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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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長期戦(続・近況報告)

 今週に入って歯痛はひとまず治まったが、食事の時には依然として違和感が残っていて、またいつ痛みが再発するか不安を抱えたままである。

 29日に歯医者に行ったところ、神経がどうなっているかを検査すると言う。機械から伸びた針のようなものを歯に触れていくのだが、あれは神経が生きていたら、何かとてつもなく嫌な痛みを感じたのではなかろうか。感じたら合図をしてくださいと言われて、恐怖に震えていたが、結局何もないまま終わりになった。
 説明によると、何も感じなかったということは、やはり神経は死んでいるということで、根っこの部分から流れ出て炎症の原因になっているのだと言う。治療としては、歯の頭から神経のあったところに順次入っていって、段階的に消毒をしていくことになるのだそうだ。一気にやろうとすると、刺激が強すぎて腫れが出てしまったりするらしい。

 言われれば「そうですか」と言う以外なく、この日は神経の入口あたりにちょこっと消毒を施して終了となった。ある程度の長期戦は覚悟して、受付で次の予約を取ったのだが、これが何と一番早くても11月15日になってしまうと言うのだ。まさかと思ったが、家人に言わせるとこれが歯医者通いの現況であるらしい。確かに考えてみると、歯医者というのは一人あたりの診療時間が長いから、それなりに盛っている歯医者だと、どうしてもこういうことになってしまうらしい。
 これは、とんでもない長期戦になりそうである。

 こうなったら、とりあえず痛みは治まっているのだから、多少の不自由は我慢して、日常の生活を再構築するしかないのだろう。煎餅や林檎は無理だが、ピーナッツぐらいなら、当該の歯をなるべく避けるようにすれば食べられないこともない。ウィスキーにピーナッツは、わたしとしてはどうしても必要なのである。
 旅も、全快を待っていたらいつになるか分かったものではない。月が変わったら、何とか計画を立てて復活を果たさなければならないだろう。とんでもない長期戦が確定したら、何となく覚悟もできたような気がする。もともと、何一つ心配な持病があるわけでもないのだから、この程度のことで贅沢を言ったら罰が当たってしまう。
 よしっ。
by krmtdir90 | 2013-10-31 17:34 | 日常、その他 | Comments(4)

10月・たそがれ(近況報告)

 昨年6月に亡くなったレイ・ブラッドベリの初期の短編集に、「THE OCTOBER COUNTRY」というのがあったと思う。訃報に接した時、部屋のあちこちから彼の本を探し出して感慨に耽った。本がたくさんあるわけではないが、きちんと整理しておく習慣がないから、その時この本は見つからなかったのである。
 何となく思い出して、今回は勘が働いて、それほどおかしな場所ではなく創元推理文庫の一冊を見つけた。記憶していた通り、邦訳出版された時にタイトルは「10月はたそがれの国」と変えられていた。何でそんなつまらない改変を行うのかと、その時ちょっと憤った記憶があったのである。

 今回は、別にこの本について書くわけではない。
 少し近況報告でも書こうかと思った時、今年の10月はまったく「たそがれ」だなと不意に思ったのである。このブログもこのところ文字ばかりが続いて、いつまで経っても鉄道写真を載せられないのである。まったく、ツイていないとしか言いようがない。

 10月14日は、新橋・横浜間に日本で最初の鉄道が走った日(1872・明治5年)とかで、その記念に「鉄道の日」というものになっているのだという。これに因んで、この前後2週間ほど、今年の場合は10月5日から20日まで、「秋の乗り放題パス」というのが発売されたのである。日本全国のJR、普通列車(快速含む)限定、3日間で7500円という、青春18きっぷのミニ版といった感じのものである。
 実は、これを利用して2本ほど旅の計画があったのである。ところが、ちょっと体調を崩して(単なる風邪だったが)1本目がキャンセル。さらに2本目は、台風26号の影響で往きの夜行列車(寝台特急「あけぼの」!)が運休となってしまい、天気にも台風の影響が残って、これもキャンセルということになってしまったのである。

 乗り放題パスは使えなかったが、立て続けの台風27号が行ってしまったら、今度こそは出掛けるぞと思っていたら、何と数日前から、急の歯痛に悩まされているのである。下の前歯が1本、前触れもなく(もしかするとあったのかもしれないが)痛み出して、食事の楽しみが完全に失われてしまったのだ。昨日はついに、諦めて近所の歯医者に行った。
 医者と床屋は大嫌いで、特に歯医者にはもう何十年も縁がなかったから、必要以上に緊張してしまって自己嫌悪に陥った。すぐに何とかしてくれるかと淡い期待もあったのだが、そう簡単に話は進まなかった。化膿止めの薬をくれ、様子を見て次回にどうするかを決めると言う。家族が言っていた通り、昨今の歯医者は予約を取るのが大変らしく、次回は29日になると言うのである。それでもこの藁に縋るしか方法はないのだから、おとなしく言われた通りにするしかない。

