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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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また九州の旅⑧大村線(2014.3.24)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 最終日は大村線を楽しんでから帰る計画である。
 きょうも引き続きいい天気で、内陸を走る時は天気が悪くても我慢できるが、海岸線を行く時は、やはり天気がいいことが必須の条件のような気がする。もちろんこれはどうしようもないことなのだが、今回はそういう意味では非常にツイていたと言えると思う。

 大村線は、長崎本線の諫早駅と佐世保線の早岐(はいき)駅を結ぶ全線単線の路線だが、博多から佐世保線経由でハウステンボス駅にやって来る特急があるために、早岐・ハウステンボス間のみ電化されていて、他の区間は非電化のままである。
 普通列車は運行上、長崎や佐世保を起点とするものが多く設定され、その多くがシーサイドライナーと名付けられた快速運転の列車になっている。シーサイドライナーは基本的に、長崎本線の区間は肥前古賀回りの新線経由で運転される。

 長崎駅7:43発、シーサイドライナー佐世保行きが入線してくる。
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 シーサイドライナーを名乗る以上、当然シーサイドライナー塗装の車体がやって来ると思っていたら違った。ハウステンボス塗装のキハ200と、シーサイドライナー塗装のキハ220の、異種連結の2輌編成だった。こういうこともあるのだ。
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 ただ、わたしにとってはそれよりも大きな問題があった。同じこれらの塗装を施された車輌でも、キハ66・67の場合は窓が開けられるが、200・220の場合は窓が開かないのである。しかも窓ガラスに何か眩しさを押さえるコーティングのようなことがしてあるらしく、景色が全体に青緑がかった沈んだものになってしまい、ガラス越しにシャッターを切ったのでは、色合いが全然おかしなものになってしまうのである。

 試しに撮ってみた大村湾の景色。やはりこの色調は許し難い。
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 因みに、トイレに立った時に前だったか後ろだったか、運転席横から撮ったものがこれ。前後のガラスの場合は問題ないようである。
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 まあいいだろう。きょうは、乗っている時はのんびりゆったり行くことにしよう。

 8:53、彼杵(そのぎ)駅で途中下車。
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 実は、快速シーサイドライナーはすべて通過してしまうのだが、一つ手前に千綿(ちわた)という駅があって、ホームが海に非常に近いところにあるようなのだ。それを知って、その駅にぜひ下車してみたいと思って、ちょっとした工夫をしたのである。この後やって来る普通・長崎行きで一駅戻り、少ししてやってくる普通・早岐行きで元に戻る。
 少ない本数の列車をあれこれ組み合わせて、こういうようなことを考え始めると、マニアの深みに相当はまり始めている気もするのだが。

 さて、彼杵駅。せっかく降りたのだから、この駅の様子もしっかり記録しておいてやらなければ。
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 9:08、戻りの普通列車がやってきた。窓が開けられるキハ66だが、一駅戻るだけだからどうでもいい。
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 ということで、千綿(ちわた)駅。9:13、キハ66は行ってしまった。
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 来てみてよかった。この駅はいい駅である。線路を隔てて、すぐ目の前が大村湾である。
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 全体が春霞の中にあるようで、水平線ははっきりしない。のどかな春の海が広がっている。
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 景色だけではない。ここにはきちんとした木造駅舎があった。
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 それほど古い感じはしないが、これが正しい駅の姿だと思う。海の見える広場に、凛として建っている。
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 広場に面して、車の走る道路(国道34号)があり、あまり意味があるとは思えない歩道橋があったので、その上からもう1枚。
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 簡易委託駅になっているらしく、窓口の中には女性がいた。利用者もいた。
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 わたしのような者のために、ちゃんと灰皿も置いてあった(右手)。すばらしい駅である。
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 9:36、早岐行きの普通列車がやって来た。窓が開けられるキハ67だ。
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 こちら側の海はすっかり霞んで、海と空の境がまったく分からない。
 因みに大村線は、佐世保・早岐方面行きが上り、長崎・諫早方面行きが下りだということに、先ほど気がついた。

 彼杵の次、川棚(かわだな)駅で交換待ち停車。けっこう時間があって、構内踏切を渡って外に出てくることも出来た。
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 行き違ったのはハウステンボス塗装のキハ66、長崎行き・快速シーサイドライナー。シーサイドライナーだけど、完全にハウステンボスなんだ。
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 次の小串郷(おぐしごう)駅は花で一杯だった。停車した時、窓が開けられるとこういう写真が撮れるのである。
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 ハウステンボス駅。ホームは反対側だった。橋上駅になっているらしく、園内から架かった橋がそのまま駅に繋がっているようだ。
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 10:12、早岐駅着。この列車はここ止まりで、佐世保までは行かない。路線としての大村線もここで終わりである。わたしも佐世保には行かず、再び大村線を引き返すつもりである。
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 その前に、一旦外に出て。この駅、けっこう歴史のありそうな木造駅舎である。
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 駅前の通り。向こう側にあるちょっと趣のある建物は歯科医院のようだ。
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 早岐駅10:39発、快速シーサイドライナー長崎行きがやって来た。
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 11:22、路線名になっている大村駅で途中下車。
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 ここも、けっこう立派な木造駅舎である。
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 駅前も広く、天気もいいので開放感がある。。
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 待合室の一方に、地元のFM放送局のブースができていた。
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 大村線最後の車輌はハウステンボス塗装の方だった。11:56、大村駅発。
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 12:08、諫早駅着。
 昨日行った和食の店・和元で、きょうもビールと天麩羅御膳を食べた。全く見知らぬ遠い土地で、2日連続同じ店に入るというのもそうあることではないだろうと思った。きょうは重い荷物を持っていたし、もう一度別の店を探すのが面倒だっただけなのだが。でも、ちゃんとした美味しい店でしたよ。

 13:17発、長崎本線・鳥栖行きに乗車する。817系電車、2輌編成。
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 途中、一駅だけ。肥前山口の一つ手前、肥前白石(ひぜんしろいし)駅。交換待ちで、けっこう長く停車していたのだ。しっかりした木造駅舎のようだったが、外に出ることはしなかった。
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 15:43、新鳥栖駅で下車。今回は、ここから新幹線に乗り継ぐ。
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 新しくて立派な駅だが、人影はまばらだった。
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 帰りの新幹線。新鳥栖15:54発・さくら560号、新大阪18:45着。
 新大阪19:16発・ひかり534号、新横浜21:52着。
by krmtdir90 | 2014-03-31 09:45 | 鉄道の旅 | Comments(0)

また九州の旅⑦長崎本線3・長崎散歩2(2014.3.23)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 諫早で少し遅い昼食をとった。この店は宴会などにも対応できるそれなりの店のようで、靴を脱いで上がるカウンターで、ランチの寿司御膳というのとビールをいただいた。
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 諫早駅のJRホームで。
 春の臨時列車・14:04発、特急かもめ91号・長崎行き。
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 肥前古賀回り(新線経由)で長崎からやって来た、諫早止まりの区間電車。
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 早岐(はいき)駅始発で大村線からやって来た、14:14発の長崎本線・長与(ながよ)回り(旧線経由)長崎行き。すっかり見慣れたシーサイドライナー塗装のキハ66。わたしはこれに乗車する。
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 来る時も旧線を来たから、様子は大体分かっている。喜々津(ききつ)駅から旧線に入り、東園(ひがしその)駅を出るあたりから右手に大村湾が迫ってくる。よく晴れているから、非常に美しくのどかな海である。
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 海岸線ギリギリを走るようなところもある。
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 菜の花の黄色は至るところで目に付いた。桜には少し早すぎたが、菜の花はちょうど今が盛りという感じだった。
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 大草(おおくさ)駅で交換待ちの停車。
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 すれ違ったのはハウステンボス塗装のキハ67、大村線に入る佐世保行きだった。
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 ここ大草駅までは大村湾が見えていたが、このあとは海から離れ、トンネルを抜けると次第に市街地に入って行く。

