内で、120人あまりの卒業生と7人の担任が出席すると聞いていたが、会場に入ると早くも大変な熱気で、次々に挨拶などをされて目が回るような忙しさが始まった。全員が首から名札を(当時の姓で)提げていてくれたのは助かったが、それでも次々に話しにやってくる卒業生に、その都度30年前の記憶をフル回転させて応対するのは疲れた。もちろん、そんなふうに懐かしがって来てくれて、いろいろなことを思い出させてくれるのは嬉しかったし有り難かったが、わたしがすっかり忘れてしまっていることを、彼らが鮮やかに覚えているというのはちょっと怖いことだなと思った。
 だが、けっこう多くの卒業生のことを覚えていたのでホッとした。かなり様子が変わってしまった(ように感じた)卒業生もいて、あまり思い出せなくて申し訳ないと思いながら話すうちに、当時の印象が不意に甦ってくることもあった。当時のわたしがこんなことを言ったとかこんなふうなことをしたとか、彼らの思い出の中にはわたしがしっかり刻まれているのに、言ったりしたりした当人の方がそれをすっかり忘れてしまっているというのは、仕方がないところはあるにしても、教師というのは何とも責任の重い(面白い?罪深い?)仕事だったと思い知らされた。

 1次会が1時から3時過ぎまで、会場を移した2次会が4時から6時過ぎまで、この2次会にも100人近い卒業生(担任は3人)が残って、とにかく延々と盛り上がりが続いたのは驚きだった。彼らが所沢高校での3年間をかけがえのないものとして大切にしていることが感じられて嬉しかった。この2次会で、ちょっと飲んでしまった勢いで「授業やるぞー」などと始めてしまったのは失敗だった。教材準備をしないで授業をやってはいけないのだと反省した(脱線であっても勢いだけではダメなのだ)。
 それにしてもこれほどの人数が集まるとは思わなかった。30年を隔てて、これだけの会を準備することはさぞ大変だったと思うし、それを見事に運営し切った幹事のみんなには大感謝である。この後も続いたらしい3次会以降は失礼したが、わたしはMさんと2人、会の余韻に浸りながらもう少し「静かなお酒」を楽しんで帰りました。
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by krmtdir90 | 2017-11-04 16:46 | 日常、その他 | Comments(6)

ツィッター

 ツィッターを始めた。
 「六十の手習い」という言い方は広辞苑にあるが、「七十の」というのはない。まあ、いいだろう。必要があれば始めるということだ。

 枝野幸男がたった一人で記者会見を開き、立憲民主党を立ち上げたのは10月2日だった。ああ、よかったなと思った。
 数日後、立憲民主党のツィッターのフォロワーが10万人を突破したというニュースが流れた。驚異的な増え方だという。これは、わたしも始めなければならないと思ったのである。

 始めるのは簡単だった。アカウントは簡単に作れた。一応、ツィートの仕方とリツィートの仕方を確かめた。だが、当面こちらから何か発信したいことがあるわけではない。

 以来、立憲民主党の動向を毎日チェックしている。なるほど、こんなふうに使われているのかと新鮮な発見があった。新聞やテレビでは見えないものがそこにはあった。
 このところ毎日が面白く、ワクワクしながらスマホをいじっている。立憲民主党は伸びるぞという直感が、具体的なかたちで日々確かめられるのは素晴らしいことである。

 枝野幸男は信頼できる政治家だと思う。そのことが共感を呼び、それがツィッターによって日々広がっていく。立ち上げから2週間足らずの党が、あっという間に広範な支持を獲得している。
 昔は考えられなかったことが、いまでは可能になっている。逆に、信用できない政治家はあっという間に支持を失う。
 枝野幸男の街頭演説は、行く先々で凄い聴衆を集めているようだ。その様子は、ほとんどその日のうちに、立憲民主党のツィッターを通して映像などで見ることができる。