 食事において、前歯の果たす役割は想像以上に大きいことが再認識させられた。何よりも、食事のたびにこの忌々しい痛みと向き合わなければならないというのは、仕方がないとは言え全く痛恨の極みである。聞けば「飲酒も控えた方が」などと言われそうだったので、その点には触れずに帰れたのが唯一の救いだった。
 それにしても、いまの歯医者はすぐにレントゲンを撮って見せてくれるのには驚いた。それによれば、敵は根っこの周囲が黒ずんで写っていて、炎症を起こしているのが一目で判るのである。歯茎の部分ではないから、歯槽膿漏の可能性はきっぱり否定されたのは良かった。

 だが、言われた通りに化膿止めを飲んでいるのだが、いっこうに治まる気配はない。とにかく、ここしばらくはスッキリしない毎日を送らなければならないらしい。三度の食事は省略するわけにはいかないから、それを思うと何とも憂鬱でたそがれてしまうのである。ひどい10月になってしまったものである。
by krmtdir90 | 2013-10-25 15:17 | 日常、その他 | Comments(2)

「けんかえれじい」(鈴木隆)

 先日の「氷平線」は文春文庫で読んだのだが、文庫本の末尾には通例、その文庫のお薦めタイトルなどが何ページかに渡って紹介されている。何の気なしに見ていたら、作者五十音順に並んだその冒頭に、阿佐田哲也の「麻雀放浪記1・青春篇」「同・2風雲篇」が並んでいたのである。

 いまでも版を重ね読み継がれているらしいことに少し驚き、これは部屋のどこかにあったはずだと捜して、何十年ぶりかで再読してみた。わたしが持っていたのは、双葉社のフタバノベルズ版で、奥付は昭和59年10月…新装第一刷発行とあった。1984年である。
 この年、和田誠監督により「青春篇」が映画化されていて、それをきっかけとして書店の店頭に並んだものと思われる。原作が書かれたのは1969年で、週刊誌に連載されたものだったらしい。主人公・坊や哲こと阿佐田哲也が、本名・色川武大で書いた作品で直木賞を受賞するのは、1978年になってからである。

 読み直してみて、麻雀の牌の並びが文中に出てくる表現方法の目新しさと、戦後の混乱した時代背景の中で、通常なかなか知ることのできないアウトローの世界を描いたという点で、少なくとも「青春篇」はそれなりに面白い小説と感じた。だが、続く「風雲篇」は早くもマンネリ気味というか、どうでもいいよという気分になってしまうのをどうしようもなかった。原作は当時大ブームを巻き起こし、さらに「3激闘篇」「4番外編」と書き継がれたようだが、わたしはそれ以上は読む気を失ったのか、購入はしていない。
 「1青春篇」だけで独立した作品と見れば、決して悪くない青春小説の一つと言ってもいいだろうと思う。ただ わたしの、この年齢になって再読の価値がある小説とは言えないだろうと思った。まあ、成りゆきで「2」も読んでしまったが、わたしに残された時間はもうそんなにあるわけではないのだから、こちらは止めてしまった方がよかったと思った。

 と、ここまでが前置きである。実は、わたしの部屋で「麻雀放浪記」2冊と並んで置いてあったのが、この「けんかえれじい」2冊の文庫本だったのである。わたしにとって、懐かしさという点ではほとんど同じ感じがする本で、都合4冊を再読する結果となったのである。
 「けんかえれじい」は角川文庫で、奥付は昭和57年9月…初版発行となっていた。1982年。わたしは30台半ばで、ほぼ同じ時期にこれら2作品に出会っていたことになる。ただ、こちらの方は、どうも「1」の途中まで読んで、途中で読むのを放棄したもののように思われる。物語の展開に甦ってくる記憶がなかったのである。

 しかしこれは、今回最後まで読み通してみて、少し大袈裟かもしれないが歴史に残る傑作だと思った。昭和の初めから20年(1945年)の戦争末期に至る歴史背景の中で、主人公・南部麒六の喧嘩遍歴に絡めて語られる見事な青春グラフィティーである。
 初読の時、なぜ途中で放棄してしまったのかは、いまにして思えば何となく想像はつく。この小説は、「1」がⅠ~Ⅳ、「2」がⅤ~Ⅷと章分けされているのだが、尋常小学校時代から始まって、主に岡山から会津の旧制中学時代の喧嘩修行を描いたⅠ・Ⅱから、続くⅢで、麒六が上智大学を追い出され早稲田大学に移るあたりで読むのを止めてしまったのではないかと思う。この年齢になればバカバカしいと笑って終わりになることだが、早稲田を落ちて國學院に入ったわたしとしては、戦前の話とは言え、早稲田には少々屈折した思いが残っていたのである。

 このⅠ・Ⅱの部分については、1966年に鈴木清順監督によって映画化されている。南部麒六を若き日の高橋英樹が演じ、喧嘩の師・スッポンには川津祐介がキャスティングされていた。鈴木清順は次の作品「殺しの烙印」(1967)を最後に日活をクビになり、映画が撮れなくなってしまうのだが、そんなこともあって当時の大学生たちの熱い支持を受けることとなり、わたしもそうした雰囲気の中でこれらの映画を観たのだったと思う。
 清順作品の連続上映などもあったりして、「関東無宿」「東京流れ者」など印象に残る作品もあったが、わたしの中では、とにかく一つ突出していたのが「けんかえれじい」だったのである。日活スコープの白黒映画だった。
 原作の角川文庫を購入したのは、明らかにこの映画があったからである。作者・鈴木隆は童話作家としてすでに名の通った人だったということも、全く知るよしもなかった。