 本川内(ほんかわち)駅。下車した青年の向こうにある、一般の民家に紛れてしまいそうだが、これが駅舎である。
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 高田(こうだ)駅。高田と書く駅は新潟の高田(たかだ)を初めあちこちにあるようだが、「こうだ」という読みは珍しいと思う。
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 休日だからだろうか、どの駅でも地元の人の乗降がけっこうある。
 次の長与(ながよ)駅は結構大きい駅で、大きい駅というのは車窓からだとなかなか撮りようがないのである。よって、パス。

 道ノ尾(みちのお)駅。ここには割としっかりした木造駅舎があった。帰って調べてみると、原爆投下の際も焼失は免れ、爆風で傾いたものの何とか残って、運ばれて来る被災者の一つの救援拠点になったのだという。
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 昨日、西浦上ではなくこちらの駅まで来ればよかったとも思ったが、西浦上は西浦上で面白かったのだし、こちらはまた次に来ることがあったら寄ればいいと思い直した。

 15:04、長崎駅着。
 このあと、路面電車を使って少し長崎の町を回ろうと思う。長崎の路面電車は1回120円。一日乗車券は500円だから、5回以上乗らなければ元は取れない。これからだとそんなには乗らないと思ったので、その都度払うことに決めた。
 長崎駅前電停はブリッジを渡って行くかたちになっている。昨日も写したが、長崎駅をブリッジの上からもう一枚。
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 車体はここもいろいろなのが走っているようだが、新型の超低床式・連接構造という車体には、最初この長崎駅前で出会ったきり、あとは一度も出会わなかった。
 これは最も新しい5000形電車。
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 これはそれより少し古い3000形電車。
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 長崎は修学旅行で来たことがあるから、ずいぶん前だけれど、その時有名なところはけっこう回っているので、やはりあまり観光客が行かないマイナーな方面がいいと思った。1系統終点の正覚寺下(しょうかくじした)に行ってみることにした。
 やって来たのは1500形という、最も普通のかたちの車体だった。路面電車というのは、やはりこのありふれた姿がいいと思う。
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 正覚寺下電停。実は降りてから、電停を入れていま乗って来た電車を撮ろうとしていたら、あっという間に折り返して行ってしまった。何とも忙しい電車である。
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 あきらめて歩き始めると、次の電車がやってきて電停の中にすっぽり収まった。
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 ほとんど間を置かず次の電車もやってきて、前の電車が出て行くのを待っている。間隔が詰まってしまうとこういうこともあるのだ。
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 なお、電停に入っている電車は1300形、待っている方は360形というかなり古いもので(数字が小さいほど古い)、調べてみたら昭和36(1961)年に導入されたものらしい。

 さて、崇福寺(そうふくじ)というのに行ってみることにする。寛永6(1629)年創建で、中国様式の寺院としては日本最古のものだという。いろんな建物が国宝や重要文化財になっているらしい。
 三門(重要文化財)。嘉永2(1849)年建立。
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 第一峰門(国宝)。正保元(1644)年建立。
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 大雄宝殿(国宝)。正保3(1646)年建立。
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 他にもいろいろあったようだが、事前に調べてから行った訳ではないから、実はあまりちゃんと見ていないし写真にも収めていない。
 一方で、これは何の指定も受けていないが、俗人にはなかなか興味深かった鋳鉄の大釜。
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 天和年間の飢饉の時に、人々への炊き出しに使用したものらしい。

 再び路面電車の通りに戻り、向かい側にあるかつての花街・円山町や思案橋といったところを少し歩いてみようと思った。横断歩道を渡りながら。
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 地図を片手に大体こちらの方向だろうと歩いていると、思案橋電停より少し手前のところで、偶然こういう狭い入口を見つけた。特に目立つ表示があるわけではないから、ぼんやりしていると見落としてしまいそうだ。
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 階段を上って行くと、こういう細い路地が続いていて、分岐するところや角には控え目なものだが指標が整備されている。
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 路地そのものは特段手が加えられていないが、このあたりを散歩する場合の標準的なコースになっているらしい。

 しばらく行くと料亭青柳というのにぶつかり、左が少し広い下り階段になって、下の通りが見通せるようになっていた。脇に説明板が設置されており、この通りが昔の丸山本通りというメインの通りだったことが書かれていた。
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 階段を下りて通りを中程まで行くと、左に、長崎検番という木の看板が掛かった古い木造の建物があった。
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 帰ってからネットを見てみると、長崎検番のホームページというものもあって、現在も芸者衆の手配や統括を行い、また歌舞の稽古場としても現役の建物であるようだった。
 散歩の標準的コースでは、長崎検番のすぐ右のところから再び細い路地に入るようになっている。
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 しばらく行くと小さな鳥居があり、
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 石段を登ると右手に、梅園身代わり天満宮という小さな社があった。身代わり天神と呼ばれて、芸者衆などの信仰を集めてきたもののようだ。
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 この近くには、直木賞を受賞したなかにし礼の「長崎ぶらぶら節」のモデルになった、愛八(あいはち)と古賀十二郎(こがじゅうじろう)の説明看板などもあって、まだ読んでいないわたしは、読んでみないといけないなと思った。

 また少し行くと、中の茶屋というのがあった。
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 江戸時代から続く由緒ある茶屋だったようだが、昭和46(1971)年に火災で焼失、その後に新築復元されたものらしい。長崎市出身の漫画家・清水崑の展示館としても活用されているようだ。
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 また細い路地を辿って、中の茶屋の庭園を囲む土塀を回り込むように行くと、
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 突然急な階段があって、それを下りると普通の道になり、路地の散歩は終わりになったようだ。
 しかし、少し行ったところに、かつて中の茶屋と並び称せられたという料亭花月の建物があった。いまも現役の料亭のようだが、県指定の史跡になっていて、門の中の竹垣のあるところまでは入れるようになっていた。
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 花月の正面には円山公園という小さな公園があり、その先の道路が広くなった四つ辻に、円山町交番という、とても交番とは思えない歴史のありそうな石造りの建物があった。
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 近くにはカステラの老舗・福砂屋の本店もあったが、別に買うつもりもなかったから入らなかった。試食くらいできたかもしれないから、入った方が良かったかもしれないと後で思った。
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 あと、花街の定番である思い切り橋の欄干だったという石と、いつ植えたのか分からないような痩せた見返り柳が説明板とともにあったが、ここに載せるほどのものではなかった。

 さて、思案橋電停。いろいろな車体が行き交う。
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 これは211形という、昭和26(1951)年に製造された非常に古い車体のようだ。
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 4系統・蛍茶屋行きに乗車する。
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 西浜町交差点。1・4・5の3つの系統がクロスするところである。
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 車道脇の専用軌道を行く区間がある。
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 賑橋(にぎわいばし)電停で下車。
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 徒歩数分、観光スポット・眼鏡橋。若い人たちは、こういうことやっても怖くないのだろうな。
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 賑橋電停から眼鏡橋と反対方向に歩くと、眼鏡橋が架かる中島川を路面電車が渡るところがあった。路面電車の鉄橋。別にどうということもないと言えばそうなんだけどね。
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 帰りは直通で長崎駅前に行くことは出来ない。この5系統・石橋行きで築町(つきまち)まで行き、1系統に乗り継ぐのである。
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 こういう場合、築町電停で料金を払って下車する際に、申告すると乗り継ぎ券というのをくれて、次はそれを料金箱に入れれば新たな支払いは必要ないのである。
 ということで、長崎駅前電停に帰ってきたのは17:45だった(いまはデジタルカメラが撮影時刻を記録しておいてくれる。便利になったものだ)。
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 ホテルの部屋の戻ると、ちょうど夕日が稲佐山展望台の向こうに沈むところだった。
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 昨夜はちょっと焼酎などを飲んでしまったので、最後の晩はさっぱりと長崎ちゃんぽんで終わりにした。もちろん、部屋に帰ってウィスキーを少し飲んだりはしたけれど。
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by krmtdir90 | 2014-03-30 17:25 | 鉄道の旅 | Comments(2)

