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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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納豆と豆腐

 納豆は納豆屋で買う。豆腐は豆腐屋で買う。納豆も豆腐も、日本人にとって非常に基本的な食べ物だから、ここのところにはこだわりたいと思う。

 わたしの地元で言うと、納豆は小堀栄養納豆という製造直売の店があって、そこで普通の大きさの大豆を使った、昔ながらの経木で三角に包んだ納豆を買ってくる。
 豆腐は、裏高尾の摺差(するさし)というところに峰尾豆腐店というのがあって、そこに買いに行く。
 どちらも、値段は100円ちょっとというところがいい。

 一時期、山梨や長野の方にドライブすることに熱中したが、その行く先で、みやげ物ではない地元の食べ物を探すのが面白かった(本当は、小さな酒蔵を探すのが一番楽しかったのだが)。

 納豆だと、長野の「川中島納豆」というのが掘り出し物だった。これは、今どき珍しくなってしまった非常に大粒の納豆で、地元の農協などでは99円というような値段で売っていたが、少し距離が離れた農協では140円くらいになり、以前国分寺の丸井の地下で見つけた時には、確か200円を超える値段で売っていた。
 同じく長野の大岡村の道の駅で見つけた「西山大豆・七福納豆」というのも忘れ難いもので、地元の普通サイズの大豆を使ったもので、ちょっと好みは分かれるかもしれないが、納豆特有の臭みが非常に強い個性的な納豆だった。これも100円はしなかった。

 ちゃんとした納豆を食べつけてしまうと、スーパーなどで売っている3個99円といった小粒納豆などは、とても食べる気がしなくなってしまう。どれもこれも小粒ばかりで、しかも臭わない納豆などというものまで出てきてしまっては、一体何を考えているのかと言いたくなる。
 納豆は大粒がいい。少なくとも、普通サイズの大豆をきちんと発酵させたものであってほしい。

 豆腐も、スーパーなどで売っている安い豆腐は、何かおかしなものでも混ぜ込んであるのか、まるでふやけたプリンのような舌触りのものまであって、たいした値段の差ではないのだから、食べるならちゃんとしたものを食べたいものだと思う。

 これも長野の、霧ヶ峰の西側、中山道の近くに男女倉(おめくら)という名水の湧く里があって、そこに築屋(きずきや)という小さな豆腐屋がある。ここの豆腐は1丁250円なのだが、この「絹」は素晴らしいとしか言いようのないものだった。薬味も醤油も一切なしで、ただそのものを味わうだけで、こんなうまい豆腐があるのかとびっくりした。醤油さえいらないと思った豆腐は、いまのところ、ここの豆腐だけである。

 豆腐も納豆も、考えてみれば決して高い食べ物ではないと思う。こういう基本的な食べ物くらい、少しこだわって、地元に根付いた製造直売のいい店を探したいものだと思う。

 ついでに一言。最近、テレビの「食」に関する探訪番組などで、頻繁に使われるようになった「食感」という言葉、いやですね。「舌触り」じゃダメなんでしょうか。「歯触り」とか「喉越し」とかね。
 「食感」て、食べ物をバカにしてると思いませんか。 
by krmtdir90 | 2013-04-30 22:09 | 日常、その他 | Comments(3)

「増補版 時刻表昭和史」(宮脇俊三)

 鉄道に乗ることそのものが面白いということに目覚めてしまった以上、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という内田百閒の「阿房列車」を始め、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」「最長片道切符の旅」といった、いわば基本図書(?)とも言うべきものを読んでみた。
 この宮脇俊三の「時刻表昭和史」も、そうしたマニアックな気分の流れで手に取ったのだが、これはちょっと違っていた。

 奥野健男が巻末の解説で、これは「時刻表などについて語った趣味的なエッセイではない。時刻表を縦軸とした本格的な文学作品、それも日本には珍しい教養小説」であると書いているが、なるほどと納得させられた。
 鉄道の時刻表という、歴史を内包する基本的な資料に依拠しながら、日本の庶民の戦前・戦中・戦後の姿を、きわめて具体的に描き出して見せているのだ。そのエピソードの一々が、どれも面白く興味深いものばかりで、引き込まれるように読み進んだ。