 Ⅰ・Ⅱの比較で言えば、映画も実に素晴らしかったが、原作の方もそれに勝るとも劣らない素晴らしさだった。面白さという点では、原作の方が上だったと思う。
 地の文章に張りがあり、表現は個性的でユーモアがあり、何より的確なのである。岡山弁や会津弁の会話が醸し出す何とも言えないコミカルな雰囲気、いろいろな立場の人間とのやり取りが作り出す奇妙な間合いの可笑しさ。物語の設定や展開の、奇想天外と言っても過言ではない意外性と、時代を鮮やかに写し取る客観的事実の挿入の重さなど。
 1958年から同人誌に掲載が始まり、最終的に単行本として2巻が刊行されたのは1966年だったという。

 国語教師として古今東西、名作の書き出しなどを整理したことがあるが、それらと比肩しうる鮮やかな冒頭を少し書き写してみる。

 悲歌(えれじい)といっても、詩情あふれる序奏のようなものはない。さっそく喧嘩の本題に入りたい。
 小学校の時分から、麒六は喧嘩となると、奇妙に先手をとるのが得意であったようである。それというのも、実は彼の腕力臂力(ひりょく)が、漁師町の子供たちにくらべ、かなりのハンディがあったせいである。
    (5行略)
 いつの世もいかなる場合も、最初に暴力行為をとった方が、後日の審判において不利なようである。
 「どっちが早う手を出した」
 受持ちの先生は、いつも道順たがえずこう訊問する。
 「先生、そりゃあ、南部君です。のうみんな、麒六君じゃろうがな、早う手を出したんは」
 相手の顔は急に引き締まり、しめたとばかり輝かしく筋を通す。
 「そうか、そんなら南部の方が悪い」
 先生は出欠の〇X印より、もっと簡単に決裁の印をおす。しかし麒六は、その盲目判(めくらばん)に対してはいささかもって不服である。
 「ほいでも先生、カンノ君が殴るぞッと言いました。殴るぞッと言われてじっとしとったら、ほんまに殴られるんじゃもん。僕あ、カンノ君にやられん先に、一秒ぐらい前にカンノ君を小突いたんです」
 懸命に奇襲作戦でなかったことを力説するが、先生の眉は微動だにしなかった。
 「屁理屈はおえんぞ。それがお前の悪いところじゃ。なあキロク、喧嘩は両成敗に相場はきまっとるが、まあ、先に手をあげた奴の方が横着もんだて」
 先生の、明快な物理的判断には、しょせん抗すべくもない。
 ここにおいて、先手の特殊技能が編み出されることになるのである。
    (以下、略)


 それにしても、最初の一行の見事さはどうだろう。読者の心をぐいと掴んで、そのまま単刀直入に最初のシーンに一気に引っ張り込んでしまう、その手際の何という鮮やかさ。そして、この先生と子供たちのやり取りの何という面白さ。実に巧みな筆さばきと言うほかない。たったこれだけ書き写しただけで、作者の筆力が尋常のものでないことがひしひしと伝わってくる。
 このあと、物語の節目節目で様々な感想があるのだが、長編小説であるから、とてもそれを一々ここに書いていくことはできない。「1」の解説で、映画「麻雀放浪記」を監督した和田誠氏が書いていることだが、読者は最初「熱血痛快小説」といった気分で読み進めていくのだが、次第にそんな単純なものではないことが匂い初めて、最初のあたりではまだ遠景のように見え隠れしていただけの歴史背景が、徐々に物語の前景に侵入し始め、否応もないかたちで主人公を始めとするこの時代の青年たちを巻き込んでいく、「1」の終わりのⅣあたりからの不吉な展開は、何とも悲しいものになっていくのである。

 麒六が学徒部隊として陸軍の山砲隊に入隊する「2」に至って、この物語の全貌が読者の前に初めてその姿を現す。麒六の喧嘩修行は、大日本帝国の軍隊の中にあって、苦渋に満ちたものに変質していかざるを得ない。「1」の「熱血痛快」とほぼ同じ分量をもって、作者は帝国陸軍のあらゆる具体的事実と、それに蹂躙される麒六たち青年の姿を克明に記録していくのである。
 「反戦」という旗幟を最初から鮮明にしたような単純なものではない。それは盲信であったりニヒルであったり、実に様々なかたちを取りながら、全体としてどうにも抗うことのできない激流となって青年すべてを呑み込んでしまうのである。Ⅴの始めのあたりに置かれた、修道院に入ったマドンナ・道子さんとの別れのシーンは切ない。

 どの映画だったか忘れたが、戦争に向かって転げていく時代の中で、最後の眩しい青春を謳歌する青年たちを描いた後で、その若者たちが戦火に倒れ或いは生き延びたことを、在りし日の笑顔のスチールと字幕などで簡単に紹介して終わりとなるような、大甘のグラフィティーものとはこれは大違いの作品なのである。
 延々と、これでもかと描かれ続ける軍隊生活の数々。昭和20年、「2」の後半になって、麒六たちの部隊が広大な中国大陸を敗走し、仏領インドシナに向け絶望的な行軍を開始するに至って、麒六は死ぬのかもしれないという予感が読者の頭をかすめ始める時、「1」の「熱血痛快」の日々が鮮やかに甦るのである。「1」の「熱血痛快」は「2」の絶望の中で、もはや取り返しのつかない悲しい輝きを放つのである。「2」の世界をここまで描ききったからこそ、初めて「1」の世界がこの上なくいとおしいものであったことが読者に実感されるのである。