また九州の旅⑥島原鉄道(2014.3.23)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 昨日に続いて、きょうも快晴である。
 長崎に泊まったのだけれど、きょうはまず諫早に行く。長崎駅8:10発、長崎本線・長与(ながよ)回り(旧線経由)。(旧線はこの日の帰りにも乗ったので、沿線の様子はその時に。)
 3連休最終日で、若い親子連れの姿も目立つ。
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 9:03、諫早(いさはや)駅で下車。
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 きょうは第4日曜なので、島原鉄道に乗ろうと思う。JRの改札を出て、島鉄の自販機でこのフリーパス1000円を購入した。毎月、第2・第4日曜日にだけ販売する激安のフリーパスである。
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 島原鉄道は、諫早駅から島原外港(がいこう)駅まで43.2キロを走る私鉄で、全線を乗り通すと片道1470円である。このフリーパスが桁外れに安いことが判ると思う。今回の旅をわざわざ混み合う3連休に計画したのは、このきっぷが利用できる第4日曜日に照準を合わせたからに他ならない。

 諫早の駅舎などを撮影してから島鉄のホームに行くと、すでに9:23発の単行ディーゼル車が入線していた。
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 予想通り、地元の乗客の他に親子連れや旅行者なども混じってすでに座席は一杯で、立っている人もけっこういる。焦っても仕方がないので、ゆっくり車体の写真などを撮影した。
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 マスコットキャラクターは島原の子守歌に因んだもののようで、なかなかいい感じだと思う。全ての車輌が統一された黄色い塗装で、広告ラッピングなどはやっていないらしい。

 発車時刻が近付いたので、乗車して後部貫通扉の窓を確保する。空いている時にここに立って後ろを見ているのはちょっと恥ずかしいものだが、混み合って立っている乗客も多い内の一人だから、こんな気楽で楽しいことはないのである。
 定刻9:23より若干遅れて、普通・島原外港行きは発車した。
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 ほぼ1時間弱、後部の窓からの眺めを堪能した。
 一応ほとんどの駅でシャッターを切ったが、ホーム待合所だけの駅も多く、あまり印象に残る駅はなかった。しかし、全部ボツにするのも忍びないので。

 最初の停車駅・本諫早(ほんいさはや)駅で、早速列車の行き違いがあった。島原鉄道は全線が非電化の単線だが、運行本数はけっこう多いのである(上り下りとも一日27本)。
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 干拓の里駅。名前の通り、このあたりからしばらくは、右手に(進行方向を向けば左手に)諫早湾干拓地が見渡す限り広がっている。
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 次の森山駅。ホームにいるのはこの列車から下車した人たち。右手は干拓地が見渡す限り。
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 諫早東高校前駅。諫早東高校は左手にあるようだ。
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 けっこう下車する人もいて空いてきた車内。でもまだ立っている人もいる。
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 愛野(あいの)駅。なぜか十字架のある、赤いとんがり屋根の不吉な予感のする駅舎。
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 降りてみるまでもなく、どういうコンセプトで作られたのか想像できてしまう。これ、絶対どこかに「愛の駅」って書いてあると思う(違っていたらゴメンナサイ)。と書いてから、島鉄のホームページを調べてみたら、まさにドンピシャリだった。やめた方がいいと思うけどなあ。

 阿母崎(あぼざき)駅。
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 吾妻(あづま)駅で諫早行き列車と行き違い。
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 吾妻駅を出ると、右側に(進行方向を向けば左側に)諫早湾が見えてきた。そして予想通り、潮受け堤防と水門が見えた。
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 昨日の長崎本線から見えたのが北の端で、これが南の端ということになる。とにかく、すごいスケールの干拓事業であることはよく分かった。

 次の古部(こべ)駅は、海岸線ギリギリにホームがある駅である。島鉄にはこういう駅が2つあって、その内1つには下車する計画を立ててあるのだが、こちらは選ばなかった駅ということである。ずっと彼方に、まだ潮受け堤防と水門が見えている。
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 大正(たいしょう)駅。
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 多比良町(たいらまち)駅。ここはサッカーの強豪・国見高校の最寄り駅らしく、右手ホームの待合所の向こう側にサッカーボールの石碑(記念碑?)が建っていた。
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 島鉄湯江(しまてつゆえ)駅。待合所(駅舎?)の壁に妙にリアルな蟹の絵が描いてある。広告にしては文字が見えないし、何だかよくわからない。
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 10:18、大三東(おおみさき)駅で途中下車。
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 もう1つの、海岸線ギリギリにホームがある駅である。
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 駅を挟んで反対側には普通に人家が建っているのだが、ホームから海の方を見ていると、意識には海とホームと線路しか感じられなくなってしまうようだ。開放感があって何とも気持ちがいい。風もほとんどなく、春の日射しが暖かである。
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 このあたりの海はもう有明海とは言わず、島原湾と言うようだ。はっきりした境目がある訳ではないが。
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 沖合に見える無数の棒と小舟は海苔の養殖だろうか。
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 駅舎というか、簡素な待合所もいい雰囲気である。
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 駅前にはちょっとしたスペースしかなく、すぐ先に車が走る道路が通っているようだ。だが、この駅では海にしか気持ちが向かず、そっちの方に行ってみる気にならなかった。
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 10:42発、急行・島原外港行きがやって来た。島鉄では、上下27本のうち5本が急行として設定されているが、停車駅はけっこう多く、この駅にも停まるということは、この日はいなかったが、この駅の利用者も案外いるのかもしれない。

 10:54、終点の一つ手前、南島原駅で下車する。
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 ここは、改修は施されているようだが、大正2(1913)年の開業以来の立派な木造駅舎が使われている。
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 正面の重厚な扉は閉鎖されていて、公衆電話の左側が出入口になっている。
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 駅前の家並み。
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 左の方に少し行くと、ぐっと内陸に入り込んだ小さな海越しに、雲仙の山が見えている。
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 しかし、調べてみると、これは手前の眉山(まゆやま)という山(七面山・天狗山の2つからなる)で、雲仙普賢岳はこの向こうに隠れてしまっているようだ。平成2(1990)年から始まった大噴火の時には、この山並みが壁になって島原市を火砕流などから守ったのだという。

 駅に戻る。ここには、島原鉄道の車両基地がある。1輌だけ、広告ラッピング車輌があるようだ。
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 しかしこの駅、予想以上に風格のあるいい駅だった。
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 11:13発の諫早行きで2駅戻った。11:17、島原駅着。
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 ここは島原観光の玄関口となる駅で、観光を意識した大きな駅舎と駅前ロータリーがあった。島原の子守歌の像も立っている。
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 駅前から見える島原城は、昭和39(1964)に天守閣が復元されたもののようだ。望遠をかけてみると、城の左手に、ここからは眉山の向こうに雲仙普賢岳の姿も見えている。
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 今回は観光の予定は全くない。11:38発で終点・島原外港駅へ。11:45着。
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 島原外港駅。この駅は元々の終点だった訳ではない。島原鉄道はこの先も、まだずっと続いていたのである。しかし、先の大噴火で致命的な被害を受け、平成20(2008)年にここから先は廃止されてしまった。
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 見ると、車止めはなく、まだ先の方へと線路は続いているのである。何だか切ない感じがするではないか。
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 さて、観光は全くしなかったが、これで島原鉄道の旅は終わりである。帰りもフリーパスで、島原外港駅11:56発、諫早駅13:14着。

 帰りの車窓から2枚。
 1枚目。左が手前の眉山。右が奥の雲仙普賢岳。
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 2枚目。諫早湾干拓、潮受け堤防と水門。
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by krmtdir90 | 2014-03-29 22:41 | 鉄道の旅 | Comments(0)