 渋谷駅にまだ生きているハチ公がいたという子供時代から始まって、米坂線の今泉駅で敗戦の詔勅のラジオ放送を聞くシーンに至るまで、筆者は常に、ほとんど具体的事実のみを淡々と、抑制のきいた静かな語り口で語ってみせる。
 この人は、びっくりするくらい文章のうまい人だと思った。的確で品があり、そこはかとないユーモアをたたえている。決して書き過ぎることがない。なかなか、こういうふうに書ける人はいない。

 昭和20年8月15日、正午の放送が過ぎても「日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである」というのは、初めて知った事実である。と言うか、こういう視点でこの日を捉えたものに出会うのは初めてだった。
 このシーンはこの本の中で最もドラマチックなシーンだと思うが、放送で止まってしまった時間がこの汽車の運行とともに再び動き出すという、その米坂線の車窓から見る風景の描写など、どこまでも控え目であることが、読者に静かな感動を呼び覚ましていると思った。

 もちろん、様々に語られる鉄道に関してのあれやこれやは、その時代時代を鮮やかに映し出す具体的事実に溢れており、好奇心をいたく刺激された。
 戦前の「小學國語讀本」に収めtられた「鉄道もの(鉄道に関する文章)」の話とか、列車の食堂車には洋食堂と和食堂があって、洋食堂の連結されている列車の方が格が上で、時刻表のマークも違っていたという話など。
 また、何よりも実際に運行される列車や機関車が、実際にどんな様子で走っていたのかという具体的な説明や、またその時々の乗客や車掌、駅や駅員の様子など、そうだったのかと驚かされることばかりで、読めば読むほど興味がわいた。

 ところで、この本の物語が始まる渋谷駅は、わたしが大学時代を過ごした駅で、ハチ公の銅像にもなじみが深い。
 この本とは何の関係もない話だが、奥羽本線・大館駅前の広場にも忠犬ハチ公の銅像が立っていた。ハチ公は秋田犬で、この地の出身であることをアピールしたいということだったらしい。
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by krmtdir90 | 2013-04-30 13:30 | 本と映画 | Comments(0)

高校演劇・春の大会(その2)

 4月27・28日に埼高演連・川越坂戸地区の春季発表会があった(於・尚美学園大2000年記念館)。知り合いの顧問も多いので、ちょっと行って覗いてきた。
 坂戸・星野(以上27日)・川越西・城北埼玉・筑波大附属坂戸(以上28日)の5校を見せてもらった。

 印象に残ったのは城北埼玉。野田秀樹の「赤鬼」に、男子4人で取り組んだ。後半やや単調になる感じはあったが、総じて最後までよく走り切ったと思った。男子らしい思い切りの良さが、見ていて好感が持てた。
 この会場は、体育館のような妙に広い仮設の客席で、舞台と客席のつながりが作りにくい会場だと思うので、かなり損をしたところがあったのではないか。筑坂の演劇教室のような狭い空間で演じたら、もっと迫力も出て良かったのではないかと思った。

 その筑波大坂戸は、いつになく作りが雑で、話も安直な思いつきの域を出ておらず、どうしちゃったんですかと聞いてみたい出来だったように思う。
 女にあって男にないもの、答えは「いのち」というのが、何の説得力も持っていない、何のメタファーにもなり得ていないと思う。これはわたし一人の感想ではないだろう。力のある学校なのに、今回は残念と言うほかない舞台だった。

 坂戸は役者もしっかりしていて、全体としてよくやっているのだが、何かもう一つ面白くなってこない感じがあって、台本のせいなのか何なのか。いろんなものがうまくかみ合っていないという印象を受けた。

 星野と川越西については、6月に同じ作品を再演する予定があり、そこに向けて意見を言う機会もあるので、ここではかなり問題は多いとだけ言って終わりにしておきたい。
 以下、PRを兼ねて少し触れておく。

 埼玉県三芳町に「コピスみよし(三芳町文化会館)」という、客席数407席(1階のみ、2階も加えると503席)の、高校演劇にぴったりの素晴らしいホールがあって、毎年6月に高校演劇フェスティバルというのを開催している。
 顧問有志が実行委員会を構成し、主として東武東上線沿線の一生懸命な高校演劇部を選んで出演させている。今年は第12回となり、6月16日(日)の開催が決まっている。
 今年の出演校は、川越西・和光国際・星野・芸術総合・東京農大三・新座柳瀬の6校に決まり、近々最初の打ち合わせ会があるのだ。