 もうほとんど忘れてしまったが、デュ・ガールの「チボー家の人々」、トルストイの「戦争と平和」、パステルナークの「ドクトルジバゴ」などを彷彿とさせる、野心的な構想で描かれた戦争文学の傑作の一つなどと言ったら、何をバカなと笑われてしまうだろうか。
 苦い思いで最後まで読み終わった時、「1」で描かれた馬鹿馬鹿しくも輝ける日々を再度読み返したくなる作品なのである。
 南部麒六。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公・ホールデン・コールフィールドと並ぶ、小説というものが作り出した記憶に残る好漢であった。

 昔の文庫本はこんなに活字が小さかったんだと、今更ながら記憶を新たにした読書だった。この本、いまでも書店で手に入るのだろうか。
by krmtdir90 | 2013-10-24 22:04 | 本と映画 | Comments(2)

「氷平線」(桜木紫乃)

 「ホテルローヤル」を読んだ後、桜木紫乃の他の作品を何か読んでみたいと思っていた。だが、大きな書店に行って積極的に探すという感じでもなく、そのままになっていたのだが、先日たまたま近所の本屋(小さい)の文庫本の棚で、「祝・直木賞受賞」という帯の掛かったこの本を見つけたのである。
 2007年11月に刊行された、作者最初の単行本の文庫化である。6編の短編が収録されているが、冒頭に置かれた「雪虫」というのが、2002年にオール讀物新人賞を受賞したデビュー作なのだという。デビュー作から最初の単行本まで、5年というのは確かに長い。しかし、このあたりにこの作者の揺るぎない芯のようなものが感じられる。

 やはり、と言うべきか。この6編は、いずれ劣らぬ素晴らしい出来映えだと思った。「ホテルローヤル」よりも、こちらの方が上ではなかろうか。この人の書く文章の巧さというのは、デビュー当初から一貫していたのだ。決して書き過ぎない。それでいて的確である。最初と最新のたった2冊読んだだけで言うのも気が引けるが、この人は短編小説の名手と言っていいような気がした。永井龍男を思い出した。

 これら6編の特徴の一つは、登場人物の輪郭をかたち作る重要な要素として、仕事(職業)というものがきちんと書き込まれていることがあると思った。それぞれの仕事に繋がっていく、或いはそれぞれの仕事に制約されている、登場人物たちの生活空間(場所)のリアリティといったもの。かれらは結局、そうしたものの縛りの中でしか生きていくことができないのである。
 唯一の例外が「夏の稜線」の主人公の京子であるが、彼女は最初から東京出身の他所者として設定されているから、彼女が最終的に違和感を克服できず居場所を獲得できなかったその場所が、他のすべての登場人物たちにとっては、どうしても脱することができない生活の場であることを、逆に際立たせているような気もするのである。

 ある場所で、ある仕事をして、ある意味淡々と生きていくしかないということ。どんな人間にとっても当たり前のそのことが、桜木紫乃の手にかかると、何とも言いようのない重さで掬い上げられるのである。
 だが、重いけれど閉じてはいないと思った。と言うか、ずっと閉じたままではないことを、どの作品も暗示しているように思うのである。暗示という言葉を使う以外仕方がない程度にしかそれは書かれていないのだが、どの物語も決して内側だけを向いているわけではなく、読後の印象は思ったほど暗くも重くもないように感じられたのである。
 例外は最後に置かれた「氷平線」だと思うが、これは、この主人公の誠一郎が一度はこの場所を出て行った人間であり、それが成功したかに見えるうちに、否応もなく再びこの場所に引き戻されてしまう物語であるからだろう。この物語だけは、一旦は開いたように見えたものが、残酷なかたちで閉じてしまう物語なのである。

 「夏の稜線」が全体の3番目に、「氷平線」が6番目に置かれているという配置も、短編集として絶妙の配置になっていると思った。6編はどれも、男女の関係を中心にしたり伏線にしたりしているのだが、この2編は、上のような意味で他の4編とは少しだけ毛色が違うのである。

 ところで、最初に置かれている「雪虫」では、主人公・達郎の仕事は酪農である。2番目の「霧繭」の主人公・真紀は独立した和裁師である。4番目「海に帰る」の主人公・圭介は理容師で、相手役・絹子はキャバレー勤めである。5番目の「水の棺」では、主人公・良子の仕事は歯科医師に設定されている。いずれの物語も、その仕事と生活場所が物語の展開と非常に深く結びついている。
 その結びつきが、「夏の稜線」(酪農)と「氷平線」(税務署長)では、若干弱く異質であるように思われる。上で述べた物語としての性質の違いが、そこに影響しているのだろうと思う。どちらがいいとか悪いとかいうことではないが、個人的には1・2・4・5の4編の方が、好みとしては少しだけ上のような気がした。3・6の2編は、その終わり方について、少しだけ割り切れない気分が残ったのである。