また九州の旅⑤長崎本線2・長崎散歩1(2014.3.22)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 長崎本線は、諫早湾干拓の潮受け堤防が見えたあたりを最後に海岸線を離れ、諫早(いさはや)駅の前後からは乗客も増えてきた。
 わたしが乗っているのは415系という電車だから、このあと喜々津(ききつ)駅から、電化されている肥前古賀(ひぜんこが)回りの新線の方を行くことになる。電化されていない長与(ながよ)回りの旧線は、ぐっと西側を大回りして大村湾沿いを走ったりするようだが、新線は短絡線として直線的なルートを取って建設されたから、時間的には大幅な短縮にはなったが、トンネルが多く、風景などはほとんど見るべきものがないのである。

 計画では、このまま17時前には長崎に着く予定だったが、何となくそれではつまらないという気分になってきた。そこで、16:54、長崎駅の一つ手前の浦上(うらかみ)駅で途中下車してみた。
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 このあと、旧線区間を全部乗って来る時間はないが、旧線一つ目の駅である西浦上駅まで行って来ようと思ったのである。さっき新線のトンネルの中で慌ただしく時刻表をめくり、行き帰りの接続などを確かめた。

 浦上駅では一旦外に出て、全然面白くない駅だなあなどと思いながら外観を撮ろうとしていた時、ふと中に目をやると、そこに「ななつ星in九州」の姿が見えた。あわてて中に戻ると、向かいの旧線のホームに停車したのである。
 ちょうど真横から見るかたちになるから、どういうふうに写せばいいか、とっさに判断できない。
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 とりあえず2、3枚写したところで動き始めてしまった。あとは走り去る後ろ姿を数枚。
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 結局、先頭の機関車を写すことは出来なかった。偶然て、そういうものなんだよね。
 しかし、「ななつ星」はやはり、時間はかかっても風景の楽しめる旧線の方を行くのだということが分かった。

 さて、跨線橋を渡って、「ななつ星」がちょっとだけ停車した旧線のホームへ。
 休日とはいえ、夕方の混み合う時間帯になっている。これは新線回りの諫早方面行き。長崎から家に帰る人たちでかなりの混雑である。
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 向かいのホームからはハウステンボス塗装の長崎行きが発車する。キハ67。
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 こちらには17:08発の旧線・長与行きがやって来た。シーサイドライナー塗装のキハ200。これに乗車する。
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 こちらは座席が大体埋まるくらい。
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 17:12、西浦上駅で下車。
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 別にどうということもない、近郊市街地の小さな駅である。
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 左手にサンモール中園というアーケード街があった。
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 こんなところは観光客はまず来ないから、地元の人向けの店ばかりで、けっこう地元の人が歩いている。
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 突き当たりまで行くと、路面電車の走る大きな通り(国道206号)があって、向かいにはさらに、サンモール住吉というアーケードが続いていた。
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 路面電車が割と頻繁に通る。あとで調べたら、1系統・3系統の終点である赤迫(あかさこ)電停というのが、すぐ先にあるようだ。
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 因みに長崎の場合、長崎電気軌道(株)という会社が運行しているものなので、市電ではなく路面電車と言うのである。

 ごく短時間の散歩だったが、こういうのは意外と印象に残るものである。
 再び西浦上駅に戻る。やって来た17:37発の長崎行きに乗車する。
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 線路沿いに何本か桜の木があったが、咲き始め・一分咲きといった感じだった。
 車窓から平和公園などは見えないようだったが、西浦上・浦上間の、線路にかなり近いところが爆心地だったということだ。

 17:44、長崎駅着。
 シーサイドライナー塗装、ドアが閉まると赤で、何とも言えず洒落ている。
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 最初に乗っていた関門ラッピングの415系が、折り返し肥前山口行きになって停まっていた。
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 全ての線路がここで終わっているという、終着駅の風情というのはいいものだと思う。
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 終着駅では階段を上ったり降りたりする必要がない。ホームに降りて、そのまま歩いていけば改札口があり、そしてそのまま外につながっている。
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 この日は3連休中日で、ホテルを押さえるのに苦労した。
 泊まりつけの幾つかのホテルチェーンなど、この日だけはどこも軒並み満室で、ビジネスホテルとしてはランクが上のJR九州ホテルというのが、たまたま旅行会社押さえの数室が空いたところにぶつかって、何とか取ることができたのである。しかもこれが、鉄道旅をする者には絶好の立地で、上の写真の左端あたりにあるエスカレーターを2階に上がると、そこがもう入口ということで、押さえるタイミングが良かったとしか言いようがない。

 で、9階の部屋からの夜景を3枚。
 1枚目。右上が、観光客がよく夜景を見に連れて行かれる稲佐山展望台の光。昔、修学旅行で生徒を連れて行ったことがあると思う。
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 2枚目。恐らく、長崎港の入口に架かる「ながさき女神大橋」だと思われる。
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 そして3枚目。長崎駅の構内。3分の2くらいを見ることができるのだが、写真では半分くらいしか写っていない。
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by krmtdir90 | 2014-03-28 18:27 | 鉄道の旅 | Comments(0)

また九州の旅④柳川散歩・長崎本線1(2014.3.22)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 西鉄久留米駅8:02発、天神大牟田線・特急大牟田行き。
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 西鉄は全線が電化されているが、久留米から大牟田に向かう区間は、複線のところと単線のところが混在している。しかし、この特急電車というのは、単線であろうと関係なく猛烈なスピードを出して走る。沿線に軒を接する民家もあるわけで、これは大変だろうなと思った。

 西鉄の久留米駅を起点に半日の観光を考えると、太宰府天満宮か柳川ということになり、柳川を選ぶことにした。柳川は昔、修学旅行で一度来たことがある。
 8:18、柳川駅着。
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 柳川駅は工事中で、駅の外観は何とも残念な姿だった。
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 駅前に川下りの案内所があったので、入って聞いてみると、最初の舟は9:10に出発だと言う。料金は1500円、所要時間は70分ということだった。もうすぐ乗船場へのマイクロバスが迎えに来るらしい。
 ということで、ここが乗船場。
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 船頭さんたちが朝の体操をしている横で、煙草を吸ったりして少し待った。この日は3連休の中日で、天気もいいし、これからどっと人出があるのだろう。

 この日最初のどんこ舟は14、5人のお客を乗せて、ほぼ定刻に漕ぎ出した。
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 空気は少し冷たかったが、日射しは暖かく、まだ舟が混み合う前なので、非常にゆったりとした気分で70分を楽しむことが出来た。
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 修学旅行の時は、生徒は生徒だけ次々に舟に乗せて送り出し、教員は教員でまとまって一艘に乗ることにして、幾人かでちょっとビOOなどを飲みながら下ったことを思い出した。そのことを知ってもとやかく言う生徒もなく、いい時代だったなと思うばかりである。

 舟を下りて、少し歩くと北原白秋生家がある。
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 白秋は明治18(1885)年、ここ柳川の造り酒屋に生まれ、明治37(1904)年に上京するまでを柳川で過ごした。生家は明治34(1901)年の大火で全焼してしまったが、この建物は昭和60(1985)年に復元整備されたものだという。
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 さて、さっきの下船場のあたりまで戻って、名物・うなぎのせいろ蒸しをいただくことにした。
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 安政年間創業の若松屋というのに入ったのだが、ここに写真を載せるほどのものではないと思った。そもそもせいろ蒸しという食べ方そのものが、うなぎの美味しい食べ方なのかどうか疑問符が付くと思った。ご飯もうなぎも何かべちょっとした感じがして、こんのものなら普通のうな重が食べたいと切に思った次第である。