 わたしはもう演劇部の顧問ではないが、実行委員会の顧問という名目で出入りさせてもらっている。こういう組織にとって、顧問というのは実は何だかよく判らないが便利な名前で、でもそういう位置づけでいつまでも仲間に入れてもらえるのはありがたいことである。
 その期待(?)に応えるためにも、辛口の感想を並べていくのが自分の役割だと、勝手に考えている。
by krmtdir90 | 2013-04-29 14:55 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(3)

初らっきょう

 散歩の途中で、そろそろじゃないかと思いながら八百屋を覗いてみたら、あったあった、泥らっきょう。
 今年初だからつい2キロ買ってしまって、重い袋をぶら下げて帰ってきた。今年は気付くのが遅かったかもしれない。

 らっきょうというのは、毎年この季節の1~2ヶ月ぐらいの間しか店先に並ばない。様々な野菜や果物があまり季節に関係なくなってきている中で、いまどき珍しい頑固な奴なのだ。だから、出始めたら早く気付いてやらないと、あっという間に姿を消してしまう。

 もちろん、らっきょうの漬け物は一年中手に入るが、ほとんどが甘ったるく味付けされていて、まろやかだか何だか知らないが、らっきょうの最もらっきょうらしい部分が失われてしまっている。ツンと鼻に来ないようならっきょうは、らっきょうとは言えない。

 泥らっきょうを買ってきて、自分で漬けてみたのは退職した頃だったと思う。
 要するに、シンプルに塩だけで漬けてみたのだが、これが我ながら絶品で、ほとんど生で食べているようなものなのだが、一度これを食べてしまうと、ちょっとこれ以外は食べられない感じになってしまった。日本酒のつまみにも最高だし。

 だから、これからしばらくの間はちょっと忙しい日々になる。
 らっきょうの生命力というのはすごいもので、一日置いたままにしてしまうと、芯の黄緑色の部分がびっくりするくらい生長してしまう。買ってきたら、すぐに処理してしまわないとダメなのだ。
 ところが、これが案外大変で、水で洗いながら薄皮を丁寧にむき、頭と尻尾を(頭と尻尾と言うのも変だが)包丁で切り落としてやる。ビニール袋に入れて塩を適当に振り、口を閉じて冷蔵庫へ入れておく。
 1キロ1時間という見当で、もちろん立ったままの、結構集中した作業である。

 きょうは調子に乗って2キロ買ってしまったから、約2時間の作業を終えて、いまは疲労困憊である。
 この時期になるべくたくさん漬けておきたいのだが、そんなわけで、なかなか気合いが入る時が少ない事情がある。こういう単調で疲れる作業は、続けてやる気には到底なれないものである。

 でも、今夜からは晩酌が楽しみである。
 ただこの時期、わが家は外から帰って玄関を開けると、誰でも判るらっきょうの匂いがどことはなしに漂っている。まあいいかと思っているのはわたしだけで、家族は迷惑に思っているかもしれない。
by krmtdir90 | 2013-04-26 16:51 | 日常、その他 | Comments(0)

三江線(2013.3.4)

①三次駅に折り返し9:57発の石見川本行きキハ120形が入ってくる。三江線で終点の江津まで行こうとすると、朝昼晩の3本しかない。昼間ならこの1本になる。もちろん単行だ。
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②三江線は全線、ほぼ江の川に沿って日本海を目指す。川岸にはオレンジ色の石州瓦の民家が目立つ。
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③信木駅・式敷駅・宇津井駅。もちろんすべて無人駅。宇津井駅は地上30メートル、畑の上の高架橋にある。
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④石見川本駅。12:09着。13:53発の江津行きに乗り継ぐ。接続が悪いなどと言ってはいられない、これしかないのだから。
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⑤江の川の河口が近づいてきた。大きな川だが、平野にならずに山間からあっという間に海に出る感じだ。
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⑥江津本町駅。終点・江津の一つ手前だが、秘境駅のマークが付く。実は江津まで行ってから、タクシーで戻ってみた。確かに周囲は何もないが、少し歩くと江津の古い町並みがあった。江津駅はトンネルの向こう側、営業キロで1.1キロ、徒歩だと山を回り込むようなかたちになるので2キロくらいか。
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⑦江津駅。
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by krmtdir90 | 2013-04-25 21:48 | 過去の鉄道の旅 | Comments(0)