 最初、本のタイトルを「水平線」と誤解していた。「氷平線」というような言い方が、オホーツク海沿岸の方には実際にあるのだろうか?
by krmtdir90 | 2013-10-20 13:59 | 本と映画 | Comments(0)

それでもJR北海道を応援している

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 JR北海道に関して報道されているこの間の経過は、問題がとても一筋縄では解決できない根深さを持っていることを、日ごとに明らかにしていると思う。
 きのうも、北海道知事が国土交通大臣を訪問してJR北海道に対する監査と指導の強化を要請したというのだが、そんな上っ面な責任逃れのスタンドプレーで何とかなると思ってもらっては困るのである。

 旧国鉄を分割民営化するに際して、本州3社(東日本・東海・西日本)の経営は成り立つが、周辺3社(北海道・四国・九州)については非常に厳しいことが予測されていた。それでも、四国・九州は営業努力で何とかなる可能性があったが、北海道はどう転んでも大幅な赤字を回復することは出来ないと見られていた。
 実際、JR北海道は赤字路線を次々に切り捨て、旧国鉄時代の組合潰しを兼ねて社員数を大幅に縮小したが、依然として赤字体質は改善されず、現在も売り上げ780億に対して300億超の赤字を出しているのだという。ところが、その赤字分は、民営化の際に提供された経営安定化基金というものの運用益で賄われることになっていて、そこに鉄道建設運輸施設整備支援機構という名の独立行政法人が絡んで、国の特別会計から金が流れる仕組みが出来上がっているのだという。

 つまり、もともと民営化など成立しない地域の鉄道を切り離し、企業なのだから合理化も当然、組合潰しも当然なのだと方向付けたのが間違いだったのではないのか。赤字体質からの脱却がまず不可能な中で、それでも民間企業なのだから、赤字減らしのための経費切り詰めと労働強化は甘んじて受け、それでも鉄道員としての矜恃だけは持ち続けろと誰が言えるのだろう。
 民営化の方向そのものを全面否定するつもりはないが、鉄道の経営というものは、赤字路線だから切り捨てればいいという単純な考えを許すわけにいかない部分があるのではないか。JR九州のような、経営としてはかつかつというレベルまで来ていれば、何とか企業努力で、赤字ローカル線も含めて新しい地平を切り開こうという方向性も生まれてくるかもしれないが、JR北海道は最初から桁が違いすぎたのではないだろうか。

 過去に日本全国に張り巡らされ、民営化をきっかけにその多くが廃止されてしまった地方の鉄道網を、これから先もさらに縮小に追い詰めていっていいのかどうか。いま、民営化というかたちで最初から勝敗の見えていた不合理な合理化を推し進めた、国としての大きな責任が問われているのだと思う。今度こそ、国主導で大きな方向転換を行わない限り、新幹線の延伸だリニアだと騒ぐ一方で、それと引き替えにどれだけの旅情が失われることになるのか計り知れないのである。。
 東北新幹線が新青森まで達した時、盛岡・青森間はJRから切り離されてしまった。北陸新幹線が開通すると、長野・直江津・金沢間もJRから切り捨てられることが決まっている。北海道新幹線が新函館(現・渡島大野)まで通じた時には、その新函館・函館間はJRでなくなり、開通を待たずに江差線(木古内・江差間)の廃止も決まってしまったのである。札幌まで届くのはまだずっと先のことだが、その時は恐らく、新函館・長万部・小樽間もとても無事ではいられないだろう。

 これからの新幹線はトンネルだらけになると言われている。リニアに至っては、品川・名古屋間の何と9割がトンネルになるのだという。鉄道会社として、なにか大きな勘違いをしているような気がしてならない。
 地方の鉄道網を維持し、在来線を生かしていくような経営が、民営化された鉄道会社JRの一番の基盤になければおかしいのではないか。
 そのためにいま必要なのは、現在のJR6社体制を見直すことではないかと思う。少なくともJR北海道はJR東日本と合併させて、赤字経営からひとまず脱却できるようにするべきではないか。吸収されるかたちでも仕方がないだろう。赤字会社を抱え込む東日本にとって何のメリットもないように見えるが(事実、東日本は早々と北海道への資本注入はあり得ないと言明した)、それは目先のことに囚われた狭い了見と言うべきである。

 ずいぶん減ってしまったとは言え、まだ日本全国に残っている在来線の線路と鉄道施設は、そこを列車が走っている限り、素晴らしい可能性を秘めた観光資源であり、二度と作り替えることの出来ない文化財なのではないだろうか。
 赤字経営の会社を救済することの見返りに、JR東日本は北海道というこの上ない可能性の原石を手に入れることになるのではないか。東京近郊の採算路線と新幹線で黒字が約束された経営基盤を確保しつつ、リニアなどというバカげた計画にうつつを抜かすことをやめて、在来線の底知れぬ可能性に目を向けた経営に軸足を移し、腰を据えて取り組んでもらいたいと思う。
 ほんの一例を挙げれば、JR九州に影響されて東日本も豪華寝台列車を真似しようとしているらしいが、北海道が手に入れば、経営基盤がゼロに等しかったJR北海道には真似のしようもなかった同様の寝台列車が、もっと魅力的な様々なコースで、タイプも豪華からお手頃価格まで、もっと多様なかたちで可能になるのではないだろうか。