 西鉄柳川駅に戻った。この日はこのあと長崎まで行くのだが、西鉄はJRとの接続をほとんど考えずに路線を敷いているので、どこでJRに乗り継ぐかが難しい問題になるのである。結局、遠回りにはなるが、唯一JRと接続している大牟田に出ることにした。
 で、柳川駅に入って来た12:19発の特急大牟田行き。8000形という特急型車輌である。
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 12:33、大牟田駅着。
 西鉄の改札口(左)を出ると、すぐ横にJRの改札口(右)があった。
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 乗り継ぎ時間があったので、外に出て煙草を吸ったりした。
 西鉄の改札があるこちら側の出口は、大牟田駅としては裏口にあたる方で、こぢんまりとした駅舎と広場があった。
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 JRのホームに出て、西鉄のホームを望む。
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 12:51発の鳥栖行きが入って来た。815系電車の2輌編成。鹿児島本線を鳥栖まで行き、鳥栖から長崎本線に入るつもりである。
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 13:38、鳥栖駅着。
 13:50発の長崎行き。415系という交直流電車で、「関門」というヘッドマークを付けたラッピング車輌だった。
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 車内はごく普通のロングシート。確か4輌編成だったと思う。
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 長崎本線は運用上3つの区間に分かれていると言っていい。
 鳥栖・肥前山口間は電化複線、肥前山口から佐世保線に直通する電車も走っている。肥前山口・諫早間は電化はされているが単線、特急は多く走るが普通列車の本数は少ない。諫早・長崎間はまた本数が増え、佐世保から大村線経由で入って来る列車が諫早で合流する。大村線は非電化だから、こちらと繋がる車輌はディーゼル車である。
 諫早・長崎間は、喜々津(ききつ)・浦上(うらかみ)間に2つのルートがあって、長与(ながよ)経由の旧線は非電化単線、肥前古賀経由の新線は電化単線である。

 鳥栖・肥前山口間は昨年乗っている区間で、筑紫平野・佐賀平野という九州の穀倉地帯を行く。吉野ヶ里公園駅で追い抜かれ停車。吉野ヶ里遺跡も修学旅行で行ったような気がするが、バスで回ったからどうも記憶がはっきりしない。
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 肥前山口から先は初めて乗る区間である。
 肥前竜王(ひぜんりゅうおう)駅で交換待ち停車。
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 短時間の停車だったが、調べてみると、すれ違ったのは春の臨時列車・特急かもめ96号・博多行きだった。787系という、ダークグレーの車体である。
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 肥前浜(ひぜんはま)駅でまた交換待ち。今度は停車時間があったので、外に出たりする余裕があった。
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 すれ違ったのは、今度は定期列車の特急かもめ26号・博多行き。時刻表に特に「白いかもめで運転」と記載されている、885系という車体である。
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 肥前七浦(ひぜんななうら)駅。いい感じの駅舎だったが、停車位置が悪く、全体の姿は写せなかった。
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 下車した2人、2人とも女子のように見えるが一方は男子である。割と近い席にいて、ずっと仲良しであることをアピール?しているので、少々鬱陶しかったのである。

 肥前飯田(ひぜんいいだ)駅。
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 このあたりから、家並みの向こうに海が見え隠れするようになる。有明海である。
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 多良(たら)駅でけっこう下車があり、車内は1輌に数人という感じになってしまった。
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 多良駅を出て少し行くと、列車は海沿いの、駅ではないところで停車した。交換待ちがあるという放送があった。帰ってから調べてみると、里(さと)という信号所だった。
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 やって来たのは、特急かもめ28号・博多行き。
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 長崎本線というのは、ほぼ1時間に1本の特急が行き来している。このあたり、普通列車で旅するにはけっこう難しい区間だが、特急を使えばかなり便利な区間なのである。

 里信号所を発車して、さっきの写真で右手奥に写っていた岬を回り込むと、海の向こうに島原半島が見えてきた。
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 小長井(こながい)駅。ここは海がすぐ近くまで来ていて、降りてみたーいと心が叫んだが我慢した。
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 次の長里(ながさと)駅。
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 長里駅を出て少し行ったところで、不勉強なわたしはアッと気付かされた。このあたりの海はすでに諫早湾になっていて、家々の屋根越しに例の潮受け堤防の水門が見えたのである。
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 帰ってから調べてみたら、国の諫早湾干拓事業で水門が閉じられたのは平成9(1997)年のことで、それ以来ずっと反対派と推進派の対立が続く中、現在では堤防はすっかり整備されてしまい、平成19(2007)年には堤防の上に諫早湾干拓堤防道路というのが開通しているらしい。
by krmtdir90 | 2014-03-28 14:16 | 鉄道の旅 | Comments(0)

また九州の旅③平成筑豊鉄道2・日田彦山線2・久大本線(2014.3.21)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 13:20発、田川伊田経由・直方行きがやってきた。
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 平成筑豊鉄道・田川線、油須原(ゆすばる)駅からの帰りの車窓。
 これが、石灰岩採掘のため削られて、山が半分になってしまったように見える香春岳(かわらだけ)の姿(撮影した時にはよく分からなかったのだが、帰って調べてみて判った)。
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 勾金(まがりかね)駅。煉瓦の危険品庫があった。
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 13:36、田川伊田駅着。これで寄り道は終わり。再び日田彦山線に戻るのだが、待ち時間が30分以上あるので、ここで遅い昼食にした。駅前に一軒しかないラーメン屋に入った。他に選択肢はなかったのだから、味などについて文句は言えない。

 駅に戻り、JRのホームに出て、煙草を吸いながら写真を撮ったりした。
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 14:12発、日田彦山線・日田行きが入ってきた。キハ147、2輌編成。
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 歓遊舎(かんゆうしゃ)ひこさん駅。
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 おかしな名前の駅だが、左の通路が道の駅・歓遊舎ひこさんというのに直結しているらしい。6年ほど前に、道の駅が出来るのに合わせて開業した新駅のようだ。でも、列車に乗って道の駅に来る人なんているのだろうか。

 路線名になっている彦山(ひこさん)駅。
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 英彦山(ひこさん)神宮というのに行く時の下車駅らしく、木造の立派な駅舎で、降りてみたい感じの駅だったが、降りたら最後、列車の本数は少なく(ここから先、上下とも一日9本)、計画が成り立たなくなってしまう。

 彦山駅を出ると山越え区間になるようで、長いトンネルを出ると雨模様の空になってしまった。
 筑前岩屋(ちくぜんいわや)駅。
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 大行司(だいぎょうじ)駅。ホームが高いところにあり、向こう側の低いところに駅舎があるようだった。
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 宝珠山(ほうしゅやま)駅。ホームが福岡県と大分県の県境をまたいでいて、ホーム上にそれを示すプレートが埋設されているということだが、分からなかった。
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 今山(いまやま)駅。
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 15:25、夜明(よあけ)駅で下車。列車は日田駅まで行くが、日田彦山線はここまでである。ここが久留米方面への久大本線の接続駅になる。
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 ここには古い木造駅舎があったようだが、つい最近解体されてしまったらしく、いかにもという感じの新しい駅舎に替わってしまっていた。
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 駅前には夜明の鐘とかいうバカバカしいものも立っていて(撮る気にもならなかった)、何か勘違いがあるような気がしてならなかった。
 駅は道路から一段高いところにあり、その向こうに、筑後川の上流部で、このあたりでは三隈川(みくまがわ)と呼ばれる流れが見えている。
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 15:42発の久大本線・久留米行きがやって来た。キハ147に慣れた目には妙に眩しい、キハ125の2輌編成。
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 発車する前に、特急ゆふいんの森5号・由布院行きとの行き違いがあった。
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 久大本線は先日乗ったばかりだが、その時気になっていた駅など幾つかに降りてみようと思う。
 まず、16:14、善導寺(ぜんどうじ)駅で下車。
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 ここは昭和3(1928)年開業以来の木造駅舎だが、残念なことに駅事務室のあった側半分が解体されており(ホームからの写真では右側、駅前からの写真では左側がなくなっている)、待合室側半分を残すのみとなっている。
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 やって来た16:24発・うきは行きで、うきは駅まで戻ることにする。今度は赤い車体のキハ220である。
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 実は、発車してすぐ次の筑後草野(ちくごくさの)駅で、交換待ちの短い停車があった。車内はけっこう混んでいて、この時に限って交換列車の方に意識が行っていなかった。すると、これがあの「ななつ星in九州」だったのである。あっという間の出来事で、残念ながら写真に収めることはできなかった。そういうものなんだよね。