 政治家の演説に胸が熱くなったのは、この歳になって初めてのことだ。
 枝野幸男は人の悪口を言わない。他の党を批判しない。この国の首相をはじめ、いつの間にか悪口や批判ばかりの政治家だらけになっていたことに気付かされた(わたしも反省しなければならない)。
 「右か左かではないんです。上からか下(草の根)からかが対立軸なんです」とか「保守とリベラルは対立しないんです」とか、言われてみれば当たり前のことを、この人は実に判りやすく説いてくれる。立憲主義と民主主義の何たるかを、明快に語ってくれる。
 最後の訴えはいつも、「誰々をよろしく」でも「立憲民主党をよろしく」でもない。「一緒にやりましょう」というものなのだ。

 ツィッターを始めなければ、こうしたものに触れることは出来なかった。スマホという文明の利器は、今回わたしの直感に十二分に応えてくれている。
 このブログではいままで政治的発言を避けてきたのだが、枝野幸男の演説は一度視聴してみる価値があるということは言っておきたい。選挙権を得たばかりの若い世代に、是非聞いて貰いたい内容なのだ。この歳になって、わたしも枝野幸男に多くのことを教えられた。

 とりあえず、いまのわたしにとって、ツィッターは立憲民主党と枝野幸男の動向を知るためのツールであって、それ以上のことは考えていない。
 これを抜きにしてしまうと、自分としては、どんなことをどんなふうに呟けばいいのか、いまはまったく判らない。
 今度旅に出たら、ちょっと呟いてみようかなと思っているが、猫の具合もはっきりしないし、天気も良くないから、なかなか計画を立てる気分になれないのである。

 わたしのアカウントは、呟き始めたらみなさんにお知らせします。
by krmtdir90 | 2017-10-16 21:19 | 日常、その他 | Comments(0)

 我が家にはサスケという名の猫がいるのだが、こいつが先月末あたりから急に元気がなくなって、最初は近所の小さな動物病院に連れて行ったのだが、よく判らないまま衰弱するばかりなので、末娘がネットで調べた設備のしっかりしていそうな動物病院に切り替えた。そこで血液検査やレントゲンなどを行った結果、慢性腎不全の末期という診断が下された。数値的にはもうどうやっても見込みのない(医師はもう少し婉曲な言い回しをしたが)ところに来ているという。突然の宣告で驚いたが、そう言われてしまってはどうにも仕方がない。助からないとしても、当面は可能な治療を施してもらうことにした。
 この病院は同じ市内とはいえ車で30分はかかるところなので、今月に入ってからはわたしと妻が毎日通院させることになった。一時はもうだめかという状態まで行ったのだが、毎日の皮下点滴というのが効いているのか、この一両日は少し持ち直した感じになっている。

 この猫の飼い主は娘たちと妻であって、わたしは基本的には距離を置いた傍観者だったのだが、こういう状態になってみると放ってはおけないし、けっこう可愛いと思っていたことを再認識させられた。みんなはサスと呼んでいたが、わたしは何となく照れくさい気分もあって、近くに来ると勝手にニャアと呼び掛けていた。最近はわたしが話し掛けると猫の方もニャアと返事をするようになっていて、そうなると悪い気分はしないものである。
 年齢は15歳だったようだから、人間に換算すると76歳ということになる(らしい)。少し足腰が弱ってきたかと感じていたのだが、腎臓が悪くなってきた影響もあったようだ。腎不全を示す数値は徐々に上がってきたものだから、老齢のせいだと納得しないで早めに医者に見せていればとも思うが、どこか悪いところがあるのではないかという発想は誰にもなかったのだから、辛いことになってしまったがこれは諦めるしかない。

 レントゲンでは片方の腎臓は小石くらいにまで縮んでしまっているらしく、食事をまったくしなくなってしまったこともあって、もう回復は見込めないということのようだ。このあとは、どのあたりで点滴を止めるかという難しい判断になるような気がしている。
by krmtdir90 | 2017-10-07 14:00 | 日常、その他 | Comments(0)


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