 鉄道会社の語る夢が、新幹線やリニアといった、スピードと時間短縮にしか目が向かないような姿になっているのが、そもそもおかしいことなのではないだろうか。そんなもののために、様々な夢を広げ得る可能性があった在来線を切り捨て、多くの鉄道財産をも捨て去ってきたことの愚に気付くべき時である。いまが、もしかするとその最後のチャンスのような気がするのである。

 歪んだ経営基盤に縛られたJR北海道の経営陣。2年前には、当時の社長が安全意識の向上を社員に促す遺書を残して自死する事件が起こっている。社長というトップの座にありながら、安全意識の向上を遺書のかたちでしか社員に訴えることが出来なかった歪み。
 相変わらず国庫からの補填頼みという体制矛盾の中で、民間企業の組合に脱皮することが出来なかった複数の労働組合。角突き合わせるばかりで、所属組織の如何など無関係なはずの技術継承や指示伝達がうまく行かない事態を放置し、本来社員みんなが持っていたはずのお客さまへの意識や鉄道への夢を、大きく束ねる力になって来れなかった歪み。。 
 安全第一もお客さま第一も、合理化の名の下に過去の遺産を軽視し、ソフト・ハード両面で営々と積み上げられた鉄道財産と平気で断絶して、金儲け第一で新しいものにしか目を向けなくなってしまった職場、夢を語れない職場に根付くはずはないのである。

 この間の経過の中で目につく、原因究明と再発防止をお題目のように唱え、最終的には管理強化と経営陣の交代だけで事足れり、ほどほどのところで事を納めようとしているように見える流れは認めることはできない。
 一方で、こんなことでは安心して乗れないとか、おまえらいいかげんにしろよなーなどと、感情的な反応だけを雰囲気に乗って垂れ流す風潮にも、仕方がない面があることは認めつつも、やはり認めることはできないと思うのである。そういう反応からは何の解決も生まれないだろう。 

 以前の記事に書いたことだが、7月に起こった函館本線・北斗14号のエンジン出火事故では、わたしは翌日の同じ列車で出火した4号車の座席を取っていて、危ないところで難は逃れたものの、翌日は札幌から函館に向かうスーパー北斗の自由席で、2時間以上も立ちっぱなしの苦労を味あわされることになったのである。
 先日、自動列車停車装置(ATS)が作動しない状態のまま何ヶ月も走行し続けていたことが判明した特急オホーツクにも、その期間中に何も知らずワクワクしながら乗っていたし、レール幅の異常が放置されていた多くの路線でも、この数ヶ月何度も列車に乗車していたのである。
 確かに、事故に巻き込まれる可能性はあった。もし事故に遭遇していれば、こんな悠長なことは言っていられないことは判っているが、それでもわたしはこれらのことについて、どうしても彼らを怒る気にはなれないのである。

 JR北海道の社員たちはいま、99パーセントが(あえて100パーセントとは言わないが)重い責任を感じているに違いない。組織や立場の如何、所属組合の如何に関わらず、何とかしなければと必死で考え、必死で行動しているだろうと思う。
 わたしは部外者の一旅行者に過ぎないから、それでも大好きなJR北海道に、これからもがんばってほしいと思うばかりなのである。北海道の鉄道旅の素晴らしさを、何とか守り広めていって欲しいと願うのである。
 JR北海道。それでも、応援しているぞ。

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by krmtdir90 | 2013-10-10 11:59 | 鉄道の旅 | Comments(8)

高校演劇・都大会出演校を観てきた

 きょうは yassall さんと2人で、東京大学教育学部附属中等教育学校(名前が長すぎ)の文化祭に行って、高校の演劇部の公演を観てきた。中高一貫校なので、高1は4年生、高2は5年生と呼ぶことを初めて知った。なるほどなと思った。

 なぜそんなところに出掛けたかということについては、少々説明が要る。実はここの演劇部で顧問をされているK先生は、かつて埼玉県で県立高校の教員をしていた時代があり、その頃ともに西部A地区の演劇部顧問として切磋琢磨した仲間だったのである。
 埼玉を辞めて頭書の学校に移ることになり、その後は時折会うことがあったり電話で話すことがあったりして、新しい学校でまた演劇の顧問として活躍していることは知っていたが、次第に疎遠になってしまって、ここ数年はお互いに音沙汰なしの状態になっていたのである。

 ところが先日、われわれが西部B地区の審査員として所沢に伺った折、最近小手指の方に引っ越したとかで、わざわざ会場の方に足を運んでくれて、久し振りの再会となったのである。
 昔ならそのまま食事に(つまり飲みに)行くところだが、われわれはまだ審査の途中で(来てくれたのは2日目の夕方だった)、もう若くないわれわれとしては、翌日の審査に影響が出るようなことがあってはならぬと(わたしより強いyassall さんは行ってもいいようなそぶりだったが)、わたしがきょうは帰ると強く言い張り、その日はそのままさっぱりと解散したのであった。
 ただ、その帰りの道すがら、東京都の地区大会(夏休み中にあったらしい)で選ばれて、11月の都大会に出ることになったという話を聞き、それはぜひ観てみたいと軽い気持ちで言ってしまったところ、2週間後に文化祭があるので来てくださいという話しになってしまい、なりゆきで(もちろんこちらはヒマでもあるわけで)行くことになってしまったのである。