 で、うきは駅16:49着。同じ列車が16:56発となって折り返すので、それまでの間に駅前などを写してきた。
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 ひらがな名称の自治体というのは何となく好きになれないが、ここも平成の大合併で浮羽町と吉井町というのが合併する時、ひらがな表記のうきは市になったもののようだ。

 久留米行きとなったキハ220単行は、次の筑後吉井(ちくごよしい)駅で10分以上の交換待ち停車。外に出たりして、ゆっくり写真を写すことが出来た。
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 なお、うきは市役所は、うきは駅ではなくこちらが最寄り駅になるようだ。

 ということで、17:46、終点・久留米駅に到着。
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 駅前に、大きなからくり時計があった。下に由緒などが書いてあったようだが、こういうのはあまり興味はない。
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 さて、久留米市にはJRのほかに、大手私鉄・西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線というのが通っていて、市の中心市街地はその西鉄久留米駅の方にあるようなのだ。明日はこれを利用する予定なので、ホテルもそちらの方に取ってあり、バスで西鉄久留米駅に移動した。

 確かにこちらが繁華街で、いかにも栄えた駅前という感じだった。これが東口。
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 これが西口。写真左手に、バスが連なるように次々と発着するバスセンターがある。
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 住民にとっては、JRよりも西鉄の方が便利なのは歴然としているように思った。
by krmtdir90 | 2014-03-27 15:50 | 鉄道の旅 | Comments(0)

また九州の旅②日田彦山線1・後藤寺線・平成筑豊鉄道1(2014.3.21)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 朝、さわやかに目覚めた。旅先では二日酔いで年休というわけにはいかないのだから、とりあえずよかった。しっかりと朝風呂にも入った。
 雲は多めながら、雨は降っていない。しかし、少しして日射しもあるなと思いながら窓の下を見ると、道行く人が傘を広げている。どうやら、変わりやすい天気を覚悟しなければならないようだ。
 ホテルを出る時には、再び太陽が覗いていた。けっこう寒い。
 で、これが昨夜ガミーゴくんと入ったまんねん食堂。朝の光の中では、雰囲気判らないね。
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 この日は、日田彦山(ひたひこさん)線と久大(きゅうだい)本線を乗り継ぎ、途中寄り道などもしながら久留米まで行く。
 日田彦山線は、日豊本線・城野(じょうの)駅と久大本線・夜明(よあけ)駅を結ぶ、全線が非電化単線の路線である。運用上、全ての列車は小倉駅と久大本線・日田駅を起点としている。

 小倉駅9:11発、日田彦山線・日田行き、キハ147の2輌編成。セミクロスシートの車内は大体埋まっている。
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 西小倉、南小倉と日豊本線を走った後、城野から日田彦山線にはいる。最初の停車駅・石田駅。別にどうということもない駅だったが、たまたま停車位置が良かったので撮影した。
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 石原町駅で交換待ち。
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 日田彦山線は優等列車は走っていないから、行き違ったのは同じキハ147の2輌編成。
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 9:58、採銅所(さいどうしょ)駅で途中下車。
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 ここには、大正4(1915)年開業以来の木造駅舎が残っているはずだった。降りてみると、確かに木造駅舎には違いないが、塗装なども施されていて妙に新しい印象である。
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 外に出てみると、駅前にこれも新しい石碑が建っていて、昨年10月の日付でこの間の経緯が説明されていた。それによると、老朽化が進み2年ほど前に解体されることが決まったものを、保存を求める動きを受けて地元の香春(かわら)町が買い取り、改修工事をして現在のような姿で残したものだという。
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 改修前の姿を見たかったとは思うが、解体されて全然違う無味乾燥な駅にされてしまったかもしれないことを考えると、気持ちは複雑だがこれでよかったのだろうと思った。

 ここには貨物用の側線とホーム跡も残っていた(左側)。
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 町民が愛着を感じたのがよく分かる、いい駅だと思った。
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 次の、10:34発・田川後藤寺行きがやって来た。
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 ここで行き違いになる、10:34発・小倉行きもやって来た。
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 採銅所駅を出ると間もなく、石灰岩採掘現場と思われる削られた異様な山の姿が車窓左側に見えた。写真に撮りたかったが、わたしは右側のボックスにいたのであきらめた。

 次の、香春(かわら)駅。香春町とか、いままで全然知らなかった土地だが、時間があれば降りて歩いてみたい気分になった。
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 さて、10:52に田川後藤寺(たがわごとうじ)駅に到着。この列車はここ止まりである。
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 少々時間があるので、外に出てきた。駅がある福岡県田川市は、香春町などとともに、有名な「炭坑節」で歌われた土地なのである。
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 駅前の「田川名物・後藤寺ホルモン」の店、ここにはホルモンラーメンというのもあるようで、食べてみたかったが、それほどの時間はない。周囲を少し歩き回ってから駅に戻った。
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 この駅には、第三セクター・平成筑豊鉄道の糸田線というのが接続していて、そのディーゼル車がぽつんと停まっていた。平成筑豊鉄道は、あとで田川伊田駅からちょっと乗るつもりである。
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 その前に、この駅から分岐するJR後藤寺線に乗ってこようと思う。後藤寺線というのは、田川後藤寺と筑豊本線(福北ゆたか線)の新飯塚とを結んでいる13.3キロの短い路線である。往復しても50分とかからない。
 で、これが田川後藤寺・新飯塚間を行ったり来たりしている、キハ31の単行列車。九州でも最もローカルな区間を選んで運用されている車輌だ。
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 これが車内。
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 前回、筑豊本線・原田線で乗ったキハ31とは、シートの配置などが全く異なっている。なお、ドアがバス扉の流用というのは同じだった。
 11:19、田川後藤寺駅を発車。乗客はそれなりにいて、全部のボックスが埋まっていたと思う。

 発車すると間もなく、列車は山の中に入って行く。船尾山という低い山だが、ここは現在も石灰石の採掘が盛んに行われていて、削られた山肌がすぐ間近に迫ってきたりする。

 最初の停車駅・船尾(ふなお)駅は、まさにその採掘現場の真っ只中という感じの駅で、隣接するセメント生成工場の巨大な構造物がホームを圧していた。ズームを一番広角側にしても、とても入り切れない圧倒的な存在感である(写真で一部を切り取っても、その大きさは伝わらないだろう)。
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 残念ながら、採掘で山肌を露出した山の様子は写せていない。

 白い砂埃が舞い、ダンプが往来する荒涼とした風景に圧倒されて山を越えると、一転してのどかな田園地帯に出て、小さな駅を3つ過ぎるともう新飯塚の駅だった。11:39着。
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 実は、ちょっと手前のあたりからいやな黒い雲が広がってきたなと思っていると、新飯塚駅に着く時にはあっという間に空一面を覆い、大粒の雨が窓をたたいた。
 というわけで、新飯塚駅の外観は雨の中になってしまった。アングルなどを考える間もなく、とにかく1枚という感じだった。にわか雨に決まっているから、折り畳み傘を開く気分にはならなかったのである。
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 折り返しの同じ車輌で後藤寺線を戻る。11:47、新飯塚駅発。12:07、田川後藤寺駅着。
 行きに目星をつけておいた何カ所かで写真を撮るつもりだったが、雨粒が次々と窓を伝ってあきらめるしかなかった。田川後藤寺に着く頃にはほとんど止んでいたのが、何とも癪に障った。