木次線(2013.3.3)

①起点の宍道駅と駅前の様子
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②これから乗車する木次線のキハ120形(2両だが、途中出雲横田駅で1両になる)
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③出雲横田駅
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④出雲坂根駅とスイッチバックの様子
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⑤標高が上がったので雪がある(トンネル内のつらら)
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⑥沿線のハイライト・国道314号の奥出雲おろちループ
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⑦峠を登り切ったところにある三井野原駅(かなり雪が残っている)
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⑧終点の備後落合駅(芸備線との接続駅なので、構内はかなり広い。無人駅で、ひっそりとしている。一日に発着する列車の数も少なく、すべて単行のディーゼルカー)
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⑨備後落合駅に入ってきた芸備線のキハ120形(左)
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⑩この日は芸備線で三次駅まで行って泊まった
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by krmtdir90 | 2013-04-25 13:06 | 過去の鉄道の旅 | Comments(1)

「北の無人駅から」(渡辺一史)

 退職したら本がたくさん読めるなと思っていたが、実際は働いている時より読まなくなった。
 暇がないから読みたくなるのであって、時間がたっぷりあると案外そんなものなのかもしれない。元々、勉強はあまり好きな方ではなかったし。

 だから、昨年読んだ本と言ってもわずかなもので、その中でベストワンと言ってもたいしたことではない。
 だが、この本はたいしたものだ。眠っていた好奇心が刺激され、面白くて久しぶりに熱中した。やっぱり、本を読まなくちゃいけないと反省させられた。

 渡辺一史という、1968年生まれ・北海道在住のライターによるノンフィクション(ルポルタージュ)である。北海道新聞社の出版で、まあかなりローカルな内容の本だから、普通ならわが町の書店などには絶対並ばないだろうと思われる本だが、サントリー学芸賞とやらを受賞したとかで、売れるかもしれないと誰かが考えたのかもしれない、5~6冊平積みになっていた。厚さ38ミリ、800ページ近い本だから、5~6冊でも結構な高さになる。

 わたしがなぜ手に取ったかというと、学芸賞のせいではなく、たまたまテツになりかかっていて、ここで取り上げられている6つの駅が、みんなそれなりに知っている興味のある駅だったからだ。
 小幌、茅沼、新十津川、北浜、増毛、そして奥白滝信号場。

 筆者はこれらの駅を訪ね、これらの駅につながる様々な人々を訪ね、これらの駅やその周辺の土地にまつわる思いがけない物語を明らかにしていく。それは、確かにローカルな物語には違いないが、誰も知らなかった北海道という地方のいろいろな問題を、実に興味深くドラマチックに提示して見せてくれるのだ。

 例えば、第1章の小幌という駅。いやしくもテツのはしくれなら誰一人知らない人はいない、秘境駅ランキング(などというものがあるのだ)第1位の室蘭本線にある無人駅なのだが。
 インターネットで検索すると、様々な探訪記などにヒットする。実際、日に数本しか停まらない普通列車が停車した時、その一種異様な雰囲気というか奇妙な違和感といったものは、十分に感じることができる。両側がトンネルで、周囲は鬱蒼とした斜面と海に落ち込む崖で、外部と全くつながっているようには見えない暗いホーム(わたしが行ったのは雨模様の日だった)。
 だが、この本で明らかになる物語の壮絶さは、ちょっと言葉を失うような思いがけないもので、実際何と言っていいか判らないようなものである。こんな場所にも、かつて人が住み着いていた時代があったというだけで、もう十分な驚きなのだが。