 いやもちろん、いやいや行ったわけでは断じてない。普段なかなか観る機会のない県外の、特に都大会レベルの芝居を観る機会が偶然やって来たことに、楽しみという気分が非常に強かったと思う。そして、生憎の雨模様だったが、呼んでもらってよかったと率直に思ったのである。

 「17-じゅうなな-」という題名の生徒創作で、どう言ったらいいのだろう、埼玉では(わたしの経験は抜けたところだらけだが)いままで観たことがないようなタイプの芝居で、楽しく観させてもらった。もちろん大人の目で見れば気になる部分もあるのだが、それ以上に彼女たちの(全員女子の演劇部だった)才気というか、60分を見せ切ってしまった持続する思考の跡が見事で、非常に魅力的な舞台に仕上がっていたと思った。
 この種の芝居には珍しく、客席に媚びを売るようなあざとさが一切なく、結構散見されたオーバーアクションも芝居の流れを乱してはおらず、すべてが彼女たちの知性によって裏付けられている印象があり、セリフの力みが少々気になるところはあったものの、セリフやアクションの背後にある自分たちの思考をみんなが信じていて、余計な思惑とかに流されていない、その志の高さと潔さに思わず引き込まれる思いがしたのである。なかなかこういうふうに書けるものではないし、こういうふうに演じられるものではないと思った。

 K先生はわれわれのために、まるで審査員席のような客席中央の一等席を用意してくださり、終演後には部員を前にわれわれが感想を述べる時間をセットして、これは余計なプランだったと思うが、振られてしまうと述べないわけにもいかなくなって、どこまで参考になったかは判らないが、感じたことはすでに言ってきてしまったから、ここに繰り返して書くことはやめておく。
 しかし、その時ちょっと触れた、わたしが審査員だったらやはりこの芝居を選ぶだろうと話したことに関連して、先日審査した埼玉のCブロックで、断トツの舞台を見せた芸術総合とこの舞台がもし並んでしまったら(こういう比較は、たぶん書き過ぎなのだろうと自覚した上で、確信犯的に書いてしまうが)、わたしは恐らくこっちを選ぶだろうと思った。
 それは、一言で言えば、彼女たちがいま進もうとしているこの芝居作りの、困難な方向性への「期待」だと思う。それは、彼女たちだからできる芝居作りであり、彼女たちしかできない芝居作りだと思うからである。

 若者、ガンバレ。楽しい時間をありがとう、である。

 あとで、ちょっと気になったこと。
 取り越し苦労ならいいのですが、照明がもっと出来る上の会場に行った時、もしかすると単サスなどをあれこれ使う予定があるのかなと思わせる気配(?)を感じたのですが、個人的にはあまり照明などはいじらないで(最小限にとどめて)、キャストの演技の流れ(勢いと集中)を信じていいような気がしたのですが…。
by krmtdir90 | 2013-10-05 20:02 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

高校演劇・秋の地区大会③(2013)

 *この文章は②と繋がったものですので、
  できればそちらから読み始めてもらえるとありがたいのですが。


 入間向陽の舞台について書く。
 昨日、中途半端なかたちで文章を中断したのは、こうしたブログという場で、どの辺りまで書いていいものかが判らなくなってしまったからである。あのまま書き続けてしまうと、たぶん書き過ぎてしまうような気がしたのである。すでに所沢北について少々書き過ぎているのかもしれないが、一度アップしてしまった以上、今更無しにするわけにもいかない。
 書く範囲についてはいまも決めかねているが、このブログの主はわたしなのだから、結局わたしの判断で書いていくしかないのだろう。とりあえずは、審査の基準ということから書き始めてみよう。

 入間向陽の舞台というのは、キャストについてはまだ弱いと言うしかないが、それ以外は非常に良く作られていて、舞台作りの方向性も間違っていないし一貫性もあると思った。だが、キャストだけはまだ作っている途中で、生徒も顧問もそれが判っているのだが、手応えを掴めないまま本番を迎えてしまったような印象を受けた。
 ちょっと乱暴な言い方かもしれないが、芝居というのはある意味キャストが全てという面がどうしてもあって、キャストが素晴らしければ、他の部分に穴や疵があってもあまり気にならなくなってしまうということがあるような気がする。所沢北の上演直後のわたしが、そういう心境だったように思う。
 所沢北のことは繰り返しになるから、入間向陽のキャストに戻して言うと、彼女たちは全体に力が入り過ぎていて(一生懸命さは伝わってくるが、余裕が感じられない)、特に出だしが硬かったから、最初の方で客席の笑いを取りたかったところがうまくいかず、結局それをずっと引きずってしまったように見えた。舞台の方がリラックスできていなければ、客席の方もリラックスすることはできないのである。しかも彼女たちは、他校で結構目についた大袈裟な動きやゼスチュアに安易に頼ることをしていないから、一旦固くなってしまった客席を溶かすのは、容易なことではなくなってしまったのである。
 入間向陽のキャストがやろうとしている演技の方向性は恐らく正しい。必然性のない大袈裟な動きやセリフまわしに逃げてしまう(或いはそれが芝居だと勘違いしている)キャストが年々増加しているように感じられる中、彼女たちが取り組んでいる方向性は大切にして欲しいと思った。だが、今回の舞台がうまくいっていなかったのも事実であり、審査というのはあくまで、その今回の舞台に対して行われるものでなければならないだろう。期待はしたいが今回は物足りない。物足りないが期待したい。結局、そこのところが今回の審査の焦点だったと思う。
(また所沢北で申し訳ないが、所沢北の最初の部分、家族のシーンの描き方は、台本の責任もあると思うが、この大袈裟な動きとセリフまわしに依拠してしまった結果、家族関係の図式的な描き方を抜け出すことができなかったのだと思う。)
 入間向陽の舞台で、キャスト以外に気になった部分は少ない。道具もしっかり飾り込んで雰囲気を出していたし、ドン上げからドン切りまでの流れもしっかり作られていたと思う。わたしがメモしたのは、先輩が出てくる路上のシーンと職員室の処理の仕方の2点だけである。
 路上については、部室を訪ねてくることに変更できると思う。職員室については、やり方は判らないがもう少し工夫が必要だと思った。特に、部室の状態の時に上手奥に存在するドアを職員室に入るドアとして使用したのは、設定上おかしいし変更が必要だと思った。西部A地区の〇〇先生なら、きっと下手パネルを1枚、蝶番でくるりと回して職員室の壁に変えるねと、 yassall さんと笑い合ったというのは全くの内輪話である。