 このあと、12:18発の列車で日田彦山線を一駅戻った。12:23、田川伊田(たがわいた)駅で下車。この駅からも平成筑豊鉄道が出ていて、ちょっとそっちにも寄り道しようと思っているのである。
 乗り換えには、地下道を通って一旦JRの外に出る必要がある。
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 改札を出ると、すぐ横(左側)に平成筑豊鉄道の改札のない入口があった。
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 駅舎の写真を撮ってから、そちらの入口を入った。
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 こちらはすぐにホームへの階段になり、上るとこんな感じになっている。雨が降った形跡はあるが、黒い雲はもうどこかへ行ってしまって、日射しがのどかである。
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 駅舎に近い方が平成筑豊鉄道のホームで、遠い方がJRのホームになっている。駅の最盛期には、間に何本も線路があったのだろう。
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 近くには、往年の名残と思われる煉瓦造りの煙突も見えた。「炭坑節」で「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ」と歌われた煙突の一つであろう。
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 平成筑豊鉄道はこの駅を起点に、筑豊本線(福北ゆたか線)・直方(のおがた)駅とを結ぶ伊田線と、日豊本線・行橋(ゆくはし)駅とを結ぶ田川線が直通運転をしている。田川後藤寺駅から出ていた糸田線は、伊田線の金田駅とを結んでいる。全線が非電化だが、伊田線は複線、他は単線である。
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 12:48、田川線・行橋行きがやって来た。
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 これが車内。乗客もそれなりにいる。
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 13:05、油須原(ゆすばる)駅で下車する。片道350円。
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 この駅舎は、明治28(1895)年・開業当初からのもので、九州に現存する駅舎としては最も古く、有名な肥薩線の大隅横川駅や嘉例川(かれいがわ)駅(いずれも1903年開業)よりも古い駅舎なのだという。

 構内踏切を渡って行く。昔は側線も敷かれていたのだろう。
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 改札口は鉄パイプである。
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 外に出る。駅舎外観。
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 駅名板は平成元(1989)年、JRから平成筑豊鉄道として再出発した時に掛け替えられたもののようだ。
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 これが駅前の家並み。
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 このあたり、福岡県田川郡赤(あか)村という村である。不思議な名前の村だが、一つ前には赤駅があった。

 滞在できる時間は15分だが、駅舎をじっくり見て回った。こちら側はそれほどでもないが、
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 こちら側はかなり傷みがひどい。
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 この先、改修というような話も出てくるのかもしれないが、なかなか難しい問題だと思う。
by krmtdir90 | 2014-03-26 15:55 | 鉄道の旅 | Comments(0)

また九州の旅①小倉散歩(2014.3.20)

 また九州に行ってきた。
 新横浜8:52発・ひかり505号、新大阪11:26着。新大阪11:59発・さくら555号、小倉14:17着。前回よりちょうど1時間遅い新幹線である。

 出発時は雨で、旅の最初から折り畳み傘を広げなければならないのは、やはり気が滅入るものである。ただ、西へ向かうのだから、九州に着く頃には雨雲を抜けているだろうと楽観していた。
 ところが、広島あたりで一旦止んでいたのに、小倉ではまた降っていた。たいした降りではなかったが、傘を差さなければ濡れてしまう程度にはしっかり降っていた。しかも、風も強い。折り畳み傘はヤワに出来ているから、下手をするとおちょこにされそうである。

 この日は小倉の町を少し散歩しようと思っていたが、最初からかなり気勢をそがれた。この季節、日本の沿岸を東に進む低気圧は、抜けると発達して冬型の気圧配置になるのだが、北九州というのは九州といっても実は日本海側に連なる地域で、低気圧が行ってしまっても、変わりやすい天気がしばらく続くようなのだ。仕方がない。
 なお、小倉は現在、若松や門司、戸畑、八幡などとともに、政令指定都市・北九州市となっているが、駅名などはすべて元のままである。そういうところが鉄道のいいところだと思う(と書いてから、つい最近、業平橋駅を東京スカイツリー駅に変えるという愚挙があったのを思い出した)。

 宿泊予定のホテルに大きな荷物を預け、とりあえず小倉城に行ってみることにした。観光案内所で聞いたところでは徒歩15分くらい、ガイドマップを見ると、途中にアーケードのある通りがけっこうあって、うまく辿ればそんなに濡れずに行けるのではないかと思った。まあ、そんなにうまくはいかなかったけれど。
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 小倉城天守閣は昭和34(1959)年に再建されたもので、中はどうということもなかった。入口で入場券を買おうとしたら、小倉城庭園・松本清張記念館を併せた3施設共通入場券というのがお得だというので、それにした。700円。別々に買うと1150円になるらしい。
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 で、天守閣からの眺め。これは小倉駅の方角。下にあるのが小倉城庭園である。その向こうの川は紫川(むらさきがわ)というらしい。
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 次に行ったのは松本清張記念館。清張は明治42(1909)年、小倉の生まれ、昭和28(1953)年まで、この地に生活していたのだという。旧居などは残っていない。
 普通なら両端が切れてしまうような撮り方はしないのだが、雨なのであまり考えていない。
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 この左側の建物、入館して判ったのだが、清張が作家になってから住んだ東京・高井戸の家を、一部だがそのまま持って来てこの中に建ててあり、回りのフロアから室内を覗き込めるようにしてあるのである。1階の玄関ホール、応接間、書庫など。
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 そして、2階の書斎。
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 2階に上がるところで撮影禁止だったのを知ったが、書斎はやはり一番大事な場所なので、つい撮ってしまいました。普段からフラッシュを使う習慣がないので、警備の人がいたのだけれど気付かなかったようだ。

 小倉城庭園。ここは平成10(1998)年に松本清張記念館とともに整備されたもののようで、別に歴史的に由緒ある庭園という訳ではないようだ。ちょうど雨も止んだようなので、庭の方にも行ってみた。
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 小倉城のエリアに接して、リバーウォーク北九州と呼ばれる巨大な商業と文化の複合施設が出来ている。小倉城に行く時ここを抜けて行ったのだが、この部分には屋根はついていない。
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 雨は止んで、空にはまだ黒い雲がたれ込めていたが、西の方角で雲が切れているのか、時折夕日が差し込んだりする。紫川に架かる新勝山橋を渡った。すぐ向こうに、常盤橋という木の橋が架かっている。人は渡っているが、車は通らないようだ。
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 左手奥に新幹線の高架が見える。鹿児島本線と山陽新幹線(博多までは山陽~)がここを通っている。小倉駅は写真の右手になる。中央奥の煙を吐く煙突は、帰って調べてみたら、位置関係から見て新日鐵住金小倉製鉄所というもののようだった。

 再び駅前に戻って来た。ここでやっと小倉駅の外観である。着いた時は雨と風で、とても写真を撮る気分ではなかったのだ。
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 モノレールが見えている。

 せっかくだから、ちょっと乗ってみることにした。きっぷ売り場に行って自販機を見ると、二駅目の旦過(たんが)駅までが100円で(その先は190円とか230円とか、普通の金額になってしまう)、どうやら特別割引区間になっているらしかった。別にどこかに行きたい訳ではないから、これでいいと思い、きっぷを買ってホームに出た。
 先端に行ってみると、すぐ向こうに隣の平和通(へいわどおり)駅が見えている。
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 平和通駅を出たモノレールがこちらに向かってくる。(全体に紗がかかったようなのは、ホームの先端部全面が強化ガラスのようなもので覆われていて、それを通して撮っているからである。一つ前の写真が鮮明なのは、腕を横一杯に伸ばして、ガラスの途切れたところからシャッターを切っているからで、車体が近付いているのにそういうことは出来ないから、こちらはこういうことになってしまったのである。)
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 車内はロングシート。乗客は普通にいる感じだが、4輌なので、全員が間隔を置いて座っている。