 茅沼駅とタンチョウヅルの話も興味深い。自然保護とか環境問題とか、最初からそういう予定の切り口で整理してしまうのではなく、あくまで現場に立って、そこから具体的に問題の複雑さと向き合っていく。これが、どの物語にも共通する筆者の態度だ。
 新十津川駅と米作りの話は、最も多くのページを費やしている章だが、北海道でもきわめて限定的な地域に密着することで、そこから北海道全体あるいは日本全体にまで結び付く、農業の抱える様々な問題の考察へと展開していく。初めて知ることも多く、テーマの提示の仕方が新鮮で、自然と引き込まれてしまった。
 奥白滝という消えた駅と村の消長の話なども、どれも面白く思いがけない話ばかりで、結局いくら鉄道が好きで、それらの駅をいくら訪れたとしても、旅行者などには到底うかがい知ることのできない、興味深い物語があるということが明らかにされているのだ。

 各章の後ろに、やや小さな活字で何ページにもわたってぎっしりと付けられた、何と言えばいいのだろう、注のようなガイドのようなページも面白く、隅々にまで筆者の問題意識の広範なことが表れていて、たいしたものだと思った。

 ところが。
 平積みになっていた本は、わたしが買った後全く売れた形跡がなく、やや奥に移されてしばらく置かれていたが、ある日忽然と姿を消した。返品されてしまったのだろうか。
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by krmtdir90 | 2013-04-24 14:19 | 本と映画 | Comments(0)

「想像ラジオ」(いとうせいこう)

 いとうせいこうという名前は確かに記憶にあって、でもそれは、昔この人の何かを読んだことがあるな程度のもので、まあすっかり忘れていたと言った方が事実に近い。

 これは3.11を扱った小説だということは新聞で知っていたが、とりたてて読まなければと思っていたわけではない。3.11や原発絡みの本は次から次へと店頭に並ぶが、気にはなっても、とても一々つきあってはいられないというのが正直な感想だった。
 だから、近所の書店の棚でこれを見つけた時、なぜ買おうという気になったのかよく判らない。
 結局、新聞のあと実物に出会うまでのタイミングが良かったとか、「想像ラジオ」というタイトルに引っかかるものがあったとかいうことだろうと思う。

 実際、このタイトルには人を振り向かせる不思議な力があった。
 と言うか、この本はタイトルに込められたメッセージがすべて、と言ってもいい本ではないかと思った。それは思いもよらない発想で、読むと、多分そうなんだよなと納得させられる。

 それにしても、われわれは随分あっさりと、3.11に関わるいろいろなことを忘れようとしているなと、まあ気付かされたと言うか。
 忘れるという単純なことではなく、当事者と非当事者の間の、交わることのない明らかな距離感のようなもの。初めは感じていたはずのそのもどかしい思いが、最近は次第に薄れてしまっているというような感覚。

 あの晩、煙草を吸いにベランダに出たら、空には上弦の月が何事もなかったように煌々と照っていて、なぜか不意に5・7・5の言葉が浮かんできたのだった。
 「被災地を照らしているか上弦の月」。
 「被災地を照らしているのか上弦の月」。

 日本人というのは、気持ちの昂ぶりが表出されようとする時、自然に5音と7音のリズムが出てくるのかもしれない、そしてその気持ちが溢れそうになる時、これも自然に字余りの姿になってしまうのかもしれないと思った。

 読み終わって作者略歴を見たら、昔読んだ記憶の本は「ノーライフキング」という1988年のデビュー作だった。
 面白かったという記憶はない。あの本、まだどこかにあるだろうか。
by krmtdir90 | 2013-04-24 11:45 | 本と映画 | Comments(0)

高校演劇・春の大会

 4月20日に、埼玉県高等学校演劇連盟西部A地区の春季発表会(於・朝霞コミュニティーセンター)に行ってきた。
 朝霞・新座・和光国際・新座総合技術・朝霞西・新座柳瀬という6校の舞台を見せてもらい、夜の顧問の研修会(飲み会)にも出させてもらった。

 地区を離れて(つまり退職して)もう5年になるが、いまでもこうして暖かく仲間に入れてもらえるのは、本当は迷惑に思っている顧問もいるのかもしれないが、ホントにありがたいことだと思っている。

 芝居の方は、新座がやった「トシドンの放課後」が一番いいと思った。研修会に集まった先生方の評判もほぼ一致していた。
 話を聞くと、上演にこぎつけるまで最後の一週間などは本当に大変だったようだが、顧問が心配していたセリフもちゃんと入り、とちりも皆無で、それぞれの生徒がその役にぴったりとはまって、しっかりしたやり取りを最後まで見せてくれていた。
 生徒というのは、周囲の心配をよそに、ある時不意に、階段をポンと軽く上がって見せてくれたりするのだ。この本番が、ちょうどその瞬間に一致したのかもしれないと思った。