 結局、最後の判断の経過については②で書いた通りである。キャストの出来の印象の強さということはあるが、舞台を構成しているのはそれだけではない。様々な要素をトータルして見て(ざっくり)優劣つけ難いと感じた時に、わたしとしては、その方向性の正しさの方にもう少し期待して肩入れしてみたいと思ったのである。

(つけ足し)
 やはり書き過ぎになるのかもしれないが、台本についても少し触れておくことにする。

 この台本を初めて読んだ時、いい本だなと率直に思った。先日、塩野事務局長と会った時、肩の力が抜けた気がすると言っていたが、同感である。別にいままで肩の力が入り過ぎていたということでもないのだが、今回の本の、この何とも言い難い「ゆるさ」というようなものは、非常に好感が持てたのである。わたしがいいと言うのはもしかすると良くないことなのかもしれないから、以下はそういう距離感で受け止めてほしいと思う。
 この「ゆるさ」の原因は、恐らく演劇作りをガンガンやる〇井という顧問を、転勤させてしまったという設定から来ているような気がする。この設定を作ったことで、演劇作りをガンガンやることに対する距離感が生まれ、演劇作りをガンガンやる〇井を相対化して見る余裕が作者の中に生まれたのではないかと思う。そんな相対化なんて前からしていると作者は言うかもしれないが、〇井なき後いやいや顧問を引き受けた澁谷まるきゅーというような登場人物は、果たしてこんなに肯定的に描けたかどうか。
 今更言わずもがなのことだが、演劇部ものというのは高校演劇の一つのジャンルと言ってもいいくらいたくさんの作品があると思うが、成功したものは少なく、逆に身近すぎて書くのも演じるのも難しいということがあると思う。だから、結構突飛な設定を絡めてしまったりして、こんなふうにその日常だけを上手に切り取ってみせるというのは、案外珍しいのではないかと思った。回想部分の描き方も、説明過多になりがちなところをあっさり処理して、バランスを崩していないのはさすがである。
 概して創作台本というのは(生徒創作も顧問創作も)、どうしても語り過ぎ・説明し過ぎになってしまうものが多いように思うが、この本はむしろ、淡々とした事実と日常言葉の積み重ねにとことんこだわって、余分に語ろうとしないところに美点があると思った。一例を挙げれば、ラストの1年生3人が戻って来るところ、凡人作家なら絶対にもっと書いてしまうと思う。もうちょっとだけ書き足したい誘惑に負ける思う。それをしなかったから恐らく、今回の舞台でもキャストの物足りなさはあったとしても、ラストはラストとしてしっかり成立していたのではないかと思う。本音を言えば、しっかり観客の方も泣かせて欲しかった気はするけれど。
 まあ、この語らないということに関しては、語り過ぎない方がいいということでは誰もが一致すると思うけれど、描き切れていないという評価とは常に紙一重の部分があるから、まっちについてはちょっと描き切れていないのではないかという yassall さんの感想などについては、それだからいいんだと言いたい反面、首肯してしまうところも確かにあったのである。辞める理由はあれ以上いらないと思う。だが、まだ演劇をやっていた頃の、まだ演劇が好きだった頃のまっちを、もう少し、ほんのちょっとでいいから印象に残して欲しい気はした。
 それにしても、全編にばらまかれた遊び心溢れた笑わせゼリフなどは、どれも節度があって嫌味にならず(前に「上品」という言葉を使ったことがあったかもしれない)、決して観客を軽んじたり媚びを売ったりしていないところがいいと思った。役のキャラクターともちゃんと繋がっているし、あとはキャスト各人がこういうセリフを、役のセリフとして消化してくれることを期待するばかりである。リラックスがこの本の鍵になると思う。

 この本、〇井版「幕が上がる」だと思った。あ、ここは〇井じゃなくていいのか。
by krmtdir90 | 2013-10-01 15:18 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)


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