 平和通駅から旦過駅の間もすぐ近くで、あっという間に着いてしまった。
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 この先はカーブしていて隣の駅は見えない。ここからは普通の駅間距離になるようだ。
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 車体の塗装はいろいろで、広告ラッピングも多いようだ。銀河鉄道999の車体があるようなのだが、出会わなかった。
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 戻りの車輌は北九州市立大学の広告だった。
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 平和通駅で下車した。旦過駅では改札を出ていないので、100円きっぷはここで回収。もう一回ぐらい往復してもよかったが、大人げないのでやめておいた。
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 5時半くらいにホテルに入った。きょうはこれから、ちょっと約束があるのである。
 先日の九州旅行記にコメントをくれたおおもりくんとのやり取りから、卒業生のガミーゴくんというのが、例の折尾の駅前でずっと古本屋をやっていて、駅前再開発のせいで立ち退きになり、いまは小倉に住んでいることが判明したのである。
 ガミーゴくんは、所沢の演劇部でわたしが顧問になった比較的初めの頃に部員だった卒業生で(現役時代のニックネームは松千代=マッチョだった)、以前上京の折に新宿で飲んで、九州で古本屋をやっているというのは記憶にあったのだが、何となく博多のような思い込みがあって、それが折尾駅だったことは(その時聞いていたのかもしれないが)知らなかったのである。
 今回小倉に泊まることはブログのやり取りより前に決めていたことだが、思いがけない展開に、急だから無理はしないようにとことわって連絡してみたら、6時にホテルに迎えに来るという返事が来たのである。

 さて、まだ明るいから少し町を案内するというので、彼に連れられて、旅行者が歩くルートとは少し外れた道を歩くことになった。ただ、写真は少ししか撮っていない。

 森鷗外旧居。これは、たぶん途中にあるはずだからと、わたしが希望して立ち寄った。鷗外は明治32(1899)年から3年ほど、旧陸軍第12師団軍医部長として小倉に勤務、その際1年半ほど住んだ家のようだ。もう閉まっていた。
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 このあと、わたしが好きそうだからと、鄙びた通りを選びながら、地元ならではの話題をいろいろ教えてくれた。同じアーケード街でも、栄えているところもあればそうでないところもある。
 このあたり、魚町(うおまち)を貫くアーケードは、公道上に掛けられた商店街アーケードとしては日本最初のものであるらしい。帰って調べてみたら、昭和26(1951)年とあった。
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 その先にある旦過市場(たんがいちば)。右手のMARUWA(丸和)というのは、日本最初の24時間営業のスーパーマーケットなのだという。
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 他のアーケードとは全く違う雰囲気で、昔からの庶民のアーケードという感じである。もう混み合う時間は過ぎたようだが。
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 途中のこの店で、ガミーゴくんが「ちょっと角打ち(かくうち)していきましょう」と言う。
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 このあたりでは、酒屋の店先で立ち飲みすることを「角打ち」と言うらしい。ちゃんとそういうコーナーが出来ている。翌日からの旅のことを考えると、この日は調子に乗らないことに固く決めていたから、ここではビールを1本だけ2人で分けて、まるっきり冷やかしで申し訳なかったが、他にお客もなく彼が許可を取ってくれたので、店内の様子を1枚だけ。
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 店の外をもう1枚。
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 この日はどうも変わりやすい天気のようで、急にかなり強い雨が降り出した。天気は回復したつもりで、折り畳み傘はホテルの部屋に広げて乾かしてきてしまったから、軒先伝いにホテルの近くまで戻り、彼が探しておいてくれたまんねん食堂というのに駆け込んだ。
 焼酎などを、翌日のことを考えてホントに押さえながら飲んで、楽しい時を過ごした。ブログをやっていなかったら実現しなかった再会だった。

 最後に。彼はこの北九州で「おやじフレーバーズ(おやじの香り=加齢臭)」という、平均年齢50歳のダンスパフォーマンスグループに所属して、楽しく手広く活躍しているらしい(因みに、彼は42になったという)。最近のパンフレットをくれたので、これはブログで紹介してほしいということかもしれないと思い、ちょっと載せておくことにする。
 1つは、京都で行われた全国コミュニティダンスフェスティバルというのに出演した時のもの。
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 もう1つは、北九州演劇フェスティバルというのに出演して、あのモノレールの車中で芝居をしたと言うのだが。
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 何ともはや。観客席はどうなっていたのだろうか。しかし、こんなことが出来てしまう北九州という町の、懐の広さを感じさせる一枚ではある。

 明日から普通の鉄道旅に戻りますから……。
by krmtdir90 | 2014-03-25 22:11 | 鉄道の旅 | Comments(4)

明日から

 明日から、また九州の方に行ってきます。行き始めると、つい続けて行きたくなるたちなんですね。明日は天気が悪そうですが、まあ新幹線だからたいした影響はないでしょう。でも、暖かいんだか寒いんだかよく判らないので困っています。
 そういうわけで、さらに5日間ほど、このブログもお休みです。帰って来たら、また旅行記載せますから。
by krmtdir90 | 2014-03-19 20:38 | 鉄道の旅 | Comments(0)

歌舞伎見物「勧進帳」

 12日(水)にまた歌舞伎見物に行ってしまったので、一応記録しておく。
 3月の夜の部は3本立て興行で(3本立てという言い方でいいのだろうか。昔の映画館では古い名画の3本立てというようなのがあったが、歌舞伎には歌舞伎の何か呼び方あるのだろうか。まあ、どうでもいいけど)、「加賀鳶」「勧進帳」「日本振袖始」と並んでいた。
 観たかったのは「勧進帳」。有名なものだし、一度くらい観ておかなければ話しにならないと(遅まきながら)思ったのである。

 ただ、始まってみるとこれは困った。セリフの意味がほとんど掴めないのである。聞こえてはくるのだが、耳から聞いてそれを意味のある言葉の連なりとして認識するのが非常に難しいと感じた。あらすじは一応読んでいたから、場面場面の状況やいま何が行われているのかは判るのだが、セリフとしてはさっぱり判らないという状態が続いた。
 わたしは昔、古文なんぞを偉そうに教えていたりしたのだが、あれは活字としてきちんと印刷されているのを読むから判るのであって、耳から聞くだけで意味を理解するというのは、たいして勉強していない者にはそう簡単なことではないのである。

 先月「白波五人男」を観た後で、歌舞伎の台本というのは手に入らないのだろうかとわたしが言ったのを覚えていて、妻が図書館から借りてきた白水社の「歌舞伎オン・ステージ」というシリーズの「勧進帳」があったから、後でちょっと読んでみたが、読めばそれほど難しいとは思わないが、聞くだけで把握するのは難しいと感じる語彙がけっこうあって、そこに敬語や漢語、仏教用語なども絡んでくるから、これは一度くらい観ただけでは無理だろうと思った。
 江戸庶民の生活を描いた「加賀鳶」などはそれほど抵抗なく聞き取れるのだが、義経主従となるとやはりなかなか難しいものである。また、弁慶・富樫の仏教問答など、活字で読んでも意味がよく判らない言葉などもあって、脚注を一生懸命追いかけなければならない始末だったのである。

 まあ、歌舞伎というのはセリフを逐一理解できなくても、その場の雰囲気やセリフまわし、役者の動きや見得といった様々な見せ場を堪能すればいいのかもしれない。そういうものは確かに観ていて面白いし、なるほどなるほどというようなことが結構あったと思う。
 あとは役者の名前を覚えて、その得意芸を楽しむということも必要なのだろう。そのためには妻のように、毎月のように通うことになってしまうのかもしれないが、わたしはそこまでやろうとはなかなか思えないのである。

 ただ今回、武蔵坊弁慶を演じた中村吉右衛門は、どこかに5月で70歳になると書いてあったが、動きもセリフまわしも(意味は取れなかったが)終始張りがあって力強く、確かに見事なものだと感心した。
 あと、「日本振袖始」で素盞嗚尊(すさのおのみこと)をやった中村勘九郎も、まだ30をちょっと過ぎたくらいのようだが、動きにキレがあって思わず引き込まれてしまった。伝統芸の中での若さというようなものを、全身で表現していたと思った。

 今回はカメラは持って行かなかったので、写真はありません。
by krmtdir90 | 2014-03-15 20:33 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(3)


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