 あとは和光国際が、昨秋の不自然な固さから見事に脱して、キャスト一人一人の個性が生きた、伸び伸びした芝居を見せてくれた。
 みんなが楽しんで、やりたいことをやっているなと思った。この調子で進んでいけば、まだまだ良くなる余地があると思った。

 新座柳瀬は相変わらず達者で、作者の才気を感じさせる舞台だった。しかし、今回は台本も舞台もやや作り込みが足りなかった印象で、全体にぎくしゃくした感じが最後まで抜けなかった。残念。
 充て書きの効果だろう、それぞれの生徒の個性が徐々に際立ってきているのは楽しみだと思う。

 夜、(少し遠慮して?)あまり飲まないようにしたから、翌21日も快調だったので、散歩がてら西部B地区の大会(於・所沢市中央公民館)に行って、入間向陽の舞台を見てきた。
 ポリエンヌをやった生徒がやめてしまい、部員が1人になってしまったというのをブログで見ていたから、ちょっと気になっていたのだ。

 舞台は当然一人芝居だったが、ピンチをものともせず、むしろ飛躍へのきっかけにしてしまうような見事な出来で、大いに楽しませてもらった。
 一人でやり取りをする難しさは並大抵のものではないが、ここまでできればたいしたものだと思った。さすがに最後のあたりはやや単調になってしまったが、それが気になったのは、要するに全体がちゃんとできていたから、ということになるだろう。
by krmtdir90 | 2013-04-22 13:31 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(4)

ばんえつ物語

 トラピックスの日帰りツアーに、磐越西線・SLばんえつ物語号に乗りに行くというツアーがあったので、4月13日に妻につきあってもらって行ってきた。
 往復新幹線を使って、新潟→会津若松をばんえつ物語号に乗り、会津で3時間ほどのフリータイム、その後あいづライナーで郡山までというコースだった。

 遅れてでもテツの仲間入りをするためには、一度くらいSLに乗っておかなければ話にならないと思っていた。
 確かに、あのどこからともなく侵入してくる煙の息苦しさとか黒い粉塵とか、実際に乗ってみなければ実感できないものがあった。昔の読み物などに書かれていた、SLがトンネルに入った時のすさまじい状況とか、傾斜を上る時の機関の喘ぎ(振動や音)と言ったようなもの、なるほどと思うことが多かった。

 青春18きっぷが使える時は混雑するらしいが、昨日は指定席の3分の1くらいしか埋まっておらず、空席を自由に行き来して、大いに楽しむことができた。

 驚いたこと。沿線のカメラマンの数。数えたわけではないから正確なところは判らないが、千人は優に超えていたのではないか。少なくとも、乗客の何倍もいたことは確かだろう。
 本当に、至る所にいた。一日1回(2回狙うためには、大変な待ち時間がある)のシャッターチャンスを狙って、みんな車で駆けつけているようだった。
 うーむ。毎週来てる人もいるのだろう。撮りテツ恐るべし。

 良かったこと。会津磐梯山を車窓に十分堪能できたこと。
 前に、初めて磐越西線に乗ったのは11年12月23日だった(18きっぷでこっちから新潟へ行った)が、この時は雪まじりの悪天候で、景色はほとんど見えなかった。

 残念だったこと。会津・鶴ヶ城の桜がまだ固いつぼみだったこと。
 5日前、郡山から水郡線に乗った時結構咲いていたので、これは丁度いいかもしれないと思っていたら、全く裏切られた。中通りと会津では、気候は全然違うのだそうだ。
 追記。大河ドラマの影響だろう、鶴ヶ城は観光客でごった返していた。

 結論。SLは、一度経験したら、あとは沿線で見る方がいいのかもしれない。夜、帰って風呂に入ったら、鼻の穴が真っ黒になっていた。SLは、健康には良くない。
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by krmtdir90 | 2013-04-14 18:25 | 過去の鉄道の旅 | Comments(1)


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